泉浜鎮守府航海日誌 ツバサよもう一度   作:沖野潤一

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勝者なき戦場

一.

 

 護衛艦『かんなづき』の戦闘指揮所は、ある異変を捉えていた。

「桂提督。これを見て下さい。」

「ああ。奴ら……動きがおかしいな」

 圧倒的な数で押し寄せていた、深海棲艦の艦隊。隊列を乱していた人類側の艦隊が、ようやく攻勢に出ようとした時だった。

 それまで前線を押し上げていた敵の主力艦隊が、突如反転した。

 一目散に逃げるのとは違う。泊地とは別の方角へ、まとまった進路をとっている。いくつかの足止めと思しき艦隊を残して。

 その行く手を阻もうと前に出た連合艦隊もいた。しかし、桂は踏みとどまる。

 これはただの撤退ではない――罠か、それとも何らかの戦術なのか。そんな理屈の前に、桂を止めたのは、ただひとつ――本能。提督としての本能が、全力で警告をしていたからだ。

 なにかが、()()

『桂提督ぅ、泉浜第二艦隊、龍驤や! なんや知らんけど、海がおかしいで!』

『こちら、医務室の第三艦隊霧島。桂提督、状況を教えて下さい。妙な感覚が』

 洋上で戦う泉浜、そして桂の艦隊から次々に異状を訴える通信が届く。海が()()()()。海そのものであると言ってもいい艦娘から、そんな言葉が飛び出す――。

 状況を図りかねていた桂の後頭部を、連合艦隊の最後尾で護衛していた阿武隈の通信が殴りつけた。

『て、提督……! ()()()()()()()()()!』

「なに……!」

 咄嗟に桂は機器を確かめる。対潜レーダーには何の反応もない。一連の敵の妨害かと一瞬考えたが、それも理屈が通らない。通信はできているのだ。

 意を決して、桂は通信に呼びかけた。

「ブリッジ! 目視しろ、下になにがいるんだ! レーダーには反応がない!」

『それが……』

「結論だけ報告しろ!」

『艦です……巨大な艦が浮上して来ます! くそ、暗くてよく……!』

 下に(ふね)がいる。普通に考えれば、それは潜水艦だ。

『あれは、なんだ……なんで、あんなのが』

 ただ混乱からそう呟く通信に、桂は艦長と目配せした。モニタのひとつが艦の外を映し出す。夜闇で赤外線モードとなったカメラが捉えたのは、水中から現れた巨大な()()

「艦長! 回避行動だ、全艦、浮上してきた艦から距離を取らせろ! 艦娘たちもだ!」

 対象の浮上により荒れた波が、護衛艦を動揺させる。不鮮明なモニタを睨み付けた桂だったが、彼の確かめた光景は、その気力を一瞬で奪い去るのに充分だった。

 ひと目見て、対象の名前が分かる。分かってしまう。桂の声は震え、何故、が脳裏を埋め尽くす。

「これは」

 三連装の巨大主砲が正面に二基。特徴的な艦橋、電探によるシルエット。

 そして、艦の正面に輝く菊花紋章。

 日本人なら――そして、軍事に携わる者ならば誰しもその名が分かる。

「大和型戦艦……!」

 先の大戦において、大日本帝国海軍が建造した決戦兵器。航空戦力に取って代わられた、名ばかりの切り札。建造された三隻のうち、一隻は空母となり短い生涯を終え、二隻はそれぞれ違う海で散った。

 ある意味では大日本帝国というものの象徴(シンボル)。ひと目見てそれと分かる艦が、海中から浮上してきた。

「沈められた恨みを、潜水艦に化けて晴らしに来たわけじゃねぇよな」

 大和も武蔵も戦闘の果て轟沈し、船体は散り散りに海に眠っている。当然ながら、そのものが今さら浮かび上がってくるものではない。桂は、目の前の戦艦が幽霊なのではないかと疑っていた。

 しかし幽霊は実体を持たない。

「波を立てて海から浮かんでくる幽霊なんざ、いやしねぇか……!」

 すっかり海上に姿を現したその戦艦は、まるで何ごともなかったかのようにゆっくりと洋上を進む。相変わらず計器には何の反応もないというのに、確かにそこに幽霊のような戦艦はいた。

 誰もがモニタに映る威容から目を離せないでいる時。

「桂提督、艦長! 司令部から緊急通信です」

「スピーカーに回せ。まさか新造の水中戦艦です、なんてオチだったらぶん殴ってやる」

 きぃん、と一瞬の間があって、重力を持った声がスピーカーから発せられた。

『桂提督。作戦本部の川西だ。落ち着いて聞いて欲しい』

「中将! こちら桂、あのデカブツは何なんです」

()()()()()()。しかも――深海化している』

「な、武蔵……しかも敵だって言うんですか!?」

『坊ノ岬沖の封印監視システムは『大和』に異変がないことを示している。大和ではない』

 戦艦武蔵。かつて大和型戦艦の二番艦として建造され、姉の大和に先んじてシブヤン海に沈んだ艦。長年、沈没した場所が特定できず、未だに幽霊船として海中を漂っているとも噂された彼女だったが、ある調査船により、海底に沈没した船体が発見された。戦後数十年経ってからの出来事だ。

「武蔵はバラバラになって沈んでたんでしょう!? なぜ、艦のかたちで海を航行してるんです!」

 そう、武蔵は沈んだ。船体は沈没時の爆発により四散し、かつての面影をわずかに残すのみ。そんな姿がはっきりと水中カメラに捉えられていた。しかし。

『簡潔に言おう。武蔵は――かつて武蔵()()()()()は、深海棲艦との戦争開戦直後、沈没した海域から()()()()()()。海底に残った一切合切が、綺麗さっぱりな』

「な……消失?」

 浮かんだ船が一隻消えたのであれば、まだ分からなくはない。しかし武蔵は、かつての戦いによって広範囲に船体が散らばり、船としての形など残してはいなかった。そこにあったのは武蔵だった金属片、武蔵だった部品――残骸でしかない。

『武蔵と同じことは、他の海でも起きている。いま言えることはそれだけだ』

 それでは、深海棲艦の艤装を構成する深海黒鉄というのは、まさか。桂がその考えに至った時――。

「熱源感知! 艦長、提督……第五連合艦隊の方角です、対艦ミサイルが……!」

 武蔵に向かって攻撃を仕掛けた護衛艦がいた。いや、この異常事態において咄嗟に発砲したのがただ一隻だったというだけでも、本来なら統率されていると賞賛されることかも知れない。

 桂の、彼にしては珍しく焦った声。

「な、どこの艦だ! 攻撃命令は出てないってのに……!」

 居並んだいずれかの護衛艦、その甲板のVLSから飛び出したミサイルが、夜空に光の尾を描いた。あまりにも一瞬の出来事に、全員が固唾を呑んで行き先を見送る。

 そう、まるで闇が染み出したかのような、漆黒の超弩級戦艦を。

「3、2、1……着弾!」

 きっと誰も期待はしていなかった。

 人類の攻撃は深海棲艦には通じない。どう見ても、目の前を悠然と航行する武蔵の船体は()()()()で出来ている。だから、飛んでいったミサイルは派手に、或いは申し訳程度に爆発し、着弾の爆炎と煙を纏いながら、あの武蔵は平然と海を進むのだろう。

