一.
その男は、勢い良く口から液体を噴き出した。
「ぶふぅぉア!」
「はわぁ」
「っげほ、げほぅッ……何、なん……」
多くの命を預かる司令官であり、大抵のことには動じることのないその男の自制心を持ってしても、やはり液体を口の中から吐き出すことは止められなかったらしい。
めんつゆである。
何故彼が口からめんつゆを噴き出す羽目になったかと言えば、横に立つ駆逐艦の少女……電が持ってきたコップに入っていたからだ。彼女は他の誰かによる作り置きを、そのまま目の前の男に差し出した。それを男は疑いなく口に運んだだけだったが、その信頼が悲劇を呼んだ。
麦茶だと思ったのだ。
冷蔵庫の中、コップに入った麦茶とたいして変わらない色のそれを、ろくに見もせず口に含んだ彼がどうなったか。結果は、彼が身をもって味わっている。
「電、めんつゆ、これ」
「もっもっ、申し訳ないのです」
「いくらなんでもベタ過ぎだろ?」
「は、はい……ごめんなさいなのです、申し訳ないのです」
本当に申し訳ない様子の電は、あわてて執務室備え付けの台所へと走る。まずは床を拭くところから始めなくてはいけないと判断したらしい。
そんな彼女の背中を眺めてため息一つ、男はゆっくりと彼女の後を追った。
男の名は、
いわゆるウェーダーをまとい、短く刈られた頭にはタオルを巻いていてもおかしくはない。その姿はどこからどう見ても漁師そのものであったが、彼の本職は別にある。瀬戸内海のはずれに浮かぶ小さな島にある、島そのものと言っていい軍事施設……小さな小さな『鎮守府』を預かる『提督』だ。
「ちょっと、予想外で対応できなかった……気にするな、かすり傷だ。服以外は」
「あわわ。シミになってしまうのです」
「どうせ汚れる作業服だ。まぁ、つゆの香りをさせながら仕事をするのは、流石に勘弁願いたいな」
真田は、口の周りからめんつゆを垂らしながら流し台へと向かう。
そんな彼の背後、執務室の壁に掛かる所属艦娘の一覧表には、軽巡洋艦中心、水雷戦隊に毛の生えた程度の艦名が並んでいる。戦場の華である戦艦、空母どころか重巡洋艦すらそこにはいない。鎮守府として扱われているものの、その戦力は随分と乏しく見える。
そもそも、彼が漁師の恰好をしているのはコスプレや趣味ではない。ほぼ仕事である。
海が荒れると滞りがちになる定期輸送への依存を減らし、ある程度経済活動を行う。そうすることで鎮守府運営に関する物資を自給するのが目的だった。
めんつゆが常備されているのも、廃棄寸前の
そして、この鎮守府に、正式な名前はまだない。
通例としては所在地の地名などが付与されることになっているが、元が放棄された無人島だったことから、運用開始から数か月が過ぎた今でも仮名のままとなっている。
泉浜鎮守府
真田が以前預かっていた鎮守府から籍を移す形になったため、システム上では元の『泉浜鎮守府』となっている。廃止処理をして新たに枠を作るより、元を使い回すほうが管理上の問題も出にくい。
こうして、海上輸送の中継地を兼ねた鎮守府
「あの……ごめんなさい、なのです」
「作り置きを頼んだのオレだろ。お前の責任じゃないよ。それに……」
落ち込む秘書艦を傷つけまいと、努めて明るく話す真田。
しかし彼は濡れたタオルで拭き終わった顔を海風に晒し、ぽつりとこぼした。
「加賀だって、めんつゆは失敗してたろ。薄めるやつを原液で出して来たんだよな、あいつ」
「……そう言えば、そうだったのです」
「家事炊事、最初は酷かったよなぁ。洗濯機爆発、しょうが味しかしない、豚肉を焼いたものとかさ」
「それは初耳なのです。しょうが焼きではないのですか」
二人の間で共有されている、ある空母の名。この島で彼女が過去形で語られる意味を理解できるのは、元から真田の配下だった片手に足りる艦娘しかいない。
「夕張と不知火は? 外出申請は出てないから、陸には行かないんだろ」
「午後は一日作業場だそうなのです。例の、艤装の遠隔着脱システムの改良中みたいなのです」
「いい加減トニー・スタークの真似はやめりゃいいのに。現地へ届けたいなら、母艦からレールガンか何かで撃ち出しちまえばいいんじゃないか……手が空いたら、魚群探知機見ておいてくれと伝言を頼む」
「了解、なのです。コネクタさんの調子が悪いんでしょうか」
とある事情から、元いた場所を引き払い、設立中のここへ赴任した真田。彼はその際、戦艦や重巡を含む多くの艦娘を知人の提督に預けていた。小規模な前線基地であるこの地に見合う戦力にしたかった、愛が重い、配置換えに伴う大幅な環境変化を嫌った。その艦娘ごとに、そうした理由は様々。
しかし彼にとっては何よりも、逃げたかっただけだった。事情を知る多くの仲間に囲まれることで、無くしたものの大きさをかえって実感することを避けたかった。
つまりは、人間関係のリセットだ。
「天龍はいつ戻ってくる?」
「さっき帰投時刻が遅くなるって連絡がありました。一時間押し、なのです」
「おおかた、演習はボロボロだろうからな。帰りに合せて風呂沸かしといてやってくれ」
そう言って笑う真田の隣に、いつも立っていた正規空母、加賀。
「――たった半年、されど半年。きっと、一年二年だってあっという間だろうな」
「……そうだと、いいのです」
彼女はもう、
二.
