お調べします、鎮守府七不思議!? 抜錨!呉鎮守府広報課! 作:沖野潤一
一.
「鎮守府七不思議の企画だが、これ以上の掲載はやめてもらいたい」
「はぁ」
呉鎮守府の川西中将と言えば、防衛隊創設からの叩き上げで現場の支持も厚く、関係役所や自衛隊との折衝でも陰に日向に活躍している大人物だ。
そんなお方が、不肖この青葉に『早速だが』などといきなり本題をぶつけてきたのだ。思わず気の抜けた返事になってしまったことは許して欲しい。
ここは呉鎮守府の一角、大会議室。よく配下の鎮守府や各基地の提督さんが集まって、ああでもないこうでもないと会議をしているらしい。
私をここに連れてきた広報課長は黙っているし、後ろに控えた加賀さんは我関せずだし。
じゃなくて。
「恐縮ですが、理由を伺ってもよろしいでしょうか」
仮にも情報を取り扱っている広報課に、上からいきなり差し止めを行うのだ。はいはい分かりましたと言うにはあまりに無茶が過ぎる。まして、内容は黒猫やカレーの具の話。いったい何故差し止めなんて話になったのか、聞かせてもらうぐらいの権利はある。
しかし。
「理由は公開できない。現時点ではあくまで『お願い』だが、強行するようなら『命令』の形にせざるを得ない」
相手はあくまで問答無用を通すつもりらしい。
私は広報課長に目配せをした。
「当該の記事を担当しているのは私たちコラム係の艦娘ですが、媒体を発行しているのは広報課です。一度このお話は持ち帰って、課内で慎重に検討させて頂きたいと思います。それでどうでしょう、課長?」
「……ああ、そうだね。川西中将、広報課としてもこの事案は慎重に対応させて下さい。私の一存だけで決めるには、考えることが多すぎますので」
さすがに課長も素直に応じるつもりはなかったらしい。たかが広報誌と言えど、これを作っているのは遊びや暇つぶし目的ではない。呉鎮守府という重要拠点において、ここを支える隊員たちの活動や活躍を調べて、内外に広報すること。日々戦いに身を置く艦娘や隊員たちに身近な娯楽を提供し、士気を高めること。
私たちの活動は決して、ただ気に入らないからとあっさり握りつぶされるようなものであってはならない。
中将のほうも、こちらが渋ることぐらい予想済みだったのだろう。横に控えた秘書艦に何ごとか耳打ちしてから、私たちに向き直る。
「了解した。少なくとも、一両日中には回答が欲しい」
慎重に検討したいと言っているのに、と思いもしたけど、よくよく考えたら次の記事が表に出るスピードを考えたらそんなものか。
了解しました、と応えて席を辞する。
と、私の背をたたくのは加賀さん。
「青葉。課長と先に戻っていて。私はこの後少し中将とお話があるの」
「は、はい。それはいいですけど」
艦娘ひとりに中将がお話って、なんだかヤバい香りがするのですが。
そんな私の心を読んだのか、加賀さんが微笑んだ。
「心配しないで。鎧袖一触よ」
「いや物理的に蹴散らしちゃいけませんからね」
「善処するわ」
どこまで本気なのか分からない加賀さんを残し、私と課長は外へ。廊下を歩きながら、ふたりため息を吐く。
「……課長、なんか思い当たります?」
そして話はもちろん、七不思議のこと。
「いいや、七不思議の記事には今のところ苦情や抗議の類もないし、特にまずい記事があったわけでもない。格納庫の記事はヒヤヒヤしたけどね」
「あはは……。まぁ、私たちもちゃんと関係各所にネゴったうえで記事にしてますからね。普通の隊員が読んだあと、いきなり中将さん相手に記事を差し止めさせるような話が行くもんですかねぇ」
「そこなんだよな」
普通、書いた記事に何かマズいことが含まれていたのなら、まず抗議が来るのは広報課になるだろう。窓口は開かれているし、直接電話してきたってかまわない。
誰かが中将を引っ張り出したということは、これはきっと、単純な構造の話じゃない。政治力を伴った、或いは必要とするような案件だということになる。
「それこそ中将自身が差し止めに動いたとか」
「仮にそうだとしても、わざわざ私と青葉君を揃って呼び出す必要もあるまい。それこそ『業務命令』のひとつでも飛ばせば終わる話だ」
となると。
「……つまり中将か、中将に差し止めをさせた人物は、私たちの行動に制限は掛けずに、七不思議だけを追わせたくなかった……?」
「そう取れるけど……ねぇ」
「ですよねぇ」
はっきり言って、そんな話になるのだろうか。
呉鎮守府七不思議、なんてものは大した謂われもない与太話の類いばかりだ。
黒猫、漁船、カレー、幽霊、バス……これらを取材するのになにが問題になるだろう。根拠のない噂話の類いは不安を増長する、とかもっともらしい理由ならまだ分かる。
この話を止めたい人は、そんなお題目をすっ飛ばして『止めろ』と言ってきたのだ。
「取りあえず、戻って過去記事を洗うのと、もう一度苦情が来たりしていないか再確認。次回の記事は――」
課長の目配せに、わずかに迷ってから、結局私は。
「書きます。少なくとも、コラム係としては、まだ
敢えて堂々と『顔のない六代目司令官』を、追うことにした。
二.
