お調べします、鎮守府七不思議!? 抜錨!呉鎮守府広報課! 作:沖野潤一
一.
「加賀さん」
「なにかしら、青葉」
「その指輪ってひょっとして?」
ある晴れた日の午後。私は猫を膝に抱いて原稿を書く加賀さんに尋ねた。
広報課所属という仕事柄、私は多くの艦娘と接する機会がある。
取材やインタビューはもちろん、各地の鎮守府へ行ったり来たり。潜水艦から航空母艦、ドイツやイタリア、フランスアメリカフィンランドまであちこち――聖地巡礼よろしく、どこかの国まで直接行けたら良かったんだけど。あ、艦娘本人とは会ったことありますよ、もちろん。
話がずれました。私としては、いろんな艦娘たちと顔を合わせた経験があるからこそ、加賀さんには違和感があった――左手薬指の指輪だ。
「ああ……これね」
「カッコカリのと違いますよね?」
「ええ、まぁ――そうね」
そう、いわゆる艦娘の成熟度合を示す『練度』が上限に達した艦娘の能力を開放する、ケッコン・カッコカリ。その儀式というか、手続きに使われるのがその指輪だ。
行われるのはどう考えても疑似的な婚姻行為なのだけど、これがあちこちでごく普通に扱われているのはいいのか悪いのか。
それはともかく――彼女の指輪は、意匠が違う。
ただの指輪といえど、カッコカリ指輪は艤装――つまり規格品だ。裏側に文字を入れるぐらいの加工なら問題ないそうだけど、これはそもそもの
だから私は、加賀さんが『普通に結婚した』……或いは『それに準じた関係を結んだ』のではないかと推測してみた。
思えば加賀さんは、どこか普通の航空母艦『加賀』と違っている。ふつうは必要のない電探メガネなんかを掛けているし、妙に生活慣れしているし、微妙に物腰も柔らかいし。うん、私の知る一般的な『加賀』は、もう少しツンケンしている気がする。
ひょっとして、誰かとの許されぬ愛を咎められて、この窓際まで流されてきたのでは?整備士とか、飛行士とか。
「この指輪が珍しい?」
「はい。ちょっとデザインがこう……そう、かわいいです」
かわいいという言葉に、ほんの一瞬だけ照れた雰囲気を纏った加賀さん――しまった、今の撮っとけば良かった。チャンスを逃した。
しかし。
「この指輪は趣味よ」
キリッと言われてしまった。
「……趣味?」
「趣味」
ほんとですかぁ? などと食い下がることもできたのだけども、さっき見せた雰囲気が頭をよぎって、これ以上の詮索はしないことにした。
ひとには事情がある。私も、葛城さんも、ゆーさんも。
だから、加賀さんは趣味で薬指にあの指輪を付けている。そういうことにしておこう。
「ちなみにカッコカリのはこれ」
「普通に右へ付けてるんですね!?」
「気分で、首のチェーンに付けて提げていることが多いわ」
「そんな扱いでいいんですか!?」
「趣味よ」
「趣味」
「――これに、練度限界突破以外の意味を求めるのは不毛だもの」
言葉通り、不毛なやり取りになりそうな間。それを止めたのは、当の加賀さんのひと言だった。
「そう言えば鎮守府七不思議の四つ目――葛城は知っていて」
そんなごく普通の言い方で、そう口にした加賀さん。しかし……葛城さんの反応は明白だった。分かりやす過ぎるほどに。
「ひっ!?」
どんがらがっしゃん、ごとっ、ばしゃっ、ばたーん、にゃあご、きゃ、ずるっぺたーん。
悲鳴と共に立ち上がった葛城さんが、その勢いで座っていたイスをすっ飛ばして、肘で湯飲みを倒して中身が零れ、立っていたファイルケースが倒れ、はっぴーちゃんが驚いて加賀さんの膝からすっ飛び、それに驚いた葛城さんが床のお茶を踏んですっ転ぶ。
地獄絵図だ。
「知っていることは分かったわ」
「めちゃめちゃ冷静ですね!?」
「取りあえず拭くものを……ああ、ゆーちゃん。だんけしぇーん」
「Bitte schon」
後始末を横目に、葛城さんの表情は冴えない。
毎月四日――四時四分。第四格納庫に幽霊が現れ、見たものは呪われる。それが鎮守府七不思議の四つ目だ。四が念入りに四つも重ねられた、いかにもな内容。『四』イコール『死』を忌避する日本人特有の感覚とも言える。
