息が土の香りに埋め尽くされる。もはや、土を吐いて吸っているに等しい。尤も、ただ土だけでなく、コンクリートと汗と血と、そしてなにより空気が最早吸いがたいという事実が襲いかかる。そんな墨戦争第七戦線にて。
黒服に身を包んだ彼女たちは深く掘られた穴に身を潜める。塹壕のように掘られた穴はポツリ、ポツリと海の潮が満ちて去った跡のようにくっきりと残り、もはや道路の体を成していない大通りの割れたコンクリートの狭間にある。既に、膠着した第七戦線は低級フィクサーによって支えられていた。ニヒル協会本部を象徴する黒服はありふれたもので、炎を浴びれば焼かれ、傷を負えば破かれ、動きやすいこと以外にはただのよくあるフォーマルな服装に過ぎない。
「クソッ」
故に、第七戦線は地獄と化していた。課に入れず、事務所に入れず、ただ本部で肥やしになっていた彼女らはレッドウィンター側からの侵攻を担当した。息をするだけで結露する様と獲物を握った手が震えるのは、怖さによるものではないと言い訳は出来た。だが、現実として戦争の最も長い戦線となっている。横に広く伸び、頑強に抵抗するカイザー相手に配給された剣一つで戦いを挑まないといけない。
その事態に6級フィクサーである
彼女はゲヘナにありきたりなヘルメット団の団長であったが、面白そうだからと団員を連れてニヒル協会へと入った。ヘルメット団より良い安定を得たと思った矢先にレッドウィンター支部に派遣され、バラバラとなった団員の行方は今や知れず。おそらく、この戦争のどこかで戦っていることしか彼女にはわからない。
「嗚呼……クソ」
喇叭が遠方から響いた。あの音はこちら側の喇叭だとカントレックは嘆いた。剣を握りしめて、一気に塹壕から飛び出た。まさしく、黒い波のようだったとカントレックは思う。安全な後方からこの突撃を眺めていた身分であった時は、そう例え話が出来たが今や自分の番が来てしまった。相手が籠る塹壕への一斉突撃、低級フィクサーたちが最も効率良く戦線を押し上げる為に行われるようになった攻撃方法。いわば、第七戦線がまるまる動くに等しいこと。カントレックはカイザー兵の射撃をなんとか頭を下げて避けながら、飛び込むように攻撃先の塹壕へ押し入った。
「ッッ……消えろ、カイザー!」
正面のカイザーオートマタへ素早く切り込む。この剣では下手したら装甲で弾かれるので、それが薄い首を狙うように自分ごと相手を押し込む。泥臭い戦い方だ。手袋には自分で小さな鉄板をくっつけ、そこを支点に
悶絶しているのを気にせずに淡々と力を与え続け……やがて、首と胴が別れた。弱いが、カイザーがフィクサーに対応して重装甲になりつつあるのが第七戦線の常識だ。
「クソッ!あいつら、白リン弾を打ち込みやがった!!!!」
この叫び声も、今や聞きなれたものだ。流れ星が複数個落ちるように降り注ぎ、皮膚を焼くそれは第七戦線のフィクサーたちにとっては問題であった。新たに制圧した塹壕に辿り着くまでに倒れ、運ばれてくる被弾者は何度見ても悲惨だった。
服は溶けて、皮膚は焼けただれ、戦力にならなくなる。カントレックは戦争に参加したフィクサーのこの退場の仕方に一種の憐れみを覚えた。こんな戦争に参加して武功を立てて、出世してクソみたいな本部付きフィクサーをやめるという夢を抱くのは被弾者だけではないからだ。
「彼女は大丈夫か」
大丈夫ではない。だが、少なくとも今居る塹壕に野戦病院はない。この場で出来ることはしなくてはならない。
「い、いえ……」
自分は8級フィクサーのタツミですと被弾者を運んできた彼女は言う。階級の開示は、誰が偉いかを示すというよりは簡易な指揮系統の維持の為に行われる。カントレックは直ぐ様に6級だと応答した。これで、彼女は指揮下に入ったも同然だ。
「早く患部を濡らすぞ」
彼女に水筒を取り出させ、カントレックはその水筒の水で自分のタオルを濡らす。それを燃え続ける被弾箇所に押し当て、ジュウという生々しい音と共にリンによって燃え続ける服も同時に消火する。
「……よし、押し当てておいておけ。すぐに再突撃が命令されることはまれだ。もし、されても残れ。ヂェーヴィチ課が負傷者回収に来るまで残れ。私は警らに出る」
「はい……」
「君は……大丈夫……そうだな」
最後に被弾者を運んできた彼女を見て、怯えた瞳と連れてきた被弾者を心配している様子を見るに知り合いなのだろう。カントレックはこのような事例を沢山見てきたから、わかるのだ。
それでもカントレックは非情な判断を下さなければならない。というより、自分が先に言うか、通りかかった別のフィクサーが言うか、はたまたヂェーヴィチ課の者が言うかの差しかない。
「負傷者回収を確認次第戦線に復帰せよ」
「えっ……」
「これは命令だ。ハナ課に逃亡者として記載されたくなければ、戦線に復帰しろ、いいな?」
「……はい」
彼女の手は未だに渡したタオルを強く押していた。もう燃えてないにも関わらず、あたかも燃え続けるなにかを消火しようと力を込め続けていた。カントレックは笑って、別れを告げた。
