お調べします、鎮守府七不思議!? 抜錨!呉鎮守府広報課! 作:沖野潤一
一.
「なんで釣りなんですか、葛城さん」
私、青葉の、当然の疑問。
「だってしますから。釣り」
「誰がですか」
「青葉さんと私と、ゆーちゃんと加賀さん」
それは『しますから』という葛城さんの回答によってあっさりと潰されてしまった。
いやいやいや、ひとつも潰れていない。
「なんで釣りなんですか」
「えぇ?」
この人はなんでこんなことを聞いているんだろう、みたいな顔をされても困る。
なにしろ、私たちは仮にも広報担当で、やることは取材なのだ。釣りではない。
「だって取材なんでしょう。必要じゃないですか」
「なにがですか」
「釣りです」
「えぇ?」
「なんで釣りなんだろう、って顔ですね?」
「はい」
こほん、と咳払いをする葛城さん。
「あ、ゆーさん恐縮です」
そっと横から差し出されたマグカップをすする。紅茶だ。美味しい。
同じようにお茶を一口、葛城さんが私を鋭く見据えた。
「青葉さん、広報課の課長さんから言われましたよね」
「はい。前回、ハッピーちゃん――と、加賀さんを取り扱った猫特集が思いのほか評判が良かったので、今度も動物ものをやってはどうか、と」
デスクで自分の端末をいじっている加賀さんが、何故だかうんうんと頷いている。多分『評判が良かった』のところを噛みしめているに違いない。
確かに、黒猫を抱く弓道衣の加賀さん――という絵は、コントラストとキャラクターのギャップもあって大変に素晴らしかった。何故だか彼女がそのままコラム係に配属されたところは、今もさっぱり分からないが。
「で、さきほど青葉は今回も動物もので行こうと言いましたよね」
「そうです」
「なんで釣りなんですか」
「魚も動物ですから」
葛城さんはきっぱりとそう言い切った。
「あのですねぇ」
確かに、彼女の言い分は正しい――いや間違ってはいない。動物という言葉は哺乳類やは虫類、鳥から魚の脊椎動物どころか昆虫まで含んだ生物の
だが、それはあくまで学術的な観点である。
「ふつう、日常的な会話で『動物』って言うなら、それは哺乳類なんかのことを表すわけですよ。犬猫、フェレット、カワウソ、パンダ、ハムスター。そういえば整備班の人らが飼ってるハムスターが脱走したそうですよ。そういう話を追うのはどうでしょう」
敢えてちょっと可愛いところを強調しておく。だって見たい。パンダとか、ハムスターとか。いや、やっぱりわんこもいい。
葛城さんは私の言葉に一切動じず、ただ手を横に払った。
「じゃあ、それは忘れて下さい」
「いやいやいや、ちょっと待って下さい。忘れろってどういうことですか」
「パンダのことは忘れなさい青葉さん。忘れろ」
何故か命令口調だ。
「忘れろッ」
「なんで二回言ったんですか!?」
「この世界にパンダなんていなかった。いいですね?」
「よくないですよ。パンダはいます。なんの権利があって、そこまでパンダの存在を否定するんですか。あんなにかわいいのに」
「葛城――パンダはふわふわころころしていて――可愛いものよ。無くすなんてとんでもない。私が護ります」
「加賀さんはちょーっと黙ってて下さいねややこしくなるので」
「そう」
私は思わず葛城さんのデスクに目をやった。彼女は自分のデスク上を、色んなグッズで飾り付けていて、ぱっと見は一番華やかな仕事環境になっている。
つまり、彼女は魚が好きなのだ。
いちおうコラム係のリーダーを務めている身としては、上司から――ひいては広報誌を読んでくれる人たちの需要を正確に掴んでいなくてはいけない。負けられない。
「あのですねぇ、こういうところで『動物もの』と言うからには、読者が求めているのは今回のハッピーちゃんみたいな、分かりやすくて癒やされる可愛さなわけですよ」