少なくとも葛城さんはこの内容を知っていて、そして怖がっている。
怖がる――そう言えば、最初の七不思議――黒猫騒動の時だって、そうだった。暗闇に浮かんだ瞳に怯えきった葛城さんの震える声を思い出して、私はなぜだろうと首をひねる。
え? あの時自分もビビってただろうって? だって青葉はかよわい乙女なので。
「あ、あの。ごめんなさい」
おずおずと頭を下げる葛城さん。顔色が悪い。
「ひょっとして葛城さん、お化けとか幽霊苦手です?」
「あー……お化けって言うか、はい、たぶん」
あっさり。葛城さんは苦笑と共にそう言った。
だけど――。
「ごめんなさい。お茶で汚れちゃったので、ちょっと着替えてきますね」
その表情はまるで張り付けたようで、葛城さんがなんらかの無理をしていることを分かりやすく示していた。彼女はそれでも、なんとか部屋を出ていく。
立て付けの悪いドアからは、外の潮騒が流れ込んできた。
「青葉」
床を拭きながら、加賀さんが私を呼んだ。
「なんです、加賀さん?」
「あなたは――いえ」
言いかけて小さく首を振った加賀さんは、立ち上がってメガネを直す。
「ひとつ頼まれて頂戴」
「ええと……なんです?」
「葛城を連れてきて欲しいの。明日の明け方、第四格納庫へ」
「まさか」
「そのまさかよ。今日が何日か知っていて」
「知ってます、けどぉ」
三のつく日は三●郎の日……は置いといて。今日は六月三日。つまり、明日は一ヶ月に一度の『四日』だ。つまり、加賀さんは。
「葛城さんを呪う気ですか」
行く気だ。第四格納庫に。
「心外」
ぱんぱんと、加賀さんが手の埃を払った。
「その逆よ。私が、彼女の呪いを解くの」
「葛城さんの……呪い?」
「そう」
当然といった口調で、加賀さんはそう断言した。
呪い。なにをオカルトなこと、と思ったけど……私たちがそもそもオカルトのかたまりだった。そうなると俄然、彼女がなにをしようとしているかのほうが気になる。
「一航戦ともなると、解呪も出来るんですか? 巫女さんですか?」
「巫女服より、弓道衣のほうが純粋な戦闘力は高いわ。海でも陸でも」
「なんの話ですか!? それ、いかがわしい手合わせとかじゃなくて、艤装を使っての戦いですよね!?」
私の突っ込みをため息で受け流し(なんか腹立つ)、加賀さんは手元のメモになにかを書き込み、ゆーさんに手渡している。
「――ともかく。不確かな噂の真相を追うのも、呉鎮守府広報課コラム係の仕事よ、青葉。リーダーのあなたから声を掛けてみて頂戴」
「ぅ、わ、わかりました」
「お願いするわね、リーダー」
スマホになにかを打ち込みつつ、素っ気なくそう言った加賀さん。青葉がリーダーだとおっしゃいますが、私にはあなたのほうがよほどリーダーのような気がします。裏の。
ともあれ、やることがあるのはいいことだ。
「それじゃ、マルサンゴーマル、第四格納庫の裏手に集合ということで。青葉は夜間撮影用のカメラを準備していきます」
「ああ、青葉。用意して欲しいものがあるから、あとでLANEします。ゆーちゃん、私と一緒に行きましょう」
「Ja。照らすものとか、用意しておきます」
「そうね」
どこか楽しそうに準備をする、加賀さんとゆーさん。
いつの間にこのふたりはこんな仲良くなったんだろう、と首を傾げつつ、私はふたりに背を向けた。
加賀さんはさっき、私に何を言おうとしたんだろう。どうして葛城さんは幽霊が怖いんだろう。疑問が頭を埋めるなか、私は目覚ましアラームの時間をセットすべく、スマートフォンに指を滑らせる。
声は掛けるとしても、葛城さんは来てくれるだろうか。もしもの話ではあるけど、本人がトラウマのようなものを抱えているとしたら、それに踏み込んでいいものだろうか。
――加賀さんは、どこまでなにを考えているのだろうか。
悩む時間が惜しくなり、私はさっさと歩きだした。
二.