「フゥン。あの
吹き付ける海風の中、波の合間をかき分けて進む女性は、誰にともなくそう呟いた。
当然、海上に立つ彼女は人間ではない。艦娘である。
金剛型戦艦一番艦『金剛』。旧帝国海軍の中でもその艦籍は古く、しかし戦艦としては最も華々しく活躍した艦の一つ。その名を冠した彼女が目指しているのは、瀬戸内に浮かぶ小島。
瀬戸内海。本州と四国を隔て、九州方面へと繋がる海である。豊かな水産資源を持ち、古来から主要都市への海運を支える要所、であった。
特殊海棲生物……『深海棲艦』たちの出現と、彼女たちによる事実上の海上交通封鎖。制海権を巡る人類との戦争。それらは日本という海洋国家にとって深刻な影響をもたらした。当然ながら瀬戸内海のような内海であっても例外はない。
全ての海は繋がっている。だからこそ、恵みも災いも、等しく訪れる。
訪れた災いに対応するべく設立されたのが、『対特殊海棲生物海上防衛隊』――通称『
それがまさに金剛たち『艦娘』。深海棲艦とほぼ同時期に現れた謎多き存在。海を奔り、通常兵器の効かない深海棲艦たちを唯一傷付け、倒すことのできる能力を有している。
多くの謎を秘めながらも、彼女たちは各国に現れ、人類の味方として共に戦っている。
(退屈なスタディメニューからも解放されたし、あとは私の艦隊でばっちりお仕事するだけネ。どんな鎮守府か、今から楽しみデス)
建造されてから数週間、艦娘としての基礎と人の身での戦闘のイロハを叩き込むプログラムを終えた金剛は、晴れて任地に着任となった。すなわち、彼女の建造を依頼した人物、真田提督の元へと。
(私が鎮守府で初めてのバトルシップなんて、とってもラッキーな提督さんネ。彼のプロフィールは、自分で確認しろ――なんて言われちゃったケド。
かつての大戦では空母にその座を譲ったとは言え、戦艦と言えば戦場の花だった。金剛を始めとして、伊勢型や長門型、扶桑型などが名を連ねるその艦種は、艦娘による艦隊編成の中核を担う。船足も速く、性格が比較的穏やかな金剛型は、どの鎮守府でも重宝されている。
(それにしても、艦娘は鎮守府で建造するのが
金剛の正面、小さく島影が見える。瀬戸内海に点在する無人島の一つだ。
彼女はまだ知らない。自分の任地である正面の小島が、補給基地に毛の生えた程度の設備しかなく、建造機能すら持たされていない場所だということを。
(クエスチョンは提督に全部ぶつけちゃいまショ。今はとにかくスピーディに、ターゲットポイントに着かないと、ネ。
彼女は……いや、彼女を含め『泉浜』所属の艦娘はまだ知らされていない。提督が、同名の鎮守府を預かっていたことを。そして、そこが今は『無い』理由を。
海を奔る金剛は、波に乗りながら大きく伸びをした。
「んぅー! 今日も、いい天気デス!」
彼女は気付いていなかった。遥か水面下、彼女を追って深く静かに進む影に。
三.
