お調べします、鎮守府七不思議!? 抜錨!呉鎮守府広報課! 作:沖野潤一
一.
対特殊海棲生物海上防衛隊、通称
らしい、というのは、私たち戦えない艦娘にはあまり意味のないことだからだ。
「撃てない私には、あまり関係ないからなぁ……」
「ん、青葉さん、なにか言いました?」
「あ、いえ、なんでも」
先日、七不思議の6つ目を
――霧の夜に出撃した7隻目にはジンクスがある。絶対に戻ってこられないとも、逆に必ず帰還できるとも。いわゆるふんわりとした、受け手が勝手に解釈できるやつだ。
なにしろ、ジンクスのくせに当たっても外れてもいいのだ。ずいぶん都合がいい。
そんなことより、私は先日受け取った手紙のことを誰にも話せないでいた。
――協力されたし、と言われても。
明らかに体制側にいる私たち――いや、あの手紙はきっと、私個人を指定している――艦娘に協力をしろだなんて、怪しすぎる。差出人も
だったら、なんで私はみんなに相談できないでいるんだ。こんなのは絶対に怪しい。
「……青葉さん?」
「はぇっ?」
「体調、悪いんですか。ここ数日、ずっとぼうっとしてますよ」
「そ、そうですかねぇ。そんなつもりはないんですけど」
心配されてしまった。加賀さんを追っかけた時もそうだったけど、普段あまり悩まないように思われてるからか、落ち込んでいるのが目立つのかも知れない。
……悩まないわけではないんだけどなぁ。
葛城さんの手には、印刷した写真が数枚見える。
「おっ。呉氏、また出張ですか」
「東京のほうでやってた瀬戸内系のイベントだそうです。宣材もらっちゃいました」
「新曲の売れ行きもいいらしいし、次のコラボも楽しみですねぇ」
「コラボと言えば、君くれハートの投稿用ダンス動画、いつ撮りましょうか」
「えっ!? アレ本当にやるんですか? 青葉、撮影係じゃ駄目ですかねぇ」
「駄目です。加賀さん、もう振り付け覚えちゃいましたよ。ユーちゃんももう少しです」
「うう……ダンスとかそういうのは苦手なんですよ……ゆーさんも覚えたんだ」
ゆーさんの机には、ボクカワウソ(小か?)と呉氏のぬいぐるみが仲良く並んでいた。にっこりとそれを眺めているゆーさん。最近、ちょっぴり笑顔が増えてきた。
「ゆーさん、ボクカワウソお気に入りですか」
「Ja。カワウソさん、とってもかわいいです。ふかふかであったかくて、安心します」
「かわいい」
「かわいいです」
「青葉。ユーちゃんの言うことは間違っていないわ」
「――ソウデスネェ」
……まぁ、こういうものの好みは人それぞれ。ゆーさんが可愛いと思ったのならそれでよいのではなかろうか。加賀さんは前にぬいぐるみ取ってたし。
そう言えば、なんだかんだあったので加賀さんのお宅は訪問できていない。可愛い部屋だったらいいなぁ、と思ったけど、一面がボクカワウソで埋まっていたらどうしよう。
怖い想像をしていると、加賀さんに声を掛けられる。
「青葉。これ、よかったら。知り合いから頂いたの――交通安全のお守りよ」
葛城たちにも、と加賀さんがお守りを配り出した。見た感じ、ごく普通のお守りだ。
「もう明日の夜中には、例の火器管制システムの切り替えでしょう。なにもないとは思うけれど、気分的には安心する効果ぐらいあるわ」
……なるほど。まぁ、フィクション作品の中の小道具とは違って、別に銃弾の直撃から心臓を護ってくれたりするわけではない。それでも、この小さな袋に何かご利益のようなものがあると信じることで、持ち主は安心を得るわけだ。
「うわぁ、ありがとうございます。どうしようかな……せっかくだから、このカメラの、ストラップに着けさせて頂くことにします」
「そう」
かわいい。小さな鈴が付いているけど、さほど音も気にならない。加賀さんはこういうところ、本当に気が利いている。見習わなくては。
「そう言えば、加賀さん」
「なに」
「その……例のやつって、大丈夫なんですか」
――叛乱が起きるって話は、どうなったのか。
加賀さんは一瞬だけ目を伏せて、短く言った。
「8月15日になってしまえば、当面は大丈夫と言われているわ」
どういう理屈でそうなのかは分からないけど、少なくとも加賀さんがそう言うからには――いや、そうでもないのか。
何故なら、
「なんにせよ、一区切りではあると思ってくれていいわ」
「なるほど、了解しました」
どうして自分が叛乱について訊いたのか、最初は分からなかった。
「まぁ……とは言っても解決ではないわ。青葉も、用心して頂戴」
「はぁい」
――きっと、隠し事をしている自分を、なんとなく誤魔化すためだ。
ドアを閉じる背中に誰かの目線を感じながら、私は取材に出ることにした。
二.
