警察官と青年と、そして書記の若者もポカンとした。
女性はやりきった感満々の表情で、胸をそらして書類の束のバインダーを机に置いた。
「ジョシュア・ヴィーリヤ。北の街が管轄する、少数民族保護区の出身ね。八年前、両親が亡くなった時、せっかく行政が施設を手配してくれたのに、嫌がって逃げちゃったのよね」
青年は動揺の色を浮かべた。
叔父の警察官は唖然とする。そこまで調べろとは言っていない。
「十一歳の貴方はともかく、三つの妹の事を全然考えていなかったでしょ。逃げるなら一人で逃げて一人で野垂れ死ねば良かったのよ」
「待て、ちょっと一旦止めろ」
嬉々として自分の成果を披露する姪に、叔父は慌ててストップを掛けた。
「その行動の是非はともかく、ここでそんな過去の事を捏ねくり回しても意味が無いぞ」
「有るわ、新たに罪状が出来たもの。未成年の妹に対する虐待と、責任義務の放棄!」
女性は鼻から息を吐きながら続ける。
「あの子の、学校へ行く権利も文化的な生活をする権利も、みんな奪ってる! さすが小さい子を水溜まりに突き飛ばすだけあるわ、根がそうなのよ、子供の人権を無視する男!」
青年は茫然としながら、血の気の引いた唇を開いた。
「あんたにリッカの事をちょっとでも漏らした俺が馬鹿だった……」
「だって、妹宛の手紙を水場に置いて来てくれなんて、変だと思ったのよ。
逃げちゃったから話は出来なかったけれど、凄く小さい子じゃない、びっくりしたわ。ふつう自分が帰れないなら保護を頼むでしょ」
「え? え? そんな事を頼んでいたのか?」
警察官は双方を見てキョロキョロしている。
「しかも熊が出たのよ、あの西の森!」
「西の森って、あそこは立ち入り禁止だろ…… いや待て熊だって!? エバ、お前そんな危険な所に一人で行ったのか!?」
「叔父さんはちょっと黙ってて!」
女性は肩をいからせながら、青年に向き直った。
青年は女性を睨み付けているが、動かずにじっと座っている。
「貴方たち、リヤ族よね。ひと目で分かった。学校で少数民族の福祉に付いてのゼミに参加していたから。それで休暇を取ってあちらの地域に調べに行ったのよ」
「……リッカの目を見たのか」
「そう、息が止まったわよ、あんな
***
すっげえぇえ!!」
ヤコブの驚声に、リッカは帽子のツバを上げたままキョンとした。
下町の路地裏。
兄に会うためビョーインを目指している途中。
案内してくれている少年ヤコブの求めに応じて、帽子を上げて顔を見せた所だ。
「すごいの?」
「そんなキレイな目ぇ、見たことない」
「ふぅん?」
「ね、ちょっとそっち向いてみて。……うわあ。今度はあっち。……すごい。
あのね、横から見ると緑だったり、サッと桃が入って紫になったり。そんで真正面に向くと透明な満月みたいにキラキラしてる」
「へえ?」
「自分で見た事ないのか?」
「うん」
「うへぇ、勿体ないな、あ、病院行ったら鏡があるから、見てみたらいいよ」
「うぅん」
リッカは無表情で帽子を戻した。
「緑とか紫だとか言われても、リッカには分からないもの」
***
「妹は色覚異常(アクロマトプシア)だ」
学の無さそうな薄汚い青年の口から思わぬ医学用語が飛び出して、女性は面食らった。
「どんなに見掛けが綺麗でも、色が分からない、光に弱い、太陽の下ではすぐに目眩を起こして動けなくなる。『奇跡の目』なんて持て囃すのは他人事だからで、本人にとっては災難でしかない」
「そんな事ないわよ!」
女性は強い声で反論する。
「美しいというのはそれだけでアドバンテージだわ。少々の不便は……まぁしようがないじゃない。