三時五十分。波音に紛れて、私たちは噂の第四格納庫を訪れた。
――毎月四日、四時四分。第四格納庫に幽霊が現れ、見たものは呪われる。
幽霊はいるのか。呪いはあるのか。果たして、本当に見たら呪われるのか。それを確かめるため――私、青葉と加賀さん、ゆーさん、そして葛城さん――呉鎮守府コラム係は、それぞれ(取材的な)フル武装で立っている。
「青葉、見た目がいかついわ」
加賀さんがそう言うのも無理はない。ごついベストにでっかいカメラ。頭にはでっかいライト。どう見ても探検スタイルだ。
「えへへ、だいたい私物です。予算が出るなら、ヘッドマウント式とかに変えたいんですけど」
「Sieht stark aus……格好いい、です」
ちょっぴり胸を張ってみたが、ベストがごわついて上手く出来なかった。
……と、ひとり静かな葛城さん。多少無理に呼んでしまった手間、流石に気になった。せめてもう一度ひと声掛けておかないと。
「葛城さ――」
「青葉。頼んだもの、私が預かります」
「あ、はい」
いきなり遮られてしまって、タイミングを見失う。葛城さんはうつむいて表情は分からないけれど、元気そうにはとても見えない。
それを知ってか知らずか、マイペースな加賀さん。
「ゆーちゃん、鍵を」
「Ja。いま、開けます」
ちゃら、とゆーさんが鍵を取り出す。いつの間に手配していたのか、施錠されている、格納庫の扉を開ける準備まで。正直、あたりを見回って終わりかと思っていたのに。
多少のんきに考えていた私の背が、不意に伸びた。
理由は、こちらを見た加賀さんの瞳。まるで、海で闘いに出る直前のような緊張感。
「――ここからは静かに。微速前進、照明は一旦オフ」
いったいぜんたい、これはなんなのだろう。加賀さんの指示に頷き、夜闇に紛れて中に滑り込むコラム係一同。やっていることは不法侵入もとい鎮守府施設の見回りなのに。
「わ。薄暗いけど威圧感ありますねぇ。前に入った時は昼間だったし」
格納庫の中には、艦娘向けの備蓄資材類が山のように積まれていた。わずかな照明が、最低限の通路を示してくれている。
ここの資材は緊急時の用途が主なので、使用頻度は低い。場所も少し外れた場所にあるので、変な噂が立つのも無理はない。それにしたって、幽霊とはいかがなものか。
ゆっくりと歩みを進める私たち。その背後で、なにかが金属音を立てた。
「ひぅっ!?」
私の前にいた葛城さんが、その物音に敏感な反応を示した。と言うか、あんまり派手に身体をびくつかせたのでこっちがびっくりした。
「か、葛城さん」
「も」
「も?」
「もぉやだ……」
「ああっ」
泣き出した。
常識的に考えて、幽霊が怖いと言ってる人を幽霊のところに連れて行くのが無茶だと、青葉は思いました。
「静かに」
加賀さんの無茶な指示が飛ぶ。
「いやいや無理ですよコレ」
必死に泣き声をこらえようとする葛城さんの背をさする私に、加賀さんが首を振る。
「違うわ――なにか聞こえない?」
「は?」
その言葉に耳を澄ます。
――しく、しく、しく。
かすかにすすり泣きが、数ブロックほど離れた物資のあたりから。
瞬間、かちりとスイッチが入る。それはきっと、艦娘としての本能だ。
索敵し、発見し、撃破を――と、そこまで考えて思い出す。今は陸上。艤装も無ければ索敵装置もない。まして、コラム係が実戦用装備など持ち合わせてはいない。ついでに、相手が幽霊だったら攻撃も効かない。それに、私は――。
しかし、研ぎ澄まされた感覚は存在を捉えている。
なにかが、いる。思わず加賀さんに意見を求めた。
「加賀さん。どうしま――どわっ」
しかし、私を衝撃が襲った。葛城さんが抱きついてきたのだ。
「か、葛城さん?」
「み……みんなだ。来たんだ、また、みんなが」