ハッピーちゃんは可愛い。結構いいものを食べているらしく、体はふくよかで毛並みもつやつや。今も加賀さんに差し出された、ねこが大好きなパウチ式のおやつをまふまふと食べている。二本目は出てこないですよ、ハッピーちゃん。
で。魚が可愛くないか可愛いかで言えば、まぁ可愛くなくはないだろう。少なくとも、だいたいの魚は可愛いというか愛嬌があると言えなくもない。事実、葛城さんのデスクにある、ゆるい魚キャラクターはどれも可愛い。深海魚モチーフのキャラも悪くない。
「え? 魚は可愛いですよね?」
きょとんとする葛城さん。
「可愛くないとは言いませんよ」
「えぇ?」
この人はなんでこんなことを言い出したのだろう、みたいな顔をされても困る。
「ユー、海の中でよくおさかなとにらめっこしていました。かわいいです」
「潜水艦あるあるみたいに言わないで下さいよ、ゆーさん」
彼女はちょっとキャラが独特だけれど、水中を戦場にしている潜水艦たちは、みんな魚との戯れを重要視しているらしい。何故なら、それが潜水艦が孤独と戦うときの癒やしになるからだと聞いたことがある――って、それはそうと。
「あのですね、じゃあ、なんでその可愛い魚を釣るんですか」
私は素直にそう聞く。魚を存在として、キャラクターとして愛でるのは分かる。だが、それと『釣り』という行為は恐らくまったく結びつかない。
「魚を愛でる。魚を釣る。この両者になんの違いがあるんですか」
「釣っちゃってるじゃないですか。アレですか、戦いもまた愛のひとつみたいな」
「はぁー……」
この人は分かっちゃいないなぁ、みたいなため息を出されても困る。
「食べるに決まってるじゃないですか」
「食べちゃってるじゃないですか!」
「魚を愛す。魚を食らう。両方を共に尊いと感じ、自分の糧にする度量こそが
「ええ……」
葛城さんが意味分からないこと言い出した。少年格闘漫画的な。もし正体を見られたらもう相手を殺すか愛するかどっちかしかないみたいな。違うか。
「もう青葉は、なにが正しいのか分からなくなってきました。我々は何者なのか、我々はどこから来たのか」
「私たちは艦娘で、海の絶望と希望の挾間からやってきて、今日は夜釣りですよ」
「えぇ?」
さっき『何言ってんだこいつ』という顔をされたのがちょっとムカついたのでお返し。
そもそも、だ。
「青葉、釣り道具なんか持ってませんよ。葛城さんはあるのかも知れませんけど」
私たちは本来、洋上で戦う兵器としての存在だ。人の体を得たからには、多少人らしいことが出来るようにはなっている。しかし、それでも個々の趣味を充分満喫できるほどの環境は残念ながら揃っていない。
「青葉にあるのはカメラだけです。ほんのすこしだけ」
「ちなみにカメラいくつ持ってるんですか」
指を折って数える。しまった足りない。
「ざっと20台ぐらいですかね」
「めっちゃ持ってますね。あのレンズっていうのかな、あれもいっぱいあるんですか」
指を折って数えようとしてやめる。
「なんか生えてくるんで。レンズは。まぁーいっぱいありますね。ハイ」
――環境は、残念ながら、揃っていない。そういうことにしておいて欲しい。
百歩譲ってカメラならまだしも、守備範囲外である釣りというアウトドア趣味に時間や余裕は割けないし、割くという発想にならない。どうせなら可愛くてモフモフしたものを撮りたい。モフモフしたい。させて欲しい。魚は目が怖い。あと生臭いし濡れてる。
だから。
「安心して頂戴。全員分、釣り道具は手配しておいたわ」
任せとけ! みたいな加賀さんのキラキラしたドヤ顔をカメラで写してしまったのは、せめてもの抵抗だった。
二.
