お調べします、鎮守府七不思議!? 抜錨!呉鎮守府広報課! 作:沖野潤一
一.
「はい。さっきイントラのポータルサイトは更新しました。よろしくどうぞです」
ディスプレイに映る記事をちょっとだけ誇らしく眺めてから、私はブラウザを閉じた。
旧アレイからすこじま周辺の復興事業が順調らしい。
約十年前、瀬戸内海まで侵入してきた深海棲艦たちは、一見して無意味にも思える破壊行為を行った。
港湾施設や自衛隊の呉地方総監部が狙われるならともかく、かつて長門や大和を造った、今は民間企業の所有となっている造船ドック、たんなるカフェや飲食店になっていた古いレンガ造りの倉庫や、ただのミュージアムまでが艦砲射撃の標的となった。特に、倉庫とからすこじまにあったクレーン周辺の被害がひどく、壊滅的と言っていい。
普通ならば、地方総監部や潜水隊の施設を狙った余波だと思われるところが、わざわざそこを狙われたと判断された理由はごく単純だ。同時期に襲撃された旧帝国海軍の鎮守府付近で、かつて使われていた古い施設の名残りが同じような攻撃を受けていたから。
いわゆる『赤レンガの呪い』と呼称されたこれらの襲撃行為は、幸いにも被害が少なかった当時の自衛隊関係者たちに、相応の衝撃を与えたと聞く。
つまり深海棲艦たちは、当時の自衛隊などよりも史跡を優先したのだ。それはつまり、つぶすべき戦力として見られなかったということ。或いは、旧帝海軍・陸軍との地続きを認められなかったのか――それがいいことなのか悪いことなのかは、判断の難しい話。
ともあれ、艦娘と共に戦う海上防衛隊が組織されてから十年。復興事業が進むことは、私たちの戦いが復興の手助けになっている証でもある。さすがにそれは、悪い気がしない。
「それじゃあ青葉。私は先に上がらせてもらいます」
「あ、はいお疲れ様でした。加賀さん、今日はなにかご用事が?」
私は思わずそう聞いていた。
まだ定刻を過ぎて大した時間も経っていない。いつもならなんだかんだと残務を片してから帰るのが加賀さんなのに。
ロッカーの鍵を掛けながら、加賀さんが息を吐く。
「……今日、部屋に頼んでいた荷物が届くのだけれど――うっかりしていて、時間指定を今日の18時にしてしまったから」
「ああ、なるほど」
どうやら加賀さんは、官舎に部屋をもらっている私や葛城さんと違い、外に借り上げの部屋があるらしい。
官舎なら管理人が受取りはやってくれる。わざわざ外に借りると、雑事を自分で片付けなくてはいけなかったり(当たり前か)、余計な制限がついたりすると聞く。部屋が空いていなかったのか、他の事情があるのかは知らないけど。
「明日の引き継ぎ事項はメールで送ったけれど、見てくれたかしら」
「へ? あ、はい! 見ました! 大丈夫です、ばっちり!」
実は見ていなかったし、上の空で適当に返してしまった。しかし言い切ったからには、今さらなんて言いにくい。
加賀さんは明日非番でお休み。一昨日に相談されて、特になにも問題はなかったので、課長の許可も出た。元々コラム係は三人で回していたし、特別忙しい部署でもないし。
「そう。なにかあったらLANEしていいわ」
それはそうと。
「了解です! お休み、ゆっくりしてくださいね」
そうさせてもらえるといいのだけれど、と加賀さん。そっとドアが閉じられる。
顔の横でひらひらと手を振りながら、この前からずっと引っかかっていることを考える。
加賀さんは、どうしてここにやってきたのか。彼女はここに来るべき人なのか。なにをしようとしているのか。
