一.
『桂提督。既に作戦の予定行動時間を過ぎています……現地に動きはありますか』
泉浜第二艦隊の旗艦・比叡から今日何度目かの確認をされて、その人物は護衛艦のCICでため息を吐いた。
桂悠一提督。敵地へと突入する真田から、第二・第三艦隊を預かっている。
(預かったまではいいが、人んちの艦娘を指揮するのがここまで大変だとは)
無論、相性もある。彼は人柄こそ血の気が多いが、作戦の指揮に於いては真逆。慎重に慎重を重ね、繊細に目標を目指すタイプの指揮官で、突っ込みがちな泉浜の霧島・比叡とは相性が悪かった。
「こちら桂。作戦本部から、まだ空爆の指示は出ていない。準戦闘態勢で待機せよ、のままだ」
『先ほども同じ答えでした。真田司令からは、何の連絡もないのですか』
「ない。というか……そもそも通信圏外からどうやって連絡するんだ。俺たちが動くのは、本部からの空爆指示があった時だけ。それ以上の行動は許可されないし、それが役割だ」
敵地に潜入した指揮官や姉妹艦、仲間たち。その安否が気になる比叡たちの気持ちは痛いほどわかる。しかし、仮にも軍隊で独断専行は許されない。まして、状況も分からない場所に突っ込むなどと。
『ですが……このままでは、真田司令やお姉さまたちが』
「ん――少し待て」
なおも食い下がる比叡との通信を桂に止めさせたのは、横から差し出されたタブレット端末。ごつい指が画面を滑ると、そこに表示されたのはメッセージだった。
差出人は、今回の作戦における全軍指揮を執っている川西中将。
「おい、これ――」
桂はそこに書かれた文字に眉を顰める。危うく声に出して読みかけて、桂は通信回線がオンラインのままであることを思い出した。
「桂より第二艦隊・比叡。一度通信を切って、秘話通信回線を開けるか」
『秘話通信? ――了解しました。すぐに』
桂は比叡との通信に暗号化ロックが掛かったことを確かめて、声のトーンを下げた。
「比叡――空爆は中止だ。そもそも、この作戦は空爆なんか予定されちゃいなかったんだ」
『どういうことですか』
「俺たちの作戦内容は全部相手に漏れてる。俺たちが空爆を仕掛けても、現地では大量の戦闘機が迎撃準備中だ。敵泊地は落とせず作戦は失敗、真田は敵に捕まってお終い……これが敵の狙いだ」
『そんな……! それじゃあ、私たちは……真田司令は何のために!』
桂も本来、真田の扱いに対して怒りは収まらない。しかし今の彼は作戦の指揮官で、仮にも真田から艦隊を預かった身。自分が冷静さを失っては元も子もない。
「――落ち着け」
一度大きく息を吸った桂の声に、通話先の比叡は目を瞬かせた。
「真田は元々、自分が囮になるつもりで今回の作戦に挑んでる。この後、夕張が敵の通信を十数分だけ無効化させる工作を行う。その間に、揚陸部隊が第二次空挺降下を行って敵の中枢を占拠……敵主力を叩き潰す。それが、今回行われる本当の攻略作戦、メインパートだ」
『十数分……随分短いですね』
「技術的にはそれが限界だったんだろ。だから、かなりタイミングはシビアだと思うが……うん?」
桂は、空挺降下を行う揚陸部隊のリストに見知った名前を見付けた。
「御影……アイツのところが行くのか。確かにあきつ丸なら揚陸作戦のプロだが――」
疑問を口にした桂に、比叡は別の疑問を投げかける。
『揚陸部隊が乗り込むとして、その部隊への合図はどうするんですか? 通信は出来ないんですよ』
「――ああ、書いてあるな。通信による通知は困難なため、現地にて照明弾を使用する……とさ」
『それって、あんな感じのやつですか』
比叡の言葉に、桂は外部モニタへ目をやる。確かに通常の照明弾とは炎色の違う、やや緑が掛かった照明弾が小さく空に輝いていた。
「あー。多分そうだな。緑って書いてあるし」
『そーなんですか』
「そーなんですぅ」
瞬間、桂はタブレットを叩き割りそうになった。
「って! もう開始かよ! よぉし待て……ウチへの作戦指示はなんて書いてあるんだ、どこだ」
言葉とは裏腹な繊細さで、桂がタブレットを手繰った。傍らに立った赤城が横から指でスクロールを止める。赤城は彼の秘書艦であり、頼れるパートナーでもある。
「ここです――恐らく敵の水上部隊進出が予想されるため、夜間戦闘装備にてこれを迎撃、殲滅せよ。会敵しない場合は、そのまま敵泊地を包囲するように――ですか」
「分かった。おい比叡! 出番だぞ、泉浜艦隊出撃準備! 赤城、俺の全艦隊にも通達!」
桂の横で赤城が通信機を手に取った。桂の受け持つ艦隊、その航空部隊への指揮は彼女が出している。
「発『かんなづき』、桂配下の空母艦娘に告ぐ。これより、主力艦隊が夜間戦闘に入ります」
空母艦娘は、一度飛ばした艦載機を戻す必要性から着艦の難しい夜間は艦載機を飛ばさない。しかしあくまでそれは、艦娘だけで洋上に出た時の話。
「各空母艦娘は『かんなづき』甲板へ。着艦の補助に『かんなづき』の誘導灯を使用します。直掩機でカバーするのを忘れないで下さい……甲板の特海隊員は、至急着艦準備を!」
艦載機たちが戻ってこられるならば、夜間発着による作戦行動は可能。それを目的とした誘導灯が、護衛艦には設置され機能している。
人間は決して、艦娘に頼り切りではない。
対特殊海棲生物海上防衛隊は艦娘を支援し、艦娘と共に戦うためにある。直接戦えなくとも、艦娘の戦いを支え、助けることならいくらでも出来る。それが、設立当初から変わらない姿勢だ。
本来、深海棲艦に対して無力なはずの人間。それでも、やり方次第では大きな戦力となれる。
「真田たちだけにいい格好させねぇぞ。人間の底力、見せてやろうぜ!」
ふと、赤城は自軍のレーダーから三隻の艦娘が消えるのを見た。
(あら……特に戦闘中ではなかったはず。なら、意図的なものと見るべきかしら)
配置からして、所属は泉浜。
(――進軍中、落伍による通信途絶。一時的に指揮下より離脱――ということにしておきましょう)
先ほどまで表示されていた光点が、泉浜の
二.
