キルヴァスの助力を得たクリミア軍は、大きな犠牲もなくトレガレン長城を突破した。
しかしデイン軍以上にクリミア軍を苦しめたのは、厳しい寒さだった。大陸の北部に位置するデイン王国は、その位置と北の海から流れてくる冷気によって、冬は苛烈なまでの寒さと雪に見舞われる。
だが軍の歩みを止めるわけにはいかない。兵は神速を貴ぶ。所詮は烏合の衆と侮っているうちに攻め進み、王都ネヴァサまで駆け上がる。
次なる戦場はダレルカの地。
降雪が治まる様子はない。
アイクから軍議の報告を受けた俺は、少し気になることがあったので、再度主要メンバーに集まってもらった。
キルヴァス王の姿はない。彼は休暇を取ってどこかに行っている。本隊は残しているので、そのうち戻ってくるだろう。
「……ここだ。この水門が気になる」
俺はテーブルに広げられた地図の一点を指差した。俺の指摘に、セネリオが反論してくる。
「それは僕も気づいていました。水攻めを警戒しているのでしょう? しかし火攻め水攻めは敵地で行うのが鉄則です。自国でやる馬鹿はいません」
セネリオの言ったことは正しい。戦は勝って終わりじゃない。その後はまた畑を耕さなければならない。
俺たちの足止めのために、畑まで水浸しにするのは、割に合わない。誰だってそー思う。俺だってそー思う。
「セネリオ。おまえの言っていることは正しい。但しそれは、相手がまともな指揮官だった場合だ」
「……相手がまともではない、と? 敵の指揮官は【四駿】のプラハ将軍です。不足があるとは思えませんが」
「ガリアで別行動したことがあっただろう。団長が俺、シノン、ガトリーを従えて陽動に動いた時だ。その時に団長はプラハ将軍を退けている。軽々とな」
「クククッ、ありゃ傑作だったな」
「団長に手も足もでなかったすからね」
俺の言葉に、シノンとガトリーが追随する。団長は面映ゆいような、何とも言えない表情をしていた。
「そういうわけで、プラハ将軍は団長を恐れている。人間は危険が迫ると3つの行動に出る。そのまま突っ走るタイプ。迷わず引き返すタイプ。そして一旦立ち止まって様子を見るタイプ」
俺は右手の指を3本立てた。
「プラハ将軍は、かなりの自信家で残虐な性格だという噂です。が、その自信は団長によって打ち砕かれた」
「そういうことだ。かといって一戦もせずに引くわけにもいかない。となれば……」
「なるほど。水門を開いて我々を押し流す……それに一帯を水に沈めれば行軍速度は落ちます」
セネリオは得心がいったとばかりに首を縦に振った。
「タニス殿、天馬騎士団を率いて、迅速に水門を確保してください」
「了解した」
「ジル。キミも同行しろ。行けるか?」
「……大丈夫です」
敵軍には彼女の父、シハラム将軍の姿が確認されている。アイクがジルと眼帯のデイン兵が話しているのを目撃したらしい。アイクは彼女を前線から外そうとしたが、彼女自身の意志を尊重したようだ。
「ならばいい。こちらが水門の確保に動けば、敵も動くだろう。さらに本隊が敵を引き付けつつ、団長、精鋭を率いて本陣を急襲し、プラハ将軍の首をとってください」
「任せろ」
「ちょ、ちょっと待てミスラ! それは親父の負担が……」
「アイク、俺の心配よりも自分の心配をしろ。軍の押し引きというのは簡単ではない。拮抗状態を維持するのは、なかなかに難しい。学べ、アイク」
「……分かった」
団長の気迫に圧されたのか、アイクはすんなりと引いた。
こうして、戦端は静かに開かれた。
先んじて水門を確保した天馬騎士団に対して、シハラム将軍率いる竜騎士隊が襲い掛かる。
これは想定通り。そして本隊同士が激突している間に、団長が神速の勢いで駆け上がり、プラハ将軍を討ち取った。
この報はすぐに知れ渡り、デイン兵は敗走を始めた。
これに際し、娘の説得にも応じなかったシハラム将軍は、領民と部下の命を保障することと引き換えに降伏した。
ダレルカの地で行われた攻防は、わずかな時間で決着を迎えた。
◇
投降した竜騎士隊には2つの道があった。彼らは元を辿ればベグニオンの出身で、その伝手でベグニオンへと帰るか。あるいは、このまま行動を共にし、デインと戦うか。
てっきり前者を選ぶのかと思ったが、全員が共に戦うことを選んだ。
理由はやはり、シハラム将軍だろう。
投降した彼は虜囚の身となった。ジルの功績次第で解放することになると知った彼らは、ジルの下で働くことを望んだ。その結果、竜騎士隊はジルが率いることになった。
当然ながら、この世界にはジュネーブ条約やハーグ陸戦条約はないので、捕虜の扱いは勝者次第なのだ。
新たな空の戦力を得て、次の戦場、そして最後の戦場であろうデインの王都ネヴァサが迫っていた。
その王都を目前にして、俺は団長と向き合っていた。
「王都ネヴァサは目前です。おそらくアシュナードと決戦になるでしょう。あなたはどうなさるおつもりですか?
口調を改め、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。俺がアイクや団長を隠れ蓑にして、なるべく目立たないようにしていたのは団長も気づいている。
俺が国を出てから20年ほどが経った。俺の顔を知るものはほとんどいないだろう。それでも王都となれば、古参の将兵もいるはずだ。その全ての将兵がアシュナードに忠誠を誓っているとは限らない。
このまま
だが本当に、それでいいのか?