英国で産まれた、帰国子女の金剛デース。
『金剛』お決まりの着任の言葉は、彼女の提督には一切届かなかった。何故なら真田は、彼に食って掛かる眼帯をした艦娘、天龍の相手をするのに手いっぱいと言った様子。
「おいコラァ! 演習相手に戦艦がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「誰が水雷戦隊同士の演習だって言った。戦艦込みの編成なんて、深海連中にはいくらでもいるぞ」
「そーいうこと言ってんじゃねぇよ! 練度の高い夕立と時雨はともかく、こちとらヒヨっこを三人も抱えてんだぞ。いくら演習つっても、戦力差ってモンを考えろよ、戦力差を!」
「分かった分かった。次は気をつけるよ……で、お前に出してる課題はどうなった、天龍」
「く……! それは、だな……」
金剛は、別に無視をされたわけではない。しかしノックはしたし、中にいた駆逐艦……電に招き入れられもした。せっかくの着任第一声ぐらいは、彼女の提督となる人物に聞いて欲しかったというのも、正直なところだろう。しかし、タイミングはすこぶる悪かったようだ。
「ん、ん!」
言葉に詰まった天龍。すかさず金剛は、英国淑女らしからぬ咳払いで、存在をアピールして見せた。それまで執務机を挟んで睨み合っていた二人が、同時に彼女の方を向く。
「すまん、待たせてるな」
「あン? 新入りか」
執務机から立ち上がった提督……真田は、机を回り込み、憮然としたままだった天龍の肩を叩いた。一方的にヒートアップしていたと見える彼女とは対照的に、その表情は穏やかだ。
「暁や響のこと、頼んだぞ」
「お前……! 聞かなくても
「これはお前に出した課題の途中経過だろ。お前に任せた、お前の部隊だ、しっかり締めてみせろ」
「クソ……いくら俺の水雷戦隊だからって、いきなり何でも纏められるかよ」
「ま、急がなくていい。風呂が沸いてるはずだ。皆のケアも兼ねて、ゆっくり休んでくれ」
今日の哨戒任務からは外しておく、と真田は天龍を送り出す。やはり憮然としたままの天龍だったが、それ以上はなにも言わずに大人しく執務室を出て行った。彼女なりに思うところがあったらしい。
その背中を苦笑いで見送った真田は、改めて金剛に向き直る。
「さて」
金剛はそこで初めて正面から彼の顔を見た。やや短く刈られた黒髪は、嫌味のない彼の雰囲気によく合っていて、まぁ悪くはない。作業用の支給ツナギも、彼の精悍さを強調していた。
(八十点。……陸でお話したのおじいちゃんばかりだったカラ、ちょっとポイントが甘くなってるネ)
値踏みされているとも知らず、真田は金剛に笑いかけた。
「すまんな、自己紹介からやり直すか? 英国で生まれた……」
「ノー! 結構デス!」
膨れ面の金剛に、真田は思わずといった様子で噴き出した。放置していたのは彼自身とはいえ、その拗ねた表情があまりにも可愛らしかったと見える。
「いや、悪かった。港で出迎えるつもりだったんだけどな、天龍が怒鳴り込んできたもんで……」
「もう! こんな所まで呼びつけておいて放ったらかしなんて、ひどいデス」
「不便な思いをさせて申し訳ないが、そこは勘弁してくれ。ここには建造設備がないんだ」
「ホワット
艦娘の『建造』については、オカルティックな部分の占める割合も多く、関係者にも仕組みについて理解している人間は少ない。お蔭で『一般人を拉致して改造』だの「培養した試験管ベビーから』など様々な流言飛語に、すっかり覆い隠されている。しかし、建造の手順自体は単純なものだ。
「知り合いの提督に資材持ち込みで建造を頼んだんだ。最悪でも巡洋艦が建造できればと思っていたが、まさかの戦艦……しかも金剛型一番艦とはな。幸先がいいと言うか……運命的と言うか」
真田の言う資材、『鉄鋼』、『原油』、『弾薬』、そしてアルミの原料である『ボーキサイト』。これらを一定の比率で組み合わせ、通称『溶鉱炉』と呼ばれる艦娘建造用の機械に投入する。ただ、これだけ。ただし内部構造は国家指定の最高機密。ブラックボックスにも程があると専らの評判だが、仕方ない。
「おかげで着任準備も呉で人任せだったし、ここまでも長旅をさせてしまったな。すまない」
「それは……んもう、気にしてナッシンだから、大丈夫デース」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
少しは機嫌を直してくれたと見た真田は、机の上で書類を抑えていた軍帽を手に取った。
「――金剛型一番艦、金剛!」
それは、唐突に始まった。
「は、ハイ!」
執務室で始まった着任式。金剛は一瞬、自分が呼ばれたと理解するのが遅れた。真田が発したのは、先程まで天龍と言い合い、自分に頭を下げていた人物から出たとは思えない、凛とした呼び声。それは多少気の抜けていた金剛の身を引き締めるのに、十分な威厳を持っていた。
「本日付けで、当鎮守府の第一艦隊、その旗艦への着任を命じる」
第一艦隊の旗艦。それはすなわち、主力中の主力として戦ってくれという宣言だった。
どこか気圧される金剛を見つめる真田。しかし肌にびりりと来るその声とは対照的な、愛しい何かを見つめるかのような瞳。少なくとも、金剛は彼の目線をそう受け止めた。
「ウチに配属される初の戦艦がお前と聞いて、心待ちにしていた。よく来てくれたな、金剛」
そうして手を差し出して笑う真田の顔に、金剛は建造後、初めて覚える感情を抱く。ゆっくりと彼の手に自分の手を伸ばし、恐る恐る触れた金剛。握られた手を握り返すのも忘れて、彼女は目の前に立つ真田をぼうっと見つめていた。
(何でショ、この気持ち。これが例の……?)
金剛型一番艦は、何故か『提督』と呼ばれる存在に対して好意……有り体に言えば恋心を抱く傾向が強い。それは金剛の艤装に宿った過去の『艦の記憶』が影響しているのか、はたまたロマンスの神様のせいなのか、それは未だに判明していない。
ともあれ、金剛は迷っていた。自分が抱いている感情が、話に聞いていた『金剛』特有のものなのか、それとも別の何かなのか判断できなかったからだ。
(バーニング、ラブ……)
自分が思いついたことのない単語が自然と浮かび、金剛は思わず頬が火照るのを感じる。
「うん? ……夕張か」
しかし、そんな彼女の乙女な戸惑いに水を差すかのように、執務机の上から呼び掛ける存在があった。無粋な電子音の正体は、内線電話の呼び出し音。
ため息と共に、真田が外部スピーカーのボタンを押す。
「執務室、真田だ」
『夕張です。島南西の警戒レーダーに感あり。反応の大きさから言って、恐らく駆逐艦です』
雑音混じりにスピーカーから呼び掛けてきたのは夕張。彼女のオフィスである工作室は、島の各所に設置された警戒設備と繋がっており、実質的な監視施設として機能している。もっとも、それを彼女が常時見ていることはない。あくまで何かが反応した時だけだ。ヒマに任せて彼女は工作をしている。
「数は?」
『現時点では不明ですが、ごく少数と思われます』
「そうか」
「天龍さん、呼び出しますか?」
(ゥン?)