真田は、夢を見ていた。
砂浜に打ち上げられたような状態で、空を見上げて寝転がっている。
(これは……血か?)
どうやら怪我でもしているらしい。体のあちこちから血が流れている。なんとなくそれが夢であると自覚しながら、彼は呆然とその様子を見ていた。
ふと、真田は気付く。
流れているのは、血液ではないのではないか。何故なら――。
(青い。真っ青な……まるで、海の色みたいな)
体から出ているのは、青い液体だった。これが血であるなら、真田は人間ではない。夢にありがちな妄想だろう、と納得しかけた真田だったが――。
(あれは……誰だ。ここにも……)
ふと横を見ると、同じような状態の人間たちが他にもいた。ずらり並んだ彼らは、真田と同じように皆、体のどこかから青い液体を流していた。
真田はその人物たちに見覚えがあった。
桂、御影――旧知の提督たち。
作戦の総指揮を執っている川西中将。
他の顔も、どこかで見たことのある人物――その全てが、提督だった。
(提督が……血を流して……?)
何故提督の血が青いのか。夢だからか。夢の中ですら、真田の意識は揺らぐ。
その時、真田の中で一つの疑問が蘇った。
(『提督』は……何らかの条件で選ばれている……)
特海の提督は試験によって選抜される。少なくともそれが『表向き』の構造。学力、身体能力、指揮能力……或いは、それ以外の
なにか、とは。
(『提督は海に呼ばれる』……これは、誰の言葉だった……?)
海。艦娘。深海棲艦。それらと本来、何の繋がりもないはずの提督。しかし提督は、艦娘と何らかの繋がりを持つことが出来る。それは絆、という言葉にしてしまえば簡単な話だ。
(提督は……ひょっとして……)
人間ではない。或いは――。
(もう、人間ではなくなっている……?)
真田は、自分の身体から流れ出す青い液体を海に浸した。
(ああ――)
青は海に溶けて、すっかり見えなくなる。まるで元から同じものだったように。
自分の抱いた疑問までもが溶けてしまったようで、真田はどこか安堵する。
自分の全てが、海の色に溶けても――。
(それでも……オレは……)
その瞬間、真田の周囲がまるで砂のように崩れ去る。世界が消えていくような感覚の中。
真田は、声を聞いた。
『――幸一さん』
彼を呼ぶ、誰かの声を。
二.
時間は、洋上で艦隊が行動を始める前に遡る。
「ちょっと、夕張ちゃん。聞いてないんだけど?」
龍田は何とか、その一言を絞り出した。爆発、炸裂、大小さまざまな石がはじけ飛ぶ中。
「ごめんなさいっ。今はとにかく、この攻撃を凌がないと!」
まるでトーチカに籠城するような状態。天龍と夕張……そして二人を探し当てた龍田は、上空からの猛攻に耐えていた。どこからか発艦した敵艦載機の爆撃が、岩山の三人を襲う。
天龍が主砲の一撃で敵機を落とす。既に片方の主砲弾は使い切り、今は残った一門で凌いでいる。
「夕張、このままじゃ持たねぇぞ。他の手を考えねぇか」
夕張が頑なにこの場所を離れないことには理由があった。何故なら、彼女の手には真田から渡されたとある装置のスイッチがある。これを持ったままでは、彼と距離を離しすぎるわけにいかない。
機銃で敵機が火花を散らした時、夕張はふと気づいた。
「――龍田さん、お願いがあります。天龍さんと、このケースを持って逃げ回ってくれませんか」
光るアタッシュケースを示した夕張に、龍田は目もくれず言った。
「自爆はちょっと勘弁して欲しいかなぁ」
夕張の『仕込み』の詳細を知らない龍田には、その中身が一体どんな物騒なものであるかの想像すらつかなかった。少なくとも、泊地もろとも吹き飛ばすぐらいの威力がなくては戦局の打開などできない。
落ちて来た爆弾を切り捨てて、天龍は龍田と背中を合わせた。
「夕張。そいつがどういうものか知らないけど、そう言うからには持ってても大丈夫なのか」
「ええ。ただ、屋内で発動させた時の信号の広がりに不安があるの。屋外じゃないと駄目……それに、無事に発動したことを知らせなきゃいけないの」
「どうやって」
「この照明弾。色が特殊だから、これを打ち上げれば……きゃっ!」
近くに落ちた爆風で怯む夕張に、龍田は手を差し出した。
「貸してくれる? 要は、あなたの仕込みが発動した時に照明弾が上がればいいんでしょ。天龍ちゃんだけだと荷が重いけど、私が一緒なら出来るわ」
大きく息を吐いた龍田。夕張から照明弾とケースを受け取り、夕張の背を押した。
「真田クンが危ないんでしょ、多分。行ってあげて」
大した事情も説明できないまま、状況も共有できないまま。しかし、龍田はあっさりとそう言った。
泉浜で共に戦った仲間である夕張のことを、信じていたからだ。
「あなたがそう言うんだから、これもちゃんと効果を発揮するし……私たちも無事なはずよね」
夕張はただ、強く頷いた。
「発動直後、敵の通信が一切使えなくなるの。効果は十数分。それに合わせて、空挺降下が始まるわ」
「ふぅん」
それだけ聞けば、龍田には十分な答え合わせだった。
(――確か真田クン、飛行艇が狙われた時……持たなかった、って言ったわね)
敵を欺くには味方から、とは言うものの。
「まぁ、あの人が色んなコからぶん殴られるのは自業自得よね……夕張ちゃん、行ってちょうだい」
「分かりました。発動は十五分後にセットしています。私は戻って、提督を助けて来ますから」
どこに連れて行かれたかは定かでないが、少なくとも元の潜入ルートから行ける場所には違いない。夕張は打ち尽くした機銃と、大破した左舷側の艤装をその場に放り捨てて、走り出す。
「夕張ぃ! あのバカ頼んだぞ。こっちは任せろ!」
「お願いします――発動したら艦載機も使えなくなりますから、うまく切り抜けて下さい!」
夕張の姿が岩山の斜面に消えてから、龍田は天龍に呼び掛けた。
「天龍ちゃん。どのぐらい持つ?」
つまり龍田は、時間まで島を逃げ回る気はさらさらなかった。夕張の仕込みが何なのか知らないまま、きっちり発動までをこの高台で凌ぐつもりでいる。
龍田の言葉に、天龍は笑って答えた。
「三十分ぐらいなら余裕かな。それ以上はちょっと厳しい」
「あら、どうして?」
「もうすぐ夕飯の時間だろ? 腹減っちゃってさ……帰ったあとの焼き肉パーティに向けて腹空かせておきたいんだけど、正直持ってきた非常食を食べたくて仕方ないんだよな……ううむ、参った」
「女の子が笑って言うことじゃないわねー」
不敵な笑みの天龍に、龍田は安堵する。
ああ、姉妹艦というのも悪いものではない、と。
「一緒に戦うなら、これほど心強いものってなかなか無いものね」
最後の弾薬カートリッジを天龍に手渡して、龍田は空を見上げた。
三.