「そんなわけで、七不思議その6『顔のない六代目司令官』を特集するわけですが」
戻ったコラム係の部屋、ホワイトボード上にでかでかとマーカーで『特集!』と書いた私に向けて、葛城さんが挙手した。
「青葉さん、しつもーん」
「はい葛城さん」
「これ『顔がない』って言いますけど、具体的にはどういうことなんです? 私、これはよく知らなくって」
もっともな質問だ。恐らく、ピンと来ている人は私以外にはいないはず。
私はタブレット端末をプロジェクターに繋ぐ。画面に表示されたのは特海・呉鎮守府の公式ホームページと、同じく自衛隊の地方総監部。
まず、両ページの沿革などを表示する。その中に、現司令官や地方総監らのあいさつが書かれていた。
「とりあえず、公式ページなんかには現役の司令官たちが顔写真付きで紹介されてます。これは特海も自衛隊も同じで、歴代の方々についてはここからは飛べないようですね」
「これが『顔がない』ってことです?」
「まぁ、ちょっとお待ちを」
検索エンジン経由で、ウェブページ内の検索をする。六代目司令官の名前で検索するがヒット結果はゼロ件。検索ワードをのぞき込んだ葛城さんが、何気なく言う。
「青葉さん、その人が六代目ですか」
「そです。
「Sechs……この人が司令官のとき、青葉さん、呉にまだいなかった、ですよね」
「そですね。私がこの課に配属されたのは3年ほど前なので……それはともかく、公式のページには、この方の顔が分かるものが
司令官のページなどが残っていないのは、任期が終わるとほぼ同時に切り替わるので、特段おかしいわけではない。でも、他の人にはある
「ちなみにこの方、退任後はまったく音信不通で失踪状態とのことです。特に縁故のない方で、特海を辞めてからの足取りはさっぱり。連絡先も分からず、姿を見た人もいない」
そもそも当人を確認すればいい、という最善手が取れなかった理由だ。
「……ミステリーじゃないんですから、そんなのってあるんです?」
「あるんです。一応捜索願いは出されてるそうですけど」
「見つかってないんですね……もう亡くなっているとか、そういうのかしら……」
さすがにそこまでは追えないし、きっと分からない。
「で、特海の公式ウェブ管理者さんに確認してみましたが、前任者たちのプロフィールは切り替える運用をしているものの、別に任期が終わったからと言って行事の写真などまで削除するようなことはしていないそうです」
彼だけ、何故か写真が
「――つまり、これが『顔のない六代目司令官』です。他の歴代司令官はなんやかんやと写真が残っていて、『どれが誰か認識できる』のに、六代目の千里山氏だけが極端に――いや、まったく顔が分かる写真が残っていない。『顔がない』わけです」
「なるほど、確かに不思議ですね……」
「Daten……センリヤマさんの、データ、残っていないですか」
ゆーさんの言うのももっともだ。写真やネガが戦災で焼失したら終わりの昔とは違って今の時代、写真なんてデータ化されて残っている――
「確認してみましたが、驚くべき結果が分かりました」
「青葉さん、まさか」
「そのまさかでした。管理者さんに『千里山さんのプロフィール写真を見せてくれ』ってお願いしたところ――」
まず、管理者が気まずそうな顔をした時点で『おや』となった。
「曰く『こちらでお預かりしていたデータが破損してしまい、残っていないんです』……というわけで、ひとつも彼らは持っていませんでした」
そうは言っても、カメラなどから取り込んだ元ファイルや、それこそ隊の行事なんかで映り込んだ写真のひとつやふたつ残っているだろう。そう食い下がったのだが。
「
「ウェブ管理者さん……まあ、現任に限らない人が、誰からか頼まれて消したとか?」
普通ならそう考えるだろう。しかし。
「写真が残っていないのは、ウェブだけではないんです。私たち広報課でも同じことが」
「――え?」
「過去の広報誌に使った宣材写真、それに、保管済みの広報誌バックナンバーも含めて。彼の顔を知ることのできるものは、すべて無くなってしまっていました」
個人の端末にあるキャッシュファイルや、写真を何らかの手段で別にファイル保存したようなものがあれば別だけど、普通に考えられる形式では残っていないだろう。
「ここまで言えば分かると思いますけど、物理的な写真なんかも同様でした。事務総務、広報その他、写真を取り扱う可能性のある部署を当たりましたが、ひとつもなし」
