一.
「二曹!」
とある駐屯地の一角、自衛隊員向けの居室。
翌日の訓練で使う装備品を確かめていた青年に、壮年の男が呼び掛けた。
「お前がこんなにモテるとは思わなかったぞ」
「――は?」
「確かに俺もお前だったらとは思っていたが……。まあ、残念だったな。お前の体は一つしかない」
「隊長、おっしゃる意味がよく分かりませんが」
眉根を寄せた青年に、隊長と呼ばれた男は数通の書類を手渡した。
そのうち、恭しくロウで封のされた一通に青年の顔が輝く。
「これは!」
「ああ。実はほぼ内定状態だとは聞いていたが、ウチから受かったのは武田とお前だけだ」
「武田も……そうですか。『
封を切って中を改める青年の表情は明るい。
数年前陸上自衛隊に新設された、空挺降下部隊『隼』。かねてよりそこに入隊するべく志願していた青年にとって、これ以上の知らせはない。
なにしろ、彼は空を飛びたかった。かと言って、いまひとつパイロットへの適正を持たなかった彼にとって、空挺部隊は唯一の道だ。
夢が叶う喜びに満ちている青年とは対照的に、隊長の顔は何かを耐えているように見えた。ほどなく青年も、騒ぎを聞いて集まって来た仲間たちもそれに気付く。
「――隊長?」
「どーしたんスか隊長。コイツが引っこ抜かれるんで今更惜しんでるんですかい?」
仲間の軽口にも表情を変えない隊長。さすがに全員が異常を察する中、隊長の目線は青年の手にあるもう一つの封書に注がれていた。
その封書には、
「オイオイ、ちょっと……まさか」
何かに気付いた仲間の一人が、信じられないと言った風に両手を挙げた。
その封書がどこからのものかは、マークを見れば分かる。
対特殊海棲生物海上防衛隊。通称『
思わず、といった風に仲間の一人が手を挙げた。
「隊長! ウチに来たのは、これだけですか」
「ああ。こいつの分だけだ」
「運命のイタズラももう少し気を遣ってくれよォ。これじゃあんまりだ」
青年が無言で開けた封書に収まっていたのは、ごくシンプルな一通の辞令。
『対特殊海棲生物海上防衛隊・地域本部』への配属命令だった。
「――マジか」
先程までの希望に満ちた表情は消え失せた青年は、ようやく口からそれだけを絞り出した。配属先と翌月一日の日付が書かれただけの、一枚の紙切れ。
「隊長……これ、どっちか選べる類のものじゃありませんよね」
「ああ。『特海』の辞令は全てに優先する。別組織扱いとはよく言ったもんで、今じゃあ実質自衛隊の上位部隊だからな」
「そりゃあ『深海棲艦』への打撃力を持たない人間の特殊部隊より、『特海』の戦力強化が優先なのは理解できますけど」
特殊海棲生物……十数年前から世界の各地で目撃されるようになった謎だらけの生物は、いつからか深海棲艦と呼ばれるようになっていた。
当初は世界中で散発的な敵対行為が行われるのみだったため、人間による海上テロと結論付けられたものも多かった。そしてそれが、結果的に深海棲艦の戦力を軽視することになってしまう。
何しろ、通常の人間サイズからせいぜい大型の海洋生物程度しかないのだ。そんなちっぽけな存在が持つ兵器に、戦艦クラスの火力があると想像する方が難しい。しかも彼女たちは通常兵器への絶対的な耐性を獲得、傷付けることすらままならない。
数年が経過して、突如組織立った行動を始めた深海棲艦。対抗する手段を持つものはいなかった。
――『彼女たち』を除いて。
「戦力ったって、戦うのは『艦娘』じゃないスか。俺ら人間じゃない」
艦娘。
かつての世界大戦時に活躍した艦船の魂とでも言うべきものを源とした、現状で唯一深海棲艦たちに対抗し得る存在。
未だに謎の多い彼女たちは『艤装』と呼ばれる兵器を操り深海棲艦に傷をつけることができる。
