泉浜鎮守府航海日誌 飛べないハヤブサ   作:沖野潤一

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距離を狭めて

一.

 

「艦長、真田提督! 水上レーダーに複数の反応!」

 通信士が上げた鋭い声に、艦と艦隊のリーダーが顔つきを変えた。

「――まずいな、この反応は。真田提督!」

 それはまさに、泉浜鎮守府の第一艦隊が夜戦に突入した直後のことだった。

 護衛艦『うたみづき』の戦闘指揮所(CIC)に舞い込んだ知らせは、とびきり最悪のもの。

「完全に第一艦隊の横っ腹狙いだな……クソッ」

「そのようです。船足から見る限り、巡洋艦で構成されていると思われますが」

「空母以外はこの際どれも同じだな。敵主力艦隊が何隻残ってるかは分からんが、いずれにせよウチの艦隊より数が多いのは間違いない」

 つい三十分ほど前、泉浜第一艦隊は敵主力艦隊を追撃するため夜戦に突入していった。レーダーから伝わる情報はわずか。何しろ真田たちがいるのは敵勢力ど真ん中、かろうじて『深海雲』の切れ目から見えるレーダーの表示と、途切れがちな通信でしか戦況を知ることができていない。

 そんな中で見えたのは、第一艦隊へと迫る敵の支援艦隊の動き。『うたみづき』に緊張が走る。

「最初から夜戦で仕留めるつもりだったんでしょうか……それともおびき寄せてからの作戦変更?」

「いずれにせよ、このままじゃ加賀たちが挟み撃ちだ……夕張、聞こえてるか!」

 真田は、ドックで修復作業中の夕張を呼び出す。彼女を含んだ残りの艦隊は夜戦の直前に収容され、今は補給と応急の修復作業中だった。雑音と共に技術担当が応答する。

『こちら夕張、聞こえてます。第二と第三艦隊、補給はあと十五分で完了予定です』

「分かってると思うが、挟撃されてる第一艦隊の援護に出てもらう。各艦の損耗状況はどうなってる」

『支援了解。私を含めて第二の鳥海、長良、夕立、時雨は問題なし。第三も補給が済めば行けます』

「――龍田は出られそうにないか」

 龍田は直前の戦闘で時雨を庇って中破していた。幸いにも航行には問題なかったが、中破した艦娘は戦闘力の低下が激しい。砲雷撃戦での主力が欠けたのは泉浜艦隊にとって痛手だった。

『艤装は応急で何とかなりますが、左腕をやられてます。入渠が必要ですね』

「了解。龍田の穴は根性で埋めてくれ」

『根性了解! 時雨ちゃん、ちょっと手伝って! 第三艦隊、六番艦は隼鷹、古鷹交代ね!』

 実のところ、補給が済んだからと言って艦娘のパフォーマンスが回復するかと言えばそうではない。機械ではない艦娘、体力も減るし疲労も溜まる。

 それでも、艦に乗っているのは現状彼女たちだけ。数名の交代要員以外、余分な戦力はいなかった。

「艦長、第二と第三を支援に出す。見えてる範囲に敵艦はいないが……うたみづきも前に出れるか」

「可能です。突っ切りますか」

「そうしたい。支援艦隊に続いて戦闘海域へ突入して、敵の長距離砲撃の射程範囲ぎりぎりまで接近。艦娘たちを回収して離脱、泊地まで撤退する」

「了解しました。速力を維持できる艦娘はそのまま戦闘域を離脱してもらえばいいでしょうが」

「この海の荒れようじゃ、後ろのドックは使いものにならないな」

「注水可能な速度まで落としても難しいかと。最初から『釣り』でやるのが賢明でしょう」

 艦長は、回収方法の懸念を口にした。艦娘たちは通常、護衛艦の艦尾にある注水式ドックから出撃や帰投を行う。しかし戦闘海域へと突っ込むことになるうたみづきが、悠長に速度を落として回収をしていられる状況ではないのは明らか。『釣り』と呼ばれるワイヤーフック式での回収が現実的となる。