「そういえば青葉さん。ここって、新二番埠頭ですよね」
「そうですよー。艦船巡りって知ってます? 昼間はギリギリ見えるんです、あれで」
「コンクリとか設備見るに、割と新しくないですか」
「ここ、敵さんに制海権取られた直後、真っ先に襲撃されましたからねぇ。工場が撤退しちゃって鎮守府できて、作り直したんですって」
真新しいクーラーボックスを提げ、釣り竿を片手にやってきたコラム係一同。
日は既に落ち、港は静かな波音で満ちている。時折通っていく船もあるが、みな港へと戻ってくる船だ。
「なるほど……で、なんで二番埠頭に漁船が来るんでしょうね」
「ああ。例の七不思議の、ですね」
「ですです。や、謎のってのは分からなくもないんですよ。港には確かに、一般の船舶も入って来ますけど、ここに接岸するのは私たちの隊か自衛隊ぐらいですもん」
「そうですよねぇ。ふつう許可下りないですよね」
鎮守府七不思議曰く、新二番埠頭に現れる謎の漁船。
確かに、この場所に護衛艦や隊の警備艇以外がいたとなれば不思議だろう。トラブルで接岸した民間船舶か、違法取引の不審船か。まぁ後者は、深海棲艦以前の騒動でならあり得た話だけれども。曳航とかされて。
はたまた、幽霊船の類いか。
と、それを言われて思い出し、同時に思いついた。
「葛城さん。青葉、先日のお話のあとで広報課に聞いてみたんです。暗視機能の付いてるビデオカメラってありませんかと」
私は背負っていたリュックからカメラを取り出す。普段撮影に使っているハンディカムより無骨で直線的。ごく少ない光でも感度を上げて撮影できるタイプだ。
「ありました。このとおり」
「おおー!」
「それでですね、せっかくだから謎の漁船が来ないか、モニタリングでもどうかな、と」
内蔵のバッテリーだけでは戻ってくるまで持つかどうか怪しいけど、幸いここには作業用に電源が取れるコンセントがある。ストレージも増やしてあるので、恐らく音も含めて撮影してもギリギリひと晩は保つだろう。謎の漁船を見つけたところで特に意味はないにしろ、話のタネにはなるかも知れない。
「いいですね! それじゃ、ええと、割とスペースの空いてるあの辺をターゲットにして映しましょうか」
「了解です。ゆーさん、ちょっと設置手伝って下さい」
手早くカメラと三脚を設置。海のほうを向けて、消火用設備のラックの影に。
「港の中の撮影は事前に申請がいるんですけど……事後申請でやっちゃいましょう」
「あ、やっぱりいるんですか。許可」
「いりますよぉ。普段の取材では青葉が出してましたけどね」
艦娘自体が機密の塊というところは置いておいて、どこの港であってもビデオ撮影には事前の許可が必要だ。まぁ今回は突発だし、特に意味のない目標を撮るところからして、おおっぴらにやらなければ大丈夫だろう。
ふと、海を見つめる加賀さんの様子が気に掛かる。
「加賀さん、どうしました」
ふいと首を振る加賀さん。
「いいえ、なんでもありません。少し風が出てきたから、三脚はしっかり固定しておいたほうがいいわ。倒れないように」
「なるほどぉ。青葉、了解です」
持っていた養生テープで固定。これでよし。撮影開始もチェック。
「それじゃ、葛城さん主催……もとい、鎮守府近海お魚探しツアーと参りましょう」
岸壁からでもいいのだが、というか私はそう主張したのだが。
絶対に船から釣りましょう。
葛城さんに、きらきらした目でそう言われては水を差すわけにもいかない。
「青葉、船舶免許ないんですけど」
そりゃあ元々は