当然、沈めることも。
「それにサ、『提督』なんて艦娘の付き人でしょ。誰だっていいだろうに、なんでわざわざ自衛隊から引っ張ってく必要あるんスか。隊長。ただでさえ人間が足りないってのに」
「ズブの素人は周辺海域、優秀な連中は育ったら海域攻略作戦に駆り出される。艦娘だけじゃ勝てない戦いもあるってことだ。女の子だけに戦わせて高みの見物とも行かんだろう。それに……」
深海棲艦と同様に『発見』された彼女たちは、兵器としては欠陥もいいところだった。何しろ武器である艤装以外はヒトの形をしている。取扱いに若干の差はあれど、飲み食いもするし寝て起きる。
何より、彼女たちは泣き、怒り、そして笑う。つまり、普通の人間の兵士と扱いが変わらない。なお悪いことに、見た目は可憐な少女や女性だ。
「せめて軍組織に身を置いた人間を側に付けようっていう、おまじないの意味でもあるんじゃないか。だから何だって話でもあるが」
基本的に彼女たちの『記憶』は、自身の元となった艦が沈んだところまで。世界情勢や歴史、そして生活様式は様変わりしてしまっている。現代という異世界に投げ出された彼女たちを支えるのは、少しでも近い存在である軍人……日本で言えば、自衛隊出身者が適当と判断された。
「じゃあ、たまたま一般出身の提督に当たった艦娘はハズレもいいとこじゃないスか」
「それはそれだ。場合によっちゃ堅苦しい奴らより、よほどやり易い艦娘もいるだろう」
「そりゃあ艦娘によるでしょうよ。俺だってヒゲの生えたむさいおっさんより、若い女の子に囲まれて日々過ごすほうがよっぽどありがたいですヨ」
「言ってることはもっともなんだがなぁ」
「なんスか隊長、その『お前が言うと犯罪っぽい』みたいな顔は」
「分かってるじゃないか」
提督は男女や出自の差によらず選ばれる。それは当初提督の数が圧倒的に少なく、一般からの公募で数を補った流れが残っていることもあるが、その一般人たちの中から無視できない戦果を挙げる提督が現れたことも一因だった。艦娘の艦隊運用は、常識では測れない……ということらしい。
「――で、だ。お前どうすんだヨ」
「どうするも何も。陸の若造が海でどれだけやれるか分からんが、辞令に従うだけだ」
先ほどまでの俯き加減を押し込めて、呼ばれた青年はそう言って笑った。
「お前、海怖いとか言ってたじゃン」
「あれは子供の時の話。さすがにこの歳でそんなこと言わない」
「んだナ。俺も昔は幽霊が怖かったけど、今一番怖いのはビョーキだ」
「お遊びもほどほどにな」
痛々しく笑う彼の内心などお見通しの仲間たちは、せめてもの軽口を叩きつつ、未だ渋い顔の隊長に向けて肩をすくめる。
「しかし横槍入れるにしてもサ、タイミングってもんがあるだろが。ねえ隊長」
特海の人員募集は、その特殊性から不定期に行われている。特殊部隊のそれと重なったことは、文字通り不運でしかない。
「どこも若いのを育成し始めるならこの時期ってことだな。ウチは
嘆息に満ちた隊長に、今度は当の
「オレの『隼』は、魚の網にでも引っ掛かったと思うことにしますよ」
拒否のしようもないことであると言っても、当の本人が受け入れているのだ。彼らに出来ることは、せめて明るく、精一杯の思いを乗せて送り出してやることしかない。
「壮行会は鳥料理で決まりだナ。焼き鳥行くか」
旧知の仲間に肩を叩かれ、苦笑いの青年。
「鳥鍋なら美味い店を知ってる。おごってやろう」
「さっすが隊長。分かってる!」
目前の不運を嘆くより、先の未来を。
平和を守るために銃を取った青年たちは、今はまだ知る由もない。
全ての始まりは、海だったことを。