冴島さんと真島さんがカジミエーシュに飛ばされる話 作:橙ふぐ
(なんでこないな事しとるんや、俺は…)
男の胸中は穏やかではなかった。
理由は一言ではとても表せないが、人混みを避けて通った路地裏でいきなり売られた喧嘩はその一つと言えるだろう。
唯一の救いは、その喧嘩の終わりが近い事だった。
「死ねや、このボケがぁ!…がっ!?」
チンピラの怒号と共に突き出された拳は男の顔を捉える事無く空を切り、男の拳だけがチンピラの顔面にねじ込まれる。狼狽えた隙にすかさず首根っこを掴み、ゴミ袋を捨てるように放る。
ちょうど先に地面に転がっていた仲間の上に重なり、ゴミ処理が済んだ。
「…つまらんの。喧嘩売るんなら相手選ぶんやな。俺相手に3人は馬鹿にしすぎやで」
「ま…待てっ、この…」
地面から聞こえる声を無視して、すたすたと路地裏を出る。
そこから5分ほど歩くと、ある家にたどり着いた。
正確には、家というよりも邸宅の方が正しい。
そんな豪邸に彼は慣れない思いを引きずって中へと入る。
彼___冴島大河にとって、この家は仮とはいえ帰る場所になっていた。
「いつ見てもデカくて広い家やで…」
お世辞にも裕福とは言えない自らの育ちを思い返せば、これ以上場違いな存在というのもないだろう。
白を基調とした内装に調度品。大勢の人間を呼び、宴を行う事を前提として作られた広々とした造りの広間。
それらに反して、家具類こそやや少なめなものの、その家はまさしく伝統的であり、力を持った一族の物である事の象徴であった。
カジミエーシュ大都市領に構えるこの家は都市部の人間なら誰もが知っている、騎士家系のニアール家の邸宅である。
だが、冴島はこの国の人間どころかこの世界の住人ですらない。
指定組織暴力団東城会系直系二次団体冴島組組長という肩書きを持つ彼は、ひょんな事がきっかけで日本・神室町から全く別の世界、テラのカジミエーシュという国に来てしまったのであった。
幸いにしてニアール家に拾ってもらい、元の世界に戻るまで使用人として雇ってもらってはいるものの…どうにも気分が晴れない。
(アカン…この世界に来てからずっとこんな調子や。…はあ。とっとと元の世界帰らなアカンのに、何をやっとんのや俺は…。)
冴島が沖縄の刑務所を脱獄し、東城会に復帰してから少し。ようやく慌ただしながらにシャバの生活にも、直系冴島組組長としても多少慣れてきた矢先にこれである。
(兄弟は大丈夫やろか…)
冴島の渡世の兄弟である、真島吾朗。
恐らく同じようにこの世界に跳ばされているであろう彼の消息は、全く掴めていない。
跳ばされたのがここの近くなのか、それとも遠く離れた別の場所なのか、そもそも生きているのか、それすら不明だ。
(…ま、兄弟の事や。そう易々と死んだりはせんやろな。問題は、俺の方や…気晴らしに、あの子の頑張る姿でも見るかの…)
目指す先は工房。今でこそ慣れたが、一つの家にそんなものがわざわざ用意されていると知った時は面食らったものだ。
「マリアちゃん、邪魔する…で…」
しかし、工房には先客が居た。加えて言えば、本来尋ねるべき人物はいなかった。
「冴島か。ちょうどいい、出向く手間が省けた。」
冴島とほぼ同じくらいの身長に、一回り細めにしたような体格。
誰が見ても分かるような生まれつきの金髪。
右腕に装着されているのはガントレット。左腰に携えるは地面に擦れてしまうほどの長さのブレード。
「…ムリナールはんか。なんや、戻ってきたんか」
ニアール家の現当主であるムリナール・ニアール。
彼の若々しい風貌を見る度に、自分とそこまで年が離れていないという事が嘘のように感じる。
彼は今、退職前の最後の引き継ぎで通勤していた。実際には引き継ぎ後に今まで使ってなかった有給休暇を消化した後で初めて退職するのだが、まあ些細な事である。
「忘れ物を取りに来ただけだ。またすぐに戻る」
「わざわざ直接来んでも、連絡してくれたら送り届けたわ。俺にも少しくらい、この家に恩返しさせてくれや。」
「恩返しだと?なら、早くお前の兄弟分とやらを見つけ出して元の世界に帰る事だ。それがお前に出来る唯一の恩返しではないのか?」
彼は一応上司に当たるのだが、いつもこんな無愛想かつ冷淡なのであった。
もっとも、早く元の世界に戻りたい冴島にとっては、確かに彼の言う通りなのだが。