 真田は、唇を噛んだ。可能な限り素早く傷付いた艦娘を助け出して、海域を離脱したい。支援艦隊による攻撃、第一艦隊との合流――そして船足の落ちた艦娘の回収。手順やタイミングをひとつ誤れば、艦娘どころか艦隊全滅もあり得るシビアな状況だった。

 ワイヤーで引っ掛ける『釣り』は、同時に多数の艦娘を収容できない。自然、時間との闘いになる。

「それにしても艦娘釣りなんて、楽しくも何ともありません。早いところ用事を済ませて、泊地で一杯やりませんか、真田提督」

「もちろん。付き合うよ、艦長」

「いいスコッチを持ち込んでるんです。ツブれないで下さいよ」

 趣味は釣りという艦長が、皮肉めいた笑みで零したのに返す真田。彼が折に触れて、釣りに誘ってはつれなく断られている相手の顔を思い出した真田は、こんな事態の中だからこそ笑った。

「そういえば艦長はお目当ての釣り上げようと必死じゃないか。アレも艦娘釣りだろ」

「――提督、勘弁して下さいよ。それとこれとは別です」

「龍田は、釣りよりは散歩の方がいいと思う」

「覚えておきますが、自分は一本釣りが趣味なんです。釣りで、釣ってみせます」

 そう言って笑う艦長を、真田は頼もしく思いつつ。

(お互い、判断を誤ったってことかな。第一艦隊、オレたちが行くまで持たせろよ、加賀……)

 今の状況を招くことになったもう一人の無事を祈り、真田は閉じた瞼の裏に思いを馳せた。

二.

 

 時間は、一時間ほど前に遡る。

「駄目だ。認められない」

 真田は、マイクの先にいる通話相手――出撃中の第一艦隊旗艦、加賀の意見を真っ向から否定した。うたみづきの戦闘指揮所には緊迫した空気が張り詰めている。この二人の意見がぶつかることは珍しくなかったが、戦闘海域……しかも敵のど真ん中でやり合うのを見たのは、全員が初めてだった。

『理由を教えて下さい。練度は十分足りているはずです』

 とある海域の攻略作戦。昼間の激しい戦闘を終え、今は静かに夜が訪れようとしている。深海棲艦の艦隊は一時撤退しており、敵影はない。

「今の第一艦隊の状態で、夜戦の選択肢はない。海もこの後は荒れる予報が出てる上に、敵部隊の損耗状況も詳細不明。この状況で無理はさせられない」

 倒しきれなかった相手の追撃を具申してきた加賀に対して、真田はそれを受け入れない。

 それは艦隊の指揮者としての判断であったし、大切な仲間たちをこれ以上は危険に晒せないという、やや甘さのあるリーダーとしての考えでもあった。

 加賀は、静かに自分の意見を口にした。

『……最後に視認した時、敵の主力戦艦は大破状態でした。こちらの夜戦火力を集中させれば、撃破は可能です。随伴艦も損傷はさせています』

 加賀は普段、強い口調で物事を口にしない。しかし、それは裏に隠された感情を見なければ、というもの。本来、内に秘めた激情を分かりやすい形で表に出さないだけだ。

「つまり随伴艦は健在なんだろ? 沈めてはいない。昼間の戦闘で落とし切れなかった敵艦の連中は、ほとんどが夜戦に強い巡洋艦タイプだったはずだ。数的有利もないのに、旗艦を落とせる理屈がない」

『ここで撤退をする方が、後々面倒なことになるのではなくて』

 確かに加賀の言うことは正しく、真田はその点において加賀の言葉を否定することはできなかった。戦略的にはこの戦闘で勝ちを落とすことで、今後全ての予定は狂うことになる。泉浜鎮守府にとっては明らかに大きな損失だった。

