ドス黒い殺意の塊に晒され、孔は一瞬だけ意識を手放しかける。電話越し、それも自分に向けて放たれたものではないというのにも関わらずこの迫力。仮に一般人に向けれでもすれば、その者はショック死するのではないだろうか。
しかし孔も伊達に甚爾の仲介人をやっていない。すぐに平静を取り戻すと電話の向こうで荒ぶる鬼神を何とか宥めようとする。
『待て伏黒!冷静になれ!』
「冷静?冷静で居られるかよ!恵がッ!誘拐されたんだぞッッ!!」
『だからこそだ!闇雲に突っ走っても成果が得られる訳がねぇ!まずは詳しい事情を聞いてからだ!』
「それじゃ遅ェだろうが!今この瞬間にでも恵が危険な目に遭ってるかもしれねぇだろ!!」
『だから落ち着けって!誘拐したのが何者かは知らんが、攫うなりに何か目的があるってことだ。身代金か人質か、それが何かは分からないが、少なくとも今すぐ恵に危険が及ぶことはねぇ』
「……本当だろうな?」
『あくまで憶測だ。それにさっきも言ったが、闇雲に動いたって成果は得られねぇ。何よりも情報を集めてからだ』
「…………分かった」
甚爾から殺意が薄まるのを感じ取り、孔は額の汗をタオルで拭い取る。なんとか地球滅亡の危機は去ったが、別に問題そのものが解決したわけではない。
兎にも角にも情報だ。
ひとまずは津美紀から詳しい事情を聞くのが優先だろう。
「津美紀、恵が攫われた時のこと詳しく話せるか」
「………うぅ……」
甚爾の豹変っぷりが恐ろしかったのだろう。
嗚咽混じりに泣いており、目元を手で拭いている。
「わ、悪かった。さっきのは───」
「分かってる。……恵が攫われたから、だよね」
目尻を赤く染めながらもなんとか泣き止んだ津美紀。
一度深呼吸を交えると、恵に何が起こったのかを話し始めた。
津美紀が夏油の家へ向かっていた道中、向かいの歩道で歩く恵の姿を発見した。
向かう先はそれぞれ別方向であり、合流する予定はないものの、いってらっしゃいの一声ぐらいは掛けようかと走り出した、その時。
恵の向かう道の先に、黒いマントを羽織った二人組が立ち塞がるように現れた。
───誰だろう。知り合いかな?
そう思った刹那、恵は彼らから逃げようと背を向け走ろうとした。だが恵の逃亡は三歩しか許されず、一瞬で背後に移動した一人によって、捕らえられてしまう。
そしてその後二人が用意していたのだろう車に乗せられ、恵と二人は
一部始終を目撃した津美紀は、急いで交番へ駆け込もうとした。が、近所の交番はここから走っても15分は掛かる。
警察に通報しようにも携帯を持っておらず、公衆電話もそもそも現金の類いも持っていないので使えない。
どうしようかと頭を抱え悩んだ末、一先ず家に──甚爾の元に戻ってきた。
津美紀は話し終えたタイミングで、そっと目尻に涙を溜める。
「お父さんなら、もしかしたら助けられるかもって思って……でも、やっぱり交番に行った方が良かった…よね?」
「…いや、津美紀は悪くない。むしろ逆だ、警察に通報しても事態の解決には遠退く。仮に直ぐ場所を特定できたとしても、警察が動けば警戒される。場所を移されれば救助は更に滞るだろうな」
また、警察が動けば犯人を殺す気マンマンの甚爾も好き勝手動きづらくなる。どこを取っても利点がねぇな。
ということで津美紀の行動は失敗どころがファインプレーだったわけだ。
「偉いぞ津美紀、ありがとうな」
頭を撫でながら感謝の言葉を伝えると、顔を真っ赤に染め急いで自室へと走り去っていく。恵が攫われて悲しい感情と、甚爾に褒められて嬉しい気持ちがごっちゃになった結果だ。
まぁ勿論、それは甚爾には伝わっていないわけで、嫌われた…?と少しショックを受けている。
電話の向こうの状況を全く把握できていない孔は、わざとらしく咳をすると情報の整理を行う。
『だが、分かったことは少ないな。犯人は二人組で、見た目に関する情報は黒いマントを着けていることだけ…それ以外に何かヒントになりそうなのは…』
「相手は呪力が使えるってことだけだな」
『そうだな………ん?そうだったか?』
「考えてもみろ。恵が敵前逃亡する相手だぞ?少なくとも一般人じゃねぇよ」
恵は呪力操作が行える。
無論扱える呪力は微量ではあるものの、徒手格闘だけでも大人相手に五分の戦いが行える。それに加え術式による式神の召還も行えるので、それこそ相手がプロの格闘家とかでもない限りは、倒すどころがマトモに戦うことすら不可能だろう。
だが、恵が逃げたということはそれなりの実力者であるということ。流石に相手が世界チャンプクラスだとは信じられないので、あるとすれば呪詛師か呪術師かのどちらかだろう。
『術師はねぇな。あるとすりゃ呪詛師だが…』
「いや?術師にも狙われる可能性はある」
