暗雲が空を覆ってから、巣では多くが変わりつつあった。A社が管理しきれない膨大な土地に自然と企業たちが集中し始め、一つの巣は形骸化していった。キヴォトスの企業は排除され、そこに打ち立てられた企業たちが翼を名乗り、それぞれ席に座るように、L社という空席を残して都市が形成されつつあった。
企業設立を禁じていた臨時規定は撤廃され、A社を中核とする企業らはそれぞれの区域を巣と呼び、そこに属さない場所を裏路地と呼んだ。そして、A社の理事会にてブラックマーケットから都市という名称への変更が正式に承認される。
連邦生徒会へ独立を宣言し、共に同じ天を頂かないことを告げた。青い空にある連邦生徒会と黒く染まった常夜の都市、この二つの組織は明確に別れた。防衛室が間を取り持たなければ、そもそも話し合いが出来ない。
連邦生徒会は安易に手を出せず、都市の規定がさらにそれを困難とさせた。
「都市の如何なる技術の外郭への持ち出しに関する禁忌、複製人間に関する禁忌、銃器類に関する禁忌、武器類流通の禁忌、人体蘇生の禁忌、知性を持つ人工知能の設計及び作成に関する禁忌、脱税及び特許侵害の禁忌、煙に関する禁忌、爆発物に関する禁忌、午前3時13分から4時34分間の外出規制の禁忌、殺害の禁忌……」
A社が定めたものだけでもこれですか。嘆息したのはリン首席行政官、A社による独立宣言により頭を悩ませ、背後に控えているカヤ防衛室長のおかげでなんとかこぎ着けた両勢力の首脳会談にてブラックマーケット地域の返還を求めたところ禁忌を理由に断られた。というのが、何よりもリン首席行政官の機嫌を損ねていく。
「貴社の領域はサンクトゥムタワーの行政権が及ぶ地域です。返還は妥当だと思うのですが」
「そう言うなら……遠慮しない。連邦生徒会は墨戦争において、一切関与してない。何も貰ってないから、何も渡せない。負傷者も、治安も、連邦生徒会が放置したブラックマーケットが原因。今回はカヤ防衛室長の顔を立ててるだけ」
A社理事長の秤アツコは淡々とそう告げた。目の下に浮かぶ隈はA社の業務による激務によるもので、今回の会談はその貴重な時間を奪って行われているものだ。
「……烏滸がましい。連邦生徒会はニヒル協会を支援し、現在の規模まで成長させた実績がありますが」
「うん、でもA社は何も貰ってない。ニヒル協会は都市に数多くある組織の一つなだけ。行政権はA社が持ってる。その証拠に空の色が違う。そっちは昼と夜で星を見れるけど……こっちにはそれがない」
「……都市はキヴォトスではないと?」
煙と呼ばれる都市を覆う漆黒のカーテンは都市の電気消費率を極めて高めた。太陽が射し込むことがない都市において、電気の消費を加速させA社の生産するエネルギーであるエンケファリンへの依存を高めた。
「そうだね。そうとも言えるし……そうとも言えない。ただ確かなのは……都市は連邦生徒会の傘下ではないってこと」
「はぁ……『頭』の意思はわかりました。しかし、連邦生徒会として都市の存在は公認しません」
そう言いきるとアツコの背後に控えている指名手配犯、調律者の顔を七神リンは見ている。
「……なんだ、外郭の主。まさか、この都市で私を捕まえようと画策しているのか?」
サオリは自然と体が引っ張りあげられる感覚と共に言葉を告げた。
「いいえ……A社が複数の調律者を有していることは存じています。それに今回は首脳会談ですので……ただ、先生を撃った人がどのような人か見ていただけです」
そうか。サオリは端的にそう返答して押し黙った。二度も撃った感触が未だ鮮明に残っている。この服装を着る度に、生暖かい血の滴る記憶が甦る。ママンの残した経験は生き地獄の連続であり、存在しなかった未来についても語っていた。故に、サオリは遠い目をして、七神リンを見るしかない。自分ではないが、自分のやったことについての責任があるのだから。全ての悲劇が喜劇で始まるように。
首脳会談は結局決裂という結果で終わった。両者の溝は深く、都市は生徒を保護しなかった連邦生徒会を弾劾し、連邦生徒会は都市の越権行為を弾劾した。ただ、事実としてA社は都市全域の行政権を有していることに変わりなかった。故に黒く染められた空はA社の支配の象徴として、キヴォトス各校から好奇に満ちた目線を向けられた。
逆に都市に行かなければ体験出来ない物事の数々がキヴォトスからの観光需要を生み出し、怖いもの見たさで多くの生徒が都市を出入りした。対する都市側の諸組織はそんな生徒たちを金儲けになると歓迎した。そんな中、A社の理事長執務室はどんよりとした空気が揺蕩う。
「……考えることを諦めて、決めることを諦めて……ただ、決まった運命をなぞって生きてきた。今もそうなんだと思う。ねぇ、サオリ……何が正しかったの?」
「……私の描いた都市が正しい。だから、姫……そのような顔をしないでくれ」
悲痛に濡れたアツコの顔にサオリは演技の皮が剥がれそうになる。サオリは黒服曰く、同期が足りない故に全ての記憶を有しない。故に衝動と僅かな記憶を繋ぎあわせて、サオリは調律者を演じ続けた。
「違う。サオリはママンじゃないでしょ?」
「っっ、何のことかわからないな。それより優先すべき事項があるのではないか」
