調律者サオリ   作:イワシコ農相

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今年初めて投稿したので初投稿です。


第十三話『羽ばたけ、遠くへ』

 後悔が無いと言えば嘘だろう。己が落ちぶれた先は泥船の沈む大海ですらなく、井戸の中でひたすら壁をよじ登っているに過ぎない。私ですら、レンガ一個分登れたかがわからない。

 

 玉座から見下ろす景色は悪趣味で、嫌悪したくなる数々の装飾で彩られている。ベアトリーチェの宮殿の窓から訓練場を見渡せ、一生懸命に新しく与えた武器で訓練しているアリウス生がちらほらと。捧げ銃(敬礼)をしている別の彼女らは私が玉座に座っている間は動くことなく、この謁見の間を守備し続けている。

 

「はぁ……」

 

 恐れではなく、希望の眼差しで射抜かれるこの身は歪に綻ぶのだろうな。心地よくて仕方がない。このため息ですら、朝一のコーヒーが美味であったことが原因だ。正しくは、嫌悪がしたいだけで、別段嫌悪しているわけではないのだろう。圧制者から解放してやれば、掌を返す彼女らを私は愛おしくすら思う。都合が良く、扱いやすい。

 

「ママン、発言してもよいか」

 

許すとも(パルドネ)。サオリよ」

 

「指示のあった住民移動に関して、おおよそ準備が終わった……後は実行に移すだけ。攻撃部隊を除いて、アリウスをブラックマーケットに移す計画に不備はない」

 

 その方針に不満足であるのか唇を噛むサオリ、今や私の娘ということになっているかつての私。絶望しか知らない数多くのアリウスの一員のまた一人。

 

 その彼女がレッドカーペットの上で(ひざまづ)き、微かな希望を目に宿して、忠を示す様は強烈だ。思わず己自身の頭を引き裂いて、すべて忘れたいほどの劇毒が感情となって降り掛かっている。

 

「……何が不満なんだ、娘。君の仲間も皆ブラックマーケットに送ってあげるじゃないか。誰一人、君の傍を離れることはない。誰一人、犠牲になることはない」

 

 それが漏れてしまったか、意識せずに声が低くなる。頬杖を付いていた右手を下ろして、腕を組んで玉座に深く背もたれる。

 

「その……アズサは、どうなるんだ。彼女だってスクアッドの一員だろう?」

 

「娘、本人の心はトリニティにあるんだ。無理に連れて行く方が酷な判断……故に、置いていく。彼女はアリウスの未来には向いていない。全てが虚しいとして足掻くのでなく、私達は法を重んじる者となる。もう、絶望することもない。明確となった世界で、巣立って、自由になれる」

 

「だがッ! 裏切り者を放置することになるだろう! アズサ、あいつは捨てたんだ。虚しくも、アリウスを!」

 

 声を荒げて歯向かってくるコイツは……一体どんな気持ちで私が大人しく、サオリの立場を捨てているかを知ることはない。一体、どんな思いで、どんな苦しみで、過去を消し去って、全くの別人としてアツコ、ミサキ、ヒヨリに接したかを。何一つ知らない。

 

「錠前サオリ! 言葉を尽くせ。何のため私がヴァニタスを標語から消したか思考しろ」

 

 愚かな私よ。愚かである故に、私はお前をエデン条約に巻き込むことも、関わらせることもしない。見慣れた怒りを浮かべる彼女はやはり私だと実感してしまうから。

 

「factum est nihil quod factum est」

 

 かつて取るに足らないと唾棄された捨て本から一節を引用する。暇潰しに読んで、今まで忘れていたそんな序章の言葉。いや、始まりだったからこそ覚えていたのだろう。

 

「ファクトゥム……?」

 

「ファクトゥム・エスト・ニヒル・クオド・ファクトゥム・エスト、だ。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つないという意味だ。公会議によってアリウスは排除され、多くの苦難を経験している」

 

 諭すように、迷いの生じたその瞳に次のように告げる。

 

