英雄戦、と呼ばれる扉がある。
そこでは英雄の幻影が来訪者に試練を課し、その力を見極める。そして、見事その試練を乗り越えた者には、その英雄を召喚する力が与えられるのだ。エクラも、ドニを始め何人かをここで召喚していた。
その扉の隣にはひときわ立派な扉があって、エクラたちはそれを大英雄戦と呼んでいる。大英雄戦でも英雄戦と同じく、来訪者には試練が課されるのだが……その難易度は、英雄戦とは比べるべくもないものだった。
しかし、そこで召喚される英雄は、その難易度に見あった強さを――
「嘘ですわね」
にべもなく言い放ったのはクラリーネ。
「だって、あのスッポンも大英雄戦ですわよ?」
「あんまり言ったらスッポンさんがかわいそうだよ」
見ていた本から顔を上げ、ニノが応えた。ちなみに本は、ほとんど絵ばかりの子供向けのものだ。
今彼らがいるのはアスク王城の書庫。していたのは勉強会。書庫に山ほどある本に興味を持ったニノが、それを読みたいと言い出したのだった。
ニノだけでなくドニも勉強がしたいと言い出して、ついでとばかりにロイやアサマも書庫に興味があると言い出して。結局我も我もと集まった大勢で、書庫に押し掛けたわけである。
「ナーシェンは性格悪いし狡猾だけど、弱いわけではないと思うよ」
そう言ったのはロイ。アサマがにやにやと意地の悪い微笑みを浮かべる。
「おやおや、ロイ様があの人を庇うとは珍しい。故郷ではいろいろ煮え湯を飲まされたのでしょう?」
「まあ、そうだけれど。でも今は仲間なんだから、あまり邪険にしたくないんだ」
「大した優等生ですねぇ」
そう? とロイは首をかしげている。アサマの皮肉は彼には通用しないらしい。
「エクラくんエクラくん!」
書庫の入り口の方で、エクラを呼ぶ声があった。勉強会には参加していなかったヴィオールだ。
「なんだ、ヴィオールか」
ヴィオールがやたらと上機嫌なので、あえてそっけなく応えると、彼はむぅと唸った。
いや、勘違いしないでほしい。エクラは彼を蔑ろにしているわけでなく、むしろ贔屓しているのだ。ただ、贔屓の方向が少しおかしいのは確かだが。
「なんだとはなんだね」
「なんだはなんだですよ。それで、用件は?」
再びむぅ。
「大英雄戦に新しい英雄が現れていたから、報告と思ってね」
「へぇ、どんな人?」
すると、ヴィオールはどこか楽しそうに笑みを浮かべた。
「なんとも麗しい女性だったよ。本を携えていたから、魔道士かな? 馬を連れていたね」
「魔法騎兵か。仲間にしたら、戦略の幅も広がりそうだね。いっちょ行ってみるかなー」
よっこらせと立ち上がると、ヴィオールはなおニコニコしだした。たぶん、麗しい女性が仲間になるのが嬉しいのだろう。と、
「ぐぎゃう」
飛竜の声がして、彼は宙に浮いた。見れば、廊下の窓からミネルヴァが顔を出して、(器用にも)彼の首根っこを加えてぶら下げているではないか。
「あらあら、ミネルヴァちゃんたら」
「ぐるるるる」
セルジュが表に出ると、ミネルヴァは嬉しそうに喉を鳴らす。
「ヴィオールさんが楽しそうだから、ミネルヴァちゃんも楽しくなってしまったみたいね」
「お、おおそれはいいのだがね……」
「よかったわねミネルヴァちゃん。ヴィオールさんに遊んでもらえて」
「遊ばれているだけのような気がするよ……」
――時々、この二人は本当に主従なのかと疑いたくなるのは、内緒である。
エクラが場所を変えると、ぞろぞろと皆ついてきた。新しく仲間になる(かもしれない)人物が気になるのだろう。カルガモか金魚のふんか……とは、言ってはいけない。
扉を覗くと、件の人物がいた。蒼い髪、整った顔立ちには微笑み。手には蒼い魔導書を携え、傍らの馬を撫でる手つきは優しい。
「うわ、美人……」
ラズワルドが呟いて一歩前に出ようとするのを、ルーナがぐいと引っ張って止める。向こうでは、ミネルヴァがヴィオールに同じ事をしていた。