「まぁ、頑張れよ。ここではそれが当たり前だ」
せめて、上の者として笑って別れを告げなければ、この現実を茶化さなければやってられないというのが第七戦線だ。
お粗末な塹壕を伝っていく。床には板材などなく、壁は掘られた跡がくっきりと残ったままだ。最初こそはちゃんとした板で崩れないように土を支えていたが、今の戦線が定期的に動く状態ではカイザーとニヒル協会双方に塹壕が雑になってしまうのは防げない事態だった。こぼれ落ちた道路だったコンクリートを塹壕の床に嵌め込んで、滑り止めにするくらいしか今は出来ない。今では旧市街となってしまった第七戦線の場所には幸いコンクリートと敵、そして土ならたんまりとある。たまにむき出しの鉄筋をそのまま打撃武器に使うやつまで居る次第。
「どうだ、どれくらい進めたんだ」
警らの途中、出会ったフィクサーに聞いた。そのフィクサーは同じ6級、この最前線における最も高いフィクサーの階級だ。
「大体、50メートルらしい。とんだ50メートル走だ」
「たった50メートルか……それにしてはやけに物騒だな」
軽口を言い終えて、相手が負傷者状況の確認をしに行くというので、カントレックは静かに告げた。
「まっすぐ進んで……まぁ、まっすぐ進むしかないが、大体200メートル先に白リン弾負傷者が1名、精神衰弱者が1名居る。精神衰弱者には戦線復帰を命じてある」
「鬼だな……我々も」
「いや、鬼はこの第七戦線だ。ましては、百鬼夜行に居るか。鬼比べしたとて、この塹壕壁からこぼれ落ちる土を変えられんよ」
「それもそうだ。では、今度こそ」
ご武運を。そう言って、また別れた。そんな時に風が吹き始めて寒さはより厳しくなってきた。第七戦線が北部にある以上は仕方ないが、カントレックは白い息を吐きながら塹壕のさらに奥へと向かっていく。
大体さらに1kmほどだろうか、時間をかけて歩くと開けた場所に出た。円形の陣となっており、カイザーの機関銃座が置かれていた痕跡が残っている。というより、破壊された銃器とまとめられて燃やされてるオートマタの残骸が明確にそうだと主張する。
ガソリンの匂いが鼻腔をくすぐり、少し顔をしかめたカントレックであるが、寒さには変えられずに火元に近づいた。
「何級だ」
「カントレック、6級フィクサー」
「同じか」
同じ火を取り囲んでいたフィクサーたちに声をかけられる。カントレックからすれば、自分と同じ馬鹿なのだろうと一瞬でその姿勢や目線からわかった。戦争に疲れている、いや、第七戦線だと基本全員そうだが、後方に居る自分たちより等級の高いものたちは除外しなければならない。
「……はぁ、カントレック。さっきの突撃では50メートルしか進めなかった」
「知っています」
そうか。短く、隣に居るフィクサーは言い書けた言葉を切る。
「だから、本日中に更なる突撃が予定されている……まったく、後ろの連中が来てくれりゃ英雄だろうに」
おい、そう咎める声が火を囲む誰かから発された。怒気は籠ってない。窘める、そんな声色だ。
「わかってますよーだ。後方は後方、前線は前線だろう?でもな、最初は7級フィクサーが前線の最高等級だったんだ。うちらはギリギリ、後方に残れたはずだろうに今や根こそぎだ。6級の俺らまで、9級と同じ塹壕で飯を食う日々だ。5級以上の連中は他戦線に行っているから、俺たちでなんとかしないといけないのはわかってんだ」
「よせ」
今度は怒気が籠っていた。
「んでもよ、なぁさっき来たカントレック。俺たちはいつまで戦うんだ?」
「勝利まで、でしょう」
「はっ、優等生気取りか。いいか、6級フィクサーのカントレックよ。そもそもここに居る時点で、俺たちは終わってんだ。出世し損ねたか、しなかった馬鹿の二択しかねぇ」
黙れよ。それが聞こえたと同時に隣のやつが殴り飛ばされた。
カントレックにとって、隣のフィクサーの侮辱はそこまで重要ではない。6級フィクサーのカントレック、それは別に否定しようがない事実で、出世しなかった馬鹿であるのもそうだから。
それより、突撃の報せの方が耳に残った。後ろで揉め合いが続くなか、火の中のオートマタが少し崩れた。
「誰か、どれくらい進む予定かはわかりますか」
火は燃え上がっていた。立ち上る煙は残念ながら、カントレックの問いは消してくれない。
「今日で日没までに200メートル進むらしい」
200メートル、思わずカントレックの口から声が漏れた。それに日没までとなれば、一回の突撃でこなさなければ間に合わない。
「ああ、次の突撃で200メートル押し上げるとのお達しだ。しょうがないだろう?ここは第七戦線だ」
「……」
返事を返そうとした刹那。喇叭が鳴った。忌まわしくも、こちら側の喇叭であった。火から離れ、剣をまた握った。そして、カントレックは再び塹壕を飛び越えた。
ここは
いつしか、誰かが皮肉って言った。第七戦線異常無し。
ニヒル協会本部6級フィクサー『カントレック』
現時点で特筆すべき情報なし
署名
ニヒル協会ハナ課第七戦線担当者『■■■■』