「加賀。お前の言い分は間違ってない。今この海域を落としておかないと後で苦しくなるのは確かだ。だが、それでも……」

 しかし、真田は立て直せる戦略よりも、失えない仲間のことを優先したかった。

 そして加賀は、そんな彼のことをよく分かった上で、最も効果的な一言を投げつけた。

『信じて下さい』

 それが殺し文句になると知っていて、加賀はそう言った。

 真田は数秒後、ため息を吐く。彼の降参だった。

「――こちらも戦闘海域まで出る。万一の時は、すぐ回収と撤退だからな」

 指揮官として、それを受けるべきではないと知りながら、仲間としての信頼を優先した真田。加賀も、自分の言葉の狡さに胸を痛めながら、折れてくれた指揮官に礼を返す。

『ありがとうございます。必ず、期待に応えてみせます』

 真田にだけは笑顔と分かる声で、加賀は通信を打ち切った。彼女たちは、深海雲による通信不可圏に突入する。運が良ければ索敵機などによる中継はできるが、一瞬で勝負の決まる夜戦においては大してアテになるものではない。不確実なものに割くリソースは、人類側にはない。

「さて……」

 そうと決まれば、真田のやることは一つ。何かあったら第一艦隊を守れる状態になければならない。護衛艦うたみづきの艦長に、真田は済まなそうに声を掛けた。

「艦長。微速前進、対潜ソナーの反応を見逃さないでくれ」

「了解しました。私もクルーも、彼女たちを信頼していますから。無事を祈りつつ、前へ出ましょう」

「首尾よく追撃戦が上手く行ったとして、弱ったところを叩かれる可能性はあるな」

「連中が増援を出す気配は、昼間の索敵では見られませんでしたが……正直、何とも言えません」

 真田、そして艦長の懸念に答えられる者は、戦闘指揮所には誰もいない。

 深海棲艦のうち、いわゆるはぐれ艦隊以外は何らかの戦略、戦術に沿って行動している。彼女たちを指揮している何者かが存在するのか、それとも、彼女たち自身に何らかの共通意思があるのか。未だにそれは判明していない。

 よって、加賀たちを待ち受けているのが罠だったとしても、それを承知で踏み込むしかなかった。

 荒れ始めた海が、うたみづきを揺らす。高波で激しく動揺する護衛艦の軋みは、これから真田たちに訪れる試練を、皮肉にも言い当てていたことになる。

 

三.

 

『支援艦隊の第二次航空支援、敵増援艦隊への効果を確認!』

『第一艦隊の回収状況知らせ!』

『日向中破、回収中! 霧島を前面に出して加賀の回収を優先しろ!』

 戦闘指揮所を飛び出した真田は、艦内に響く通信を背に走っていた。

 加賀の第一艦隊だけでなく、第二艦隊で傷付いた一部の艦娘まで回収するには人手が足りないという理由が表向き。

「回収が終われば離脱するだけだ。戦闘含め、あとは我々の仕事です。提督は、手の足りない回収でも手伝っていて下さい。今回は甲板の隊員が足りないんですよ」

 言外に「あんたの秘書艦でも助ける手伝いをしてこい」と言われた真田。先程からかった艦長からの仕返しにも似た気遣いに、真田はただ頷くしかなかった。

 案の定と言うべきか、旗艦の加賀は大破していた。夜戦突入の直後、敵の増援艦隊によって戦力差は逆転。その状況で元々のターゲットを全艦撃沈する根性は大したものだった。少なくとも加賀は、宣言したことの責任は取ったと言える。

 しかし真田は、怒っていた。自分自身に……そして渾身の一撃を叩き込んでみせた霧島を庇ったため大破してしまった、加賀に対して。

(確かに、当初の目的は達成した)

 敵主力艦隊を倒し、この海域に於ける脅威を排除する。増援艦隊は恐らく攻撃特化した深海棲艦で、当該海域を制圧するような意図はないはず。であれば、いずれにせよ目標は達成だ。