「……そうは言っても、個人の保管してる写真ぐらいあるんじゃないですか?」
「なくはないでしょうけど、そういうのって映り込んでるレベルのが多いでしょ。元々、あまり行事にも出ない人だったそうで……それにほら、この人の在任してた期間と言えば例の事件もありましたしね」
「それで顔が出るような場が少なかったのもあるのかなぁ」
「まぁとにかく、六代目の顔――彼がどういう見た目だったのか、はっきりと分かる形の情報は残っていないんです。彼を見ていた人は大勢いますけど、あくまで記憶の中だけ。時間が経って記憶が薄れれば、当然」
彼の『
「Gesichtslos……顔、ない人、です」
ゆーさんが、お気に入り(?)のボクカワウソを抱き締めて言った。七不思議という、都市伝説の類とはずいぶん趣が違ってきている。
と、加賀さんが口を開いた。
「青葉。この話、根が深そうだけれど……見えるところまで追うつもりかしら」
いつも通りの加賀さんのようだけど、私にはこう聞こえた。
――それ以上行くなら、相応の覚悟をすること。
「はい。こればかりは、やれるところまでやってみようと思います」
だから、覚悟を伝えた。ため息を吐かれるかと思ったけど、意外にも加賀さんの反応は穏やかだった。同時にスマホの通知音が鳴り、私は思わずそれに目をやる。
「? これはなんですか?」
なにやら所属先や階級が記載された人の一覧。送り主は加賀さんだ。
「千里山氏が現職時代に関係のあった方々よ」
「なるほど! まずは彼と実際に面識のある人に当たろうと思っていましたけど、調べる手間が省けました!」
「私は今回、少し所用があるから不参加にさせて頂くわ。その代わり、今送ったリストの方とはお話できるようにしておくわね。個人的に知っている方も含まれていたし」
「! ……ありがとうございます!」
そう言えば加賀さんは、私たちと一緒に呼び出された時に居残っていた。ひょっとしてその時になにか別の釘を刺されたのかも知れない。それでも、コラム係の一員として協力してくれている――いや、正直このアシストだけでも十分すぎるくらいだ。
私は取材荷物をまとめながら、気合いを入れた。
「皆さん! 顔のない司令官の正体、解き明かしましょう!」
「はい! 私、他の部署回って写真とかないか聞いてきます!」
「Ja! ユーも手伝います」
「デスクで出来ること、私に回して頂戴。やっておきます」
最後にはっぴーちゃんがにゃーと鳴き、私は背を押されるように部屋を飛び出した。
三.
『千里山は、素晴らしい自衛官で、素晴らしい特海隊員で、尊敬に値する司令官だった』
加賀さんのくれたリストに載っていた三十数名全員が、まるで口を揃えたように言う。話を聞く限り、千里山氏と『顔のない司令官』の噂――写真を消されるような事態とは、まったく繋がりが見えない。
いや――そうでもないか。
『彼の理想は高く、真っ直ぐにそれだけを見ていた。時に自分を、時に部下を奮い立たせ実現に向けて進む姿は眩しかった』
私が、当人以外からこの言葉を聞いた時に抱いた感情は、一種の『危うさ』だった。
そして、彼の写真があるか聞いた時の答えも同じ。
『彼は写真が嫌いだったのか、退任直前に消してくれ、捨ててくれと頼まれた』
七不思議なんていう与太話が扱うにしては、ずいぶんきな臭い話になってきた。
ひと通りの部署を回って来た葛城さんが、真剣な顔をして言う。
「どういう手を使ったのか分からないんですけど、どの部署でも消えてるか壊れてるって言われました……千里山さんに関するデータが、
「ちょっとおかしいです。単なる写真嫌いなら私たちの感覚でもわかりますけど、これはなんていうか、なにかしらの執念を感じました」
ゆーさんがおず、と口を開く。
「……あまり、よくないです。センリヤマさん、たぶん、誰かから見つからないために、消してると思います。写真」
「ユーちゃん、それって自分で自分を消したってこと? まぁ、青葉さんの聞いた話でも消してもらうようにお願いしてるし……え、ちょっと待って」
「ここまでの話を総合すると、千里山元司令官が自分で自分を消した――しかも写真のみならず、自分のパーソナルデータも含めて、ってことになりますねぇ」
そんなことができるとは思えないけど、少なくとも今、それが現実――いや、七不思議として目の前にある。
