飛鳥馬トキは先生と一緒の時間を過ごしたい 作:アラベスク@arabesuque_38
無機質なアラームの音で目を覚ました。ゆっくり意識が浮上する。見慣れた天井。シャーレの休憩室に備え付けられたベッドの上。そして、そんな私にくっつくように眠るひとりの少女の姿。
綺麗な亜麻色の髪が無造作に広がって、身体の下敷きになっていた。彼女の身体を包むのはぴったりとした薄手のインナーだけ。少し寒いのか眉を顰めながら私に抱き着いて静かに寝息を立てている。
象牙で作られた女神像のように白く美しい肌。朝の陽射しを反射して美しく煌めく髪。まるで精巧に作られた人形のように整った容姿。閉じられた瞼の奥のトルコ石のように美しい瞳に想いを馳せて、煩悩を振り切るように首を横に振った。
昨夜は山積みにされた書類を片付けて、倒れ込むように眠りについた。そのときはいなかったはずの彼女が私の隣に潜り込んでいる。今回もドアはきちんと閉めていたはずだけれども、それを言ったところで「私はC&Cです」なんて真顔で返されるのが関の山だろう。
それに……朝起きたときに彼女が私の隣で寝ているのは一度や二度のことではないのだから。
彼女から感じる柔らかい人肌のぬくもり。そこまで大きくないベッドの中で感じる彼女の柔らかさに、いつのまにか自分が慣れてしまっていることに気が付いてため息を吐いた。
「先生、おはようございます」
「おはよう、トキ」
ベッドから這い出てシャワーを浴びた私を、美味しそうな匂いが出迎えてくれる。メイド服に着替えて身支度を済ませたトキが朝食を用意してくれていた。
彼女が引いてくれた椅子に腰を下ろす。流れるような美しい所作。こうして彼女と食卓を囲むのも、すでに両手では数えきれないほど。今となっては、彼女が用意してくれる朝のコーヒーがないと一日が始まらない、なんて思うようになっていた。
「──……もう手遅れかもしれないね」
「先生? 何か仰いましたか?」
ポツリと呟いたひとりごとは、幸いにもトキの耳には入らなかったようだ。「なんでもないよ」と
***
『眠かったら、どこでも寝ちゃうの?』
トキが初めてベッドに潜り込んできたあの日。彼女に投げかけた私の問い。「少し考える時間を頂きます」と真剣な表情で考え込んだ彼女の顔は今でも覚えている。
結局答えが出ずに戸惑った彼女から、投げかけられた質問。それを躱してしまったことも。生徒の疑問に正面から向き合うことができなかったあの日のことは、今でも心の奥に棘のごとく突き刺さっていた。
そんな後ろめたい思いを抱えているせいで「なぜ先生なら大丈夫なのか、その答えを知りたいのです」なんて言いながら、トキがベッドに潜り込んでくるのを止められないでいた。
「先生、休憩に致しましょう」
トキに声を掛けられて顔を上げる。時計の短針はちょうど3の数字を指していた。朝からずっとシャーレに入り浸っているトキ。私の仕事を手伝ってくれたり、ソファに横になってお菓子を頬張ったり、こうして私にお茶を入れてくれたりと、気ままに過ごしている。
C&Cのコールサインゼロフォーとして、ネルたちと一緒に行動をするようになってからもシャーレに入り浸っていた。「私は先生専属のメイドですから」なんて嘯いて任務以外の時間はずっとシャーレで過ごしている。
「ありがとう。トキの淹れてくれるお茶は美味しいからね、いつも楽しみだよ」
「メイドとしての嗜みですから。 ──ですが……先生、後ほどご褒美を頂ければと思います」
いつのまにかバニー姿に着替えていたトキが「ぴょん」と口に出しながら私の傍にやってきた。「理由はわかりませんが、この格好の方が先生の作業効率が上がるようですので」なんて、とんでもない言葉を口にする。
実際のところ彼女の言う通りなので反論はできなかった。だってバニー姿のトキ、可愛いんだもの。
「さぁさぁ。先生、迅速に褒めてください」
「はいはい」
私に押し付けるように差し出してくるトキの頭に手を伸ばしてゆっくりと撫でる。気持ちよさそうに目を細める彼女を眺めながらティーカップを傾けた。
こうして無自覚に、かつストレートに私への好意をぶつけてくるトキを、正直私は持てあましている。誤解を恐れずに言うならば、「先生は私の特別な方です」なんて直截に言葉を投げつけてくる彼女の真意を測りかねていた。