 しかし、それは真田の求めた結果とは違う。少なくとも、危うく犠牲の出るようなぎりぎりの戦いを彼は望んでいない。

 真田は甲板への緊急用梯子を上がり、波の打ち付ける艦外へと飛び出した。

「第一艦隊は!」

 風と波にかき消されまいと、真田は声を張って回収作業員に叫ぶ。

「今、日向が上がったところです! 第二艦隊の要回収艦娘たちは既に完了!」

「じゃ、あとは霧島と加賀か。敵艦はどうなってる!」

「今のところ散発的な砲撃のみ、霧島はもうフッキングしてます! あとは、加賀を……」

 回収作業員がそこまで言った時だった。

「避けろっ!」

「状況、機銃斉射ァ!」

 誰かがそう叫び、直後に甲板を金属音が襲う。

 敵艦載機の機銃、その弾丸が雨のように襲い掛かった。

 咄嗟に防盾へと身を隠した真田と回収作業員。

「クソッ、摩耶は至急対空戦闘に回れ! 空母艦娘は誰かいないのか、隼鷹、祥鳳!」

 真田は通信に叫ぶ。空母艦娘は夜戦に参加しないが、対空戦闘においては別。隼鷹たちの零戦隊が、空を護ることで敵機の侵入を防ぐことができる。しかし、見たところ直掩は上がっていない。

 そして慎重に周囲を確認したところで、真田は目の前で起きている事態の深刻さに息を呑んだ。

「――やられた!」

 海から艦娘を引き上げるための、ワイヤーを巻き上げる装置の一つが黒煙を上げている。回収要員に負傷こそないものの、甲板上は引き上げた艦娘の手当てや、火花を散らす艤装の強制排除作業で全員がフル稼働。手の空いているのは、実質真田だけだった。

 そして洋上に残った要回収艦娘は二人。うち一人は未だフッキング出来ていない加賀。大破状態で、航行がやっとの様子。霧島は事態を理解していたが、追い縋る敵への牽制射撃でそれどころではない。むしろ、彼女が手を緩めれば加賀が危ない。

 真田は手近にあった、ボート用の係留ロープを手に取った。それは殆ど反射的な行動だった。

「おい提督! お前何考えてんだバカッ」

 機銃で敵機を狙う摩耶が、背後の真田がやろうとしていることを察知した。彼女もまた手が離せない一人。敵艦載機さえいなければ、彼女が海上に降りて救出に向かっていただろう。

 真田は、ただの人間だった。

 自分で敵を倒すこともできなければ、海に浮かぶこともできない。戦闘の指揮官として出来ることが無くなってしまえば、ただの置物にしかならない。

 いや、彼はある意味で、艦隊全てを最も早く危険から遠ざける手段を取ろうとしていた。

「摩耶、後頼んだぞ」

「何をだよっ! オイ誰かあのバカ止めろッ! 戦闘中に指揮官が何しに来てんだ!」

「ヒマだから手伝いに来たんだよ!」

 真田が何をしようとしているかを察知して摩耶が叫ぶ。しかしその時、自分の仕事以外に手を回せる者はいない。ケガ人を救う者、空から襲い掛かる敵を迎撃する者、艤装の応急修理をする者……。

 真田以外、大破した加賀のために動ける者は誰もいなかった。生死を賭けた洋上の撤退戦において、今彼がやれること、やるべきことは、それしかなかった。

 甲板の後方へと走る真田は、まるで陸自時代に戻ったようだった。ヘリボーン作戦の降下用装備にも似た出で立ちの真田。カラビナで結びつけた命綱。そして手には回収用のフック。オマケで結び目には小型のライトがねじ込んである。簡易回収装置と化した真田は、慎重に甲板からロープを眼下へ放る。ワイヤーの巻き上げ装置が使えないなら、人力で引き上げるしかなかった。

 見れば加賀は、辛うじてうたみづきについて来ている。護衛艦が起こす波と海風に煽られて揺れてはいるが、確かに彼女はそこにいた。

「加賀、聞こえるかッ! フックを引っ掛けろ!」

『見えます、が……っ、届きません……!』

 海風に煽られて激しく揺れるフックは、天からカンダタに向けて伸ばされた蜘蛛の糸のようだった。目印代わりのライトが場所を教えてくれるが、逆にその激しい動きは加賀を混乱させた。