人はいつ死ぬのか。それは、肉体的、生物的な話ではない。
きっと彼は――或いは、彼の背後にいる
顔の無い
「青葉さん……なんだか陰謀じみてきましたね」
「そですね。そして、手詰まりです」
「え」
「千里山氏の謎は『顔がない』こと。そして、私たちはそれが恐らく、人為的に行われたことまでは推測できるところまで来ました。で、『なぜ』が分からないわけです」
そう、私たちには
「――で、青葉は考えたわけです。それをまるっと知ってるひとがいんじゃね? と」
「誰ですか」
「川西中将ですよ」
そもそも、七不思議を追うなと言われたのは、千里山氏のことを探して欲しくなかったからなのではないか。誰からも尊敬された司令官が、自らの存在を抹消した。それを表に出されることを嫌ったからではなかろうか。
「だから、知ってる人に聞くのが一番早いんじゃないかと、青葉は思ったわけです」
「……いやー、直球ですね」
「この場合、私たちの調査というのは回り道なわけですよ。それが潰されてたからには、もう本丸を叩くしかなくなるわけです」
「Todlich……さーちあんどですとろい、です」
「ユーちゃんまで!? って言っても、素直に教えてくれるとは思えないんですけど……。だって、わざわざ呼び出して差し止めようとするぐらいですよ?」
葛城さんの言うことは尤もだ――でもこの場合、きっと
川西中将は、きっと話せば分かる――はずだけど。
その時、加賀さんが書類をとんとんと鳴らした。
「ひとつ忠告しておくわ。川西中将があの時、『理由は言えない』と言っておられたのを思い出して頂戴。それはあらゆる面から考えて、あなたたちに伝えるべきではないと判断したと思いなさい。真正面から問いただしても、返ってくるのは『言えない』だけよ」
思いもよらぬ方向からの発言で、立ち上がった私は思わず座ってしまう。
考えろ、青葉。上下関係のある軍事組織。指揮命令系統。人間と艦娘。男と女――
「……ん?」
ふと、聞き取りをした人物の中、ひとりの老人を思い出す。
彼は川西中将とも親しいらしく、その人物像や振る舞いについて聞かせてくれた。
その中に――いや、正直苦笑いで流していたのだが、ひとつ使えそうな内容があった。
アイツは執務室のガードが堅いが、ひょっとしたら中で秘書艦とイチャついてるんじゃなかろうか、と。なるほどそう言えば、呼び出された時のふたりの雰囲気は悪くなかった。
「――なるほど、その手があったか」
話を聞いてもらえないなら、嫌でも聞いてもらえるようにすればいい。
「青葉さん?」
「こうなったら、私たちの実力を見せてやりましょう」
「そうは言っても、いったいどうすれば」
私は個人ロッカーを開けて、普段は眠れる獅子となっている
超望遠レンズ。バズーカ砲とも揶揄される彼らを使って――
「特ダネ写真を狙います。具体的には――そう、川西中将の、恋愛スキャンダルです!」
四.
「青葉さんて、彼氏いたりします?」
「はぁ!?」
「ちょ、声。抑えて下さい」
川西中将の執務室を超望遠で狙える唯一の場所、屋上に身を隠すコラム係。工事資材に紛れて私とゆーさん。普通の撮影に見せかけるために葛城さんもカメラを持って待機。
待機が長いからか、葛城さんが妙なことを言い出した。
「で、どうなんです」
「いや、いやいや……いませんよぉ。そもそも、そんな機会がありませんし」
「私は課長が怪しいと思ってたんですけど」
「か、課長? いや、ないですって。そんなこと考えたことも……それに青葉ってほら、友達ポジションでいつの間にか惚れてて、でも本心は隠しつつ、相手の幸せを祈るとかのポジションが多いですから」
「そういう本は読んだりするぐらいには興味があるんですね」
「うぐ」
そも、艦娘の恋愛観なんてものは様々だ。
一般的には、艦娘は提督に対して好意を向けやすいように
と言っても、提督はひとりだ。彼や彼女がどれだけの好意を受け入れるかは本人の裁量次第だし、艦娘だって必ずしも提督に恋愛感情を向けなくてはいけないことはない。
艦娘同士、仲間の隊員や共闘する自衛官、街で出会った一般人……いくらでも例はあるらしいし、事実私も見知っている。
「葛城さんは第二班の整備班長ですよね?」
「なっなななんのことですか」
「バレンタインの時にチョコ渡してるの写真に撮りましたよ」
「なんかシャッター音した気がしたあれ、気のせいじゃなかったんだぁーッ」
