決戦の前日、王都メリオルからデイン兵の一団がやってきた。
まさかの強襲かとにわかにどよめきだったが、先頭の騎馬兵が白旗を上げていることで落ち着きを取り戻した。
その男は、いま俺の前で膝をついている。
「ブライスと申します。アシュナード王の傍に仕えておりました。二君に仕える愚か者と蔑まれようとも、御身に仕えたく馳せ参じました」
ちらりと横手に視線を向ける。タウロニオ将軍は小さく頷いた。本人に間違いないらしい。確かに、子供の頃に見た覚えはある。さすがに埋伏の毒ってことはないと思うが。
いや、疑うのはよくないな。信じられたければ、まず信じなければ。
「よくアシュナードのもとから脱出できたな」
「行きたければ行けばよい、そうおっしゃいました。それもまた一興だ、と」
わけが分からないよ。ブライス将軍といえば、先王の代から仕えている不動の四駿と名高い名将だ。最終決戦を目前にして手放すとか、なに考えてんだ?
「しかし、事ここに至るまで、貴公はアシュナードを支えてきたのだろう。今さら旗色が悪い、などという理由で離反したわけでもあるまい?」
「……真実を、知りましたので」
「真実、とは?」
「アシュナード王はおっしゃいました。先王の死は病魔ではなく、自らが手にかけたのだと」
「なっ!? それはまことか、ブライス!」
タウロニオ将軍がブライス将軍に詰め寄る。
「まことだ。そして、王妃の方々、正当な後継者である殿下の方々を、玉座に就くためには邪魔だと、始末した、と」
ブライス将軍は歯をギリリと鳴らした。タウロニオ将軍は呆然としている。流行り病に倒れたのではなかったのか。
まさか、本当に手にかけていたとは……。
「ミトラス王子がネヴァサに現れたという報告は上がっておりました。最初は半信半疑でございましたが、タウロニオ将軍や、この場にはおられないようですが、ガウェイン将軍が仕えていることを知り、真にミトラス王子であると確信いたしました。そして、ご尊顔に拝して、その確信はより強固なものになりました。どうか、この老骨も配下の末席にお加えくださいませ」
ここで断ったりしたら、腹でも斬りそうなくらいの覚悟を感じた。なんというか、そんなスゴ味がある。
俺はゆっくりと前に進み、ブライス将軍の手を取った。
「歓迎しよう、ブライス将軍。どうかこの非才な身を支えてくれ」
「……もったいない、もったいないお言葉でございます」
ブライス将軍の双眸から涙がこぼれた。
◇
王都メリオルは目前にあった。
クリミア軍総大将アイク、そしてクリミア王女エリンシア。
彼らの率いる軍勢はほとんどの準備を終え、静かに下される命を待っていた。
1年にわたったこの戦乱の【終わりの始まり】が今、迎えられようとしていた。
アイクが最後の作戦の指示を飛ばす。
フェニキス・キルヴァスの連合部隊には、空からの包囲と西側の対処を。
ガリアの戦士たちには、東側の対処を。
正面からはエリンシア王女率いるクリミア軍と、俺が率いるデイン軍、そしてグレイル傭兵団が攻めかかる。
策は決まり、決戦を前にして、エリンシア王女が兵たちの前に立った。
「クリミアの勇敢なる兵士たち。窮状に救いの手を差し伸べてくれたベグニオンの方々。ガリア、フェニキス、キルヴァスの雄々しきラグズの方々。祖国を正すために立ち上がったデインの方々。そして、この戦いのはじめから私を助け、共にいてくれたグレイル傭兵団のみなさん!」
その凛々しく美しい声は、静寂の中に大きく響いた。
「あなたがたの力強い手が、私を今日まで生かしてくれました。心から感謝しています。この戦いが終わったら、ここにいてくださる方、1人1人にお礼を言わせていただきたいです」
兵士たちは静かに聞いている。身じろぎひとつしない。
「だけど、その前に、最後にもう1度だけ、私にみなさんの手を貸してください! デイン王アシュナードを討ち果たし、クリミアを取り戻すために! お願いしますっ!」
歓声が上がる。あちこちから拍手の音が聞こえてきた。
気炎が渦を巻いて高まっていく。王城を囲んだ軍は三方から攻めかかった。軍全体の士気も高く、戦況はこちらが優勢だった。
程なくして城門を突破し、本隊が城内へとなだれ込んだ。
その瞬間、耳をつんざくような音が聞こえてきた。
「アシュナード!?」
エリンシア王女が叫ぶ。
轟音の正体はアシュナードの騎竜の雄叫びだったのだ。
俺は目を疑った。大将が突っ込んで来ただと?
