『半身が深海棲艦となった加賀が、戻ってきた鎮守府で提督とイチャついたり軽巡棲姫をぶん殴る話』泉浜鎮守府航海日誌 帰るべき場所   作:沖野潤一

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やっぱり、君が。

 

一.

 

 ふぅ、と大きく息を吐く。

 私を受け止めてくれたベッドの感触は優しかった。事件からしばらく()()した施設の、清潔感だけはある小部屋のそれとは比べものにならない。

 背中を埋めて、少しの間、深呼吸を続けた。

 私の右半身は深海棲艦になっている――()()()

 らしい、というのは当然、単に自分の身体を見ただけでは違いが分からないからだ。

 肌も見える場所は白化していない。破壊衝動があるわけでも、人や()()を沈めたいわけでもない。それでも、私は確かに以前と自分の中身が変わっていることを実感していた。

 強く念じれば艦娘以上の膂力が出せる。深海の蒼き炎を纏うことも、艤装を侵食させて深海黒鉄に転じさせることもできる。

 なにより、瞳だ。

 普通の()()は鳶色の瞳をしているが、深海の力を行使する時、つかの間、私の右の瞳は紅色を帯びる。燃える炎の色――血の色、怒りの色だ。

 私の元となった、空母棲姫と同じなのだろう。

 人間の検査では数値上の異状は見られない。唯一、深海汚染度を示す数値だけが微量の反応を示していた。それも、チェックで跳ねられるほどの数値ではない。

 かくして、私は灰色の判定で――いや、恐らく()と断定されているのだろうが――この鎮守府に戻ってくることができた。

 きっと幸運などではないのだろう。こうするために、多くの力が割かれただろうことは容易に想像ができる。その苦労を思って、私はひとつ、ため息を吐いた。

 見上げた天井は見慣れぬ天井。まだ出来て半年しか経っていない建物は、使い古された艦である(かが)を拒絶しているように思えてしまう。考えすぎだと分かってはいても。

 電や龍田、夕張――かつて共に戦った仲間の艦娘たち。この島へとたどり着いてから、まだ彼女たちの姿を見ていない。何人かの艦娘たちが遠巻きに私を見ていたが、まったく見知らぬ自分を眺めて、いったいなにを考えていたのだろう。

 ――化け物、か。

 艦娘そのものが化け物と言って差し支えない者としても、私や他の()()()()は別格だ。同じ艦娘たちから奇異の目、いや敵意をもって睨まれても不思議ではない。

 今回、無事に確保された提督と艦娘は計二十一名。ひとりだけ、意識不明の重体で救出された提督がいると聞く。ペアの艦娘は見つからなかったらしい。

 特殊な出自――深海棲艦の力を混ぜ合わされた艦娘を、特殊な処置――自分とケッコンした提督を手に掛けさせることで、深海棲艦として反転させ、深海棲艦側の戦力を大幅に強化する。言葉にしてしまえばどうということはない。しかし。

 ――あんな思いを、いったい何人の艦娘や提督が味わったのか。

 聞くところによれば、今回の作戦で深海棲艦に通じていた一部提督や隊員も、あらかた特定されているらしい。どうか、今回犠牲になった人々や艦娘たちの思いを、無碍にするような結末にならないことを祈るしかない。

 ごろ、と横を向いた。

 窓からは薄雲と青空が覗き、波音がかすかに届く。私たちの戦場は、今はまだ静けさを保っていた。

 そう、戦場。

 艦娘という存在である故に、海からは離れられない。『退役』して陸に上がった艦娘もいるとは聞くが、その決断をするに至るには、いくつもの障壁があるのだろう。

 海に浮かぶ時の高揚。弓に矢を番え、射る時の緊張感。飛ばした翼たちを操る全能感。

 仲間たちの空を護る空母艦娘であったことは、私にとっては幸いだと思う。

 戦わなくてはいけないことは、悲しいことなのかも知れないが。

 ふと輝きが目に入り、私は目線を窓から手元に移した。

 ――指輪。()(まと)(はがね)と呼ばれる特殊金属で構成された結婚指輪(マリツジリング)。私はこの指輪の(まじな)いによって、今も私でいられている。

 私は半年前、ようやく提督と気持ちを通じ合わせた。着任してからの数年は衝突ばかり。()()上がりの素人に私たち艦娘などろくに扱えるものかと。けれど彼は、そんな私を使いこなすために、共に歩むために努力を惜しまなかった。

 だから、いつしか惹かれていた。

 基礎生活がうまく行かず()()()()いた私に、明日も料理を作ってくれと言ってくれた。

 もう諦めかけた暗い海で、私の手を取ってくれた。抱き締めて叱ってくれた。

 壁にぶつかった私を、いつの間にか()()()を忘れていた私を空に導いてくれた。

 私の翼だ。

 なにより、水底から戻った私にただ口づけて、彼は言ってくれた。おかえり、加賀と。私にとって、それが全てだった。

 ああ、真田幸一――私の大切なひと。提督。

 目を閉じて彼の顔を思い浮かべるだけで、私のいちばん奥底から言葉が、感情がまるで噴水のように湧く。湧いた。ちょっと湧きすぎなぐらい。

 やっとふたりきりになれると思ったのに、じゃあ後でとはなに、後っていつ、今日彼と触れたのは港についた船から降りるときに手を握った十数秒だけで、鎮守府は女の園で、誰もかれもが提督に対し好意を持つわけではないと言っても、私が後れをとったことには変わりないし、龍田はともかく好意を口にした金剛などは危ない下手をしたら赤城さんもなびかせているかも知れないし、あの人は無自覚に女性を引き寄せる上に鈍感で、残酷なぐらい優しいから何人か泣かせているのかも知れない、そう言えば一緒にいた数年間でもあの人に近づく女性は両手の指で足りない、本当にあの人は鈍感というか気を遣わないというか天然の女()()()というか、狙ってるのではないかと思うくらい勘違いを招く言動をするから始末が悪くて、でもそんな人に惹かれてしまった私が間抜けに思えてしまうからあまり強くは言えないのだけれど、私はちゃんと彼に選ばれて隣にいることができたわけだし、一応曲がりなりにも約束を交わした仲なのだから、だれに文句を言われる筋合いもなくて、私は堂々としていればいい、でも榛名もきっと彼をまだ諦めていないはずで守りの姿勢だけではいつか攻め落とされてしまうかも知れない、料理ももう一度修行のし直しになるし、彼の好みが変わっていないといいけれど、彼の部屋はキッチンがあるのかしらコンロは何口あって冷蔵庫の大きさは何リットルで、ベッドの広さは、いけないベッドのことなんて後回しでいい、部屋が分かれているのは今の気まずさを考えたら助かるけれど夫婦としては溝を感じてしまうし、一体どういう顔をして夜にドアをノックすればいいの半年で彼の性癖が変わっていないならば、夜はすこしだけ意地が悪くて少し強引だけれど声はずっと優しくて、私は意外とそういう彼の甘いささやきが嫌いではなくて、そもそも私は彼の妻なのだから彼の全てを受け入れて支えるのが役目なのだから、でも彼はきっと役目とかそういう堅苦しい言い方をして欲しくはなさそうだし、どちらかと言えばそばにいるポジションというか距離感のほうを大切に思っているはずで、それを言うなら以前と比べて私との距離感が半歩ほど遠いことも気にかかる、まさか嫌われてはいな――