広報課コラム係にいる私たち三人は、実は海で戦えなくなった艦娘だ。艦載機が飛ばせなくなった、潜水できなくなった、主砲の狙いが付けられない……。そんな艦娘を、ただ置いておけるほど、私たちのいた鎮守府に余裕はなかった。
それに、私たち自身がそこに残っていられるほど強くはなかった。どうしたって周囲の目線は気になる。傷付いて帰投してくる仲間たちを前に、役に立てない自分で平気でいられるわけもない。
呉に戻ってきてから与えられたのは、当たり障りのないコラム係での仕事だった。元々担当していた人間の隊員さんが除隊してしまい、ぽっかりと空いていた席を当てがわれた、というのが本当のところ。
ここ数年、私たち以外でここに来たのは数人。一度大食い正規空母がやってきたりしたけども、1年足らずでどこかに出ていった。まるで彗星のようにやってきた加賀さんは、久しぶりのニューフェイスと言える。
そっとドアを閉じる加賀さんの背を見て、何度目かのため息を吐いた。
「青葉さん、加賀さんがいなくて寂しいんですか」
「いじわる言わないで下さいよぉ、葛城さん」
と、やたら元気な葛城さんを見て思い出す。
「そういえば葛城さん。加賀さんて、空母道大丈夫なんです?」
「へ? ……そりゃまぁ、私に教えるぐらいはもう朝飯前というか、めちゃくちゃ修羅場くぐってるな、ぐらいのことは見て分かりますけど……」
「艦載機は飛ばせるんですね?」
「凄いマニューバですよ」
「私の彼はパイロットって感じですかね」
「突撃ラブハートって感じです」
どうやら加賀さんは、少なくとも葛城さんと同じような状態ではないらしい。
じゃあ、加賀さんがここに配属された理由は?
思い起こせば――出会った日から色々と起こりすぎている気がする。彼女の配置自体は正式な辞令によるものだけど、そこに何の意図もなかったと言えるのだろうか?
加賀さんのあの
私の気のせいでなければ、加賀さんの右目は時折紅く輝いている。赤目の艦娘がいないわけではないけど、彼女の場合はどうしても
まさか――深海棲艦のスパイ?
「うぅ~ん」
「青葉さん、今度は唸ってるし……体調よくないなら、早めに帰ったほうがいいですよ。明日の準備は私がやっておきますから」
「ユーも手伝います」
「ほら、病人は早く帰って下さい」
追い出すような手つきをされて、私は少々むくれた。こちらの心配も知らずに、なんて思わなくもない。
かと言って、加賀さんに対して思うところがあるのは私だけ。今ここで食い下がるのは簡単だけれど、もしなにも裏がなかった時に取り返しが付かなくなる。
ぐっとこらえて、私はため息を吐いた。
「分かりました、分かりました。青葉、今日は早めに帰らせていただきます」
「分かればいいんです。明日は外回りなんですから、ゆっくり休んで英気を養って下さい」
そっ、とゆーさんに置き菓子のまんじゅうまで渡されたら帰らないわけにもいかない。とっとと帰り支度をして、溜まってるテレビの録画でも見よう。
「それじゃ葛城さん、ゆーさん、お先です」
「青葉さん、お疲れ様です」
今度は私が、ひらひらと手を振られる番だった。
二.
特海・呉鎮守府は、自衛隊の地方総監部に併設されている。
というか、元々あった民間企業のドックが襲撃で破壊され、企業が撤退した跡地を徴用したのが始まりだとは言われている。実際のところ、どういう経緯があってこうなったのかは今もって定かではない。ひょっとしたら超法規的ななにかがあったのかも知れないし、一帯を軍関係で固めたかった意向が働いたのかも知れない。
ともあれ、こうして私が門をくぐったすぐ目と鼻の先が自衛隊で、便宜上は別の組織となっていても、門に立つ立哨の隊員さんと、手を振り合うぐらいの距離であることは悪い気がしない。
「あれぇ……?」