「三派からの攻撃も、内戦も、ベアトリーチェも。だが、その言葉は確かに残った。教会が荒れ果て、人命が失われてもアリウスという言葉は生き続けた。だから、アリウスは憎悪や空しさに塗れた法に縛られ続けることは認めない。新たなアリウスは言葉によって立つ、かつて聖人の上に教会が立ったように」

 

 憎たらしい私に、一歩を踏み出させるには。私が死ぬしか、道は残されていないから。飲み込む唾が喉を通り抜けて、体を冷ましていく内に言い切ってしまおう。妬みで再び喉が鳴る前に。

 

「娘よ、世界は君が思っているより残酷で、容赦がない。喜劇は悲劇に易々と替わり、阿鼻叫喚がいつも町並みを彩るだろう。苦悩、苦痛、苦役。常に痛む世界で、お前を生かすのは言葉だ。言葉だけが、先へ、楽園へ、運んでくれる」

 

 玉座を降りて、目線を合わせるようにしゃがむ。この行為には愛も慈悲もない。押さえ込まれていた呪いでしかなく、未知の世界に雛を送るのに等しい。向かい合う同じ顔は方や確信、方や困惑に染まっている。

 

「娘よ、ママンとして確かに言っておく。世界は君を苦しめるだろう。これ以上に、私の想像できる以上に襲いかかってくるかもしれない。だから、君は他のアリウス生と共にスクアッドを率いてブラックマーケットへ行きなさい。それが、私の出来る最大の贈り物の一つだ」

 

 言い返そうとする彼女の唇に人差し指を当てて、黙ったのを見て横を通り過ぎる。レッドカーペットを通り過ぎる。なんて、ひどい大人なんだろうか。そう自嘲する。

 

 使うだけ扱われた少女たちを故郷から引き離して、自分が始める戦争へ参加させるのだから。彼女らを、己の過去を戦力化して使い潰すのは先生には褒められないな。

 

 歩みを進める度に、サオリはサオリから離れて、やがて別のものになっていく。

 

 

 

 ベアトリーチェが瓦礫のまま放置した町並みに運よく残った塔の下の広場にはアズサを除いて、誰一人欠けることなく聴衆として黙々と待っている最中、ママンが窓辺から身を乗り出した。

 

全アリウスと学園都市へ(ウルビ・エト・オルビ)!」

 

「何故、この地はこれほど灰に塗れるのか考えたことはあるか。

 

 何故、服が煤を被り、虫に喰われて穴が空いて尚着続けるのか。何故だろう、何故だろうか!」

 

 聴衆は叫ぶ。トリニティ、ゲヘナの名が交互に轟き渡る。

 

「否! 彼女らはアリウスを追い詰めはしても、決してこの状態に陥る程ではない! 

 

 では、本当の敵は誰か! それはアリウス自治区である!」

 

「アリウスは輝かしい未来を、この貧しい土地に食料と希望ごと奪われていたのだ。さらに内戦と圧政が重なり、手元に残ったのは期限の過ぎた缶詰ばかりだった!」

 

 ベアトリーチェのせいだ! 若い少女が最前列へ駆け込んで、調律者へ訴えた。

 

「そのベアトリーチェの圧政が終わり、未だ数週間しか経過していない今では手元に何がある!」

 

 聴衆は手元に握りしめている雑誌や、手鏡、メイク道具、教科書を空高く掲げる。

 

「缶詰でなく雑誌が、汚れた手でなくしっかりとしたナイフとフォークがある! 疑う者は頬に触れてみよ!」

 

 確かに触れて見れば口角が上がっている。まるで調律者の言葉が聴衆の心に火を灯すように、熱く感じられる。

 

「ベアトリーチェの死からアリウスは変わった! ヴァニタス(暴力)からファクトゥム(言葉)へ!」

 

 ヴァニタス・ヴァニタートゥム、そう吟じる声はどこにもなく、木霊するのは興奮した息遣いか、相槌かであった。

 

「かつて、意味もなく唱えていた言葉が、この地の常識としてアリウスを縛っていたが、今こそ打ち破る時! 

