『帰ろう、理子ちゃん』
『…うん!!』
差し伸べた手が握られることは無かった。
彼女の死。敗北。拍手の音。遠ざかっていく彼の背中。
それらは私の信念を揺らがすには十分過ぎる出来事だった。
あの日から、事あるごとに拍手の音と、あの場に居た奴らの笑顔がちらついて忘れられなくなってしまった。酷い時には、夢にまで出て来る有り様だ。これから何十年と生きるはずだった少女の死を祝福する姿に強烈な嫌悪感を覚えた。
悟はどんどん先に進み続けているのに、未だ私はここで立ち止まって燻り続けているのが情けなく感じた。任務失敗の責任を共に背負わせては貰えなかったことが不甲斐なかった。
きっと悟は一人でも大丈夫だろう。私は彼の隣に立つに足る人間なのだろうか。“最強”なのは、私達ではなく彼だけではないか。そんな考えが度々ふっと浮かんでは私を苛むようになった。
『大好きだよ。ずっと…!!これからもずっと!!』
『もっと皆と…一緒にいたい。もっと皆と色んな所に行って、色んな物を見て…もっと!!』
拍手の音がちらつくたび、理子ちゃんの言葉も思い出される。ああ、本当なら今ごろ彼女は黒井さんや大切な“皆”とかけがえない時間を過ごしていたろうに。どこへだって自由に行けたはずなのだから。
理子ちゃんの未来は、確かに私の守りたいものだった。それは今も自信を持って言える。
だが、
もちろん、守りたいと思う人がいない訳ではない。例えば、家族や幼馴染みとか。でも、私が守るべき人はそれだけじゃない。弱者は守らなくてはならない。それが
─────この悩みに、終わりなど来ないのではないか。希望を見出そうと足掻けど抜け出せない現状に、諦観すら芽生え始めた。やまない雨はないと、信じていられるほど、もう私の心に余裕は無かった。
けれども、誰にも打ち明けていない悩みを周りが汲んでくれるはずがない。今日も私は変わらず任務に駆り出される。いや、悟も一緒に来ていないところは変わったと言えるか。私一人でも済む任務なら、そうであるに越したことはない。そう、頭では分かっているのだけど。
──────強者として生まれ持った力の意味。弱者を守り、救けることの意味。そのどちらも、呪術師としてやっていくには大事なことだ。
その日は雨だった。雨粒の音が、鬱陶しいと思うほど嫌にうるさく感じた。
* * *
十月。夏からの繁忙期も終わりを告げ、息つく間も無いような日々からようやく解放されつつある。それでも並の術師より忙しい自覚はあるが。
「……はぁ」
今日で何度目だろうか。近頃は、よくため息をつくようになった。いつの日からこうだったのかは、もう覚えていない。
あの悩みは、今も私にまとわりついたまま。ブレてはいけない。私は間違っていない。そう考えようとすればする程沼から抜け出せないのだ。悟や硝子とバカをやっている時にも時々我に帰ることがある。
今日の任務を終えて、高専に戻るために帰りの電車が来るホームへと向かう。……足が重い。
「お〜、こりゃここイチの出来じゃない?理子ちゃん」
ホームへ続く階段を降りると、向こうから聞き馴染みのある名前が届いた。
見れば、重たそうなカメラを首から提げて、長い髪を低いところで一つに縛った少女が一人。
あの制服は──────。
間違い無い、理子ちゃんと同じものだ。
『天内、沖縄来るの初めてなんだよな?にしては詳しくね?』
『妾の友達がな、写真を撮るのが凄く上手なんじゃ。その子に貰った沖縄の写真が本当に好きで、何度も眺めたり調べたりしてる内に自然とな。本当に綺麗な写真で、売り物にできるくらいなんだぞ!まさに凄腕の写真家なんじゃ!』
『そうなんだ。いい友達だね』
『何で天内がふんぞり返ってんだよ』
皆で沖縄まで行ったとき、理子ちゃんはあそこに行きたい、あれを食べてみたいと言って私達を振り回した。
悟が不思議に思って質問したところ、彼女は興奮気味に友達を自慢していた。その姿はどこにでもいる普通の女の子と遜色ないもので、微笑ましく思ったのを今も覚えている。