「…そら、そうやが…」
「もっとも…お前の兄弟分など、そうそう見つかるとは思えんがな」
「ちょお待てや。どういう事や?」
「分からないのか?お前程度の男の兄弟分など、たかが知れているという事だ。今頃野垂れ死んでいてもおかしくあるまい。」
彼とその姪の生活を間近に見て、彼のずけずけとした物言いには多少は慣れたものであったが、自身の兄弟を貶されてはそうもいかない。
「なんやと…!」
「違うと言うのなら、さっさと探してくればいい。お前など家にいようがいまいが大して変わらん。マーガレットの頼みで置いてるにすぎんのだからな」
真島吾朗が行方不明である限り、この話題を持ち出されれば勝ち目はない。会話に勝ち目というのも変な話ではあるが。
「…そら、親切なこっちゃ。ムリナールはんの優しさに感謝せんとな…!」
「行って来ればいい。…それと、外でマリアを見かけたら私の言葉を忘れるなと伝えておいてくれ」
彼の口から出た姪の名前にいそいそと、だが逃げているようには見えない程度の速度で外出しようとする冴島の足が止まる。
「なんや…またその話か。少しは放っておいたれや。アンタから見てもマリアちゃんが何も考えとらん風には見えへんのやろ?」
「お前が来る前の事だが、放っておいてとんでもない事になったのでな。家の事などどうでもいいと言うのに…」
ムリナールの事を冴島は言葉に悲観的な雰囲気を乗せて話す人間だと認識していた。
それが何に起因するのかは分からなかったが、少なくともその言葉にはしっかりとした『重み』があり、彼の生き方がその『重み』を成り立たせているのは確かだった。
「それは昔鳴らしてたらしいアンタやから言える事やろに。生き方くらい、本人の好きなように決めさせてやればええやろ。あんまし急かしたんなや。」
「…お前はマリアの事を本当にそう思っているのか?」
故に、彼との会話に噓を入れるのは困難である。
現に、その言葉の全てが冴島の本心ではないのだ。
「…俺に兄弟探させたいんか、そうやないか、どっちなんや。」
質問に質問で返すのは、その証明である。
だが分かっていながら、冴島にはそうするしかなかった。
「それとこれとは別の___はい、ムリナールです…いえ、すぐに戻りますので…」
幸いにも、彼にかかってきた電話が冴島に味方した。
「仕事ないがしろにすんなや…俺は行くで。ちゃんとマリアちゃんにも伝えといたる。忘れ物、忘れんと持っていくんやで。んじゃあな」
足早に家を出ていったその後ろ姿に電話を終えたムリナールは呟いた。
「お前は私と似ている…。故に、お前はマリアを放ってはおけまい。お前の兄弟には悪い事だが…」
元より姪に会うためだけに家に戻った彼に忘れ物などない。
姪とは近しいが故にすれ違い、未だ伝えるべきを伝えられていないが、ここに来て一つの転機がやってきた。
「マリア…自らの道が如何ほど暗く深いものか、奴を見て悟るのだな…」
******
「出たはええけど…結局、兄弟の行方のゆの字も分からんのよな…。」
家を出て10分と少し、大都市領と呼ばれるこの場所はどこを見ても高層ビルが立ち並ぶ地域だ。
東京の神室町や大阪の蒼天堀を足すどころか掛け算しても敵わないほどにギラギラしたこの街で、戸籍も何もない人一人を探すと考えただけで気が遠くなる。
(…靖子、俺がおらん間はこないな気持ちやったんやろか…)
ふいに思い返すのは神室町で死別した義理の妹であった。
血以上の絆で結ばれた関係なのに、兄らしい事はほとんどしてはやれなかった。
それどころか、自らの行動が死に追いやってしまった。
(俺は…靖子よりも極道、選んでもうたんや。その報いや、これは…そう、それだけなんや…)
とっくに過ぎた話や、という心と過ごされてたまるか、という心がせめぎ合う。
もう彼女がいなくなって1ヶ月以上が経っている。
忘れるつもりなどなかったが、心の中を占める割合が増えていくとは思わなかった。
「あれ?大河おじさん、こんな所でどうしたの?」
聞き覚えのある声にはっとする。
義理の妹の事など、この世界の誰にも伝えてはいないが、色んな意味でこの子にだけは自身の事情を悟られる訳にはいかなかった。
「おっ…おお、マリアちゃんやないか。そっちこそどうしたんや?」
