戴天   作:灰汁

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一話目。シノビガミ要素がほぼねぇ……。


一話

 ――███年██月█日。

 ――『██町』にて強力な妖魔の反応を確認。

 

 雨の降る夜だった。

 轟く雷が、闇の中を照らし出す。

 

 ――現地の『忍び』が対応にあたり、封印に成功。

 

 血が飛び散っている。

 

 ――常人の被害はなし。

 

 死体が転がっている。

 

 ――忍びの死者、█名。

 

 その傍で、立っている。

 

 人を殺した。

 自分は、笑っていた。

 

 ◇

 

 この町には『お狐様』がいるのだという。

 町――と言っても、小さなものだ。通学路を歩いていて誰ともすれ違わずに帰宅できることも、そう珍しくはないくらい。

 そんな小さい町だからこそ、他の場所では忘れられたものたちがいるのだと。

『お狐様』は中でも一番偉いお方で、この町を見守ってくださっているのだと。

 人と、そうでないものが、一緒に暮らせるように――。

 そう語る祖母に対する眼差しは、きっと冷めていたと思う。

 

「そんなんじゃ、『お狐様』に叱られちゃうよ」

 

 何が『お狐様』だ。漫画やアニメじゃあるまいし。

 確かあの時の自分は、そんなことを言っていた気がする。

 

「はあっ、はあっ……!」

 

 夜の山を駆け降りる。

 正確には、逃げている。

『何』から逃げているのかは、自分にもよくわからない。

『アレ』は多分、人ではないし、人が見てもいけないものだ――直感が、そう告げている。

 どこで、なにを、間違えたのだろう?

 小学校卒業の前祝いなんて称して、立ち入りが禁止されている山での季節外れの肝試しを企画した時か。

 クラスでも一番可愛い『あの子』が、珍しく参加してくれるとあって舞い上がってしまった時か。

 あるいは――『お狐様』を馬鹿にした、あの時だろうか?

 

「 」

 

 後ろから、声のような何かが、聞こえる。

 山の中を登っていくと、小さな祠を発見した。中には古びた鈴が入っていて、友人たちはにわかにざわめき始めた。

 そんな自分たちとは対照的に女子グループの反応は冷めていて、何人かは泣き出しそうになっているほどだった。

「おい、ちょっと見てみようぜ」――祠の中を懐中電灯で照らし出し、鈴に手を伸ばした時、『あの子』が言った。

 

「やめた方が良いよ。もう帰ろうよ」

 

 振り返って、笑った。

 

「へっ。やっぱ女子は弱虫だな! 俺はこんなの、これっぽっちも怖くねーし」

「あっ!? ちょっと、待っ」

 

『あの子』の言葉を無視して、祠の中にある古びた鈴を取り出した。

 当然鈴としてはもう機能していない。

 振っても音は鳴らないし、ただの残骸のようなもの――

 

「 」

 

 の、はず、だった。

 その場にいる全員が、たしかに聞いた。

 擦れるような、古い鈴の音を。

 皆が黙った。

 その隙間を狙い澄ますように、もう一度、

 

「 」

 

 誰かが悲鳴をあげた。

 堰を切ったように混乱が広がる。

 手元の鈴ではない。

 別のどこかから、聞こえている。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫だから、みんな落ち着いて――」

 

『あの子』が慌てて皆を宥めようとしている。

 自分は、見てしまった。

 彼女の背後にいる、『ソレ』を。

 

「 ァ 」

 

 大人さえ優に上回る大きさの、真っ暗な闇。縛っていないてるてる坊主みたいにメリハリのない体に、悪趣味な福笑いにも似た滅茶苦茶な白い顔。ヒトではない何かがヒトを真似ると、きっとこうなるのだろうと思わせる異形の姿。

 体中から、いくつもの黒い手が伸びては崩れ、ぼとりと地面に落ちていく。

 

「ァ 」

 

 その影が、『あの子』の肩を、掴んだ。

 ――それからどうなったのか、よく覚えていない。

 懐中電灯はどこかで落としてしまったようで、靴も片方がなくなっている。足の裏はきっとひどい有様になっているだろう。

 しかしそんなことに気を回す余裕などあるはずもなく、ただがむしゃらに走り続けていた。

 

「っ!?」

 

 太い木の根に引っかかる。踏みとどまる体力はもうなかった。派手に転ぶ。

 足首に冷たい何かが触れた。

 