 

 力強く振り上げていた拳が落とし所を失っているなら、何をすればかわからない虚無に苛まれているなら!」

 

「血に染まったアリウスを! その呪いを! 無くしてしまえと! 新たな新天地へと旅立とうではないか!」

 

「アリウス分校は本日の自治区撤退作戦を以て、廃校とし! アリウス生徒は皆、これより発足するArius(A)社へ! 同じく発足する理事会は大人から生徒へと統治権を返そうではないか!」

 

「理事会の役職は次の通り」

 

「理事長、秤アツコ」

 

「副理事長、錠前サオリ」

 

「理事、戒野ミサキ」

 

「理事、槌永ヒヨリ」

 

 名前を呼んだ。一人、一人と目線を合わせていく。アツコは悲しそうに微笑み、サオリは戸惑い、ミサキはため息をつき、ヒヨリは大いに喜んだ。

 

「この四名とする! これでアリウス分校は言葉によって引き継がれ、その血生臭い歴史は過去に葬られるだろう!」

 

「では、賛成の者は万雷の拍手を!」

 

 張り裂けんばかりの握手が、自治区を埋め尽くした。事実上、自治区を放棄して、新天地に居場所を求めるということは長年抑圧されていた彼女らからすれば、魅力的でしかないのだろう。拍手をしなかったサオリ、ミサキを除いてだが。

 

「では、アリウスよ! 立ち去れ! 今よりここはただの瓦礫の山だ! そして、私はただの大人に過ぎない!」

 

「羽ばたけ、遠くへ、後ろを振り返らず!」

 

 

 

 大演説が終わり次第、聴衆は一目散へと移動した。残るは塔に調律者ただ一人。

 

「ふっ……私も情が湧いたか。今更、情を持つには遅い話だが……仕方ないな」

 

「クックッ、流石に故郷は懐かしいですか。ママン」

 

 影から現れた、黒服が口を開いた。誰より自分を知っているであろう悪い大人で、今では同僚。

 

「ああ、全てが目蓋の裏に描かれているかの如く、思い出せるな。ここも、都市も。ある意味、私には過去がないのかもしれない。今のように感じられるから」

 

「ふむ、過去と現在は連続体の概念を有していますから、そう考えるのも仕方ないでしょう。どちらかと言えばマエストロの分野でありますが……」

 

 黒服はアリウスを眺めながら、感慨深そうに調律者と向き合う。

 

「それにしても、言葉(ロゴス)の使い方は流石ママンという他無いでしょう。私なら、神々に紐づける方で回しますからね」

 

「……それでは下手すればエデン条約が引き継がれて、アリウスが明確な首謀者になれかねない。疑いはあるが、証拠不十分の今の状態を保たなければ態々撤退させた意味が薄れる」

 

「全ては墨戦争のため、ですか」

 

「ああ、墨戦争はフィクサーによって成し遂げなければならない。そのお膳立てくらいは大人としてやってみせよう」

 

「付き合え、黒服。今日を以て、一つの条約が破綻することになる」

 

 勿論、ご一緒させていただきます。相当無理をさせられましたからね。そう、付け加えて黒服はサオリに続いて影の中に消えていった。

 

 

 

「こちら、クロノススクールです! 本日はトリニティ・ゲヘナの歴史的な条約が締結される日です! 本来の予定よりかなり前倒ししての開催となりましたが、今ここにトリニティ・ゲヘナの両首脳が集まっております!」

 

「まず、純白の格好をしているのがトリニティのティーパーティー……ってぇ!? 空に! 空に異常な物体が浮かんでおります! 軽く飛行船の縦の長さに匹敵する柱のようなものが、えーと金色の文字みたいなのが書かれていますね……」

 

「えっ……落ちて……」

 




昨年の冬コミで『内海アオバは都市に居る』をお買い求め下さった方々、見に来て下さった方々に格別の感謝を申し上げます。
また、投稿頻度がお世辞にも安定していると言えない当小説を楽しみに待ってくださっている方々にも同様の感謝を申し上げます。
展開が思い付かずに放置しかけていましたが、なんとか今回お届けすることが出来ました。なんとか、来月中には次話を投稿したい所存です。
そして、いつも通りではありますが、感想やここすき、評価等をしてくださると大いに執筆の励みになります。感想は時間はかかりますが、全て返事を行う予定ですので気長にお待ちください。
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