「お母さん。最近ね、お母さんによく似てきたって言われるんだ」
ミストの囁くような呟きは、春風に乗って流れていった。グレイル傭兵団の拠点のはずれにある小さな墓石。その下にはエルナさんが眠っている。
彼女が亡くなったのは8年前。流行り病によってその命を落とした。
花と笑顔の似合う女性だった。
俺の隣にいるアイクは、その墓前で手を合わせるミストを瞬きもせずに見つめていた。
それは、墓石に向かって会話するミストを、優しく見守っているようにも見えた。
しかしまぁ、
ひとしきり喋り切って満足したのか、ミストはパンと膝を叩いて立ち上がった。
「よし、じゃあ行こっか。ミスラさん、今日は何のお勉強?」
「そうだな。じゃあベオクとラグズについて学ぼうか」
「うん!」
笑顔を浮かべるミストの隣で、アイクは眉間のしわを深くしていた。
「勉強は……苦手だな」
「もう、お兄ちゃんはそればっかりだね。ちゃんとお勉強もしないとお父さんみたいになれないよ!」
「分かっている。ちょっと愚痴っただけだ。まったく……」
アイクはため息を零しながら、ミストの髪を撫でた。
学習室に入ると、そこにはキルロイとヨファが席についていた。
「……ボーレはまたサボリか?」
「すいません。用を足すと出て行って、まだ帰ってきてません」
キルロイがバツの悪そうに答えた。
「お兄ちゃんよりダメダメだね」
とミストが呆れたように呟く。
「まあいいさ。では始めよう。今日はラグズについて話そうか」
授業を始めようと思った矢先、ヨファの手が上がった。
「ミスラさん。ラグズって……半獣のことだよね」
「ヨファ。それは……」
キルロイがたしなめようとするが、俺がそれを制した。
「ヨファ。半獣というのは蔑称……蔑んだ呼び方なんだ。そうだな、おまえが初対面の相手に「おいクソガキ」なんて呼ばれたら、いい気分じゃないだろ?」
「……うん。でもシノンさんやガトリーさんは半獣って呼んでたよ。知らないのかな?」
ガトリーは何気なく言っている可能性もあるが、シノンは間違いなく知った上で使っているだろうな。
「さて、どうだろうな。今度聞いてみるといい。だがなヨファ。人の感情というものはそう簡単じゃない。もしかしたら、シノンは両親をラグズに殺されたのかもしれない。もしそうなら、ラグズと仲良くしましょうって言って、受け入れられると思うか?」
「……難しいかも」
「だからこそ話し合うことが大事なんだ。今度じっくり、シノンと話してみるといい」
「うん! わかった!」
ヨファは元気一杯に答えた。今度はミストが手を挙げる。
「ねぇねぇミスラさん。わたしラグズに会ったことないんだぁ。どんな感じなの? こわい?」
「そんなことはない。クリミアとガリアは友好条約が結ばれているから、いきなり襲われるということはないだろう」
「え、そうなの? 知らなかった」
「知らない人は多いよ。上層部で決められた条約だけど、民間までは伝わり切っていないんだ」
そう答えたのはキルロイだ。残念ながらキルロイの言うように、この条約はクリミア全体に知れ渡っているわけではない。王都から遠くなるにつれて、その傾向も強くなっている。
「というか、アイクとミストは小さい頃ガリアにいただろう? 覚えてないのか?」
「……全然覚えてない」
「アイクはどうだ?」
「いま思えば、村人のみんなもラグズだったんだな。俺たちとあまり違わないから、気づかなかった」
化身してないラグズは人間に近い見た目をしているからな。まあ獣牙族は耳に特徴があるけど。
「ラグズと言っても色々な種族がいる。ガリアにいるのは大半が獣牙族だ。南には竜鱗族が治めるゴルドアがあるが、この国は他国との接触を嫌っている。入るなら彼らを納得させるだけの理由と覚悟が必要だ。さらに海を越えて南に行けば――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺の説明を遮って、アイクが待ったをかける。
「どうしたアイク?」
「そう次から次にまくしたてないでくれ。頭に入りきらん」
アイクが渋面で呟いた。聞き流すのではなく、理解しようと努めるのがアイクの良いところだ。
「ふっ、すまんな。急ぎすぎたようだ。ゆっくりやろうか」
そんなアイクの様子を、ミストは温かい目で見つめていた。
◇
「おい、ミスラさん! あんたまたヨファに妙なこと吹き込んだだろ!」
「シノン、帰ってたのか。また、とはご挨拶だな。ヨファがどうした?」
俺は苦笑を浮かべてそう言った。
「オレの家族がラグズに殺されたことになってたぞ!」
「ラグズか。半獣はやめたんだな」
「……やっぱりそれが狙いか。余計なことをする」
シノンは怒りを通り越して、呆れたようにため息を落とした。皮肉屋で口調も強いが、悪いやつではないのだ。子供には優しいしな。
「別に押し通してもよかったんだぞ。譲れないものがあるのならな」
「食えないやつだよ、あんたは」
「つき合いも長いんだ。そろそろ慣れてほしいな」
「……ちっ、団長が呼んでるぜ。厄介なことが起こったらしい」
シノンは頭をポリポリと掻きながら踵を返した。俺もシノンを追って作戦室へと足を運ぶ。すでに全団員が揃っていた。
うん? セネリオがいるな。他の傭兵団に修行に行っていたはずだが、それが全員を集めた理由か。
そして、セネリオが急遽帰還した理由を語り始めた。その理由に、全員が目を丸くする。
クリミアとデインの間で、戦争が始まったのだ。
セネリオの話では、デイン国王アシュナードはクリミアの王城に急襲をかけるという奇策を取った。
それに対して、クリミアは王弟レニング率いる王国軍を動員して徹底抗戦に入った。そこでセネリオは王都メリオルから脱出したため、その後はどうなったか分からないらしい。
「現在、戦況はどうなっているか分からん。その上で、みんなの意見を聞きたい」
グレイル団長がみんなの意見を募っていく。
ティアマトはクリミア軍に味方すべし。
セネリオは静観。舌鋒鋭いセネリオは国力差を考え、クリミアの滅亡もやむ無しと口にした。
それに対してティアマトが反論し、さらにセネリオが情を挟まず理路整然とした物言いで返す。白熱しそうになった口論を、団長が制した。
「2人ともそこまでだ。どちらにせよ、現状を正確に把握する必要がある。1度王都を偵察した方がいいだろう。ミスラ、頼む」
「了解です、団長」
「補佐としてティアマト、アイクも同行しろ。セネリオとキルロイもだ。ミスラ、それでいいか?」
「はい。偵察ですからね。少人数の方が動きやすい」
「うむ。ではよろしく頼む。解散!」
こうして、俺たちは王都メリオルに向けて出発した。
ちょっと迷ったんですが、エルナさんには退場してもらいました。
まあ夫に殺されるのと、家族に看取られて逝くのでは全然違うし……。
アイクはすでに初陣を済ませています。
いつも通りサクサク行きます。