「ひっ!?」

 

 振り返れば、闇の中に、真っ白な顔が浮いていた。

 そこから伸びたいくつもの黒い手が、自分の足を掴んでいるのだ。

 引きずり込まれる。

 

「い、嫌だっ。嫌だ、助けっ、」

 

 かすかに、鈴の音が聞こえる。

 もがく。

 引きずられた指の跡が土に残るだけだった。

 

「父ちゃんっ、母ちゃんっ!! 嫌だあっ!!」

 

 鈴の音が聞こえる。

 泣きわめく。

 夜が遠くなっていく。それよりも深い闇が、視界の脇を飲み込んだ。

 

「ばあちゃんッ……!!」

 

 すぐそばで、鈴が鳴っている。

 闇が、世界を埋め尽くす。

 視界の真ん中に何かが映った。

 祖母からもらったお守りが、いつの間にか地面に転がっていた。

 嫌だ。

 誰でも。

 誰でも良いから。

 お願いします。

 助けて。

 神様。

 ――何を考えていたのか、自分でもよくわからない。

 泣きじゃくりながら、気付けば無意識に、自分は『その名』を呼んでいた。

 

「お狐、様……っ!!」

 

 その時、だった。

 

 

「――もうっ。だから『帰ろう』って言ったのに!」

 

 

 ぷんすこ、という擬音が似合うような、可愛らしい怒り声。

 

「ぇ、あ……?」

「見つかってほんとに良かったっ。ごめんね、他の子たちも助けてたら遅れちゃって」

 

 視界いっぱいに広がっていた闇はどこかへと消えて、代わりに女の子――『あの子』の顔がすぐ近くにあった。

 肩に届くか届かないかほどの、艶やかな黒髪。ほんの少しだけ癖を持ち、緩くウェーブを描くその髪は、束のひとつひとつが三日月のようだった。

 

「怖かったよね。もう大丈夫だから」

 

 赤い瞳。視線がぶつかる。彼女からは、いつも桜の良い香りがした。

 

「お守り、大事に持ってくれてたんだね。ありがとうっ」

 

 半分だけ白い狐のお面を被り、顕になったもう半分の微笑みを、こちらへ向けている。

 どきり、と心臓が熱く脈打つ。

 

「怪我してない? どこか痛む?」

「あ、いや……ええと」

 

 熱を帯びた頬を、冷たい風が打つ。

 遅れて、奇妙な浮遊感に気付いた。

 ふと下を見て、

 

「あっ、下は見ない方が」

「……うわああああっ!? と、飛んでる!? 落ちてるっ!?」

 

『あの子』に抱かれて、自分は遥か上空を飛んでいた。

 眼下には真っ黒な影となった山が広がり、少し視線を向こうにやれば町の明かりが瞬いている。星空と夜の町に挟まれ、ふっと気が遠くなるような感覚に襲われた。

 

「わあわあ!? だ、大丈夫だから暴れないで!? ちょっと勢い付けすぎちゃっただけだからっ!?」

「あばばばばばばーーーッ!?」

「――ひゃんっ!?」

 

 暴れ回る。手のひらが、ふにっと柔らかいところに触れる。視界に映る彼女の顔が真っ赤に染まった。

 

「あう、やっ……い、いいい今降りるから! 怖くないから、とにかく落ち着いてぇーっ!?」

 

 素っ頓狂にひっくり返った彼女の声で、ふと我に返る。

 このふにっと柔らかい感触はなんだろう、と考えを巡らせて、

 

「………………あ」

 

 すぐに合点が行った。

 体が固まる。

 

「……気付いた?」

 

 彼女は真っ赤な顔のまま、震える声で呟いた。

 

「……………………手、離して?」

「ご、ごめんっ!!」

 

 慌てて手を引っ込める。

 

「そのっ、そんなつもりじゃなくて! 悪い!!」

「あ、あはは……ううん、気にしないで。これだけくっついてるんだし仕方ないよね事故だよね事故あははこういうこともあるよっていうかこっちこそごめんね変なもの押し付けちゃって嫌だったよねあははは」

「あ、いや……別に嫌だったわけじゃ、」

 

 ハッとするも、時すでに遅し。

 赤い顔のまま、じとーっとした半目で、彼女が見つめてきた。

 