もしかしたら、あの子がそうなのかもしれない。彼女に興味を引かれた。理子ちゃんの言う、“皆”の一人。彼女の日常の住人に触れてみたくなった。
しかし、だからと言って突然話しかけるのもいかがなものか。そう私の心が問いかける。また傷つくのではないか、現に今の悩みは非術師が原因なのだから。そうやって私を引き止めようとする。
好奇心と理性が頭の中をぐるぐる廻っている間にも、足は彼女に向かって進み出していた。その時点でもう答えは出ているだろう。観念して私は彼女に声をかけた。
「もしかして、天内理子ちゃんの友達ですか?」
未だカメラを覗き込んでいたその子は、私の声に顔を上げてこちらを向いた。
そして、一瞥した後に、怪訝そうな顔になって一歩後ずさった。明らかに警戒されている。けれど見ず知らずの男から急に話し掛けられたのだ、無理もない。
「…そうですけど。どちら様ですか」
「ああ、すまない、いきなり話しかけて。大分迷ったけどやっぱり気になってね。私は夏油傑。短い間だったけれど理子ちゃんと縁があった者さ」
そう名乗ってみたけれど、警戒を解く様子は無い。そのまま彼女はどうするか迷ったように私を見つめ続けていたが、ふとハッとしたような表情で口を開いた。
「背が高くて、しら…あー、銀髪?でサングラス掛けてるお兄さん知ってますか?」
悟のことを言っているのだろうが、今、
「悟のことかい?知ってるも何も彼とは同級生だよ」
吹き出しそうになったのを悟られないように返事をすると、彼女はようやく警戒を解いた。木暮灯と名乗ったその少女は、私と理子ちゃんの関係について聞いてくる。その時、一瞬ズキンと胸が痛んだ。
「…いや、知り合ったのは悟伝いじゃない。……成り行きみたいな感じだった。それで、皆で遊びに行ったりしたんだ、一回きりだったけど」
「─────遊びに行ったんですか、そっか」
彼女は眉を下げ、さっきよりも低い声で相づちを打った。何か思うところでもあるのだろう。その後少しの間を置いて、理子ちゃんの話を聞かせて欲しいと頼まれた。
彼女は非術師だ。呪術師や天元様の存在に触れずに話せることは多くないし、私自身理子ちゃんのことをよく知っているとはお世辞にも言えない。私に話し相手が務まるだろうか。まぁ、それでも─────
「電車が来るまでなら」
これくらいなら、きっと大丈夫だろう。
* * *
「君の方が理子ちゃんのこと知ってると思うけど。私から聞けることは少ないんじゃないかい?」
「いえ、そうでもないんですよ?私理子ちゃんと出かけたことありませんし」
そう言って、複雑そうに笑った灯ちゃん。そうか、理子ちゃんは本来滅多に出掛けられないのだった。遊びに行ったことに目立った反応をした理由はこれか。
なら沖縄の話でもと思ったが、付き合いは長くなかったと言ったのに、一緒にそこまで行ったと言うのは不自然に思われるかもしれない。これはとりあえず保留にしておこう。
となると、どこから話そうか。それ以外に目ぼしい思い出は無い。色々ぼかしながらが一番いいだろうか。だとしたら、考える時間が欲しい。
そう決めて、話すことがまだはっきり浮かんでいない旨を伝えると、灯ちゃんもまた何を話そうか纏まっていないようで、そこで会話は途切れてしまった。
そのまましばらく何も言い出せずに二人とも途方に暮れていたら、首のカメラが目に入った。
「じゃあ、そのカメラのこととか。さっきそれ覗きながら理子ちゃんのこと呼んでたし、気になってたんだ」
私が彼女に気を引かれたのは、そのカメラがあってこそだった。気になっていたのは本当だし、話題に困っているのだから丁度いい。
「これですか?趣味で写真撮ってて、結構溜まってるんです。…理子ちゃんに褒めて貰ってから自信もついてきて撮る量も増えました。これなんか理子ちゃんから好評だったんですよ」
理子ちゃんを懐かしむように、面影を確かめるように彼女は語って私に写真を見せてきた。その写真は見覚えのある景色ばかりだった。
─────沖縄だ。
『ソーキそばだ!これにする!あと海ぶどうも食べるのじゃ!』
『次は美ら海水族館にいくぞ!ジンベイザメとイルカショーを見るんじゃ!』