ふと、少し先にあるバス停に見知った姿を見た。
加賀さんだ。
涼しげな私服に身を包んでいる様子を見ると、ただの美人なお姉さんという感じもある。規程で職務上の外出時は制服か艤装に準じる服装(ぶっちゃけセーラー服や道着)と決められているけど、オフの服装は自由。
そんな加賀さんが、ぽつんとひとりバスを待っている。……と、ちょうどバスがやってきた。ここいらを走っているのはスタンダードな路線バスで、距離によって値段が変わるタイプ。以前、別の地域へ行った時は前から乗って運賃を先払いするタイプで、使い方を知らず戸惑ったなぁ、と思いつつ。
「加賀さ……」
せっかくだから声を掛けてみよう、と手を振り上げて、そこで止まった。
さっきお疲れ様で別れたばかりで、ここで声を掛けたらなんだかストーカーみたいじゃなかろうか。
そうでなくとも、最近加賀さんを見る目に不審な色が混ざることを、彼女は気付いていないだろうか。それにしても、さらりとお疲れ様が言えないなんて、どうかしている。
「あ」
あれやこれや考えているうち、ひとり並んでいた加賀さんの姿がバスに吸い込まれた。
「あー」
そうして無情にもドアは閉じ、バスは走り出す。
別に着いていきたかったわけじゃないけど、挙げた手の下ろしどころがない。唇をとがらせて、私は何の気なしに時刻表を見た。
「……おやぁ?」
この時間帯、最後のバスはもう10分ほど前に出ている。渋滞で遅延したのだろうか? でも、そんなに道路状況が悪いようには見えない。
そこまで考えてから、思い出した。
偶然にも、このバス停にまつわる鎮守府七不思議があることを。
「……こんな偶然ってあるのかなぁ?」
午後五時台、ないはずのバスに乗る隊員。
命を落とした隊員が幽霊として迷い出て、我が家へ帰ろうとしているというのが大筋で、沈められた護衛艦の乗組員だったり、撃墜された航空機のパイロットだったり、沈んだ艦娘を追って入水した提督だったりとバスに乗る人物が変わる。
加賀さんは、ひょっとして、沈んだ艦娘が戻って来た……なんて。
「……はは、まさかですよねぇ」
七不思議はあくまで都市伝説。もちろんそれは分かっている。
だけど。
私の背を伝う冷たい感覚は、それを否定させてくれなかった。
三.
呉の街は、当然ながら海に面した港と、それを囲む山に挟まれている。
古くはかの村上水軍、そして言わずもがな帝国海軍を擁する軍港。今も自衛隊、そして私たちの母港としてこの地にある。
さすがに神戸や横浜のような都会ではないけど、それでも港を中心とした活気は今でも健在。軍港としての観光資源を生かして頑張っている。
そんな港町のなか、私はとある商業施設の物陰で様子を伺っていた。
ゆめタウン呉。
呉駅からほぼ直結、大和ミュージアムや、てつのくじら館にも面している好立地。なぜここで私が隠れているかと言うと――
たまたま取材帰りにお茶菓子を買うため立ち寄った時、
「支払いは
加賀さんだ。
一応言っておくと、別に非番の日に外出して買い物したりするのがいけないことはない。艦娘は人間ではないけど、ひとの形を持つものとしてある程度の権利は認められている。
事実、私も広島辺りまで足を延ばしてカメラを買――品定めしたりするし。
こうしているのは、私青葉の純粋な興味だ。
思えば、加賀さんのことは何も知らない。ちょっとミステリアスで、笑顔が可愛くて、時に厳しく優しく、頼りになるお姉さん――ってめっちゃ
彼女を観察することで、もう少しその人と
ひいては、ひょっとしたらスパイかも知れない、彼女の抱える秘密を知ることも――。
「でもなぁ」
スパイがゆめタウンの電子マネー払いするかなぁ?