大和波止場は、呉の港に面したミュージアムから張り出すように作られている。戦災で一時期は存続も危ぶまれたのだけど、幸いにも制海権の奪取やその後の維持が上手く行きつい数年前に復旧された。
――一角に造られた特設ステージって、きっと由来と用途はアレなんだろうなぁ。今も定期的に使用されてはいるそうだけど。
私は復旧されてから呉に
いろんな人生がこの波止場にある。波止場、港だからこそ、その意味を噛み締める。
ここから見る風景――いや、海は、高台から見るものとはまた違って見える。等身大の目線。呉に暮らすひとたちが、ずっと見続けて来た風景。山に囲まれた海と街。立ち並ぶクレーンとドック、そしてそこで新たに造られている船たち。
港町である呉は、色んな船を送り出してきた。昔からずっと、そして、
そんな呉にある鎮守府で生まれた七不思議――七番目のジンクス。
ホラーのお題として分かりやすいのは『七隻目は帰って来られない』。だけど、この街なら、きっと相応しいのは『七隻目は必ず帰って来られる』だ。
まるで山から生えたような建造中のタンカーを、なんとなく写真に収める。
「――大きいなぁ」
私たちが艦だった頃と比べても、いま造られているタンカーたちは巨大だ。あの大きな船が、安心して行き来できる海にしなくては。
ファインダーから目線を外した時だった。
「――うん?」
足元に置いたバッグに、紙切れが捻じ込まれていた。
咄嗟に辺りを見回した。誰かがこれをやったのは間違いない。だけど、誰だ。
周囲を走り回る子供たち。音頭を練習する人たち。『大和の時鐘』を鳴らす恋人たち。行き交う船を眺める老人。
そして、あきつ丸。
「おや、こんにちは青葉どの」
先日と変わらない笑みを張り付けて、黒い艦娘がそこにいた。
「今日はおひとりで取材でありますか。暑いのに熱心でいらっしゃいますね」
「真夏に真っ黒のあなたほどじゃないですよ。今日は加賀さん、一日中鎮守府にいる予定ですよ。ここでサボってていいんですか」
「自分は加賀さんの護衛専任ではありませんので。同じチームの神州丸が今日の担当で」
「あの人、あきつ丸さんとこの艦娘だったんですね」
「青葉どのがご覧になったのが当人かは分かりかねますが。なにぶん、私たちは同じ顔の別人が大勢いる身であります故」
それもそうだ――いや、というか。
「サボりじゃないなら、散歩でもしにきたんです?」
何故か、口の中が乾いた気がした。あきつ丸は気にした風でもなく、ただ短く。
「野暮用であります」
とだけ言って、身を返してしまった。
この前の飲み会で分かったことは、彼女はとてつもなくお酒が強いこと。少なくとも、加賀さんが一目を置く存在なこと。微笑みが嘘っぽいこと。
そして、決して悪いひとではないこと。
まぁ謎の人物であることには変わりがなく、写真に撮った時の様子だけが異質だった。多分彼女の本質は、私のスマホに保存してある、ちょっとお間抜けなひとなんだろう。
「やれやれだなぁ」
去っていく背中にため息ひとつ。なんとなく周囲を見回したけど、特に変わったことはなかった。彼女がうろついているということは、ちょっと緊迫感のある事態でも起こったのかと思ったのだけど。
気を取り直して、鞄を改める。変なものが入れられたりはしていない。紙以外は。
丁寧に折りたたまれた紙を開く。先日と同じく、身元を明らかにできる手がかりなどは全くない――唯一、美しく内容が書かれた紙以外は。
私は慎重に文字を追ったが、大した内容はない――そこに書かれていたのは、顔のないのっぺらぼうからの
「8月15日、午前3時――『佐多岬海峡』指定座標……?」
少し吹いてきた風に持って行かれそうで、私は慌てて懐に手紙を捻じ込んだ。
三.
日付が変わるか変わらないか、呉の港は普段と違った緊張感に満ちていた。予定されていた特海のシステム切り替え作業は、つつがなく準備が進んだこともあり、今のところは予定通り行われるらしい。まぁ、トラブルでもないのに予定が変わったらおかしいけど。
私は結局、謎の呼び出しに応じることにした。
差出人が、もし叛乱を目的とする組織だったとして、呼び出す対象に私を選んだ理由は分からない。扱いやすそうだったのかも。それとも、他になにか理由があるのかな。
いずれにせよ、私ひとりで来るよう指示があった。元々、葛城さんたちを巻き込む気はこれっぽちもなかったので、それはいい。
ただし、加賀さんには伝言を残しておくことにした。
『ちょっと霧の夜の七隻目になって来ます』。
……送ってから、自殺しに行く精神病んじゃった系の構ってちゃんぽいなと後悔した。
「さて、と」
私の装備は、ウェアラブルカメラを前後に向けた以外は標準の取材装備だ。相手を警戒させてしまっては元も子もないけど、身を護るため最低限の保険は欲しい。
ただ、保険と言っても、それが通じるのはあくまで社会的信用のある相手に限る。そう考えると急に不安になってきたので、今は忘れることにした。
カメラの充電を確かめてから、航路を確認する。呉を出たら松山の近くまで真っ直ぐ。あとは海岸線沿いに進むだけ。近隣の鎮守府がよく見回るルートでもある。
ゆっくり行っても、時間には間に合うだろう。――それにしても。
「ずいぶん霧が出て来たなぁ……」
霧の夜の七隻目。いや、七隻目ってことは……いや、あるかも知れない。なにしろここ数日、特海の出撃任務は極端に減っている。外海の哨戒任務に最低限を回して、制海権の取れている内海は監視設備で補う。例のシステム切り替えに伴う措置だ。
仮に一般的な1艦隊6隻が哨戒に出ていたとしたら……私が七隻目かもしれない。
「ま、ジンクスって言ってもいい方に取ればいい話ですからね」
誰にともなくそう呟いて、戦闘時以外は義務付けられている航行灯を付ける。霧の海で船に体当たりされたら面倒だし。
そうこう言っているうちに、沖から戻ってくる護衛艦とすれ違う。船体の数字を見ると自衛隊の艦だ。特海は呉の港を彼らと共同で使っているので、ごく普通のことだ。
私は、
呉を出ると、しばらくはフェリー航路を通る。瀬戸内海にありがちな、島を抜けていくルートは今回パス。と言うのも、作戦行動時以外の艦娘には、あまり洋上の自由がない。上陸が正式に許可されている港は限られているし、あらかじめ通行可能な航路も決まっている。まぁ、そこまで厳密にチェックされてはいないのだけど。
松山の手前で航路を変更。ここからはしばらくフェリー航路を外れて海岸線沿いに進むことにする。フェリー航路は、夜間も大型船舶が行き来していて、視界の効かない夜間、しかも霧が出ているとあっては危険が伴う。携帯の電波も届きにくいし。
日付が変わって、しばらく経つ。ふと気になって、特海の無線周波帯に合わせてみた。普段なら大なり小なりやり取りがされている無線が、今日は静かだ。
……ひょっとしてなにか、システム切り替えでトラブルでもあったのかな。一応連絡が付くよう、呼び出し待機状態にしておくことにする。私は工作艦ではないので、呼ばれてなにか出来るわけでもないんだけど。
「ううん……それにしても」
こうも霧が出ていると、自分の立ち位置すら怪しい。スマホのバッテリーも、ちょっと心許ない感じ。艦娘としての勘はもう鈍りっぱなしだし、慎重に進むしかなさそうだ。
私はゆっくり、一層濃くなる海の闇へと踏み出す――『佐多岬海峡』はもうすぐだ。
四.