マリア・ニアール。
ムリナールの姪であり、彼と同じ色の髪はニアール家の血を引いている事の証左だ。
「私?私はね、足りないパーツ買いに来たんだよ。ほら、修理用の。」
「ああ…マーガレットはんの鎧やら、武器やらか…」
マーガレットは彼女の姉であり、冴島がやって来る少し前に激しい戦いを繰り広げたと聞いている。
あくまで鍛冶関係は趣味とマリアは言うが、その手にはとことん鈍い冴島から見ても、趣味どころか本職の腕をマリアは持っている。
「大河おじさん、もしかしてムリナール叔父さんに何か言われたの?」
「…よう分かるなぁ。びっくりしたわ」
微妙なラインではあるのだが、ここはそうしておいた方がよさそうだ。
「叔父さん、大河おじさんの事を気に掛けてるんじゃないかな。たまに私に聞いてくるし」
「まるで俺がマリアちゃんの事狙っとる男みたいやんけ…せや、その叔父さんから伝言、預かって来とるで。俺の言葉忘れんな言うとった。こほん…『マリア、前にも聞いたが、お前はどうするのだ』ってヤツやろ?」
「う”っ…似すぎてて一瞬本物の叔父さんかと思ったよ…うへー…今日は朝何も言われなかったから、夜まで大丈夫だと思ったんだけどな…」
「自分の道決めろ言われても、や。大変やな、デカい家の子っちゅうんも。」
家庭の事情でヤクザになるしかなかった彼にとって、自分で進む道を決める事が出来るというのは羨ましいものだと思っていたが、彼女を見ると一概にそうは思えなかった。
自由には自由の苦しみがあるのだ。
「6年も離れ離れやったんや。姉のマーガレットはんの仕事そばで支えるいうんも、悪うないと思うで。姉妹一緒にいたらええやないか。」
マリアの姉はある事情でつい先日まで6年もの間、国を追い出されていた。
離別する事の苦しみをよく知っている身としては、姉の近くにいても許される事だと思う。
「それは、そうなんだけど…なんだろう、うーん…お姉ちゃんは元々私よりもしっかりした人だったけど、しばらく会わないうちに見違えるようになって、叔父さんも、約20年近く勤めてた会社やめて…まあ色々あるんだろうけど…皆変わってるのに、私だけ変われてない気がして…騎士競技に参加して、少しは変われたと思ったんだけどなぁ…」
「…騎士競技って、アレか。騎士達が戦う所を見させて国外も含めた客に金落とさせるここの国の有名なヤツやろ?俺も地下闘技場ちゅう似たようなんは体験したけど、ここまで規模がデカいのは初めてやな。」
「そうそう。…恥ずかしい話だからあんまり言いたくないんだけど、私はそこで勝ち上がれば、家も元のように豪華に戻るかなって甘い考え持ってて。叔父さんはその途中で私にどうしたいのかって聞いてきたんだよね。その時も今も、はっきり返せていないんだけど…」
確かに、ニアール邸はどこか家具が少なく、よく言えば広々とした、悪く言えば閑散とした、そんな空気があるような気がする。もっとも、豪邸などとは縁もゆかりもない生き方をしている冴島にとっては、あくまで気がする程度の認識なのだが。
「マリアちゃんの叔母のゾフィアはんも言うとったな。あれに参加する奴はバックの会社の言いなりになったりやらなんやらで、国の見世物にされてるだけやって。…騎士や何や言うけど、要するにマリアちゃんの家は軍人家系みたいなもんやろ。それがいきなり、俺の世界でいうオリンピック的なものに出たら…まあ、ウケはするかもしれんけど、よほど強くない限り一発ネタで終わってまうやろなぁ…」
「…叔父さんの言う通りだったな…」
自嘲気味に笑う辺り、ムリナールは無意味である事を予見していたのだろう。
だがマリアがそれを自分の目で確信するまで叔父の言葉を突っぱねていたであろう事は、冴島には容易に想像出来た。
「そない気ぃ落とすなや。そんくらいの失敗、誰にでもあるわ。それに、俺もマリアちゃんの家が賑やかな頃に戻ってほしい気持ち、分からんでもない。」
「大河おじさんも昔はそうだったの?」
「昔…まあ、もう昔やな。俺が昔おった組、笹井組言うんやけど、他所の組と直系争い…まあ、オーナーに功績認めてもらう為に競ってた頃があってな。組の為に俺も頑張ったんや。」
「へぇ~、そうなんだ。大河おじさん、その組に思い入れがあったの?」