「お目覚めか。随分うなされていたようだが、ベッドが変わると寝れないのか」
「――まさか。陸自出身者にそんなことあるわけないでしょう」
横目になんとか星空を見上げた真田は、横合いから掛けられた声にそう返した。
「今になって懐かしむ気はないが……相変わらずということか」
「佐伯さんが想像してる通りですよ」
「日本人……いや、人間はそうそう変わらんだろうな」
真田は、佐伯の皮肉には答えない。静かに身じろぎした彼は、すぐに自分がどういう状態かを知る。
(拘束は、手だけ……まぁ、足が縛られてようが今さら変わらないな、これじゃ)
後ろ手に関節を固められ、砂浜に正座させられたような状態。加えて、何者かに抑え付けられている。肩を一本犠牲にすれば動けなくもなさそうだが、ただの人間ではその後どうしようもない。
場所は変わらず、彼らが『処刑場』と称した広い入り江だった。
(空母棲姫……他の深海棲艦は見当たらないが、背後に大勢……という可能性もある)
真田の目の前では、空母棲姫が空を見つめている。その表情は陰になって伺い知れない。
「一つお聞きしてもいいですか」
「内容によるが、貴重な
佐伯の言い回しを一瞬だけ気にした真田だったが、それよりは疑問を解消することを優先することにした。今さらじたばたしても仕方がない状況では、取れる一手の一つひとつが生命線になり得る。
そう。真田はまだ、生き残る気でいる。
「あなたが、深海棲艦たちの提督なんですか」
真田は暗にいくつかの意味を込めた。彼が唯一の提督であるのか、そうでないのか。或いは、もっと本質的な問い……自分の意思で彼女たちに味方しているのか、と。
佐伯の答えはシンプルだった。
「私は『彼女』の提督だ。それ以上でも、それ以下でもない」
そう言って佐伯が示したのは、空母棲姫。自分のことを言われたと気付き、空母棲姫は微笑む。その笑みが、あまりにも加賀と似ていることに気付いた真田は、思わず目を伏せる。
佐伯の答えをそのまま受け取るならば、彼が深海側にいるのは自分の意思。そして、深海側の提督も一人とは限らない。彼のように、自分の意思で深海棲艦たちに協力する者がいる可能性もあると。
「――そうですか」
あまり期待はしていなかったものの、彼が『操られて』そうなったわけでないことに、真田は僅かに心を痛めた。そうさせるだけの何かが、彼にあったということを示していたからだ。
佐伯は、漆黒の外套を海風にはためかせた。
「では、私からだ――艦娘は何故同じ艦を元にした個体が複数いるのか、考えたことはあるか」
「……元が艦船の『魂』であるならば、それを元にした存在が複数いても不思議ではない……それが、艦娘でしょう」
「教科書通りの回答だな。だが、物ごとを説明してはいない」
抽象的な説明で何となく済ませるのは日本人の悪いくせだ、と佐伯は笑う。
「こう考えたことはないか。艦娘は、クローンであると」
「クローン……だが、建造と辻複が合わないでしょう」
「何もクローンというのは物理的、生物的なものに限りはしない。何かを元にして同じものを造り出すことをクローンと呼ぶのは何も問題がないだろう」
「ならば、魂のクローンですか。建造装置で出来た得体の知れない器に、魂のコピーを乗せる。それでこの世に艦娘が一人出来上がるってこと……」
ふ、と。真田は自分が口にした言葉で何かに気付く。その様子に口元を歪める佐伯。
「そうだ、気付いたな」
「コピーがいるならば……そこには元となる個体が、必ず存在する」
佐伯の言う『魂のクローン』が艦娘の成り立ちであるなら『元』となる個体が存在することになる。そして、それはかつて沈んだ艦船の付喪神もどきが分祀されている、などというより、あくまでひとの形を得た個体を丸ごと映したものと考えた方がしっくり来る。
「現在発見されているすべての艦娘には、クローンの元となる、言わば『オリジナル』の個体がいる。――艦娘『加賀』の元となっているのは、彼女だ」
佐伯の示す方には、空母棲姫が妖しく微笑んでいた。
「な……」
「正確には、彼女の元となった艦娘『加賀』だがな」
絶句する真田に、佐伯は楽しげな声を漏らす。明らかに真田の反応を愉しんでいた。
「島で聞いてきたな。彼女は加賀かと。半分正解ではあったわけだが……くく」
佐伯の口から漏れる哄笑。弱った真田の戸惑いや怒りを期待する佐伯の目は、不敵に笑う真田の顔に細められた。目の前の愚かな提督に求めるのは、嘆き悲しむ様だったはず。
しかし、真田はまだ笑っていた。自分はまだ折れてはいないと言わんばかりに。
「オレとしたことが、大切なパートナーを『テンプレート』と間違えるとは……提督失格だな」
その瞬間、空母棲姫から笑顔が消えた。佐伯は浮かんだ額の青筋を隠そうともしていない。
「クローン元の本体がどうであれ、別の器で動き始めた個体とはもう関係ないでしょう。元ある部分に身に着けていく経験や知識、思い出……それを持たないテンプレートとは、比べること自体が失礼だ。そうなった個体は、もはやコピーなんかじゃない。オリジナルですよ」
「随分な言い草だな。お前の言うことは間違っていない。だが、正確でもない」
「何……?」
佐伯はやや冷静さを失いつつも、真田から目線を外してはいない。
「お前が言う『テンプレート』に上乗せされた、下らないもの……差分のデータとでも言おうか。たとえそれが下らないものであろうがなかろうが……クローンのオリジナルは、その差分を統合し、吸収することが出来る……と言ったら」
佐伯の言葉に、真田は一筋の汗を流した。
「まさか、この一連で行方不明になった艦娘は……」
