あの新人研修からある程度時間がたった今、私は裏路地を歩いている。たまに違反者が裏路地に隠れることから道はすっかり覚えているし例え都市が目を瞑っても私であれば問題はない。意外なことに、都市の夜空は綺麗だ。キヴォトスの神聖感ある空ではなく、どこまでも人らしい美しさを内包せずに我々に平然とさらけ出している。
地上で行われる殺戮を無視して、月含め星々は汚れなく、輝いている。
それに対して…薄汚いネズミがあちらこちらで怯えた目で見つめてきている。せっかく、夜を楽しんでいるのに…視線が邪魔だ。
「気が散る、失せろ」
そう告げるだけでネズミどもはまるで命がかかっているかのように逃げ出す。まぁ、間違ってはいないが。
引き続き、思考に溺れようとすると…
一人の少女が泣いているのを発見する。
その少女は…
『お姉ちゃん、なんで泣いてるの?』
「はは…嘘だ」
あの時、引き潰した少女にそっくりではないか。
少女の涙がポタポタと空虚な地面にこぼれ落ちる様も同じで、自然とあの鮮血に染まった記憶とあれ以降に作ってきた地獄が掴むようにして離してくれない。そのせいで、あの日以降眠れていない。
だが、現実はこうして目の前にある。
まるで過去が追い付いてきたようだ。
「どうしたんだ?」
「おかあさんに捨てられちゃったの。いらない子だって」
あの少女と全く同じ声だ。
「そうか…」
これ自体、特に不自然ではない。この時間帯ならいずれ掃除屋が来て、少女を『掃除』するだろう。
見捨てるのが最善だが…これではあの時と一緒だ。今の私には、救うという手段がある。
「ミサキ」
「?」
「今日から君はミサキだ。私が君の面倒を見る」
全くミサキに似ていない赤髪で、緑目の彼女だがミサキと呼ぶことにした。理由を求められれば、詳しくは自分でもわからないが…何かに突き動かされたというのが唯一の回答となる。
「えっ、でも…うん、わかった!おかあさん」
「ま、待て。面倒を見るとは言ったが、おかあさん?私はまだ18歳だ」
「おかあさんになってくれないの?」
少女の目に涙が溜まり、また決壊しようとしている。
「泣くな、わかった。私が君の母になろう」
あれから私は自身の家にミサキを迎え、住まわせた。調律者である以上、A社の中にある家にミサキを住まわせることが出来る。つまり、彼女が何らかの害を受けることなく、すくすく育つことが出来るわけだ。
さすがにジェナにからかわれた時は堪えたが、ミサキの安全には変えられない。ジェナに紹介し、いずれ調律者として推薦する土台を固めていく。
幸せな日々だ、あの忌々しい記憶を忘れて、ミサキとともに寝る。ミサキは私にとって輝く星そのものと言えるだろう。
「おかあさん、また都市の話をして!」
「またか…都市伝説とかではなく、何故都市にこだわるのかは知らないがまぁ良い」
「都市 • 巣 総合禁忌法令 総覧Aに書かれているが、都市の規則とタブ-はかなり違うものだ」
「なるほど-、規則が頭で、タブ-が翼ってこと?」
「そうとも言えるが、翼だけだと頭を含めていると勘違いされかねない。頭を除く、翼と表現した方がいい」
「おかあさん、ジェナおばさんはいつくるの」
「ぶっっ」
盛大にコーヒーを吹く。だって、面白すぎるだろう。あのジェナがおばさんだ、確かにそれくらいの年齢かもしれないが…聞くのはやめておいた方がいい。
「ミサキ、ジェナの前では絶対言っちゃダメだ?」
「はーい」
この数年は全てが順調だった。予定していた通りにことが進み、ミサキは都市の恐ろしさに襲われずに、成長している。それにいずれ調律者となるのだから、将来も安泰。
これは良い母になれているのではないか?
先生にも見せたいくらいだ。
この日常は永遠に続く、筈だった。
あの日までは。
「…ジェナ嘘だろう…」
「嘘ではない。落ち着け、サオリ」
「嘘じゃないならどう落ち着けるんだ!!ミサキが人差し指に殺されたんだぞ!」
激しい頭痛とともに、口が勝手に動く。
「どうして、聞こえない。耳元に、頭に、体に響く声が。ああ、どこまでも無音だ…」
「聞かせろ、そこに居るんだろ!!」
「サオリ!」
「大丈夫だ、ジェナ。私は至って理性的だ、ふふ…理性、そう理性的だ」
「だが、少し用事が出来た。行ってくる」
「待て…って行ったか…これは面倒なことになる。頭に報告しなければ」
この日、都市を照らす月は一層強く輝いていた。
次話はなるべく三連休中に投稿します。