「…………………………えっち」

「ごめんなさい!!!」

「……ん。よろしい。あたしも悪かったから、改めてごめんね。はいっ、この話は終わり! お互い忘れよっか!!」

「お、おう!」

 

 忘れろと言われても忘れられない気もするが、それこそ本気で嫌われかねないので、思い出はそっと胸にしまっておくことにした。

 

「とりあえず地面に降りるよ。ちゃんと掴まっててねっ!」

 

 なぜ彼女がここにいるのか。なぜ自分たちは空を飛んでいるのか。なにがどうなっているのか――。

 尋ねるよりも早く、夜空が視界の端を流れていく。逆巻く風が耳朶を打ち、ごおおっという音以外になにも聞こえなくなる。

 気付けば、彼女に抱えられたまま、再び山の中にいた。

 

「さて、と。もっかい聞くけど、本当に怪我とかしてない?」

「お、おう」

「……へー。その割にはちょっと血の匂いがするけど、どういうことかなー?」

 

 半目で尋ねられた途端、思い出したかのように、足からじんわりとした痛みが滲んだ。

 靴下で山を駆け下りていたのだ。裸足よりはマシだが、皮を擦りむいたり、何かが刺さっていてもまったく不思議ではなかった。

 彼女は、ため息交じりの苦笑いを浮かべた。

 

「気付いてなかったんだね……まあ、仕方ないか。あんな状況だったんだし」

「な、なんでここにお前がいるんだよ? 他の皆は? いや、さっきの奴は……そもそもどうして、あんな高いところに。どうやって降りて――」

「ごめん。答えてあげられないんだ」

 

 眉をハの字に曲げて、彼女は人差し指を口に当てた。

 

「皆はちゃんと家に帰れてるよ。『なにがあったかは覚えてないだろうけど』」

「え?」

「ごめんね」

 

 彼女がもう一度謝る。

 ふっと、意識が急激に遠のいた。

 

「ぇ……あ……?」

「ここから先は、知らない方が良いことだから」

 

 彼女の背後に、『顔』が映る。

 真っ白な顔。口と思しきパーツを三日月に歪め、口内からは闇が覗いている。

 慌てて、逃げろと叫ぼうとする。

 しかし、口が開かない。

 全身の力が抜けていく。

 

「次に目が覚めるときは、全部忘れちゃってると思うけど」

 

 霞む視界の中に、ぴょこりとなにかが映り込んだ。

 きっと、夢か幻の類だったのだと思う。

 ――彼女の体に、黒い狐耳と、同じく漆黒の尻尾があるように見えた、なんて。

 

「もうこんな危ないこと、しちゃダメだよ?」

 

 優しい声に包まれる。

 彼女から漂っている桜の香りが、今はひときわ心地良かった。

 いつ気を失ったのかは、覚えていない。

 

 ◇

 

 

「――ふうっ。良かった、これで全員だね。あとはこの子をお家に送って一件落着、かな。ごめんね、横から割り込んじゃって。でも、だいぶ怯えてるみたいだったから」

「 ァ 」

「……そ、そんなに落ち込まないで? 本当に危ない子に捕まったら助からないかもしれないし、見つけてくれたのがあなたで良かった。むしろ罰当たりなことしたのはこっちだもん、本当にごめん。止められたら良かったんだけど」

「ァ 」

「うーん……あたしは悪気がないのわかってるから大丈夫だけど、普通の人は逃げちゃうんじゃないかな。前より怖くなってない?」

「ァ…… 」

「――えっ、怖がられないようにって思って人に寄せたかたちがそれなの!?」

「 ……ァ 」

「あ、ああ〜……そういえばあったね、そんなこと。今でもネットの怖い話といえば、って感じで殿堂入りになってるし」

「 ァ 」

「なるほど、その反省で人を真似て……いや余計怖いよ!?」

「 ァ…… 」

「……あっホントだまたバズってる!! この心霊写真、そうだよね!?」

「ァ 」

「う、うーん……そっか。要練習だね。大丈夫、あたしも手伝うよ! 目指せゆるキャラ!」

「ァ !」

 

 

 ◇

 

