『半身が深海棲艦となった加賀が、戻ってきた鎮守府で提督とイチャついたり軽巡棲姫をぶん殴る話』泉浜鎮守府航海日誌 帰るべき場所   作:沖野潤一

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プロローグ

 

「加賀の部屋は、ここ」

「はい」

 男女がふたり、潮騒を遠く聞きながら足を止めた。

「精密検査してる間に、ひと通りの家具や生活用品は揃えてある。好みに合わせたものはまた後日改めてということで。勝手にやってしまってすまない」

「――いえ、ありがとうございます。とりあえずは大丈夫です」

 そう言って微笑んでみせたのは、加賀型一番艦・加賀。

「そうか……まぁ、ここからだと市街まで出るのもひと苦労だ。しばらくは不便をかけるかも知れないが」

 そう言いながら加賀の肩に手を回しかけて、危ういところで引っ込めたのは、(さな)()(こう)(いち)少佐。瀬戸内海に浮かぶ離島――ここ、泉浜鎮守府の提督である。

 ふたりの指には、同じデザインの指輪が光っていた。それもそのはず、ふたりはかつてケッコンカッコカリまでした仲。色々あって、今付けているデザインの指輪――ちょっとしたお守りを兼ねたものを互いに付けている。

 加賀は部屋に足を踏み入れた。艦娘向けの標準的な1Kルーム。と言ってもだいたいの艦娘たちは二名一室が割り当てられている。個室の割り当ては、秘書艦を担当する二等級以上の艦娘が得る特権でもある。

 廊下側は建物全体が山に面しているが、居室は海を向いていた。海霧に霞む南のほう、四国を望む窓際で、加賀はガラスを撫でた。

「位置的には松山のほうが近いのかしら」

「距離はな。だが、管轄が呉だし――艦娘の上陸許可は呉のほうが下りやすいんだ。最近うるさくなってる。市民の目があるから、不要不急の場合は指定港以外から上がるなと」

「戦線が外海へ移って、余裕が出来たということでしょう。戦争が市民から遠ざかるのは悪いことではないのでなくて」

「喉元過ぎれば、というやつだな。制海権取れてると言っても、いつ襲われるか分からん状態には変わりないんだが」

「それでも、です。海に漁船が出ている状況、というのを私たちは目指していたはずよ」

 ふたりの思いは、出会った時から変わらない。平和な海を取り戻す、ただその一点だ。真田は加賀の真っ直ぐな瞳のおかげで、ひとりで抱え込んでいた留飲を下げた。

「ああ……そうだな」

「そう」

 しかし、そんなふたりの距離感は、どこかぎこちない。

 ――それもそのはず。

 加賀は()()の鎮守府が壊滅してから実に半年の間、轟沈したと思われていた。ようやく再会できたかと思えば半分深海棲艦になっており、衝動のままに真田を暴行。幸いにも、仲間たちの働きで元に戻ることはできた、が……。

(――このまま、なにごともなく過ごすことができるのかしら)

 一度深海化した彼女は、再び深海棲艦に堕す()()()を特殊な艤装で抑えている。艦娘と深海棲艦は表裏一体の存在であり、通常の艦娘ならまだしも、()()()()()の加賀には常に深海化の危険性がついて回る。そんな中、艦娘としての存在を維持しながら、深海棲艦の力を行使する――まだ不安定で実戦では使えないが、これは半身が深海棲艦であることと付き合いながら慣れていくしかない。

 それはそれとして。

提督(おつと)を信じてはいても)

 一度()()の外れてしまった自分(かが)に、果たしてごく普通の暮らしが許されるのか。加賀の心中は、穏やかな表情とは裏腹だった。

 一方で――

(危うく、肩を抱くところだった)

 提督である真田もまた、気まずい思いを抱いていた。

(なんだかんだ、一応恋人として過ごしてはいた半年前……無事にもう一度プロポーズを受け入れてくれたとは言ってもだな)

 真田は、加賀との距離感を測りかねていた。

 自身の存在に悩む加賀と比べれば小さいと言えてしまうかも知れない。ただ、これから互いの命を預け合っていく加賀という存在に対して、少々臆病になるのも無理はない。

 本音を言うならば、彼は今すぐにでも加賀を抱き締めたかった。壮大なお預け状態でもあった半年間。紆余曲折の果てにようやく再会出来た先日の作戦からは、早くも二週間が経っている。

 二週間は、長い。

 その時間は、加賀救出から昂ぶっていた彼の勢いを殺すには充分な時間だった。元から提督と艦娘という微妙でセンシティブな関係だったこともある。

(ひょっとして――盛り上がっているのは、オレだけなのでは)

 まるで中学生のような悩みだと、真田はひとり息を吐いた。

 加賀は元々多弁なほうではなく、直接的な好意を積極的に伝えるわけでもない。真田も決して奥手な男ではないが、ただでさえ不安定な()()にあるだろう加賀に対して、強気に出るほどデリカシーに欠ける男でもない。

「一応、秘書艦としての登録は済んでる。この鎮守府でお前が艦娘として働くことには、もうなんの障害もない状態だ」

「――ありがとうございます」

「と言っても復帰初日だ。まずは環境に慣れることが先だからな――あとで鎮守府施設を案内する。それまではこの部屋で待機していてくれ……あ、取りあえず、内線一覧と館内地図を渡しておく」

「助かります。執務室、医務室、食堂に、トレーニングルーム……色々揃っているのね。この工作室というのは――」

「夕張のお籠もり部屋だ」

「そこは変わらないのね、前と」

 そして、今ふたりがいる場所だ。

 少なくとも真田にとっては提督として半年間を過ごした新たな拠点。加賀を失った彼がその呪縛を引きずりながら、なんとか前を向いて歩き出した場所だ。

 しかし加賀にとって、ここは全くの未知の場所になる。仮令(たとえ)旧知の艦娘たちがいたとしても、鎮守府としてはまるで別物だ。

 言ってしまえば、加賀は気疲れしていた。

 通用門の警備隊員も。事務職員も。艦娘の艤装を整備する整備士も。顔馴染みの食堂のおばちゃんも。半年前の鎮守府襲撃事件は、加賀の記憶に残るそれらを見事に奪い去ってしまっていた。

 艦娘として生きた数年の記憶。それは、加賀の()()そのものだ。ごっそりと無くなってしまって、平気ではいられない。覚悟はしていたし、折れてしまったわけではない。ただ、疲れを覚えるのは無理のない話だった。

 それでも。

「幸一さ――提督」

 真田も加賀も、『それでも』を胸に突き立て、前を向いた。

「なにか質問か、加賀」

 だから、せめて今は、ほんの少しだけ甘えようとして。

「あなたの部屋は、どこ」

「……ああ、()()。お前の部屋の、隣だ」

 昨日引っ越しを済ませたところだよ、と。

「――そう」

 真田の照れ笑いに、加賀はようやく、微笑んだ。

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