公開は07年11月からとなります。
「令子さん、すごかったっスね。金ですよ!金のザリガニっスよ!」
「シンジくん、あのねえ。」
「大々的に記事にしましょ!」
「しないわよ。」
セミショートの髪が女性である事を切り捨てているようでありながらにじみ出てしまっている桃井令子は24歳。確かシンジが出会った頃はショートボブだった。まだ夏の熱気が漂う季節に、白いTシャツをこれまた女性を廃するようにビジネスライクに着こなしながら、どことなく女性が漂うカジュアルを醸し出している。一枚脱いだら絶対に金になるプロポーションなのに、とシンジは下心無くして注視できない。
「え?」
この手の女性にはありがちな、有能な男性にはトゲがあり、無能な男性には失望を隠さない物言いに、シンジは逆に憧れを抱く。令子はシンジに呆れている。
「当たり前でしょ。あれってグレーにラメみたいな顔料混ぜて、黄色加えたマーカーよ。」
「に、ニセモノって事っすか!」
「当たり前よ。女はね、毎日色と格闘してんのよ。あの程度で騙されるはずないじゃない。」
「あのジジイ!一発ぶん殴ってやりますよ!」
「待ちなさい、いい、あんなザリガニが問題じゃないの。取材としてはあのジジイ、あらいけない、あの老人がそんな真似をしでかした動機に焦点を当てるわ。老人が奇行に走る現代社会の病理を記事にするの。いいわね。」
小難しい単語を並べられて面食らうシンジだった。令子はかまわず手帳を取り出し、シンジに指示出しをする。
「あの老人、息子さんが一人いるわね。文京区白山、ずいぶん高いとこに住んでるわ。取材いってちょうだい。」
「あ・・・・」シンジはなお戸惑っている。
「息子さんに、あの老人の経済状況や最近起きた主立った出来事を聞いてくるの。そのくらいなら貴方でもできるでしょ。」
「え・・・・・」令子の意図が読めず困惑するだけのシンジ。
「いいから!じゃあここに質問事項書いとくから、」令子はシンジに速記でメモを書き上げ手渡す。その間30秒もない。そこに彼女の優秀さとキツさの源泉がある。「この通り質問して、相手の言う通りメモを取って私に渡す。いい、貴方の仕事はそれだけ。まっすぐ行って直ちに聞いて、私に連絡を取ってその場で待ってるのよ。いいわね。」
「あい・・・」シンジの毎日は令子にこのようにこと細かな指示によって成立している。
「じゃあ、私はちょっと浅倉威について、北岡くんに取材する事があるから。」
「くん?」
北岡‘くん’という言葉がひっかかって頭に疑問符が浮かぶシンジ。シンジのようなタイプだからこそこの手の表層的フラグに敏感だ。
「取材って言ってるでしょ。それより、貴方ね、いい加減事務所から荷物全部出して、自分の住むとこくらい早く見つけなさいね。もう半年も事務所に住んでるじゃない。変なニオイしてたまらないのよね。」
とすばやく対応して捲くし立てる令子だった。
令子に言われるままに雑務をこなす。これがシンジがOREジャーナルでしてきた事の全てだ。
今日も令子に言われた通り、靖国通りから入って白山通りをホンダズーマーで北上。変に道に迷って東大の赤門など横目に見つつようやく辿りついたマンションの一室には「榊原」なる表札が掛かっていた。
「なんじゃこりゃ。」
不思議な室内空間だった。
まずシンジは玄関のチャイムを鳴らした。数分鳴らし続けてついには隣の部屋の主婦を怒らせ、榊原なる人物がここ数日留守である事を知る。この場合のレクチャーは令子から過去に教わった事がある。管理人に部屋を開けてもらうのだ。さっそく新聞記者の名刺を見せて開けてもらった部屋で見た光景、それが、不思議な空間だった。
光が差さない空間だった。具体的に、窓はカーテンで閉め切られ、金属類は新聞紙で包み、ドアノブも同じく新聞で包んでガムテープで固定している。そして浴室の鏡、テレビのブラウン管、パソコンのディスプレイもまた新聞紙を貼付けている。
管理人が呆れ声を上げて、新聞紙を全て剥がし始める。シンジはただ管理人の行動を呆然と眺めるだけであった。