 家の布団の上で目が覚めた。

 傍では両親と祖母が必死になって看病してくれていて、涙を浮かべて自分を抱きしめた。

 なんでも、自分は夕食の後いきなり姿を消していたとのことだった。警察に相談するべきかという時になって、玄関で物音がしたかと思うと、家先で倒れていたらしい。

 足の裏に軽い怪我をしているくらいで体に異常はなかったのだが、土だらけで気絶しているものだから心配をかけてしまったようだ。

 ひとしきり落ち着いてからなにがあったのか聞かれたものの、不思議なことに、自分でもそれがさっぱりわからない。

 確かに夕食を食べた記憶はあるのだけれど、覚えているのはそこまでだった。

 

「神隠しかしらねえ」

 

 祖母がそう呟いた。

 

「でも、良かったよ。『お狐様』が、きっと守ってくれたんだねえ」

 

 気を失っている間、ずっと紐のちぎれたお守りを握りしめていたらしい。

 いつもなら「また始まったよ」とため息をつくところなのだが、なぜだかそんな気分にはならなかった。

 

「あっ、ケントくん! おはよーっ!!」

 

 数日ぶりに登校すると、校門の前で掃き掃除をしている女の子が、ぺかーっと笑顔を浮かべて明るく挨拶してきた。

 黒髪に赤い瞳の少女だ。いつも誰よりも早く登校しては、自分から掃き掃除をしたり先生のお手伝いをしている。

 

「忍花、またやってんの?」

 

 名を、忍花 天理(しのは てんり)という。

 少女――天理は、箒片手にこくりと頷いた。

 

「うんっ」

「変なやつだなー。俺なんてやれって言われてもやりたくねえけど。宿題なしになるなら考える」

「あはは、ケントくんらしいね。あたしは、皆が気持ち良く学校に来てくれたら嬉しいなって思ってるだけだよ」

「掃除の時間があるしそれで良いじゃん。どのみちまた汚れるんだから意味ないって」

「もー。そんなこと言ってると、また先生に怒られちゃうよ? 今日はあたしも自分の場所済ませたら手伝うから、たまにはみんながびっくりするくらい綺麗にしちゃおうよ!」

「あー……考えとく」

 

 なにかと男女の衝突が多いクラスの中においても、彼女だけは立場が少し違っていた。

 どちらとも仲良くしていて、どちらにも偏ることがない。

 真面目そうに見えて、一緒に授業を抜け出して遊びに行ったこともある。

 かと思えば、笑顔で町内行事やボランティアに勤しむ姿を見ることも珍しくない。

『良い子』なのは間違いないが、たまに悪いこともしている。イマイチよくわからない、不思議な少女だった。

 

「それより、足の怪我大丈夫?」

「ん? ああ、すぐ治ったよ。かさぶたになってたから、今朝剥がしてきた」

「ええっ!? か、かさぶたって剥がすの良くないんじゃなかったっけ?」

「でも剥がすと気持ち良いんだよな」

「あっ、それはちょっとわかるかも。でも、また痛くなったら言ってね? あたし、絆創膏くらいならいつでも持ってるから」

 

 天理を見ていると、頭がむず痒くなる。なにか、忘れていることがあるような気がした。

 

「さてとっ。それじゃあみんなも登校してくるだろうし、そろそろ切り上げようかな!」

「みんなが来るとダメなのか?」

「これ見よがしにお掃除なんかしてたら、気を遣わせちゃうよ」

 

 天理は苦笑いして箒とちり取りを持つと、倉庫のある方角へと向いた。

 

「じゃ、またあとでね!」

「……ああ」

 

 すれ違う。桜の香りがした。心が安らぐような、どこか懐かしい匂い。

 

「なあ」

 

 気付けば、声をかけていた。

 

「なあに?」

 

 天理が振り返り、首を傾げた。

 

「……変なこと聞くんだけどさ」

「うん?」

「『お狐様』って聞いたことあるか?」

「もちろん。この町の人ならみんな知ってるよね」

「ああいうのって、本当にいるのかな」

「……って言うと?」

「なんて言えば良いのかわからないけどさ。そういう神様的なのが、俺らのこと見守ってくれてる……みたいな。俺、今まで信じてなかったんだけど……本当にいるんだとしたら。なんか、お供え物とかさ。そういうの、した方が良いのかなって」

 

 そこまで言って、ハッとした。

 

「……って、なに言ってんだろうな俺! ハハッ、」

「――あたしは」

 

 天理が、まっすぐに自分の瞳を見ていた。

 

