調律者サオリ   作:イワシコ農相

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今日はまだ5月なので初投稿です。


第十二話『かつての過去に、さよならを告げて』

 陰鬱な空気が場を漂う。時刻は既に零時を過ぎ去り、生徒の皆が眠る真夜中になっている。ベッドの下を覗くような恐怖が満ちる時こそ、大人の時間だ。

 カタコンベにそびえ立つ古き教会、かつて忌々しいとされた教義の残り香とも言うべきその場所で、ステンドグラスの月明かりが数人の影を作り出す。左側には大きな女体が無数の目を体に生やし、その側には笑みを崩さぬ黒服の男。相対するは背丈の高い女性、夜に浮かぶ金環を服に縫い合わせたような黒衣が埒外の存在であることの現れであることを知る人は今や多い。そして、彼女に侍るのは新たに『大人』となったミレニアムの会長、調月リオ。

 

「……これで一同が揃いました。まず、今回進行を務める。黒服と申します。以後お見知りおきを」

 

 不自然に置かれた円卓を囲んで、それぞれが椅子に腰掛ける。

 

「ああ、よろしく。しかし、交渉の場に教会とは悪趣味ね」

 

「そう言ってやるな。これでも、考え抜いてきたのだろう」

 

 軽口を言い合う三名に対し、複数の目を持つ女は不機嫌そうに息を吐く。

 

「今日は団欒に来たんじゃないわ、さっさとして。呼んでおいてそれは失礼でしょう」

 

「それはそれは……少しばかりの談笑も交渉事に必要ですよ。ベアトリーチェ」

「くだらん。時間は金、早くしなさい。じゃなければ帰るわ」

「では、執り行いましょう。ニヒル協会とアリウス分校の安全保障条約交渉」

 

「ニヒル協会からは代表者として調律者、次席としてニヒル協会次期会長の調月リオが出席」

「それでアリウス分校からは代表者としてマダム・ベアトリーチェのみが出席……」

「いいえ、もう一人居るわ。来なさい」

 影に隠れた奥の入口から、静かな足音がコツ、コツと響く。静かで、間隔の崩れたその音はまるで何かに怯えるような、そんな恐れの感情を感じさせる。

 

「……マダム、到着した」

 

「ええ、横に立っていなさい。錠前サオリ」

 

「アリウスの次席も到着されましたので、始めましょう」

 

 サオリの視線が何度も調律者の顔をなぞる。深海の如き暗い暗い青髪と対になる浅瀬のような瞳、凛とした表情はまるで自分を想起させるようで、わずかな違和感以外は自分と言って相違ない。

 

「⋯⋯之は、之は。もしや、母の顔を忘れたのか? サオリよ。見えないと思うが……これでも倚門之愁(子を憂う)たる気持ちはある故、哀しく思う。まぁ、これもこんな所に送ってしまった私の責か……」

 

 そう言って固く結ばれた唇を解き、笑みを浮かべるこの女性は自分の知らぬ母なのだろうか。優しそうに憐れむその視線と困惑したサオリの視線の交点にあるのは家族愛だろうか、それともただの相互理解かはわからない。

 

「私の学校の生徒(道具)に干渉するのは越権行為です」

「逆に問うが……たかが、学校の機関が『親権』を無視できるとでも?」

 

 怒りを滲ませ、瞳孔が狭まっていく調律者は自然と重々しい空気感を醸し出す。その圧力にたじろぐ一同を見て、黒服は咄嗟に仲裁する。

 

「とりあえず、一旦ここは互いに矛を収めましょうか。我々は交渉に来たのであって、戦闘に来たわけではないでしょう?」

 

「ええ、そうね。調律者、ここは一旦抑えて頂戴」

 

 そう諭すリオを一度見て、深くため息を溢す。そして、さっさと続けろと言わんばかりにベアトリーチェを睨む。

 

「……アリウスとしては、ニヒル協会に対トリニティの同盟を求めます。ニヒル協会が拡大しつつある傭兵事業があれば、より確実にトリニティを征服出来るでしょう……それに、ミレニアムの力添えも当然あるでしょうから」

 

 扇子で口許を隠して、そう言ってのけるマダムにリオは苦笑いを浮かべることしか出来ない。

 