 護衛艦の甲板から、戦闘指揮所から、或いは洋上から。そんな特海の人間や艦娘たちが抱いた予感は、悪い意味で裏切られることになる。

 武蔵の艦橋へと突き進んだミサイルは、()()された。一輪の花が漆黒の海に咲いて、狙い違わず主を守った存在を照らし出す。

「な」

 武蔵の艦橋に居並ぶ近接防御火器システム(CIWS)――本来旧式の機銃が並んでいるべき場所が、現代兵器で埋め尽くされていた。

「ありゃあ、CIWSじゃねぇか……!」

 艦船を目標とした航空機やミサイルによる攻撃の迎撃に使用される艦載兵器。当然、今の艦船に搭載されているのならば不思議はない。しかし、目の前の艦は戦艦武蔵だ。明らかになにかがズレている。

 直後、『かんなづき』の背後から響く爆発音に桂が叫ぶ。

「報告ッ!」

「っ、『ゆめみづき』、被弾……いや、これは、くそ……!」

 通信士も観測員も、数値の上でしか事象を読み取れていない。いや、彼らはとっくに理解していた。護衛艦『ゆめみづき』が、今まさに()()()ことを。艦橋から見れていれば一目瞭然だっただろう。着弾した箇所から真っ二つにへし折れた船体が炎を上げ、軋み、海は渦を巻き、艦と(ひと)を飲み込んでいく。

 武蔵が放った()()()()()()が、『ゆめみづき』を葬ったのだ。

「こちら桂! 川内、大井と北上を連れてゆめみづきの左舷を守れ! 駆逐艦は生存者の救出を最優先、沈没の渦に巻き込まれるなよ!」

『了解! おーい雷巡ふたり、行くよ!』

 叫ぶ川内の声を聞きながら、桂は戦闘指揮所を見回した。得体の知れない過去の亡霊が、自分たちの造ったなけなしの装備をもって牙をむく。控えめに言っても悪い冗談以外のなにものでも無い。

 桂の傍らにたつ『かんなづき』艦長がぽつりと呟いた。

「――まさか、沈められた現代艦の装備を取り込んで」

 深海棲艦も艦娘も、使うのは過去の武装だけ。

 それは単なる常識、人間側の今までの認識であって、彼女たちが常識外の存在であることをまるきり無視している。そのことに今、人間たちは気付いた。

 誰も、彼女たちが()()()()()などとは言っていない。

「桂提督……アレに攻撃は、効くのか……? 本艦にもCIWSはある。ただの対艦ミサイルならば、撃墜も出来るだろう。しかし……深海棲艦と化したアレが放つ武装に、有効なのか」

「――試させてくれるなら、話は早いんですがね」

 そう言ったきり息を呑んだ桂の頬を汗が伝う。ぽたりと床に垂れた音すら聞こえそうな緊張感の中、通信担当の隊員が声を上げた。

「桂提督、第一艦隊の赤城より入電! 回線を繋いでくれと……見て欲しいものがあるとのことです」

「繋いでくれ」

「三番モニタを使います――映像、出ます」

 広域の艦隊配置を表示していたモニターが、外部からの中継に切り替わる。

「おい……こんな馬鹿な話があるか」

 モニタを見た桂の第一声。それは、この戦場にいる全ての人間の言葉を代弁していた。

 中央には突き進む『武蔵』がいる。沈んだ『ゆめみづき』の炎が奥に小さく見え、連合艦隊の中央を食い破るようにやってきた武蔵の姿を映し出している。

 いや、武蔵は。

「食って……()()()()()()()

 鈍く輝く菊花紋章の下に、巨大な()がある。そう、まるで深海棲艦の艤装のように。

 武蔵は文字通り、護衛艦を()()()()()()進んでいた。

 横っ腹にかじり付かれた一隻は、まるで紙くずのように船体が歪み、へし折れる。恐慌状態に陥った連合艦隊は、競うように武蔵の道を空けようとした。そうすれば襲われない。逃げられる。

 その油断を、深海棲艦たちは見逃さない。武蔵に併走する深海棲艦たちの艦隊が、無防備な護衛艦を狙う。一発、二発。放たれた主砲が艦橋に穴を開け、放たれた魚雷が突き進む。

 現代の護衛艦はダメージコントロールされているとはいえ、喫水下の防御力はさほど強力ではない。深海棲艦の攻撃が一発でも命中してしまえば、それで致命傷は確実。戦艦の形状をした深海棲艦とでも言うべき武蔵を目にして、人間たちは正常な判断を奪われていた。比較的冷静だった桂さえ。

 しかし、そんな司令官をたたき起こす声があった。

『こぉら起きろ提督! 川内様の夜戦、まだまだ終わってないんだから!』

 魚雷の群れを川内たちが機銃で止めた。同時に、赤城の航空隊が深海棲艦へと殺到する。まだ勝負が決まったわけではない。艦娘たちはなにひとつ諦めてはいなかった。

 ()()()()

 艦娘たちが抱えた思いに応えないわけにはいかない。それが提督。それが対特殊海棲生物海防衛隊。震える膝で椅子を蹴りつけ、ようやく桂は、提督たちは自分たちを取り戻した。

「目ぇ覚めたよ、川内! 赤城、カバー頼む」

『まだまだ、夜はこれからだかんね!』

『了解です。攻撃隊、上げます』

 混乱から立ち直りかけた人間たちの艦隊を余所に、武蔵は一直線に目標を目指していた。

 桂も、ようやく()()()()に気付く。

「――こいつ、まさか」

 武蔵の目指す方角。レーダーの光点が示す先。

「狙いは、泉浜第一艦隊か……!?」

 その時、まるでなにかを見つけたかのように――武蔵が()()()

 

 

二.

 

 裂帛の気合いと共に繰り出した榛名の『拳』を、戦艦棲姫の大型艤装は咆哮と共に受け止めた。

「はぁあああああッ!」

「ゴァッ……!」

 空いた左の拳が、大型艤装の口蓋をしたたかに殴りつける。艤装が右腕を振り下ろすが、既に榛名の姿はかき消えていた。殴りつけた反動を殺さず、空を舞い海を踏みしめる榛名。

「天龍さん、お願いします!」

「応ッ!」

 がこん、と主砲が狙う頃には、天龍の主砲が主である戦艦棲姫を狙う。大型艤装を防御に回した戦艦棲姫の横顔が、ぎり、と歪んだ。

 榛名と天龍のコンビは、戦艦棲姫を圧倒している。

「艦娘ドモめ、チョコマカと……!」

 榛名の特別仕様艤装は、本来ならバルジ状の構造部が腕部のように展開するもの。故に、巨大化したマニピュレータとして機能する――つまり、()()()()()()()()に使うことができる。

 戦艦棲姫は完全に上位種の深海棲艦。本来、普通の艦娘が一対一でかなう相手ではない。

 しかし、一時的な力であるとは言え、榛名の艤装は完全に互角の戦いへと戦況を変えていた。

「グゥウウオオオア!」

「っ、ぐッ」

 無論、艤装はあくまで艤装。物理的な質量を持った拳に殴りつけられた衝撃は、榛名を揺らす。一瞬飛びかけた意識を、榛名は乙女の意地で呼び戻す。

 揺れる視界の隅に、榛名は戦艦棲姫の姿を捉えた。

 続けての拳、二発目。ぶつかり合った拳が派手な音をたて、互いがわずかに後ずさる。背後に迫った敵爆撃機を、主砲の一撃で追い散らす榛名。

 恐らく、決着はすぐに訪れる。幾度ものぶつかり合いで火花を散らし始めた()に、榛名は唇を噛む。

 優位を見て取ったのだろう。戦艦棲姫は高く掲げた手を振り下ろす。

「せえええああああッ!」

 背後の天龍に目線を送り、榛名は両の拳を同時に突き出す。きしむ金属音。大型艤装が、その両手で榛名の渾身の一撃を止めた。一瞬の後、榛名は主砲を斉射する。

 だが、それは敵も同じ。嗤う戦艦棲姫は、動けない榛名に向けて主砲を放つ。

「沈メ……!」

 着弾。閃光。破裂。そして、爆発。

 勝利を確信した戦艦棲姫の目に、硝煙の晴れた先――艤装だけが飛び込む。

 榛名はフレームと前腕部程度しか残っていない、半壊した艤装から()()()()()()()()()()()。砲身を手に、主砲塔をハンマーのごとく。着弾の瞬間に艤装をパージし、身を伏せて難を逃れた榛名。