『誰だよそれ……まさか禪院家がやったとか言うんじゃねぇよな?』
「可能性の話だ」
確かに可能性自体は無くはない。五条との契りにより新勢力の勢いは収まったとはいえ、未だ当主の座を付け狙う者がいるハズ…だが、そこまでリスクを背負ってまで攫う必要があるのかと聞かれれば首を傾げてしまう。
『ねぇよ絶対。そもそもメリットとデメリットが釣り合ってないだろ』
「だが能無しぼんくら阿呆共の奴等ならやりかねない」
『言いすぎだろ…いや、お前がそこまで言う理由もわからんでもないが……そんなに言うなら本人に聞けばいいじゃねぇか』
「本人?……直毘人か」
まあ確かに直毘人ならばある程度の家中の流れは把握しているだろう。不穏な動きをする者がいれば大抵気付くことができるほどに、アレは優れた嗅覚を持っている。
とはいえ、そう易々と犯人が見つかるとは思っていない。そもそも禪院家に犯人がいるという確証もないので、無駄足になる可能性だってある。かといって聞きもせずにスルーすると、後になって後悔する可能性もある。
「…ハア、結局のところ聞かないことには始まらねえか」
『こういうのは地道な調査が大事だからな。探偵モノにありがちだろ?』
「小説は読まねえよ」
『お前の性格だとそうだろうな。…ま、試しに電話してみればいいじゃねえか。俺も丁度腹減ったし』
「俺の息子が危ねえって時に暢気だな」
『さっきも言ったが俺は今バカンス中なんだ。少しぐらい暢気にさせてくれ』
そこで孔との電話は切れた。この野郎…と一瞬キレそうになるも、それを寸でで抑え込む。
今は恵のことが最優先だ。電話帳から直毘人の名前を選ぶと、早速電話をかける。
禪院家当主───禪院直毘人の自室にて。
外では入学式だなんだと忙しない中、直毘人と直哉は大型テレビの前で並んで鎮座していた。
画面に映るのは子供向けのクレイアニメーション。一秒あたり24フレームで構成されており、粘土の人形がまるで生きているかのように日常を演じている。中でも今二人が見ている話はシリーズ全編を通し最高傑作と名高く、放送終了した今でも時折再放送されている。
見る者誰もが童心に帰ることができる最高の作品だ────と言いたいところだが、生憎この場に二人ほど該当していない人間がいる。
「術式反転。イメージした動きをトレースする投射呪法を反転させた場合、どのような術式となるか。お前は分かるか?」
「分かるも何も、俺はソレを体験しとるからね。なんなら親父よりも詳しいで」
「ほう?では説明してみせい」
「…それ親父が知りたいだけやろ」
「知りたくて何が悪い。俺ですら届かぬ投射呪法の極致。モノによっては、俺が反転術式を学びに甚爾に半殺しにされる未来があるかもしれんぞ?」
「そのままポックリ死んだらええのに」
「ポックリで済めばいいがな」
ショック死するなら話は別だが。どちらにせよ甚爾と戦ってマトモに死ぬことは叶わないだろう。
「…まあええわ。ンなマル秘にするようなワザでもないし。それに───」
「…それに?」
「───いや、なんでもないわ」
それに───教えてもどうせできないだろうし、というのは言わないでおく。
「ほんなら…」
「…ん?」
直哉が意気揚々と語りだそうとしたタイミングで、直毘人の懐から携帯の着信音が鳴る。
───なんや、人が気持ちよく話そうとしたタイミングで止めよって。
誰かは知らないが、直毘人の携帯を鳴らした本人に対して強い恨みをぶつけようと───。
「甚爾か。随分とまた久しい相手から電話が来たものだ」
───なんや甚爾君かいな。
沸騰しそうになった頭はすぐに冷やされる。
だが、それにしても珍しい。
直哉はともかくとして、甚爾は極力禪院家との関わりは持ちたくないと思っていたはず。
それが一体、どうして連絡を取ろうと思ったのか。
直毘人が電話に出ると、直哉は聞き耳を立てた。
「どうした?お前から電話が来るとは珍し───」
『殺すぞ』
「……何があった????」
開口一番殺害予告を受けた直毘人は内心びくびくしつつも冷静にツッコむ。
しかも冗談とかの類ではなく、本気の殺気が籠った殺すぞだった。
何かした記憶はまだないのだが…。
「随分荒ぶっているな。…お前の倅に何かあったのか?」
『ああ』
「…それはなんとも…」
心配しているような声色だが、顔は不敵な笑みを浮かべている。
恩を売るチャンスと見たり、なんとも狡猾である。
「一体なんだ?攫われでもしたか?」
『……』
「図星か。そして俺に電話をしてきたということは、つまり俺を疑っているというわけか?」
甚爾は黙っていても仕方ないと判断し、事の次第を説明し始めた。
『───てなわけで、アンタに電話を掛けたわけだ。早く言った方が身のためだぜ?』
割と優しめの言い方なのが逆に怖い。