「くそッ……もう少し丁寧に航行してくれよ、艦長っ」

 思わずこぼれた愚痴も海風に飛ばされる中、必死に海面では加賀が取り付こうとしていた。フックに届きさえすれば、あとは人力で引っ張りあげることもできる。

 揺れに合わせて手を伸ばした加賀は、不意に真田を見上げて叫んだ。

『提督、直上ッ!』

 加賀の叫びに、真田が反応するヒマは無かった。

「なっ……!」

 甲板上、真田の背後。先程まで日向のいた辺りに降って来た爆弾。

 置かれていた艤装に着弾した爆発は、甲板上の数名を吹き飛ばしていた。

 当然、その中には真田も含まれている。

「う、あッ……」

 文字通り宙に浮いた真田だったが、幸か不幸か、彼は命綱を身に着けていた。綱は本来の仕事である結ばれた主を結んだ場所に繋ぎ止めるという役割を、忠実に果たす。

 その動きは自然、宙に浮いた真田を呼び戻し、そして艦へと身を打ち付けさせた。幸か不幸か、彼の命綱の長さは海面ギリギリ。急いでいて長さに気の回らなかった真田は、しかしそれどころではない。

「がは、ぐっ……く、そっ」

 痛みに悶絶する真田。そうしている間にもぶら下がった状態の彼を、波や艦の回避運動による動きが襲い、真田は右へ左へ振り回された。そのたび、装甲化された艦の側面と生身で勝負するはめになる。

「っつぅ……まだ、まだァ!」

 したたかに体を打ち付けながらも、真田は一度手放した回収用ワイヤーへと手を伸ばした。

「ぐぅッ」

 命綱をしているとは言え、それを掴む手は自重を支えている。ロープは左右に揺れる真田に容赦なく食い込み、体力と気力を奪っていく。

 それでも真田は、何とか加賀に向かって回収用のワイヤーフックを手渡そうと必死だった。

「――提督、危険です!」

 その様子を捉えた加賀が、真田に向かって叫んだ。

 艦の立てる波に四苦八苦する彼女は、爆発で真田が宙に浮いた瞬間、心臓が止まる思いをしていた。命綱がなければ、受け止めに奔ろうかとしたほどに。

「もう少し寄れるか、加賀ッ」

「波が、邪魔を……! 無茶です、提督!」

 加賀の言葉を聞いて、真田は首を振る。

 こんなことは無茶のうちに入らない。本来これが、提督と呼ばれる人間がする仕事でないことは百も承知。しかし彼にとって、彼の艦隊を危険から遠ざける最も効率的な方法は、これしかなかった。

「加賀、スリーカウントだ! オレが思い切りそっちへ向けて艦を蹴る。フックを絶対に捕まえろ」

「っ、わかりました……!」

「行くぞ! スリー、ツー、ワン……ゴーッ!」

 真田は、思い切り艦を蹴り、一直線に加賀を目指す。

「提督ッ……!」

 救いに来た人間が手を伸ばし、救われる側……海の守り神がそれを掴む。立場や身分、様々な要素が入れ替わった状態で、かろうじて加賀は真田の差し出したワイヤーフックを掴んだ。

 そのまま加賀は、自身の艤装にあるハードポイントへとフックをかける。

「よしっ。こちら真田! 破損している方のワイヤーを引き上げてくれ!」

 通信機に向かって叫ぶ真田。上の状況からして、引き上げまでは少し時間が掛かりそうだった。

「何をしているの! こんなこと、あなたがすることではないわ! ……っく」

 命綱と一緒に揺れる真田よりも幾分大きく振れながら、加賀は海を滑る。あとは回収用のワイヤーを誰かが上から引き揚げるのを待つだけ。

「少し待ってろ……! 今、こっちに寄せる!」

 真田はワイヤーを手繰り、加賀を自分の近くへと引き寄せた。加賀も波に逆らって、やっとのことで真田の手を取る。無様な提督に掴まるようにした加賀は、何とか自身の身を海から引き上げた。