ゆめかはゆめタウンほか、系列の商業施設で使える電子マネーカードで、いわゆる鉄道会社系の電子マネーとはまた
ひょっとして、加賀さんは元々呉鎮守府管轄の配下鎮守府にいたのかも知れない。そう言えば呉鎮配下に配属がどうのと言っていた気もする。
でなければ、オートチャージ機能まで設定したゆめかをめっちゃ使って買い物したりはしないだろうし。
加賀さんは珍しく(?)アミューズメントショップでクレーンゲームを眺めている。
どうやらお目当てはボクカワウソのぬいぐるみらしい。好きなのかな。
何度かトライしているが、すとんと落ちて転がってしまう。あのかぎ爪三本のタイプは取れるかどうかランダムだから、根気よくやるしかないのだけど。
店員さんに位置を直してもらったけど、ぽとりと落ちたカワウソを見て加賀さんの肩がわずかに落ちる。普段はそんなに感情を顔に出してくれないけど、あの動作はずるい――くそう、めちゃくちゃ代わりにやってあげたくなる。追跡任務がなかったらやばかった。
見かねた店員さんに直してもらった場所が良かったのか、加賀さん十数回目のトライが実った。ボクカワウソを掴んだクレーンの上昇と共に加賀さんの顔が上がり、落下ゾーンへの移動を見つめ、ようやく加賀さんがお目当てを捕まえた。
店員さんの拍手を受けながらボクぬいぐるみを取り出した加賀さん、ほんの少しだけ、ぎゅっと抱きしめた。店員さんから貰った袋につんと澄まして入れるのもまた可愛い。
――あれは反則でしょう。青葉、誰に言ってるのか知りませんけど。
カワウソを捕まえた加賀さん、次は衣料品コーナーで
「……むっ」
加賀さんはトリンプありな人なのか。あっ、戻した。顔が赤い。正面はともかく、背面側のデザインが結構攻めてるやつですもんね。
――見せたい人でも、いるのかな。
そう言えば彼女は指輪を付けていた。しかも、割とガチっぽい雰囲気のやつ。あの時ははぐらかされてしまったけど……ひょっとして、一緒に住んでいるとか。
それで、官舎ではなくて別に部屋を借りている? でも、加賀さん前に独り暮らしって言っていたな。じゃあ違うのか。
私がないことないこと考えているうちに、加賀さんは食料品売り場へ。
どうやら加賀さん、お料理はできるらしい。レジかごに放り込んでいるのは調理にひと手間必要なものばかり。私ならお惣菜で済ませてしまう煮物向けの根菜なんかがいくつも見える。お付き合いしている相手? がいるなら羨ましい限りだ。
私も手近なお菓子を持ってレジ待ちに並ぶ。
この後のことを考える。彼女は恐らく、十中八九は自室へと戻ろうとするはずだ。その場合、昨日見たバスに乗るのかも知れない。
時刻表にないバス。そう言えば、あのバスの存在を確かめることを忘れていた。今日は朝から取材だったから、と言い訳をしても遅い。
そうした時、私はどうすればいいだろう。
「――よし」
考える時間も惜しい。それになにより、ここしばらく一緒に仕事をしてきた加賀さんの姿と、今日垣間見た日常の加賀さんの姿と、スパイなんて言葉が繋がる気はしなかった。
甘いと思われるかも知れないけど、それでも私は――、加賀さんを信じることにした。そのうえで、彼女が何者でなにをしようとしているのか知りたいと思った。
そう。彼女がなにかの秘密を抱えているのは間違いない。
スマートフォンから配車アプリを呼び出す。運がいいことに近くの一台を手配できそうだ。タクシー代、経費で落ちるかな。追跡もとい取材対象、航空母艦・加賀だけど。
加賀さんがバス停のほうへと向かうのを見届けて、私は配車地点へと。
タクシーの到着は約5分後。あとは、野となれ山となれ。私は祈るように、タクシーがやってくるのを眺めていた。
四.