これは、誰の物語だ?
「あなたはどうするのです? 神騎将ガウェインに戻るのですか?」
「さて、今さらその名を知っている者が残っているとも思えませんが――」
いやいや、俺みたいな木っ端の王子より、最強の四駿である団長の方がよっぽど知名度あったからね。
ベグニオンではアシュナードの方が有名だったけど、国内では先王と並ぶくらい【神騎将ガウェイン】は有名だった。尤も、名は知れ渡っていても、顔まで知っているものは少ない。名前を変えていることもあって、これまでの戦いで気づく者もいなかった。
「1度は捨てた名ですが、状況次第ですな。被害を抑えるため、必要とあらば再び名乗ることもありましょう」
「……これ以上、責任から逃げるのはやめにします。王族として生まれた責務を果たす。国民が受け入れてくれるかは分かりませんが、アシュナードを討ち、この国を正しく導きたいと思います」
「では私も、微力ながらお力添え致します。殿下」
そう言って、団長は俺の前で膝をつき、臣下の礼を取った。
「ありがとう。万の兵を得た気分です」
その後は、アイクやセネリオ、ティアマトといった主要メンバーに事情を話した。ミストは「王子様なんて信じられない……」と小さく呟いていたが、ちゃんと聞こえてるからな。まあこんなおっさんの王子なんて、イメージに合わないってのは納得できるが。
俺の正体を明かして、新たに策を練る。
敵が野戦を望むか、それとも籠城するか。だが敵は思いもよらない手を打ってきた。
王城の門が開け放たれたのだ。
「これは……予想外の展開です。篭城するほうが圧倒的に優位であるはずなのに……敵の策がまったく読めません」
「要するに誘引だ。奥に一撃必殺の罠が用意してあるか。俺たちが入り切ったのを見計らって門を閉め、軍を分断するつもりだろう」
「……なるほど。そうなると、門を守る兵が必要ですね。しかも、それが敵の本命策なら生半可な兵力では突破されるでしょう。どうしますか? アイク」
「親父、頼めるか?」
「ふっ、よかろう。門は俺が死守しよう。存分に攻めてこい。だがその前に……」
団長の視線が俺を向く。ま、やるだけやってみますか。
俺はジルの手を借り、飛竜の背から城壁の上に飛び移った。隣には俺の素性の補強と
護衛のために、団長が立っている。
城内を見渡し、大きく息を吸う。
「デイン軍将兵の方々、デイン国国民の方々。私の顔を覚えている者はいるだろうか? 私の名はミトラス。かつてデイン王国の第7王子と呼ばれた男だ!」
声を張る。全ての兵士たちに届くように。
「私はこの場を借りて、デイン王家の血を引く者として語りたい。かつての私は、王位継承からは程遠い立場だった。国政に携わることなど考えられなかった。だから私は剣の道を極めんと国を出た。我が父が、我が兄たちが、この国をより良くしてくれると信じて」
城内のざわめきが大きくなる。
「現王アシュナードは18年前、流行り病により王族が彼以外死亡した事件を機に王位へ就いた。それはいい。そのことに対して、私に不満などはなかった。だが彼の極端な実力主義思想は政策にも表れ、力さえあれば誰でもデイン王宮騎士団入りが叶うという民への希望を与えた一方、弱者へは徹底的に非情だった」
実際のところ、この政策は悪いことばかりじゃない。力さえあれば貧民街の生まれでも騎士になれる。また力とは無縁の農民たちにとってはまるで関係のないことだろう。
「私は子供の頃からこの国の思想に疑問を持っていた。ラグズを半獣と蔑むことが、果たして正しいのか。私は大陸を旅して、その答えを得た。これは女神の望むところではないと!」
女神という言葉を出したことで、クリミア軍や、借り受けたベグニオン兵のざわめきも大きくなった。実際に女神がどう思っているかなどは知らん。
「ベオクもラグズも、この唯一残されたテリウス大陸で生きる仲間なのだ。いま一度考えてほしい。この美しい大陸を、戦乱で汚すことが果たして正しいのか。アシュナードのような、欲望に根ざした侵略が果たして正しいのか。私はこのデインを、そしてこの大陸を正しい姿として蘇らせたいのだ。かつてベオクがラグズを虐げた時代があった。そしてラグズがベオクを虐げた時代もあった。それは不幸だ。もう、その歴史を繰り返してはならない。ベオクとラグズは手を取り合って生きていけると、なぜ信じられないのか」
俺が掲げるのはアシュナードとは真逆の平和路線。それで兵たちの心を揺さぶる。
「貴族の力は持たざる者たちのためにある。その本分を思い出してほしい。クリミア王女の目的は復讐でもデインの侵略でもない。祖国の奪還、ただそれだけである。ならば我々は分かり合えるはずだ。手を取り合うことができるはずだ。諸君らの英断に期待する。耳を傾けてくれてありがとう」
結局、演説が終わるまでアシュナードは出てこなかった。デイン軍の混乱を鎮めるためには、あいつが出てくるしかないんだが。
そこで一騎打ちをするつもりだった。まあ勝てるかどうかはともかく、それが一番手っ取り早い方法だったのだ。
だがアシュナードは、最後まで出てこなかった。
みんな忘れてるかもしれないけど、主人公は王子様だったんですよ。