「それも外れだ。確かにオリジナルへの吸収は、艦娘を沈めて器を欠けさせることで行われる。記憶の収奪……分身でもあるクローンが得たものを求めるのは、深海棲艦となった『オリジナル』の特徴だ」
だが、と芝居じみた仕草で指を立てる佐伯。しかし彼の目線はどこか遠くを見ているようで、真田はその理由を図りかねた。それを考えるよりも先に、背筋を悪寒が走ることへ気を取られたからだった。振り向いた佐伯の瞳がねっとりと絡みつく。
「我々が欲しているのは、そんな中途半端なものではない。より完成形に近づくためのものだ」
「我々……あなただけでなく、深海棲艦として……と聞こえますがね」
「その通りだ。お前たちはひとつ、我々が踏み込んでいない部分へ手を伸ばした。その成果を、我々は回収しようとしている。海、いや世界を……人類という『絶望』から守るために」
敢えて『絶望』という単語を強調した佐伯は、そこで真田の背後を気にした。
(――何だ)
その仕草に真田が違和感を持った瞬間。
「そうだろう、『カガ』。深海棲艦としての姿を見せてやれ」
真田はようやく、ここまでずっと佐伯の態度が愉しげであった理由を知る。
そう、彼を背後から拘束していた者の正体に。
「たちの悪い冗談だったら……と思いますがね」
「ここで、冗談など通じるか? 私はお前ほど、人を馬鹿にした態度は取っていないつもりだ」
「舐めた態度のお返しにしては、趣味が悪いとは思いませんか……っ」
佐伯の仕草に、拘束が緩む。真田はゆっくりと息を呑んで、背後の人物を確かめることにした。
たとえそれが、佐伯の目論見通りであっても。
「――加賀、なのか……?」
分かっていても、真田はしばらく息が止まったように感じた。そこに居たのは、間違いなく半年前に沈んだはずの、泉浜鎮守府所属『IZM・〇一一』――彼の加賀だった。
しかし。艤装や道着だった部分が深海黒鉄に覆われた右半身。
まるで雪が積もったように白化した肌。
そして、生気無く真田を見つめる、右目だけが紅い瞳。
佐伯の言葉を借りて表現するならば、それは確かに真田の加賀ではなく、深海棲艦『カガ』と言うべき存在であった。
「久しぶり……なのかな、加賀」
真田の問いに、『カガ』は反応しなかった。
「妙だな、たった半年なのに……もっと長い間離れていたような気がする」
「………」
どう見ても言葉が通じているとは思えない。真田は分かっていながら、『彼女』へと語りかけずにはいられなかった。わずか半年。加賀を失ってから過ごしたほんの少しの空白であっても、真田は欠けた時間をそうして埋めようとするのを止められない。
無くしたものの大きさを考えれば、時間の多少は関係なかった。
「オレはこうして生きてるよ。まだ、何とか。……泉浜は、無くなったよ」
ただ紅い瞳に吸い込まれていくだけの空虚な言葉。
「忘れ物を届けに来たんだ、今日は」
真田は無造作にポケットへ手を入れ、そして何かを取り出す。
ちり、と鈴の音が鳴り、その一瞬だけ『カガ』が反応したように見えた。
「家内安全のお守りだ。二人で一緒に買ったのに、お前……あの日の出撃、持って行かなかったろ」
半ば押し付けるように『カガ』へとお守りを手渡した真田。
その姿に我慢できなくなったかのように、その場を哄笑が満たした。
「こいつは傑作だ……! お涙頂戴、なかなかのいい見世物だよ……」
佐伯が顎で示し、真田は再び拘束された。『カガ』の手にあったお守りは地面へと無造作に落ちて、真田は危うい所でそれを踏みつけないように苦労する。
「さて……真田、お前は『第五十三号』計画を知っているか」
「聞き覚えはないですね。回りくどくせず、もっと初見にも分かりやすい名前を付けるべきだ」
「陸自、海自出身者が中心の特海技術部で、密かに進められていたものだ。海にばかり戦力が割かれる現状を独自戦力の新開発で打開したいが、その能力はない陸側。技術力はあるが、年々増えていく設備投資に資本を圧迫されている海側。そこで、海側と陸側の利害が一致した」
「陰謀論がお好きとは知りませんでしたが……陸と海が共謀して秘密の兵器開発とは、風呂敷が大きくありませんか」
真田の軽口を軽く受け流し、佐伯は笑う。
「艦娘の建造資材に、深海黒鉄を加える。そうすることで、基礎能力だけでも通常の数倍優れた艦娘を作り上げる……ここまで言えば分かるだろう」
「……!」
それはまさに、真田が数年前に経験したこと。加賀の建造で起こった『事件』だった。
あの時、明石の背後に陸側が関わっていたことまでは調査で判明していた。しかし、そこに自分たち特海の一部も絡んでいたとなれば、引っ掛かっていた部分の回答が出る。
「加賀は、その実験台か……!」
「その通り……実験の成果が、お前の加賀や今回我々が確保した艦娘たちだ。彼女たちは皆、建造時に深海黒鉄を混入されている。しかも、
「あなたたちの目的は強化された艦娘たちを……いや、それだけじゃないな」
「ご明察だ。単に強いだけの艦娘などいくらでもいる」
単に強力な個体を求めるだけならば、鎮守府を襲う必要はない。彼らの計画には提督というパーツが絶対に『生きたまま』必要になるはずだった。真田の目線での問いに、佐伯は丁寧に答えた。
「彼女たちはとある特性を持っている。いや、思い出すと言ってもいい。元となったオリジナル同様に『差分』のようなものを求め、そして統合・吸収する性質をな」
しかし、という前置きと共に、佐伯は真田へ笑い掛けた。
「海に還って深海に堕ちた彼女たちが求めるのは、同じ艦娘の『差分』などではない。……お前たち、ケッコンカッコカリの相手……提督の知識、そして記憶だ」
「ま、さか……!」
ぞわり、と。佐伯の言葉に真田は総毛立つ。