「はい、領収書」
「恐縮です! おじさん、ありがとうございます」
やっぱりやってきた幻のバスを追いかけて十数分。たどり着いたのは一般住民の居住がまだ制限されているエリアの隅っこ。十年前の襲撃後、住民は立ち退かされてしまった。『汚染』の可能性が指摘されたせいだ。インフラの復旧も済み、深海棲艦の襲撃も――
「……ここいら、まだ物騒だから気をつけてな」
「いえいえ、いざとなったら呉鎮に駆け込みますから」
一般的に『ない』とされている襲撃は、実のところ瀬戸内海では散発的に起きている。地元の人は知っていて付き合ってくれているけども。まぁ、言っているのはお役所なので。
タクシーのおじさんを見送って、私は加賀さんが入っていった建物を眺めてみた。特に造りが特殊なわけでもない、ごく普通のアパートだ。間取りは2Kかもう少しだろうか。
オートロックの類いもないようだけど、普通に尋ねていくのも気が引ける。とりあえず部屋を探してみることにした。だいたいは空き室のようだし、二階建てでフロアあたりも10部屋無い。多分楽勝だ。
ポストの塞がれ方を見ると、一階はたぶん全部空き室。すると、二階が怪しい。出穂、真田、奈田、山田――妙に田が多いな。ほとんどは塞がれ、いくつか使われている。一棟まるごと借り上げだとしたら、関係者の苗字だろうか。少なくとも、私は思い当たらない。
周囲には人の気配がない。まぁ、一般人は立ち入りはともかく、居住が制限されている地域だ。居たとしても自衛隊か防衛隊の関係者だけだから、仕方のないことだ。
ともあれ、新アレイからすこじま周辺の復旧に合わせる形で、居住も認められるようになりそうだ。あとは私たちが頑張ればいい。少なくとも、本土を襲撃するような大規模の艦隊は、外洋で抑えられているのだから。
ゆるゆると階段を登り切ったところで、ひと息吐いた。
「わぁ」
いわゆる『歴史が見える丘』跡地よりもずっと高台にあるからか、呉の港がよく見える。ここにあった住宅地は一度更地になってしまったので、きっと復興に伴って広げた道路に合わせてバス路線を通したのだろう。だから、今までにない路線が出来たんだ。
かつてはここから、『大和』や『長門』を作ったドック跡の工場屋根が見えたらしい。
果たして、ここから見える海が平和になる日は来るだろうか。私たちが必要とされなくなる未来はあるのだろうか。そんな未来が来たとき、私たちは――。
思えば、深海棲艦とはなんなのか。一般的には、海洋汚染による突然変異、環境破壊を起こす人間への地球の抑止装置、かつて沈んだ大陸に住んでいた人類の末裔――すっかりオカルトじみた言説がまかり通っているけど、正確に特定されたことはない。
でも、私たちは
彼女たちは、この海に満ちた悲しみだ。忘れられそうなかつての戦い、犠牲になった艦、ひと、もの……多くの負の感情を抱えた悲しみが、鋼鉄と油の肉体を得たものだ。
だから彼女たちは、行き場のない感情を憎しみとして人間に、
そして、きっと出自を同じくする艦娘たちにも呼び掛けるのだ。沈め、沈めと。
時折思い出す。あの海で聞いた怨嗟を。光り輝く海の下に広がる闇を。
こうして陸の上にいると、きっと
ああ、いけない。考え込んでも仕方のないことだ。少なくとも、今の私にその力はないのだから。
そんな思考を胸の奥にしまうため、私は息を吸う。思い切り息を吸い込んで、吐こうとしたその時だった。
「そのまま、であります」
眼前に突きつけられたのは、そんな制止の言葉と、鈍く輝く
「いっ!?」
一瞬で体は戦闘態勢に移ろうとするが、僅かに触れた刃先がそれをさせない。
「動かないで欲しいのであります。うっかり首を飛ばしてしまうので」
はっきり言って、刃物を突き付けられるなんて状況を体験したことはない。どんな艦娘だって、経験するのは砲雷撃戦だ。一部の艦娘たちは刃物を持って斬りこんだりするが、それでも深海棲艦が刃物を持ち出したなんて話は聞いたことがない。
つまり、恋愛のもつれで包丁突きつけられたりしない限り、そんなこと経験しない。
夏だというのに、冷や汗だけがやけに冷たく感じる。言葉を発せない私を見て――
「おや、あなたは加賀さんの同僚、青葉どのでいらっしゃいますね」
あきつ丸は、そんなことを言った。
「そ、そそ……そう、ですけどっ」
「呉鎮守府広報課コラム係、係長の青葉どの」
ずらりと抜かれた刀の輝きは本物。と言うか、目の前にいる艦娘の姿を見ればわかる。あきつ丸、陸軍艦娘だ。
腰を抜かしたような私に、あきつ丸は張り付いたような笑顔で言った。
「あなたも加賀さんにご用でありますか」
「は、え?」
「鎮守府前、呉35のバス停から、ずっと付けていたでありましょう」
確かに、私が使ったタクシーはバス停から加賀さんの乗ったバスを追っていた。でも、どうしてこの状況に!?