「……ミレニアムは今回は不参加よ。まだ巻き込む訳にはいかない……だから、今回はあくまでもニヒル協会のリオとして扱ってくれると助かるわ」

 

「そう……ならば……ニヒル協会の戦力を100%供出しなさい」

 

「ッ……それは」

 

「ミレニアムの戦力が望めないもの。当然じゃない? ……それとも、ミレニアムを出すか」

 

「……それならこちらも条件を提示するわ」

 

 不愉快そうに、唇を噛むリオは己を落ち着かせ、乾いた口の中を一度唾液で覆う。

 

「アリウススクワッドの身柄を永久的に調律者に移管することよ」

 

「…………」

 

「その程度なら、ええ。その条件なら同意することが出来ると言いたいところですが」

 

「……そちらが必要なのはサオリだけでしょう? 母親が娘を取り返したがっているのですから」

 

「……だったらなんだ」

 

「わざわざ、私が譲歩しているのがわからないのですか? 労力と時間をかけて育てた生徒(道具)を同盟なんかのために手放すと言っているのです」

 

 一度、チラリと横に立っているサオリへ目線を送り、調律者を挑発する。

 

「……」

 

「これが飲めないなら破談……にするしかありません」

 

「……良いだろう」

 

 黒服はそこで、拍手を一回行い注目を集めてから罰則事項について語る。安全保障条約であるとは言え……極めて属人的故、契約違反に罰則を設けるのが必要であると。

 

「……なら、破れば死ぬ。それで十分だろう」

 

「非常に野蛮ですが……私に求められる分には良いでしょう。但し、私としては逆に契約違反の場合は相手のすべての情報……それこそ、技術情報の提供を求めます。私の死に釣り合いませんが……寛大な私です。許しましょう」

 

「……良いだろう、マ……ベアトリーチェ」

 

 そう、両代表者が言い終えると黒服が最後の確認を取る。

 

「契約違反は契約の『履行意思』を欠くことと定義します。問題ありませんか?」

 

 両者がペンを取ったことにより、ひとつの紙切れが提示される。たったひとつの紙切れ、されど契約書。僅か数滴のインクで、人の人生を左右することが出来る魔法のアイテムでもある。

 

 調律者、ベアトリーチェの順にサインされた契約書が円卓の中央に寂しく置かれる。

 

「……予想に反して有意義な時間になりました。感謝しますよ、調律者」

 

 ベアトリーチェはそう言って席を立つ。短針が動く、10秒、20秒。

 

「……それに黒服、縁があるなら何故もっと早く言わないのですか」

 

「まだ、その時ではありませんでしたので」

 

「相変わらず、何を考えているのか理解しかねます。しかし……これでエデン条約は無事完遂されることはないでしょう」

 

 30秒、40秒。

 

「さて……サオリ、こっちに来い」

 

 そう手招きするのは調律者。まるで、オークションのように売り飛ばされた彼女は虚しいという感情以前に困惑と悔いが残っていた。これでは、自分だけがこの地獄からスクワッドを捨てて逃げることになるのだと。

 

「か、母さん」

 

 50秒。

 

「なんだ、娘よ」

 

「スクワッドも助けてくれ!! お願いだ! なんでもするから!」

 

 ベアトリーチェは軽快な足取りで、出口へ向かっていく。結局、契約なんぞ紙切れ。サオリを調律者のスパイとして送りさえすれば、娘を溺愛する母親は簡単に騙せる。いくら、サオリが喚いたところで自分の施した教育の方が、優先されるのだから。故に、契約を履行することなんてあり得……60秒。

 

「ッ!! いったい何が!!」

 

「嗚呼……()いぞ」

 

 内側から肉が剥がれていくように弾けたベアトリーチェはそれ以上の言葉を残す暇も無かった。大地に咲く月桂樹のように開いた彼女は真っ赤に彩られた鮮血の花を咲かす。無数にあった瞳孔は蕾のように、開花を待ち。白と赤のコントラストは古教会にそびえる禁断の樹とも言えるだろう。

 

 アリウスの苦しみの最大の原因である独裁者は

 

「1分も保ったか」

 