(いけない)

 艦娘として生きていけるか、やっていけるかどうかの検査を受けている間、ずっと殺していた(なま)の感情。元の生活への執着。愛する人への思い。それらが一気に噴き出してきた。

(まずい……わね)

 もしかしたら独り言として口に出ていたかも知れない。それぐらい、今の自分は、少しばかり不安定なのだ。

 もう一度、深呼吸した。

 一度設備を見て回ろう。少なくとも、彼を知り己を知れば百戦危うからず、だ。決意と共に立ち上がった私。その勢いを知ってか知らずか。ドアが、こつこつと鳴った。

「はい、加賀です」

 咄嗟にどう答えていいか迷って、取りあえずそう口にした。

「ヘーイ、加賀!」

 声の主は言うまでもない。先日の作戦中に、提督への好意を一切包み隠さず伝えてきた金剛型一番艦・金剛だった。

「空いています。どうぞ」

「オッケー。失礼しマース」

 それにしても、彼女が私の部屋を訪れる理由はよく分からない。果たして宣戦布告でもやり直すつもりだろうか。

「加賀。一緒に行かない(Shall we go together?)? 鎮守府を案内するからネ!」

 金剛の言葉を聞いた私はきょとんとしていて、けれど。

「お願いします。金剛」

 意外にも自然と、私は頷いていた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「さっきの宿舎からはこの渡り廊下か、一度外に出てから岸壁を通って、通用口を通れば行けちゃいマス」

「区画ごと、出入り口にロックが掛かっているのね」

「ICカードで行ける場所もあるケド、セキュリティ(Security)の厳しい区画(block)は生体認証が必要デス。加賀は登録したノ?」

「着いてすぐに。一応、どこでも入れるのかしら」

もちろん(Off course)。艦娘とテートクは基本的にそうデス」

 宿舎の建物を背中に、金剛と私は鎮守府の核である執務室を目指す。正確には、事務棟と呼ばれる建物全体を回るためだ。

「その前に、テートクに報告しておかないとデス」

 聞けば、この島をひと周りするのに一時間少々掛かるらしい。諸施設をしっかりと見て回るなら、それ以上だろう。仮にも鎮守府のいち戦力として加わったからには、指揮官に無断で出歩くことは避けたい。

 ふと私は気付く。天井の一角が妙に真新しく塗られていた。金剛はそれを見て苦笑する。

「それ、確か二回目の襲撃の時デス」

「二度も、ここは襲われたの」

ええ(Yes)。一回目は夜に自爆特攻隊、二回目は空襲デス」

「そう……。こんな僻地を二度も襲ったなんて、よほど彼は相手にとって重要だったのね――いえ、私の能力が、か」

「それはどうか知りまセン。でもね加賀」

 半歩だけ先を行く金剛の表情は見えない。けれど、声だけで笑顔だと分かる。

「加賀、少し考えすぎてるデショ?」

「なにを」

「深海棲艦になった時のコト、自分のせいで鎮守府が襲われたコト、轟沈したと思われてテートクを悲しませたコト、それにテートクをぶん殴ったコト……色々デース」

「ぶん殴っただけならまだ良かったのだけれど。首も絞めたし蹴ったし、危うく腕を踏み折るところだったわ」

「そ、それはちょっと乱暴(Violence)だったネ。それはともかく!」

 一度咳払いをした金剛は、それでも私を諭すように。

「テートク、ずっと加賀のことを特別に思ってたんデショ。そんなあなたがやっと帰って来たんだから、ヘンな心配なんてナッシン、デース」

「そうは言うけれど……」

「平気平気。それに加賀が戻ってくるの、私も待ってマシタ」

「あなたが?」

そう(Yes)! なんて言っても」

 腰に手を当てた金剛が、胸を張って言った。

「宣戦布告したライバルが戻ってこないと、(Love)戦い(Battle)が始まりません」

「――本当に、宣戦布告のやり直しですか」

「なんの話デス?」

「こっちの話です」

 ライバルとやらの思わぬ気遣いに、私は色んな意味で脱力した。一切の毒気無しにこう言われてしまうと、こちらとしては苦笑するしかない。

「海でも言った通り、あの人の隣は譲りません。けれど」

けれど(But)?」

「今を生きる()()として、未来を――より良い結果を目指す姿を否定はしません」

「つまりテートクをオトしてもいいってコト?」

「そうはなりません」

ちぇっ(Shit)

