泉浜鎮守府航海日誌 飛べないハヤブサ   作:沖野潤一

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女神のつくりかた

一.

 

「――とまぁ、以上がだいたいの引き継ぎ内容になるわけだが」

 壮年の男性……この鎮守府の提督である姫島(ひめじま)一臣(かずおみ)大佐は、手元のタブレット端末をこつこつと叩く。

 今日付けでここから転任する彼は、自分の古巣を任せることになる新人の顔を覗き込んだ。

「っ、はい」

 情報の洪水に翻弄されていたと思しき青年は、積み上がった紙の束を慌てて手繰る。次の瞬間に目の前の口から出て来る言葉はわかりきっている。とは言え今の説明、そして手渡された資料の中身は彼の理解すら及ばないことばかり。分かったのはここが「(いずみ)(はま)鎮守府」なる場所であることぐらい。

 青年はため息を一つ吐く。

「何か質問はあるか」

「ありません、大佐」

 しれっとそう答えた青年に、大佐は苦笑をもって答える。流石にわかったフリもバレバレだった。

「ま、そこは着任する秘書艦と相談しながら、ゆっくり覚えて行ってくれ」

「何のことかは分かりませんが、了解です」

「最初のうちはそれぐらいで構わない。この特海ではな」

「海自ともまた違うとは聞いていますが、慣れるまで時間が掛かりそうです」

 対特殊海棲生物海上防衛隊、公式通称『特海』。国民からは皮肉と希望を込めて『海軍』と呼ばれているその組織の使命は、その名の通り『特殊海棲生物』から海を守り、そして奪還すること。

 敵の名前が特殊海棲生物だろうが深海棲艦だろうが、そこに大した違いはない。

 ただ、その上で人間たる『提督』に出来ることは、実のところ少ないようで多いらしい。青年が引き継ぎの場で汲み取れたのは、そんなちょっとした希望だった。

「知っての通り、我々提督は海に浮かべない。やってみたことはあるか」

「ありません」

「今、ウソを吐いたな。一回ぐらいあるだろ、正直に言いたまえ」

「――実を言いますと、提督に任命されてからは何度か」

「そうだろう。それが普通の反応だとも」

 提督はただの人間。しかし提督に「なる」には何らかの資格が必要だと噂されていることは、青年も含めて周知の事実ではあった。公表されていないそれが、果たして彼らが受けさせられた学力テストのようなもので計れるものだったのか。それは彼自身にも今もって分かっていない。

 分かっているのは、合格した者の身柄はほぼ強制的に『特海』所属となること。そして、そのせいで彼は夢をフイにしたこと、あとは提督が海の上に立てないことぐらいだった。

「『艦娘』を使役する提督ならば、そういう能力が備わっているのではないかと」

「思うよなぁ。備わらないんだよな、コレが」

「そいつは残念です。噂の水上スキーは泡と消えましたか」

 海を奔り、艤装を操り、『特殊海棲生物』……深海棲艦を倒す。それが、艦娘。

 そして提督は、その艦娘たちと共に海を守る。そういうことになっている。

「君は、艦娘との一般的な相性を示す値――FGPの値はいくつだった」

「Cプラスです。可もなく不可もなく」

「そうか。もう少し高そうに見えたが」

「自分は陸自出身ですから、そんなものでしょう。実家が海の近くにありましたから『特殊海棲生物』とは色々と縁がありましたけどね」

「そうか。君もか……おや」

 雑談のように進んでいた二人の話は、控え目なノックで遮られた。

『あの、失礼します。……着任しました、(いなづま)です』

 ドア越しの声はわずかに震えている。緊張の中にも透けて見える礼儀正しさに、青年は思わず姿勢を正した。その様子を見て軽く噴き出す姫島大佐。青年はやはり、少し表情が硬い。

 ドア前に立っているであろう彼女が彼の秘書艦……最初の艦娘になるひとだと気付いたからだった。

 大佐はそばに控えた秘書艦に目線を送る。笑顔の重巡『愛宕』が、そっと執務室のドアを開けた。

 そこに立っていたのは、栗色の髪を留めた少女。部屋に招き入れられて、周りも余り見えない様子のまま、彼女は青年と大佐のそばに立つ。

「あ、あのっ! 電です、よろしくお願いします!」

 そうして、大佐に頭を下げる少女……駆逐艦『電』。

 顔を上げても一切リアクションをしない男性二人に、電はすっかり涙目になっていた。無理もない。建造されて初期秘書艦としてのレクチャを終えて、任地にやってきた最初の一仕事、少なくとも彼女はいきなりつまずいた気になっている。