ラスボスってのは玉座でふんぞり返ってるモンだろうが!
トチ狂ってお友達にでもなりに来たのか?
それはそれで歓迎……できるか? まあ戦争が終わるならそれでもいいが……。
「――ッ!? 下がれ、エリンシア!」
アイクがエリンシア王女の前に出る。
だがアシュナードの視線はエリンシア王女に向けられたままだ。
「くくくく、久しいな、クリミア王女よ」
「…………」
エリンシア王女は毅然とした態度を崩さず、無言でアシュナードを睨みつけた。
「その姿、見違えたぞ。あの時、クリミア国王夫妻を我が手にかけた時、我を見上げて震えていた小娘とは、とても思えぬな」
「お、おまえを……おまえを倒すために、戻ってきました。これ以上、我がクリミアを好きにはさせません!」
「くっくっくっ、それは勇ましいことだ。だが、我の相手は貴様ではない」
アシュナードの狂気じみた瞳が、一瞬だけ団長に向いたが、すぐに興味を失ったように視線を変えた。
その獰猛な瞳がこちらを向く。
脇を固めていたタウロニオ将軍とブライス将軍が警戒の色を強めるが、アシュナードは歯牙にもかけない様子だった。
「貴様がミトラスか。覚えているぞ。名前だけはな。アレの呪いで死んだものと思っていたが、まあ貴様が本物であろうが
「何故だろうな。切っ掛けさえなければ、今も逃げ続けていたのかもしれない。しかし故あって俺はここにいる。だから俺は、おまえを殺す」
「くくくくっ、ふははははははっ」
アシュナードは笑った。哄笑が城内に響き渡る。
「面白い、面白いぞ。ここにいるのは我が手塩にかけて育て上げた精鋭ばかりだ。おまえたちがどのように戦うか、しばらくは見物させてもらおう。我を存分に楽しませてみせよ!」
「待てよ!」
飛び立とうとするアシュナードを制止する。
「せっかく来たんだ。慌てて帰る必要もあるまい。俺が死ぬか、おまえが死ぬか。分かりやすいだろ? さあ剣を抜け! それとも俺が怖いか?」
「くくくっ、面白い挑発だ。ならば是非もなし! 貴様の首を掲げて、開戦の合図としてやろうぞ!」
アシュナードの気勢が高まる。それは恐怖という概念が具現化したような暴威だった。
そして、アシュナードは漆黒の騎竜から飛び降りた。
「何のつもりだ?」
「貴様とは対等の条件で戦ってみたくなった。一片の言い訳すら許さぬために、な」
「そうか」
悪くない展開だ。イナ将軍との約束も守れた。
「我が望むは、力による支配。弱者は滅び強者が生き残る。それが自然の摂理というものだ!」
「力による支配はいずれ崩壊する。いま、この時のように!」
「力で我を滅するか。なればそれも自然の摂理というものよ!」
アシュナードが大剣を大上段から振り下ろす。受け止めた瞬間に、身体が潰されるような衝撃を受けた。膂力は漆黒の騎士以上だ。
「どうした、その程度か? もっと我を楽しませろ!」
アシュナードが狂ったように大剣を打ち込む。唇には壮絶な笑みが刻まれていた。あの巨躯で、しかも超重量級の武器を扱っているにもかかわらず、その動きは驚くほど俊敏だ。
攻撃のひとつひとつが必殺の威力を秘めており、この鎧なんて紙のように切り裂かれるだろう。
――チッ、恐怖に呑まれるな。踏み出せ。そこっ!