 諦めないその姿勢に、私はかつて、彼女の妹と向き合った夜のことを思い出す。あの夜彼女に言われた言葉を、あの時の私はまだ理解できていなかった。

 スタートラインが違っていたのに、私がゴールへたどり着けたのは、きっといくつかの偶然が重なった結果なのだろう。

 そして――きっと彼女も、まだ彼を諦めていないのだろう。

 金剛と同じ出で立ちの妹とも、戻った私はまだ話せていない。あの前のめりで前向きな瞳を思い出して、私は苦笑した。

「本当、姉妹なのね」

「さっきからなんの話デス!?」

「いいえ。こっちの話です」

 むぅ、とむくれる金剛。会ってからは押されてばかりだった彼女に対し、ようやく一矢報いた気がした。

 一瞬弛緩した空気。

「ワオ!」

 まるでそれを狙ったかのように、廊下の向こうから現れた人。私は金剛の声で、それが誰であるかを察し、振り返った。

「ハァイ、テートク!」

 現れたのは真田幸一提督その人。

「こ――提督」

 ゆっくりと抑え気味の歩調。駆け寄る金剛が、歩み寄る彼を捕まえた。金剛を引き摺りながら近づいてくる。

「加賀、ここにいたのか」

 その言葉からは、彼が私を探してくれていたと分かる。

 急に距離を詰められて、私は思わず目線を逸らした。

「金剛に施設を案内してもらっていました。さすがに、まだ慣れない場所でしたから」

「すまない、金剛。もともとオレがやるべき仕事だったのに、気を遣わせてしまったか」

 言いながら金剛の頭を自然に撫でる提督。私は表情に出さず()()()した。

――これだから、この人は。

「気にすることナッシン。加賀は大事な仲間デス。せっかくこれから一緒に戦うんだから親交を深めるのも大事ネ」

 金剛の言葉に嘘がないことは、私自身が実感している。彼女は本当に心から、私を歓迎してくれているのだ。

 提督もそれを感じたのだろう。苦笑を浮かべた。

「違いない」

「見学はどのぐらい済んだんだ」

「序の口です。執務棟と武器科関連の施設を見て回ろうかと」

「護衛艦は?」

「『よいまちづき』は、さっき加賀を案内する前に覗いたケド、まだあちこち整備中で、ちょっと今日は難しそうデース」

「聞いてる進捗なら、明日なら大丈夫だろう。一応、担当に一報を入れてから行くようにしておいてくれ」

「了解デース! それはそうと、テートクはどうしてここに?」

「言ったろ、元々はオレの仕事だって」

でも(But)、昨日私がお手伝いしたけど……凄くたくさんお仕事溜まってたデショ。まさか、テートク、サボり(Sabotage)デス?」

「失礼なことを言うなよ……今日は朝から、少しばかり気合いを入れて片付けたんだぞ。それで、少し時間ができたから来てみたんだ」

 そう言って、提督の不器用な笑みが私に向けられた。

 瞬間、どきりと心臓が跳ねる。

(ああ――)

 このときめきに身を任せられたらどんなに楽だろう。

 体裁も対面もなく、甘えてしまえたら。提督と艦娘ではなく、ただの男と女だったら。いや、それは言い過ぎか。

 ともあれ、彼の歩み寄りに対して、一切文句などない。私は一度目を伏せてから、彼の目に照準を合わせた。

 やっと、まともに正面から見合えた。それは彼も同じ気持ちらしい。笑みが照れ笑いに変わる。

「加賀。良かったらこの後、オレが――」

 差し出された提督の手。その先には、私の弓掛(ゆがけ)

 いけない。

「っ」

 瞬間、私は思わず手を引っ込めてしまう。

「――加賀?」

「あ――いえ、これは」

 場を支配する致命的な間。唐突な拒否に訳も分からずに戸惑う提督と、それをフォローすることもできない私。

 そして、仕事は空気など読んではくれない。

うん(huh)? 呼び出し音ですネ。テートク?」

 周囲に鳴り響いた軽快な電子音。

 小さく息を吐いた提督が、ポケットから携帯端末を取り出した。

「真田だ。どうした――」

 通信先からの言葉を受ける提督は、わずかな苛立ちを横顔に滲ませている。彼がこんな表情をするのは珍しい――少なくとも、半年前の感覚では。

「分かった。すぐ行く」

 通話を打ち切った提督は、どこか痛々しい表情をしていた。

「すまない。ちょっと行ってくる」

 ただそれだけの言葉で、彼が抱いている感情が推し量れた。さきほど手を取れなかった私は、申し訳なさに潰れそうになる。

「あの、提督――」

「また後でな、加賀」

「――はい」

 気まずさを断ち切るかのように、背を返した提督。

 私はその背にかける言葉が見つからず、彼が見えなくなるまでただ立ち尽くしていた。

「――ヘイ、加賀?」

 ひょこ、と私の視界を金剛が埋める。

「はい」

「少し休憩にして、ランチにしまショ。食堂も案内しないとネ」

 金剛の気遣いに、私はただ頭を下げた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「ここが食堂デース。そして、あそこで食べてるのが赤城」

「んむ! かがさん!」

「あ、赤城さん。落ち着いて召し上がっていて下さい」

 食堂に入るなり、美味しそうにランチを頬張っている艦娘がいた。赤城さんだ。

「っふぅ……加賀さん。戻って来られたんですね」

 行儀良く手を合わせてから、向き直ったもう一人の一航戦。

 その伸びた背筋に、私はそっと頭を下げた。

「先日はお世話になりました、赤城さん。これからも、どうぞよろしくお願いします――不思議ですね、こういうものは」

 戦場で顔を合わせ、目を見ただけで互いの存在が()()()

 きっと魂のレベルで縁が結ばれているだろう艦娘。

「はい。先日のことはさておき、お互い初対面なのに――」

「今までずっと共に戦って来たような。いえ、(ふね)のころは確かにそうだったのだけれど」

「こっちの身体でも、よろしくということにしましょう」

「ええ」

 かつての泉浜鎮守府には、他にも正規空母艦娘がいた。でも赤城が着任することはなく、私は沈んだ。こうして共に戦えることは不思議でもあり、嬉しくもある。

「加賀、とりあえず定食頼んでおいたヨ。おすすめだからネ」

「あ、ありがとうございます」

 注文を済ませた金剛が、赤城さんに向けて首を傾げた。

「赤城、朝はお疲れ様デシタ。ここ座ってもいいわよネ?」

「どうぞ。金剛さんこそ、ここ三日ずっとでしょう」

「ノンノン、大したことないデス。今日は加賀とデートをしているの。ちょっと、休憩に寄ってみたのデース。おなかも空いて、ちょうど良かったデス」

「今日来たばかりで少し迷いそうだったので、案内してもらえて助かりました」

「うふふ。私も泉浜(ここ)には着任したばかりですから、慣れという意味ではあまり加賀さんと変わらないんですけどね」

 そう言って笑う赤城さん。戦場で会った時の凜とした表情とはまったく重ならないが、きっとこの艦娘は()()なのだろう。

 機械のように細やかで淡々とした動きと、それを補って余りある日常を謳歌する姿。

 かつての第一航空戦隊を率いた艦は、今こうして再び人類と、そして艦娘と共にある。なんとも頼もしいことだ。

 ふと、私は事前に見ていた彼女のプロフィールを思い出した。

「そう言えば、あなたは提督に建造されたのではないのね」

「ええ。呉で冷や飯を頂いていたところ、スカウトされちゃいまして。色々あってのことでしたけど、結果的に素敵なご縁があったと思っています」

「ええ、本当にそう思います」

 聞けば、彼女と龍驤は別の鎮守府で建造された艦娘だという。

 とある人物の仲介で、ここに着任したらしいが、航空戦力不足だった泉浜鎮守府(仮)には文字通りの天の助けだったろう。

(もし……)