現に北の街では、あの子を引き取りたいって裕福層が引く手あまただったみたいじゃない。障害があるなら尚更託せば良かったのに。貴方嫉妬したんでしょ? 兄だというだけの支配欲で、妹の将来を奪ったのよ!」
書記の若者は、文字を綴るのを一旦止めて、喋り続ける彼女の横顔を見上げた。
このエバという女性も、来訪すれば皆が騒いで覗きに来るほどの容姿を持ち、他の者なら通らないような要望でも便宜をはかって貰える事が多い。
(アドバンテージって……自覚があったのか……)
しかし若者は、十一歳で両親を亡くして障害を持つ三歳の妹と寄り添って生きて来たこの青年に、「大変だったろうなぁ」という気持ちしか湧かない。彼女のように罪の糾弾に結び付かないのだ。
綺麗な色の子供だけをペットみたいに欲しがる大人に大切な妹を渡したくなかったのは当たり前だと思うし、逃げたのは、十一の子供にはそれしか無かったんだろうと、切ない気持ちが先んじる。
(同じ事柄を聞いても感じる事がこんなにズレるのは、自分に学が無いからなのかな。エバさんのように上位の学校を首席で卒業するような人はまた、頭の構造が違うのかもしれない)
ふと上司の警察官を見ると、彼も自分と同じ気持ちなようで、顔をしかめて姪を見つめている。
若者は少しホッとした。
「それが災難なのだ。綺麗だ綺麗だと持て囃される事が」
青年は目の前の紙束を睨み付けたまま、呪文のように唸った。
「世の中にはそれを許さない者がいる。自分を上位に思っていたい者達は、見下したい者が自分よりいい物を持っている事を許さない。当たり前のように奪いに来て、奪えないなら壊してしまえという考えだ」
「何それ、言ってるコト分からない。被害妄想もいい所だわ」
「俺に対するあんたが、まさしくそうじゃないのか」
「はぁ? いや何、失礼ね、何様よ、失礼ね」
「少し落ち着きなさい」
叔父の警察官は、姪の顔の前に指を立てた。
「お前は色々一方的だ。彼が子供を払い除けたのは、通行人の妊婦を庇ってだと、最初に教えなかったか?」
「何があったって小さい子を水溜まりに突き飛ばしていい理由になんてならないわ。だいたい小さい子がちょっとぶつかるぐらい、どうって事ないじゃない」
ここで書記の若者が、悲しそうに大きな溜め息を吐いた。
彼だって、エバ嬢が来訪する度にウキウキと顔を見に行っていた一人だったのだ。
上司の警察官は「お前な……」という顔をしたが、若者を咎めはしなかった。
そしてまず青年に詫びようと向き直った。
「その、君、何と言っていいか……」
しかし青年は今のやり取りを聞いていなかったように、書類の一点をじっと見つめている。
「どうした?」
「これ……あちらの連中に、リッカの居場所を喋ったのか? あんた、まさか……」
声は震えている。
そこには、彼女が北の街で会って来た人物や、やり取りの要約が書かれていた。
「だ、だって、聞かれたから……」
さすがにエバも自信満々という訳には行かず、言いよどんだ。
じっと座っていた青年が、眉間に影を湛えて立ち上がった。
女性は怯えた顔で後ずさる。
慌てた叔父が間に入って、青年の耳元に口を寄せた。
「裏口まで先導するから、連行されるふりをして着いて来てくれ。外に出たら縄を解いて自由にする、妹の所へ帰れるよう。約束する、さあ早く」
言うと、机に繋がれていた縄を取って、素早く先に立った。
青年も黙って従った。もう振り返らない。
出て行ってから、エバは情けない声を出した。
「なによ、なによ……」
書記の若者は顔を上げないで、調書の抜け穴を埋めながら、冷静に言った。
「彼に、これ以上おかしな勾留理由を追加させたくなかったんだと思いますよ。
あ――あ、シカルさん、気の毒に。こういう事ばっかやってるから、あの人、出世出来ないんだ」