金剛は、真田から目線を向けられた気がした。実際には、彼は金剛に背を向けている。自分の方など一切見ていないにも関わらず、彼からまるで「見られた」ような感覚を、金剛は抱いた。
(ホワット……今のは)
それは、金剛が建造されてからここまで、一度だけ経験したことのある感覚だった。とある提督から戦闘機動についてのレクチャを受けた時。ほんの少しだけよそ見をしていた金剛を、背中を向けたまま叱りつけた提督がいた。その時の、まるで突き付けられた刃にも似た『感覚』。
鋭いそれを思い出した金剛は、同時に真田から向けられた柔らかなそれと比べて思案する。
(二人とも、共通点は『提督』。そう言えば……『提督』は、何故『提督』になるノ?)
金剛の疑問は当然、そこに行き当たる。ひょっとしたら、艦娘が人間とは別の存在であると同様に、『提督』なるものにも条件があるのかも知れない。資格、資質、能力……或いはそれ以外の
そんな彼女の思考は、真田の言葉に打ち切られた。
「いや、金剛を出す。不知火を護衛に寄越してくれ。オレも出る」
出す。つまり、出撃。着任の挨拶もそこそこに、部屋へ数少ない私物すら運び込まないまま。金剛は驚きこそしなかったが、その急展開に少しばかり興奮を覚えた。恐らくそれは、本来自分が果たすべき使命を前にした、『軍艦』としての性なのだろう。
(それにしても、『オレも出る』ってドーいうこと?)
ただの人間が出撃するということなのか、と首を捻った金剛。人間には艤装を操る能力はない。海を奔る能力もない。つまり、戦う方法などない。それがわかっていないで提督をやってはいないだろう。であれば、なおのこと金剛には意味が分からなかった。
『金剛さん、着任してたんですね。人違いが荒くないです?』
「新人の練習航海には丁度いい。『ふせまちづき』、F型で頼む」
『りょーかいしましたっ。不知火ちゃんには準備させますから、五分下さい』
二人だけで通じる会話はそうして終わり、少々耳障りな音と共に、スピーカーは沈黙する。
(さて、私はトークから置いてきぼり。提督、イントロダクションはあるノ?)
金剛が投げかけた目線には黙して答えず、真田はさっさと身支度を始めてしまった。とは言っても、最初から支給のツナギ姿だった彼。椅子へと掛かっていた上着を肩掛けにして、準備完了。
真田は背中越しに、金剛へ笑い掛けた。
「じゃ、行こうか金剛」
どこへ? 当然、海だ。
なにをしに? もちろん戦闘だ。
真田は何をする? ――さっぱり、分からない。
取り敢えず金剛は黙って頷き、歩き出した真田の背中を大人しく追うことにした。
四.
「ヘィ、提督? 見た所その小舟は、
半ば倉庫のようなハンガーで艤装を身に着けた金剛だったが、彼女が港に出て目にしたのは、小さな漁船のような船で出港準備をする真田、そして駆逐艦・不知火の姿だった。
もやい綱を解いた真田が、目線だけを金剛に寄越して言った。
「深海棲艦には牽制程度にしかならないが、機銃も使いようだぞ。でかい艦隊規模の出撃なら、艦長や乗組員もちゃんと手配して、裏の港に留めてある中型の護衛艦で行くんだけどな」
「オゥ、あれですか。来る時にチェックしました」
「お前の慣らし運転の付き合いってことで、今日はこの小型の『ふせまちづき』だ」
「
真田の後ろで小さな山になっている網を指した、金剛の次なる疑問。
「これは見ての通り漁網だ。ま、漁もするからな、この船。大漁旗はあいにく用意してないんだが」
さも当然という真田の答えに、金剛は頭痛を覚えた。疑問への答えは彼女が求めるものとズレていて、金剛にはそれが真田の意図したものかどうか図りかねていた。
金剛は回りくどく考えるのを止め、真っ向勝負で行くことに決めた。
「じゃ、
人間の手で、深海棲艦に傷をつけることはできない。少なくとも、金剛が持っている知識の中では。戦う術のない人間がうろつくことに、金剛は一切のメリットを見い出せなかった。むしろ守らなくてはいけない対象が増えることで、自分たちの動きが阻害される可能性のほうが高い。
金剛は冷静にそう考えたが、真田の答えはあっさり、しかし比較的説得力を持って彼女に届いた。
「戦況に対応するとか、理由は色々あるが……何より一番は、速やかに
「撤退?」
「基本となる作戦目標の達成とは他に、可能な限り客観的に戦況を分析して、必要なら回収作業を伴う撤退の算段を組み立てる。作戦行動全体を統括する指揮官が、迅速な判断を求められる仕事だ。近海の哨戒なんかだと、さすがに旗艦に任せる場合もあるけどな。オレも分身できるわけじゃないし」
真田は、説明もそこそこに、耳へ取り付けた通信用インカムの電源を入れる。
「それは、そう言われれば
船のエンジンが唸りを上げ、港からその身を引き剥がした。不知火は船から海へと飛び降り、金剛は優雅に岸壁の階段を下りる。寄せる波は穏やかで、金剛は静かに身を海へと浮かべた。
少し先を進み始めた『ふせまちづき』に船足を合わせた金剛。通信機を通して、真田の声が届く。
『慣れないうちは鬱陶しいかも知れないが、お前たちを沈めないために必要なことだ。ヨソはどうしてやってるのか知らないが……オレは、少なくともずっと以前からそうしてる』
金剛は、真田の言葉にほんの少し、違和感を覚えた。言葉尻と、彼の言葉に隠れた熱に。
「
『……ああ』
金剛は事前に受けていた、着任地についての概要説明を思い返す。
(……スタートから半年の鎮守府で、『ずっと』?)