本当に沖縄に来れたとはしゃいで、あっと言う間にノープランな一日の予定をぎゅうぎゅう詰めにした理子ちゃんの笑顔が浮かぶ。写真で見た場所は全部行くんだと、始終沖縄を駆け回って帰りの飛行機では黒井さんの横でぐっすりだったっけ。
あの日の記憶が、灯ちゃんの写真にぴったりはまった。
「やっぱり、そうか」
推測が確信に変わる。と言っても、ほとんど察しがついていて、答え合わせのような感じだったけど。写真は彼女が太鼓判を押していただけあって、素人目に見ても上手いと思った。
「?」
「理子ちゃんからとっても写真が上手な友達がいると聞いててね。沖縄の写真が特にお気に入りなんだと自慢げに言ってたんだ。凄腕の写真家だって」
不思議そうに小首をかしげる彼女に、理子ちゃんから聞かされた話を教えてやる。すると彼女は照れたのか、みるみる顔を赤く染めて、それを誤魔化すように手で仰いで見せた。
その様子に思わず笑い声を漏らすと、仰ぐ手を止めて固まってしまった。
「そ、それで写真の話で盛り上がるくらいには仲良くなれたんです。理子ちゃんは明るくて素直で、いい反応してくれるしで一緒に話すと楽しかったなぁ」
まだ少し赤い顔で、彼女は半ばヤケクソ気味に話を戻した。
私達の前の理子ちゃんは、年相応であっても素直、ではなかっただろう。なにせ、出会い頭に悟に一発食らわせて、啖呵を切ったくらいだ。それから、ああやって活発で明るく振る舞っていたのは素の性格のようだ。
星漿体としてではなく、普通の少女としての彼女の姿がはっきりしてくる。
もしかしたら、明るくて素直で、話すと楽しい理子ちゃんにこの先会えていたかもしれない。もうありえない未来に胸を締め付けられた。
「へぇ、灯ちゃんの前ではそんな感じだったんだ。私達といる時は少しだけ高飛車だったかな。だけど素直というか、年相応な一面もあったけど」
「高飛車」
私の言葉に、今度は灯ちゃんが意外そうに目を丸くした。
私達が見てきた理子ちゃんは、きっと他には誰も知らない。そういう意味では、黒井さん程ではなくとも特別な存在だったと思う。
「仲良かったんですね」
不意にそんなことを言われた。
それ程の付き合いでもなかったし、出会いのきっかけは任務だ。険悪でもないが、これで仲がいいと言うのも憚られる。
それでも彼女は「ホントですって。そんな理子ちゃんに遭遇したら絶対一枚撮ってたのに」と頑として譲らない。
「……あー、もっと早く撮らせてって言っときゃ良かった」
そして、ため息混じりに呟いた。
「写真を?」
「はい。最後の思い出にって、遊びに行って写真を撮らせて貰おうと思ってたんです。でも誘うどころかお別れも言えず終いで、ちょっと今拗らせてます。一枚も撮れてないから尚更」
その言葉は、私の心に深く突き刺さった。
あの時、泣きながらもっと生きていたいと訴えてきた理子ちゃんの言葉が重くのしかかってくる。守れなかったものは、彼女の未来だけに留まらなかった。
「せっかく人生初の人物写真をって思ってたのに、全くあのファン一号は。せめてファンサくらいさせてくれても良かったのに」
灯ちゃんは拗ねたように悪態をつくが、最後の方にはもう声が震えていた。きっと彼女も相当心にきているに違いない。
「いつも写真見せてって言ってくれて、どんな写真でも喜んでくれて、嬉しかったんです。写真家だなんて呼んでくれるから、本当になってもいいかもなって」
ただの少女として生きた理子ちゃんの日々を知るたび、後悔の念が膨れ上がる。
これからも友達と毎日を過ごして欲しかった。それが難しくとも、星漿体というしがらみから解き放たれて、今まで知らなかった世界をたくさん見て欲しかった。
「あの日から、もっと早く言えてたらってずっと後悔してて、何も出来なかった自分が不甲斐なくてっ、届けたかった物だってホントは直接渡したいのに」
とうとう彼女が堪えていたものが決壊した。
───────違う。違うんだ。本来君は何も悔やむ必要など無かったし、不甲斐なさを感じることも無かった。写真も贈り物も、二人で何でもできたはずなんだ。これからも一緒に話して笑い合うことだってできたのに。