 私がいれば――本末転倒な言葉がよぎる。雰囲気を察したのだろう。赤城さんが、声のトーンを変えた。

「それはそうと、真田提督と加賀さんはお付き合いされていたのですよね」

「え、ええ。一応、その……ケッコンもしていますけれど」

 まさに一転。そこに金剛が乗る。

「そう! テートクってば、ずぅっと加賀のこと特別(Precious)だったノ! 私、いっぱいアプローチしたのに、ぜんぜん構ってくれなかったデス!」

 まるで煽るように、赤城さんが横目で笑う。

「具体的にはなにをしたんですか?」

 私は思わず咳払いをした。正直、気になる。

 自分が不在の間に()が受けた恋のアタック。いったいなにをされて、どう返したのか。結果なにもなかったとしても、気にならないわけがない。

 案の定、金剛はやや興奮気味に語る。

「ほら、あっちの高台に見張り台があるデショ」

「ありますね」

「加賀が生きてるかも、って分かった夜。テートクがあそこで落ち込んでたのデス」

「――あの人が?」

「イエス。加賀を助けられなかった自分は負け犬(Loser)だ、みたいなこと言って」

 じくり、と胸がうずく。しかし、好奇心は勝る。

「それで?」

「あなたはとっても素敵な提督(テートク)だから、落ち込まないでって」

 意味深に笑った金剛が、爆弾を投下した。

「それで、キスしちゃったデス」

 思わずイスを立った私を、慌てて宥める赤城さん。

「か、加賀さん。どうどう。座りましょうね。落ち着いて」

「落ち着いています」

「落ち着いてる人の目ではないですね!」

「――冗談です」

「あながち冗談(Joke)でもない気がするデース」

 実際のところは八割がた冗談だ。一応。

「おおかた頬にキス、と見ました」

「うぐっ……。正解デス。さすがに唇は奪えなかったネ」

「そう。あなた(こんごう)もそこまで相手を見ないわけではないでしょう。提督のほうから無理やり襲いかかったのなら、話は別だけれど」

 きっと、勇気を出した金剛のキスは、弱り切っていた彼のことををずいぶんと励ましたことだろう。少しだけ空回り気味で、だけれど愛のこもったキス。

「なびいてやるわけじゃないって言ってました」

「大した憎まれ口だけれど、それもあなたの励ましが彼を動かした結果ですから」

「加賀からそう言われると、嬉しいような悔しいような、デス」

「ふふ。金剛さんのお話と、加賀さんを見ていると思うんですけど……真田提督って結構『ええ格好しい』ですよね」

「どこで覚えたんですか、そんな言葉」

「龍驤さんが言っていました。標準語だと格好付けたがり、と言うのかしら。方言独特の雰囲気がありますよね」

「赤城の言う通りかもデス。最近テートク、ずっとそわそわしてたケド、あれって加賀の帰りを待ちきれなかったのよネ?」

「ええ、多分。もう何日か前からずっとそうだったんです。執務中、何度もカレンダーを見たり、ため息吐いたり。一生懸命気になるのを隠そうとしてたんです」

「あの人が」

「今日だって、みんな施設まで迎えに行けって言ったんです。でも、執務が溜まっているからって。そんなコンディションで仕事しているからなのに、可笑しいですよね」

うん(Umm)、どちらかと言えば――」

「かわいい!」

「イエス!」

赤城と金剛。今日初めて親しく話したふたりが、しっかりと提督の人となりを理解し、語っている。その様子は私に複雑な感情をもたらした。嬉しいような、悔しいような。

 きっとそれは、不在だった自分の半年に由来している。

「でも、人の身で命を懸けられるような人が、いざ助けた人を目の前にして、ぎくしゃくしてしまうの……とても人間らしくていいと思います。そういうのって――」

 すごく羨ましい。赤城さんは、本当に心からという面持ちでそう言った。

「羨ましい――ですか」

「だって私たちって、元はただの金属と油の塊です。けれど、艦の魂だか意思だか、よく分からない()()が人と同じ(からだ)を得て、そんな()に命を懸けてくれる存在がいる」

 胸に手を当てた赤城さんが、私を上目に見つめた。目線に思わずどきりとする。

「加賀さんが前の鎮守府で艦娘として過ごした数年間は、とても素晴らしいものだったのでしょうね。そしてきっと、これからも……」

「そうありたいものです」

 赤城さんの微笑に、私は自然と頷いていた。

「それはそうと、龍田は唇にキスしたみたいデス」

 思わずイスを立った私を、ふたりがにやにやと眺めている。

「フフン。加賀は、結構わかりやすいネ」

 しまった、という顔をしてしまった自覚があった。完全に一本取られた。

「さぁ、お昼を食べてしまいまショ。残りの施設も、案内して回らないとデス。ね?」

「……はい」

 こうなればもう勢いだ。私は評判通りの美味しい定食をさっさと平らげて、おかわりとデザートにも遠慮なく手を出した。本当に久しぶりの、楽しい食事だった。

 

 

 

二.