さりげなく漏らした真田の言葉には隠された何かがあったように、金剛は感じた。しかし彼女はまだそれを簡単に口にすることはしない。オンナには時に駆け引きも必要……そんな言葉が金剛の脳裏へと勝手に浮かんでは消える。
一方の真田は、うっかり口にした言葉を後悔していた。表情の見えない船の上で良かった、と安堵はするが、油断もしていない。オンナの勘が恐ろしいことを、彼はよく知っている。
港を出てからしばらく続いた沈黙を、少し吹き始めた海風が吹き飛ばす。『戦艦ならば、駆逐艦など敵射程外からの一撃で倒せる』。そんな理屈の話は、海の上では通用しない。
「この
『外海での訓練でやってるだろ。アレの的がデカい版だと思えばいい』
「そんなことは分かってマス」
天気晴朗なれど、波高し。
鎮守府の建物が島陰に見えなくなった頃、静かに金剛を先導していた不知火が口を開いた。
「司令、そろそろよろしいのでは」
『こちら真田。了解。敵艦は?』
「電探によると、間もなく会敵。ソナーのほうもようやく引っ掛かりました」
『了解した。金剛のサポート、頼んだぞ。後はいつも通りだ。座標データのリンクを忘れるな』
自分をヨソに話を進める二人。金剛は少々むっとした。どうも今日はこの流れが多い。
「不知火、任務了解。……金剛さん、旗艦としてご命令を。不知火、指示通りにサポートします」
不知火の向こうでは、真田が漁網を海に放っている。金剛は呆れた。戦闘に来たのではないのか。
(……ウゥン。なんだか、ちょっと先行き不安デース……)
真田は仕込みが終わったとばかりに、手を金剛に振り船を発進させた。肩を落とした金剛だったが、電探カチューシャから届いた知らせは、彼女をその使命へと立ち戻らせる。
「! ……敵艦、見ゆ!」
同時に呟いた不知火の目線の先、波間の向こうに黒い巨体がその一部を覗かせていた。
深海棲艦、駆逐イ級。その巨体は鯨などを思わせる。無論、砲や魚雷の威力は体躯に見合ったもの。決して油断はできない相手だと、『戦艦金剛』の本能が教えている……『艦娘』金剛は、そう感じた。
(でも、問題ナッシン。このカラダが覚えてマス。私の連装砲四基八門、このコたちをどう使うかを。このコたちが何をできるのかを……どうやって相手を倒すかを)
金剛の中で息づく『戦艦金剛』の記憶。それらと艤装の感覚がしっかりと繋がっていること。それを金剛は、艤装のアームの動きや主機の唸り、そして砲門の照準を合わせることで確かめた。
「それじゃ不知火。レッツ・スタート!」
「数はまだ確認できていません。まずは様子を見ましょう」
「オーケイ。
「了解。先に前へ出て来た相手の足を止めます」
海に網を投げ込んだ後は、戦場から距離を取っている真田。金剛は彼へと呼びかけた。
「ヘイ、提督! 私のファースト・バトル、しっかりチェックしててよネ!」
『心配するな。特等席で見物しといてやる……お、掛かったかな』
言葉とは裏腹に、こちらの戦いなど気にしていないような彼の声に、金剛は溜め息一つ。
「金剛、行きマース!」
そんな彼に金剛型一番艦の実力を見せてやるべく、金剛は初の実戦、戦闘機動へと入った。
五.
