帝国の旗を掲げよ 作:ドイツ軍ファルマート大陸軍集団
歴史
1プロローグ
1950年のヨーロッパ
そこには史実とは違う、別の歴史を辿った戦後世界が広がって居た。
この世界における最大の相違…
それは、ナチス・ドイツが妥協の末にではあるが、戦争に勝利した事である。
1940年のポーランド侵攻に始まった第二次世界大戦
その後の、デンマークノルウェー侵攻
そして、マジノ線を迂回し、アルデンヌを通りフランスへと侵攻する黄色作戦
この作戦でドイツ軍は、史実では現場将校と、軍内部での権力闘争の結果、多くの兵士を逃してしまったダンケルクに追い詰められたイギリス軍とフランス軍を、この世界では完全に殲滅。
その後、ドイツ軍はパリを占領しフランスは降伏した
その後、ドイツ軍は最後に残った連合国加盟国である、イギリスを倒す為に、航空攻撃によるロンドンおよび、イギリス本土への攻撃を開始。
ダンケルクで、主力部隊を全て失い、抵抗する力はほぼ残っていないであろうとたかを括ったドイツ軍であったが、予想を遥かに超えるイギリス空軍の頑強な抵抗により、イギリス本土攻撃は難航した。
史実では、この頑強さにヒトラーはついに痺れを切らし、イギリスを後回しにし、ソ連へと侵攻するのだが、この世界ではヒトラーが徹底抗戦するイギリスの撃破に注力すべしと判断、その結果1940年10月、イギリス本土と植民地を遮断し、経済、物資的に追い詰め、イギリスの継戦能力を削ぐ為に、イタリア軍との共同作戦で、北アフリカ攻略作戦を立案。
最高総司令官としてエルヴィン・ロンメル上級大将
副司令官としてイタリア軍のジョヴァンニ・メッセ大将
後のドイツ・イタリア軍の名将と呼ばれる二人を、司令官と副司令とする磐石の布陣の元
総戦力60万の兵士
1500両の戦車で編成されたアフリカ軍集団を編成し、北アフリカへと攻め込む事を決定した。
ドイツ空軍はイタリア空軍と海軍の協力の元、総力を上げ地中海の制空権及び制海権を確保後、緑の悪魔と恐れられた降下猟兵部隊を用いクレタ島を攻略した後に、スペイン義勇軍と協力し、ジブラルタル海峡を制圧
その後、イタリア海軍とドイツ海軍の猛攻撃により、イギリス地中海艦隊を殲滅し、地中海の制空、制海権を奪取した後に、作戦が開始された。
イタリア領リビアのエル・アラメインを拠点に、イタリア植民地軍および、10万のドイツ軍が攻撃を開始、イギリス軍の駐留部隊がその攻撃に釣られ、エジプト西部へと軍を移動させ、手薄になった所を、イタリア海軍と、ドイツのU・ボート部隊に護衛の元、40万人のドイツ・イタリア連合軍がイギリス領エジプトへと上陸攻撃を開始。
ロンメル将軍立案の大規模上陸作戦、史上最大の上陸作戦と呼ばれるヴェネチア作戦の成功により、アレクサンドリアは陥落。
そしてエジプト西部に誘い出されていたイギリス植民地軍本体も、上陸したドイツ軍戦車部隊、そしてヴェネチア作戦にて、囮部隊の役割を担っていたイタリア軍の背後で、予備戦力として待機していたドイツ軍の挟撃により殲滅され、カイロ、スエズ、シナイ半島が陥落した事により、イギリス軍はついに講和の席に着いた。
1941年5月10日
ドイツ占領下のヴェルサイユ宮殿にて講和会議が行われその結果、以下の事が決められた。
1.エジプトとスーダン、ジブラルタル海峡、スエズ運河の領有権放棄
2.500億マルクの賠償金支払
3.それら上記の事を履行する代わりに、それ以外の植民地利権の補償を、ドイツとイタリア両政府は確約する。
他にも、条約内容はあったが、概ねこのような条件が、イギリスに突きつけられた。
そして、度重なる敗北で、首相職から失脚していたチャーチルの代わりに、首相に就任していたハリファックスは、この第二次ヴェルサイユ条約と呼ばれる、イギリスの敗北宣言とも言うべき条約にサインし、イギリスとドイツの戦争は終了した。