こうしていると、きっと普通の女の子はこうなんだろうな、という気がしてくる。でも私たちが狙っているのは恋愛スキャンダル(?)。しかも上官のそれを隠し撮りだ。
今のところ不審な様子は見えない。まだ日も高いし、ふたりは静かに執務を続けているように見える。というか、執務室でイチャつく人らなんているのかな。
葛城さんがぽつりとこぼした。
「加賀さんて、付き合ってる人いるんですかね」
「趣味でケッコン指輪付けてるって言ってました」
「……意味が分かりませんけど、そういう関係の人はいたってことかぁ」
私たち艦娘の知識は、肉体を構築する際に様々な記憶を寄せ集めて作られる。
任務に就く前に、そうしたギャップを埋めてから着任はするので、さほど苦労はしないのだけれども……さすがに、恋愛関係については実地で学ぶほうが多い。
「青葉さん、そもそも今狙ってる恋愛スキャンダルってなんですか」
「そりゃあ葛城さん、キスですよキス」
「キスシーンってことですか?」
「……他に何があるんですか」
「Hentai……執務室で、やらしいことするって聞きました」
「ゆーさんにそんなこと吹き込んだ奴は誰ですか。青葉が潰しに行きます」
ほら、よくそういう本で執務室の机の下でー、とかあるじゃないですか。あれってよく考えたらすごい間抜けな構図になりません? 青葉だけですか、あれに慣れないのって。
とまぁ、キスはやっぱり、私たちにとっても特別だ。
「キス……艦のころは粘膜なんて概念無いですからねぇ。それを他者と触れ合わせるって凄いことだと思いませんか」
「お、思いますけど……粘膜っていうかなんていうか……その……」
「おやぁ、それ以上を考えてますね、葛城さん」
のぞき見をして、その特別を使って相手と交渉しようなんてことは、本来一番やってはいけないことなのは分かっている。
それでも、その特別が普通にできる今が、もし揺らごうとしているのなら。
「――それを止めるのは、情報を扱う者の使命……ってとこですかね」
それにしても、まじめに仕事をしている。いや、本来望ましいことなのは重々承知で。
そろそろ日が傾いて来た。さすがに暗くなったら今の装備ではやりづらい。そして残り日数も少ない。
焦りが身を焦がし、私は深くため息をついてファインダーから目を離す。深呼吸。
目を休めるために少し閉じてみた。
「青葉さん、青葉さん」
ゆーさんが私の肩を揺らす。
「ちょっと、ちょっとだけ……目を休ませてもらっても……」
「青葉さん……Kuss、しそう」
ちょっと意味が分からなかった。ドイツ語だったので。
しかし、身体は反射的に動いた。
「……!」
覗いたファインダー、狙う執務室の机、寄り添うふたり。
中将と秘書艦の妙高さん、近づく距離。
焦りに浅くなる呼吸……ゆーさんにセーラーの裾をぎゅうと掴まれて、僅かに冷静さを取り戻した。すぅ、と息を吸い込んで――。
今だ、とシャッターを切った。10コマ以上/秒の連写モードでとにかく決定的シーンを逃さないように。一秒が数分にも、一時間にも感じられる。
その時、中将が
「ッ!」
思わずファインダーから目を離してしまったけれど、キ、キ……キス。キスしましたね、今。くい、と妙高さんの顎を引き寄せて、濃厚なやつを。
そして、私の指は間違いなくシャッターボタンを押していましたね。
震える指を必死に抑えつつ、撮影履歴を遡る。連写で捉えたのは、壮年の司令官とその秘書艦の甘い一瞬。中将の顔ははっきり分かるアングルだ。
「青葉さん……どうですか」
駆け寄って来た葛城さんが心配そうに言う。カメラのプレビューを拡大して見せると、満足そうに笑ってくれた。
よし。脅すわけではないけれど、まずは話を聞いてもらえる状態にしなくてはどうにもならない。そのための強力な手札にはなり得るだろう。
「これで材料は手に入りました。あとは、もう少し情報を集めます」
加賀さんが教えてくれた人物のリストには、何故か印が付けられた人物が何名かいた。調べた結果、この人たちには共通点がある。直属の部下や秘書艦など、本当に彼のそばで動いていた人物たちだ。つまり、彼らにもっと深く話を聞けということ。
この鎮守府でなにが起きたのか。それとも起きようとしているのか。私たちにはそれを知る権利がある。そして――
「呉鎮守府広報課コラム係、抜錨です!」
善は急げだ。私はある人物との面談をするべく、アポイントを取り始めた。
五.