霧に包まれていると、いろんなことを考える。
今自分がいる場所は、本当は海の上じゃなく別の場所ではないだろうか、とか。
霧の中、というと普通は何かに迷っていることを示す。
「……『青葉』は、迷ってるんですかねぇ」
でも、なにを迷っているんだろう。今の自分に? 将来の夢に? それとも、艦娘・青葉という存在そのものに? 霧の中で、私は答えを探している……?
いいや、もう、今さらのことだ。
「GPSだと、指定されたのはこの辺りですけど……」
周囲は濃い霧に包まれていて、海図とGPSが無ければまともに航行できそうもない。
そもそもここ『佐多岬海峡』は、元々は愛媛から佐多岬半島が張り出していた場所だ。十数年前、とある事件が地形を変えてしまって以来、普通の船は通れない海峡。
半島の残骸がごろごろと転がっていて、大型船舶ならやっと一隻抜けられるかどうかという狭さを、今、私はひとり占めしている。
やばい。また霧が濃くなって来た。
指定された時刻通りに到着した私を待ち受けているのは、謎の陰謀でも、エージェントでもなく、荒れ始めた波音と深い霧。
騙されたのだろうか。それとも、なにかの罠だったのだろうか。そう考えて首を振る。私みたいなただの艦娘ひとり、ここで襲ったところで何も戦局に影響なんてない。
そう、私が、ここにいる意味なんてないんだ。
胸に突き刺さる自己嫌悪に、私は思わず目を閉じ、そして。
目を開いた――その時だった。
「え。……あ、うそ、でしょう」
開いた視界に飛び込んできたのは、霧と闇に紛れてこちらを見つめる影。
霧の海に、
「ひゅ……が、さん」
ぼうっと海に浮かぶ、戦艦・日向さん。
あの日、私を逃がしてくれた人。幻となってまで、私を救ってくれた人。
あの日、私に呪いをかけた人。意地汚く生き残ろうとした私が、幻まで見て捏ね上げた言い訳の象徴――その人が、私を見つめていた。
寒くもないのに体が震える。怒ってもいないのに顔が熱い。
幻のようなその人は、私に呼びかけて来る。
おいで。
「うそだ。こんなのは、なにかの間違いです……」
オイデ。オイデ。
「霧のせいで、感覚が狂ってるんだ」
脳裏に響く声は、視覚がおかしくなったわけじゃないことを教えていた。
この幻はなんだ。いきなり出てきて、どうして私を誘おうとするんだ。どこに?
オイデ、オイデ。
幻はただ、それだけを繰り返す。それだけなのに、なんて魅力的に聞こえるんだろう。
これは罠だ。
幻は、私を呼ぶ。青葉、アオバと私を呼ぶ。
必死で体にまとわりつく誘いを振り払う。私を助けてくれたあの人が、例え深海棲艦になったとしても、こんなことを言うはずがない。
「ウソだっ……!」
私は必死で否定した。そうでなくては、ふらりと彼女のほうへ歩き出しそうだった。
そんな私を見て、日向さんは無表情に笑っていた。
「青葉は行きませんっ……! そんなことをしたら、あの夏の日は、どうなるんですか!なにも無くて、それでも空を見上げて戦ったあの日はっ!」
私の勢いは、霧に呑まれて消えていく。ゆらりと揺れる幻が、私を見つめている。
まるで縫い留められたように、足が竦んだ。
『モウイイダロウ』
幻はいつの間にか、手の届く距離。私はかぶりを振って、拳を握り締めた。
『ドウセミンナ、海ノ底に沈ムんダ。一緒にイコウ、アオバ』
「あの人は、みんなは、そんなこと言いません! あなたは偽物ですっ!」
必死の抵抗。私は目前の『彼女』を振り払う。霧に揺れる『彼女』は、そんな私を見て愉しそうに笑った。
『ニセモノでもホンモノでも、沈メば同ジ』
ゆらりと迫る『彼女』に、私はたじろいだ。幻なのに。いないはずの相手なのに。
足がもつれて尻餅をつく。
『オマエはココで、苗床にナルのサ』
「そん、な……!」
苗床――深海棲艦の発生源ということか?
艦娘がたかがひとり沈んだぐらいで、と考えてはっとする。もしもこの辺りに、沈船や艦娘の艤装が固めて沈んでいたら。私の無念を触媒にして、それこそ艦隊レベルの敵船を生み出そうとしている、なんて。
想像でしかない。根拠もなにもない。だけど、背中の悪寒が取れない。
――持ち出して、深海棲艦たちの発生を促す餌にしようとしていたんでしょうね。
それは加賀さんの言葉だ。
『サア、青葉……』
「ひっ……こ、来ないで……! 来ないでください!」
身体がすくんで動かない。
――もし夜の海で、あなたの足を引く、かつての仲間がいたのなら。
ああ、あの後、加賀さんはなんて言ったっけ。葛城さんは、仲間の幽霊を見たと思って怖がっていたんだ。なんのことはない。私も彼女と同じに、幽霊に魂を引かれて呪われたひとりだった。なのに、葛城さんは呪いが解けて――
そこまで考えた瞬間、私の中で加賀さんが叫んだ。
――
「あ……青葉の、仲間はッ……あの人は!」
私の中で、まるで何かが燃えるようだった。それは怒り。私とあの人と、あの日を呉で迎えたすべての艦を馬鹿にされた怒り。自然と拳に力が籠る。痛いほど。
誇り高く呉で最後まで戦った、あの夏を共に過ごした艦。そのひとが、そのひとが……
「――仲間を道連れになんて、しませんッ!」
叫んだ私は、思い切り
がきん、と金属音が鳴り響き、私の前で
殴れた。実体がある。幽霊じゃない。
つまりこいつは、きっと深海棲艦――!