「なんだろナー、変質者かナー・・・・・あれ?」
光が差したところでようやく感づいたシンジだった。部屋を天井から壁そして床まで眺め回してみると、反射で光沢を放つフローリングの床に、一枚野球スナックのおまけか、トランプのようなカードが落ちている。
「S、E、A、L・・・・、あ、シールなんだ。」
と言いつつ部屋を出ながらカードを無理に二枚に裂こうとするシンジ。管理人も泣き面に蜂がどうの言いながら既に退出し、マンション通路でとりあえず令子に携帯を繋いだ。
「はいぃぃぃ!すいません!」
驚いた拍子にカードを破いてしまうシンジ。
令子に老人の息子、榊原耕一が行方知れずである事、残された部屋が奇怪である事を連絡した。だが令子はレクチャーした通りの段取りをこなしたシンジに、見えない手で圧し潰すような声で叱りつけた。奇怪な事が起ったのに、その奇怪な部屋を保存しなかったからだ。
「お、お、おおっ、シュワーって」
それは炭酸ソーダをコップに注いだような泡が吹いて徐々にその物質を蒸発させていくカードの消失だった。非現実的な出来事に思わず擬音描写してしまうシンジ。
「い、いえなんでもありません、わ、わかりぇ、噛んじゃった、わかりましたぁ!お待してますです!!」
その意味不明な態度をさらにキレられた携帯越しの令子にややこしい事を説明するより平謝りする事を選択したシンジだった。
・・・・・・
「あ、またあの音がする、」
マンションの屋外駐車場。
ここ半年、頭に聞こえるテレビの試験信号のような音。どこから聞こえているのかよく分からない、シンジにしか聞こえない、もしかして単なる幻聴かもしれない音。シンジ自身もはやその存在を信じていないが故にまた頭をコヅいて音をかき消そうとする。
「あれ?」
シンジは思わず目を疑った。駐車場、縦列に並ぶ乗用車の光沢ムラがまるで巨大な蛇のようにシンジの右から左、その左端に立つ少女の前まで流れていく。本当に光の反射であるならよかったが、まるで赤い龍のような実体がシンジにははっきりと見えた。
「まんが日本昔ばなしみてえだ・・・・」
少女がいる前でそんな事を口走って思わず口を塞ぐシンジ。だがそれはシンジの目には東洋系の龍、蛇神ナーガ、もしくはワニの錯覚という起源、想像上角は鹿、頭は駱駝、眼は兎、体は大蛇、腹は蛟、鱗は鯉の赤、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るそれが確かに見えたような気がした。確かに見えた、でも、見えたような気がした、でもない。
「アナタ・・・・・」
「なんでもないっス、なんでもないっスから!」
シンジは自分があまりにオカシな様子だと自覚しているから、少女が声をかけてきた時は病院か警察に連れていかれるような想像をめぐらせてとにかく掌を横に振った。だがそのシンジの動作を抑えつけるように、両手をシンジの肩に置く女性だった。
「もしかして、かめんらいだぁー、なの?」
少女は、良く言えば人形のような現実感の無い細身でショートカットの少女だった。学生か今年社会人という年だろう。霧島美穂をさらに削り込んで、やや栄養失調な印象すらある細い腕がシンジの肩を揺すった。
「は?オレ、バイクは乗るけど・・・・」
「警戒してるのね、トボけてもダメ、アナタが見えている事は今分かったわ。」
「見えてる?」
「いい加減にしてください。ミラー・クリーチャーモンスターを見たかと聞いています。」
「クリーチャー・・・・あ、あれ、幻覚じゃないのか!ない、ないんですか?」
「アナタ、カードデッキを持ってる訳じゃないの?ボクと同じ?」
いっぱいいっぱい分からない単語を言われて口をアグアグさせるシンジ。だがそのシンジの困惑はもう一人の女性の奇声によってなし崩しにされた。
「なに女の子とイチャついてんの、ド新人!」
シンジの背後から令子が怒鳴りつけてきた。ヒールをけたたましく響かせながら猛進してくる令子の美しい顔はVの字に歪んでいる。
「あ、あ、その」
もしかしてこれって嫉妬のフラグ?