「貴様ッ……!」

 大型艤装が反応するより早く、榛名はその手にある暴力の象徴を――奇しくも霧島がタ級にそうしたのと同じように、戦艦棲姫の腹部へと力の限りたたき込んだ。

「榛名は」

「がはッ……」

 怒りに燃える榛名の瞳。それは、かつて泉浜で加賀を沈めたことへの応報。なにより、思いを寄せる真田を傷つけ、それまでの全てを壊したことを――榛名は許すわけにはいかなかった。

 だが、それもここまで。

「これで気が済みました」

 あとは、艦娘としてやるべきことをやるだけ。

 浄化と鎮魂。()()()ことで()()()。輪廻を巡った深海棲艦が、今度は正の存在へと昇華されてくれるよう、願いを込めて――。

「今です、天龍さんっ」

「任せろ!」

 そして、必殺の一撃。波を使って跳んだ天龍の構えた対艦刀。その一閃が戦艦棲姫の胸部を貫いた。

 こふり、と血を吐く戦艦棲姫。

「ア……」

 自分の胸に突き立った刀を見た戦艦棲姫は、ゆらりと目線を泳がせる。その動きは、彼女がなにかに気付いたからに他ならなかった。

 その音は、荒れる波にも、風の鳴る音にも、砲弾の破裂する音にも負けていなかった。

 レシプロ機のプロペラ音。

 翼に太陽を抱いた鋼鉄の鳥たちが、漆黒の闇夜を切り裂いた。榛名と天龍にとっては希望の翼。戦艦棲姫たちにとっては絶望の咆哮。 

「イケナイ……」

 翼の向かうその先には、空母棲姫がいた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 榛名と天龍が戦艦棲姫を抑える中、加賀と金剛、龍田は空母棲姫を攻めあぐねていた。

「数が多すぎマース……!」

 金剛は一切の手を止めずにそう愚痴る。龍田は無言で戦場を駆け、加賀の背を守る。

 加賀のF4Fは、次第に数を減らしていた。二隻(ふたり)で戦艦棲姫を抑えている榛名たち。その頭上を守る直掩機を厚めにしている分、わずかに加賀たちの防御は薄くなってしまう。襲い来る駆逐艦、巡洋艦は金剛が蹴散らし、時折放たれる砲撃も金剛の盾が防いでくれている。よく言えば善戦、悪く言えば膠着、或いはジリ貧。

 合間に加賀を狙った戦艦棲姫の一発が、割って入った重巡の頭を吹き飛ばす。

「――行きますか」

 加賀は仕掛けてみることにした。いずれにせよ、第一艦隊に戦力を出し惜しみする余裕はない。

「龍田、金剛。次の()でSBDを一編隊使います。爆撃に続いて直接攻撃を。私、金剛、龍田。金剛、合わせて頂戴」

 そんなフィーリングだけのやり取りで、次の動きを示す。しかし、加賀はすっかり金剛の使いかたを理解していた。遠近ともに対応できる万能型、咄嗟のアドリブも効く。ならば、勝手についてくる。

 先行する空母棲姫が、押し寄せた波でわずかに体を揺らす。同時に、加賀が仕掛けた。

「攻撃隊、全機突撃……!」

 零戦と比べると、幾分かずんぐりとしているSBD。その一編隊が空母棲姫へと襲い掛かった。懸架した爆弾を切り離した一機目。わずかに狙いが逸れ、投下した爆弾は海へと吸い込まれる。

 二機目、三機目と続く攻撃。しかし空母棲姫への有効打には至らなかった。水面にそそり立つ水柱。爆発した爆弾は、わずかに艤装の端を焦がしているだけ。攻撃と呼ぶのが正しいかすら分からない。

 しかし、これは元より想定内。

「ボディが――」

 波を縫って接近した金剛。空母棲姫の主砲は、わずかに特殊艤装の表面を焦がした。しかし、金剛を止めるには至らない。一気に距離を詰めた勢いそのままに――。

「――がら空きデースッ!」

 金剛は、ありったけの力で蹴りを見舞う。

 そんな攻撃など予想していた。大型艤装が腕を振るい、金剛の体を弾き飛ばす。

 吹っ飛んだ金剛の体は、水面で一度、二度とバウンドし、次の瞬間には何も無かったかのように戦線へと戻ってくる。そう、金剛の今の動きは単なる囮だ。

 次に飛び込むのがド本命。姿勢を下げ、敵の一点を狙い、龍田の微笑みが戦艦棲姫に突き刺さる。

「チィ……!」

「うふ」

 まるでバネ仕掛けのように飛び出した龍田の薙刀、一閃。

 波しぶきの合間を通すかのような必殺の一撃は――。

「!――龍田、離れて(Get away)!」

 空母棲姫の手に止められていた。

 正確故に。一撃必殺を狙った故に。深海黒鉄に覆われた空母棲姫の手甲(ガントレツト)が、薙刀の刃を挟み込む。

「ッ……!」

 咄嗟に薙刀を手放そうとした龍田。しかし、空母棲姫のほうが早い。

 薙刀を挟んだ手はそのまま、空いた左手が閃いた。深海黒鉄の鋭い爪先はまさに刃物。今度は逆に、空母棲姫の()()が龍田を襲う。

 攻防は一瞬。

「させる……ものですか」

 加賀の手が、空母棲姫と()()、深海黒鉄の右手が、龍田を狙った一撃を押し止めていた。

「ソノ程度?」

「……!」

()の選ンダ相手ナノに……随分とナメラレタものネ」

 空母棲姫の言葉が終わるころ、加賀の姿は既にない。龍田と共に飛び退いた加賀だったが、離れ際に空母棲姫からもらった一撃はしっかりと彼女を捉えていた。痛みに顔をしかめる、そんな余裕もない。

「ぐッ……!」

 空中からの機銃に追い立てられ、加賀は奔る。まるで、いつかの海のようだ。

 やはり、頭を抑えられては満足に戦えない。わかりきっていたことを今さらに思い知らされ、加賀は唇を結ぶ。

 その時、まさに、榛名と天龍の一撃が戦艦棲姫を捉えた。

「盾役ニモならないナンテ……!」

 空母棲姫は、共に戦ってきた仲間の最期にそう履き捨てたが、同時に気付く。戦艦棲姫の目線に。

「……!」

 耳障りな音。不快な音。いつまで経っても頭にへばりついて離れない音。()()()が、自分を目指していることに気付く。

 翼に日の丸を抱いた戦闘機たち。

「あれは……!」

 IZM-〇〇四、IZM-〇四五。翼に書かれた識別番号は、加賀のよく知る者で、見知った数字。そして、加賀の知らない数字で、懐かしい感覚の者。

 二種類の翼は、禍々しい艦載機たちを追い散らしていく。

 加賀に追いすがるル級、舌打ちしそうな顔の龍田が砲を向けた瞬間、黒髪を振り乱したル級が海へと没した。

 きょとん、としている龍田の前に、ル級轟沈の水柱の陰から二隻(ふたり)が現れる。

「よっす! ――加賀、久しぶりじゃないか」

 言いながら紫電改を上げる隼鷹は、苦笑いと共に。

「来ちゃいました」

 小首を傾げて照れ笑う赤城は、初めて顔を合わせるもう一人の一航戦への親愛を込めて。

 桂提督との長距離中継をこなしたあと、赤城と隼鷹は全速で第一艦隊の援護へ向かった。

「不知火を忘れては困ります」

 もとい、不知火を加えた三隻(さんにん)