 意地の悪い笑みを浮かべて、大佐がようやく電に声を掛けた。

「私が姫島だ。君のご主人様は、こっちじゃない」

「はわわわ」

「大佐、ご主人様は『(さざなみ)』では」

「そうだった」

 いずれにせよ、意地悪は青年の趣味ではなかった。

「電。君の提督、いや司令官になるのはこっちの彼だよ」

 青年は慣れない海軍帽を手にとって、慣れない手付きで頭を抑える。陸自はともかく海自ともまた違う、錨に桜をあしらった紋章が輝く。

 そうして、青年は電の正面に立った。

 遅れて電も敬礼を返し、ふたりはようやく互いの立場を認識し合う。

「す、すみませんでしたっ。よろしくお願いします、なのです……あの」

 そうして上目遣いの電が何を言わんとしたのか。青年は着任の書類を彼女に示して、自分に出来得る最大限で柔らかく顔を崩してみせた。

 不安なのは彼も一緒。しかし、こんなところでその中身を見せるほど彼は幼くない。

 電の不安に、青年は書類に書かれた自分の名をもって答える。

「オレは真田。真田(さなだ)幸一(こういち)だ。よろしく、電」

 電は、ようやく自分に与えられた指揮命令系統を知って、安堵の笑みを浮かべた。

二.

 

「電。君もああして建造されたのか」

「そうなのです。そのあと、着任研修でたくさん勉強をします」

 鎮守府の一角にある建造ドックで、真田幸一提督は音を立てる『溶鉱炉』を電と眺めていた。

 着任初日と二日目を鎮守府内の施設見学、今後の艦隊運用についての勉強会に費やした翌日。真田は早速自分の艦隊作りに取り掛かった。施設や資材は前任の姫島大佐が好意で一部を残してくれたこともあり、ズブの素人提督であっても比較的余裕を持った運営が出来る状態にある。

 真田の意図は、余裕のあるうちにペースを掴んでしまい、艦隊運用を軌道に乗せることにあった。

「勉強……そうか。君らは言ってみれば『元』の艦船からいきなりひとの形を得たんだもんな。そりゃ覚えることは山ほどあるか」

「はい。普通に暮らすのに必要な、最低限の知識は身に付けて生まれるみたいなのです。でも、他にも覚えないといけないことが一杯あるのです」

 ただの人間であっても、例えば新しい職場で働こうと思えば大量の情報を吸収しなくてはいけない。それを彼女たちは、自分の形が変わるという想像もできない変化と共にこなしている。

 そもそも、艦船だった時の記憶というのはどういうものか。真田は想像もできないでいた。

「君らの常識と今の常識の()り合わせ、艦娘としての戦い方、それに……歴史もか」

 デリケートな話だと分かった上で、真田は電に敢えてそう訊き、電は黙って頷く。

 真田は、このやり取りは言わば試験、試練の一種だと考えていた。彼はこれから先、この少女たちと共に暮らし、戦場に送り、戦い、傷付けていかなくてはいけない。『昔お前が沈んだ海戦のことだが』ぐらいは平気で言えなくてはいけない。それぐらいの覚悟がなくては、提督としてやっていけないと。

「自分がいなくなったあと、みんながどうなったか。戦争がどうなったか。国や世界がどうなったか。すごく大変でした。納得して、わかるのに」

「そうか。そうだろうな」

「今もなのです。戦わなくちゃみんなを守れないけど、やっぱり本当なら戦いたくはないのです」

「でも、戦うんだろ」

「はい。『ふね』ですから」

 電の答えに、真田は知らず背筋を正していた。彼女たちは、どこからどう見ても少女の見た目だが、その元は意思持たぬ兵器。つまり、言われるまま敵を倒すコマという本質は消えていない――それが、真田の艦娘に対する()()()()()認識だった。

 しかし真田は、それまでの考えを改める必要があると感じた。少なくとも、こんな使命感と優しさを持った兵器はいない。笑う兵器はいない。兵器は感情を持たない。

 しかし少なくとも、目の前の少女は違う。電が特別なのか、それとも艦娘はみなそうなのか。真田はまだ判断しかねていた。

 ふと、眺めていた建造ドックで働いていた妖精たちの動きが、にわかに忙しくなる。

「お。もう少ししたら、初建造の結果お披露目かな」

「そのようなのです。……正確には、あと五分程度です」

「艦種ごとに建造に掛かる時間があって、傾向がある程度分かるってのは面白いよな」

「なのです」

 艦娘と同様、深海棲艦の出現に呼応するように現れたのが通称『妖精』。恐らく艦娘と同様に何かを媒介にして出現している彼女たちは、艦娘と鎮守府、そしてそれらに関わる謎の軍事技術のそれぞれを地味に支えている。

