「はぁ……」
渡り廊下から中庭を見下ろし、物憂げなため息をつくのはラケシス。近寄りがたい雰囲気――有り体に言えば嫌な予感――を感じて、エクラは引き返そうとした……のだが。そんなエクラの心境とは裏腹に、突撃していく人物が一人。ラケシスの心の友、クラリーネである。
「ラケシス! どうかなさいましたの、ため息なんかついて」
「あ……ああ、クラリーネ。いえ、あなたには関係のないことですわ」
ラケシスは拒絶の態度をとると、再び中庭を見下ろした。何かあるのかと思って覗いてみると、そこには談笑する男たち。エルトシャンとクレインである。なんつー組み合わせだよ……と心の中で呟いたのは、妹姫たちにはヒミツ。
こちらでは、エクラと同じように愛しのお兄様に気がついたクラリーネが、彼らに声をかけようとしてラケシスに止められていた。
「何なさいますの!」
「静かにしてくださいまし。気づかれてしまいますわ」
「気づかれ……?」
こてん、と首をかしげるクラリーネは、年相応に幼く見えた。
一方のラケシスはまたため息をついて、うっそりと中庭を見下ろす。それがあまりにも悲しげに見えて、エクラは焦った。いつも気丈な彼女が、こんな表情をするなんて。
必至に頭をめぐらし、そして思い付いたことはひとつ。
「もしかして……まだエルトと話をしていないの?」
ラケシスは動かぬまま、肩だけがぴくりと跳ねた。まさか、とクラリーネが目を丸くして、友人を凝視する。
エルトシャンを召喚したのは、ごく最近のことだ。ラケシスからさんざん話を聞かされていたエクラだったから、初対面のはずの彼のことをまるで旧友のように感じてしまって、思わず馴れ馴れしい挨拶をして呆れられてしまったのは、記憶に新しい。
その場でラケシスのことも話したから、彼が彼女の存在を認識していないわけでもないのだろうけど。
ラケシスは頑なに口を開かない。そんな彼女を、心配そうに見つめるクラリーネ。いつもこの二人には振り回されるエクラだが、だからといって二人が大人しくしていればいいというものでもないのだ。むしろ、大人しすぎては調子が狂う。
ここは一肌脱いでやるかと心の中で腕捲りをすると、ちょっとだけ深呼吸。それから両腕をがばりと大きく広げて――
「察するに、ラケシスはエルトシャンと話をするのが気まずいのかな」
いきなり抱きついたエクラをクラリーネと二人してぼこぼこにしたことで、少しは気も晴れたのだろう。ラケシスは案外素直にうなずいた。
一方ぼこぼこにされたエクラだが、こちらは想定の範囲内なので問題はない――もっとも、ここまでこてんぱんにされるのは想定外だが。おかしいなぁ、慰めるときはぎゅーってして頭を撫でるのが鉄板かと……。
「それは、キミの世界のエルトシャンが、もうこの世の人ではないから?」
今度は少しためらってからうなずく。まあそんなところだろうな、とエクラは独り言ちた。
死者すらも召喚できるこの世界の奇跡は、英雄たちに喜びと戸惑いとを同時にもたらした。ロイとニニアン、リリーナとヘクトル、ニノとロイド。距離の取り方に悩み、エクラが手を差し伸べた――断じてちょっかいではない――のも、一度や二度ではない。
「お兄様は、きっと私のことを恨んでいます」
呟くラケシスの顔は暗い。
「そんな……そんなはずありませんわ! だってラケシスは、こんなにもあの方のことを慕っておりますのに」
「……クラリーネは、私が何をしてしまったのか知らないから、そんなことが言えるのです」
「話してみる気はないかい?」
様子をうかがうようにじっとこちらを見つめるラケシスに、エクラは微笑みを返す。ボクはキミの味方だよと、そんなメッセージをこめて。クラリーネも同調するように、友の手を握る手のひらに、ぎゅっと力を込めた。
「シグルド様が反逆者の汚名を着せられて、お兄様がその討伐のために出陣なされたことがありました。私はそのとき、たまたまシグルド様と行動を共にしていて……」
少女は言葉を濁す。言いづらいのだろう。
実はエクラは、例によって何があったかを知っている。でもそれは、例によってただの年表に過ぎないものだ。そこにあった想いまで、知っているわけではない。それにたぶん、今はラケシス自身に話させた方がいい。だから彼は、ただ静かに次の言葉を待った。
エクラの知る史実では、出陣したエルトシャンは何らかの理由で城に引き返し、そこで王に首を跳ねられている。何らかの理由――それは。
「私は、戦場でお兄様にお会いしたのです。そこで、シグルド様の無実を訴えましたわ。そうしたらお兄様は……お兄様は、王に停戦をお願いしに、単身お戻りになり、それっきり……」
ぽろぽろと、大粒の涙が大きな瞳からこぼれ落ちる。クラリーネが自分のハンカチを取り出して、水晶のように光るそれを拭ってあげていた――彼女の目だって、同じくらい潤んでいるのだけど。エクラもハンカチで、クラリーネの涙を拭う。
「私が変なことを言わなければ、お兄様は城に戻らなくて、それで亡くなることもなかったはずです。私が変なことを言ったばっかりに」
「エルトシャンとシグルドが戦わずに済んだ……そうだよね」
きょとんと。まさにその擬音にぴったりの表情で、ラケシスが動きを止めた。
「キミが止めなければ、エルトとシグルドは、親友同士の二人は、戦っていた。どちらかがどちらかの刃の下に、倒れていた。それって、とても悲しいことだと思わない?」
「で、でも、そうならなかったかも。ご自分の目でシグルド様をご覧になって、悪ではないと確信なさって……」
「そうしたらやっぱり、エルトは停戦のために城に戻っただろうね。そして、激昂した王に殺されていた」
「そんな……」
「エルトの性格なら、主君をさしおいて勝手にシグルドにつくことはあり得なかったはずだ。それなら、彼が生き延びる道は――果たしてあっただろうか」
ぱちん!