「あなたたちは、艦娘に提督の能力を……!」
「そうだ! 縁を結んだケッコン相手との繋がり……その象徴であるケッコン指輪。深海棲艦となった艦娘の指輪を破壊することで、物理的なリンクが切れる。それを切っ掛けとして、あとはオリジナルの特性である、記憶の吸収が始まる――欠けた絆を、提督の記憶で強引に埋めようとするわけだ」
戦い、笑い、ひとと過ごした時間と記憶。『オリジナル』が求めるのは、沈んだ艦娘たちの歴史だ。オリジナルとは違う人生を生きたという証。或いは、オリジナルが歩まなかった別の未来。
しかし、今の『カガ』たちが求めているものは違う。
共に戦い、共に笑い、共に過ごした時間と記憶。その濃密な歴史の大部分を共有している『提督』という存在。人でなく艦でもなく、また艦娘でも深海棲艦でもない。そんな欠けた彼女たちが求めるのは、皮肉なことに最も大切な相手……その存在そのものだった。
欠けてしまった絆。失われた光。彼女たちは、それを提督ごと取り込むことで埋めようとしている。
真田はその哀しさに胸を潰される思いをした。しかし、現実はその更に上を行く。
「そして記憶の統合は、提督が相手の艦娘自身に殺されることで完成する! ……苦労したぞ、お前を死なせないように乗り込ませ、そして連れて来るのはな……大人しく確保できれば楽だったものを」
「自分の手で殺させる必要がある……それが、提督を生きたまま確保する理由ですか」
確かに戦場でそんなややこしいことをしている時間はない。
「そういうことだ。我々は組織を強化するため提督を欲している。だが、私のようなただの人間よりもより効率的な方法があった……それが、今我々の進めている計画だ」
「計画、だと……?」
真田は佐伯の言葉が横滑りしていくのを感じながら、遠くに向けて小さく首を振った。
◇ ◇ ◇
その時、夕張が装置のボタンを押さなかったのも、敵に見つからなかったのも、ただの偶然だった。たまたま真田と目が合った。ただそれだけで、夕張は真田からの指示を受け取ることができた。
まだ、手を出すな。
夕張は舞い戻った洞窟で、救出した人質を連れた金剛、榛名に遭遇した。提督、艦娘たちは共に衰弱していたが、幸いにも行動はできる状態。戦闘が落ち着くまでは島の外へ脱出するのは危険度が高く、ある程度安全な場所へ退避させる真っ最中。無事を喜び合う暇もない。
金剛たちに人質を任せて、夕張は真田の捜索に舞い戻る。とある通路で戦闘の痕跡を発見し、夕張はそのまま外へ。開けた屋外へ出た夕張が目にしたのは、捕らえられた真田だった。
状況は伺い知れなかったものの、夕張は真田の指示を優先した。空母棲姫級が一隻、深海提督一名。それに正体不明の加賀型艦娘――恐らく、かつて泉浜にいた加賀。それらに囲まれている自分の提督が敢えて救出を止めたのだ。何かの理由があるはずだった。
ふと、夕張は通信装置のことを思い出す。妨害範囲内であっても、近距離ならば通信可能――しかし肝心の真田とはかなり距離がある。数メートルが通信の有効圏内であることを考えると、スペック上の距離を軽くオーバーしている。
しかし夕張は、ダメで元々と通信機のスイッチを入れた。
『我々の計画は、深海に……ちた艦娘たちに『提督』の能力を付……、前線で戦闘を行いつつ自艦隊の能力を強化……ことが出来る存在に生ま……らせることだ』
ノイズ交じりの会話が通信機から流れ出す。夕張は咄嗟に音を絞り、拳を握りしめた。
『確かに提……は艦娘の能力を強化する能力が……というのは、実験で立……れていますが……』
『お前たちが思……り、提督の存……よって底上げされて……力は大きいということだ』
内容が深海棲艦たちの目的らしいことを察した夕張は、耳を傾けつつ慎重に周囲を伺う。
円形の入り江状になった広場。そろそろ満潮が近いのか、入り込んでいる海水は中央の岩場を残して陸地を水没させている。岩陰から探れる限りは、周囲に深海棲艦の姿は見えない。
唯一、佐伯の側に寄り添っている空母棲姫――そして、深海に堕ちたらしき『加賀』以外は。
普段後方支援が主な任務の夕張にとって、『姫』や『鬼』級との本格的な戦闘は経験がない。特海の資料では大型の艤装を帯同させているはずだが、見える範囲には確認できなかった。上位の種にあたる深海棲艦の艤装は独立して動く能力を持つとの情報もあり、加えて彼女が『空母』棲姫であることから、戦闘力を見た目で測ることはできなかった。
(加賀さんを何とかする
希望的観測だったが、真田をこの状態から救出するには少なくとも空母棲姫を抑える必要がある。
(最悪、私が突っ込んで――ううん、私だけじゃ無理。せめて、金剛さんたちがいてくれれば)
佐伯には戦闘力がないとしても、夕張一人で空母棲姫の攻撃を凌ぐのは現実的ではない。歯噛みする夕張は、思わず主砲調整用のグリップを握りしめた。
その時、夕張の時計が振動した。
(……三分前!)
先ほど龍田に託したアタッシュケース――その中で発動の時を待っている、第八番通信層輻輳装置。
通称『夕張メロン05号』。そのカウントダウンが、残り三分を切った。
夕張は岩陰から、真田へ向けハンドサインで時間を示した。真田は待っている――『夕張メロン05号』の発動と、加賀を無力化するタイミングがやってくるのを。だから夕張も待つしかない。
(このスイッチを押せば、明石の仕込んだ艦娘用スタングレネードが爆発する……でも)
しかしタイミングを誤れば、加賀も救えず真田も無事では済まない。チャンスは一度きり。
『そろ……終わりにしようか、真田』
佐伯の言葉に、改めて自分の肩に圧し掛かった責任が、夕張の肩を震わせた。
四.