見ると葛城さんは、焦点の合わない青白い顔を浮かび上がらせている。さすがに様子がおかしいと思う私へ、加賀さんが人差し指を口に当てて見せた。同時に、左手の指が私の肩に触れる。触れた手から伝わってきたのは、振動――いや、信号だ。
――マ・カ・セ・テ。
思わず顔を上げた私に、加賀さんがうっすらと微笑んだ。
「葛城」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「――聞きなさい、葛城」
加賀さんがわずかに力を込めて名を呼んだように聞こえ、それに葛城さんは初めて気がついたかのように応えた。
「っ、か、かがさん……?」
息も荒く、呂律も怪しい。しかしそれでも、葛城さんの瞳に光が戻った。
「葛城。現在地を報告なさい」
「え――く、呉鎮守府……第四格納庫」
「そう。ラバウルでも、ソロモンでもないわ」
「そ、それは」
どうして加賀さんがそれを知っているのか、と口を開きそうになって、私はギリギリで踏みとどまった。それは、葛城さんのかつて所属していた部隊の場所だ。
思わず目を閉じた私の前で、それで、と加賀さんが切り出した。
「あなたの恐怖は、どこから来ているの」
加賀さんの言っていることは、私もずっと気になっていた。
葛城さんはさっき――みんなが、と言った。彼女が本当に恐れている対象は、きっと、第四格納庫の幽霊なんかではない。
「わ、わたし……」
葛城さんはたどたどしく、私たちに語った。
「鎮守府のみんなに追いつきたくて、毎日頑張ってました」
以前いた鎮守府で頑張っていたこと。
「正規空母の先輩たちはとても強くて、厳しいけど優しくて」
多くの空母艦娘に囲まれて育ち、練度が上がってそろそろ改装という時。
「ソロモン海域の攻略作戦……そこで……」
自分を逃がして艦隊が全滅したこと。僅かに残った護衛と共にラバウルへ帰還し、誰もいなくなった教練所で泣いたこと。
「それでも、私、改装を受けて……初めての出撃の夜でした」
「幽霊を見たんです」
出撃は空振りに終わり、母港へ帰投する夜間航行。空には雲が立ちこめていて、周囲に響くのは穏やかな波音。
それだけのはずだった、らしい。
「私の先を行く旗艦の背中が見えなくなって、私、慌てて両舷増速しました。でも、主機はいつの間にか止まっていて――私、その場で停まってしまったんです」
葛城さんの手が震えている。震えを抑えようとするかのように、もう片方の手で包む。それでも、彼女の恐れは払えない。
――その時だった。
「それで、どうしたの」
加賀さんが、葛城さんの手を取った。
「そ、それで……回りにはいつの間にか誰もいなくて。無線も応答なくなって」
「続けなさい」
「偵察機でみんなを探そうと思って、矢を番えて飛ばした時、見えたんです」
「なにが」
「――幽霊、ううん……私を逃がして沈んだ、第一艦隊のみんなが……」
そんなはずはないと思う。だって――戦って沈んだ私たちはきっと、幽霊になんてならない。この前の釣りで話したように、もっとおぞましいなにかになるはずだ。
それでも、葛城さんの瞳は嘘を言っているように見えない。
「声が出ませんでした」
私は想像する。自分を助けるために水底へ旅立った仲間が、ある日、目の前に現れたら。
私は想像する。そんな仲間が、何も言わずこちらをじっと見つめていたら。
――私は、思い出す。
無言で近付いてきた仲間の手が、頚に掛けられたら。
「その時、遠くからプロペラの音が……飛ばした偵察機が戻ってきたんです。ああ、着艦させなきゃって思って、はっと気付いたら……」
「幽霊は消えていた、のね」
こくり、と頷く葛城さん。その手を取った加賀さんが、軽く葛城さんの身体を確かめて。
「背中ね?」
「――! どうして」
驚く葛城さんに、状況が分からない私。
「え、どういうことですか」
「……その日から、背中にいくつかアザが、出来たんです。まるで誰かの手形みたいな。今も残ったまま……」