突然そんな乾いた音がして、頬に衝撃を食らったエクラはよろめいた。見れば、潤んだ目をしたクラリーネが、こちらを睨み付けているではないか。おそらく彼女にビンタされたのだ。
ぶたれた頬を押さえ、抗議の意味を込めて見つめると、彼女は腰に手を当ててやたら偉そうに鼻をならした。
「あなたがラケシスをいじめるからですわ!」
「いじめてなんて……」
「問答はいりませんの! お兄様がいなくなる想像をさせるだなんて、そんな鬼畜の所業、許せるわけがございませんわ!」
「鬼畜って」
「これはラケシスの心の痛みの分! わたくしの分がないだけ、温情と思いなさい!」
言っていることは一方的だが、わからなくもない。いやそれよりも、白い頬を真っ赤に染め、紫水晶の瞳いっぱいに涙を湛えて抗議する、その姿の破壊力たるや。
迫力に圧されて、エクラは思わずうなずいていた。
「ラケシス、わたくしにはあなたの気持ち、半分しかわかりませんの。だけど、半分はわかりますわ」
「半分……?」
クラリーネは親友の肩をぎゅっと抱き締める。
「わたくしがロイの軍にいたとき、同じようにお兄様が敵として現れましたの。それをわたくしが説得して」
「まあ……」
「幸い、わたくしはお兄様を失わずに済みましたわ。だけど、一歩間違えたら、あなたと同じ思いをしていたかもしれない」
だから、半分だけと。そう言って、クラリーネは腕に力を込める。ラケシスも応えて、親友の背に腕を回した。
ふと中庭を見ると、クレインと目が合った。軽く頭を下げる彼に、手を挙げることで応えて――
「クレイン殿」
前方を歩く金色にそう声をかけると、彼は足を止め、こちらを振り返った。
「ええと……エルトシャン、様?」
まだ名前がおぼつかないのだろう、首をかしげつつ名を口にするので、うなずき、肯定してやる。
「申し訳ありません」
「いや、構わないさ。ここは人が多すぎる」
この城の人口は多い。ざっと見ただけでも、軽く五十人は越えているだろう。その全てがどこかの世界で英雄と呼ばれている剛の者だと聞いて、驚いたのはつい最近の話だ。
確か、目の前の彼は結構な古参だったはず。だから新入りの自分の名前など、覚えていなくて当然――そう言って微笑むと、クレインも釣られるように微笑みを返してくれた。
「何かご用でしたか?」
「ああ」
促されて、本題に入ろうとしたとき、はたと気づく。視線だ。何者かが、こちらを見ている。しかし、その視線がどこから来るものなのかは判然としなかった。
そわそわとしていたのに気づかれたのか、クレインが不思議そうに小首をかしげてこちらを見やる。彼にはこの視線が分からないのだろうか?
「クレイン殿、誰かが」
「視線ですよね。大丈夫ですよ」
なんと、気づいていた。気づいていたというか、え?