 

「全機、発艦」

 私の帰任に合わせて配備されていたのだろう。真新しい加賀型艤装は、しっくりと私の身体に馴染んでいて、こうして偵察機を上げることになんの支障もない。好調だ。

 空はあかね色に染まり、静かな波音とともに一日の終わりを教えていた。こうして岸壁から景色を眺めるのも久しぶりになる。沈む前は、鍛錬がてら海辺でよくこうしていた。

 私は上げた偵察機たちの視界を()()()、自分が今いる島を眺めてみた。

 瀬戸内海に位置し、本州と四国に挟まれた離島。当然のように人家はなく、特海の施設そのものである小島。

 ああ、と一人で納得する。

 彼がこの鎮守府に再着任した時の感情――守るべき鎮守府を失い、私を失い、それでも前を向こうと一歩を踏み出した時の。ここなら守らなくてはいけない市民はいない。手の届く範囲の人を守り、目の前に現れる敵を倒すだけでいい。()()()()()()()――。

 そこから今の状態に戻るまで、彼はどういった日常を過ごしたのだろう。島流し同然の扱いがかえって良かったとは言え、冷や飯食らいに違いはない。

 本土の鎮守府から出ていたのだろう。零戦の編隊とすれ違う。この先は敵影無し。翼を振って返礼して、私は部隊を戻すよう艦載機妖精に命じた。

 少し視覚共有を使い過ぎた。軽い疲労を振り払うように、私が身を返した時。

 龍田が、立っていた。

「お帰り、加賀ちゃん」

 龍田型軽巡洋艦二番艦。なにより、泉浜鎮守府を初期から支えた功労者で、私の薙刀の師匠でもある。

 そんな彼女が、半年前と変わらない笑顔で、私を見ていた。

「戻りました。待たせてしまいましたね」

「本当よ。お話ししたいこと、山ほどあるんだから」

「それは楽しみです」

「ふふ。しばらくは退屈しないで済みそう。なにから話せばいいのかしら」

 私は飛行甲板で艦載機を収容しながら、いつも通りに見える龍田の微笑を、どう捉えていいのか図りかねていた。

 私の気おくれを悟ったのか、龍田が先に切り出した。

「金剛ちゃんには会った?」

 私は金剛の屈託のない笑顔を思い出す。正々堂々と略奪宣言してみせた彼女の気持ちは真っ直ぐで、提督ならベタ惚れ状態に持っていくのにも、三日と掛からないだろう。

 ()()だからたちが悪いのだ、あの人は。

「はい。予想はしていたけれど、だいぶ状態は悪いようです」

「うふ。電ちゃんに聞いた話だと、初日でもうハートマークが浮かんでたみたいよ」

 やはり事実はなお悪かった。

「――提督には一度、女性に対する接し方を考え直して頂く必要がありそうですね」

「そうねぇ。でも艦娘を従える提督としては優秀なのかも知れないわ。扱いが上手と言えなくもないものね」

「そうは言っても、限度というものがあります。鎮守府はあくまでも軍事拠点であって、ハーレムではないのですから」

「あはは。なんだか、着任したころの加賀ちゃんが帰ってきたみたいで、懐かしいわぁ」

 龍田の言葉も無理はなかった。今ではだいぶ丸くなった自覚はあるものの、艦娘としてこの世に生まれた頃の自分は、と言えば。

「あの頃はまだ(ふね)としての加賀と、艦娘としての加賀を、どう捉えていいか、決めかねていましたから。認識を人に寄せたことが良かったのか悪かったのかは……」

「うふふ。良かったに決まっているじゃない?」

 龍田の指は、私の左手を指していた。その柔らかな指摘に、私は思わず笑ってしまう。

「――それは、否定できません」

 龍田が首を傾げて微笑んだ。

「私は、真田クンとやり合うようになってからの加賀ちゃんのほうが好きよ。衝突したりにらみ合ったり、そうかと思えば肩を抱き合って喜んだり。(ふね)から人に寄って手に入れたものは、きっと……かけがえないものなんじゃないかしら」

「――そうですね」

 艦娘は生物的には人間ではない。人と同じ形をして、物質的には人と同じものでできていたとしても。

 だけれど。では(ふね)かと言われればそうでもない。艦としての誇りを持っていても、海を奔り、砲を撃ち、人ならざる者たちと戦ってはいても。

 自分の意思を持って立っている私たちは、もう、艦そのものではないのだ。

 だから喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。

「真田クンがそわそわしてたの、金剛ちゃんから聞いた?」

「ええ。その――複雑ではあるけれど」

「あわあわしてた真田クンも含めて、鎮守府のみんなでけっこう頑張ったのよ。しっかりあなたをお迎えできるようにって」

「みんなで……?」

 私は龍田の口にしたことが理解できず、首を傾げた。

「できるだけ航路をクリアにできるよう、海上警備を数日前から厳重に。敵艦載機はまず来ないけれど、早期警戒機を飛ばして空の監視」

「制海権も確保されている瀬戸内で、ですか」

「――敵は、なにも深海棲艦だけとは限らないのよね」

 そこまで言われて、はたと気付いた。

 この鎮守府へやってくるまでに感じていた、後頭部が()()()()ような感覚――あれは、隙あらば()()()()()()()()()()()()()、誰かの否定の意識ではなかったか。