「思い入れも何も、そこの組長はあらゆる面で俺の恩人や。やから、俺も組デカくして、親父にはええ思いさせたかったんや…マリアちゃんかて、指咥えて見てるままには居られんかったんやろ?空回りやったかもしれんけど、その想いはホンモノやと思うで。そこは誇ってええとこや。」
「空回り、か…」
そう言うとマリアは振り返る。
そこには彼女を今まで育てた家があった。
「…どないしたんや?」
「私のやろうとしてた事、空回りだったって認めないといけないなって。…お姉ちゃんが戻ってきた今、私がニアール家に対して出来る事は多分ないと思うんだ」
「マリアちゃん…」
自分を育てた存在に対して、貢献できる事が何もない。
かつて所属した笹井組が今はない冴島にはそれがどれだけ辛い事なのかが分かった。そして、それが慰めようのない事も。
だが、先ほどの自嘲とは違う、事実を事実として正しく受け止めた姿がそこにはあった。
「ううん、大丈夫。お姉ちゃんが居なくなってから今まで、ずっと何をするにしても家の事が頭の中を占めてたけど、これからしばらくはそれを忘れていいんだって事。私はただのマリアとして、やりたい事を探さなくちゃ、って。」
「ただのマリアちゃん、か…。」
「まあ、それが今すぐに分かったら苦労しないんだけどね…」
「せやけど、一歩前進したやないか。自分の人せ___」
「大河おじさん?」
「………まあ、応援しとるで。俺は別の用事あるから、先帰りや。」
「うん。じゃ、また家でね!」
少しだけ足取りを軽くして帰る彼女を見送りながら、冴島は自分が何を言おうとしたか反芻していた。
(人生は一度っきりや、後悔せんように生きたらええ…)
言えなかった。
(下手な事言って、マリアちゃんに何かあったらどうすんねん、俺は…)
神室町でも似たような言葉はある若い極道に送ったが、今その言葉は言うべきではないと思い直したのだ。
(ムリナールはんの言った通りや…。俺はマリアちゃんに靖子重ねとんのや…。)
紆余曲折はあれど、彼の空回りの結果の末に極道とは無関係だったはずの妹は目の前で死んだ。
(自分の言葉で、誰がどうなるかなんて容易く変わってまうもんや…。身に沁みて分かったやないか…)
だが、とも思う。それを彼女に対しても無理やり当てはめるのは何か違う気がする。
(マリアちゃん本人が望んどる事やったら、応援してええんとちゃうんか?俺はマリアちゃんの道を閉ざすつもりなんか?自分だけの生き方見つけてほしいんも、危ない橋渡って欲しくないんもどっちも正直な俺の気持ちや。…どないしたらええんや、桐生…兄弟…)
立ち尽くしたままの彼の周りを人々は歩き、過ぎ去ってゆく。
どこにも行くことが出来ず、そこに取り残される。
奇しくも、彼の心境をまま映しているかのようであった。
(このままじゃ、アカン。…神室町に戻るどころやない。兄弟に会わせる顔すらあらへん。…せやけど、どうしたらええんか分からん…)
そんな心境だからか。あるいは自分が狙われる事のない身と油断しているからか。冴島は気付かない。
物陰から、冴島を監視している存在がいる事に。
「……写真との照合完了。観察対象を冴島大河と認定。」
その報告はカジミエーシュ都心に位置するとある商業ビルの一室に送られる。
「今入ってきた…よりにもよってあの家に居たとはね。」
白い髪の女がその報告に驚いた様子を見せる。
彼女にとってその名は苦々しい思い出を想起させるものだった。
「なんや、知り合いかいな?」
反対に、この国の人間なら誰しも知っているその名を黒い髪の男は知らない。
男には目が片方しかない。空になった左目は眼帯で塞がれている。
そして蛇柄のジャケット。革手袋に握られているのは炎の模様が刻まれたドス。
「知り合いも何も…英雄の家だよ。アンタの兄弟はそこに住んでるってさ。…真島吾朗さん。」
「ええやないか…ヒヒヒ…プラチナちゃん、これから楽しくなるでぇ…!」
冴島大河の兄弟分、真島吾朗。
それが同じ都市に来ていたどころか、裏社会の住人になっていた事。
冴島大河は知る由もなかった。
「そういえばさ、さっきゾフィアおばさんに聞いたって言ってたけど…」
「ゾフィアはんがどうかしたんか?」
「ゾフィアと私は叔母と姪じゃないからね?」
「?二人は叔母と姪の関係やないんか?」
「叔母と姪
「…それ、そないに強調する事なんか…?」