「人間に無理矢理造られた半人半妖のような彼女たちが、今度は人間の知識や経験、そして『提督』としての能力を手に入れて深海棲艦側の艦隊を指揮する。皮肉な話だと思わないか」
「戦闘において、本来非力な人間……提督の存在は不要だ。それどころか弱点にもなり得る……多くの提督が抱えてるジレンマを解消するって意味では、深海側が一歩リードということですか」
「自分が要らない存在であることを認めるのは、それなりに勇気のいることだな」
佐伯はゆっくりとかぶりを振った。真田ではなく、まるで自分に言い聞かせるように。
「さて」
ぱちり、と佐伯の指が鳴る。
「そろそろ終わりにしようか、真田」
どうやら、佐伯にとって幕を引く時が来たらしい。真田は奥歯を噛み締め、訪れる運命を受け止めることにした。ただし、素直に……ではない。彼はまだ、切るべき手札を隠している。
「佐伯さん。あなたのケッコン艦娘のことですが」
真田は、空母棲姫の正体と『オリジナル』の性質について聞いてから気になっていることがあった。
それは、佐伯が『提督』として特海にいた時のこと。彼と絆を結んだ艦娘のことだ。
「あなたが失踪する直前……大規模な作戦で、あなたの艦隊はほぼ全滅した」
佐伯は背を向けたまま、真田の言葉を黙って聞いている。
「艦隊の旗艦は、空母加賀。あなたのケッコン相手……でしたね」
「何が言いたい」
「佐伯さん……」
肩越しの声は、何の感情も籠っていないように聞こえる。真田は、刃が届いていることを確信した。
「『オリジナル』は、沈んだ艦娘の記憶を取り込むと言いましたね」
「……その通りだ」
「あなたが彼女の側にいるのは、ひょっとして――」
海に還って空母棲姫へ吸収され、その記憶の中にいるだろう……佐伯とケッコンした
その問いは、真田の口に出ることなく途切れる。
「か、はァ……ッ」
真田の首を締め上げる、『カガ』の手によって。佐伯の指示か、明らかに手加減をしているようだ。それでも、成人男性が意識を失いかけるほどの力は込められている。
そんな真田の苦悶を見つめる佐伯の目は冷たく、しかし裏に隠れた激情は隠しきれていない。
「私がここにいるのは、人類に絶望したからだ。それ以上でも、以下でもない」
佐伯の冷たい声。しかし真田は、彼の手が一瞬強く握り込まれたのを見た。
「答えてくれっ……佐伯、っ……さん」
掠れる真田の言葉。しかし彼は、提督として……今回の作戦に参加した者として、最後まで筋を通す気でいた。そうでなくては、金剛や榛名、泉浜の艦娘たちを含め、全ての仲間に申し訳が立たない。
そう。恐らくはもう誰もが諦めていたこと。
「……あなたが、まだ……戻って来れるのか、ぅ……それを確かめに来たんです、オレはッ……」
真田は、佐伯を救うことを諦めていなかった。
ケッコン艦を沈めた無力さ。人間である己の非力さ。容赦なく過ぎる時間。ひと一人になど何もしてくれない組織。それらを人類への絶望にすり替えるしかなかった佐伯の苦しみ。
少なくとも真田は、それに共感できた。同じ境遇を味わったからこそ。
「佐伯さんッ……! 戻って来て下さい。あなたの絶望は、海に沈めるにはまだ早いはずです……!」
真田の、恐らくは最後の呼び掛け。
それに応えたのは、佐伯ではなかった。
「彼ハもう、『
「空母ッ……棲姫……?」
どこか加賀に似た声が、佐伯を包み込む。真田は、まるで目にそれが見えるようだった。
海から離れられない。
艦娘と生きる提督として、真田は空母棲姫の言葉に実感があった。真田は思わず頷きそうになるが、首に食い込んでいる『カガ』の指がそれをさせない。
しかし一方で、脳裏には別の考えが浮かぶ。
多くの『差分』を取り込んだオリジナル個体は……果たして、オリジナルのままでいられるのか。
最初は、失った『加賀』の影を空母棲姫に求めた佐伯と、単純に『提督』を欲した空母棲姫……その利害が一致しただけの話だったのかも知れない。
しかし、真田には二人の間に別の何かがあるように思えてならなかった。
「提督ハ皆、海に惹かれるノ。輝く海に憧れる提督がいれバ、昏い海へ飛び込ム提督もいル」
空母棲姫の声は、真田へ呼び掛けるようにも、佐伯に対する情を吐露しているようにも聞こえる。
それを嗜めるように、佐伯が手を挙げた。
「いい。……今は、片付けが先だ」
「ぐっ……!」
真田は必死に佐伯を睨み付ける。彼が差し伸べた手は届かなかった。しかし、まだ終わってはいない。提督として果たさなくてはいけない戦いが、悲しい運命と共に終わっただけだ。
(ここからは……オレの作戦だ……!)
いきなり首を絞められた状態というのは厳しい。真田にとって、それが正直なところだった。拘束を抜けるために、何としても今の状況を変えなくては。
(あと、十秒……)
そして真田には、その宛てがある。正確には、佐伯たちの背後……岩陰から見えたカウントダウンの合図。そのカウントが間もなくゼロになることで引き起こされる、とある事象によるもの。
「さ、えき……さん」
「今更命乞いか」
「いいや……オレたちの、勝ちです」
「……なに?」
唐突な真田の勝利宣言。あまりにも滑稽なその言葉に、佐伯が表情を変えた瞬間だった。
ぱちん、と音が聞こえた気がした。
泊地のどこかではじけた、小さな衝撃。それを中心にして、島中を何かが駆け抜ける。まるで水面に落ちた小石が、水面に波紋を広げるように。
その波紋が、空母棲姫を飲み込んだ。
「ぐぅ、ッアァア! これ、ハ――ナンダ、頭が、割れそうダッ……!」
「空母棲姫! ……真田、貴様なにを……!」
初めて苦悶の悲鳴を上げる空母棲姫。その様子に、真田は作戦の成功を確信する。本当の意味で今、真田が果たすべき役目は終わった。
「ちょっと、深海棲艦たちには黙ってもらっただけですよ……」
空母棲姫ほどの反応ではないが、『カガ』も頭を押さえている。解放された真田は首をさすった。
「苦労しました……そちら側の通信をどう潰すか。たとえ一時的でも混乱を引き起こさないと、戦闘には勝てない。通信の抜け道、その正体を突き止められたのはラッキーでした……」
「第八番通信層に干渉したのか……!」
「どうやって潰すかは、意外と簡単でしたよ。単純な大量データによる輻輳も試してはみましたが……通信をしているのが分かっていれば、そこに相乗りして
夕張の辿り着いた、艦載機のリンクシステムが使っている通信帯域とでも言うべき層。深海棲艦側がその帯域を通信に使っているのなら、そこに莫大な
「しかし、あれは空母のリンクに使われている層だ。お前らの空母も艦載機を飛ばせなくなる。半減した艦隊の戦力で、ここを落とせると思――」
「陸側にも艦娘がいるのはご存知でしょう。彼女たちは陸での戦闘に秀でていて、もちろん上陸作戦もお手の物……旧陸軍と陸自のコラボです」
「――! 空挺降下か!」
飛行場までの護衛として御影提督が真田に付いていたのは、何も偶然ではない。
御影のパートナーである、陸軍艦娘あきつ丸。彼女を旗艦とした空挺強襲揚陸部隊の派遣が目的だ。真田たちが通信を無効化させると同時に、島の上空から空挺降下を始めている。
「恐らく、通信は十数分で復旧する。だが、その数分は恐らく陸軍艦娘たちにとっては十分な時間で、深海棲艦たちにとっては致命的な時間になる。そうでしょう、佐伯さん」
