アイクたちの功績により、エリンシア王女にはベグニオンより一軍が貸し与えられることになった。そしてアイクは、その一軍を率いる将として、エリンシア王女より爵位を与えられた。
「アイク将軍か。大出世だな」
「茶化さないでくれ。なぜ俺なんだ。親父の方が適任だろう」
そう言って、アイクは団長に視線を送った。
「軍を率いるという経験は、必ずおまえの糧となる。なんなら傭兵団も、アイク傭兵団に改名するか? んん?」
団長はご機嫌な様子で、アイクの頭を無造作に撫でまわした。
最初は当然、団長に将軍職が与えられる予定だったのだが、それがアイクに行くように根回ししたのだ。
この歳になると自分の出世よりも、息子の出世の方が嬉しいんだろう。
「まあこうなった以上、覚悟を決めてやるしかないな。致命的な間違いがあれば指摘するが、俺も団長も基本的にはおまえの指示に従う。おっと、もうおまえなんて呼べないな。アイク将軍」
「やめてくれ。いつも通りでいい。ただでさえ、みんなから将軍、将軍と揶揄われているんだ」
「みんな嬉しいのさ。おまえが認められたことがな」
「……そういうものか?」
「堅苦しく考えるな。これまで通りやればいい!」
団長がバシンとアイクの背中を叩く。その衝撃で、アイクは軽くたたらを踏んだ。
「分かった。じゃあ出撃の準備をしてくる」
そう言って、アイクは部屋を出て行った。
団長の表情が笑顔から真面目なものへと変わる。
「で、どうだった? 元老院は」
「なかなかに黒いですね。全員を調べたわけではありませんが、神使の方針とは合いそうもありません」
こうなってくると、先代神使の暗殺事件も、元老院が絡んでいた可能性が現実味を帯びてきたな。
「そちらはどうでしたか?」
「蔑んだ目で見られたよ。平民ふぜいが、傭兵ふぜいが、何故この場にいるのだ、という目でな。あれでは、神使とは相容れぬだろう。だが、神使といえども迂闊には手を出せん」
「私兵を持っていますからね。下手をすれば内乱です。この状況でそれはおいしくありません」
そんなことになれば援助を打ち切られ、クリミア再興は難しくなる。これ以上踏み込むのはやめておいた方が良いだろう。結局は他国のことだしな。
「ですが、その割に最近は機嫌が良さそうですね」
「ようやくエルナの願いを叶えられたからな」
「エルナさんの願い……ですか? お聞きしても?」
「あのメダリオンを、本来の持ち主に返すことができたのだ」
あれ預かり物だったのか。道理で捨てたりできなかったわけだ。
「それは俺にとっても朗報ですね。団長を殺さずにすみそうです」
「……ふっ、確かにそうだな」
久しぶりに、団長の朗らかな顔を見たような気がする。
そして、この年最初の雪が降り積もる中、将となったアイクが率いるクリミア正規軍は、厳しい峰を連ねるベグニオン=デイン国境へ進撃を開始した。
◇
俺と団長は、小高い丘から今回の戦場とトレガレン長城を眺めていた。
「さて、アイクたちはどんな作戦を立てるでしょうね」
俺と団長は軍議には参加していない。これもアイクやセネリオに成長を促すためだ。
「竜騎士に対してどう兵を敷くか、だな」
団長が唸り顔で答える。弓兵を揃えて対抗するのが王道ではあるが、貸与されたベグニオンの弓兵の練度は、悪くはないもののいまいち心もとない。
天馬騎士団をあてるというのも、西の方に不穏な気配がある。
「海賊が丘に上がっても知れたものだが、翼を持つ奴らには関係ないか。しかし、何を考えている? ただの出稼ぎとも思えんが……」
団長が西の山を睨みつける。そこでカラス兵が目撃されたのだ。
「それについては策があります。向こうにキルヴァス王がいれば上手くいくでしょう」
「いなければ、戦闘になるか?」
「ええ。おそらくは」
この情報を知っているのは、おそらくキルヴァス王のみか、あるいは限られた側近だけだろう。ただの隊長クラスでは交渉にはならない。
キルヴァス王は、あの海で見た青髪で目つきの鋭い男に間違いなさそうだ。
「では先手を打ってきます」
「ああ、気をつけろよ」
「ええ」
団長と別れ、ラグズ兵の集まる天幕を目指す。
幸い、目当ての人物はすぐに見つかった。
「ヤナフ殿、ウルキ殿。少しよろしいか?」
「何か用か?」
2人の顔が強ばる。まだ警戒されてるか。彼らはセリノスの森の一件から同行することになったリュシオン王子の護衛として、フェニキス王から派遣された者たちだ。
話したのはキルヴァス王の特徴を訊いた時だけだからな。だがこの交渉に彼らの協力は必要不可欠だ。
「西の山にカラス兵が集っているようです」
「ああ。俺の目にはばっちり映ってるぜ。あいつら何やってんだろうな、あんなところで」
「その中にキルヴァス王の姿は?」
「今は見えねぇ。奥に引っ込んでんのかもな」
ならば、いるのは間違いないか。帰られる前に行くしかないな。