「専属メイドの淹れたお茶を片手にバニーを愛でる……先生は贅沢な方ですね」
「撫でるの、やめようか?」
「そんなことは認めません。断固抗議します」
「トキが言ったんでしょ……」
頬を膨らませる彼女が私の手をぎゅっと握って自分の頭に押し付ける。ほんのりと表情に喜色を滲ませる彼女の頭を撫でる作業を、黙って再開した。
「ウサギを撫でるのも休息の一種ですから。アニマルセラピーです」
「それは……どうなんだろう」
「ぴょんぴょん。どうですか先生、癒されますか?」
「──……そうだね」
「私の言った通りでしたね。いぇいいぇい」
────可愛すぎる。
人形のように表情をあまり変えないトキが、私の前ではこうして可愛い姿を見せてくれている。正常なひとりの男として、こんなにも好意を向けられてぐらりとこないわけがないのだ。
だた、どうしても。彼女の好意が「親愛」的なものなのか、それとも「恋愛」的なものなのか。あの日、自分の感情の正体を掴めていなかった彼女の心の内が。今の私にはどうしてもわからなかった。
もし──、いつの日か。彼女が自分の感情の正体に気が付いたとき。そのときは、今度こそ彼女の言葉に真剣に向き合おう。
そう心に決めて。今はただ、無心で手を動かした。
「ふむ。やはり先生にこうして撫でて頂けるとなぜだかとても落ち着きますね。興味深いので、もっと撫でて頂けますか?」
白磁のような肌をほんのりと桜色に染めて、そんな科白を言い放つ。懐かれすぎるのも考えものだね、なんて贅沢な感想が脳裏を掠めた。
願わくば──トキが自分の感情の正体に、できるだけ早く気が付くように。
そうでもないと、私の方が耐えられなくなってしまうかもしれない。
なんて、先生としてあるまじき思考を、必死に頭の中から追い出した。
***
「お邪魔します、先生」
夜の帳が下り切った頃。私はいつものようにシャーレに足を運んでいた。月明かりだけが淡く室内を照らしている。閉め切られたドアを開けるのも手慣れたもの。音を立てないように、先生のいる部屋に足を踏み入れた。
眼下には静かに寝息を立てる先生の顔。胸をきゅっと締め付ける感情の赴くまま、ゆっくり手を伸ばした。手の甲で頬を撫でる。私の前でコロコロと表情を変える彼の顔が好きだった。
「先生、先生────」
届かないと知りつつも、彼に声を掛ける。届いてほしいと思いつつも、決して彼の目が覚めることがないように小さな声で彼のことを呼ぶ。
私は知っていた。先生が測りかねていることを。私がぶつける好意が自覚的なものかそうでないのか。知っていてなお、踏む込むことをしなかった。
私がそのを表に出したとき、彼は今までと同じように接してくれるだろうか。そんな想いが私を踏みとどまらせていた。
「先生のことですから。例えそれがどんな答えだとしても、私への態度を変えることなんてしないと理解はしているのですが」
今はただ、甘えていたかった。初めて抱いたこの感情をもう少し大事に育てたい。彼が私に同じだけの感情を返してくれると、確証を得られるまで。
────あわよくば。私の精いっぱいのアピールで先生の方から迫って頂くようなことが起きないものか。そんな淡い期待を抱いていたかった。
「先生。
独白ですらも断定形にできない臆病者だけれども。先生のことは本当にお慕いしておりますから。もう少しだけ、甘えさせてください。
「────…………トキ」
「────ッ」
彼が呟く。規則正しい寝息。まだ彼は夢の中。
心臓が不規則な音を立てる。彼が起きたのではないかという不安。でもそれ以上に私の名前を彼が口にしたという事実が、私の胸を高鳴らせた。
「先生────」
溢れた感情のままに唇を落とす。彼の寝顔を眺め、彼の唇を吸い、彼の隣に身体を潜り込むまでが私のルーティーン。
ただ唇と唇を重ね合わせるだけのあどけないキス。大人である先生相手では児戯のようなもの。
けれども────ただそれだけで、私の心は幸福で満ち溢れてしまうのだ。
「先生。いつの日か、必ず────、」
この想いの正体を、あなたにお伝え致します。
それまでは。
「おそばで、見守っていてくださいね?」