川西中将の応接室で、私含むコラム係は立ち尽くしていた。
「単刀直入に言おう。君の撮った写真は交渉の材料にはならない」
「は」
そう言われてしまったからだ。
「何故なら、これは盗撮だ。あくまで私と妙高が個人的に親しく、ついうっかり執務室で唇を重ねてしまったことは事実。しかし、それを世間に公表する意味はない」
それに、と川西中将。嫌な予感がする。
「ファインダー越しに目が合ったことには気づいていたかな」
「あぁあぁ……」
バレていた。いや、よくよく考えれば、望遠とは言え将官の執務室が直接狙えるような場所が無警戒に放置されているわけもない。きっと人為的に開けられていたんだ。
手のひらで泳がされていたことは悔しい。悔しいが、仕方ない。
「なんで撮らせたんですか、わざわざ」
「いや、こちらにもいくつか事情があってね」
「事情?」
「機密だ。教えることは出来ない。しかし――」
中将が、私の撮った写真をまじまじと眺めて、わずかに微笑んだ。
「しかし、写真はよく撮れている。それに、妙高は出来たら、この写真が表に出ることは避けたいと言っていた。さすがにちょっと恥ずかしいと」
「……まぁ、それは、そうでしょうね」
中将は姿勢を正し、私たちに向き直る。
「撮影技術と根性に免じて、君からひとつだけ質問を受け付けよう。答えられることなら私から正式に答えることもやぶさかではない」
意外な一言だった。彼にとって、この会合自体が大した意味を持つものではなくなってしまったというのに。
だけど、これはチャンスだ。私の肩に、加賀さんがそっと手を触れる。
「行きなさい、青葉」
加賀さんにそう言われると、なんだか妙に勇気が出た気がする。愛用のカメラを置いて一歩踏み出し、私は大きく、息を吸い込んだ。
「千里山氏の写真を手に入れました」
私の一言は、川西中将にとってはどうも意外だったらしい。彼が初めて見せた、驚きに近い表情。差し出した一枚の写真を、中将が手に取った。
「どこで手に入れた?」
「とある提督さんの伝手で、引退した元大将さんが持っておられました。この大将さんは色々な事情をご存じだったので、千里山氏の調査においては彼の協力が大きいです」
「――あのじいさん、さては忘れてたな」
どうやら思い当たる節があったらしい中将。
私は勝負時と見て、コラム係の全員と目を合わせた。葛城さん、ゆーさん、加賀さん。全員が私に向かって『行け』と頷いてくれる。
「川西中将。青葉たちから伺いたいことはひとつです」
私はなるべく溜めに溜めて、それから彼に言葉を突きつけた。
「六代目司令官――千里山大悟氏は、なぜ失踪したのですか?」
それがここまで千里山氏を調べて、私が問うべき疑問だった。
「彼は誠実な司令官で、ここの隊員と呉という場所、そして艦娘たちを愛していました。そんな彼がいきなり2年以上勤め上げた職を辞して消えるに至る、理由が分かりません」
葛城さんが手元のメモをめくる。これは、千里山氏の元秘書から手に入れたもの。
「千里山氏ですが、辞める直前、とある会の構成員と接触を持ったことが、面会記録から分かりました。訪問してきたのは『海を見る会』の幹部です」
この『海を見る会』は、表向き海洋資源の保護を目的としたNPOだった。しかし調査するに従って判明したのは、裏に深海棲艦を神聖視する宗教まがいの集団がいること。
彼らの目的はすなわち、深海棲艦を浄化・排除しようとする特海の目的と相反する。
「前後して、千里山司令官の周囲に不審なひとやモノ、カネの流れが見え始め、ほどなく彼はそれを咎められて解任に近い形で辞めることになる――ここまでが、調査結果です」
そうして深海棲艦を神と崇める集団との付き合いはさらに深まり、そして――。
「つまり、千里山さんは何らかの非合法な活動を行うために姿を消し、呉鎮守府に残った自分の痕跡も完全に消して、行方をくらましたと考えます」
少なくとも、状況はそう言っている。
色んなひとから聞き取った話や、私たちが調べた情報は、千里山氏が理想高く、平和を愛する人物だと教えていた。そんな人が、自分の顔を消し――自分を殺して消えた理由。
「私たちを抑え付けても、きっと他の誰かが謎を追います。だから、本当のことを教えて頂けませんか。川西中将。彼は、なぜ消えたのでしょう。ここでは理想が達成できないと絶望したから? それとも、別の理想と出会ってしまったからでしょうか?」
伊達や酔狂、ましていい加減な気持ちで追っているのではない。
千里山氏が職を追われた理由は、正当なものだったのか?
この呉鎮守府に、もし変な隠し事があるのだとしたら。そして――もし、その隠し事が多くの隊員たちを裏切る可能性のあるものだとしたら。
「特海は、あなたはなにを隠しておられるのですか」
私は、私たちは、それと戦わなくてはいけない。
川西中将は、たった一枚の写真をしばらく眺め、そうして深くため込んだ息を吐いた。
苦笑いで彼が見つめるのは、最後尾の加賀さん。
「――
「先日、直接申し上げた通りです。みんな優秀な子たちですから」
「君は手伝っていないと言ったな?」
「一航戦の誇りに誓って。青葉たちには、負担を掛けてしまって申し訳なく思います」
「そうは言っても、ヒントぐらいは出したんじゃないか」
「私はお知り合いの名前に丸を書いた覚えはありますが、ヒントは出していません。全て青葉たちが自力で解決したことです」
「なるほど、それなら仕方のないことだな」
――ふたりのやり取りを聞いて、私はしばし混乱する。
「ええと、お二人はいったい、どういう……?」
「それは話せません。機密ですから」
「――そういうことだ。だが――」
顔写真を伏せた中将が、脇に控えた秘書艦を呼んだ。
「君らが千里山の写真を手に入れたこと、正直に言って驚いている。よくやってくれた、と言ってもいい。我々も、顔のない彼には正直手を焼いていたのでね」
妙高から書類を受け取った中将が、まるで少年のような顔でにやりと笑う。
「君たちには、どうやら同じ船に乗ってもらったほうが良さそうだな」
六.