「キルヴァス王と交渉したい。協力してくれませんか?」
「……言っとくけどな。ベオクは鳥翼族っつって羽根のあるラグズをひとまとめにしているようだが、俺たちとあいつらは別に仲間ってわけじゃねぇぞ。当てにされても困るってもんだ」
突然の話に当惑したのか、暗に交渉なんて無理だと言っているようだ。
「交渉材料は私が持っています。ヤナフ殿にはキルヴァス王への取り次ぎをお願いしたい」
「……それくらいなら、まあいいけどよ。あいつらもいきなり襲ってくるってこたぁねぇだろうし」
「良かった。では早速行きましょう。ウルキ殿、私を掴んで飛べますかね?」
俺は結構大柄だからな。断られたら馬で行くしかない。
「……まあ、大丈夫だろう」
ウルキ殿に掴まれて空を行く。
西の山に近づいたあたりで、黒羽根の一団がこちらに向かってきた。
その先頭にいるラグズが、告げる。
「おいおい、随分と珍しい組み合わせじゃねぇか。鷹王の『目』と『耳』が、ニンゲンと一緒にお空の散歩か?」
笑われて憮然としたヤナフ殿だったが、すぐにこちらへと視線を向けた。
「俺が取り次ぐまでもなかったな。キルヴァス王、このベオクがあんたと交渉したいんだとよ」
「……ほぅ。面白れぇじゃねぇか。言ってみろよ、ニンゲン」
キルヴァス王がその秀麗な面貌に嘲笑を刻んだ。
「我が軍の戦列に加わって頂きたい」
「俺たちを雇いたいってことか? そいつは高くつくぜ」
「報酬はこちらでいかがですか?」
懐から1枚の書類を取り出す。キルヴァス王は眉根を寄せながらも、近くにいた兵に書類を取ってくるように指示を出した。しかし俺は、手を前に出しそれを制止する。
「重要なものでしてね。他者の手を介したくありません」
「……チッ、言うじゃねぇか」
悪態をつきながらも、キルヴァス王は黒翼を羽ばたかせて俺の眼前まで移動した。ひったくるように書類を奪い、その内容を確認する。その瞬間、切れ長の目がカッと見開かれた。
「おまえ! これをどこで手に入れた!?」
「蛇の道は蛇、とだけ言っておきましょう。重要なのは入手経路ではなく、交渉が成立するかどうか、ですよ」
「おまえは、これがどういうモンか知ってるのか」
「もちろん」
これはガドゥス公爵の弱みを探らせていた時に偶然見つけたものだ。こんな悪魔の契約書をよく交わしたモンだよな。軽々しく契約書を交わしてはいかんよ。社会人の常識だぜ。
しかも血印入りの契約書なんてどう考えても普通じゃない。明らかに魔法的な拘束力のあるものだ。ガドゥス公爵が厳重に保管していたことからも、重要書類であることが窺える。
キルヴァス王は再度書類と俺を交互に眺め、ニヤリと笑った。
「……俺が強奪するとは考えなかったのか? こいつは今、俺の手の中にあるぜ?」
肩がみしりと痛む。ウルキ殿、爪に力を籠めるのはやめてくれ。まあ実直な彼は、そういう狡いことは嫌いなのだろう。
実際それをやられたら、こちらになす術はない。この状態では戦いにすらならないからな。
「キルヴァス王を信じます」
「…………まあ、いいだろう。受けてやるよ」
しばらくの黙考の後、キルヴァス王はこれを快諾した。
「よろしいのですか? 我々はすでにデインと契約しておりますが」
「はぁ? なにやってんだ、この馬鹿ガラスども!」
「……デインにつくとは……信じられん」
反射的にカラス兵がこぼした言葉に、ヤナフ殿とウルキ殿が噛みついた。
「おい、うちの情報をペラペラ喋るなよ」
「も、申し訳ありません」
「あいつらには金を返せばいいだけさ。所詮はその程度の関係だ」
キルヴァス王は、赤い唇にシニカルな笑みを浮かべた。
「しばらくしたらそっちの陣に行く。間違って攻撃してくれるなよ。ああ、そっちの2人もよろしくな。これから仲間になるんだ。仲良くやろうぜ」
「クッ、なんだよ急に機嫌良くなりやがって。気持ちわりぃ!」
「…………」
キルヴァス王の軽口に、ヤナフ殿は憤慨し、ウルキ殿は沈黙で返した。周囲のカラス兵は、キルヴァス王の豹変ぶりに困惑しているようだ。
「ああ、少々お待ちを」
背中を向けて飛び去ろうとしているキルヴァス王を呼び止める。
「なんだよ。オマケでもくれるってのか。そういうのは歓迎だぜ?」
「ええ、これを」
懐からもう1枚の書類を取り出し、キルヴァス王へと渡す。
「ガドゥス公爵のスケジュールです。特に意味はありませんが」
「……くくくっ、なるほどなぁ。特に欲しくもねぇが、まあ貰っといてやるよ」
「それと合流は後にして、戦いが始まったら、頃合いを見て竜騎士隊に後背から襲い掛かって下さい」
「えげつねぇな。まあ手土産は必要か。了解だ。空の戦いでニンゲンに後れを取るつもりはねぇ」
キルヴァス王はくつくつと笑いながら飛び去って行った。
ネサラ参戦。軽々しく契約書にサインするのはやめましょう。