 そんな状況がふたりを少しだけ安心させたのか。提督と艦娘は口論を始める。

「オレの仕事は、お前たちと一緒に戦うことだ! 無事に全員を鎮守府に連れて帰るのも仕事のうちに決まってるだろ!」

「それとこれとは話が違います!」

「やかましい! 無茶をしたい、信じろと言ったのは誰だ。お前だろ! 部下の無茶を、許可した上司が責任取らなくてどうする!」

 大きく艦が舵を切り、真田と加賀は外側へと振れた。動きからすると、戦場からの離脱だろうか。

「あなたは黙って指揮所で座っていればいいでしょう。現場に出るのは私や他の隊員たちです!」

「お前、人を置物扱いするなよ!」

「大人しく置物でいてくれるほうが、どれほど楽だと思っていて!」

 互いにただ感情をぶつけ合うだけの二人。真田は艦にぶつかる痛みをものともせず。加賀は加賀で、流れる血やろくに動かない片腕のことを忘れたように。

 そして、真田は加賀に言いたかったことをようやく叫ぶ。

「目的が果たせなさそうなら、さっさと諦めて戻ってこいよ! このバカ!」

「っ……!」

 加賀は真田の罵倒に絶句した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 夜戦の開始直後に敵の増援に狙われたはずの第一艦隊。普通はその状況ならば、戦局不利と見て即時撤退することがセオリーだった。

 しかし、加賀は作戦目標の達成を優先した。恐らく、真田への言葉を嘘にしないための意地で。

「っ、敵主力艦隊は倒しました! どこにも文句を言われる筋合いはないのでなくて!」

「お前たちの命と引き換えに、なんてオレが思うとでも!」

「私たちは艦娘です! 使命を果たすこと、海を守り、人を護ること、それが生まれた意味です!」

 その時、回収用ワイヤーと命綱が一気に上へ引かれる感覚があった。回収作業の終わった霧島たちが引き上げに回ったらしい。二人は少しずつ、甲板に向けて上がっていく。

 真田は、加賀の背に回した左腕に、知らず力を込めた。

「意味なんかない。……加賀。少なくとも、お前が今こんなところで命を落とす意味なんか、オレには分からない。大事な仲間を失いたくないっていうのは、そんなにおかしなことなのか」

「それはっ……ですが……」

 少しずつ声のトーンが落ちて行く真田。自然、ヒートアップしていた加賀も目線が下がる。

「お前が信頼に応えようとしてくれたのは嬉しい。だけどな、こんなかたちで自分を犠牲にしてまで、オレは勝利を求めちゃいない。それは、お前も分かってくれてると思っていた」

 真田の言葉に、加賀は目を逸らした。

「――それは」

「何か言い分があるのか」

 加賀はしばらくそれを口にするか迷った様子を見せ、しかし真田の目線には耐えきれなかったのか、ようやく口を開いた。

「あなたに、負けたくなかった」

 加賀が漏らした言葉に、真田は不思議な思いを抱いた。加賀が鎮守府に着任してからずっと、彼女を使いこなせる実力を付けるために努力してきた真田。だから彼に、その言葉は信じられなかった。

「今一つ、ピンとこないんだが……そんなの勝ち負けの問題じゃないだろ」

「私は危機感を持っていました。司令官として成長するあなたと、能力に限界のある自分に」

 加賀は、艦載機を運用するという性質から来る、空母艦娘としての限界を告白した。

 それは、強い艦載機を載せれば強くなれる……つまり艦載機の乗せ換えでしか伸びしろが無くなっている自分に気付いたということ。いずれその方法は限界が来る。それを加賀は危惧したのだった。