「いや艦娘は持ってないですよ普通。自分が船なんだし。でも加賀さん、海技士免状あるらしくって」
「ええっ、小型船舶じゃなくて? あれ、乗船歴求められませんでしたっけ」
「もともと艦娘には乗船歴の制限なくって、試験だけで取れるそうです。私も知りませんでしたけど。ね、加賀さん?」
葛城さんの目配せに、加賀さんが小首を傾げる。
「鎧袖一触よ。イカ釣り船でもカツオ漁船でも、どんとこいよ」
「いやいやいや。鎮守府所有の小型船ですから!」
「お望みならば、護衛艦も操艦して見せるわ」
確かに、一部の艦娘は、鎮守府所有の護衛艦でクルーを兼任するケースがあると聞く。加賀さんもそういったケースだったのかも知れない。
「護衛艦はともかくとして、コレでイカ釣りは無茶じゃないですかねぇ。たくさん探照灯でも持ってくれば別でしょうけど」
「そう」
手慣れた様子で船を操る加賀さんに、謎の頼もしさを感じる。あなたは一体。
そうこうしているうちに、船は港を離れていく。
「葛城。どこを目指せばいいの」
波はさほど荒れておらず、月と星が瞬く素晴らしい夜だ。器用に船を操りながら、加賀さんが心持ち大きめの声で問う。
葛城ははたと自分の荷物をまさぐり、しまったという顔。
「青葉さん、ケータイ持ってます? 私、持ってくるの忘れちゃったみたいで……GPSで場所が知りたいんですけど」
「ありますよう……うん、GPSちゃんと座標出てますね。今このへんです」
ふんふんと頷く葛城さん。
「もうちょい先ですね。今日の釣り場は、いわゆる『根』ってやつです」
「ああ! なにかで見たことあります。メバルとかそういう魚がいるところでしたっけ」
「根魚ですね。……あまり気持ちいい話じゃないですけど、ここらへんの漁業組合さんが古くなった漁船を沈めて人工的に生き物の住処を作ってるんだとか」
まぁ、『艦』である私たちには確かに複雑な話でもある。
「ええと、加賀さん。両舷そのまま、五分ほど行った先が目的のポイントです」
了解と小さく応えて、加賀さんがちらりと海を気にした。
三.
「釣れませんねぇ、葛城さん」
30分前に葛城さんの指定したポイントに到着した我々コラム係一同、さっそく釣り糸を垂らした。しかし、アタリは来るものの……。
「おかしいなぁ……バレちゃうならまだ釣ってる感あるからいいんですけど」
「まったく反応がないわけじゃないのが、また悔しい」
「餌だけ持って行かれているわね」
加賀さんがそう言って、餌を点け直した針を海へ放った。私も先ほどからピクリともしない仕掛けを上げてみる。餌が無い。
「根釣りって夜でいいんでしたっけ」
「いちおうメバルなんかは暗い時のほうが釣れやすいんです……そのはずでーす」
「葛城さん、いつからイタリア艦に」
ゆーさんが竿と海をきょろきょろと見比べる。
「ユー、見てきましょうか。この深さなら……ユーでも大丈夫です」
おずおずとそう言うゆーさん。彼女が潜ると言い出すなんてよほどのことだ。
「待って。ゆーちゃん待って。気持ちは嬉しいんだけど、それをしちゃうと私たち負けのような気がする」
しかし、申し出にズビッっと手をかざす葛城さん。それはそうだ。
「はい……」
何故か申し訳なさそうに竿を持ち直すゆーさん。
確かに、潜水艦娘が様子を見に行って、魚がいるかどうか確かめることは簡単だろう。しかし、果たして魚がいたと知ってしまったらどうだろう。純粋に釣りが下手だということを認めることになってしまう。