「生憎だが心当たりはない。そもそも恵を攫ったところで、今の状況がひっくり返ることはまず無いだろうしな」
『恵を人質にされた俺が、お前を狙うことになってもか?』
「お前が馬鹿正直に従うとは思えんがな。そうなればこちらも五条という手札を切るまでよ」
五条というカードを切らせることが狙いというのであれば、天晴策士と言うほかない。まあ尤も、どちらに転ぼうと人質を取ったソイツが死ぬ未来は変わらないが。
『…なら、恵を使って次期当主を狙う奴はどうだ?そいつらなら攫う理由はあるだろう』
「安心しろ。そのような者は既に禪院家にはいない」
『?何故だ?』
「無論、直哉がいるからだ」
当主の息子という立場に加え、領域展開と反転術式を習得した直哉に勝る存在は今の禪院家にはいない。というか、なんなら実力で言えば直毘人よりも上の可能性もある。
禪院家は完全な術式至上主義に基づいており、頂点に立つ者はそれ相応の才能を秘めていなければならない。仮に恵を攫って英才教育を施したところで、直哉を超える才能を次期当主の座を奪える望みは薄い。
ハイリスクノーリターン、やるだけ無駄だというのに恵を攫うことはバカでもしないだろう。
「そもそもだが、仮にそういった動きがあったとして、それを俺が黙認するわけがなかろう。お前をわざわざ敵に回して誰が得する」
『……そう、だな』
甚爾も流石に納得したようで、少し落ち着いた雰囲気になる。
ただあくまで禪院家に敵がいないと判断しただけであり、その心の奥底には未だ楔のように刻まれた殺意の塊が宿っている。
このまま放置するのは賢明ではない。直毘人はそう判断し、暫し間を置き助言を送る。
「…これは仮説だが、恵を攫った犯人は術師ではない。呪詛師──それも愉快犯や殺人鬼のような短慮で実直な私欲に走る思考を持つ者ではなく、明らかに何か計画性を持った者達による犯行の可能性が高い」
恵を襲ったのは二人組という話だった。
そもそもだが、呪詛師は手を組むこと自体が珍しい。呪詛師は傲慢で自己中心的な者が多く、同類を見つけた場合は互いに嫌悪、或いは無干渉を貫く。
だが徒党を組んでいるということは、彼らには何かしら利害が一致する目的、もしくは一つの思想の下活動しているのだろう。
「だがお前には身代金等の要求は今のところはなし。つまり犯人はお前が目的ではなく───」
『恵か。だが、恵を狙う理由は?』
「それは分からん…呪力を持った子供を狙っているのかもしれない、ただ容姿の良い子供を攫っただけかもしれない。…なんにせよ、情報が少ないな」
『それはそうだが…他に情報なんざ…』
「…高専はどうだ?呪詛師関連の情報もあるはずだろう」
直毘人の提案に暫く黙る甚爾。一考する余地ありと頭を悩ませているのだろう。
別に恵がどうなろうと知ったことではないが、甚爾に貸しを作れるなら話は別だ。手札は何枚あっても損は無い。
クツクツと笑っていると、隣で二人の会話を聞いていた直哉が般若の形相で迫ってきた。
「恵クンが攫われたってホンマなんか?」
「嘘だと思うか?」
「ホンマやったら、そのアホンダラ俺がブチ殺したるわ」
目を見開き宣言する直哉に、思わず直毘人は身震いする。
甚爾と似て非なる殺意の濁流。その姿に甚爾の面影が重なる。
そして───やはり直哉を預けて正解だったと高笑いした。
「…クハハハ!よい、好きにしろ」
「言われんでもそのつもりや」
そこで甚爾も踏ん切りがついたのか、分かったと一言呟く。
『高専に行く。呪詛師の知り合いなんざいねえしな。可能性が少しでもあんなら行った方がいい…どうした?』
「なんでもない。それより恵だ、心配なのだろう?」
『言われなくても行ってやるよ』
そこで電話は切れ、同時に全身を襲っていた悪寒が消えていく。
───殺気を少しは抑えてくれ。
粟立つ肌を摩りながら、直毘人は直哉に視線を送る。
「この一件、甚爾に貸しを作る絶好の機会よ。俺も出向こう」
「親父は別に来んでも…あ、ならついでに灰原クンと七海クンも呼んどこか。五条クンと夏油クンも呼んだら楽勝やろ」
直哉の手前口には出さないものの、過剰戦力過ぎるメンツに思わず犯人に同情してしまう。
一体前世でどれだけの罪を重ねたのだろうか……。
「……
死亡が確定した犯人達へ、早めの念仏を唱えておく。
生まれ変わるのであれば食べ物以外に生まれ変わりますように。
犯人1「帰ったらアイツと結婚するんだ」
犯人2「無事に帰れたら俺にも紹介してくれよ」
犯人1「その時は一緒に酒でも飲もうぜ」
犯人2「それまで死ぬわけにはいかないな」
犯人1「俺はそう簡単には死なないぜ」
犯人2「俺も殺せるもんなら殺してみろってな」
誤字報告ありがとうございます。
仕事の関係で投稿頻度結構落ちる(現在進行形)かも。