 妖精たちが新たな仲間を迎えようとする中、真田は電に建造ドックの外へと押し出された。

「司令官さんは一応退出して下さい。乙女の秘密なのです」

「うっ、そう言えば。確かにそうだな」

 建造の工程を終えた艦娘は、一通りの検査を済ませたあとで艤装と衣服を与えられ、そこでようやく提督との対面を果たす。建造直後の『肉体』は不安定であること、何より裸の彼女たちを無防備に晒すわけにもいかないというのは当然と言えば当然だった。

 真田は手をかざして目隠しをし、妖精たちに軽く手を振ってドアを閉めた。

 その様子を見ていた電が、手元のタブレット端末を手繰る。早くも現代の道具を使いこなす彼女に、真田は一人で唸り、拳に力を入れた。

「ええと。この後もう少ししたら、ふたり『建造』が終わる予定なのです」

「取り敢えずは駆逐艦、軽巡洋艦辺りを揃えていこうと思ってるけど」

「お手本通りだと、そうなるのです。でも『建造』は結果が分かりませんから」

 おおよその建造完了時間を教えるタイマーを示して、電は何故だか得意気にした。

 艦娘の『建造』については建造に使用する資材の配分や、投入する『コア・マテリアル』の選別など提督が調整する部分は多い。にもかかわらず、肝心の中身や仕組みについてはろくに情報がなかった。艦娘という謎の多い存在を相手なのだから仕方ないことだ、と真田は納得するようにしてはいたが。

 閉じたドアから響く重低音を振り払うように、真田は伸びをした。眺めた時計はまだ昼前、人間にも補給は必要だが、どうやら今はまだ早い。

「次の建造準備でもするか、電」

「了解、なのです!」

「その後で飯にしよう。電、何か食べるか」

「は、はい。ご一緒させて頂きます」

 そう言って先に早足で歩き出す電の背中を見ていた真田。

「――何だ?」

 彼はふと背後から()()()に呼ばれたような気がしたが、頭を振ってその場を立ち去った。

 

三.

 

「さぁて。これも一切がランダムだって言うから、ホンット大した技術だよな」

「私も最初はびっくりしたのです」

 誰に向けたのでもない真田の皮肉を、電はあっさりと受け流す。

 建造ドック隣の工作室。机上にずらりと並べられた次回、次々回用の『建造用コア・マテリアル』を目の前にして、真田は手袋を嵌めた。

 ビニールの小袋へと収められたマテリアルを手に取った真田。

「電、これとこれ。……何だこれ、メガネのフレームか」

「なのです」

「お清めしてるとは言え、遺品泥棒みたいで気が引ける」

「お役に立てて下さい、とご遺族から頂いたものばかりと聞いてます」

 コア・マテリアルとはよく言ったもので、実際には軍艦の部品や破片、そして元搭乗員の遺品など。これらを建造の際に投入すると、それに縁のある艦が建造される……可能性が上がる、と資料にある。

「このために沈んだ旧軍の艦の部品をサルベージしてるんだろ」

「そうらしいのです」

「罰当たりどころか文字通り墓荒しだな」

「電は、また皆さんのお役に立てるのなら構わないのです。でもお亡くなりになった乗組員さんたちにとってはお墓みたいなものですから……やっぱり、ちょっと気は引けるのです」

 電の苦笑いに、真田はより身が引き締まる思いを持った。死者の家より生者の命、というのは道理であるが、そこに遺族の納得感があるかは定かではない。諸手を挙げての賛成ばかりではないだろうと。