「ほら、話を逸らそうしてる。なんとなくわかるの、繋がりが消えた気がするから。他のアリウスの生徒たちがそのE.G.Oギフトを身につけて……みんながこの都市を急に肯定しだしてるの……わざと、アリウス分校の復活を望んでる人たちを選んだのに」
ねぇ、とアツコが続けるとドアがノックされた。
「……どうぞ」
「失礼します。理事長、副理事長の梯スバルです。書類のお届けに来ました」
入ってきたのは紫色の瞳が特徴的で、多くの書類を抱えたサオリの同期。一瞬、サオリへと向けて……すぐさまに頭を下げた。大量の書類を持ちながらよく頭を下げられるなと先程のアツコからの追求を少しでも脳から追い出す為に思考する。
「……ママン、いらっしゃったのですね。サオリはまだ見つかりませんか?」
「……まだだな。我が娘はとんだじゃじゃ馬らしい」
間違いないですねと続けたスバルはそのままアツコの机に書類を置いた。上部だけ見るとN社、H社、J社決算報告書とかかれたそれらの書類にしっかりとA社が貸し出した特許と利用料、税率、エンケファリン消費量が記載されており、最後まで読むのすら億劫になるほどの細かい情報量にサオリは目を何度か瞬きさせた。
「それで、理事長には申し上げておきたいのですがそろそろサオリの失踪届けを取り下げられては?さすがにこれ以上、脱走兵にリソースを割くのは合理的ではないと思ってしまうのですが……」
アツコはJ社の書類を手に取って、降伏文書にさながら署名するように筆を動かした。
「そうだね……そうしていいよ。ママンもそれで大丈夫だよね?」
「……嗚呼、良いだろう」
「では、そのように手続きしておきます」
スバルはそのまま横にある副理事長執務室へと戻っていった。
「……翼たちか。それらはちゃんと生徒が運営出来るのか?」
「出来てるよ。戦争を契機にフィクサーをやめた人が沢山起業したり、巣の永住権を買えない子が裏路地に流れたり、ニヒル協会が東西南北で区分されたりとか……いろいろ。四本指とか言う裏路地の組織も出てきたし……ママンの描いた都市は出来てきているよ」
サオリは深く黙った。出来れば、今ここで全てを吐き出して楽になりたい。その都市がママンを殺し、まさしく貪り、そして成長しているのだと。そして、ここに居る自分がママン等ではなく、錠前サオリであると姫に告げたかった。
「それは良かった」
だが、ママンの覚悟がそれを許さなかった。化物と形容出来る彼女は文字通りキヴォトスの全てに敵対して、最後に死んでまで我を貫き通した。サオリにはその覚悟を無下に出来るほど人をやめていない。
そして、黒服との契約もまたサオリから楽な道を奪い去った。仮に今のA社幹部にそれを伝えれば、A社はたちまち折れるだろう。
A社が生み出した煙により、ただでさえエンケファリンが必要な最中だ。A社が折れることは都市の崩壊というより、各巣を巻き込んだ大規模な翼戦争の勃発に繋がりかねない。アリウスの安寧は血の祭壇の上に立っていると言っても良い。
故に、サオリはママンが光に思えて仕方がない。どこまでも身勝手で、どこまでも我が強く、どこまでも一人だった。そんな彼女の生き方はまさしく絶望だったが、周りからすれば眩い光だった。
「……では、私はこれにて」
「うん…………ママン帰ってこないのかな」
ドアから出ていく時にうっすらと聞こえた声を聞かぬフリをした。自分にはまだやるべきことがあるのだから。
辿り着いたのは要塞都市エリドゥ、機械でなく、多くのフィクサーが防衛している。鉄壁の要塞、世界の終焉に備えて作られたという都市であり、ママンの協力者であった調月リオの居城。
「来てくれて良かったわ。守りはAMASやアヴァンギャルド君たちで良かったのだけれど、必要って言うからフィクサーを雇ったの」
「……契約通り、責を共にしよう」
ええ、リオは肯定してエリドゥの中枢部にある電子パネルに写し出されている計画にラグランジュ計画と書き出されていた。
「……C&Cの裏切りも考えて計画を一新したわ。幸い、ヒマリはA社の特異現象に興味が行っているみたいで上手く時間が稼げたの」
「それでどう動けば良い?」
「……ラグランジュ計画は先生を前提と置くわ。彼女がゲーム開発部に肩入れしているのはわかっているから、カオス理論を適用するの。先生、フィクサー、ヒマリ、調律者、C&C、セミナー……最低3勢力の条件は満たしている。だから、それらを誘導して衝突させて……名もなき神々の王女に退学処分を下してから、ここエリドゥで安全に解体する。不確定要素を助長させるのはあまり好みでないのだけれど……今回は不確定でないと私たちが負けるわ」
「……混乱の末に勝つのが一番合理的と置いたか」
「そうよ」
要塞都市エリドゥにて、カウントダウンが始まった。
時計じかけの花のパヴァーヌ、開始。
パヴァーヌ編開始!
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感想など楽しく読ませて頂いてるので、多ければ多いほど作者としてはやりがいを感じています。感想返信の時くらいしか読者と交流出来ないので、今回もよろしければお願いします!
あと10章ヤバかった(語彙力)