「た、タクシーの、あの運転手さんは無関係です! 何もしないで下さい!」
咄嗟に口から出たのはその言葉。
「それは自分が判断することではありませんので」
「あのですね、おっちゃんは一般人ですよ! 拘束とか止めて下さいね!」
「これは人聞きの悪いことを。ひょっとしたらお話を伺うぐらいはするでしょうが、罪もない一般の方を拘束したりはしないのであります」
首を傾げたあきつ丸は、しかし後に続けた。
「彼の方が一般人だったら、という前提のお話でありますが」
「あのですね!」
何を言おうとしても言い訳じみていて、でも止められない。
「青葉に何をしても構いませんから、とにかく無関係のひとを巻き込まないで下さい!」
「いやはや、そう言われましても」
なんで陸軍艦娘が、加賀さんを訪ねてくるのか。そもそも、どうして私はいきなり刀を突きつけられているのか。疑問と混乱を終わらせたのは、他でもない。
「――ふたりとも、私の玄関先で騒ぐのはまだしも、刃傷沙汰は止めて頂戴」
騒ぎを聞きつけて出て来た、
五.
「いやぁ、自分までご相伴に預かってしまい申し訳ない」
「別に呼んでいないわ。あなたが勝手に相席したのだけれど」
「またまた、つれないであります」
呉市街のとある居酒屋で、よく分からない三人が鶏の串焼きを囲んでいた。
と言うか、よく分からない人は目の前の黒服なのだけど。
「あのぅ、青葉、よく事情が分かっていないのですが」
取りあえず命の危険はなさそうと見て、私は事情をはっきりさせておくことにした。
「実は七不思議の取材で、午後5時台の幻のバスを追っていたんです。そうしたら偶然、それに加賀さんが乗っていてですね」
まぁウソは吐いていないが、本当のことではない。目的と手段が逆転している。
「どういうとこにお住まいなのか興味が湧いてしまって……すみませんでした」
加賀さんが小さくため息を吐き、あきつ丸が手を打つ。なんかわざとらしい。
「なるほど、であります」
「いや、あなたはなんでいきなり軍刀突きつけて来たんですか」
さすがにちょっと声を抑えて、私はそう抗議した。
「加賀さんを狙う不審者の類いかと思いまして」
「なんで青葉が加賀さんを狙わなきゃいけないんですか。それに私、どう見ても艦娘で、身内を狙う理由なんかありませんよ」
そこまで言ったところで、加賀さんが湯飲みを置いた。
「あきつ丸、色々とお気遣いはありがたいのだけれど」
「恐縮であります」
「私のところに来る時は、火薬と血の匂いを消してから来て頂戴」
物騒なことを言い出す加賀さん。当のあきつ丸は大して気にした風でもなく、会った時から変わらない微笑みで頭をかいている。
「いやぁ、あいにく染みついておりまして」
「そういう意味ではなくて――言葉通りよ」
「あやぁ、バレバレでありますか」
この人たちはなにを物騒な話をしているのか。取りあえず、ふたりが
加賀さんが大きく息を吐いた。
「あの、加賀さん。
私はただの同僚で、加賀さんの過去についてはよく知らない。
けれど、なんとなく、他人が立ち入りにくい関係のような気がする。私の言葉を受けてあきつ丸が陽気に言った。
「加賀さんとは、ご縁があって以前から付き合いがありまして。まぁ、いわゆる友――」
「知人よ」
加賀さんに遮られて肩を落とすあきつ丸。どうも芝居がかっている。
「つれないであります」
「取りあえず、お二人が旧知の仲だということは分かりました」
それはそうと、と私は切りだした。
「あきつ丸さんは、加賀さんの護衛なんですか?」
「なぜそうお考えに?」
ここまでの話からすると、加賀さんは何者かに狙われるような人のようだ。しかも――
「だって、
――
ふたりの関係は知らないけども、加賀さんの自宅を訪ねたひとがみんなこうなっているとは考えにくい。あくまで、艦娘である私が尋ねてきたことが引き金のはずだ。
何故なら加賀さんは、宅配の荷物があることを言っていた。今のご時世、仮に民間人がこんな目に遭っていたら、口を封じるどころの話ではない。大不祥事だ。希望的観測ではあるものの、普通に尋ねてくる人を無差別に襲っているわけではないだろう。
