1.俺が親バカ?んなわけねぇだろ
今より20年以上前のこと。
御三家の一つである禪院家に、鬼神が産まれた。
その名を禪院甚爾。現当主である禪院直毘人の甥に当たる。
産まれながらに呪力を持たず、代わりに常人離れした身体能力を有している。通称
家を出たその後、別に何か目的があるわけではなかった。
禪院家に対する復讐。呪術界に対する報復。
そんな考えは毛頭なく、甚爾は手に入れた目先の自由を思う存分に楽しんでいた。
そんな折、彼が出会ったのは伏黒という女性だった。
「ねぇ甚爾くん。この子の名前、何にしようか」
馴れ初めは殆ど覚えていない。唯一鮮明に覚えているのは、いつの間にか自分が彼女と結婚していたという事実だけである。
誘われたのか襲われたのか。
記憶に無い点を見るに恐らく後者なのだろうが、どちらにせよ甚爾にとってはどうでもよかった。
「ソレ、男か?それとも女か?」
「まだ分からないなぁ。女の子なら嬉しいんだけど。……あ、勿論男の子でも嬉しいんだけどね」
「ふゥん。なら、恵だな」
「恵?恵……うん、確かにいい名前。でも、どうして?」
「俺みたいな貧相なヤツにゃ育っちゃほしくないんでな」
己が子に対し抱く感情にしては、それは歪だった。
愛情ではない。
それは後に、この子を──恵を襲うことになるであろう運命に向けた同情と哀れみであった。
「貧相って、そのガタイで?」
「身体の話じゃねぇよ。……で、産まれるのはいつ頃だ?」
「気が早いよ。まだ七、八ヶ月は掛かるんじゃないかな?」
「意外と長えんだな」
当然だが、甚爾が子供を持つのはこれが初めてだ。
妊娠から出産までどれほど掛かるのか、子供の性別が分かるのはいつ頃か。
一般教養は多少身についてはいるが、そういった知識は生憎持ち合わせてはいなかった。
「そうだよ?だからそれまで恵のこと、しっかり守ってよね」
「守るって……具体的に何からだよ」
「何からでも。だからそれまで賭け事は禁止ね」
「………………チッ、仕方ねぇな」
頭をボリボリと掻きながら甚爾は頷く。
内心は結構面倒くさいと考えているのだが、流石にそれを口に出せるほど空気が読めない男ではない。
それにどうせ、家事や子育てはその殆どを彼女が行うことになる。産まれるまでの辛抱だ。
(今から八ヶ月…有馬記念か)
祝杯を上げるには持ってこいだろう。
それに8ヶ月も我慢すれば、流石に競馬の神様も微笑んでくれるはず。
瞼の裏に有馬記念で一山当てる自分を幻視し、クツクツと笑う。
「変な笑い方。恵に移さないでよ?」
「移せるほど愛でられる気はしねぇがな」
「そう?もしかしたら親バカになってるかも」
「んなわけねぇだろ、第一そんな自分が想像できねぇよ」
「本当に?絶対に?」
「絶対だ。賭けてもいいな」
「ふーーーーーーん。じゃあもし親バカになってたら、生涯賭け事は全部止めてもらうから」
「あぁいいぜ。そんなことがあれば、の話だがな」
「まぁ、私も本当になるとは思ってないけどね」
───それから3年と半年───
「よーしよしよし!今日も恵は可愛いなー!」
禪院──改め伏黒甚爾は親バカになっていた。
恵が産まれた当初は、無事に生まれた安堵はおろか子に抱く愛すら皆無だった。
だが初めて恵を腕で抱いた時、その腕に収まる程小さくも、はっきりと脈動を感じる尊い生命に、人生で抱いたことのない激情に駆られた。
歓喜や感動と似た、打ち震えるような衝撃。
自分の人生が全て肯定されたような、自分の生きる意味が与えられたような。まさしく天命を受けた信徒の如き烈火が爪先から髪の先まで駆け巡った。
その感情にもし名をつけるのであれば、迷わず愛と名付けるだろう。
「パパ。僕かっこいいって言われたいよ」
「そうかそうか!ならそうだなー。明日一緒に走るか?」
「なんで?」
「なんでってそりゃ、足が速いほうがかっこいいだろ?」
「……たしかに!」
未だ三歳児とは思えない程口が達者である。
なんなら甚爾は恵が喋るたびに毎回「世界で一番賢いのでは?」と思っている。
「足が速くなったら、パパみたいにムキムキになれる?」
「恵はムキムキになりたいのか?」
「なりたい!
パパみたいなかっこいい大人になりたいもん!」
「……スゥ……フゥゥゥゥゥ……」
天使?
「そうか。恵は俺みたいな大人になりたいのか」
「うん!」
「他に夢はないのか?サッカー選手とか、宇宙飛行士とか」
「うーん。僕はそれよりもお父さんの方がいい。
カッコよくて強くって!大好きだもん!」
「……ッ‼」
口から声じゃない音が出た。
目が枯れそう。
「よーし!