『チィ……!』
「あっ、こら待て!」
舌打ちと共に霧中へ姿を消した幻を追おうとした私。しかし――
「え!?」
その私を、横から制止する影があった。
「も、もうひとり?」
そこに立っていたのは、ほとんど同じ姿の幻――日向さんだった。霧の中で夢でも見ているようで、思わず頬をつねる。痛い。
「戻ってきたわけじゃないよね……?」
突如現れたもうひとりの幻。なにかを伝えようとしている。
「いや、なに言ってるか分からないです。さっきの偽物はしゃべってましたけど」
恨みの言葉か。後悔の言葉か。沈んでしまった彼女たちには、それを私に伝えることもできない。だって相手は幻で、私は生きているから。
それにしても、何を伝えようとしているのかがさっぱり分からない。そのうちに、幻の言葉に身振りが加わる。……めちゃくちゃ必死だ。口の形でなにを言っているかが分かりそうなレベルだ。あのひと、確かに超口下手だったけど。いや、音頭じゃなくて。
ああもう、何を言いたいのか早くはっきりさせて――
「――よ、け……ろ?」
避けろ。
言葉が頭の中で意味を結ぶと同時に、私の両脇を
「な、えっ!?」
霧中に消えていく数機の戦闘機。発砲音。ほどなくして、小さく爆ぜる音。咄嗟に水面から身体を起こし、もう一度跳んだ。さっきまでいた場所が撃ち抜かれる。
私はわけも分からず、とにかく反転した。
「い、いったい、なにがっ」
戦闘? 外海から侵入してきた深海棲艦か?
息を切らして両舷全速。そんな私の目の前、海が盛り上がる。黒々とした塊が海中から姿を現し、そして跳ねた。
――駆逐イ級だ。
「な……!?」
一隻、二隻……次々と海中から飛び出してくる深海棲艦に、私はパニックを起こした。
「う、うわっ、え、ちょっとっ」
ここは仮にも瀬戸内海なのに、どうしてこんな数の深海棲艦がいるのか。
混乱する私を、久しく聞いていなかった砲撃の音が襲う。弾着の水柱。咄嗟に横へ飛び勢いのまま回避航行へ。事態を頭が理解するより、身体が逃げに入った。
完全に、囲まれている。
「く、ぅ」
この海域は初期に制海権を取り戻した場所のはずだ。色んな鎮守府が哨戒しているし、
この数日は瀬戸内海での敵艦目撃例自体が――
「ひょっとして、これって……!」
まさか、川西中将の言っていた、叛乱と繋がるのか、と思った時。
「あッ、ぐ」
砲弾が脇を掠めていく。敵の狙いは正確だ。慌てて航行灯も落とす。濃霧に紛れて逃げようにも、今自分がどっちを向いているかも分からない。下手したら座礁して終わりだ。
これが通常航路なら、
「う、くそぅ」
GPSは……と思ったところで、痛恨のバッテリー切れ。どうやら基地局を探して電力消費をしまくっていたのか、それともなにかの妨害か。これで、私は迷子同然になった。
「せめて霧がなければ……!」
結局、私はまんまと罠に嵌ったのか。よくよく考えたら、呉鎮守府の艦娘で、こうして勝手に行動できて、そして誘いに乗って来るような艦娘は限られている。最初から、私を深海棲艦の餌にするのが目的だったんだ。
混乱の洋上。左右、弾着。夾叉――回避ッ!
「三年ぶりのっ……戦闘が、こんな最悪シチュエーションなんてっ……!」
魚雷もない。砲もない。敵を倒す手段がなく、そして私は元々
このままじゃ、心配してくれた加賀さんに申し訳が立たない。
「生き残ってっ……! 生きて、またみんなで、カレー食べるんだからっ……!」
決意を吐き出した数秒後、私は思い切りつんのめる。
「――ぁ」
カレーのことは言わなければ良かった。明らかに死亡フラグだったな、と後悔する。
致命的な一撃が、艤装の主機を貫いた感覚があった。
艤装の大破……特に主機の停止は洋上での活動停止を意味する。一気に浮力が失せて、私は顔面から水中へと突っ込んだ。
「が、ぐ、ぼっ……」
息が詰まる。明滅する意識。首から提げたカメラの紐を、そして、加賀さんが持たせてくれたお守りを、何故か必死で掴む。
ああ、いやだな。いくらここが呉鎮守府の近くだからって、沈みたくない。
どうしてこうなったんだろう。7番目のジンクスのせい? それとも、おめおめと生き残った私にみんなが怒ってる? 違う、呪いは4番格納庫で……まずいな、思考が揺らぐ。
かすむ視界をかき分け、身体を折り曲げ、必死に手を伸ばす。晴れていれば、星が光る水面へ。その先にあるはずの空へ。めちゃくちゃに負けたあの夏から、ずっと変わらない空へ――。
――やだな――
音のない水底へ向かっていく自分を、もはや足掻くこともできない自分を、私はとても悔しく思った。
五.
水深が二百メートルを過ぎると、ほぼ光は届かないと聞く。あの時、青葉は……私は、せいぜいお尻を浅瀬についたぐらいのもので、結局沈みはしなかった。
さすがにこの海はそこまで深くないけれど、きっとその通りなんだろうと思った。私を覆うのは海の闇。そして、その中に瞬く蒼き光。
深海棲艦だ。よくは見えないけど、潜水艦タイプだろう。
彼女たちは沈みゆく私を囲み、ゆらゆらと見つめている。私を嗤っているのだろうか。哀れんでいるのだろうか。それとも。
周囲を回る潜水艦たち。ゆーさんが、もう一度潜れるようにしたかったな、と場違いな後悔が胸を埋める。葛城さんが戦えるようになったのだから、せっかくだから、みんな。
――ああ。
私は、羨ましかったんだ。葛城さんが、加賀さんが。一度挫折した葛城さんがもう一度空へ羽ばたくのが。高い能力で色んなことをこなして、活躍する加賀さんが。
だから私は、ひとりで突っ走って、こうしてひとりで沈もうとしている。自業自得だ。みんなの手を取れば良かったのに。たったそれだけなのに――。
薄っすらと光に魚雷が反射する。まだ生きていると見て、息の根を止めようとしているのだろう。そんなことをしなくても、水底まで行けば同じなのに。