「バカだな。そんな教科書通りのこと、今さら気にすることじゃないだろう」

「ですが、これは事実です。私は、これ以上……強くなれない」

「自分の限界を決めるなんて、まだ早いだろ。そういうお堅いところが、お前は――」

 真田の言葉は、そこで途切れる。

 海から加賀たちを上げ、一気に船足を上げた護衛艦。その背後に追い縋る敵機が風を切る音。

 懸架された機銃の放つ、鈍い光。真田はそれに気付いた。

「まだ居たのか!」

 風に煽られながら、敵艦載機は機銃を放つ。艦尾に開く穴が、真田たちの傍に迫る。

 真田が加賀を抱く手に、力を込めた時。

「まったく……困った提督さん。世話を焼かせてくれるわねぇ」

 鋭い一閃と共に、敵艦載機は爆ぜた。

 護衛艦の甲板でスカートを翻す、龍田の薙刀。彼女の投じたそれが敵機を貫いたのだということを、真田は遅れて理解した。

 血のにじむ左腕は力なくとも、龍田は真田たちを救うため飛び出してきていた。

「龍田! 無茶はお前も同じだろ、そのケガ(中破)で甲板まで出てくるなんて」

「失礼ねぇ。ちょっと左腕がやられただけよ。大したことないわ」

「龍田……!」

 肩で息をする龍田は、後ろに控えていた隊員に支えられる。艦隊全員が限界を超えて戦った海域攻略作戦は、どうやら、脱落者なしで帰投できそうだった。

 甲板に引き上げられた真田と加賀を横目に、溜め息を吐く龍田。

「二人で仲良くするのもいいけど、無茶し過ぎよ。無鉄砲同士、お似合いと言えばお似合いだけどぉ」

 呆れた龍田の声に、真田と加賀は顔を見合わせて。

「違う!」

「違います」

 異口同音に、照れ隠しを叫んだ。

四.

 

「冷たッ!」

「我慢して下さい。まずは熱を下げないと」

 外に積もった雪に飛び込んだ方が早いのではないか、というほどの発熱に、真田は唸っていた。雪の冷たさは、きっと厳しくも優しい誰かのようだ、とぼんやり考える。

「面目ない。体調管理も仕事のうちだと分かってるんだが」

「本当に。忙しい時でなくて助かりました。あなたひとりいないだけで、滞る仕事ばかりです」

「判子を捺すだけなら別にオレは出ても」

「そうすることで、誰かが凄く得をするのならそうして下さい。ですが、私は反対です」

 そう話す加賀の表情は、布団から見上げる真田には窺い知れなかった。

 どこか怒っているようにも呆れているようにも、ただ気遣ってくれているようにも思える。

 子供にそうするように寝床を整えた加賀は、手元の袋から割烹着を取り出した。

「少し、台所を借ります。何か体に入れなくては、治るものも治りません」

 少しぎこちなさが残る手付きで割烹着姿に変わる加賀に、真田は自然と笑みがこぼれた。

 こっそりと他の艦娘たちから漏れて来る話から、彼女の腕前がどれ程になっているかは知っていた。無論、真田も時折片鱗は味わっている。鎮守府に来たばかりの数ヶ月間を思えば、よくぞここまで、と思わないでもなかった。

 冷蔵庫の中身を思い出そうとするが、どうにも思考が回らない。

 先日行われた攻略作戦は、海域奪還をもって無事に完遂された。泉浜の担当海域を含めて敵勢力からもぎ取った勝利は、人類側の戦略に今後の光明をもたらすものになる。

 だが泉浜鎮守府としては、提督と筆頭秘書艦が揃って判断ミスをした結果、護衛艦の破損や乗組員の負傷も多かった。整備班からは仕事が増えたことの愚痴が出る程度だったが、負傷した隊員たちはそうもいかない。真田と加賀とで入院先を見舞った上、空き時間のできた艦娘が交代制で世話を焼くという特別待遇で何とか納得してもらっている。

 もっとも当の負傷者は差し引きで釣りが来る思いだったが。あれこれ艦娘に世話をされてイヤな者はなかなかいない。元々ファンだった艦娘に当たった男性隊員は、偶然の幸いに泣いて喜んだそうだ。