「遺品の方は、各地の将官クラスが頭下げて集めてるんだっけ」

「資料には、そう書いてあるのです」

「コスト的にも、やり易さの面でもそっちの方が話早いだろうしな」

「確かに、偉い人が頑張るほうが物ごとは上手くいくと思うのです」

 当時を知る人が、果たしてどれほど生き残っているか――その重みを知らない人から、人類が生きるためだと言って遺品を集める行為が、どれほど罪深いことか。

 頭を下げて回るほうも、面の皮が厚いだけでやれることではない。開戦当初からの苦労が忍ばれて、真田は苦笑するしかなかった。

「ヒントとかないのか、これ」

 手に取った、文字通りのひと欠片。しかし、そこには何の識別子も目印もなかった。ビニール袋にはざっくりとそれが何であるか書いてあるのみ。軍艦の金属片ならばまだしも、遺品の持ち主が乗船していた艦のタグすらないことに、真田は疑問を覚えた。

 そんな真田を見上げて、電は笑った。

「書いてあっても、意味がないらしいのです」

「意味がない?」

「資料に書いてあった『縁がある』というのは、本当にそのままの意味らしいのです。駆逐艦『電』の部品を入れて、電が建造されるとは限らないのです」

「違うのか」

 選別作業そのものの意義をひっくり返しかねない電の言葉。しかし彼女は続けた。

「はい。例えば、第六駆逐隊の誰かかも知れなくて、どこかの海戦で電が護衛した別の艦かも知れないのです。縁がある、というのはそういうことらしいのです」

「何だその、目が合ったから両想いみたいな話」

 どんな艦娘が『建造』されるかは実質ランダム、と宣言された真田。

「それじゃ、旧軍の艦はみんな縁があることになっちまうな。……ん?」

 ふと、真田は手に取った金属の欠片ではなく、その奥にあった小さな布が気になった。

「司令官さん、どうかしたのです?」

「いや……何でもないというか」

 取り出したのは航空隊の飛行士が操縦時に身に着けていた手袋。薄汚れてはいるが、遥か上空で寒さから持ち手を守っていたそれを、真田は保護用のビニール袋越しに撫でる。

 空を飛んで、そして散った持ち主。空を飛べなかった自分の立場をそれと重ねて、真田は僅かに胸の痛みを覚えた。夢を叶えて散ることと、叶わずとも生きること。果たしてどちらが幸せか、まだ彼には分からないでいた。

 吸い寄せられるように手袋を手に取った真田は、少しの間それを手に目を閉じて、それから頷く。

「電、これも頼む」

「了解なのです。次回か次々回の建造に使うのですか」

「ああ――今回オレの選定から外れたマテリアルはヨソの鎮守府に回るんだったか」

「はい。随時減った分をランダムで補充して、そうして色んな艦娘の可能性を色んな鎮守府で捕まえていくのです。一期一会、なのです」

「見た感じ空母関係っぽいから、確保って形でとっておく。まだウチには早いが、いずれ必要になる」

 選別された他のマテリアルと共に、手袋は取り分け用のカゴに収まった。

 手元のタブレットで、袋に貼られたコードからいくつかの情報を入力する電。手は止めず、柔らかく笑って頷いた。

「ふふ。了解なのです。……これは、司令官さんのお気に入りなのですね」

「なんとなくだよ、別にこだわりがあるわけじゃない」

 真田は本当に何気なくそう言ったつもりだったが、電は彼を見て真面目な顔をした。

「気付いていないと思いますけど、電たちも選んでいるのです。司令官さんを」

「選ぶ? どういうことだ」

「秘密なのです」

 電はそうして悪戯っぽく笑った。彼女にしては珍しく思えるその顔、その言葉は、何故か真田の深い部分に突き刺さる。まるで何かを試されているような、その言葉が。

 電の言った意味を真田が本当に理解するのは、もう少し後のことになる。

 

四.

 

「あのぅ、司令官さん」

「どうした」

 かなりの逡巡(しゅんじゅん)を経て、電は隣の真田を見上げて言った。

 そろそろ彼に慣れて来た様子の電だったが、その質問を口にするには少々勇気が必要だったらしい。

「――その袋は、何なのですか」

「まだ分からん。気にするな」

 真田は片手にビニール袋を提げていた。コンビニで買ったものを入れるようなそれには、鎮守府内の酒保のロゴが付いている。着崩しているとは言え、軍服には似つかわしくない。