 途中、戦線から抜けた彼女たちは、ここまでの加賀たちの航行パターン、そして海図との照合により戦場となっている海域を特定。先行した航空部隊による制空権の奪取を行うと同時に、泉浜第一艦隊と合流を果たした。

「赤城です。加賀さん――この姿では、あなたと会うのは初めてね」

「はい。こんな場所でなければ、もう少しあなたと語り合いたかったのだけれど」

「それは、これを片付けてから、ゆっくり――ね」

 赤城と隼鷹の紫電改、零戦が空を舞い、不知火の機銃が敵を撃つ。萎えかけていた第一艦隊の気力は、三隻(さんにん)によって見事に復活した。この援護はかつて泉浜で共に過ごした仲間と、きっとこれから共に歩む仲間によって成り立っている。それが加賀にとって、どれほど嬉しいことか。

 自分の居場所が、ここにある。

 真田のそばというだけではない。自分という艦娘がきちんと尊重される舞台であり部隊。それがあるということが、どれほど加賀の心を支えてくれるか。

 言わずともそれを察した赤城が、加賀の目をまっすぐに射貫く。

「加賀さん。上は任せて下さい。あなたは、空母棲姫を」

「ここに来るまでにちぃと全力出しすぎたからさ、トドメはあんたたちに譲るわ。頼んだよ」

 背中は任せろ。

 胸を叩くふたりに頭を下げ、加賀はついにその矢を手に取った。

 流星改。かつての加賀(じぶん)が載せることのなかった、海軍最後の攻撃機。

「これで――」

 全力であの()を狩ることができる。

 ぞわり、と加賀の背中が総毛立った。自分がそんな暴力的なことを考えたことにも、その光景を想像しただけで()()()()()してしまった、自分の感覚にも。

 だが、その考えも自分の中身として受け止めることにした。少なくとも、今は。

 自分はもう、半分は深海棲艦だ。だったら、その自分を変に押さえつけることはない。真田と仲間を守るため、自分のオリジナルを解放するため――。

 轟々と燃える深海の蒼き炎。加賀の半身から発した炎は、まるで加賀の本能そのもののようだった。静かに、そして激しく、炎は燃える。真田(ていとく)への愛と、己の意地と、艦娘としての使命。

「――さあ」

 そうして、瞑目を解放した加賀。

「龍田、金剛。あの女を沈めます。力を、貸して頂戴」

 龍田は加賀の言葉に苦笑で応え、金剛は『にぃ』と笑った。

 

 

 

三.

 

 夕張の悲鳴に近い声が、波音に混じって響き渡る。

「提督ッ! 御影さん、あなたどうしてっ……!」

 真田の頬には一筋の赤が走っている。乾いた音の直後にできたものだ。海へ佐伯提督を葬った御影が次に狙ったのは真田。

 御影の放った一発を避け、咄嗟の格闘戦に持ち込んだ真田。近接戦闘(CQB)ならば真田のほうに分があるが負傷した体ではいつもの半分も動けていない。幸いにも最初の一撃で拳銃を跳ね飛ばせたことだけは、真田に大きく味方していた。

 加賀に踏まれた左腕は折れてこそいなかったが、ほぼ動かせない状態。御影は執拗に、真田の左腕を狙う。庇いながら戦う真田も容赦なく御影を蹴り込む。

「く、っ、どうしてまだそんなに動けるんだ」

「悪いな……お前とは多少条件が違うんだ」

「僕も一応、格闘術はそれなりなんだけど……ねっ!」

「ぐぁっ……!」

 体で捌かれて転倒する真田。飛び込んだ御影の()()()落としを寸前で転がり回避する。拍子に背中を岩に強打したが、痛がっている暇すらない。

 立ち上がった真田。息は上がっているが、それは御影も同じ。

「提督どの……!」

 あきつ丸は夕張とにらみ合っているが、互いに提督という弱点を晒しているため動けない。

 なにより、男がふたり、拳で決着をつけようとしているのだ。横から割って入る野暮はない。

「御影ェエエエ!」

「ッ!」

 真田のフェイントに掛かった御影の頬を、拳がしたたかに殴りつけた。しかし、御影も怯まない。

 よく溜められた()()()の一撃が、真田のみぞおちを抉る。

「ぐ」

 先ほど加賀に思い切り殴られた場所を攻められて、真田の視界に星が舞う。

 咄嗟に膝を蹴り込んで逃れた真田。膝は受け止めたが顔面への一撃は重かったらしい御影。

 ふたりは荒い息を吐いて、数メートルの距離をにらみ合った。

「提督! どうして、ふたりがこんなことを……!」

 真田に()()はない。御影の目的は最初から、()がしでかした不始末を知る人間の排除だったからだ。

「御影。お前が例の『五十三号』計画……アレの後始末をして回ってるのは知ってたよ」

 まっすぐな真田の目線を、御影は静かに受け止める。

「やっぱりバレてたのか。姫島提督あたりから漏れたのかな」

「情報源は秘密だ。いざとなったら、お前たち相手に隠し通せるとは思わないけどな」

 かつて、今は無い泉浜鎮守府で加賀を建造した際、外部からの横やりでレシピが変更された。

 建造用の資材に深海黒鉄――深海棲艦を構成する金属を混ぜ込む。そうすることで建造される艦娘の基礎スペックを大幅に引き上げる。陸上自衛隊と特海の一部が結託して行われた実験。

 しかも、加賀の建造に使われた深海黒鉄は、オリジナル『加賀』を元にした――空母棲姫のもの。

 今も戦っているであろう加賀。紅く輝く右目を思い出し、真田はわずかに表情を陰らせた。

「――五十三号計画は、可もなく不可もなく、そこそこの成功を収めて完了するはずだった。深海側に情報が漏れて、計画の成果を横取りされるなんて事件が起きなければ……そうだろ」

「残念ながら、そういうことになるね。君が被害者だと知ったのは、調査の途中だったよ」

 深海棲艦が計画を察知したうえに、『五十三号』産の艦娘が持つことになった特性――提督の記憶と艦娘の強化特性、そのすべてを取り込む能力に目を付けられた結果が――。

「オレを含めて、少なくない鎮守府の壊滅や提督の拉致……いや、殺害に繋がった。これは、そこまでして隠さなきゃいけない情報なのか、御影。人に絶望した提督を手に掛けてまで」

「少なくとも、()の連中はそう考えている……そういうことだよ、真田君」

 そう言う御影の顔を見て、真田は()()した。

「良かったよ。その答えで、充分だ」

「なにがだい」

「オレが自分の命を賭けることに、なにも後悔する必要がなくなったからだ」

 真田は夕張に目線を送る。少なくとも()()()()は、真田は読んでいた。しかし、なんとかできるかはまた別の問題。だから真田は賭けると言ったし、それで失敗するつもりも毛頭なかった。