「ほぅ。悪くないぞ」
「争いは不幸しか生まないとなぜ分からない! ベオクもラグズも大陸の一部なんだ。だからこそ希望や理想を持っている。手を取り合って進化すべきなのだ。俺は貴様ほど人類に絶望しちゃいない。ベオク同士が争って、ベオクとラグズが争って、そんなことばかり続けて行けば、いずれ女神は人類に失望し、唯一残ったこの大陸すら沈めてしまうぞ!」
「よく喋る!」
自分でもよく分からないことを言っている気がする。恐怖に呑まれまいと気分が昂っているのかもしれない。
「なぜ邪神を解放しようとする? 唯一残ったこの大陸すら沈んでしまうかもしれないというのに!」
「確かに、邪神復活によってこの世界は滅ぶやもしれん。だが、滅びぬ可能性もある。我は、今の世界の成り立ちに疑問を抱いておるのだ」
「それを力で変えようというのか!」
俺が繰り出した一撃を、アシュナードは大剣で受け止め、受け流すように横に薙いだ。俺は泳ぐ身体を制御し、アシュナードの顎先に蹴りをぶち込む。だがそれは致命傷には至らず、アシュナードは一瞬の怯みもなく向き直り、にやりと笑った。
「然り。我は今の世界の成り立ちに疑問を抱いておるのだ。どのように力をもって生まれようと、出自が悪ければ生涯それに振り回されねばならぬのが現実。生まれでる先は、選べぬ。なのに、生まれに恵まれなかった者は、それを呪いながら生きてゆくしか道はないというのか?」
アシュナードの顔に、愉悦と会心の笑みが浮かぶ。筋肉が膨張し、攻撃が苛烈さを増していく。
「違うだろう。他の者より力があるなら、それを行使するべきなのだ。だから我は、力によってこの世界を創り変える。身分など問わぬ。人間か半獣かさえも問わぬ。力あるものが、全てを得る。それが真の公平というものだろうが」
「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ、か?」
「然り。それが自然の摂理。何度も言わせるな!」
転げて回避した俺の胸目掛けて、アシュナードは渾身の蹴りを放った。まともに喰らえば肋骨が折れ、肺に突き刺さって死に至るだろう。全身のバネを使い、さらに跳躍してその一撃を躱す。
「それは獣の理屈だ!」
「我を半獣扱いするか!」
「ラグズの方が理知的だ。人には役割がある。おまえは畑を耕したことがあるのか? 酒を造ったことがあるのか? 家を建てたことがあるのか? おまえにはできまい。強さだけが人の価値ではない!」
「すべて弱者の理屈だ!」
「だが真理だ!」
女神の祝福を受けた剣がアシュナードの腕を切り裂く。しかし深手ではない。アシュナードの瞳が炯々に光を放つ。
「届かぬ! この程度では!」
アシュナードが大剣を振りかぶる。
――今だ!
イメージするのは一条の光。
超高速の域に達した俺の速度に、アシュナードの目が見開かれる。女神の祝福を受けた剣が、アシュナードの腹腔を深々と刺し貫いた。
「……我に速さの限界を……見誤らせた……のか」
「そういうことだ。すべてはこの一撃のために」
万が一の反撃を警戒して、後ろに下がる。傷口から鮮血が溢れ出した。アシュナードは口腔からこぼれ落ちる血を拭いもせずに、不敵な笑みを浮かべる。
「……我が敗れる、か。くっ、くくくくくくっ、だがまだだ。まだ終わらぬよ」
アシュナードが鎧の下からなにかを取り出す。
「今こそ、これを使う時ぞ……」
メダリオンが光り出し、アシュナードの瞳が狂気に染まっていく。
直後、俺の身体は再び風となった。
「悪いが、
宙に舞ったものがなにか。それがアシュナードの首であることに群衆が気づくには、幾ばくかの時間を要した。
一瞬後、歓声と悲鳴が轟いた。
「アイク! 指示を出せ! 親衛隊が突っ込んでくるぞ!」
「ああ! 腕に覚えのある者は名乗りを上げろ! 最後の仕上げだ!」
アシュナードが自ら鍛えたと豪語する精鋭たちが、主の仇を取らんと突っ込んでくる。
最後の戦いが始まった。
次回、最終回。