「――そう」
それは怖い。だって艦娘は外傷なら基本修復される。なんらかの肉体的損傷によるアザなんて、放っておいても数日で消えてなくなるはずだ。それが、残ったままだなんて。
「それからなんです。私、まったく艦載機が飛ばせなくなっちゃいました。陰陽道式でも空母道式でも」
「そんな、葛城さんは、それで」
「みんなに呪われちゃったんです。それ以来、幽霊って聞くと、どうしても怖くて……。みんなが私を恨んでる、役立たずの私を怒ってるんだって」
自嘲気味に笑う葛城さん。
彼女がこの係にいる理由を改めて聞かされて、やっぱりみんな同じなんだと唇を噛む。
「バカね」
だから、加賀さんのひと言は信じられなかった。いくらなんでも、簡単に口にしていい言葉ではない。だから私は食ってかかった。まるで自分のことを言われたようだったから。
「加賀さん! それは言い過ぎです!」
もう戦えなくなった艦娘が、存在意義を否定されたも等しい艦娘が、こうしてなんとか地に足をつけているというのに。
「葛城さんには彼女の事情があるんです、それをバカだなんて言っては!」
そんな私の勢いを、加賀さんの紅い瞳が受け止めた。燃える炎のような、力強く、でも哀しい右の瞳が、私を掴んで離さない。
「……え?」
瞬きの後、私を見つめていたのは鳶色の瞳だった。いつもの、彼女だった。
ふぅ、と加賀さんが息を吐くと、私の疑問と熱はまるで冷まされたように霧散していく。
「そうね。言い過ぎました。だけれど、葛城がそんな風に考えるのが無駄なのに変わりはなくてよ」
「そんな……それじゃ、葛城さんが」
無駄とまで言い切った加賀さん。だけども、根拠なんてないはずの、その言葉の強さ。不思議と信じられる強さは、私の背筋を伸ばした。きっと、葛城さんも同じだろう。
いつのまにか、葛城さんの震えが収まってきた。
加賀さんが、葛城さんの肩に手を置いて、優しく言う。
「呪いなんて、ありはしないわ」
一度だけひくりと震え、うつむく葛城さん。
「そんな、でも、私は」
仕方ないわね、と首を振った加賀さんが、葛城さんの両肩を掴んだ。
「知っていて? 一航戦は呪いを祓うこともできるのよ」
「え」
嘘だ、と思った。
「え、でも、加賀さん」
いくら艦娘でも、物理法則の範囲外にある呪いなんて手出しできたりはしない。
「私の目を見なさい、葛城」
「は、ひゃいっ」
「あなたに掛かった呪いはふたつ。第四格納庫の呪いと、ソロモンの海の呪い」
呪いはないんじゃなかったのか。ないものを祓うことなんてできるのか。
私は、いつの間にかそばに居たゆーさんの手を握っていた。気づけば、ゆーさんの手も汗で湿っている。
「呪いはないと分かれば、あなたを縛るものはなくなる。だから私を信じて頂戴、葛城」
これはひょっとして、カガカツなんだろうか、なんて不謹慎にも思ってしまう。いや、加賀さんケッコンしてた。じゃあ浮気でゴシップでワレアオバだ。思考が乱れる。
葛城さんが、どこかうっとりとして頷いたのを見て、加賀さんが手のライトを掲げた。
「どうやらみんな掛かってしまったようだから、全員の呪いを解いてあげます。まずは、第四格納庫の幽霊の正体よ」
ごくり、と誰かの喉がなった。私だ。演出過剰にもほどがあった。だけど、加賀さんが言うように、これが呪いを解く儀式だというのなら、芝居がかったこの仕草も必要な作法だと思えてくる。
だから、加賀さんの握ったライトが照らしたものを見て――
「ぎゃああああああああ!」
私は、叫んだ。
加賀さんが冷静にひと言。
「落ち着きなさい。見慣れた顔のはずよ」
放心した様子の葛城さんも、叫んだ私も、握った手が震えていたゆーさんも、不思議とその言葉でそれがよく見えるようになった。
こ、こいつは――茶色の細長いこいつは!