「……灯ちゃん」
「っ、ごめんなさい、いきなり。こんなところで泣かれたって迷惑ですよね。………理子ちゃん、やっぱりもう居ないんだなって実感しちゃって。ちょっと気持ち落ち着かせますね」
ボロボロと溢れる涙を制服の袖で拭いながら、嗚咽混じりにそう言った。
その姿を見て、私はもう耐えられなくなった。
「────────すまない」
「え?」
「理子ちゃんは、本当なら今も元気に過ごしているはずだったんだ。私が情けないせいで、本当なら、写真だって何枚でも撮れたはずなんだ。私が───────」
非術師相手に言っていいことなのかとか、そんなのはもう気にしていられなかった。
自負と自信をへし折られ、理子ちゃんの尊厳を破壊するような奴らの笑顔と拍手を見てから、ずっとおかしくなっていた。それでも、ここまで重症だとは思っていなかったけれど。
灯ちゃんは涙を止めてオロオロしているけど、気に留めるような余裕は無い。
「だ、大丈夫ですか?何があったのか知りませんけど、私別に怒ってませんよ。だから謝らないでください」
「違う。理子ちゃんが死んだのは私のせいなんだ。もっと私が気をつけていたら、守れていたら今だって君と理子ちゃんは会えた」
君も悟も、私を責めてはくれないんだね。
最低な考えが頭をよぎった。
私は一体、この子に何を求めているのか。全くの初対面で、呪いなんて知らない。なのにぶち撒けて、私は何がしたいのだろう。
頭では無意味だと分かっているのに、押し留めていたものが止まることなく溢れ続ける。
「私は、あの日を境に自分のことが良く見えなくなったように感じるんだ。この状態にいつか終わりが来るって考えても駄目だった。命の価値について最近よく思い悩んでしまう自分が嫌になる」
「あ、あの!」
私の言葉は、彼女の声に遮られた。
彼女は困ったような様子で、少しの間口を開いては閉じてを繰り返していたが、やがて一つ息を吸って話し始めた。
「さっきも言ったように私は何が起きたのか知りません。でも、自分の気持ちが分からなくなる感覚は、理解できます。程度は違うかもしれませんけど、私だって理子ちゃんへの想いを今は見失ってて、それで」
今も、灯ちゃんの言葉には迷いが感じられる。それでも、泣いて赤くなった目で私を見つめ、何かを届けようとする。
彼女が私を慰めたいのか、それとも寄り添いたいのか分からない。分からないが、それは最後まで聞いて判断することにした。
「それで、理子ちゃんの死を受け入れてる最中ですけど、それが終わったらこの気持ちと向き合いたいんです。命の価値とかは、その、あまり考えたこと無いけど、きっと私には怖くて決められないです。大切な人は、大切。それで終わっちゃう気がします」
私もそう考えていられたならと何度思ったことか。
私にだって大切な人はいる。でも、呪術師として、弱者は全て守らなくてはならない。強者としての責任が許してくれない。─────いや、丁度その価値が揺らいでいる人間が言えることでないな。
そこで一度言葉を切った彼女は、最後にもう一つ息を大きく吸った。
「誰彼構わず気に掛けてたら疲れちゃうから、自分のために人のことを想ってたいなって。すごいゴチャつきましたけど、私が言いたいのは、私基準で言えば、夏油さんは今でも
いい人………か。今も君のことを心のどこかで“どうせ非術師だから”と思っているのに何を言うんだろう。
自分本位の価値基準で、会って間もない私のことをいい人だと無責任に言ってのけた彼女に呆れとも感嘆ともつかない感情を覚える。
あまりに纏まりが無くて、ぐちゃぐちゃな拙い長セリフ。結局何が大事なのかもよく分からない。私の心を打つにはどうしたって足りない。
─────────だけど、それを愚かだと切り捨てるにはその言葉は心地よかった。
「…………そうか」
「あ、すみません。私ばっかりベラベラと」
「いや、私も私だ。気にしないでいい。それに、聞いてるうちに落ち着けた」
これは本当。
「えへへ、それなら良かったです」