「加賀ちゃんの乗った船の出航に合わせて、泉浜鎮守府も海上護衛に艦隊を出してたの。いろんなところからの目が、あなたを護るはずだからって」

「あ……」

 そうまで言われて、すべて合点がいく。

 昼食の時の金剛と赤城さんの会話。せわしない提督。そして半分深海棲艦である私。

 つまり私はここに来るまで、ずっと護られていたのだ。鎮守府に、仲間たちに、そして提督に。

「幸一さんの多忙は」

「半分は自業自得だけれどね。もう半分は、あちこちの伝手を頼って根回しをしたり牽制したり。提督と言うより、人としての戦いをしてたって言うのが、正しいかな」

「――そう」

 やはり、彼は彼だった。海で力を振るうのが私たち艦娘なら、陸と海の狭間で戦うのが提督。艦娘に艤装を振るう力はあっても、政治力は殆どないに等しい。

 互いの戦場で全力を。彼が最初から実践していたことだ。それが今も続いている。

「安心したでしょう?」

「ええ……そうね」

 私は彼に望まれて、みんなに護られて今ここにいる。

 ただその事実が私に力をくれたし、それと同時に今は重荷となっていた。

 何気なく手にこもっていた力を逃がすように、私は弓掛けを握り込んでいた右の手を、ゆっくりと開く。

 龍田はただその様をじっと見、首を傾げ、私に苦笑混じりの声を寄越した。

「具合は、どう」

 龍田の言葉に、私はわずかな動揺を覚えた。

 先日の戦闘で一部が深海化したままだった私の身体は、少しずつ、元に戻っていった。しかし、皮膚や毛髪の白化など、一部に回復の遅い部位もある。

「実はまだ、右手が治っていないわ。ここだけが白化したまま」

 だから、弓掛をはめたままでも不自然でないよう、弓道衣も脱いでいなかった。先ほど思わず手を引っ込めたのは、提督に見られるのが、まだ怖かったからだ。

 すっかり深海に堕ちた私をあっさりと抱きしめた彼のことだ。この程度なんでもないと言い放つだろうという予感はある。だけれど、それと()()不安とは別。

 また、彼を傷つけてしまわないか――。

「そんなことだろうと思ったわ」

 龍田の笑顔は、半年前と変わらない。

「あなたには隠せないと思っていたけれど」

「真田君も案外、勘付いてはいたかも知れないわね」

 親しかった相手なら気付く可能性。今さらそんなことに思い至って、自分の浅はかさが胸を刺す。私は観念して、信頼できる仲間には見せておこうと、弓掛を外してみせた。

「え」

 しかし。

「……綺麗なお肌に、見えるけれど?」

 外した弓掛から現れたのは、なんの変哲もない肌色の手指。透き通るように白化した、冷たい深海棲艦の肌ではない。人の、艦娘の、暖かみのある肌だった。

 目を疑う私は、その手を何度もひっくり返しては眺める。

「そんな。今朝までは、確かに……」

 今までの数週間かけた緩やかな回復から考えれば、明らかに異常だった。嬉しいことのはずなのに、その急激な変化が私を不安にさせる。

 それを察したのか、龍田が私の手に触れた。龍田の熱が、冷や汗の滲む手を温める。

「大丈夫、じゃない?」

「龍田……だけれど」

「ほら。別になんでもないでしょう。堅くもないし、ひび割れてもいないし。ただ普通の加賀ちゃんの手よ。そうじゃない?」

 そう言って、優しく龍田が右手を包む。昼間思わず引いてしまった右手。

 今はもう、そんなに不安ではなかった。

 しかし、まるで提督を拒否したようになってしまったことへの罪悪感は消えない。

「だけれど、私は」

 それを見透かしたかのように、龍田の温かな手が私の手を包んだ。

「こうして帰ってこれたから、身体が安心したのかもね。あの人のところに」

「――っ」

 じわりと視界が滲む。提督とのぎくしゃくした雰囲気、まだ見知らぬ土地、見慣れない仲間としか触れ合っていなかった私。

 そんな時に、深く理解している戦友からこう言われては。

「今日、電ちゃんも夕張ちゃんもいなかったでしょ」

「っ、はい」

「不安にさせちゃってごめんなさいね。私の発案でね、元から泉浜にいたコたち総出で、準備してたの。買出しとか大変でね」

 そう。私が抱いていた疎外感はもうひとつ。ここまで、提督以外に、かつての私を知る存在と顔を合わせていなかった。

「みんなで準備するって言ってもね、加賀ちゃんの好みとかいろいろ分かってるのって、どうしても私たちになるじゃない? やれるだけのこと、やっておきたかったの」

「ええ、それは、その」

 そう種明かしをされるも、龍田の言葉に首を傾げるしかできない。

「――なんの準備をしていたのですか」

 私の手を取った龍田が頷く。

「もともと、準備が整ったから呼びに来たのよ、私」

 ついと龍田に手を引かれ、私は一歩を踏み出した。

「あなたの、歓迎会よ」

 

 

 

 

三.

 