「ぼ、ボクカワウソじゃないですか! それも、こんなにたくさん」
「中のひとがいなくても結構しっかり形を保っているのね」
「加賀さん、それ以上はいけません」
私の切なる警告を無視して、壁際に並ぶ『人影』を指し示す加賀さん。
「ほら、たくさんあるわ。ちょうど非常灯の光が反射して、人影のように見えていたのが元々の幽霊騒動ね」
居並ぶボクカワウソの大軍だ。ある時突然にやってきたブームで大量に生産されたとは聞いていたけど、この数は凄い。数十……百近くはあるんじゃなかろうか。ご丁寧に番号まで振ってある。
ぼうっと浮かび上がる影は、確かに幽霊の集団と言われてもしっくり来た。
いや、ボクカワウソ自体がキモコワイというのは置いておいて。
「な、なぁんだ」
正体が分かってしまえばなんということはない。そう胸を撫で下ろしたのも束の間。
葛城さんが口を開く。
「で、でも加賀さん。さっき私たち、すすり泣きを聞きました。人影はこのカワウソだとしても、声は聞き間違いだと思えません」
おや、と思った直後、勝手に合点する。
葛城さんはもう、前に進もうとしてるんだ。呪いを解こうとしているんだ。だから、加賀さんに今口にした自分の言葉を、否定してもらおうとしているんだ。
幽霊の正体を知るということは、謎を謎で無くすることは、ほどいた恐怖を形にして、乗り越えるためなんだ。
だから、加賀さんは、葛城さんをここに連れてきたんだ。
「そうね。私たちはすすり泣きを聞いたわ。つまり――
大きく頷く葛城さん。やっぱり、まだ震えは残っている。でも、きっとこれは怖いからじゃない。恐怖と戦っているからだ。
私に、この強さはあるのだろうか。
「幽霊引くことのボクカワウソ、その答えが……これよ」
加賀さんのライトが、カワウソと反対側の区画を照らす。光に浮かんだのは――
「これが、なんだか分かるかしら。青葉」
「……これは、まさか」
そこにあったのは、艤装の山。しかもただの艤装じゃない。
「遺品……ですね」
「そう」
どれも傷つき、錆びつき、穴が開いている。
艦娘が轟沈するとき、当然ながら艤装も道連れになる。だけど、私たちの肉体が海へと還っても、金属の塊である艤装は海の底に残る。ただ朽ちていくだけならいい。
「汚染で深海棲艦たちの苗床にならないよう、サルベージしたものよ」
「あ。青葉も聞いたことがあります。犠牲者が出た海域では、出来る限り回収するって」
戻って来た艤装は、元いた鎮守府に返す一部を除いてこうして集められるらしい。遺骨代りなのだろう。それにしても、この数は少々多すぎる。ひとつふたつの艦隊じゃない。だいぶ前からの分が蓄積されているのかも知れない。
「どうしてここに置かれているんでしょう?」
「もうすぐ大きなシステム更改作業があるでしょう。あれに人手を取られていて、清めの儀式が先送りになっているらしいの」
「そう言えば、あと何か月かですね」
「そう。艤装付きの妖精たちも、元の艤装が機能を止めたら消えてしまう」
確かに海から引き揚げてしまえば、危険はなくなる。それは分かる。
だけど、ちょっと悲しい。
「悲しいですね。そして、それを分かってあげられるのは青葉たち艦娘だけ……」
一部の提督や艦娘だけが、彼らと意思疎通ができる。素質のない人間には、ただのもの言わぬこびとに過ぎない。
存在を認識できない相手に同情は出来ない。それはわかる。わかるのだけど。
「ええ――だから彼女たちは、
