先生に大人な本気のエスコートをされて脳を焼かれる生徒たちの話 作:アラベスク@arabesuque_38
「ノア~書類が終わらないよ、助けて~」
「ふふっ。ダメですよ、先生? そちらの書類はゲヘナのものですから」
ぐでっと机に突っ伏した先生が情けない声を上げる。先ほどから数えて三回は同じ悲鳴を上げていた。
仕方ありませんね、と私が決裁できそうなミレニアムの書類は受け取ったものの、先生の前には依然として書類の山が高くそびえ立っている。
「先生? 今日はご予定があるのでは?」
「あ! そうだった、早く終わらせないと……」
「ふふっ、頑張りましょうね?」
ピシッと姿勢を正して書類と格闘する先生を横目で眺める。今のうちにコーヒーの準備でもしましょうか。
鼻歌交じりに戸棚を漁り、先生の好きな銘柄を探し出す。今日は少し濃いめがいいだろう。うおーやるぞーと声を上げながら書類に向き合う先生を記録しつつ、ミルに豆をセットした。
「パーティー、ですか?」
「うん、そうなんだ。もしノアさえよければなんだけど……あ、もしかして予定とかあるのかな?」
うず高く積まれていた書類の山を切り崩した時にはちょうど日が沈みかけていた。そろそろ予定の時間ですよ、と先生に声を掛ける。
今日はどうやらシャーレの先生として招待されたパーティーに出席されるらしい。招待状には異性のパートナーを一人だけ、同伴者として連れてくることができるとのこと。
「えっと……予定はないのですが」
急に言われても何も準備ができていない。今日はシャーレの当番しかないと思っていたから、普段通りの制服しか持ってきていなかった。
それに生徒という身で出席しても大丈夫なのだろうか。
「服装なら大丈夫だよ。私も着替えなくちゃいけないし、そのあたりは主催者の人が用意してくれているみたいだから。それにノアなら大丈夫だよ」
手ぶらでも大丈夫、というのが先生の言。その口ぶりからして、カジュアルな催しなのかもしれない。
それなら……と誘いに乗ることにした。パーティーという場での先生の振る舞いに興味もあったし、いい記録が取れそうだとも思った。
なにより
──ユウカちゃんには、内緒にしないとダメですね。
***
「せ、先生? これは……」
そんな先生の言葉に乗ってしまった私が悪いのだけれど。「騙された」というのが正直な感想だった。
あれからシャーレを出て向かったのはD.U.地区にあるデパート。貸衣装の専門店に連れてこられた私は、ヘアセットからメイク、ネイルまで施され、気が付いた時にはドレスにまで袖を通していた。
黒のイブニングドレス。タイトなドレスは私の身体にぴったりと張り付いていて、身体のラインがはっきりと強調されている。ノースリーブの所為で、肩は大きく露出して、ぱっくりと開いた背中部分も相まって妙に頼りない。
首元もネックレスで着飾られ、薄手のストールだけが身を守ってくれていた。
「うん、いいね。ノア、すっごくよく似合ってるよ」
嬉しそうに頷いた先生もタキシードに身を包んでいる。普段はボサっとした前髪もすべて後ろに撫でつけてかっちりとしたオールバックにしていた。
先生からふわりと漂ってくるオーデコロンの香り。いつもと違う大人っぽい雰囲気にドキリと心臓が跳ねてしまう。
「先生? 今から行くところは……?」
「それは着いてからのお楽しみ。さ、行こうか」
ふふふ、と意味ありげな笑みを浮かべた先生に手を引かれる。ドアを開けてくれた先生に先に乗るように促され、迎えの車に乗り込んだ。
「さ、ノア」
「──……はい」
デパートから五分ほどの距離にある会場に到着すると、先生は降りようとする私のも手を取ってエスコートしてくれる。慣れた手付き。普段とは違う先生の様子が頭にこびり付いて、勝手に記録してしまう。
車寄せからエントランスまでの間に敷かれた深紅の絨毯は、思ったよりもふかふかとしていて歩きづらかった。
「ノア、掴まって」
差し出された先生の腕に手を伸ばし、しっかりと組み合わせる。物理的に縮まった距離、私のスピードに合わせてゆっくりと歩いてくれる気遣い。
スマートな所作に私の心臓は早くなったままだった。
***
それからしばらくの間は、先生にエスコートされるがままに会場を歩き回る羽目になった。様々な人から声を掛けられてそれに応対する先生を尻目に、私は黙ったまま先生にくっついているだけ。
にこやかに話している先生が、相手に私のことを紹介する時だけ少し会釈をする。相手の人が名乗った名前も、私のことを褒めた言葉も、すべて右から左へ通り抜けてしまった。
「ノア、疲れたね。少し休もうか」
「は、はい」
先生に抱かれた腰から熱が顔にまで登ってくる。力強い手の感触。男の人の匂い。近くの席に腰を掛けると先生は飲み物を取りにその場を離れてしまった。
ここに来てから、身に余ることばかりだ。まさしく大人の社交場という感じの空間に圧倒され続けていた。
「おや、そこの綺麗なお嬢さんはおひとりですか?」
「どうですか? 私とダンスでも」
ため息を吐きそうになるのを堪えていると、いつの間にか身なりの良い男性二人に囲まれていた。
私の容姿や服装を褒め、しきりにダンスに誘う彼ら。視線がちらちらと私の首筋や背中に向けられているのを感じた。
「あら、えっと……」
「失礼、この子は私の同伴者でして……何か失礼でもありましたか?」
どうしようか、と戸惑っていると、先生が戻ってきてくれた。
サッと私と彼らの間に入り、私のことを守るように立ちふさがってくれる。
「ああ、いや……」
「ノア、手を。それでは失礼します」
差し出した手の上に私の手を乗せて、綺麗な所作で一礼してその場を立ち去った。
────少し先生の顔がいつもよりも鋭かったのは、きっと気のせいなのだろう。
「ちょっと緊張しちゃったかな? 早めに帰ろうか」
そのままの勢いで会場から抜け出した。さっきのできごとのショックが急にきて、私の肩が少し震えてしまう。
そんな私にジャケットを羽織らせてくれた先生は、いつもの優しい笑みを浮かべていた。
***
「あ! ユウカにノア、助かったよ~……書類が終わらなくて~」
「もー、先生はほんと仕方ないですね」
次の日。
ユウカちゃんと一緒にシャーレに足を運ぶと、ぐでっと机に突っ伏した先生が情けない声を上げていた。
そんな先生の姿を見て、隣のユウカちゃんが心なしか嬉しそうな声で先生の元へと駆け寄っていく。
私はというと、普段通りの先生に少しホッとしていた。
「いや~なんでこんなに書類が多いんだか……」
ぶつくさと文句を言う先生が、参った参ったと髪をかき上げた。前髪が後ろの方に動いて先生のおでこが露になる。
昨日、散々目に焼き付いた光景。その日のできごとがフラッシュバックして、顔が一気に熱くなった。
「ノア? どうしたのよ、ボーっとして……ノア?」
ユウカちゃんが不思議そうに私に声を掛けるのにも気が付かず、真っ赤にした顔を両手で抑えてその場にしゃがみ込む。
────先生は、ほんとうに……ずるいひとです。
自分の記憶力の良さを恨めしいと思ったのは、これが初めてのことだった。