わずかにあきつ丸――さんの顔が柔らかくなった気がした。
「――なるほど、彼女もまだ心は海、でありますか。加賀さん」
「陸に上がって長くても、これくらいは普通でなくて」
「手厳しいであります」
加賀さんが、
「あ、呉鶴のお代わりを下さいであります」
果たしてこの言動は、空気を読めないのか、敢えて読まずに振る舞っているのか。
あきつ丸のことをじっとり見つめた加賀さんが、少し声を抑えて言った。
「青葉。あなたがどうして私を追ったのかは分かっています」
「――!」
やっぱり、加賀さんには私が何かを疑っているのがバレていた。
「だけれど、私は呉鎮守府広報課、コラム係の加賀型航空母艦・加賀よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」
静かに、でもはっきりと。加賀さんはそう言った。
それは、お前に話すことはない、という宣言でもあった。肩を落としたのがバレそうで私は慌てて串焼きを頬張る。ちょっと泣きそうだった。
でも、加賀さんは。
「今は、ね」
少しだけ目を伏せ気味に、そう付け加えた。
たったそのひと言で、私は救われた気がする。いつか彼女が秘密を明かしてくれる日がくるって信じられるから。
声の調子を変えずに、あきつ丸さんが抗議した。
「加賀さん、あまり事情を詳らかにされると動きにくいであります」
「あなたのご主人様は、私の行動には大して制限を掛けるおつもりがないようだけれど。あなたの提言は、先方に意向を確かめてもよいものかしら」
「――失礼。前言は撤回するであります」
「心配しなくても、
「そう願うところです」
もう、ちょっとしたスパイものみたいな会話を目の前でやられても困る。いや、正直に言うと加賀さんをスパイと疑っていたのは本当だけど。
少し気まずい私の目線を受け止めた加賀さんが、姿勢を正した。
「青葉。今から言うことは、信じて欲しいの。呉鎮守府広報課、黒猫の加賀としての――あなたの同僚としての言葉だから」
「ちゃっかりふたつ名を付けてるところが可愛いですよね、加賀さん」
加賀さん、咳払いひとつ。ちょっとお茶目なところはやっぱり彼女の本質らしい。
「――私は、広報課に来て、良かったと思っているわ」
艦娘・加賀の顔で、彼女は続ける。
「あなたたちと一応仲良くなれて、毎日が充実しているもの。楽しく仕事が出来るのは、みんなの、そして青葉、あなたのお陰よ。感謝しています」
「そ、そう言われましても、私はなにも」
「
今は鳶色の加賀さんの瞳が、私を見つめていた。私は黙って頷く。
「初めてお会いした時の映像を見直したんです。そうしたら」
そう、私のウェアラブルカメラは捉えていたのだ。加賀さんの右目のことを。
「――今は、まだ、ね」
「了解です」
私はそう言って、加賀さんの目の前から
「今日のところは、これで口止めされておきますので!」
私の宣言に、加賀さんが苦笑する。
あきつ丸さんは口を付けたグラスを静かに置いて、嘆息した。
「やれやれ、であります」
その時、加賀さんが私に目配せをした。そっとスマートフォンのカメラを起動する。
――シャッターチャンスの合図だ。
加賀さんがお手拭きで手を拭きながら、さらりと。
「あきつ丸、会計はそっちに付けておくから、支払いはお願いするわね」
「えっ」
ぱしゃり。
「あ、こら! 無断撮影されては困るであります」
写真映りよし。データ保存。サーバーアップロード……よし。
今日初めて見た、
「機密を握っておけば身の安全は保証されますからねぇ。色々片付いたら消してあげてもいいですよ。ほら、もう広報課のサーバーにアップしちゃいましたし。あきつ丸さんの、ちょっとお間抜けな顔」
あきつ丸が謀られたことに気付いて呻く。
「うぐぐ」
「ふふ」
加賀さんの漏らした笑い声は、楽しそうだった。
今は、これでいい。少なくとも、
「おかみさん! こっちに一番搾りくださぁい!」
居酒屋の夜は、更けていく。