でも、もうダメだ。意識が薄れて、目の前にいる敵の数もわからない。青い光がひとつ、ふたつ、みっつ……。
それと、ボクカワウソが――目の前に――。
「ボッ、ボクカワウソだあああああッ!?」
ごぼごぼと実際には声にならない叫びを上げて、私の意識が覚醒する。
突如深海に現れたボクカワウソは、ほぼ着ぐるみと同じサイズ。その巨体が取り付けられたライトに照らされて、不気味に光っていた。
「は、速い」
ボクカワウソは水中を信じられない機動力で駆けていく。脚部にスクリューでも付いているのか。器用にぐるんと反転したカワウソ。水中にぼうっと浮かぶボクカワウソの顔がこちらを捉えた気がして、思わず悲鳴混じりの泡を吐く。
そして、ボクカワウソがこちらに突進してきた。
「ぎゃああああああああ!」
食われる――咄嗟に主砲で撃とうと引き金を引こうとして、ようやく自分が丸腰だったことに気付く。というか、ここは水中だ。
「あれ……っ、うわッ」
今、私はなにを、と思ったのも束の間。目の前まで来たボクカワウソの丸い手(?)が突如、物を掴むクロー型に変形した。私の胴を掴んで、そのまま突き進んで行く。
急激な水圧の変化に体が悲鳴を上げるが、追いすがる敵艦のほうが気になる。あの数に魚雷を撃たれたら、いくらボクカワウソの機動力でも……いやいやいや、ボクカワウソの機動力ってなんだ? 事態に思考がついていかない。
と、カワウソの胴体が一部ぱかりと開く。
「ひっ開いた! ば、爆雷!?」
中から飛び出して来たのは爆雷。ばらばらと撒かれた爆雷が、眼下の潜水艦たちに降りかかる。いやいやいや、なんで開くんだ。着ぐるみの胴体が。
そうして、音のない海中に、容赦ない破壊が訪れた。
「うぎぎぎ……!」
水中爆発に圧されて呻いた私。
『青葉さん』
そんな私に、ボクカワウソが語りかけてきた。えっ怖い。
「がぼぼ」
『あっ……ごめんなさい。無理に、しゃべらないで』
威圧的なボクカワウソの顔面から、気弱な声が滲み出ていた。
というか、この声は――。
『ユーです。このまま『佐田岬海峡』を抜けて戻ります』
「このまま!? っげほっ、げほって、あれ」
窒息してしまう、と思わず叫んで気付いた。いつのまにか、マスク状の何かを着けられていた。本体から伸びるホースで空気を送っているのか。
身体中に酸素が巡るのを感じた。これが、生きているということか。
「っていうか、ゆーさん。大丈夫なんですか、こんなところに来て!」
彼女のことを、広報課に連れてきたのは私だ。
とある海域封鎖作戦で、ひとつの部隊が消息を絶った。狭い海峡を封鎖して、深海棲艦の侵入を防ぐために投入された潜水艦部隊。敵に奪われた海峡の深い深い水底――数週間たったひとりで息を潜めていた生き残りが彼女だった。
水に浸かるのはいい。だけど、光の届かない深海には行けない。暗闇にひとり残された恐怖が蘇る。痛みにも耐え、空腹にも耐え、耐えられなかったのは寒さと孤独。それらがパニックを呼び起こし、気を失ってしまうから。
そんな彼女が、どうして沈んだ私を助けに来られたのか。
『ボクカワウソさんを着てれば、怖くないです』
「か、カワウソを?」
『加賀さんがくれたこの子、中はとてもふかふかで暖かいです。深い海は怖いけど、この子と一緒なら』
そう言ってゆーさん……ボクカワウソは目をぐるんぐるん動かした。超怖い。
というか、加賀さんがくれたって。
「ひょっとして、4番格納庫からパクッ……お借りした、あのぬいぐるみが?」
『あの子は小型……携帯……型? のマーク5ちゃんで、この子はマーク37ちゃんです』
「待ってください、ボクカワウソの話ですよね!? まさか変形とかするんですか!?」
『Ja。マーク5ちゃんはお部屋に連れて帰って、寝る時に包まってます』
さらりと発覚した驚愕の事実――というかさっきから目の当たりにしていたけど――に私の常識が揺らぐ。というか、ボクカワウソってなんだ。変形ってなんだ。
『呉鎮守府技術班さん、頑張りすぎって加賀さんが言ってました』
果たして、これって頑張りすぎたレベルなんだろうか――と、カワウソの胴体隅っこにあったなにかに目が留まる。
「……ん? なんですかこのマークは」
ええと、S……t、a、r……k――
今のは見なかったことにしよう。きっとあの格納庫で見たのは夢だったんだ。これは呉鎮守府の技術班がなんやかんやした結果で、どこかのヒゲの社長が不眠症のヒマつぶしで作った大量のボクカワウソ=レギオンなんてものはないんだ。青葉、正気に戻れ。
『青葉さん、どうか、しましたか』
ゆーさんの声が本当に心配してくれるのが伝わって来て申し訳なくなる。でもこれって果たして私が悪いんでしょうか。なにが悪いんでしょうか。頭が悪いのかな。
なるべく感情を抑えて返す。
「いいえ……ちょっと、疲れただけです……」
『カワウソさん、元気になるお薬も出せますよ』
「遠慮します!」
打ち付ける激しい水流に身体を打たれながら、私は即答した。
六.
『青葉さん、海面、出ます』
「わぶっ」
結構な時間をボクカワウソから伸びたホースと共に過ごした私は、さっきの戦闘が嘘のような洋上で大きく息を吸った。
簡易浮き輪まで完備のカワウソは置いておいて、見上げた空には星が瞬き始めている。いつの間にか霧も晴れて、私は無事『七隻目のジンクス』を実証できたことを知る。
ああ、生きている。
「ゆーさん、ここはどこです? 青葉、スマホ充電切れちゃってて」
艤装も大破して、今私は役立たずのミジンコ以下。だけど、いっそすがすがしい。ボクカワウソの目がぐるんぐるんして、ぴこーん、という感じでこちらを見た。怖い。
『ええと、ねこちゃんのたくさんいる島の近く、です。合流地点に指定されてます』
「青島ですね。確か、もう少し行けば鎮守府が一か所あった気がしますけど」
どうでもいいけど、あの目がぐるんぐるんするのは仕様なんだろうか――って、合流?