「いいか御影。オレはな、半年前に味わった絶望をひっくり返すつもりでここに来た」

「――よく知ってるよ」

「いいや、お前はまだ気付いてない。もう一度、あの絶望を、オレやオレの周りの人たちにぶつけようなんて考えてるとしたら、それは間違ってる」

「間違ってるとしたら、どうするつもりなんだ。たったひとりで世界と戦うつもりかい」

「オレはただ――そいつを押しつけようとする奴に、相応の()()を与えてやるだけさ」

 その時、夕張と対峙するあきつ丸が気付く。

 じりじりと夕張に向けて迫っていた彼女の視界、足下に転がったのは――。

「……しまっ……!」

「どうぞ召し上がれ。特製ファンデーションよ、陸軍さん」

 対『あきつ丸』用のスタン・グレネード。

 軽快な音と共に周囲を満たす金属片。揚陸艦あきつ丸の部品から削り出されたそれは、特殊な加工をすることで、魂を同じくする艦娘の自由を一時的に奪うことができる。

 程度は艦娘によりけりだが、御影のあきつ丸への効果は絶大だった。

「あ、う……く」

 ゆらり、と力を失ったあきつ丸の体が揺れる。一歩、二歩とたたらを踏んで耐えたが、それが限界。

 取り落とした刀の金属音に、御影が初めて、大声を出した。

「あきつ丸っ!」

 その悲鳴に近い声は、倒れ込むあきつ丸を止められない。

「さあ、御影……お前の選択を見せてくれ」

 そして、あきつ丸の体が向かう先は断崖絶壁。

「くそっ……」

 元々、今回の任務にあきつ丸は乗り気ではなかった。仕事はあくまで仕事として淡々とこなす彼女が御影に向けた目線は、明らかに抗議以上のものを含んでいた。

 しょせん『真の正義』など無いにしろ、自分の中に抱えたものを曲げてしまってよいのか。

 そんな彼女が、任務中にうっかり敵の策を見抜けず、こうして命の危機を迎えている。

 御影は彼の判断ミスや考慮漏れ、自責の念――そういった雑事を全て放り投げ、ただ飛び出した。

「あきつ丸、手を……!」

「提督、どの」

 倒れていくあきつ丸。なんとか伸ばした彼女の手。御影の手は、虚しく空を切る。

 次の瞬間、御影は跳んだ。

「うわあぁあああッ!」

 艦娘としての能力を奪われた状態で崖下にたたきつけられたら。御影はどうなるかよく知っていた。

 提督は特定の艦娘を、特別に扱ってはいけない。

 御影の根底にあった考えはある意味で普遍的に正しく、だからこそ彼を苦しめていた。

 この美しい存在を、どうして特別に考えてはいけないのか。

 あきつ丸というパートナーを得て、彼は思想だけでなく、自分の立場とも板挟みになった。陸と海、自衛隊と特海。その狭間に立って物を見、物を考えなくてはいけない情報部員。時には敵、時には味方。

 特海の提督としては曖昧な存在だった御影だったが、陸軍艦娘であるあきつ丸は何故か()()()と彼の中身を満たしてしまった。

 そんな彼女が死のうとしている。御影には、崖から跳ぶ以外の思考を持つ余裕がなかった。

 そして、真田にとって、自分の命を狙うために行動するであろう御影の唯一の弱点が、あきつ丸。

「賭けはオレの勝ちだな、御影」

 空に跳んだ御影の背中に、聞こえるはずもない言葉。しかし、御影は確かに真田の呟きを聞いた。

 

 

 

四.

 

「ヘイ、加賀! いつでもオーケーデス!」

 赤城と隼鷹、そして不知火。三隻(さんにん)によって、空母棲姫以外の敵艦はほぼ押さえ込まれた。

 それでも、空母棲姫の表情は変わらない。

「少し遊んで来ます」

 加賀は少しだけ、自分の疑問を晴らすことにした。

 手にした攻撃機を全て上げる。あの女には、それぐらいでも足りないぐらいだと、加賀は笑った。

 これで、あとは時が来るのを待つしかない。それまでは、奥の手を使わせてもらおう。

 そうして弓の代わりに手にした薙刀の切っ先を、加賀はゆっくりと空母棲姫に定めた。

 途端、加賀の周囲には攻撃機が襲い来る。しかし、加賀は一顧だにしない。赤城と隼鷹に預けた背中、今さら気にする必要などないと知っているからだ。

 空母棲姫の大型艤装が、咆哮と共に砲撃を放つ。

 右へ、左へ。加賀の航跡が月を受けて光る。

 直撃と思われた一撃すら薙刀で切り裂き、加賀は爆発を置き去りに空母棲姫へと肉薄した。

「あなたは、何故歌うの」

 加賀の問いは空母棲姫を射貫き、薙刀の一閃は空母棲姫の手を止めた。手刀と薙刀のぶつかり合いが火花を生み、二人の目線もまた交差する。

 何故なら、彼女たちは自覚していた。

 どうしてかは分からないが、自分たちは歌うものなのだと。

「歌ガ、好きナノ」

 だから、空母棲姫はそう正直に答えた。

 ただの言葉に、音の連なりに意味を付け、自分という内から世界へ放つ。人間という生き物が遙かな昔から連綿と伝えてきた文化のひとつ、歌。

 不思議と、空母棲姫は水底から生まれたときから気付いていた。自分は、歌が好きなのだと。

 だから歌った。深海で、水面で――そして、姿を変えて訪れた地上で。

「まさかあなたは、提督と――」

「サア、ドウカシラ」

 加賀の中には、空母棲姫の一部が眠っている。加賀はそれを介して、一部の記憶を受け継いでいた。

 空母棲姫(オリジナル)にとって、自分の一部を持つ加賀と、かつて縁を結んだ真田のふたりという組み合わせは、なんの思い入れもなしに相手できるものではない。

 自分の歩まなかった未来を歩んだ加賀と、一度見逃した真田を()()()()()()()()()()()()()

「私タチは、夢を見ナイの。ただ、全ての命アルものが憎い。ダカラ、沈メル」

「だけれど」

()()()()()()()()()?」

 加賀は、笑う空母棲姫からの拒絶を、苦く受け止めた。

 そして、決意する。

「あなたは、沈めます。そうすることでしか、誰も救われません」

 その言葉を最後に、加賀は距離を取った。次に彼女の顔を見る時が、決着の時。

 自分の(かが)の影を追い、しかしそれとは別に愛を抱いただろう佐伯。沈んだはずの妻を救い出した真田。

 その二人との、まるで鏡映しのような加賀(空母棲姫)と加賀。

「泉浜鎮守府、第一艦隊――加賀、行きます」

 全てに決着を付けるべく、加賀は手にした照明弾の全てを打ち上げた。

 

 

 

五.

 

「いいザマだな、御影。救助が来るまではそこで大人しくしててくれ」

 崖下に吊り下げられたネットの中の塊に向けて、真田はそう叫んだ。

 落下するあきつ丸を掴んだ御影だったが、当然ながらそのまま海面へと真っ逆さま。そんな二人を、夕張のワイヤーネットが()()()捕まえた。

 無理矢理破ることも可能だろうが、その場合、あきつ丸はともかく御影は落下を免れない。

「自分のバカさ加減に心底がっかりしてるところだよ。本当に、どうかしていた」

 簡単な話である。崖上で発動した艦娘鎮圧用のスタングレネードは、海面まで落ちてしまえば効果の範囲外だ。艦娘としての力を取り戻したあきつ丸は海面に着水し、一時的な戦力ダウンだけで済んだ。

 それを、落ちたら死んでしまうかのように助けようとした。御影は、いかに自分の判断力がにぶっていたかを思い知る。ここは戦場ではあるが――実戦闘の場であれば死に繋がる判断ミスだ。

「お前を信じてたからな」

「そういう危ない橋を渡ろうとするところ、加賀さんに怒られてたよね――君はさ」

 真田の言葉に、御影は改めて大きく息を吐いた。

 あきつ丸が危ないと思った時、御影は彼女を見捨てはしない。

 真田は御影の短い言葉から、『自分(御影)は、()とは考えを同じくしない』という彼の意思を読み取った。だからこその賭け。艦娘を無碍に扱いはしないという、提督としての御影に真田は賭けた。