「霊感とかあるわけじゃないし、そういうのはわからないけど。でも」

「……でも?」

「もし、そんな神様が本当にいるんだとしたら……一言だけ。『ありがとう』って言ってあげて。きっとそれで、全部伝わるよ」

 

 その顔が、綻ぶ。

 笑っているはずなのに、自分には、それがどこか寂しげなものに見えた。

 頭の奥で、なにかが鳴っている。お狐様。天理。どこかで。

 

「――えへへっ、なんてね! そういうことなら、今度一緒にお参りでもしようねっ」

 

 頭の中に薄らと散らばる、気を抜けば掴めなくなってしまいそうななにかを、集め切るより早く。

 天理が、上目遣いでそう言った。

 

「お、おう」

「約束だよ? じゃあ、休み時間にまたおはなししよ!」

 

 楽しそうに笑って、天理は今度こそ用具を片付けに倉庫へと向かった。

 何気なく空を見る。

 青い空が広がっている。淡く引き伸ばしたような雲。本当なら次々とクラスメイトが登校してくるはずなのに、ちょっとした偶然か、この瞬間は自分以外の誰もいない。

 風の音だけが聞こえる。

 呟いてみた。

 

「――『ありがとう』」

 

 風に紛れて、どこかから返事が聞こえた気がした。

 

 ◇

 

 

「――ふふっ。どういたしまして」

 

 掃除用具を片付け、倉庫から出た天理は、空に向かって微笑んだ。

 

「ありがとう、忍花(しのは)さん。おかげでとっても綺麗になったわ」

「わ、せんせー!? びっくりした!」

 

 いつの間にかすぐそばに担任の女教師がいて、思わず飛び退く。

 先程の独り言は、果たして聞かれていないのか、聞こえていたけどスルーしてくれているのか。聞かれてたなら恥ずかしいなあと思う天理をよそに、彼女は続けた。

 

「いつも助かってるわ。皆にも見習ってほしいくらいです」

「えへへ。あたしも好きでやってるだけですし、気にしないでください」

「この前は、河川敷の清掃ボランティアにも参加してくれたのよね。近隣住民の方々も褒めてくれていましたよ」

「凄かったですからね、あそこのゴミ。観光客さんが来てくれてるから、仕方ないところはあるんですけど……少しでも綺麗になってたら良いなっ」

「それはもう。普段からいろんな人のお手伝いをしてくれてるし、ボランティアにもたくさん来てくれるしって、皆大助かりです。この町のアイドルと言っても過言じゃないですね」

「あ、あはは。それはさすがに過言じゃ」

「いえいえ。実際に町内でファンクラブができて……あっ、これは内緒だった」

「ちょっと待ってください今すごく不穏な単語が聞こえたんですけど!?」

 

 聞き捨てならない言葉だった。

 しかし言われてみれば、たしかに町内会で妙な動きがあった気がする。衣装やその他グッズを作っているらしいところまではわかっていて、なにやら催しでもやるのかと思っていたが、『天理ちゃんは知らなくて良いから!』と皆に止められ、以降は関わっていない。

 もしや、

 

「……あの、先生? 念の為聞くんですけど、こないだ町内会で作ってた法被とサイリウムって何に使うんですか?」

「…………。いつも助かっていますよ。忍花さん」

「わあありがとうございますってダメですよせんせー!? あたし流されませんよ!? ファンクラブって何!? あのグッズの用途はっ!?」

「ナンノコトデショウカー」

「目を逸らしながら棒読みで言ってもぜんぜんごまかせてないよ!?」

「大丈夫です、使用する写真などは許可をもらっています。先日授業中に聞いたはずです」

「先日? ……それ学校のパンフレットに使うって話じゃなかった!?」

「いえ、私は『使っても良いか』としか聞いてないので。でも忍花さんは『あたしで良ければご自由にどーぞ!』と即決で」

「さすがにそれはズルくない!? あたしもそんなよくわからないことに使われるならちょっと考えてたよっ!」

「そこで断ると言わない辺りが忍花さんクオリティですね。さっすがー」

「え、えへへ……っておだててごまかそうとしないでよっ!?」

「まあ全部冗談なので安心してください。さすがに我々も良識ある大人なので、そこまで妙なことはしませんよ」

「へ? そ、そうなの? なーんだ、びっくりしたぁーっ。もうっ、先生ってば!」

「ふふ、すみませんね」

「良かった、じゃあファンクラブ云々っていうのも――」

「あ、それはガチですよ」

「ガチなの!?」

「それはともかく」

 

