先生に大人な本気のエスコートをされて脳を焼かれる生徒たちの話 作:アラベスク@arabesuque_38
『先生、少し遠出をしませんか?』
そうハナコに誘われてトリニティから離れた郊外へと足を運んだ。目の前には閑散とした砂浜が広がっている。
近くにキヴォトスで有名な海水浴場があるからなのだろうか。先ほど通り掛かった時にちらっと見えた色とりどりのビーチタオル。砂の上を飾る鮮やかな色彩は、ここでは見ることができなかった。
砂の中に置き去りにされたビーチサンダルが、押し寄せてくる白い波にさらわれていくのが視界の端に映る。
照り付ける夏の日射しに額を拭い、日に焼けてチクチク痛む首の後ろに手を回す。打ち寄せる波の心地よいメロディとは対照的に塩気のある空気が肌に纏わりついた。
目的地はもうすぐだ。ビーチのすぐ傍にあるベンチ、備え付けられた大きなビーチパラソルの下に見知ったピンク色の髪が目に入る。
夏らしい袖のない純白のワンピース。大きなリボンのついた麦わら帽子と相まって涼し気な印象を見る者に与えていた。
「待たせちゃったかな?」
「いえ。私もちょうど今来たところですよ?」
駆け寄った私を一瞥して、ハナコが開いていた本を閉じる。挟まれた栞の位置は、ちょうど本の真ん中辺りだった。
立ち上がろうとする彼女に手を差し出す。素早く二回まばたきをして私と私の手を交互に見つめた彼女が、にっこりと笑みを浮かべながら手を取った。首筋が少し赤く染まっていたのは────暑さのせいなのかもしれない。
「ありがとうございます、先生」
ベンチに敷いていたハンカチを軽く払い、ハナコが優雅に一礼する。風に吹かれて優しく揺れる帽子が彼女の顔を隠した。
漂ってくるココナッツの匂い。明るくてフレッシュな甘いフレーバーが優しく鼻腔をくすぐった。トロピカルでセクシーな雰囲気の人を惹き付ける芳香に、一瞬意識を奪われてしまう。
「その服、良く似合ってるよ」
「まあ……ふふっ、女性の服装をまず褒めるなんて……先生はお上手ですね♡」
「お世辞なんかじゃないよ。そういうお嬢様みたいな服装は、ハナコにとっても良く似合ってる」
斜め下に視線をずらし、ゆっくりと唇を湿らす。口を開いては閉じる、を繰り返す彼女の言葉を黙って見守った。
「……うふふっ。先生、白い服は透けやすいと言いますよね? どうですか? 私の服は見えてしまっていますか?」
「見えてないよ。もしかしてなんだけど……」
「ふふ……先生のご想像にお任せします♡」
ぎゅっと胸の下で腕を交差させるハナコ。持ち上げられて強調された彼女の豊満なふくらみの下にそれらしきラインは見えない。
避暑地にいるご令嬢のような恰好の彼女が、小悪魔のような笑みを湛えて私のことを見つめていた。
私のことを困らせることを意図した言動。彼女自身が自らに貼った『浦和ハナコ』というレッテル。
最初に彼女の胸の裡に踏み込んだのは私の方なのだから、今度もそうさせてもらうとしよう。
「照れてるの?」
「そ、そんなことは。たしかに、少し顔が熱いですが……いえ。もう行きましょう、先生」
以前彼女が言った通り、他人にどう思われているのかとか、自分に何を求められているのかとか……そんな些細なことは気にする必要がない。
だって──ここには私と彼女しかいないのだから。せっかく遠出をして二人きりで
過ごせる貴重な時間なのだから、いつもと違う彼女を期待するのはおかしなことではないだろう。
普段よりも少し早口で、何度もまばたきをする彼女を内心でほほ笑ましく思う。
「じゃあ手、繋ごうか」
──だからこれは、ほんの少しのいたずらごころ。
「……手を、ですか?」
恭しく差し出した私の手から目を逸らし、彼女が帽子を目深に被り直す。髪を耳にかけながら「えっと……」とか「その……」とかモゴモゴと口の中で言葉をこねた。
「……先生は、その」
意を決して絞り出された言葉。
「私のことを辱めて……楽しいのですか?」
「言い方」
目元を赤く染めた彼女の言葉にぷっと噴き出して、おずおずと差し出された彼女の手をぎゅっと握り返した。
***
水中へ伸びた埠頭。それに沿うように並ぶ大小さまざまな大きさのボート。水路に沿って設置されたコンクリートの歩道を二人で並んで歩く。鎖が風に吹かれて帆柱に当たり、カチャカチャと金属音を響かせていた。
身体に照り付ける太陽の熱。空に向かって伸びた帆の張られていない帆柱の向こうに見える雲ひとつない青空。
人目の少ないビーチで繋いでいた手は、マリーナに着くなりハナコに振り解かれてしまっていた。
「ハナコの髪って綺麗だよね」
肌を伝い落ちる汗を拭い、帽子を押さえる彼女の潮風にたなびく髪に目を向けた。木の枝が風に揺られてカサカサと音を立てている。
「うふふっ。そんな風に言われると、私も照れてしまいます。こう見えてしっかりと手入れをしているんですよ?」
珍しくはしゃいだ声。口元に手を当ててこぼれそうになる笑みを隠す彼女を見て、思わず目を細めた。
肌を焦がすような暑い日射し。燃えるような熱が腹の底から全身に広がっていく。その夏の暑さに突き動かされるように、手に持った袋を彼女に差し出した。
「海の近くだと髪が痛むだろうから」
高級感のあるおしゃれなデザインの携帯用くし。つい先ほど、ハナコが席を外している隙に買ってきたものだった。
「…………誰にでもこういうこと、していたりします?」
眉をひそめ、鋭く細められた彼女の視線が私の瞳を射抜く。
たしかにこれは────以前、彼女に対して示した線引きの向こう側。
「ううん、ハナコにだけだよ」
それでも、彼女には……普段見せない表情を、見せてもいい──と、そんなことを思ってしまっていた。
以前叶えてあげられなかった大切な生徒の、可愛いワガママを叶えてあげられたのだから。今日のような、暑い夏の日だから……たまには彼女のことを振り回しても、許してくれるだろう。
「もう、先生は……すぐにそういう……本当にズルいひと……──いえ。ありがとうございます、先生。大切にしますから。 ……だから、ひとつだけ。ひとつだけ……ワガママを言ってもいいですか?」
「もちろん」
間髪いれずに答えた私の言葉に、彼女が満足そうに頷いた。
眦を下げ、口元が三日月のような弧を描く。
「……私の髪、といてくれませんか?」
少し頬を赤らめて、おずおずとこぼれた願い。
「ふふ、以前約束しましたよね? ワガママになっても良い、と」
ワガママというには可愛らしすぎるその願いを、
「あの時の先生は簡単に返事をしてしまって……私、記憶力がいいんです」
その先を期待する────そんな言葉を残した彼女の想いを、
「──……そうだね。約束だから、いいよ」
「まあ……いいんですか?」
満面にほほ笑みを浮かべながら、彼女のワガママを受け入れた。
「夏だからね」
トリニティでもなく、私たち以外誰もいない空間。
もう少しだけ……何も着飾っていない、ありのままの私。『先生』ではない私を、彼女に見せてしまってもいいだろう。
だって彼女も──年相応の女の子なのだから。
サラサラとした長い髪に慎重にくしを入れていく。
隙間から見えた彼女の耳が、彼女の髪と同じ色に染まっていたのは────、
────きっと、夏のせいだろう。