 疑問符を浮かべる電をヨソに、真田はその袋を音と共に執務机へと置いた。

 真田がこれから行うのは着任式だ。挨拶にやってくる、今日建造された三人の艦娘との対面。

 彼女たちはこれから数週間の教育プログラムを経て、正式に艦隊の一員となる。その前にまず自分を建造した提督との顔合わせをするというわけだ。

 こつ、こつ。ノックされたドアに向けて、真田は入るようにだけ声を掛けた。

「失礼します」

「お邪魔しまぁす」

「失礼するよ。何だここ辛気臭ぇな」

 部屋へ入ってきた艦娘は、三者三様の反応を示した。それぞれ仮支給された制服もどきを身に纏っているが、詳しくない真田から見てもどうやら全員が別艦種に見えていた。

 真田はそっと深呼吸した。相手は女性の姿をしているとはいえ、人ならぬ力を宿した海の護り人だ。今さらただの人間がナメられないように、などと小手先のことをしても仕方がない。

 彼は彼なりに、真っ向勝負で行くと決めたらしい。

「ようこそ、我が艦隊へ。オレが君たちの提督、真田だ」

 真田はシンプルにそう名乗った。

 そして真田の緊張とは逆に、三人の艦娘たちはほうと息を吐く。バカにした風ではなく、単純に彼の存在を認知してくれたということだろう。

「駆逐艦、不知火です。よろしくお願いします、真田司令」

 前に歩み出た小柄な一人は、物静かに自らをそう表す。真田は付け焼刃の知識を引っ張り出したが、彼女が陽炎型駆逐艦の一人だった以外はロクな情報が出てこなかった。

 とは言え電に続いて二人目の駆逐艦。水雷戦力を高めるというセオリーに沿うならば、まずは順当なひとりと言えた。

「不知火、こちらこそよろしく」

「はっ。誠心誠意、努力させて頂きます」

「ほどほどに頼む……で、こっちの美人は」

 思わず叩いた軽口に、不知火が唇を結ぶのを真田は見た。減点一、と心中でカウントしつつも、今は見ないふりをすることにする。マイナスは後からいくらでも取り返せるのを、彼は知っている。

 一方で褒められた一人は、何かを含んで微笑んだ。

「あらお上手。褒めても何も出ませんよ?」

「君は駆逐艦じゃないな。巡洋艦か」

 不知火とは体型からして違う、女性的な丸みを帯びた艦娘。真田は笑みと共に向けられているのが、単純な値踏みの目線と捉えた。不知火も表立って見せていないだけで、提督が艦娘から器をはかられるのは当然のこと。真田へ敢えてそれを知らせた彼女の、秘めた強気が真田に伝わる。

「ええ。天龍型軽巡洋艦、龍田。よろしくね、真田幸一クン」

「龍田か。慣れないところもあるかも知れないが、よろしく頼む」

 どうやらいきなり強敵を抱え込んだと思われる真田。それらを内心に押し込んだ彼は、最後の一人に目線を移した。

 何故なら恐らく、真田の戦いはここからスタートする。いや、既に始まっていたのかも知れない。

「――最後は君だ」

「あたしゃ、飛鷹型軽空母の隼鷹さ。……さて、と」

 長い髪を後ろで束ねた最後の一人……隼鷹は、にへらと笑って前へ出た。堂々と値踏みをするように真田を眺めて、(しま)いに彼の胸を小突いて一言。

「で?」

 その場で、電だけが彼女の言葉の真意を測りかねていた。

 そう、真田は分かっていた。正確には、隼鷹からの短い問いへの答えを、彼は()()()()()