加えて、この船は隊の備品である小型艇を借りたもの。魚群探知機などの釣り用装備はまったく無い。せめて水中探針儀だけでも用意しておけば……と思ったところで後の祭り。下準備のマズさも加わって、『こんなはずじゃ』が増大してしまってはあまりにも悲しい。
色々な条件が重なって、ただ釣りをするしかなくなった私たち。
三十分。一時間。二時間。
波は穏やかで助かったが、静かな海はかえって気まずさを助長する。
「……よし」
私は敢えて、空気を変える戦術に出た。
「これ、電気点けてるから釣れないんですよ、消しましょう」
私の言葉に、加賀さんが無言で船の照明を消した。
「暗ッ! 青葉さん、暗いですよこれ!」
「ユーは一応……見えます……」
「ゆーさんは夜目が利くんですね、さすが潜水艦!」
「いや、釣れたら網とかでサポートしなきゃですし!これじゃあその人のところ行く前に海へ落ちちゃいますよ」
ならば。
「ライトオン!」
今度は加賀さんが無言で船の照明を点けた。
「釣れたらライトオンで。それまでは暗くしましょう」
「えええ」
「分かったわ」
「ユーは大丈夫です」
もう完全にアレがアレなのだが、知っている人はいないらしい。
「青葉」
いや、一人いた。照明に照らされて生暖かく笑う加賀さんに苦笑を返し、私は再度宣言する。
「ライトオフ!」
再び船上は闇に包まれる。
「じゃあ、アタリが来て引っかかったと判断したら、言って下さい。加賀さんがライトを点けます」
「……わ、わかりました」
「別に横になってもOKということで」
「す、スカートですよ私たち!?」
「誰も見てませんって。ここは無礼講ということで」
「い……いいのかなぁ。それじゃ、はい……」
「寝ー釣ーり! 寝ー釣ーり!」
面白いのでこっそりと定点カメラを仕掛ける。まぁ、ライトオン時に下着でも映ったら修正する方向で。
うーむ。コラム係としての仕事の他に、動画コンテンツとしての生き残り方もあるかも知れない。水雷どうでしょう……? いや、これは多分ネタかぶりしている。多分。
「ゆーさん。今度水中撮影用の装備なんかも用意してもらいましょうね」
「? はい、楽しみにしておきます」
「そうですねぇ……今までコラム係という立場にこだわりすぎましたね。広報課の一員として、親しみを持ってもらうためのコンテンツを作る……それもありかも知れません」
「果たして、これは親しみに繋がるのかしら」
今回の釣り企画は、葛城さんが言い出したことだ。
地元の海を艦娘が回り、よもやまを紹介して回る。哨戒ではなく、紹介。
取り戻した海を自分たちがいかに護っているか。どれほど愛しているか。それを知ってもらういい機会だと。釣りを通じ、海が元に戻っていることを色んな人に知らせたいと。
結果はまぁ、恐らくボウズになりそうだ。だけど、葛城さんの努力は無駄にしたくない。なんとか一匹釣って帰りたい。
時間は過ぎる。そろそろ日付が変わるだろう。
「静かですねぇ」
周囲には波が船にぶつかる音と、メンバーの身動ぎする音……そして葛城さんのイビキしか聞こえない。
「えっ」
「寝ているわね、葛城」
「もう!?」
「よほど疲れていたのでしょう。横になった途端、糸が切れたのね」
「昼間からあれだけ張り切って準備してたら、そりゃあ燃料切れちゃいますよね」
可愛いいびき……寝息を立てる葛城さん。暗闇に、加賀さんの声が満ちる。
「この子なりに私たちや、記事を見る人を楽しませようと必死だったのね。自分の好きなことを他人にも好きになってもらえるというのは、とても幸せなことだもの」