それをを聞いて、不安そうにこちらを伺っていた灯ちゃんはへにゃりと笑った。
すると、ホームにアナウンスが流れた。どうやら彼女はこの電車に乗るらしく、別れは近い。すると、彼女はゴソゴソと鞄を漁って二枚の紙を取り出した。
「これ、お礼です。今月末で期限切れちゃうんで、お友達とぜひ」
「え?ああ…」
どうやらこれは遊園地の前売りチケットのようだ。遊びに行きたいとはあまり思わないが、勿体ないし少し検討するとしよう。
そして、もし行ったら写真を撮って理子ちゃんに見せるようにと念を押された。素人の写真でも喜んでくれるだろうか。
「本当にありがとうございました。理子ちゃんのこと話せて、気分がスッキリしましたよ」
「私も、こんな話友人にはできないから、少しだけ荷が軽くなったよ」
お礼を言われたので私も同じく返す。見ず知らずの人だからこそ話しやすいこともあると、身をもって実感した。まぁ最初は思わずだったけど。
電車が止まり、ベンチを立って歩こうとした彼女は、何か思い出したのか踵を返した。
「────あと、厚かましいこと言いますけど、友達との時間は大事にして、ちゃんと言いたいことは言ってくださいね!じゃないと、私みたいな拗らせマンになっちゃいますよ〜」
「…気をつけるよ」
それを最後に、灯ちゃんは手を振って去っていった。
その姿が、いつかの彼女と重なった。
電車を見送って、私はまた一人ホームに佇む。非術師に悩みを打ち明けるなんて、らしくないことをした。
『じゃないと、私みたいな拗らせマンになっちゃいますよ〜』
灯ちゃんが冗談めかしてそう言ったのを思い出す。
「……それは、嫌だな」
握らされたチケットを見つめて、呟いた。
* * *
「あ、傑。おかえり〜」
「ただいま。…硝子は?」
「さっき呼ばれてったよ。医務室じゃね?」
高専に戻ると、教室で悟が出迎えた。その手にはペン、そして机には紙が置かれている。報告書でも書いていたのだろう。
あの後、やっぱり遊園地に行こうと電車に揺られながら考えた。どうせなら、三人一緒に行きたいとも。私の分は当日買えばいい。
それからもう一つ、自分の気持ちを誰かに伝えようと決めた。誰にするかは決まってなかったが、やっぱり悟にしようか。善は急げだ。
彼女に感化されすぎじゃないかと思ったが、本当に拗らせて取り返しがつかなくなるよりはマシだと考えるようにしておこう。
悟は「報告書だり〜」と言って、机に突っ伏している。暇そうだし割と適任かもしれない。
今日の彼女のように、一つ息をついて口を開いた。
「悟、ちょっといいか。話したいことがあるんだ」
「んだよ、改まって。らしくねえな」
実際に話しかけると、緊張してきた。上手く話せるだろうか。
────大丈夫。もし無理そうなら、
「うん。あのね───────」
そう考えると、背中を押されているような気がした。
* * *
夏。今日は暑い。昨日雨が降った分、湿気も尋常じゃないためジメジメとした空気が余計不快にさせる。人混みの中を後ろの二人を気にしながら歩いていた。
美々子と菜々子は初めて訪れた都心に、目を輝かせて物珍しそうにあちこちを眺めている。
「美々子、菜々子、はぐれないようにね」
「はーい!ほら、美々子」
心配になって呼びかければ、二人は手を繋いでこちらに駆け寄って来る。
「はーい!ちょっと待ってて!」
そのすぐ後、首からカメラをかけた少女が、長い髪をなびかせながら私達のすぐ横を駆け抜けた。半端に抱えたショルダーバッグから、何かがカランと音を立てて落ちた。
呼び止めようと思った時には、彼女はもうすでに人混みに紛れて消えてしまった。
代わりにそれを拾い上げると、それはチューブに入った何かだった────日焼け止めの類だろうか。
カメラと長髪に、去年の彼女を思い浮かべた。
───────まさか、な。
きっと気のせい。そう分かっていても期待せずにはいられなかった。
彼女が最後落としたのはハンドクリームで、理子ちゃんが灯にあげたのと同じブランドの物だったりします。
読んでくださりありがとうございました。