荒れ始めた波の合間、金剛と不知火の前に敵駆逐艦が姿を見せた。数は三隻。
「不知火、一隻お願いしマース!」
「了解です。左を逸らします……そこっ!」
不知火の連装砲、牽制射撃と共に、ほぼ並んで前進していたイ級たちは左右に分かれる。
(ストレートすぎて面白くないケド、私のファーストステージには丁度いいデース)
金剛はやや大きく回り込み、砲の照準を敵駆逐艦へと向けた。きりきりと音を立てて砲塔が回転し、砲身は仰角調整を行う。イ級など低ランクな深海棲艦たちは、基本的に大した連携をしない。統率する上位の艦がいる場合は別だが、そうでなければ本能に任せた直線的な動きしかしてこないのが普通だ。
狙い、よし。金剛は自身の奥底から湧き上がる感情を、ただ一声に載せた。
それは、歓喜。
「全砲門……」
再びこの世に生を受け、軍艦としての使命を全うする。
人の身を手に入れて、艦娘としての新たな命を全力で生きる。
かつて志半ばで散った自身、そして自分と共に戦った多くの人たち、その想いを受け継ぐ。
「――ファイヤァ!」
使命を果たせる喜びが爆ぜる、その一撃。爆煙と共に響く轟音。周囲の海水を衝撃で円形に押し潰し、金剛の連装砲から砲弾が放たれた。
一番二番が共に命中。爆煙が上がり、断末魔と共にイ級の一隻は沈んで行く。
「全段ヒットは逃したみたいネー。……ネクスト、リロード!」
至近弾で傷ついた箇所が見てとれるが、残ったイ級はまだ元気に向かってくる。仰角調整が甘かったのか、波の影響か。いずれにせよ、次で仕留める決意を固めた金剛。装填を終えた連装砲を調整する。
「一番、ファイア!」
咆哮と共に開口部から主砲を放つイ級。金剛はあっさりその射線を躱し、狙いを定めた一番砲塔から必殺の一撃を見舞った。すれ違いざまに発射した主砲弾は今度こそ敵を捉え、その威力を解放する。
「イエース!」
イ級は水中に没しながら爆発し、青い光を散らす。二隻撃沈だ。
その姿を横目で捉えていた金剛へ、不知火の鋭い声が通信で届く。
『金剛さん! 四時方向、雷跡二つ行きます! ……いえ、追って更に二つ!』
「シット!」
『そのまま行けば正面に岩場があります。後続の二本はそれで回避を!』
「言われなくてもやってマース!」
不知火からの通信もそこそこに、金剛は初撃を躱す。放ったのはもう一隻のイ級だった。
金剛はさらに航跡を水面に刻んで、水中に潜む岩場の上を滑った。敵の魚雷はそこそこの誘導性能を持っており、その標的は間違いなく金剛。
「ひとーつ!」
一発が金剛の後方で岩に当たり、爆ぜる。残ったもう一発は金剛の主砲が捉える。
「ふたーつ!」
金剛の主砲弾は、水面への落着で魚雷を誘爆させた。本来は副砲を使う対処がセオリーだが、そこは初陣のテンション。無事に回避した金剛は、残り一隻を視界に入れようと反転した。
「!」
直後、さらに自分へと向かう雷跡が目に入り、金剛は思わず笑みを浮かべた。
(フフン。メイビィ、連中もただのおバカさんじゃないみたいデース)
金剛は躊躇なく、魚雷へと真っ直ぐに突っ込んだ。
「不知火、付いて来て下さいネー!」
『金剛さん』
「さぁ…… 一番、ファイア!」
金剛は、右舷側の一番だけを発射する直前、踏み込まずに左足に重心を置いた。艤装の能力によって、艦娘は海上で
「レッツ、ダンシーング!」
金剛はそうすることで、『踊った』。主砲発射の勢いを殺さずに、軸の左足を中心に体を回転させる。コンパスのように伸ばした足をブレーキ代わりにして、鋭角に進行方向を変えた。
『この動きはまるでスケート…… 確かに我々の機動は、水上スケートとよく揶揄されますが』
「フフン。英国ではジョーシキネ」
『嘘はいけません』
「バレてましたか」
金剛のダンスは続く。弾丸を使い過ぎだ、そこまでの動きは必要ない、そんな無粋な言葉は、不敵な笑顔の金剛には似つかわしくない。少なくとも、彼女を見守る不知火はそう考えた。
「四番! ファイア! ネクスト一番!」
金剛は水上にジグザグの航跡を描きつつ、不知火と敵駆逐艦を挟む起動に入る。初主演で長々と踊り続けた、ダンスのフィナーレを決める時がやってきたのだ。