優しい声だと思った。空母……スカイママはみんなこうなのだろうか。いやいや、葛城さんも空母だった。じゃあナシだ。
ふと、私は前から気になっていたことを口にしてみる気になった。
「私たち、沈むとどうなっちゃうんでしょう」
足元、水面下。今は魚たちが住まうがれきは、かつて船だったもの。
ミナソコ。シズメ。深海棲艦たちが口にするという言葉は、人の身となった自分には、まだ実感がない。一度そうなりかけたのは事実だけれど。
鋼鉄の身体だった時の無念とは別。これは、心を得た人の身だからこその疑問だ。
「もし『無』だったらどう思うのかしら」
「む? なにもない、ってことですか」
「そう」
ヴァルハラ。天国。地獄。あの世。人には色んな『死後』がある。それは今を生きる人への慰めであったり、生きようとしない人への戒めであったりする。
そんなものは、ない。そう考えることは、科学的には正しいのだろう。
でも。
「そうだったら、寂しいですねぇ」
純粋にそう思う。それが本来もたらされる死の恐怖を和らげる『救い』の装置だから、というのもあるけれど。
「終わったらなにもかも『無い』真っ暗闇より、まだ次があると考えられたほうが楽じゃないでしょうか」
「……私たちの『次』は、『彼女たち』だとしても?」
加賀さんは、淡々とそう言った。
艦娘は沈むと深海棲艦になるという。あり得ない話ではない。海を、人を護ろうと生まれた私たちが沈んだ時、無念を抱えて生まれた深海棲艦たちになるというのは、理屈の上ではしっくりと来る。
それでも。
「逆です。彼女たちの『次』が、青葉たちと同じ艦娘なんです。きっと」
自分は直接彼女たちを鎮めることは、もうできない。だからせめて、仲間たちの助けになれれば。
「なので、青葉は割と前向きです。できること、まだありますから」
「そう」
ふ、と隣のゆーさんを見ると、彼女はどこか遠くを見ていた。
「ユーは」
きっと、彼女がこうして口を開くのは貴重な機会だ。私は思わず居住まいを正す。
「ユーたち潜水艦は、いつも水の中にいます。真っ暗、です。お日様が届かないところで、じっと敵を待っていることもあります。ずっと一人、です」
すぅ、と小さく、ゆーさんが息を吐いた。
「私たち、きっと一番、あの人たちと近いです」
あの人たち、深海棲艦。確かに私たち水上艦と、彼女たち潜水艦は違う。水に浮かび、空気に触れて戦う私たちと、水底に潜み、水に囲まれて戦うゆーさんたち。
彼女たち潜水艦と、私たち水上艦の価値観も、きっと違うのだろう。
「でもユー、冷たくて暗いところにいるからって、お日様を浴びてるひとたちを……同じところまで、連れてきたくないです」
きっと、これが深海棲艦たちと私たちを区切る全てなんだろうと思う。
悲しみと絶望に塗れてしまった私たちと深海棲艦。
前を向けなかった彼女たちと、『それでも』と前を向いた私たち。
「同じ連れてくるなら、お日様の下に、ですね」
「はい……」
ふが、と葛城さんが変な音を出した。
「あはは。青葉、葛城さんが張り切ってたのをあまりサポートできなかったし、ちょっと落ち込んでたんですが……明日からまた、頑張ろうって気になりました」
「葛城が空回りしただけよ。まぁ、この子はもう少し落ち着いて行動すべきね。いったい、誰に似たのだか」
「あはは」
急に先輩風を吹かせた加賀さんに、思わず笑ってしまう。……が。
「……おや」
「どうしたの、青葉」
加賀さんの竿がしなっている。アタリ……いや、食いついた!