それなら父さんが、恵のことを立派な男にしてや──あ?」
と、そこでポケットに入れていた携帯から着信音が鳴る。
相手を見れば、そこには見慣れた名前が書かれていた。
憤怒に燃えた頭を冷やし、少し冷静になる。
「悪い恵、父さん仕事の電話に出なきゃいけなくてな。
少し待っててくれ」
「わかった!」
名残惜しそうにしつつも、恵から離れる甚爾。
ズボンのポケットから着信音の鳴る携帯を取り出すと、それを耳に当てた。
「アンタか。久々だな、何年ぶりだ?」
『…確か、三年ぶりだな』
電話の相手は元刑事の孔。
甚爾のような裏の職人に向け、仕事の仲介を請け負う仲介人だ。元刑事ということもあり、そのコネと情報網は世界各国津々浦々まで伸びているとかいないとか。
甚爾とは長く、かれこれ十年以上の付き合いになる。
だがあくまでビジネスパートナー──仕事以外での付き合いは皆無であり、仕事の時を除けば顔を合わせた回数でさえ指折り数えるほどしか無い。
「そんなに経つのか。最近は時間の流れが早くて困る」
『…それより依頼だ。今も続けてるんだろ?術師殺し』
「三年前、お前から受けた依頼以降は誰も殺ってねぇよ」
三年前に受けた依頼で十分な貯蓄はできた。別にこれ以上殺す必要もないだろう。
『随分と優しくなったじゃねぇの』
「金が無くなりゃまたやるさ」
別に人を殺すのに躊躇が生まれたわけではない。必要があれば何人でもまた殺すし、幾らでも冷酷になれる。
ただ今は、恵との時間を大切にしたい、ただそれだけだ。
「それに依頼なんかに向かって、その間誰が恵の面倒を見るんだ?」
『そんなに恵のことが心配なら、家政婦でも雇えばいいじゃないか。金ならまだ沢山あるだろ?』
「…アイツとの約束があるからな。15までは俺が面倒を見る」
『…お前、ただ恵と一緒に居たいだけだろ』
アイツ──恵の実母は恵を産んでから暫くした後亡くなった。
出産で体力を使い果たしたのだろう。その安らかな笑みは今も尚瞼の裏に焼き付いている。
『15?……あぁ、高専に預けるのか。禪院家には預けないのか?』
「あんなクソの肥溜めに誰が預けるかよ。それに、高専に通うまでは普通の学び舎で教養を育んでほしいからな」
『そりゃそうか。だが学び舎って、お前ん家の近くに学校なんてあったか?』
「再婚相手の女の家の近くにある。もう二、三年もすれば今俺がいる家を売っ払って、そこに恵と一緒に移り住む予定だ」
甚爾は恵の術式が相伝か否か、天才か凡才か否かに関わらず、将来的に高専所属の術師としてその道を歩んでもらおうと思っている。
素直に言えば恵に危険な目に遭ってほしくはないのだが、安定した収支も得られるだろうし、何よりそれ以外の道を行こうものなら、禪院家に何されるか分かったものではない。直毘人が当主なのでそこまで絡まれるようなことはないだろうが、恵を人質に甚爾を使い当主の座を狙う者や甚爾に個人的因縁を持つ者が現れる可能性を否定はできない。
その魔の手を防ぐという意味でも高専の庇護下に置いといたほうが安心できる。
『再婚相手ねぇ。信用できんのか?』
「さぁ?俺も適当に選んだ女だからな」
『お前ホント、そういうところは変わらねぇよな…』
恵のおかげでだいぶマシにはなったとはいえ、クズな所は依然変わらずクズのまま。いや、人殺しを躊躇しない人間にマトモな感性を求める時点で可笑しいのだろうが。
『……っと話が長くなっちまったな。それで今回電話した件なんだが──』
「受けねぇよ。俺以外のやつで頼むぜ」
『まぁそう言うと思ったよ。今回はかなり大きな仕事だったんだが…残念だ」
「それにな、もし俺が死ねば誰が恵を育てるんだ?」
『再婚相手の女に頼めばいいんじゃないのか?』
「それが出来れば苦労はしねぇ。それにまだ高専に恵を預ける手続きを済ませてねぇ。こうなるんならコネ作っときゃ良かったぜ」
すると電話から心有りげな唸りと共にポキポキという音が鳴った。首でも曲げているのだろうか。
『…………そうか。もしかしたらと思ったが……まぁ、いいか』
「あ?なんだ?」
『いやなに、さっきの依頼に高専が関わっててな』
「ナイスタイミングじゃねぇか。早く受けさせろよ」
『ちなみにお前は高専側が守るモンを殺す係だ』
「コネ作るどころが断ってるじゃねぇか」
『だよな』
むしろ恵を高専に入れにくくしてどうする。
…いや、もしくはここで「俺の息子をお前に預ける」的なシチュに持っていけば理由ぐらいは作れるだろうが……その場合自分は死ぬかそれと同意義の目に遭うだろう。
せめて自分が老衰するか恵を庇って死ぬまでは生き続けたい自分にとっては、どう考えても選ぶハズのない選択肢だ。
と、そこまで無意味に頭を働かせていた所で、孔が「あ、そうだ」と発する。
『…禪院、これから暇か?』
「あ?暇っちゃ暇だが……なんだ?」
『なに、飯でも一緒に食わねぇかと思ってな』
「飯か…」
壁に掛けた時計を見ると、その針は丁度11時半を指している。
甚爾自身は腹はそんなに空いていないのだが…。
携帯を耳から離すと、離れた場所で玩具遊びをしていた恵に携帯を近づける。
「恵、お腹空いてるか?」
「空いてる!」
「そうか…だ、そうだ」
『そんじゃお前ん家の近くのバーガー屋で落ち合おうぜ』
「おう」
携帯を切り恵の格好をチラリと見る。
自分もだが、家着のラフな服を着ている。流石にこれで外に出るのはやめておいたほうがいいか。
「よかったな恵!今からハンバーガー食べれるぞ!」
「やった!じゃ僕着替えてくる!」
甚爾が言う前にその思考に辿り着くとは。
「……天才しゅぎ」
顔を手で覆い感動で泣きそうになりながらそう呟いた。
同時刻───。
「
「そうだ」
「ついにボケたか」
「春だしね。次期学長ってんで浮かれてるのさ」