「いやー! 霧島のフルスイング、加賀さんにも見せてやりたかったなぁ! な、霧島」

「ちょ、ちょっと摩耶。その話は加賀さんにはしない約束でしょう。鳥海も止めて頂戴、この酔っ払いを」

「霧島さん。摩耶はしらふです」

「はい? それで、この……()()()()()()っぷりなの?」

「摩耶、コーラと雰囲気で酔いますから」

 酒の入った艦娘たちが騒ぎ、肩を組んだ人間たちが笑う。

 鎮守府の食堂を使っての歓迎会。もとい、それにかこつけた大宴会。開始から二時間も経てば、もはや目的がなんであったかなど分からない状態。

「榛名、加賀さんともう一度戦えるのをお待ちしていました! だってまだ勝負はついていませんから!」

「ヘイ、榛名。目が据わってるヨー」

「榛名は大丈夫ですッ! だって榛名は大丈夫ですからッ!」

「比叡! 私に抱きついてないで榛名をなんとかしてヨ!」

「はい、比叡も大丈夫ですっ」

「大丈夫じゃナーイ!」

 私はかつて共に戦った仲間たち――電や夕張たちとの再会を祝ったところだった。そういう意味では、ひと仕事終えてはいたが。

「ひぐっ、かがさぁん。おかえりなざぁあいぃ」

「夕張さん、これでおかえりなさいはもう二十回目なのです」

「だってぇえ」

「加賀、飲んでるかい? 飲んでるよねぇ?」

「酒臭いです、隼鷹――一応、頂いています」

「かぁーッ! あたしゃ知ってるよ。あんた最初の乾杯だけだったろ、飲んだの!」

「あまりアルコールは取り過ぎないようにと言われているわ」

「んなお題目はいいっての! おめでたいことなんだから! おめ……お……よく、よくも無事で帰ってきてくれたね……ほんと、よかっ……う、ぐすっ」

「電。水を取ってきて頂戴」

 私を取り囲む艦娘たちに阻まれ続けて、いっこうに近付けないでいる約一名。いちばん重要な、彼との対話をまだ残していた。

 当のその人は先ほど、苦笑しながら食堂を後にしている。

 おおかた私に群がる艦娘たちに気を遣ったのだろう。久々の再会ともなれば、彼が我が侭を通すわけにもいかないのは理解できる。

 できるの、だが。

「――ばか」

 私のつぶやきを耳ざとく拾った龍田。

「あら、加賀ちゃん。なにか言った?」

「いえ、こちらの話です」

「ふふ。お目当てに逃げられたって顔してるわよ」

「気付いていたのね」

「一応、長い付き合いだもの」

 グラスのカクテルをゆらりと揺らし、頬を染めた龍田が笑う。

「長い付き合いの龍田から見て、彼の行動は予測できますか」

 言いつつ、彼ならこうするだろうことは分かっている。

「そうねぇ。半年前の真田クンなら、どこか海の見える場所でいじけていたかもね」

「それでは……やはり、あそこかしら」

「たぶん。まぁ、真田クンらしいと言えば、らしいのかもね」

「ええ。本当に」

 思えば、提督の人と()()を知ることになったのも()()()だった。そう考えると、今日のシチュエーションは出来過ぎていると言っていい。

 あの日のことは、まだ覚えている。私と彼の関係が、決定的に変わることになった日。

「ふふ。また加賀ちゃんと真田クンとで、お勉強会でもしましょうか」

「そうね――」

 と、なにかを言いかけたところで思い出した。

「――龍田」

「なぁに?」

 どうして彼とキスしたのか。

 そう言おうとして、やめた。

「なんでもありません」

「そぉ?」

「ええ。気にしないで頂戴」

「じゃ、そうさせていただくわね?」

 きっと、その答えは私が聞いても仕方のないことだし、龍田の中でも決着のついていることだろう。

 だったら、私は私のするべきこと、したいことをするだけだ。

 そろそろ潮時だと見て、私は大きく息を吐いた。

「龍田。少し夜風に当たってきます」

「はぁい。そうよねぇ、もし真田クンが戻ってきたとしても、ちょっと騒がしすぎよね、ここは」

「……まぁ、そうです」

 絡みつく夕張の手をするりと抜ける。察した電が、さり気なく夕張を捕まえた。思えば彼女にも、着任した当初からお世話になってばかりだ。電に目線で礼を返す。

「みんなにはうまく誤魔化しておくから。あの人をよろしくね」

「言われるまでも、です。電も、ありがとう」

「お安いご用、なのです」

「いってらっしゃい、加賀ちゃん」

 最初の乾杯で入れた酒精はおおかた抜けている。これならば大丈夫だろうと、私は宴の喧噪を背後のドアに閉じ込めた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「失礼します。消灯時間は過ぎています――急用ですか」

 ノックの後に滑り込んだ執務室。

「急用というわけではないな」

 ディスプレイから目を離さず、その人は笑う。

「加賀には見つかりたくなかったんだがな」

 そう――数年前の()()()――私が彼を見る目が変わった夜と同じ言葉を口にして。

 全く手を止める気のない提督を横目に、私は黙って彼の隣――秘書艦の椅子へと身体を納めた。座り心地は悪くない。なにより、ここは特等席だ。

「加賀」

「お手伝いします」

 端末に繋がる認証装置に手を当てる。

「私のプロファイルは使えますか」

「――端末が変わって移行してないから、初期状態になる」

 認証成功。ログイン画面が遷移して、初期画面が表示された。確かに半年前とは機械も替わり、使い勝手が違うが……大丈夫。

「使えれば何も問題ありません。データ格納の基本構成は変わっていませんか。変更点があれば、簡単にで構わないから、教えて下さい」

「資料の格納構成なんかは、新規で出来たサブフォルダ以外に大きな変更はない。あとはフィーリングで慣れてくれ」

「分かりました。私に渡せるのはなんですか」

 手早くメールクライアントを起動する。以前から使っていたアドレスは、幸いにもそのままだったのか、見覚えのある件名と共に、ここ数日届いたメールが表示された。

「艦隊運営のスケジュール調整を頼んだ。あまり慌てて修正する必要はないから、まずはここ数週間のものを参照して、感覚を掴んでくれないか」

「了解しました」

「頼む。分からないところは聞いてくれ」

 再着任を祝う友人たちからのメールを横目に、私は久しぶりの執務に復帰した。

 ふたりだけの執務室。そこには、端末のキーを操作する音、紙をめくる音だけが響き、時折寄せる波の音が外から届く。

 心地よい静謐さ。先ほどまでの賑やかな宴の時間とはまったくもって対照的だったが、どちらかと言えば、私にはこちらが合っている。

 もちろん――隣に、彼がいるということが重要なのは、言うまでもない。約半年ぶりの感慨が、私の心を躍らせた。

「歓迎会はどうだった。抜けて来ちゃったみたいだが」

「とても楽しく有意義でした。たくさんの人に帰投を祝って頂いて、こうして戻って来られたことに、改めて感謝しました」

「そうか――それは良かったな」

「ええ……抜けて来たのは、私が一緒に復帰を祝いたかった相手が、途中でいなくなってしまったようなので」

 そこで私は、机に座ってから初めて、提督を見た。

「そいつは悪かった」

 そう言って苦笑する彼に、私は静かな抗議をした。

「もし本当に悪いと思っているのなら、ちゃんと埋め合わせをして下さい」

「埋め合わせ?」

「はい」

「――具体的には?」

 目が合う。

 私の好きな目だ。

「そうね――」

 その瞳を見つめてしばし考え――いいや、考える必要なく、勝手に言葉は溢れてきた。

「しばらくは、料理のリハビリに付き合って頂戴」

 あなたの笑顔を見せて欲しい。

「ああ、お安いご用だ。いくらでも実験台になってやる」

 きっとあなたはなにを食べても美味しいと言うから、あまりテストとしての意味はないのだけれど。でも、食べて欲しい。

「次の休みに街も案内して欲しいです。私物も色々揃えなくてはいけないから」

 あなたと共に歩きたい。

「呉駅から大通りを行った所に、美味しいケーキ屋がある。買い物のついでに行こう」

 街を眺めて、並んで歩く。たとえ仮初めの日常であっても、それがあるだけで私たちはより強くなれる。

「それから――」

 ああ、いつから私はこんなにもわがままになったのだろう。いくらでもして欲しいこと、したいことが湧いてくる。

 私を射貫いた瞳。

 半年前、指輪をくれた時の愛しさを込めた瞳。

 あの夜、最期の言葉を交わした後に見れなかった瞳。

 そして戦地で再会し、全身ボロボロで私に口付けた時の瞳。

 毎日その瞳で見つめて、愛して欲しい。

「――それから、できたら毎日、口付けて欲しいの」

 言ったそばから頬が熱くなるのを感じる。

 こんな私にしたのは彼なのだから、しっかりと責任を取って欲しい。

 責任の取り方はいくらでもある。

「なるべく努力しよう」

 後ろ向きな言葉とは裏腹に、声は()()()()()と言っていた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