「加賀さん、引いてます!」
加賀さん、慣れた手つきで竿を手繰り、リールを回す。完全に知っている者の動きだ。
格闘が続く。場所は海。敵は魚。私たちは、艦娘。
「ゆーさん、たも網をっ」
「はい、準備できてます」
「青葉。そんなに落ち込むことはないわ。こうして魚は釣れたのだし」
それに、と加賀さん。
「きっと、面白そうなことにも出会えるわ」
「おもしろ……?」
「ええ」
加賀さんが微笑むのと、網に捕まった大きなメバルが船に上がるのは同時だった。
続けて、釣り竿がしなる音がする。
「おや……ら、ライトオン!」
離れたところで一人寝転がった葛城が光に浮かぶ。その竿がしなっていた。
「寝釣りで釣ったー!?」
寝たまま竿を握った葛城さんの竿がびんびんと引っ張られる。葛城さんは寝ている。
「かかか、葛城さん! 起きてー!!」
「ふが」
ちょっぴり口の端がはしたない状態の葛城さんが、むくりと身を起こす。
途端に気付いたらしい。ようやく自分の竿に魚が掛かったことに。
「ええ……当たりか……あっ、釣れてる。掛かってる! えっ!? ちょっと、青葉さん!?」
「葛城さん、早く起きて! 巻いて、巻いて下さい!」
「えっ、ちょっ……巻くって!? 巻くってなにをです!? なにを!?」
完全にパニクっている中、勝手に体が動いているのか、リールを巻く葛城さん。
「ユー、すくいます」
「あれっ、ええ、なに……なにが起こってるの?」
水面から引き上げられた魚が身をよじらせている。これは鯛だ。
「葛城さん、タイですよタイ!」
「Meerbrasse……とってもきれいです」
「あはは……つれ、ました」
いつの間にか加賀さんが船を出していた。
今日の釣果はなんと二匹。大きなメバルと鯛。それぞれを釣り上げたふたりの雄姿は、しっかり写真に収めてある。
「よかったですねぇ、葛城さん」
「はいっ」
結果よければすべてよし、としよう。私たちは、『次』へと向かって踏み出さなくてはいけないのだ。
艦娘を乗せた小型艇が、波を一つ越えた。
四.
「青葉、不満そうね」
加賀さんからそう言われて、私は初めて微妙な表情をしていることに気付く。
「オチが不服だったのかしら」
「図星ですね」
釣りが終わったあとに港へ戻ってみれば、見慣れない警備艇が桟橋にいた。なんでも、防潜網を船尾に積んでいたせいで漁船に誤認されただけらしい。
「漁船だと思われてたのが鎮守府所属の警備艇だったというのは、オチとしては弱いですねぇ。事故って煙噴いてたのはちょっとびっくりですけど」
「……そうね。乗組員に怪我がなくてなによりだわ」
「湾内で不審な船がいたらしいですけど、気付きました?」
「通信は拾っていたから一応。それにしても――物騒ね」
まったく、落ち着いて釣りもできやしない。
それはそうと。
「広報誌、めっちゃ好評なんですよねぇ……」
私は手に取った広報誌、その片隅で笑う葛城さんの笑顔を見て苦笑した。
鯛を釣り上げた一瞬の笑顔。
「読者が求めていたものが分かって良かったと思いましょう」
「可愛いものじゃないとダメかと思いましたけど、意外とアウトドアでもいけますねぇ」
「同時公開した動画のウケが良かったのも一因じゃないかしら」
確かに、釣り中に撮っていた動画を少し編集して字幕を付けてアップロードしたところ、ガンガン再生されてガンガン広まっていった。後で問題になりはしないかヒヤヒヤしたが、広報課からは正式なコンテンツとして扱うことにしてもらえたので結果オーライ。
「これからコラムと動画の二本立てで頑張るとしましょう! 加賀さんも色々とよろしくお願いしますね!」
「私にできることなら、ね」
期待の新人、加賀さんも加入して――いつの間にかここに馴染んでいる彼女が凄い――コンテンツも順調。少し前では考えられなかったことだ。
広報誌にも沢山感想が寄せられている。
曰く、葛城さんの笑顔がよかった。鯛が美味しそう。ここの釣り場を教えろください。加賀さんのうなじぺろぺろ。ゆーちゃんかわいい。
作り手の顔が見えるというのも善し悪しだけど、今のところはエスカレートしない限り様子見でいこう。ファンがつくというのもそれはそれで。
「いやぁ、動物もの、難しいですねぇ」
次は、猫カフェかうさぎカフェか、なにかモフモフしたものを特集したい。できたら鱗よりは毛がいい。はぁ、と小さくため息を吐く。
「次はあなたを写してあげましょうか、青葉」
不意にかけられた、そんな加賀さんの言葉。
「遠慮しときます」
そう、と加賀さんに肩を叩かれて、私は苦笑いをするしかなかった。
(続)