開いた口が塞がらなかった。横を見ると、葛城さんもゆーさんも同じ表情をしている。
「こ――」
無理もない。配られた資料には、ここ数ヶ月の私たち広報課コラム係全員分がどういう行動をしたのかが詳細に記されていたからだ。
何時何分起床。何時何分宿舎を出発。朝食を○○で摂る。出勤――まるで作業線表で、ひょっとしたら私たちの行動は、これに決められていたのではないかと錯覚する。
「これ、私たちの行動記録ですよね……?」
プライバシーの心配をするどころではない。私たちのような個人に対して、ここまでのことをしなくてはいけない事態。それがいったい何なのかが、まず真っ先に気になった。
私たちは情報を扱う人間だが、別にスパイではない。それをここまでマークしなくてはいけない事態なんて、まるで戦争――
「単刀直入に言おう。現在、我が国の軍事組織――自衛隊と特海の一部が叛乱を計画している。しかも深海棲艦側と通じて、だ。千里山氏は、首謀者とは言わないものの、一連の動きに深く関わっている――この意味が分かるか」
中将の言葉は素直に頭へ入ってこない。
「は……はん?」
「叛乱よ、青葉」
加賀さんにそう諭されて、ようやく思考回路が繋がった。艦娘にとっては決して縁遠い言葉ではないけれど、私たちの日常からはあまりにかけ離れている。
「詳細は伏せるが、君たちの『七不思議』に待ったを掛けた理由はそれだ」
「――どういうことでしょう」
軍事組織の叛乱と、私たちの七不思議取材。ひとっつも重なるところがない。しかも、深海棲艦たちと内通してだなんて。
「
「では、私から」
さっき別の名前で呼ばれていたようなと思う間もなく、加賀さんがスマホを取り出した。
そこには、真っ暗な海――いや、呉鎮守府の岸壁の動画が映し出されている。
「私たちは、七不思議を追う間に偶然、叛乱の切れ端と関係していたの」
「……これって、第二埠頭の?」
そういえば、釣りの後で港に戻るなり加賀さんがカメラを回収していたのを思い出す。
「そう。このあと、偽装した警備艇がやってきて」
見る見るうちに、七不思議のおとぼけ企画動画が謎の組織の密会動画に。船から降りた人物と、岸壁に現れた人物の会合が始まった。
「――事故を起こしていた警備艇は、元々ここを巡回警備していた鎮守府のものよ。この偽警備艇を発見した時、発砲されたらしいわ」
私たちが夜釣りをしている裏で、そんなことになっていたなんて知らなかった。しかもそれがこうして動画に映り込んでいたなんて。
そうして、葛城さんが何かに気付く。
「ひょっとして、これだけじゃないってことですか」
川西中将が、大きく頷いた。
葛城さんの肩を、加賀さんが叩く。
「四番格納庫の艤装も、敢えて放置されていた可能性が高いの。持ち出して深海棲艦達の発生を促す餌にしようとしたんでしょうね」
仲間たちの無念を少しでも晴らそうと
「そんな、あの子たちが、そんなことに使われようとしてたなんて」
ショックを受けた様子の葛城さんに、私もはっとした。
「まさか、あの時、青葉が裏カレーを食べられなかったのも陰謀」
「それはただの品切れ」
「……そですか」
ともあれ、と川西中将。笑っている。笑われてしまった。
「君たちの調査結果には感心した。艦娘の触れられる機密はごく限られているのに、聞き取りと物的証拠だけでよくたどり着いた」
「恐縮です」
「君たちは偶然とは言え、我々の捜査と併走することになったわけだ。その過程で、君ら広報課の動きを抑えておく流れになったのは、申し訳ないが自然なことだと理解できたと思うのだが、どうかな」
「カレーはともかく、状況は分かりました」
「そうして、事情を知らない君たちは、主要な関係者である『顔のない六代目司令官』のことを深く追い始めるだろう。事実そうなったし、優秀な君たちは彼の失踪に不審な点があることに気付いてしまった」
「……それで、これ以上七不思議を追うな、と止められたんですね」
川西中将が頷く。
「千里山のことを追っているのは相手もとっくに分かっていることだろう。だが、特海の隊員たちは優秀だ。下手に彼のことが表沙汰になって、独自に彼を追う者が出かねないしそうでなくとも騒ぎになることも避けたい。まして、その中に叛乱へ加わる者でも出ようものなら目も当てられない」
「――彼らの目指すものは、『平和な海』なの。深海棲艦たちとの融和を目指して、ね」
「私は、人類は深海棲艦と価値観を共有できるとは考えていない。少なくとも、今は」
「彼らの叛乱について、分かっていることは少ないのだけれど……複数の鎮守府や基地、民間も巻き込んでいる気配があるの。しかも、深海棲艦とも手を結んでいると来たわ」
目の前がくらくらする。