 たった一つの契約違反で、もう二度と明日の空を拝むことが出来なくなった。昨日の約束を遵守しなかったという端的な理由で。

 

「ぁ……え……マ、マダム……?」

 

 突如、眼前に広がった悲惨な光景に呆気に取られている間、すかさずサオリの体は暗い暗いマントに覆われる。視界を、死臭を、なにもかも防ぐように。

 

「大丈夫だ、娘よ。見なくて良い。こういうのは母に任せておけ」

 

 サオリを抱えている右手ではなく、左手を向け簡単に清掃しろと呟く。濁流のように流れていく、黒い波がグロテスクな薬指アートモドキを飲み込み、綺麗さっぱり跡形もなく消し去る。

 

「娘よ、アリウスに行って、こう告げろ。マダムは死に、ママン()が今度からアリウスを統べると」

 

 絶句したサオリの額に一度接吻し、彼女を解放する。小鹿のようなたどたどしい足取りで、アリウスの本校舎へ向かっていくが、おぞましい光景を見たにも関わらず口が弧を描いている。これほど虚しく、マダムが死んだのならば……アリウスを包む虚無すらも簡単に死に絶えるのではないかと。少しだけ、希望を抱ける気がしたとママンを見てサオリは思うのだ。

 

「しかし、良かったのですか? これでは貴女のテクストはもう二度と、かつての錠前サオリのものに戻ることがないでしょう。もう、錠前サオリが大人になった……のではなく、貴女は『保護者』のテクストを得た。これは不可逆で、遡及することは不可能です」

 

 深々と含みのある声で、そう告げる彼に調律者は静かに頷く。

 

「無論だ。私は正直、何もかも遅いだろう。もうこれ以上、アリウススクワッドの横に居続けるにはあまりにも大人であり、あまりにも非キヴォトス的だろう。もう、私は己の理想に殉じることしか残っていないのだ」

 

「……調律者……」

 

「良いのだ、リオ。私はこれで十分。今後、羽ばたく翼のために、かつての先生のように身を捧げるだけで私は幸運だろう。故に、私は求められた通りに……」

 

「アリウスを使ってトリニティを弱体化させる。墨戦争を行うには……介入できる学園は少なければ、少ないほど良い」

 

 ママンは笑みを浮かべ、かつてベアトリーチェの居た場所を見つめる。

 

「それにしても……私がゲマトリアに入ったことを彼女だけに秘匿するだけでまんまと騙されるとは……実に愚かだ」

 

「クックック、ええ契約は守るべきでした」

 

「良く言う。同朋が死んだにも関わらず、薄情なやつだ」

 

「いえいえ、これは事故が起きただけです。何も見ておりませんよ。あくまでも契約通りに、対応したまでです」

 

「嗚呼……素晴らしかったよ、黒服。追加報酬として今日は一緒にベアトリーチェの執務室のコーヒーでも飲もう」

 

「ええ、是非喜んで御一緒します。ゲマトリアのママン」

 

「大人って軒並みこうなのかしら……」

 

 少し不安になるリオを余所目に、ゲマトリアの二人は嗤い続ける。

 

 




 えーと感想では五月中に投稿すると言っていましたが、普通に越えてしまいましたね。言い訳をしますと…ここ数日前に救急搬送されてたからで……遅刻は本意じゃないんです、本当です!お許しください!
 さて、見苦しい光景は一旦置いておいて久々の調律者サオリ如何だったでしょうか?
 本当に長らく投稿出来ていなかったので、今回の出来に不安がありますがどうか楽しんでくれたら幸いです。また、リハビリで書いた内海アオバのクロスオーバー小説「乗り間違える」も呼んで貰えたら嬉しいです。
 改めて、調律者サオリをお読み頂きありがとうございます。感想は全て返信を返していますので、感想を下さいますと私が大変喜びます。以上、いずれ来るムルソー章に怯えているイワシコでした。
-追記-
調律者サオリの三次創作がなんと投稿されました!
ALULAさんの『バトラーエラの明晰なる事業報告書』です!
https://syosetu.org/novel/377310
皆様、是非お読みください!
(感無量過ぎてトマリーになってしまう作者)
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