「呼んだ? それって、どういう」
ああ、いつの間にか加賀さんのペースだ、と気付く。考えてみると、このコラム係そのものが加賀さんにペースを握られている。だから、私は加賀さんの言葉を待った。
「待たせてしまったわね。こんばんは」
そこにいたのは、艦載機妖精だった。
普通、艤装の機能が失われると同時に妖精たちは消えてしまう。彼らは私たちと同じ、過去の記憶、かつて存在した、艦船や飛行機の乗組員たち、その意識のかけらだ。特定の誰かではない何者か。そんな彼、あるいは彼女が、ぽつんと腰掛けている。
「泣いていたのは、この妖精…?」
「ええ。この子は、元の艤装――艦載機が奇跡的に機能を維持していたのね。主人の手を離れていても、まだ戦う意志がある限り、彼らはこの世に留まっていられる」
私ははっとした。
「加賀さん。普通は艦載機やその妖精、こうはなりませんよね」
空母が沈んだり、載せ替えて繋がりが切れた時、普通は。
「ええ。妖精も消え失せて、元の矢や式符に戻ってしまうか――ガラクタの艦載機だけが残るわ。つまり、彼らはまだ元の空母艦娘と繋がっている」
加賀さんの口にした言葉と同時、葛城さんが何かに気付いた。
「――うそ」
「……やっぱり、そうなのね」
息を呑む葛城さんが、加賀さんの手に乗った艦載機妖精を見つめている。
その様子に、私は推論を口にする。
「この子、まさか葛城さんの……?」
頷く葛城さん。それで、私は諸々の事情をようやく理解した。
「あの日、敵に墜とされた、私の流星です」
この艤装の山は、どこかの海底から回収されたものだ。その中に偶然、彼女の流星……着水時の破損が少なかったものが混じっていたのだろう。
まだ辛うじて機能を維持したまま回収された流星は、めぐり巡ってここに帰ってきて、すすり泣く艦載機妖精の声だけが幽霊として知られることになった――。
敬礼する艦載機妖精を見て、葛城さんが嗚咽を漏らす。
「ごめんね、気付かなくて。あの時、最後まで戦ってくれたあなたを、怖がったりして、ごめんね、ごめんなさい……」
葛城さんの背を撫でて、加賀さんが問う。
「葛城。艦娘の使命は、なに」
「――ひとと共に在り、災いを沈め、鎮めること――です」
私たちの奥底に流れている使命。言葉にすると単純だけど、存在意義そのもの。
「その通りよ」
加賀さんが、葛城さんの涙を拭って握りこぶしを作った。
「もし夜の海で、あなたの足を引くかつての仲間がいたのなら……ぶん殴ってでも、目を覚まさせてやりなさい」
「ぶん殴……!?」
殴れるんだろうか。殴れるのかも知れない……いいや、きっと、正確には違う。
「さっき、あなたが言ったことよ。災いを沈め、鎮めること。あなたを呪う何かがあるとしたら、ぶん殴って解決する災いでしかないわ。あとは、自分の心次第」
私たちは言わば身体のある幽霊のような存在。だから、もし昔の仲間が化けて出たら、きっと殴れるんだろう。そうして、思い出させてやるぐらいの気持ちが必要なのかも。
でも、私は。――青葉は。
言葉に出来ない感情を処理仕切れないまま――前に踏み出そうとしている葛城さんを、私は単純に羨ましく思った。 加賀さんが問いを重ねる。
「葛城。空母の使命は、なに」
問われた葛城さんに、力が籠もるのを感じる。
「そらを……」
手に立つ妖精を優しく見つめて、葛城さんが、真っ直ぐに言った。
「空を、護ることです」
「――ええ、そうね」