 そして、真田は見事に勝った。

「……真田君、ここで僕を始末しようがしまいが、君はどっちにしろ狙われることになる」

 御影は独断で動いていたわけではない。彼が真田を殺さずとも、必ずあとから同じ指示を受けた者がやってくることは目に見えている。

 しかし、真田には()()があった。開き直った彼だからこそ可能な、ひとつの武器が。

「そういうことにはならない。いいや、()()()()

 真田が無責任に断言したことに、御影は難の根拠も見い出せていない。しかし長い付き合いの真田がここまで言うということは、なんらかの根拠があってのこと。御影にもそれぐらいは分かる。

 いいから種を明かせ。御影は網の中で息苦しい思いをしつつ、真田に目線を送った。

「佐伯さんの言葉を借りれば……面倒だから一度しか言わないぞ。()()()()()()()

「な」

「そして――ノウハウはこちらが握ってる」

 つまり、真田はこう言っている。『五十三号』計画の本来の目的だけではない。オリジナルに近い、()級の資材を使った上で、制御可能な艦娘を建造することができる、と。

「泉浜は、五十三号産の艦娘を二隻(ふたり)確保した。生産ラインは明石の工廠、そして――実験場がウチだ」

「真田君……きみは、あの島をテストベッドに使うつもりか」

「周囲から隔離され、ある程度本土からも目が届き、いざという時は切り離せる……元々、この事件で提督が狙われた時に周りを巻き込まないための環境だろ。だったら、オレはそれを利用させてもらう」

「君は――君は、それでいいのか」

「そういう()()()が出来ることが重要なんだ――『五十三号』を、陸と海のきな臭い計画から、艦娘の強化生産計画――しかも、大した危険のないものに落とし込んでやる。そのための()だ、あの島は」

 同じ手段で建造された艦娘が二隻いる。その艦娘がいる鎮守府は、新たな技術で造られた彼女たちの能力を測るテストのために整備されている。

 その艦娘を造る方法は確立されているが、島そのものに建造機能はない。泉浜が妙な考えを企てても事前に抑止するだけの猶予はある。ストッパーとしての呉本部からの監視も行き届く。

「つまり――()()()か。『五十三号』計画の()()()として自分たちを利用させる――加賀さんや、あの金剛が存在することで、彼らのやってきたことはこういう結果になりました、と」

「隠してやっていたことを、傷の少ない形で表面化させるための……落としどころを作ってやるんだ」

「建造のための資材は限られているから、今後無軌道に強化艦娘を造ることは難しい――得られたのはこういう研究成果です、か。誰の入れ知恵だい」

 ようやく棘の消えた御影の問いに、真田は黙って人差し指を立てて唇に当てて見せた。

「それはそうと。その計画は、加賀さんや金剛たちが生きて戻ることを前提にしてる。彼女たちは」

「加賀たちは勝つ」

 真田はもう一度断言してみせた。先ほどのものと違い、今度は多分に願望の混じったものだったが、御影は不思議と納得した気分になった。

 加賀たちは、無事に帰ってくる。

 勝手に二人の提督の間で共有された未来の結果は、そのわずか数秒後にぼやけてしまうことになる。

「――なんだ」

 遠く響き渡る、なにかの雄叫び。ぞわりと全身を逆撫でするかのような感覚が、提督と艦娘を襲った。

「海からだ……!」

 加賀たちが向かったであろう方角から伝わってくる、言い知れない不安。

 真田は黙って、背後の夕張へと視線を送り、歩き出した。

六.

 

 その一撃は、加賀の左上腕にマウントされていた飛行甲板をあっさりと削り取っていった。

「加賀ちゃんっ」

「大丈夫です」

 身を切るような殺気に取り囲まれて、それでも加賀は大丈夫と言い放つ。

 空母棲姫の大型艤装からは、間断なく主砲による攻撃が続いていた。彼女が飛ばした球状の艦載機は赤城たちに追い散らされ、それでもしつこく加賀を狙う。

 向かってきた一機を薙刀で両断し、加賀はただ空母棲姫を見据えた。

「――なめられたものね」

 空母棲姫は誘っている。泉浜第一艦隊の、最後の攻撃を。

 逃亡を図る敵主力部隊の追撃戦。赤城たちの加入による戦力の均衡とは別に、陸地から離れつつある短時間決戦部隊という一方的に不利な条件。加賀たちに許された時間も戦力も限られている。

 故に、最大の一撃で最大の効果を――空母棲姫を沈めなくてはいけない。

 加賀が狙うのは一瞬。わずかな空白を捉えて、自分の全てをぶつけるその時。ただ、その一瞬を作るわずかな猶予が、今の加賀には足りなかった。第一艦隊の誰もが余裕などない。焦る加賀。

 その時。その波が訪れたことは、偶然だったのかも知れない。或いは、過去からの復讐。

「!」

 加賀の足下を、敵駆逐艦の誘爆が起こした波がさらう。わずかな波。しかし集中しきっていた加賀にとっては致命的な流れ。

 そうして一瞬バランスを崩す加賀。加賀は気付いた。これは、まるで。

「くっ……!」

「フフ……ソウ、アナタは、()()

 空母棲姫が笑う。

 そう、まるで、半年前の光景をもう一度再生したように。

「――夢ハ、帰ラナイ……!」

 空母棲姫の主砲が、加賀を捉えた。睨む加賀。笑う空母棲姫。加賀を守るものはなく――。

「おおぉおああああァァアア!」

 しかし、()()()()()()()()()()()()

 その刃は天龍。半壊した榛名の巨大腕部艤装が、最後の力を振り絞って投擲したもうひとつの流星。

 射程の範囲外から飛んだ天龍は、一直線に――空母棲姫の片腕を切り飛ばした。

「アアァアアアアアァアアッ……! オノレ……オノレェ!」

 空母棲姫は咄嗟に体幹への直撃を避けた。もう少しで胴体を貫いていた一撃。反動で、天龍は海面をバウンドする。榛名は艤装が爆ぜ、不知火の肩を借りてなんとか立っていた。まさに最後の一撃。

「ぐあぁっ……まだ、まだァ!」

 投擲と着水の衝撃で艤装はほぼ消し飛んだ天龍は、それでも空母棲姫に食らいつく。

 残った腕の貫き手で応戦する空母棲姫。

 そして。

「攻撃隊、全機――」

 加賀は、天龍と榛名が作ったその隙が、どうしても欲しかった。

 空を舞う流星。彗星。SBD。

 それらの編隊を組み直し、全方位からの一斉攻撃を掛けるための隙が。

「行きなさい」

 ありったけ上げた攻撃機たちが抱えた、ありったけの魚雷と爆弾。

 正面から。背後から。

 二時、四時、六時、八時、十時。ありとあらゆる方向から、魚雷の波と爆撃の雨が降る。

 時に哀れな駆逐艦を盾に使い。

 時に護衛の艦載機を海へ突っ込ませ。空母棲姫はそれでも、加賀の猛攻をしのぐ。

(――敵機直上。急降下……ソウネ、私を沈メルのは、ソレでなくては)

 次の加賀の一手が読めていたからだ。それを示す音が頭上から響くのを耳にして、こみ上げる笑いを空母棲姫がこらえた瞬間だった。

 正面に立った水柱を貫いて、龍田が飛び出した。

「もう片方も、落としてあげましょうか」

「ッ――!」

 金属音。辛うじて龍田の一撃を止めた空母棲姫――。

「軽巡だからって、私を……あまりなめないでね?」

 ひらりと龍田の脚が翻る。空母棲姫が気付いた時には、自らの大型艤装に背を叩きつけられていた。

「ガッ……」

「その手――」

 見上げた空母棲姫の視界は、月と、その光を背にした龍田で埋まっていた。

「少ぉしだけ、黙っていてね」

「キサ、マ」

 頭上で回転させた薙刀を、勢いのままに突き出す。その狙いは、残った右手――。

 まずい。空母棲姫は咄嗟に身を起こそうとしたが、叩きつけられた体は思うように動かない。

「アアァアアアアッ……!」

 なにかが割れる音と共に、空母棲姫の右手を串刺しに、龍田の薙刀は大型艤装に突き立った。

 まるで(はりつけ)