などとボケた妄想を反射的に思うシンジは、しかし次の瞬間、令子の背後に駐車するプリウスのドアに映る影に声を上げた。
「令子さん、」
「危ない!」
と同時に叫ぶシンジと少女。その影は確かに赤い龍の像を持ちしかも吠えるという音声までもリアルに表現していた。その鳴き声は野太く骨が震えた。
「誤魔化さない!」
しかし見る事も聞く事もできない令子はフザけていると感じ、さらに歩みを寄せてくる。その背後、ドアの光沢から飛び出す龍。シンジは辛うじて二次元だったモノが三次元化してきてさらに仰天する。しかし令子は気づかずただ車で轢かれたような衝撃を背中に受け失神するだけだった。
「令子さん!」
そして令子に突進した赤い龍はもろともシンジと少女をも轢き飛ばす。
ぐぁぁぁぁぁ
シンジは一瞬背後に駐車するフィットに衝突すると思って目を閉じた。しかし3人にその衝撃は無い。衝撃が無いどころか龍に圧されるままリアルに存在するはずのフィットのドアを素通りする。車を透過しているのではない。シンジの目の前には光輝くリアルの質感が無い映像的な通路が開け、そして再び駐車場の映像へと飛び出す。赤い龍は‘その世界’へ3人を圧し出して宙高く掛け登っていく。
「‘ミラーワールド’に引きずり込まれてしまった・・・・」
少女がシンジにそう言った。
「ミラー?」
シンジは失神した令子を揺すって、その少女の聞き慣れぬ単語に反応した。
「ホントに知らないのですか?ここは鏡の世界、全てが反転している。」
シンジは少女が指差すビル屋上の看板を見た。そこには少女の言う通り‘CanCan’の文字が線対称に反転している。隣のビルの‘雪印’の文字も反転している。シンジは軽く酔いそうになった。
「なんだこれ、」
「でもここにあるのは鏡で映された建物だけ。人はたぶんボク達3人。命のあるものは、」少女は上空の龍を見上げる。「たくさんいるけど。」
確かに建物や車は見えるものの、人の気配がまるで無い事がシンジでも分かった。まるで世の中全てが静止した画像であるかのように音が無いのである。
「たくさん?!あんなのがここじゃ何匹もいんのかよ!」
というシンジの叫びが合図になったのだろうか。まるで水面から浮かび上がるようにアスファルトから透過してくる影の一団。人型をしているもののやはり人間ではない。頭部に生える2本のドリル状のツノ、顔はカモシカのように見えなくない。
「ガゼールまで、アナタ、本当にライダーじゃないんですか。」
「ライダーってなんスか?!」
「マスクド・ライダー、あのクリーチャー達を唯一倒せる者です。」
「そんな、テレビのヒーローみたいなの、いるならこっちが助けて欲しいやい!」
少女は爪を噛んで、レンがいれば、と小声で唸った。それが運命で繋がれた人物の名前、固有名詞である事すらその時のシンジには分からなかった。
ぉぉぉぉぉ!
上空を舞う龍が吠えた。あちらの世界にいる時よりもなおけたたましい。宙返りしながらシンジ達3人めがけて急降下してくる。
そこへ涙滴型のバイク、
『アドベント』
そして龍めがけて体当たりするウマ顔の化け物が出現、化け物はよく見るとやや金属質のボディを持ち、黒と白の縞模様に覆われている。これもやはりミラーワールドのクリーチャーか。
「適当にあしらってろ‘ゼブラスカル’」
シンジ達3人の前に停車する屋根付のバイク、『ライドシューター』から涙滴の斜角状のつまり前面が軸になって上下に分割し、搭乗者が立ち上がる。
「テレビのヒーローだ・・・・」
今日一番の驚愕を顕すシンジ。ミラーワールドと呼ばれる世界も、クリーチャーと呼ばれるモンスターも、それはあまりに架空過ぎるテレビな存在であるからこそ肯定できる。しかし、このバイクより降り立った男は違う。人語を語りつつも異形であり、素顔なのか仮面なのかすら判別できない。いわゆる人というリアルと架空の中間にして接続する存在が、架空の恐怖をリアルに雪崩込ませる驚愕なのだ。
全身がゼブラスカルと同じ縞模様の繊維で身を包み、胸、両肩、そして頭部は金属質の装甲、全体的に西洋甲冑の風味がある。だがシンジはなぜかそのベルト、やや大きめの長方形バックルに馬を象った紋章が刻まれている事が気になって気になって仕方なかった。
「蓮!」
「優衣!」
少女がこのバイクマン、ライダーと周知の中である事を知るシンジ。
「あ、あんた、人間なのか?いったいなんなんだあんた」
肩を掴んで強引に振り向かせるシンジ。そのシンジに無言で眺めるだけのライダー。
殴りつける、
「っが」
鼻血をあげて地面に頭を打ち付けるシンジ。
「蓮!どうしてアナタはそうなのっ」
「加減はした」
まるでハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を受けつつもシンジは、朦朧としながらも、ライダーの奇妙な行動を見た。ライダーはベルトのバックルに収納されている同じく長方形のカードを取り出す。シンジが榊原の拾ったものとほぼ同じトランプ大のカード。その者は左腰に差した剣、長さにして70~80センチ、刃の幅は3センチ程のサーベルに近い形状の中でも、握り拳全体を保護できるナックルガードがあるシンクレアにもっとも似ている。ナックルガードはやはり馬の顔を象っている。その剣を掴み、カード持った片手で、柄頭を引く。するとメカニカルにナックルガードが縦割れし、長方形のスペースが現れる。そこにカード収め、柄頭を掌で押すとナックルガードが元に戻る。
『ソードベント』
それはミラーワールド全体より響く機械的な肉声だった。もしかしてミラーワールドの意志かもしれない。
天空の一点がキラリと光る。光った一点よりなにかがライダー目掛けて降ってくる。それを見もしないでタイミング良く掴むライダー。よく見ればそれは3メートル程の、三角錐のランスと呼ばれる武器に似ている。
オレ、見た事あるぞ、
なぜか朦朧とするシンジは、そのライダーの様が馴染みの深いもののように感じた。
ェェェェェェェ!