「どうやって侵入させた! 空挺降下用の飛行艇は潰したはずだ……!」
「そちらが使っていた妨害装置……あれを取り付けた飛行艇が別に一機あったんですよ」
「艦娘用を流用しただけで、飛行艇をカバーできるわけはない! 数もほぼ人数分だったはずだ!」
「ウチは離島なもんで、雨水を貯めてるんです。貴重な水と一緒に、別の液体も手に入った」
鎮守府の建屋にまでバラまかれた謎の液体。雨水タンクやバケツなどに溜まった粘度の高い液体は、夕張の目論見通りに妨害装置の電波を増幅させた。第一艦隊人数分の妨害装置、その全てを使用してもカバーしきれない不可視の範囲を、あっさり覆ってしまえるほどに。
「……増幅用のジェルパック! 飛行艇に回した分、妨害装置のブーストでカバーしたのか……!」
真田と御影は敢えて妨害装置の個数をあちこちで漏らした。それが相手の油断を誘うことを期待し、作戦のどこかで優位に立てるように。そうした地道な仕込みは、とうとう佐伯の油断を誘った。
「艦娘と人間の力が合わされば、たとえどんな困難があっても乗り越えていける! オレは、あなたほど人間に絶望しちゃいないんです……オレたちは、まだやれる! 艦娘たちと一緒に!」
「私は、お前の……そういうところが、大嫌いなんだッ……!」
ついに激情を抑えきれない佐伯が叫んだ。
「真田ァァァアア!」
真田が拳を握りしめ、佐伯に殴り掛かろうとした瞬間だった。真田の身体が、浮いた。
「なっ……!」
それが回復した背後の『カガ』によって足を払われたため、と気付いた時。
「がはっ」
真田は既に背中を地面へ打ち付けていた。同時に、乾いた音が響く。
星の散る視界の隅に真田が捉えたのは、地面に散らばった指輪だったもの。拳銃弾は、いとも簡単にシルバーのそれを砕いてしまった。
「これで、さよならだ、真田……!」
ただの金属片となってしまった指輪。それは、真田と加賀の絆が途切れたことを意味する。仮初めの絆……二人の『ケッコンカッコカリ』は、漆黒の提督によって断ち切られた。
「しまった……! 記憶の、吸収ッ……」
「そぉら。始まるぞ……!」
佐伯の言葉通り、『カガ』の様子は一変していた。
(なんだ……蒼い、炎が……)
燃えさかる炎の色は、一部の深海棲艦が纏っているものと同じ。それが『カガ』を覆っていた。
倒れた真田に歩み寄った『カガ』は、鋭い右手のガントレット……その指先部分で、真田を無造作に切り裂いた。防弾仕様になっているはずの隊員服。それがまるで、紙のように貫かれる。
「ぅあぁアアッ! ……あ、ぐぅ」
まるで傷つけることが目的だったと思える『カガ』の行為。ぱっくりと割れた傷口から噴き出す血を眺めて薄く笑う様は、真田の背筋を凍らせた。彼女にとって、これはただの修復行為に過ぎない。
(ああ……加賀……)
彼女が求めているのは、欠けた絆。その象徴である提督の記憶を取り込もうとするのは本能。
その状況で真田の脳裏にちらついたのは、後悔や絶望ではなかった。
(これは、空母棲姫と加賀を取り違えた分……元は同じ加賀なんだ、間違っても仕方ないだろ)
それは、謝罪といじけがない交ぜになった、自分への怒り。
起き上がろうとした真田の背中を、『カガ』が蹴り上げた。勢いで転がり、近くの岩に止められる。吐いた咳に血が混じり、どこか出血したことを知る真田。どうせ全身ぼろぼろだと諦めることにした。
襟首を掴まれ、持ち上げられる真田。そのまま『カガ』のひざが、腹部にめり込む。辛うじて嘔吐は耐えた真田だったが、まともに呼吸ができない。酸欠の脳にちらつくのは、いつかの加賀の背中。
(これは、龍田と金剛にキスされた分……悪かったよ、オレだって油断してたし、寂しかったんだ)
打ち捨てられた真田。意識も薄れて痛みもはっきりしない中、近付いた『カガ』は、容赦なく真田の左腕を踏みつけた。嫌な音が響き、真田は声もなく口を開いただけ。
(そして……これは)
必死に息を吸い込む真田。横を向いた視界に捉えたのは、『カガ』の足と――。
(あの日、加賀を救えなかった分……!)
――
「夕張ィイイイイ!」
真田の絶叫に、岩陰の人物が涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。密かに潜入していながら、それに気付いた真田から『今は手を出すな』というメッセージを受け取って隠れていた彼女。
(加賀さんっ、戻って来て……お願い!)
自らの提督が、助けにきた彼のパートナー自身に痛めつけられて、傷付けられていく。命令を守って必死に涙を湛えていた夕張が、真田の呼び声に、とうとうスイッチを押し込んだ。
「ぐ、真田、貴様ッ」
真田が魂から叫んだその意味を佐伯が理解するより前。
ぱん、と軽い音を立てて、『カガ』の足許で……『お守り』が、弾けた。
「何ッ!」
真田の渡そうとした、家内安全のお守り。
周囲を雪か花弁が散るように、光る何かが満たす。それを合図にまるで脆くように崩れる『カガ』。
それは、空母・加賀の部品から削り出した金属片。
口から滴る血を物ともせず、真田は再び口を開いた。彼が本当に叫びたかったことを伝えるために。
「――帰ってこいッ、加賀ァ!」
◇ ◇ ◇
『もし真田提督が私に賭けてみる気があるなら、手が無くはありません』
『オレが賭けに弱くて、しかもムキになりやすいのは知ってるだろ』
『――んふ。加賀さんに怒られちゃいますね。賭けごとに誘ったって……真田さんは『
『確か、回収した戦艦大和のオリジナルパーツだろ。艤装……とりわけ、主砲の弾頭に使用した場合に、深海棲艦への攻撃・殲滅力が上がるとかいう』
『そうです。その由来によるものか定かではありませんが、恐らく存在そのものが何らかの浄化能力を持っている可能性が高いんです。分かりやすく言えば、聖水のようなものですね』
『今更の話だが、オカルトここに極まれり――だな。でも海底に沈んでる大和のパーツなんて、武装に使うような量を準備できないだろ。やるとしたら、それこそ資材の一大回収プロジェクトになる』
『ええ。そんな貴重なものですから、当然ながら武装への転用は今のところ、見送られている状態です。やるとしても最終決戦用の、最終兵器でしょうね。文字通り』
『で、それがどうした』
『――基礎研究の過程で密かに流出したサンプルの一部が、ちょうど手のひらに載るくらいのサイズで私の手元にある――それが、このケースに収まっているものだとしたら、どうします?』
◇ ◇ ◇
霞が掛かったような思考。焦点の定まらない視界。
加賀が意識を取り戻した際に知覚したのは、自分のそんな状態だった。しかし次の瞬間、ただ一つの現実が彼女を引き摺り戻す。
「加賀」
それは、他でもない加賀自身の手により傷付けられていた人物の呼び声。一瞬惚けていた加賀の背を駆け抜けたのは、認めたくない事実と一体になった激しい後悔だった。
加賀は、『カガ』であった時のことを全て覚えていた。
自分ではない自分。しかし、確かにそれをやっているのもまた自分であるという自覚。殴りつけた拳に感じた重み。真田の首を絞め付けたときの、耳に障るくぐもった声。すべてが生々しく残っている。
加賀は、恐る恐る傷付けた相手の名を口にした。
「こ、ういち……さん」
罵倒。叱責。或いは殺意。そんな人ではないと信じていても、数々の暴力を含む事実は変わらない。
(だって、私は今、この人を……!)
