イグネー   作:西風 そら

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 約2万文字、全8話で完結


序

   

 

 草原の不思議。

 

 太古より変わらない不思議。

 

 

 二人の子供が歩いている。

 大きい子供は生まれて十年かそこら、

 小さい子供は足元がおぼつかない。

 簡素で最低限の服装。

 何も持たない。身ふたつで。

 風にたなびく萱草の中、手を繋いでひたすらザクザクと歩いている。

 

 晩秋の厚い雲から薄日が差す。

 小さい子供がしゃがみ込んだ。

 大きい子供が前に回って背負い上げる。

 細い背中に余る、はみ出した足。

 多分この子には背負いきれない。見るからに分かる。

 

 

 風が子供の首筋から頬へ抜ける。

 

「ウマハ?」

 

 子供は目をパチパチさせて振り向いた。声の主は見えない。

 

「うま?」

 

「キミラノ、ウマ」

 

「馬ってあの四つ足でパカパカ走る奴? 知らない、いない」

 

「…………」

 

 風がザッと舞い上がった。

 と、すぐにまた落ちて来て、子供の前髪を揺らせる。

 直後、目の前の草が一本、フサリと倒れた。

 

「なに?」

 

「アチラニ、オトナノ、ニンゲンガイル」

 

「ああ、そう」

 

 子供はくるりと踵を反して、反対方向へ歩き出した。

 

「……マイゴデハ ナカッタ?」

 

「うん」

 

「…………」

 

「お父さんお母さんが死んじゃってから、知らない大人が大勢来て、うちの物を勝手に持って行ったり、お母さんの桑折(こおり)をグチャグチャに掻き回したり。今日はいきなり遠くへ連れて行くって言われた」

 

「……トオクヘ、イキタクナイ?」

 

「妹と別々の場所に行かなきゃならないって言われた。だから逃げて来た」

 

「…………」

 

 後方の草が揺れて、幾人かの息遣いが聞こえる。

 子供は頑張って足を前に運ぼうとするが、そんな虫みたいな歩みでは逃げる事は叶わない。

 風には分かる。

 逃げのびたとて、見渡す限り何もない草原。

 何も持たない彼らは、その先どうなる物でもない。

 

 

 背の高い草原を抜けて来た数人の大人は、誰もいない空間に首を傾げた。

 今しがた子供の声を聞いたし、草を踏んだ跡も確かにあるのに。

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 鳥の声に、リッカは目を覚ました。

 兄と二人横になれるだけの狭い寝床なので、反対側に転がって降りる癖が付いている。

 

 夕べ雨が降ったらしい。草葉の湿った匂いが、洞穴の入り口から流れて来る。

 帽子を掴んで外へ出る。兄がくれた青い帽子。

 両手を頭上に伸ばすと、初夏の森の生き生きとした匂いが身体中に入って来る。

 

 大丈夫、今日もがんばれる。

 

 枝から落ちる滴を避けながら、この住み処で唯一、梢が途切れて空へ抜けた場所へ歩く。

 リッカの腕の一抱えもある天水用のカメに、満水の雨水がキラキラしている。

 良かった、これで畑の水はしばらく大丈夫。

 

 畑といっても畝が五つ六つの小さい物。

 兄は森を切り開いて畑を広げるような事はしなかった。二人分の口を賄えれば足りると。

 そのせいか、ここは獣に荒らされない。

 

 畑と作業場と食卓と、洞穴の前の少しの平らな空間が、リッカと兄の『住み処』だった。

 

 竹筒と二つの木桶を下げて、森の灌木に分け入る。

 住み処を出てきっちり二百歩で、シダの繁る岩場の湧き水に着いた。

 噴き出す穴に竹筒を刺して、流れる水を木桶に溜める。小さな溜まりと沢もあるが、飲み水は必ず湧き口から汲めと兄に言われている。

 

 水汲みはリッカの役割。

 記憶にある頃から水を汲んで運んでいる。

 幼い手に合わせて兄は木桶を作ってくれた。何年か毎に大きく作り替えて、今は五つ目。昔に比べて何往復もしなくてよくなった。

 それでも毎日の作業は大変で、雑水をくれる雨は大助かりだ。

 

 他の事は何でもやってくれる兄なのに、水汲みだけはリッカにやらせた。

 「命に繋がる一番大切な事だから」らしい。

 よく分からない。

 兄のやっている、鳥を捕ったり魚を捕ったり、畑を耕したり柵を作ったり、道具を作って外の世界へ売りに行ったり、街のトショカンで本を借りて来てリッカに文字や数字を教えてくれたり、そっちも順位を付けられないくらい大切な事だと思うんだけれど。 

 

 水が一杯になると桶を差し替えて、一つ目の桶を運ぶ。

 飲み水用のカメが一杯になるまで住み処と水場を往復するのだが、行きと帰りは必ず違う道程を、二百歩以上かけて歩けと言われている。

 他人に住み処を見付けられない『おまじない』らしい。たまに五百歩くらいの遠回りもする。

 

 今日は忙しい。保存食が尽きかけているから何か捕らなきゃならないし、雨上がりのキノコは開く前に摘んでおかなくては。気は急くけれど、兄の言い付けは守る。

 

 

 

 






挿し絵:表紙 
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