『あ、来ました――加賀さん、こっち、です』
まるで招くようにカワウソの耳がびくんびくん動いた。この動きは必要なのだろうか。
そうして、少し先に見知ったふたりが見えてくる。加賀さんと、葛城さんだ。
「青葉さん、ユーちゃんっ! ごめんね、遅くなっちゃって!」
こっちに向かって手を振る葛城さん、すっかり出撃仕様の改二艤装を纏っている。すぐ後ろに控えた加賀さんも同じく、一般的な加賀型艤装だ。
――やっぱりこの二人は、戦えるんだ。
そして、霧の中ですれ違った戦闘機のことを思い出す。あの時、ひょっとして私を狙う敵艦がいたのかも知れない。ふたりの航空隊が、私を護ってくれたのか。
「葛城さん、――加賀さん」
結局ひとりで先行した手前、とても気まずい。それを察したわけではないだろうけど、加賀さんが小首を傾げて言った。
「七隻目のジンクスと合わせて――交通安全のお守り、ご利益があったようね」
「へ」
思わず手を見ると、私はカメラストラップに付けたお守りを握りしめていた――ふと、固い感触に手を広げる。
「……これ、いわゆる発信器ですか?」
小さな機械にメロンの印。誰かのシンボルマークだろうか。明滅するランプが、何かの電子機器であることを教えてくれている。なるほど、発信器か。
「こういう事態も想定していたの。相手はこちらの動きをよく見ているようだったから」
「ほんと……加賀さんて、いつも青葉たちの二歩三歩前を先取りしてますよね」
呆れ半分、尊敬半分。この人にはかなわないな、と苦笑いした。
「これぐらいは当たり前のことよ――そう、あきつ丸だけれど」
これも苦笑した加賀さんから、いきなり知った名前を出されてびっくりする。
「あきつ丸さんがどうかしましたか」
「みすみすあなたと敵の工作員を接触させて、しかも指示書にも気付かずにあなたを出港させてしまったことについては抗議しておきました。きっとお仕置きされるでしょう」
「お、お仕置きですかぁ」
あきつ丸さんが野暮用などと言って、目の前に現れたのを思い出す。そうか、あの人があの日見張っていたのは、私だったのか。
よく見ると、加賀さんは背中に荷物を背負っていた。というか、簡易型の主機艤装だ。
「これを使いなさい。巡航速度はともかく、浮けないのでは話にならないもの」
「あ……すみません、なにからなにまで」
戦闘用ではない、色んな型の艦娘に適合する汎用の艤装。腰部にマウントしたことで、私はようやく自分の足で海に立てた。
私は三人に向き合い、頭を下げた。
「あの、ごめんなさい。言い訳とかじゃなくて、ひとつだけ言わせて下さい」
びゅう、と海風が吹き付けた。
「ありがとうございます。青葉、危うく幽霊になるところでした」
そこまで言った私は、下げた頭を上げられない。
「っぐ、ぅ……怖かった、怖かったです……」
なぜなら、溢れた感情でぐしゃぐしゃだったので。そんな私を、もふもふしたなにかが優しく包んだ。あっこれカワウソだ。でも今さら逃げたりできないし。
そして、頭を撫でられた。
「気にすることはないわ。私たち、広報課コラム係の仲間だもの」
「そーですよ。困った時はお互い様です」
「青葉さんもカワウソさん着ますか」
「ごめんなさい、着ません」
泣き笑いの私と、笑顔のみんな。あとは港に帰るだけ――では、済まないらしい。
加賀さんが、メガネの奥から私を見つめた。
「青葉、よく聞いて頂戴」
「あ、はい……なんでしょう」
「今、特海はまともに機能していないわ。叛乱
加賀さんが言ったことがよく分からず、私の首は45度傾いた。
そう言えば、日付が変わってから通信がしんとしていたことを思い出す。ひょっとしてあれもなにかが起きていた結果だったのかな。
その時、加賀さんが矢筒に手を伸ばした。
「詳しく話している時間はないわ――特海のこともそうだけれど、もっと面倒なことが、目の前で起きているようだから」
「へ」
「総員戦闘配置。5時方向、最大戦速で離脱!」
いきなり、今となっては懐かしい単語を並べ立てられて――。
「全速前進ッ」
それでも身体は反応した。
「回避航行! 青葉!」
やや高めの波に苦労しつつ、私は海を奔る。周囲に弾着、水柱が立ち、ここ瀬戸内海が戦場になっている事実を嫌でも受け入れざるを得なかった。
葛城さんたちが航空隊を放つ。夜だから、きっと出したら港までは回収できない。
二の矢、三の矢が放たれて、敵艦からの砲撃が止む。
「しばらくは航空隊が抑えるわ。――青葉、葛城、ゆーちゃん。8時方向、視認できて」
加賀さんの言葉に目線をやった私たちは、嫌でもそれを見つけるしかなかった。
――咆吼が聞こえる。まるで地獄の底から響くような咆吼が。
葛城さんが声を絞り出す。
「あ、あ……あれ、なんですか……?」
無理もない。というか、私だってそう言いたい。
なんだ、あの深海棲艦は。
鯨だ。白い鯨。巨大な白い鯨が、大きく飛び跳ねた。後ろには何隻か敵艦が見える。
「あれは最近海外で発見された型の深海棲艦――その外部自立型の艤装ね」
「か、加賀さんッ」
「本体の姿が見えないのは……高みの見物ということかしら。馬鹿にされたものね」
私たちは――いいや、私は、戦えない。まして、あんな強そうな敵相手に。
それなのに。
「
加賀さんは平然とそう言った。
「無理ですよ!」
私は反射的にそう叫んだ。
味方はいない。私はちっぽけな丸腰の重巡で、あとは空母がふたりと潜水艦。鎮守府の仲間が出撃してくるまで、どうやっても10分20分……いや、もっと掛かるだろう。
あんなのを止めるなんてできっこない。
だけど。
「無理なことはないわ。たかが鯨一匹、私ひとりでも充分」
加賀さんはやっぱり、そう言い切った。
「だけれど」