そして満を持して1941年6月22日
背後の敵を片付けたヒトラーは、いよいよ我が闘争に記してあった自身の野望であるロシアの植民地化、すなわち東方生存圏の創設の為、ソ連へと侵攻する事を決意し、同盟国や傀儡国家の軍隊と共に、持てる全ての戦力を持って、腐った納屋であるソ連へと殴りかかった。
だが当初は圧倒的物量と戦力と高性能な武器と、その武器を使う兵士達の高い練度、そして何より、スターリンの粛清によりソ連軍が大幅に弱体化していた事もあり連戦連勝、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国を陥落させ、ドイツ軍はモスクワまであと一歩と言う所まで迫まり、勝利を確信した。
しかしその目論見はことごとく敗れ去った。
1941年11月
史実通り冬将軍に襲われ、ドイツ軍の前進が停止、追い打ちをかけるように極東から移動させて来たソ連軍の大部隊がモスクワに到着し、反撃が可能なほどの戦力が整った事を確認したスターリン率いるソ連共産党首脳部は、このモスクワにてドイツ軍相手に、決戦を行う事を決意。
140万人と3,000両の戦車を持って、ドイツ軍中央軍集団へ攻撃を仕掛け、見事撃退に成功した。
だがモスクワの戦いで勝利は得たものの、初戦で300万人以上の戦力と大量の装備を失い、何より英国が戦争から離脱し、どこからも支援がなく、孤立無縁で戦う事となったソ連軍は、ドイツ軍相手に勝ち切る自信を喪失
一方のドイツ軍も、イギリス軍とのエジプトでの戦いにおいて、ゲリラ化した植民地軍やインドや中東からの増援で編成された部隊との戦いで、予想以上に疲弊し、その上冬将軍の直撃によりソ連へ侵攻した戦力も疲弊していた。
それにより、軍部や一部党幹部らは、これ以上戦えばドイツの敗北もあり得ると考えヒトラーを説得し、話を聞いたヒトラーはコレは一時的な休戦だと述べた上で、しぶしぶソ連との休戦交渉を行う事を決めた。
1942年8月20日ドイツ占領地であるムツェスクにて両国の講和会議が開始。
当初、領土や賠償金、その他の理由で、もめに揉めた講和会議であったが、以下の通りに決まった。
1.ウクライナのドニエプル川以西、ベラルーシのブレスト、フロドナの両州、リトアニア、ラトビア西部をドイツの領土として割譲
2.スケープゴートとして国内にいるユダヤ人に今回の戦いの責任を全てなすりつけ北極圏へ追放する
3.その代わりに、ドイツ軍の全戦力を、上記の領土以外のソ連領土から直ちに撤退さ、撤退後も旧ソ連領に駐留させる戦力は陸軍20万人、戦闘機200機、爆撃機は配備しないなど、旧ソ連領での戦力を制限する事で合意に至たり、更にそこから何処で講和条約調印を行うかの会議の末、1942年9月1日、ソ連とドイツは、北ドイツの港町であるフレンスブルクにて休戦条約を締結。
フレンスブルク休戦条約の締結により、ドイツが引き起こした全ての戦争は、完全に終結した。
それから時は流れ、終戦から8年後の1950年
ヨーロッパには四つの勢力による冷戦が行われていた。
大戦に辛勝し、ヨーロッパでの絶対的な影響力と中途半端な東方生存圏を確立し、ソ連への再戦を虎視眈々と狙っているナチス・ドイツ
ドイツの侵攻を辛うじて防ぎ、ドイツへの警戒を強めつつ、失った領土奪還を狙うソ連軍
両国の動向を静かに見守るイタリア
そしてアメリカ主導の自由主義陣営、大西洋自由条約機構に加盟するイギリス
西と東
南と北
四つの大国による冷戦…
主要な冷戦国である、ドイツとソ連の政体から、全体主義冷戦と呼ばれる冷戦
両国の力の多くを軍事力と諜報活動につぎ込み、いつか来るであろう次の戦いに備える
そんな静かで、そして冷たい戦いが、この世界のヨーロッパでは繰り広げられていた。