船足を上げながら、どうやら意図を的確に読んでくれている相棒に声を掛ける金剛。
「不知火! 水面に上げてくれマスかー」
『……了解。不知火、トス上げます』
言うが早いか、軌道修正した不知火はイ級の喉元に魚雷を一発。炸裂した火薬が水中で派手に爆発を起こし、水柱と共に水上へ顔を出す。
金剛の戦闘機動は迷いがない。不知火のアシスト、周囲の海流や風を読み切っている。
『な……跳んだ、まさか金剛さん!』
「私の初陣。……
波を使っての大ジャンプ。金剛は魚雷による爆発で赤く変色した敵駆逐艦の背中へと『着地』した。三番と四番の砲塔には、装填されて準備万端となった砲弾が出番を今かと待っている。
金剛は、それを容赦なく解放する。戦艦・金剛の力、三百五十六粍連装砲。自分と同じ大きさになってはいるが、そこに込められた威力は昔と変わらない。
「グッバイ♪」
別れの挨拶と共に、敵駆逐艦の背中へとめり込む砲弾。それは数瞬の後に持ったエネルギーの全てを解放し、哀れな深海棲艦を海へと四散させた。
金剛は発射の反動と共に素早く敵の背を蹴り、炸裂した爆風を受けて空中を舞う。
「初陣で、随分と無茶をなさいますね……」
「不知火、サンキューデス! 見事なフォローでしたネ。とっても助かっちゃいマシタ」
「いえ。これぐらいはいつもやっていることですから」
空中で身を返し、着水した金剛。そこに不知火が寄せてくる。実際の所、着任初日にここまで連携が取れると思っていなかった金剛は、嬉しい誤算を共に分かち合うべく、不知火に手を差し出した。
金剛にとっての仲間との初ハンドシェイク、不知火とならばなにも後悔はなかった。
「金剛さん、お見事でした。流石は金剛型一番艦。不知火、感服しました」
「ノンノン、あなたの見事なサポートのお陰デス」
金剛と不知火が笑みを交わす中、いつの間にか真田の『ふせまちづき』が近付いてきた。
『金剛、不知火、ご苦労さま。二人とも見事な連携だったな』
「フフン。これぐらいは当然デース」
『ここらは海上交通の要所でもある。これから金剛にも掃除はやってもらうから、覚えておいてくれ』
金剛は偉そうに言ってくれる真田へジト目を送る。どうせ船の中だから見えはしないと、軽く舌まで出してみせた。初陣をロクに見てもらえなかった不満ぐらいはぶつけても許されるだろうと。
「そういう提督は、私たちのバトル、ちゃんと見てたノ? 随分ビジーだったみたいだケド」
撤退の判断がどうのと言っていたのを思い出し、金剛は少々の抗議を込めてそう言った。
『しっかり見てたよ。忙しかったのは……ま、お前たちを守るため、とでも言っておくよ』
しかし金剛の言葉に、彼女の提督は平然と笑って返した。
「不知火も私も、きっちり任務を
『おいおい、ちゃんと見てたぞ。主砲無駄撃ち……もとい発射による変則的な機動、不知火との見事な連携。シメの主砲
金剛は思わず目を瞬いた。意外にもしっかりと戦闘の内容を把握していた彼に対して、驚きと称賛を込めて。しかし彼の言う、『守るため』というのは今一つ分からなかった。
しばし唖然とした金剛だったが、ひとつ疑問を抱く。近寄って来た真田の船、『ふせまちづき』は、速度を一切緩めていない。いや、むしろ少しばかり荒っぽいぐらいの操船で周囲を回り続けている。
「提督、随分ワイルドなお散歩デスね」
なにをしているのか、という皮肉交じりの言葉に、真田は答えない。面白がっているようだ。
『不知火! そろそろいいか。深さは七、ワイヤー長十二だ』
「! 申し訳ありません。不知火、任務了解」
真田の言葉に、彼から受けていた指示を思い出す不知火。金剛から少し距離を取ったところで、艤装に取り付けた爆雷投射機が動作、数発の爆雷を海面に放った。
「深度七に調整済みです。いつでもどうぞ、司令!」
軽い水音と共に水中へと没した爆雷。真田の操る船は、その少し手前で船足を一杯に上げる。
『金剛、少し離れろ!』
混乱する金剛を置き去りに、真田と不知火は何かを進めている。船の甲板、巻き取り式のワイヤーが後部から海中へと伸びていることに、金剛は気付いた。
(あれは、フィッシングじゃナイ?)