私たちがやっていたことは、別に間違っていない。呉鎮守府やその周囲の魅力を伝え、噂の七不思議を追って謎を解き明かす。広報誌を見た人たちを楽しませる。ただそれだけ目指していたはずなのに。
うなる葛城さん。
「でも、どうすればいいんでしょう……って言うか、私たち完全にもらい事故ですよね、これって」
「そう言えなくもないわね」
「広報誌のネタを追っていたら、とんでもないものを見つけてしまった! どうしよう」
「葛城、古い話を知っているわね」
たまたま七不思議を追っていたら、カメラに重要な機密が映り込んで、知らずに悪者の計画を邪魔していて――まるで、よくあるサスペンス映画じゃないか。
あいにくと私たちは物語の主人公ではなく、しかも戦えない艦娘なのだ。
かと言って。
「……でも、素直に七不思議止めます、って言うのは嫌です」
私ははっきりそう言った。
ここまでの自分たちにウソは吐きたくない。だからこそ、取引材料のスキャンダル写真まで撮影したのだ。
「あの写真は止めて差し上げて。中将の威厳に関わるわ」
「はっはっは、私はいっこうに構わないんだがなあ痛ッバインダーはやめてくれないか」
妙高さんに殴られて表情を崩す中将。ナチュラルにイチャつかれてムっとした。
それはそうと、暑い屋上であんなに頑張った写真が、泳がされた結果の産物だったとはショックが大きい。出し抜いたつもりが、お膳立てされたものだったのだから。
「ああ……あんなに苦労して撮ったのに」
がっくりと肩を落とす私の背を、加賀さんが撫でた。
「青葉、しゃんとなさい。コラム係がこんなことで
「そうは言いますけどね、加賀さん――」
と、見上げた加賀さんはとても苦々しい顔をしていた。少なくとも彼女が抱えた秘密はこの件に深く関わっていて、彼女は
「川西中将。ひとつ、提案があるのだけれど」
そうして、加賀さんの言い出したことは――。
七.
ハムスター、六代目司令官の写真を食らう!
広報誌のいつものコラム。顔のない司令官の正体として掲載した記事だ。
たまたま纏めてあった千里山氏の写真やデータを、ハムスターがかじって台無しにしてしまったというしょーもない記事。実はハムスターが写真にいたずらしたことは事実なのだけど、千里山氏のものだけではない。少し前に動物特集をしようとした時のボツネタをここで流用しただけ。今はこれでお茶を濁して、沈静化を図る――加賀さんの提案だ。
「――青葉としては、正直納得はできていないんですけど」
「ジャーナリズムと安全保障は、どちらも重要よ。この場合、前者を立てた結果の責任が私たちの身に余る事態になることを考えたら――今はこらえましょう」
確かに、加賀さんの言う通りではあった。
中将の言う通りのことが起きているとして、私たちが騒ぎ立てることは事態の解決にはなんの得にもならない。むしろマイナスでさえある。
それでも後悔は消えない。なにか、もっと、他の方法があったんじゃないか。
「……加賀さんの動きが悪かったのは、事前に中将から止められていたんですね」
「いちおう、ね」
加賀さんはひょっとしたら、なんかしらの組織のエージェントなのでは。潜入した先で諜報活動を行う、捜査官的な。
――膝の上でネコがごろごろ言ってるけど。ほんのりカフェラテのクリームが唇んとこ付いてるけど。ほんといったいなんなんだ、この人。
ともあれ、面倒ごとに巻き込まれそうになったところを、運よく逃げられた、と考えることにしよう。偶然とは言え、物騒な計画に触れてしまったのだから。平和を目指してるのに、どうしてそんなことになってしまうんだろうなぁ。
人がひとである故に。そんな言葉を思い浮かべる。今は
「とりあえず、青葉、取材行ってきまぁす」
七不思議をこれからも追えると言っても、残るはひとつだ。それに、他の色んなこともまだまだ取材しなくてはいけない。この呉鎮守府や呉の魅力を、もっと色んなひとたちに伝えなくては。
「行ってらっしゃーい」
「気を付けて、です」
「傘、持って行くのを忘れないように。青葉」
はぁい、と生返事でドアを閉じた私を、衝撃が襲う。
「あいたっ」
偶然通りかかったひととぶつかってしまう。しまった、完全にぼうっとしていた。
「ごめんなさ……」
謝ろうとした私だったが、相手はさっさと走り去ってしまった。廊下の先に消えていく背中に、挙げた手を所在なく下ろそうとしたとき。
「なんだこれ……?」
足元に紙切れ――いいや、手紙が落ちている。先ほどの人物が落としたものだとは思うけど、どちらかと言えば、私は
発、
なんの変哲もない白紙に、ただそう書かれている。間違いない、これは私――そして、広報課コラム係への挑戦だ。僅かに手が震え、私は深呼吸をする。
そして、開いた手紙にはこう書かれていた。
――呉鎮守府、ひいては特海に巣くう陰謀を暴くため、協力されたし――
(続)