その時の私は、さぞ間抜けな顔をしていたに違いない。あっさりと私の危惧を一蹴した目の前の男は、おっとりとした人のいい笑みを浮かべている。
「よくあることですし。悪いものじゃありませんから」
「そ、そうか……」
私が絶句していると、クレインは笑顔のまま、また首をかしげた。「どうしました?」あるいは「大丈夫ですよ?」とでも言いたいのだろう。大丈夫なのか、本当に。
まあ、悪意を感じないというのは同感だし、よくあると言うのなら、気にしても仕方ないのかもしれない。私は咳払いをひとつすると、改めて本題にかかることにした。
「ところでクレイン殿。私には妹がいるのだが」
「ええと、ラケシスさん、ですよね」
……ああ、そうだ。我が妹も古参の一人。クレインとは知り合いでも何ら可笑しくはないし、同じ戦場で共に戦った、戦友ですらあるかもしれない。
「そう、そのラケシスが、君の妹御と仲が良いと聞いたのだ」
「ああ、確かに。クラリーネは、ラケシスさんと一緒にいるところをよく見ますね」
クレインの笑みが深くなる。よほど妹御のことを大切に思っているのだろう。
「妹はラケシスさんとお話しすると元気をもらえるみたいで、そんな日はよく僕に飛び付いてくるんです。でも、そんな妹を見ているとこっちまで元気をもらえるようで、だからラケシスさんには感謝してるんですよ」
妹のことを語る彼は、本当に微笑ましい。ほのぼのとした笑顔には、こちらの心まで融かされるようである。
「ラケシスさんを通じて、よくあなたの話を聞いていました。だからあなたとも仲良くしたいと思っていたんです。本当に、会えて嬉しいです」
差し出される右手に、私は快く応える。
「そうか。私も君と仲良くさせてもらえれば幸いだ。君さえよければ、敬称なしに名を呼んでもらえれば」
「ああ、では僕も。よろしくお願いします、エルトシャン」
少し話しただけだが、彼の誠実さはよくわかった。我が妹ラケシスも彼とは親しくしているようだし、であれば、彼と友誼を結ぶことになんの問題があろうか。
「――それで、妹が何か?」
……おっと、しまった。
決して本題を忘れていたわけではない。ただ、そう、流されてしまうというか。彼の穏やかな口調にか、それともどこかマイペースな空気にか、釣られてこちらまで気が緩むのだ。
いや、それが悪いわけではない。ただ、どこか独特な御仁であると思っただけだ。
ほんの少し呆けた頭を振って、私は口を開いた。
「いや、普段のラケシスの様子を知っていたら、教えてほしいと思ったのだが」
「なんだ、そんなこと。お安いご用ですよ」
クレインは楽しげに微笑む。おっとりと。穏やかに。
ラケシスがこの城で普段どのように過ごしているか。戦場でどれほど頼りになるか。並みいる王候貴族の中にあって、どれほど輝いているか。そして、どれほど私のことを恋しがっていたか。クレインのお陰で、かなり詳しく知ることができた。時々入る妹御とのエピソードには、首を傾げざるを得ないものもあったが――「世界一の殿方を決める会」なる会合は、いったいなんなのであろうな? いやたぶん、名前通りの会ではあろうが……
まあとにかく、話の中のあれは、私の知るあれと、全く変わらなかった。あれがよくできた妹であるという認識は、兄の欲目ではなかったようだ。しかし、だとすれば……
「どうか、されました?」
クレインが、心配そうに私の顔を覗き込んだ。考え事が顔に出ていたのか。
「いや、何でも……」
何でもない、と言いかけて、私は思いとどまった。この問題を解決するのに、彼の力を借りられないだろうかと思ったのだ。不器用な自分とは違って、いかにも人の機微というものに長けていそうな彼なら、あるいは。
「実は……な」
私は少しの情けなさを隠しながら、彼におおよその事情を語った。
有り体に言ってしまえば、私は妹に避けられている。そうとしか思えない。
あれがいるという場所を聞いて行ってみれば、入れ違いに去ってしまったといい。戦場に出ていると聞いて広間で帰還を待ってみれば、厩舎に寄るから遅くなるといい。ならばと厩舎に行ったものの、結局会えずじまい。
そもそも、このアスク王国に初めて来て、エクラ殿からラケシスの名を聞いてから、私はずっとあれに会いたいと思っている。だというのにいまだ会えずというのは、もう避けられているとしか思えないではないか。
避けられているとすれば、その理由に心当たりがないわけではない。おそらく、『あのとき』のことが原因だ。私とラケシスの『最期の』会話――ラケシスは、それに怒っているに違いない。しかし、だからこそ、私は話をしなければ、ひとこと謝らなければ、気がすまぬ。
「ラケシスさんが、怒っている?」
クレインは何やら小首をかしげている。そんなに不思議なところがあっただろうか?
とにかく、謝るにしてもまず顔を会わせないことには仕方がない。そのための手はずを整えてほしいと頼むと、この気のいい男は「いいですよ」と気のいい返事を返してくれた。
―――この後の出来事は、ご想像にお任せします―――
「認めて差し上げますわ。エルトシャン様は、お兄様の次に素敵な殿方だと」
「あら、何を仰るの? クレイン様が、お兄様の次ですわ」
「貴女、目は大丈夫ですの? どう見たらそうなるのか、わたくしには分かりませんわ」
「それはこちらの台詞です」
「ねえねえ、じゃあさ、二人が並んでたら?」
「「最高ですわ!」」
何だかんだで仲良しな二人。