金剛が理解した直後、海中で爆雷が炸裂する。爆破に乱れる水面を遠目に、不知火が息を吐いた。
「不知火、任務完了。……なのです」
「……これも、今回のミッションの一つ
不知火に合わせて電の口調をマネた金剛。事情が呑み込めないなりに、事実を受け止める。
金剛の目線の先、派手な水柱が上がった辺りに、深海棲艦と思しき艤装の破片が見て取れた。
「……あれは、サブマリン・タイプ……?」
停めた船から回収用タラップを出しながら、真田は金剛へ通信を飛ばした。
『港辺りからずっとお前のケツを追っかけてたから、特製の対潜網に絡めて動けなくしといたんだ』
真田の言葉で、金剛は全てを悟る。彼は海域へ到着した時点で網を落とし、金剛たちの戦闘中は網に掛けた敵潜水艦をずっと引き摺りまわしていたのだということに。
「提督、ずっとアレの相手をしてたのデスか」
『さっき言ったろ、お前たちを守るためにって。多分、お前がウチへ来る時に尾行られてたんだろう。新人っぽいのを狙う、よくある話だ。ソナーも無しじゃ気付きようがない』
「だったら言ってくれてもよくないデスか? 隠しごとはノーなんだカラ」
『お前以外は確かに全員知ってたな。島近くの対潜センサーに引っ掛かったあとロスト。タイミングを考えたら、狙いは着任したてのお前だけだ』
「隠してたのは……私が
『ああ。初陣ぐらいは後ろを気にしないで戦って欲しかったんだ。おかげで、お前のおテンバっぷりもよく分かった。なかなか乱暴な舵取りで苦労しそうだなぁ』
金剛はタラップをゆっくりと上がり、甲板で出迎えた真田と対面した。
(……オゥ。これは、いけまセンね)
真田の顔を見た瞬間、金剛は先程執務室で抱いたのと同じ感覚が蘇っていることに気付く。
(隠しごとされて、でもそれは私をチェックしたり、ガードするためで……)
建造されたばかりで経験の浅い自分。多少回りくどくても、そんな自分に対して気を遣ってくれた。その事実が、真田に対する感情をじわじわと暖かいものにしていく。ファーストコンタクトが悪ければ悪いほど、後からひっくり返す効果は強く出て来るだろう。狙ってこれは始末が悪い。
金剛は確信していた。この男は、間違いなくやり手だ。しかも、男女の機微を分かっている。
「さて、金剛」
「は、ハイ」
そうしてまだ体勢を立て直せていない金剛へと、真田は……いや、金剛にとっての『テートク』は、彼女にトドメの一撃を見舞うべく言葉を続けた。
「今日見せた通り、ただの人間にも出来ることはある。そしてオレは、それを持ってお前たちを全力で守る。だから、その分……オレが直接できない戦闘に関しては、お前の働きに期待してるからな」
そう言って手を差し出した真田の笑みは、金剛の中に炎を点すのに十分な熱量を持っていた。
どこか夢うつつのまま、真田の手をそっと握り返す金剛。
(
身勝手に自身の感情へ言い訳をした金剛は、精一杯の反撃を試みる。
「分かったヨ、
「覚えておく。さあ、帰ってメシの支度をしよう」
「不知火、今日はカレーがいいです」
「フライデーはカレー、これは決まりごとデース」
「司令。今週は食堂のお姉さんが風邪でお休みです。つまり、好きなカレーを作り放題です」
「ああ、あの関西弁の……じゃあ、帰ったら久しぶりに自炊といくか。みんなで」
「不知火はリンゴとハチミツを所望します」
不知火が船のタラップを上げながら献立に口を出し、真田は彼女の頭を撫でて操舵室へと歩いて行く。無事に新人の初戦を終えた安堵感が、小さな船に満ちている。金剛の初出撃は間違いなく成功だった。
背部の艤装を外した金剛は、何となく真田の背中を追った。
「金剛」
背後に金剛がやって来ることをわかっていたかのように、真田は静かに彼女へ語る。
「一つだけ約束してくれないか」
「ホワット?」
「無茶は、するな」
真田は振り向かず、ただ短くそう呟いた。
「……オーケイ、分かってマス。テートク」
それが戦闘での振舞いを見てのものだったのか、別の意味があったのか、金剛には分からなかった。ただ、その時の真田の声。計器を見つめる彼の瞳。そんな彼の背負った雰囲気が、どこか深い悲しみを帯びていたのを、背後から覗き見た金剛は見逃さなかった。
(……テートクが抱えているものは、どうやらとっても重そうデス)
一体それが何なのかは、これから突き止めていけばいい。金剛は勝手に決意した。第一艦隊の旗艦となったからには、いくらでもそのチャンスはあるはずだと。
(まずは、彼のことをもっとよくチェックしないとネ)
敵を知り味方を知れば、百戦危うからず。
金剛は海風に火照った顔を冷やしながら、これから始まる戦いへと思いを馳せるのだった。
◇ ◇ ◇
海は凪いでいる。月に照らされた波が光る様は、まるで生き物のよう。
左手には、あまり馴染んでいない弓がある――が、そんなことはどうでもいいことだ。私のやりたいことは、これさえあれば問題はない。
足踏み。
――『海』に立ち、波を踏む。私には元より出来ていたこと。
胴造り。
――穏やかな波は、踏み締めた足を静かに揺らそうとする。
弓構え。
――体が覚えている。それに、今の自分には――その記憶を引っ張りだすことも容易い。私はただ、教えられた方角へと物見を定めた。ミザールの後ろにアルコルが透ける。
打起し。
――掲げた腕は万歳とは違う。これからお前を狙う、という宣言。
引分け。
――下ろす腕に力が入るが、今までと比べ物にならないほど楽に引ける。これも、目覚めたせいか。
会。
頬に感じる風が収まるのは、恐らく数秒後。それが感覚として分かることに、私は満足を覚えた。
そう、私は――覚えている。
そして、離れ。
私が放った矢は勢いよく空を裂き、数秒後にその姿を変えた。
行くがいい。
私が欲しいものを、私が求める人を、私の前へと連れてくるために。それが、私とお前の役目だ。
空を見上げて、いつの間にか満足気に笑った私を見たらしい。哄笑としか捉えられない声が響いて、私はふと自分を取り戻す。
いいや……自分とはなんだ。
ここでこうして空を見、海に浮いているのは誰だ。私以外のなにがあるというのか。
ああ……
そう――気を抜くと忘れてしまいそうになる。
彼の中にある
胸の奥からじわりと染み出す苦み。抱いた高揚とは裏腹なそれに、私は知らず舌打ちをしていた。