気付けば、シャッターチャンスを逃していた。
今まで見たことのない顔で、加賀さんが微笑んだことを、数秒後に気付く。油断した。
私も――葛城さんのように踏み出せるだろうか。
「それは、私たち空母にしか出来ないこと。それを誇りなさい。あなたの翼は、まだ折れてはいないはずよ」
「……!」
文字通り、折れていなかった彼女のツバサを優しく撫でて、加賀さんは続ける。
「それに私が思うに、あなたの背中の痣だけれど。ひょっとして――背中を、押されたのではなくて」
「背中を、押してくれた……?」
彼女の背中に残ったアザが、一体なんなのかは分からない。
「
前に進め。自分たちの分まで。
「行ってこい、って……そういうこと……先輩……」
まるで葛城さんの背中から、黒いなにかが抜け出たように見えた。もちろん気のせいだけど、それは呪いだったのかも知れないし、取り憑いた幽霊だったのかも知れないし――前に踏み出した葛城さんに満足して去っていった仲間なのかも知れない。
葛城さんを見て、満足そうに頷いた艦載機妖精が、光を放つ。
「……ありがとう。おかえりなさい。それと……また、よろしくね」
次の瞬間、葛城さんの手には矢だけが残っていた。
「優秀な子ね。長い時間が掛かったけれど、ちゃんと空母へ帰還できたのだから」
震える葛城さんの背を撫でて、加賀さんが優しく言った。
三.
窓の外、呉の空を、零戦が飛んでいる。
葛城さんが飛ばした艦載機だ。どこまでも晴れた空を、自由に爽やかに切り取っていく。安心するプロペラの音。やっぱり、私たちはどこまでも艦なんだろう。
あのあと、
無事に戦えるようになった葛城さんだけども、コラム係は辞めないそうだ。リハビリも兼ねて、なぜだか加賀さんに張り付いている。
葛城さんと言えば普通、ズイカツじゃないのかな? でも、かつての先輩の影をさらにその先輩に感じるとかも割とアリ寄りのアリですよね。うん。何の話だ。
自称・弟子一号に張り付かれた加賀さんは、どうやら満更でもない様子。私にも少し、加賀さんの感情の機微が分かるようになってきた。
ボクカワウソの利用状況をまとめたコラム記事のドラフトを保存した私は、大きく息を吐く。
「ていうかこれ、いいのかな……?」
コラム係の部屋の隅っこ。ゆーさんのデスク横に、50センチほどのぬいぐるみ。
ボクカワウソだ。
格納庫で見かけたひとつを手に取って、加賀さんがゆーさんに手渡していた。本当は、でかい着ぐるみも持ち出そうとしていたのだけど、さすがに私が止めた。あんなのここに置いたら人口密度が高すぎて部屋が窮屈になる。加賀さんはめちゃくちゃ名残惜しそうにしていたけど。
すんなりと気に入ったのか、たまにゆーさんが持ち出しているようだ。ひょっとしたら部屋へ持って帰っているのかも知れない。抱いてるのかな。
一応上層部に持ち出し許可は取ってるらしいけど、なんだかなぁ。
「……七不思議かぁ」
加賀さんは、
確かに七不思議の取材が目的だったし、葛城さんのトラウマ払拭を計画もしていたんだと思う。でも、どうして? 妙に胸がざわつく。
そう言えば、加賀さんはどうしてあんなに裏の事情に詳しいのだろう。ボクカワウソのことはともかく、艤装の保管状況や、葛城さんの過去まで知っている。
加賀さんが、ここにやって来たのは偶然なんだろうか。
彼女は一体、何者なんだろう。
私の目線に気づいた加賀さんが、ほんのわずか、目を逸らした。