 艦載機に追われた龍田が飛び去ると同時に、月光を遮る影。

 それは同じ薙刀を構えた、加賀。龍田の教えを受けた規格外の空母が、規格外の艦娘として今、空母棲姫に躍りかかる。

「加賀ァアアアッ!」

 反撃を試みる空母棲姫の右手が血飛沫をあげる。縫い付けられた手は、ただ悲鳴のように血を流す。

 そして、加賀の瞳が、空母棲姫を射貫いた。自分のやるべきことを、ただ真っ直ぐに、と。

「――はァッ!」

 ごく短い、裂帛の気合い、その一撃。

 薙刀の一閃は、深々と空母棲姫の胸を貫いた。

「ア」

「ごめんなさいね」

「ナニ……を」

「残念だけれど、あなたを鎮めるレクイエムを、私は知らないの」

 だから、代わりにこれで。

 加賀は矢筒から、一本の矢を取り出した。それは、艦載機の矢ではない。

 その(やじり)は、大和鋼でコーティングされていた。

 加賀は、洋上補給の際に矢を手に取った瞬間、その芯が空母・加賀の金属材であることに気付いた。真田が加賀に託したのは、オリジナルの加賀である()()を救わんとする願いだった。

「きっと、幸一さんは――あなたを鎮めるのにはこれしかないと思ったのでしょうね」

 加賀(オリジナル)から加賀へ。そして今、加賀から加賀(空母棲姫)へ。

 願いを伝えるために、加賀は大型艤装を蹴って洋上へ降り立った。

 射法八節。

 いつもの動きは、不思議とすんなり加賀を突き動かした。

 足踏み。

 ――海を踏みしめ、波を物ともせず。加賀は足を通じて海と繋がり、海そのものとなる。

 胴造り。

 ――海から伝わってくる。怒り。悲しみ。苦しみ。加賀は、それだけではない、と海へ首を振った。世界には悲しみも苦しみも多すぎる。それらが引き起こす怒りもまた無数にある。

 弓構え。

 ――だが、()は知っているはずだ。それらを覆すだけの喜びもまた、海には、世界には満ちている。今は海も、世界も、それをほんの少し忘れているだけだと。

 打起し。

 ――加賀の掲げられた手。片手は深海黒鉄に覆われ、炎を纏う。もう片手には、彼女と最愛のひとを結んだ証が光る。病めるときも、健やかなるときも。約束の指輪は、なにものにも負けない光を放つ。

 柔らかな月の光。半年前に加賀が抱えた後悔は、彼女が取り戻す日常で打ち消されるだろう。

 引分け。

 ――余計な力が籠もりそうになり、加賀は一度大きく息を吐いて、それからゆっくりと弓を引いた。和弓の()()()が、充分な力を与えてくれる。あとは、想いを込めるだけでいい。

 少し眠って、それからまた、戻ってきて。海はまだ荒れているけれど、ゆっくり治していけばいい。

 会。

 ――空母棲姫と目が合い、加賀は無心でただ時を待った。風の収まる数秒後。祈りと鎮魂の矢を放つ

その時、その瞬間を。

 加賀は静かに、告げた。

「おやすみなさい、空母棲姫」

 そして、離れ。

 加賀の手を離れた矢が、加賀の意思を乗せて飛ぶ。夜闇を、戦場の空気を、全ての絶望を切り裂き、彼女の希望を伝えるために飛ぶ。ひと(真田)と共に歩む艦娘(かが)の、ひと(佐伯)と共に歩きかけていた存在(空母棲姫)への手向け。

 

バリケードの向こうのどこかに、君が望んだ世界があるだろうか

 

 奇しくも、いや、必然だったのだろう。加賀と空母棲姫は同じ一節を思い浮かべていた。

 『レ・ミゼラブル』――そのエピローグに当たる『民衆の歌』。

 

 人々の歌う声が聴こえるか

 ほら遠く、太鼓の音が聴こえるか

 これは彼らが携え、きたる未来だ

 明日と共にやってくる未来だ

 

 高らかに歌う人々の声に、空母棲姫はいつしか目を閉じていた。それを、()()、受け入れるために。

 自分を貫く運命を、ただ黙って。

「――金剛、お願いします」

 自らの矢が空母棲姫を貫いたことを見届けて、加賀は新たな仲間に背を向けたまま告げた。

 金剛が波を蹴り、空を舞う。

 もう動かなくなった大型艤装に、ゆっくりと降り立つ金剛。狙いは外さない。加賀の祈りと、それを受け止めた空母棲姫の覚悟を無駄にしないため。

 がこん、と連装砲が音を立てる。

 初陣と同じ。しかし、あの時とはまるで違う覚悟をもって、金剛は静かに呟いた。

さようなら(Good bye)……もう一人の私たち」

 装填された弾丸が爆ぜ、砲身から飛び出し、大型艤装へとめり込む。

 飛び退いた金剛は、確かに見た。

 空母棲姫が笑うのを。

 そして、その笑みが炎に包まれる瞬間を。

「金剛」

 着水した金剛に加賀は声をかけ、二人は無言で沈みゆく深海の姫を見つめていた。

「加賀」

「なんですか」

「私たちの勝利は、どこにあるんデショ」

「今はまだ見えないわ。でも、必ず――」

「そうネ。勝たないと、負けちゃいますネ」

 息を吐いた金剛の肩を軽く叩いて、加賀は背に負った弓を手に取った。

「お疲れ様。ありがとう、力を貸してくれて」

 そうして用のなくなった弓を、加賀は海へと放った。どこの誰かはわからない、名も知らぬ艦娘の弓。水底で眠っている主のところに届けとばかりに。

 

 

七.

 

 『武蔵』は再び海中へ潜っていた。彼女の目的は、この戦いで沈んだ深海棲艦、そして艦娘や人間の兵器――それら全ての()()。まるで掃除機が床をさらっていくように、彼は海中を漂う全てをその口で飲み込んでいく。

 彼女の体内に取り込まれた全ては、やがて彼女を形作る一部となる。

 戦場で咆哮と共に船足を上げ、その場から消えた理由は、そこに美味そうな餌が転がっていることに気付いたからに過ぎない。彼女の中身を占めていたのは、ただ欲望のひとつ――食欲だった。

 その胎のうちが、どんな欲望で満たされているのか。それをひとが知ることはない。

 ついに武蔵は、その海域にたどり着いた。

 強く脈動する命と命がぶつかり、片方は消え、そして海へ還っていく。彼からすれば、それらはただ餌を美味くするだけの調味料(エツセンス)に過ぎない。多ければ多いほどいい。

 生きていようが、死んでいようが、構わない。

 それら全てを腹に納めるべく、その大きな口を開けた武蔵は、一直線に海面を目指して浮上した。

 

   ◇   ◇   ◇

 

 その気配に、最初に気付いたのは加賀だった。

「――総員、全速退避! 早くッ!」

 ()()()()()