私たちの前に一歩踏み出した加賀さんが、私を振り返る。
「みんな、少しだけ手伝ってくれるかしら。呉鎮守府広報課、たまには呉を護ってみてもいいのでなくて」
その目は一切の不安もなく、優しく私を見つめていた。
――何故だろう。
私たちは艦娘。ひとと共に在り、敵を沈め、鎮める。
私たちは呉の艦娘。呉と共に在り、呉を護る。
そう言われた気がした。
「いま言ったわ」
「言ってましたかぁ。ていうか思考読まないでくださいね?」
ばかばかしい会話。ばかばかしい状況。
なのに、不思議と勇気が湧いてきた。
「青葉さん、これ」
「おわっと」
見透かされたのか、葛城さんから投げ渡されたのは主砲。もう使うことはないと思っていた、青葉の主砲艤装。あの戦いの後に渡された時は新品だった。
「ど、どこでこれを見つけて来たんです?」
とっくにさび付いていたはずのそれは、まるで貰った時と同じように輝いている。
「……加賀さんが、きっと必要になるからって、整備を」
また勝手にそんなことを。なにもかも予定通りということか。まったく、先回りもここまで徹底されると笑ってしまう。
「こうまでお膳立てされちゃうと、かえってやりにくいですよぅ」
「あなたが、ちゃんと取っておいたのだから。それを応援するのは普通のことよ」
身体は覚えている。抱えた主砲を指向……仰角調整よし。給弾機構も調子いい。
――戦闘準備、問題なし。
何年ぶりかの実戦が、こんな形でやってくるとは思ってもみなかった。
私は一歩踏み出て、加賀さんの横に並ぶ。
「加賀さん。青葉、あなたがスパイじゃないかと疑ったこともあるのですが」
「そう」
「正直今は、加賀さんにインタビューしたくて仕方ありません! 青葉の血が騒ぎます」
「……いったいなにを聞かれるのかしらね」
加賀さんは声だけで笑った。
四人だけの艦隊は、単縦陣で敵へと向き直る。このまま行けばT字で有利に戦える。
「加賀さんがなにを企んで呉へ来たのか、終わったらばっちり取材しますからね!」
もう、身体は震えていなかった。そんな私を見て、加賀さんがため息を吐く。
「そう。仕方がないわね。それじゃあ――」
そして、鯨が吠えた。
「き、来たッ」
大波をかき分けて、まっすぐこちらへと向かってくる。初めて目にした大型深海棲艦、私はあまりの迫力に後ずさりした。
――その時だった。
加賀さんが前へ出た。ぱきり、と空気が鳴るような音。気付けば――加賀さんの半身が
「か、加賀さんっ。それ」
まるで深海棲艦のように、加賀さんが右半身に蒼い炎を纏っている。あまりの光景に、私たちは言葉を失った。私もあまり見たことはない、相当上位の深海棲艦が纏う蒼い炎。それが、加賀さんから噴き出し揺れていた。
「――私の秘密を教えてあげましょうか」
その間にも、どうどうと音を立てて向かってくる鯨。
まるで散歩でも行くかのように水面を歩む加賀さん。周囲に鯨の主砲が着弾し、水柱が夜闇にそそり立つ。
そんな一切を気にしないかのように、加賀さんは進む。勢いを止めない鯨が迫る。接触まであと5、4、3――。
振り返った加賀さんの顔に、私たちは息を呑む。紅い右目の加賀さんは、笑っていた。
「
そうして加賀さんの右手が、鯨を受け止めた。
「か、加賀さんッ」
「加賀さん!」
「加賀さんっ……!」
なにかが軋む音。鯨のくぐもったうめき声が空気を揺らす。そのままに突っ込んできた鯨の巨体、頭からの衝撃が伝わったかのように下半身を跳ねさせた。
シャチホコのように、ぐるりと宙に浮く鯨。
「私の大切な仲間に、手を出さないで頂戴……!」
加賀さんが言うと同時に、漆黒の右手から、ごうと炎が吹き出した。
あれは、深海棲艦だ。深海棲艦たちの艤装を構成する黒い鋼。
加賀さんの右目が紅く輝き、拳が炎を巻いて光っていた。
跳ね上がった鯨を、加賀さんが放り投げる。着水、大波、私たちは必死に波へ乗る。
私は思わず叫んでいた。
「加賀の右手がド派手に燃える! 勝利を刻めと轟き叫ぶッ!」
「青葉さん、うるさい」
私の期待とは裏腹に、加賀さんがなにかを取り出した。薙刀だ。
え、空母なのに。弓ですらないというか、まさか刃物が出てくるとは思わないじゃないですか。組み立ててるけど、そういうのアリなんだ。
加賀さんの薙刀が空気を切り裂く。
「無粋な真似をしてくれたのだから、楽に沈めると思わないことね」
怖い。言ってることが超怖い。そう冷徹に言い放った加賀さんが、もがく鯨の巨体へと薙刀を振り下ろし、一瞬の後、鯨が
「な」
――二の句が継げない。
加賀さんがやってきてから、私たちの常識は狂いっぱなしだ。
そうして、なんだか可笑しくなる。
私たちは元々鋼鉄の塊で、常識どころか物理法則以外の作用する余地がない。物理的な力で海に浮き、科学の力で前に進み、そうして使われてきた。
ひとの形を得た途端に、常識なんていう概念を背負うことになるなんて。これだから、人生は面白いのかも知れない。
我知らず笑っていたらしい。最初少しだけ不思議そうな顔をした加賀さんが、私の瞳をのぞき込んで淡々と言った。
「さ、青葉。出番よ」
「はい?」
出番と言われてどきりとする。元々、私たちの力を借りたいという話だった。
加賀さんが、沈む鯨の背後を指し示す。
「あそこに随伴の巡洋艦が見えるわね」
「はい」
「あれを一撃で仕留めてご覧なさい」
「は!?」
加賀さんはまるで、子供へお使いを頼むかのようにそう言った。
確かに、私の主砲は命中すればそれなりの威力を持つ。戦艦相手でも当たり所次第では致命傷を与えられるだろう。
だけど、数年使っていない主砲を、ぶっつけ本番で命中なんて無茶にもほどがある。
そう言おうとしたけど、身体は違うと叫んでいた。――できる、のか?