「ふぅ。少し休憩にしよう、加賀」

「はい。お茶を入れますから、少し待っていて頂戴」

「ありがとう――待ってる間に、加賀のやってくれた分に目を通しておくよ」

「お願いします」

 ここの執務室も、隣に休憩室がある。仮眠しながらの激務は勘弁願いたいところだが、ないよりあるほうがいい。

 それにベッドは――色々と用途もある。

 ほどなく湧いた湯を、そっと急須に注ぐ。湯飲みがセットになっていなかったり、色々手の入れようがありそうだ。仕事というよりは、自分のやる気のために。

 食事の後に茶菓子もないだろうと、私は執務室へと戻った。

「――加賀。ずいぶん手を入れたな」

 湯飲みにお茶を注ぐ私に、唸るような提督の声。

「はい」

 彼の言い様も無理はない。頼まれたスケジュールの見直しは実にやりがいがあった。

 一見すると無駄はないものの、転じれば浅く広くの中途半端。瀬戸内の中継基地という立地を考えた場合、陸とは考え方を変える必要があるが、全く足りていない。

「まず遠征の予定、来週の半ばからスケジュールを組み直しています。次の作戦に向けて補給物資を貯める方針で、本部からの護衛任務系は、別で厚めにこなせるように調整」

「ああ――大規模作戦に向けての話はともかく、本部からの護衛任務強化が抜けていたか。金剛にもひと言伝えてはいたんだが」

 金剛が組んだらしいスケジュールに堂々ケチを付ける結果になってしまったが、慣れというものがある。彼女が慣れない状態でもこれだけやれたのなら、まだいくらでも工夫ができるだろう。

 それに、この予定には金剛自身が組み込まれていた。しかし、私は今回それらをすべて削った。理由は――。

「その金剛だけれど、少し提案があるわ」

「提案?」

「金剛姉妹は、第二次改装に向けて練度の強化が必要でしょう。お知り合いの提督数名に演習の提案をしようかと思っています。というか、ほぼしました」

「そ、そうか」

「先方も演習の要望を出しているようなので、おそらく前向きな回答が頂けるはず。それ次第で、追って日程とメンバーの調整に入ります。あなたの許可次第だけれど」

 改二改装。金剛型を始め、一部の艦娘たちには大きく戦闘能力を向上させる強化改装のシステムがある。とりわけ金剛型姉妹は全員がその対象になっている。

 戦力の要である戦艦艦娘の強化イコール鎮守府の戦力強化と言って差し支えない。

 ライバルが力を付けるのは悔しい部分もあるのは確かだが、それはそれだ。私は、私の力をつけていけばいい。かつてそうしたように。

「やってくれていい」

「分かりました。摩耶たちもメンバーに加えて、強化を図るようにしましょう」

感心したようにも、痛いところを突かれたようにも見える――そんな提督の言葉には、投げやりとはまた違う諦めが混じっていた。

「それと」

「――それと?」

 個人的には、これが一番彼に言いたかったことだ。私の声のトーンが違って聞こえたのだろう。提督の背筋が伸び、表情が変わる。

 私は、金剛に案内されている間、ずっと感じていた。

「鎮守府を見て回っての意見なのだけれど――まだ特海隊員と艦娘のやり取りに、小さなぎこちなさが見えます。提督であるあなたはどう思っていますか」

「ああ――それは確かに、前々からの課題なんだ。この離島に回された時点で隊員たちの意識は『島流し』に寄ってしまう。前線で活躍したい思いを持つ人材なら、なおさら」

 彼の言葉に、思わず安堵を覚えた。気付いていないのと、出来ていない、の違いは意外と大きい。無論、後者も足りてはいないわけだが。

「ともあれ、まずは艦娘との垣根を取り除くほうが先ね」

「具体的にはどうする。案があるんだろう」

「護衛艦の隊員と交流がとれるように、巡洋艦と駆逐艦を数名、ローテーションで整備の手伝いに回してはどう。現場で背中を預ける者同士、コミュニケーションは大事」

「――なるほどな」

 昔、泉浜鎮守府が立ち上がってすぐの頃。私も含めて部隊は一体感を持って動いていた。人間でも艦娘でも、全員ひとつの部隊として戦い、笑い、そして必ず帰ってくる。

 お互いの信頼を育てるのは、日々の積み重ねでしかない。だったら、積み重ねる機会を持てるようにしていくだけだ。

 一気にしゃべったからか、思わず深呼吸をしてしまう。

 私が息を整え終えるのを待って、提督は静かに言った。

「やっぱり、お前じゃないと駄目だな」

「あなたを上手くサポートできるのが私で、私を使いこなせるのがあなた、という結論でいいのでなくて」

「じゃあ、それで」

 ふたりはそう言って、顔を見合わせた。

「ふふ」

「くく」

「ははは――」

 どちらともなく漏れた笑い。

「――帰ってきたんだな」

 日常が。

 普通のことは、ある日突然終わることもある。私も提督も、そして仲間たちも、それを嫌と言うほど実感した。

 だから普通は――日常は尊いのだ。

 だから人は、()()を糧に生きるのだ。

 だから私たちは、()()を守るために戦うのだ。

「ええ、帰って来ました」

 大切な人の隣に帰ってきた。せっかくおあつらえ向きの場所、時間、そしてタイミング。生かさない手はない。

()()()()

「――なんだ、加賀、急に」

 敢えて執務室(ここ)でそう呼んだ意図。シチュエーション嗜好のある彼には、少しやり過ぎなくらいのアプローチでもいい。

 金剛たちには悪いが、これもある意味、戦いだ。

「私、ずっと気にしていたことがあります」

「なにをだ」

「半年前、あなたから指輪をもらった日の夜、私は沈んだわ」

 今、私の指に光っている指輪は、カッコカリではない。なんの後ろ盾もないが、確かに私と彼との間で結ばれた婚姻の証だ。

 指輪をそっと撫で、私は上目遣いに彼を見つめる。

「言いたいのは、あれがケッコン記念日だったということです」

 私たちは人と艦娘で、互いに違う存在だ。

 だけれど、愛し合い、契約を結んだ男女であるということに、きっと変わりはない。

「つまり?」

「――新婚初夜を、まだ……迎えていないわ」

 別に私と彼に()()()()()()がまだないわけではない。むしろ――いや、重要なのはそこではなく。私はどう伝えていいのか迷う。これでは、まるで――

「加賀が言いたいのは――回り回って今日の夜が、その初夜に当たるんじゃないか、ということだな」

 ()()()私を見かねたのか、面白がっているのか、彼はちょっと笑ってそう言った。

「ふたりがそう思えば、そういうことになります」

「じゃあ、そういうことでひとつ」

「――ばか」

 私は手を不揃いな書類に伸ばす。今日やれることはまだまだ多そうだ。

「まずはお仕事を片付けてしまいましょう」

 そうそう甘い時間はやってこない。だけれど、我慢のあとに訪れるご褒美ほど美味しいものもない。

 だから、せいぜい焦らさせてもらおうと思う。それがきっと、ふたりの気持ちを育ててくれると信じて。

 

 

「――お預けも、いいものですよ」

 

(続)

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