確かに美人だ。美しさの中に、理性や知性を感じさせる、いわゆる知的美人――そう見える、けれども。
「なんだろう、この嫌な感じ」
エクラと同じものを感じたのか、ロイが全く同じ感想を漏らす。
「あれは……そうとう罪深いお人のようですね」
アサマもそう言いながら首を振る。と、
「ニノ!?」
ドニが突然叫んだ。最後尾にいたはずのニノの方を振り向くと、彼女は真っ白な顔をして、呆然と立ち尽くしているではないか。目には恐怖の色を宿して、よく見ればかたかたと震えてすらいる。
「どうしたんだべ、大丈夫か?」
「あの人、もしかして知りあいなの?」
ドニやルーナの問いかけにも応える言葉が出ないのか、首をブンブンと振ったり、かと思えばこくこくとうなずいたり、するのが精一杯のようだ。
ルーナが泣きそうな顔になって、ニノを抱き締めた。
「……『蒼鴉』のウルスラ、『黒い牙』の暗殺者」
エクラが女性の素性を諳じると、皆の注目が集まる。その視線の鋭さを感じながら、彼は続けた。
「ニノがいたのと同じ組織だ。……しかも、幹部クラス」
「『四牙』っていうの」
ぎゅっと抱き締められて、ようやく人心地ついたのか、ニノがぽつりと呟いた。ルーナがますます腕に力を込める。
「無理しちゃだめよ。辛いんなら逃げなさい。誰もあんたのこと責めたりしないんだから」
「うん、ありがとうルーナちゃん。あたしなら大丈夫だよ」
「この……強がり」
ニノと同じくらいの涙目で、ルーナはくしゃりと笑う。隣のラズワルドも同じような顔だ。いるはずのない、死んだはずの知り合いに会う――会ってしまう。そんな経験を、二人ともいやと言うほど繰り返してきたからだろうか。今、ニノの気持ちに一番寄り添えるのが、きっとこの二人。
もちろん、他の仲間たちもニノを取り囲む。暖かな光景。エクラも優しい気持ちになって、その様子を見守った。
「エクラさん……あの人、仲間にするの?」
「うん、そのつもりだったけど……ニノが嫌ならやめておくよ」
「ううん、あたしなら大丈夫。あの人は怖いけど強いから、きっと頼りになるよ」
強がっているのが丸わかり。それでも、その気持ちが嬉しくて、エクラはニノの頭をくしゃくしゃにかき回した。
―・―・―・―・―
「ふぅ……ん。それで私は貴方に召喚された……」
「はい。ボクらに力を貸してください」
エクラがそう言うと、ウルスラは少し考えたあと、うっすらと笑みを浮かべて、答えた。
「いいわ、貴方の力になってあげる。……ただし、貴方が優れた人でないと判断したら――殺すから」
誰かがごくりと生唾を飲んだ。エクラは唇を引き結んでうなずく。
ウルスラは始終穏やかに微笑んでいて。その所作は優雅ですらある。けれど、その瞳の奥は空っぽだ。ただ、氷のような冷たさだけが、そこにある。ニノの言うとおり、彼女は『怖い』人だと思った。
件のニノは、エクラの後ろに隠れてウルスラをじっと見ている。
「ニノ」
ウルスラに名を呼ばれて、ニノの肩がびくんと跳ねた。
「強くなったのね。思いもしなかったわ、あの役立たずが、この私を倒すまでになるだなんて」
――そう、ウルスラに直接止めを刺したのは、ニノだった。エクラの考える限り、ウルスラに対して最も相性がいいのが、ニノだったのだ。
もちろん、エクラも始めはニノを出すつもりなんてなかった。しかし、自分の魔法の相性がいいと知ったニノは、自分から出撃したいと言い出したのだ。「自分は役立たずではない」と、そう言って。
「ニノは役立たずじゃない」
「そうね、もう役立たずではないわ。十分役に立つ。役に立つ――貴方のコマ」
くすくすと、ウルスラは嗤う。
「あの頃も、今の半分でも強ければ、ソーニャ様に捨てられることなんてなかったのにね。立派に使ってもらえた筈だわ、役に立つコマとして」
ニノがエクラの外套をぎゅっと握り締める。仲間たちがそんなニノを守るように寄り添う。エクラは厳しい瞳でウルスラを見つめる。
毒のある花を、仲間にしてしまったらしい。