ライダーの突然の出現で警戒していた10数体のカモシカ型のクリーチャーが吠えた。
「蓮、」
「しょせんガゼール、クリーチャーの中では最弱だ。いくら数があったところで、今のオレには通用せん。」
ガゼール、特にジャンプ力とスピードに秀で、ミラーワールドにおいて最大の繁殖数と種類を誇り、絶えず10匹以上の単位で行動する。
「問題はあのドラグレッダー、」
目前のガゼールを余所に上空を見上げるライダー。先程使役した人型の縞馬、ゼブラスカルアイアンが赤い龍、ドラグレッダーに噛付かれ墜落していく。
ドラグレッダー、およそミラーワールドにおいて数匹いるかいないかという希少なクリーチャー。絶えず宙を舞い、その破壊力と強靭な肉体は、クリーチャー中最強に近い存在と呼ばれる。
ェェェェェェェ
そのライダーに隙を見出したガゼール軍団が一斉に襲いかかってきた。
一閃一閃一閃、爆破爆破爆破、
「すげ・・・・・ホントにヒーローだ、」
暗いスーツに身を包んだライダーが、ガゼールの群れを、一閃ずつ迎え撃ち、その一閃だけで破壊していく。一気に半数減らしたガゼールは萎縮で再びライダーと距離を取る。そうクリーチャーは死ぬのではなく破壊される。
グォォォォォ
だがそのライダーの直上、ドラグレッダーが口を開けて迫っている、
火焔、
「くそぉ」
ドラグレッダーの大きく開いた口から炎の球が吐き出され、ナイトは咄嗟に腕で顔面を覆ったがしかし直撃を食らう。食らった衝撃でライダーの体が宙を浮く。
「蓮!」
優衣と呼ばれた少女が絶叫した。ドラグレッダーの尾が宙を舞うライダーを掬い上げるように弾き、まるで塵が飛ぶように軽々とマンションの屋上へ消えていった。その衝撃は人間の五体をバラバラにしかねない。なまじ表情が見えないマスクの顔が、少女の悲壮感をなお掻き立てた。
ェェェェェェ
再び勢いを盛り返すガゼール軍団。
「オレだよな、この場合、オレ、オレがなんとかしなくちゃいけないんだよな・・・・」
シンジの視界には困惑や驚愕、喪失感が入り交じった恐怖の表情に染まった少女と、未だ失神している令子が映っている。シンジはこんな時気丈に周囲を気遣っていられる自分が不思議だった。
「は、早く逃げて!」
ガゼールの一体が少女のショートボブの髪を鷲づかみにした。少女自身はもう観念したのか、せめて二人が助かればいいと思っているようだ。
「放せ!」
だがシンジはそのガセールに向かって肩からぶつかった。やや蹌踉けたガゼールはしかしその程度でどうなるものでもない。ただ少女よりもシンジの方に興味が移ったらしく、ガゼールはシンジにその長いツノを向け突進、
「え」
腹部にすんなり刺さった。
なぜか痛みすら無かった、あまりの傷で痛覚が麻痺している程なのだ。
そんなすんなりした最期だった。
オレ、なにやってんだろ、
令子がガゼールの大軍に塞がれて視界に入らなくなり、ただその震えた片手だけがガゼールの群れの隙間から伸ばしていた。グチャグチャと音がした。だが震えが止まったとき、ふいにガゼールがその令子の手を掴んだ。餃子を作ってる時こんな音を聞いた事がある。引っ張り出すと二の腕から先が無かった。令子を囲んだ中心から突如光る珠が浮かび上がった。浮かび上がって上昇しようとする珠を一匹のガゼールが跳躍して掴み、珠は見る見るうちにそのガゼールの胸元から吸収されていった。
オレ、ホントなにやってんだろ、
シンジも又ガゼールに囲まれ、視界が閉ざされる。
辛うじて隙間からあの少女が呆然と立ち尽くしているのが見える。あまりの絶句に喜怒哀楽を忘れたようだ。
結局オレはなにもできないんだ、いつもそうだ、
城戸真司の人生が終わった。