命を懸けて守ろうとした相手を、自分の手で殺すところだった。その重さが、加賀から言葉を奪う。
そうして何も言えないでいる加賀に差し伸べられたのは……。
「おかえり、加賀」
「あ、……っ、こ……こういち、さん」
半年前と何も変わらない、真田の声だった。左腕を庇うようにして、真田は加賀へと踏み出す。
その様子に勇気付けられたように、加賀はようやく、前へ進み出した。
その距離、わずか数メートルは、加賀にとってあまりにも長い。しかし、真田にとっては、ふたりの間にあった断絶を埋める一歩。進むたび、それは短くなっていく。
加賀はようやく、沈んだあの夜に飛び込めなかった、真田の胸に縋り付いた。
「幸一さん……!」
ボロボロの身体で、それでも力強く加賀を受け止めた真田。
「大丈夫。……大丈夫だよ」
一体、何が大丈夫なのか。加賀は溢れる涙を抑えきれないでいた。骨折しただろう左腕は力なく垂れ、切り裂いた胸からは血が滲み、吐く息は震えている。傷付いた真田と、加賀の目線がようやく交わった。
「っ、提督、わたし……!」
胸から顔を上げ、謝罪を口にしようとした加賀。真田は目線だけで、それを止めてみせる。彼がいま欲しいのは謝罪などではない。それは、ただシンプルな欲求だった。
「おかえりのキス、させてくれ」
「え」
加賀が言葉の意味を理解するより前。真田は、素早く加賀の唇を奪う。
「ん……」
触れた唇越しに伝わった真田の熱。先ほどまで何もかもが凍り付いたような思いだった加賀は、ただその熱だけで自分を取り戻す。ほんの一瞬の口付けで、真田は半年の空白と後悔、謝罪、それら加賀の全てを片付けた。ただの艦と人ではない――互いに愛し、愛された男女に許される言葉無き交流。
「っ、は……」
「さて、時間がない」
そして、真田の攻勢は続く。加賀の正気を保てる時間はわずか。空母棲姫は
急がなくてはいけないと、真田はポケットから小さな箱を取り出した。
「幸一さん……それは」
彼の手にあったのはリングケース。静かに開いたそこには、美しく輝く指輪が収まっていた。
それは『大和鋼』による指輪。仮初めではない、文字通りのエンゲージリングだった。
目を見開く加賀に、真田はついに告白した。
「加賀、結婚してくれ」
「な」
真田の短い、しかし力強い言葉。加賀は、危うくそのまま首を縦に振りそうになる。
カッコカリなどではない。提督と艦娘でもない。ただ真田幸一という男と加賀という女。その二人が今ここで、夫婦であるという契約を結ぶ。真田は文字通り、ただそのためだけに、ここに居た。
『大和鋼』は何らかの浄化作用があると言う。しかし今の加賀が指輪を身に着けたところで、元の艦娘に戻ってくれる保障などはない。『お守り』の効果が切れたところで、また正気を失うかも知れない。
しかし、真田はそんなことを心配はしていなかった。
「オレは今度こそ、お前を離さない。何があっても……!」
半年前に加賀を失ってから、真田のなかを埋めていた空白。加賀のかたちをした空白は、加賀でしか埋まらない。だから彼はここに来た。提督としての使命を果たした今、彼は自分のためにここに居た。
加賀を取り戻す。ただその一点のために。
真田の強い決意の言葉は、加賀の胸を埋めていた不安を全て薙ぎ払ってしまった。
失望、拒絶、逃避。目の前の提督は、そんな言葉がちっぽけに思えるほど加賀を求めている。それが嫌というほどに伝わってくる――加賀は、自然と笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
笑い。建造されてから、加賀がずっと苦手としていた感情表現。真田と共に過ごした日々が、彼女の笑みを自然な形にしてくれていた。二人で歩いた街。二人で眺めた星。二人で飛んだ空。
積み重ねた記憶たち。そこにあるのは、本能が呼び起こす記憶の収奪……おぞましい欲望ではない。
新たな記憶、新たな未来、新たな思い出を、真田や仲間たちと共に作りたいという希望。
「あなたこそ、覚悟して下さい……私はこの通り、まともな艦娘ですらありません。それでも……」
真田がどう返すかをすっかり分かった上で、加賀はリングケースから指輪を取り出した。
「それでも……オレはお前を愛してる。お前が深海棲艦だろうが艦娘だろうが、それ以外の何かだって構うもんか。たとえ世界中を敵に回しても、オレはお前の側にいる」
加賀は指輪を真田の前に示し、自分の左手を差し出して見せた。
あなたの手で嵌めて欲しい。
加賀の無言の申し出に、真田は力なく笑って頷く。彼も、そろそろ限界が近かった。
ごく自然に指輪は加賀のくすり指へと吸い込まれ、そして……。
「……幸一さん、私……きっと今、すごく幸せです」
「言葉にしなくてもいい――ただ、ずっと一緒に――」
「はい。逃がしませんから」
「そうしてくれると、オレも嬉しい」
二人は、夫婦になった。