「電、ビニール袋」

「は、はい?」

「机の上のだ。取ってくれ」

 真田を見上げる隼鷹の目は、龍田と鋭さこそ違うものの、明らかに真田の何かを測っている。

 隼鷹から目線を外さず、真田は電から袋を受け取った。

「よくは分からんが、これを用意しなくてはいけない気がした」

 そのまま真田は、隼鷹へと袋を突き出す。がさり、という袋の音よりよほど目立つ音。ガラス同士がぶつかる独特の音色に、隼鷹は口元を歪ませた。

 彼女は袋を覗き込み、そして堪えきれないといった風に笑った。

「龍田、この人たぶん当たりだわ」

「あらぁ」

 品のない笑いを漏らす隼鷹、涼し気な龍田と対照的に、不知火はどこか不満げだった。

「不知火のオーダーは、通っていなかったようですが」

「そらぁお前さんの声が小さかったからさね」

「不知火は、不知火なりに頑張ってお伝えしました」

 真田はそんな彼女たちの会話を、どこか呆然として聞いていた。

 今目の前で起こっている事態と、それを引き起こしたのが自分であること。その大元となった行動が何によって発生したのか。それを整理し切れないでいた。

「一つ、いいか」

 だから、真田は聞いてしまうことにした。手っ取り早く、答えを。

()()()()()()()()()()()()()のは君か、隼鷹」

「当たりぃ」

 親指を立てて、隼鷹が笑う。

 真田が建造ドックから立ち去る時、彼の耳……いや、敢えて表現するならば『脳内』に声が響いた。

 それはごく短い『何でもいいから酒買っといて』という言葉。

 その時は気のせいかと流した真田。しかし電と話すうち、そして彼女たちとの対面が近付くにつれてそのときの言葉が気になってしまった。結果、今ここには酒瓶がある。

 目の前で瓶の日本酒を揺らして見せる隼鷹は、満足そうな顔で真田を見ている。

 真田はようやく、隼鷹たちに向けて言葉を発した。

「出て来る前から分かってたのか。オレのこと」

 そう言う真田は、うっすらと何が起こったのかを理解し始めていた。

「建造されてる間、なんとなく自分たちがどうなってるのかは感じてたんよ。細かい状況は分かんないけど、どうやらアタシらはヒトのカタチでもう一度蘇るっつーか、生まれるんだってね」

 常識では測れない存在だからこそ、常識外のことをあっさり受け入れたということらしい。

「そうこうしてるうちに、隣の龍田たちとも意識っていうのかな、感覚が繋がっちゃってさ」

「これから私たち、なんだか面白そうな人と過ごすことになるのねって。それで、名前を聞いてみたりやって欲しいことを言ってみることにしたの」

 真田は彼女たちの言葉で、自分の推論が当たっていたことを確かめた。

 建造の過程で『入れ物』である肉体へと『魂』が定着する過程。そこで彼女たちと提督たる真田は、なんらかの精神的な繋がりを持ったらしい。真田が聞いた声は、まさに彼女たちの呼び声だった。

 龍田と思しき声には、問われた自分の名前を答えていた真田。だから龍田は彼を幸一と呼んだ。

「不知火の分は……いえ、気になさらないで下さい」

 あまり変わらない表情の中にも落ち込みを見せる不知火に、真田は執務机から箱を一つ差し出した。いわゆる棒チョコレート菓子だ。どうやら買い置きがあったらしい。

 手渡された品に目を見開いた不知火の頬が、少しだけ色を持つ。

「ほれ。これでいいか」

「――ありがとう、ございます」

「聞こえてたよ、『甘いものが食べたい』って」

 受け取った不知火は、真田に見事な答礼を返して見せた。

 真田は内心の動揺を悟られまいと、事務的に徹することにした。

「取り敢えず、今日は顔合わせだ。聞いていると思うが、君たちには色んなギャップを埋めてもらい、それから艦隊で任務に就いてもらうことになる」

「へいへい。『深海棲艦』とやらのツラも早く拝んでやらないとね」

「私も、色々壊し方を覚えないと。うずうずしちゃう」

「不知火、了解です」

 和気藹々と語る三人の艦娘を前に、真田の頭は混乱していた。彼が経験したオカルティックな体験もさることながら、艦娘という存在との付き合い方について分からなくなったのだ。

 艦娘とは何だ。

 真田の混乱は、提督としてこうして身近に接することになって、より強くなる。

 彼女たちは、兵器。

 深海棲艦と戦い、海を取り戻すための武器であり、手段。

「そんじゃま、提督。よろしく頼むわ。着任研修終わったら、一杯やろうな」

「ああ。楽しみにしてる」

 引きつらないように笑う真田。取り敢えずそれを見ないことにした隼鷹。

(――これは何だ。オレは彼女たちとどう話せばいい)

 酒を酌み交わすことが出来る兵器など、真田の常識にはない。電に対して抱いていたよく分からない感情は、隼鷹たちと出会ったことでより複雑さを増していた。

「不知火ちゃん、そのお菓子美味しそうね」

「はい。英語で書いてありますが美味しそうです。……日本製でしょうか」

「私にも少しくれる? 普通の食べ物を食べられるの、いつからって言ってたかしら。楽しみね」

 初めて見る菓子に目を輝かせる兵器などない。食事を楽しみにする兵器などない。

「司令官さん」

 側にいた電が真田の異変に気付いたのか、そっと軍服の裾を引っ張る。

「何でもない……大丈夫だ」

 真田は分からなくなっていた。提督は彼女たちにどんな顔で命令すればいいのか。どんな声で、命を掛けて戦って来いと言えばいいのか。

 着任数日のひよっ子提督はまだ、その疑問に対する答えを持ち合わせていなかった。

 

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