 加賀が気付くと同時、まるで頭の中でなにかが囁くように。

 その言葉通り、全速でその場を離れた泉浜第一艦隊。

緊急回避(エマージェンシー)……下からデース!」

 第一艦隊の誰もが、()()を最初は認識できなかった。

「お、オイ……なんだ」

 真っ暗な海。空に輝く月。

 まるでスローモーションのように海面が盛り上がり――数十メートルに渡って隆起した海から、その巨影は飛び出した。

 その光景は、とても現実とは思えなかった。非現実の塊である艦娘でさえ、我が目を疑う。

 三百メートルに近い巨体が海から飛び出し、一帯の全てを丸呑みにするなど。

 飛び上がった船体には異形の証――深海黒鉄の船体から伸びる無数の腕、装甲に走る紅い光、そして深海の蒼き炎を纏っている。誰がどう見ても、それは深海棲艦だった。

 しかし、このような巨大な深海棲艦など、これまで確認されたどの戦いでも目撃されたことはない。『姫』や『鬼』級の扱う大型艤装でも十数メートルが精々。艦船そのものと言える()()が規格外なのは誰の目にも明らかだった。

 深海棲艦・戦艦武蔵。

 今までの研究で明らかになった、深海黒鉄イコール沈没した艦船のパーツ。その行き着くところは、過去に沈んだ船の全てが、深海棲艦を構成する一部になり得る――もっと言えば、沈んだ船()()()()()()()()()()()()()()――。

 その答えが今、泉浜第一艦隊の目の前で――()()()()()()()

 さながらイルカショーのイルカ。空中のボールをタッチするかのように、空に浮かぶ月を咬み砕かんとするような、そんな武蔵。

なんてこと(Jesus)……」

 誰も動けない。武蔵の巻き上げた水流が、滝のように降りかかっても。

 目が離せない。武蔵着水の大波に翻弄されても。

 なにもできない――目の前のそれが、或いはこの戦争の引き金となるものだったとしても。

 凍り付いた時の中、艦娘たちは聞いた。

『足りない』

 それは、一体なんのことか。

『武蔵』が言ったように聞こえるその言葉が、わずかな変化をもたらす。

 加賀はようやく、麻痺していた指を一本動かした。まるでそれを引き金としたかのように、少しずつ凍り付いた体の麻痺が解けていく。片手の指。次は腕。その次は反対の腕が、脚が、首が、顔が。

 立ち尽くす金剛に横付けた加賀は、短く彼女に囁き、そして金剛も戒めを解かれたように動き出す。

 加賀はただ叫んだ。

「なにが足りないというの、あなたは……!」

 生命か。殺し合いか。後悔か、苦しみか。それとも食欲か。

 一体なにが欠けているから、深き水底から舞い戻ったのか。

 その問いに答えはない。

「金剛――」

了解(All right)

 喰い損ねた加賀たちを、武蔵はまるで気にすることなく――。

「あなたは……一体、どこへ行くの」

 加賀の最後の問いに答えることなく、武蔵はゆっくりと月光に照らされながら、海中に没していく。

 戦艦武蔵は――未だ沈むことなく、海流に流されて、ずっと海を漂っている。

 武蔵が発見されるまで、シブヤンの海で冗談交じりに囁かれていた伝説を再現するかのように。

 艦娘たちは、唐突に訪れ、去っていった『終わり』を――そして恐らくは『始まり』を、しばらくの間、ただ夜闇に見つめていた。

 

 

 

八.

 

 真田は、海風に吹かれていた。

 砂浜は静かに波を受けてさらさらと鳴り、月と星の光を受けてきらきらと輝いている。

 加賀たちが海上へ出てしばらく経つ。海上の艦隊決戦は大勢が決したらしい。近くで戦闘は起こっていないようだが、空には偵察機の姿も見え始めていた。この泊地の占拠もあらかた終わり、通信妨害も徐々に解除されていっていることだろう。

 傍らに立つ夕張は、戦闘で壊れた通信機をいじくっていた。このまま通信不通では、明るくなるまで救助を待つことになってしまう。仮にも負傷した提督を抱えた彼女としては、それは避けたかった。

 何より、戻ってくるはずの仲間たちを迎えることができない。

「提督」

「なんだ、まだ生きてるぞ」

 尽きた体力に鞭打つ真田。なんとか軽口はまだ叩ける。

「照明弾、予備を用意しとけばよかった……通信機、中が完全に水を被っちゃってて駄目です」

「素敵な報告だな。次はできたら嬉しい報告にしてくれ……お前も艦載機で通信とかできないのか」

「イヤミですか。艦載機載りませんもん。あなたも衛星携帯とかもってないんですか。提督なのに」

「ここに基地局があれば、オレの携帯も国際ローミングでなんとかなったんだけどな」

 作戦中はずっと圏外の表示を出している携帯を取り出した真田。

 と、夕張が突如それを横から奪った。

「あるんじゃないですかスマホ! ちょっと借りますね。いじれば通信できそう」

「おいデータは勘弁してくれよ」

「サポートの安心サービス入ってますよね?」

「中身のデータを消さないでくれと言ってるんだ、日本語分かるか」

 夕張も、真田の限界が近いことは気付いていた。承知で空元気を引き出すために軽口に付き合う。

 恐らく話していないと倒れてしまうだろう。

「ったく……」

 何の気なしに、真田は空を見上げた。

「星が、綺麗だな」

「ええ――本当に、綺麗です」

 日本国内でも場所を選べば見られるであろう、満点の星空。

 先ほどまで戦場だったそこは、今はもう静けさを取り戻している。戦火の代わりに閃くのは、無数の星たちの輝き。命の光が、真田の視界を埋め尽くしていた。

 かつてこの星空を共に見つめた加賀。

 たった半年前に沈み、しかし還ってきた加賀。

 恐らくこれからしばらく、油断できない戦いが始まるだろう。それは提督としての戦いであり、彼の仲間を守るための戦い。恐らく明確な敵はなく、そして明確な勝利もない。

 ただ、日々を過ごす。それこそが、最も困難な目標になるだろう。

 それでも、真田は心配していなかった。

「加賀が、そばにいてくれるなら」

 きっと、いつだって自分の横で言ってくれるだろう。彼女の気高く、力強い一言。

「――心配、いらないわ」

 一瞬、意識が飛んだのかと勘違いした真田は、視線を空から海へと戻した。

 

 艦娘が、立っていた。

 

 月の光と星の光。光る海に照らされて、その艦娘は立っていた。

「航空母艦、加賀です――あなたが、私の提督なの」

 意地悪く、その艦娘は初めて出会った時の言葉を口にした。

「いいや」

 そして、真田は首を振る。

「オレは、真田幸一少佐」

「出世はしていないのね」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「上昇志向のないあなたのせいでしょう」

「ああ、その通り――」

 視界がわずかに滲む真田だったが、彼はこらえてみせた。彼女に、格好を付けておきたかったのだ。

「君が、オレの大事な嫁さんかい」

 少しだけ首を傾げて、真田は問う。

「ヨメかどうかは知りませんが――大切な伴侶であることは、否定しません」

 真田の問いに、加賀は指輪を見せて微笑んだ。

 大和鋼の結婚指輪(マリツジリング)。力強さと優しさを内にたたえた約束の輪が、加賀の指で光っている。

「オレと、もう一度、一緒になってくれるかい」

 敢えて、そう問う真田。

「この指輪をもらった時から――いえ、きっと、ずっと昔から――」

 自分と真田を繋いだ縁。それを昔と表して、それら一切を含めて、加賀は自分のものだと決めた。

 例え、自分の全てが海に融けても。

「あなたが、好きですから」

 加賀の言葉に、真田は力なく笑う。

「おかえり、加賀」

 ゆっくりと目を閉じ、意識を手放す真田。その体を、加賀は抱き留めた。

「――加賀、帰投しました。幸一さん」

 聞こえていようが、聞こえていまいが。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ただいま。あなた――」

 加賀は()を抱きしめ、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま、コウちゃん」

 

 

 

 

 

 

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