「これは、あなたが前に進むための一歩よ」
あなたは艦娘。加賀さんが噛んで含めるように言う。
「人の強さと、艦の強さを併せ持つのが艦娘よ。心が折れなければ立ち向かえるのが人。整備されていれば応えてくれるのが艦」
「――青葉たちは、艦娘――」
「あなたは最後まで生き残った優秀な子よ。できるわ」
ミッドウェー……終わりの始まりだった彼女と、終わりを見届けなければいけなかった私。この身体になって不便なのは、不意に目から水が出てしまうことだな、と思う。
頷いて、私は砲を構えた。
「ゆーちゃん、マーク37には、伊五〇七型の主砲が載せてあるはず。威力はともかく派手だから、牽制をお願い」
「Ja。了解、です」
加賀さんがボクカワウソ……ゆーさんの胴をもふもふと撫でて言った。いったい身体はどういう構造になっているんだろう。
緊張気味の葛城さんは、加賀さんに肩を叩かれてはっとする。
「葛城。空母道マニューバ『ライラック』、決めてみなさい」
「了解、しました……!」
「射法はただの式――式に重要なのは、必要な手続きを淡々と進める冷静さよ。イメージしなさい。あなたのツバサが、どう飛ぶのかを。空はいつもそこにあるのだから」
あれよあれよという間に、ゆーさんも葛城さんも前に進んでいく。
ああ、そうか。私は、寂しかったんだ。いつの間にか置いていかれていたのが。
だったら、追いつけばいい。
「加賀さん。青葉、撃てます」
私の瞳に、主砲を持つ手に、放つ言葉に力が籠もる。加賀さんが頷いたのを見て、ボクカワウソ……もといユーちゃんが主砲を放ち、葛城さんが弓矢を振るう。
「カワウソさん、撃て!」
ボクカワウソの胴から飛び出した主砲が、ウソみたいに砲弾を放つ。まさかカワウソに撃たれると思っていなかったのか、少しばかり敵に動揺が見えた。
まぁ、そりゃあそうだと思う。
ユーちゃんに負けまいと、葛城さんが射法に入った。
「――艦載機隊、発艦ッ」
ふたつに分かれた編隊が、美しく交差しながら進んでいく。逃走に入った敵の重巡が、追われていることに気付く。ほどなく、艦攻の雷撃が始まった。
「!……あれは!」
ギリギリで当たらない。当てても、沈めるに至らない。フォーメーションは敵艦を追い込んで行き、そして、私の射線へと飛び込んで来る。見事な追い込み漁。当てればそれで終わりだった昔とは違う。きっと、大型の深海棲艦を沈めるための戦法なのだろう。
この一撃は、過去の私の後悔を、抱いた恐怖を撃ち抜く一撃だ。
仰角調整よし。風よし。波はおだやかで、まるで海が私を応援してくれているかのようだった。事実、私は海との繋がりを感じていた。優しく、それでいて厳しい母のような。
ふと、誰かに肩を叩かれた気がして、次の瞬間、私は引き金を引いていた。
発射の衝撃。着弾の火花、爆発。断末魔の声。
それら全てが、どこか現実ではないように思えていた。
――青葉、託したぞ。
だって、
「さて」
ひと仕事終えたとばかりに、加賀さんが、ぱんぱんと手を叩く。乾いた音を耳にして、私は我に返った。
「加賀さん、その右手は」
いつの間にか加賀さんは素手になっている。
と言うか、その右半身は。
「私も事情があって呉に来たのだけれど」
いや、その事情とやらもそうだし、あなたのことがまず知りたい。
取りあえず彼女が悪いひとではないことはよく分かった。なにしろ、ひとりで呉の街を救ってしまったのだ。いや、一応私たちも働いたけど。
「さっきの戦いを見て分かったと思うけれど……私はかつて沈んだ艦娘。運良く、戻って来られただけの、ね」
この半身はその代償だ、と加賀さんは自嘲した。
ああ。5番目の七不思議は正しかったんだ。偶然の一致に、私はじっとりと加賀さんを見つめて言った。
「私たちに近付いたのは偶然ですか?」
「半分は偶然。呉の司令官に融通してもらった職場配置だけれど、訳あってそれなりに目立たなくてはいけなかったから」
「え、隠れるんじゃなくてですか?」
「ええ。それもこれも――こういう面倒なことに、呉や他の鎮守府を巻き込まないようにするためだったの。結局あまり意味のない気遣いになってしまったわ」
だけれど、と加賀さんが少しだけ悲しそうな顔をした。
「結果的とは言っても、みんなを巻き込んでしまったわ。それに――私が
私と、葛城さんと、ユーちゃんの瞳を順番に見た加賀さん。
「黙っていてごめんなさい」
そうして、頭を下げた。そりゃあ、言いたいことは山ほどある。……でも。
でも、彼女は言っていた。私たちと、呉で楽しく過ごしたいのだと。
彼女がやってきたあと、私たちは間違いなく何倍も楽しかった。呉鎮守府の七不思議を追ってドタバタした。取材の帰りにみんなで頬張ったエーデルワイスのケーキ、居酒屋・利根でやった歓迎会、新からすこじまの第二回釣り大会、チキチキ呉氏ぬいぐるみしばき合い対決……謎の3番目のカレーもちゃんと食べた。みんなで。
どれもこれも、みんなと、加賀さんと一緒に作った思い出だ。楽しかった思い出だ。
「そんなことより、いったいこれから何が始まるんです?」
だから私は、明るくそう言った。
そう、これから。
私と、葛城さんと、ユーちゃん。そして加賀さん。呉鎮守府広報課のこれから。
「第三次世界大戦でないことは保証します」
この前、鑑賞会したもんね。あれも楽しかった。
これから、きっと哀しいことも、辛いこともあるに違いない。でも、その何倍も楽しく嬉しいことが待っている。加賀さんのことを見ていると、なんとなくそう感じる。
加賀さんが一歩踏み出した。空を見上げて、『黒猫の加賀』が呼びかける。
「もうすぐ迎えが来るわ。あなたたち、着いて来てくれるかしら」
果たして、彼女の言葉に拒否権があるのだろうか。
でも、きっと、あったとして……私たちみんな、拒否するつもりなんてない。
「はい、もちろん」
「嫌だって言われても着いていきます!」
「Ja」
だって、まだ戦えると分かったんだから。再びこの時代に生まれた多くの仲間と共に、私たちを支えてくれるひとたちのために。
私たちは戦場に戻る。それは、楽しかった呉での思い出を護るため。この海をもう一度戦場にしないための戦いに、私たちは戻らなくてはいけない。
もう、怖くはない。怖くはないと思う。ちょっと怖いかも知れない。覚悟はしておこう。
私は手を大きく掲げて宣言した。
「出発――いいえ。
この四人なら、例え火の中、水の中。
葛城さんと目を見合わせて笑い、ユーちゃんが微笑んで。
そうして、加賀さんが優しく言った。
「それじゃ、まずは戦場ど真ん中空挺降下からね」
「は?」
「えっ」
「Ja!」
(続)