 真田が倒れたのは出撃のごたごたが過ぎて、ようやく泉浜鎮守府が平静を取り戻そうとした、そんな時だった。

「提督はご自分で料理はなさらないの」

「あんまり。調味料なんかは前に(かつら)が来てくれた時に買い揃えたんだけど、食材はさすがに無い」

「桂提督ですか――まぁ、そこは心配なさらなくて大丈夫です。用意してあります」

「そうか、なにからなにまで、悪いな」

 加賀がビニール袋を探る音と共に、食材が机上に並んでいく。それを真田はどこか穏やかに見つめていた。先ほど心配するなと即答した加賀は、野菜を手にしてぽつりと呟く。

「あまり凝ったものは、まだ出来ないけれど」

「――『まだ』って、どういうことだ?」

 意地悪な突っ込みに、加賀は貴重な照れ顔を晒す。それを苦笑と共にしっかりと脳裏に刻んだ真田。

 ベッドに腰かけた彼の前へ、加賀はゆっくりと歩み寄った。

「――この前の作戦のことだけれど」

「急に、どうした」

「あの時のこと、私個人としてはまだ謝っていませんでした」

「個人として?」

「戦況を読み間違えたこと。敵の増援により不利な状況にあったというのに撃破を優先したこと。第一艦隊の旗艦として、それは謝罪しました」

 加賀は一度、目を伏せる。

「ですが、それはあくまで戦闘単位としての話です。あなたの信頼を裏切ったという点において、私は謝らなくてはいけません。仲間として、部下として」

 加賀はそうして、静かに自分の不始末を語った。そして、その頭を下げた。

「提督。申し訳ありませんでした」

「いいや、お互いさまだ。オレこそすまなかった。許可を出すなら、もう少し口を挟むべきだったよ」

 不思議とふたりの謝罪は、素直に互いの胸へと届いた。

 加賀にとっては、無理を言って進めた作戦で、結果的に仲間を危険に晒したこと。

 真田にとっては、指揮官としてそれを認め、やはり結果として旗下の艦隊を傷付けたこと。

「進むと言ったのがお前なら、それを許したのはオレだ。護衛艦や武器装備の破損については始末書も書いたし、けがをした隊員に頭も下げた」

 とうとう体を縦に維持することに疲れた真田は、ベッドへと倒れ込む。

「ついでにこうして風邪まで引いて――もう取れる責任は取ったんじゃないかと思うが。一応」

 未だ包帯を巻いた加賀と、冬の海で暴れた結果、こうして寝込む真田。

 その状況を再確認した加賀は、静かに吐息だけで笑った。

「では、これだけ言わせて下さい」

 加賀は、自然と真田の頬に手を添えた。熱のある真田には、心地よい冷たさが伝わる。

 何より、加賀がそうして踏み込んできたことに真田は驚いていた。彼女とは今まで大なり小なり衝突しながらここまで来たので、勝手に憎からず思っていた真田からすれば、まさに予想外の一歩だった。

「ごめんなさい。それと――ありがとう」

「――ああ」

 ベッドから見上げる真田には、加賀の表情がよく見えた。今の自分(かが)に戸惑うようにも、抑えきれない自分の何かを必死で理解しようとしているようにも見える、照れた顔。

 そして真田は、熱とは違う温かさを胸に抱く。加賀の口にした言葉の裏に秘められた、様々な感情を受け止めた真田。取り敢えず、今は何も言わずに黙っておくことにした。

(ありがとう、か……)

 提督と艦娘、上司と部下、それらとまた違う立場から語られた言葉を、真田は噛みしめていた。

 そうして真田は、少し意識を布団の柔らかさに預ける。今はせっかくの加賀の気遣いを無駄にしないためにも、休息を取らなくてはいけない。()()としての第一作戦目標は目の前にいたが、提督としての第一作戦目標は自室ではなく執務室への出撃だ。公私混同まではしたくなかった。

「早くよくなって下さい。あなた一人いないだけで、ずいぶんと執務室が広く感じます」

 加賀は真田のベッドに背を向けて、中断していた料理を再開しようと台所へと向かう。

「ああ。ほどほどに頑張るよ」

「少し横になっていて下さい。起こすまでは、どうぞごゆっくり」

 そうして、しばらくして聞こえて来る、まな板と包丁が立てる小気味のいい音。

(……なんか、いいな……)

 それは子守唄のようで、真田の体があげる悲鳴を、優しく包み込んでくれているようだった。

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