『ともかく』の一言で終わらせられる話では到底ないのだが、先生は続けた。後で絶対に聞き出そうと決意する。

 

「行事やボランティアに積極的に参加してくれるのは、大変素晴らしいことです。しかし、忍花さんたちは本来よく学び、よく遊び、よく眠るのが仕事。最近、お友だちと遊べていますか?」

「……そ、それなりには?」

「目を逸らしながら言っても説得力がありません。さっきと立場が逆ですね?」

「う……」

「無理をしてはいけませんよ。中学生になれば勉強も難しくなりますし、部活だってある。のびのびと、子供らしくいられる時期は、今だけなんですからね」

 

 背伸びをしている――と、思われているのだろうか。

 

(……無理してるつもりはないんだけどな、あたし)

 

 例えば、道端で困っているご老人を助けるだとか。観光客と思しき人が迷っていたら道案内するだとか。ご近所さんや学校の周辺を掃除するだとか。

 天理にとってはどれも当たり前のことで、特別褒められるようなものでも、無理をしてやっているわけでもない。

 皆が少しでも喜んでくれたり、『ありがとう』と言ってもらえれば、天理の胸も温かくなる。

 誰かの役に立てているという実感が持てれば、自分がここにいても良いような気がしてくる。

 だから、やっている。

 同級生や大人が言うような大層なものではないのだ。

 もっとも、それを口に出したところで謙遜という形で解釈されることはわかっている。だから天理はずっと『良い子』ということになっていて、それが嬉しくもあり、少しだけ重たくもあった。

 

「……忍花さんのお家には、まだ、誰もいないんですか?」

 

 わたわた、と両手を振って答える。

 

「あ、えと。し、親戚の人がそろそろ来てくれるみたいですっ。いつになるかまではわからないですけど……でも、できる限り急いでくれるって」

 

 ――天理の両親が亡くなって、もう半年は経つ。

 二人の生まれがどのようなものなのか、天理はまったく知らない。少なくとも祖父母にあたる人物とは一度も会ったことがないし、親戚も同様だ。

 一度だけ二人の関係者と思しき人物が天理たちの屋敷にやってきたことはあったが、

 

『なぜ――殺しておらぬ――』

『話が――違――』

『あれが人の子だとでも――貴様らが育て――『鞍馬』と『隠忍』が夫婦(めおと)など――』

 

 襖越しにうっすら聞こえる会話は、どう好意的に解釈しても穏やかとは呼べないものだった。

 訪問者たちは、ひどく穢らわしいものを見るような冷たい目で、天理を一瞥して帰っていった。

 二人となんらかの関係があるであろう人物を見たのはそれが最後だったし、両親もなにも語ってはくれなかった。

 仲睦まじく、自分を愛してくれた両親。しかし周囲から祝福された結婚というわけではなかったのかもしれない。

 多額の遺産と、広々とした和風のお屋敷が遺された。

 恵まれている方なのだろうが、誰もいない屋敷に帰るのは、今でも気が滅入るものがある。

『事情』があって屋敷から離れることのできない天理には、児童養護施設などへの入所も難しい。事情を知る人や、近所の住民が頻繁にお世話をしに来てくれているというのが現状だった。

 

「良かった。なにか辛いことがあったら、いつでも言ってくださいね」

「はいっ。えへへ、ありがとうございます」

 

 安心したような笑みを浮かべる先生に対して、ちくりと胸が痛んだ。

 連絡なんて、本当は誰からも来ていない。

 天理は、ずっと、ひとりだ。

 それでも嘘をついているのは、先生になるべく迷惑と心配をかけたくないからだった。

 

「じゃあ、あたしも教室に行きますね!」

「はい。今日もよろしくお願いしますね、忍花さん」

「はーい! よろしくです、先生!」

 

 先生と別れて校門へ戻る。生徒玄関のガラス貼りの扉に、天理の姿が映り込んだ。

 肩まで伸ばした母親譲りの黒髪は、少しだけ癖があり、それぞれの毛束が緩く三日月を描いているようだった。

 瞳は父親のそれと同じ緋色で、瞳孔に独特の輝きがある。

 そして、

 

「……あっ。そ、そういえば昨日『毛繕い』してなかったかも」

 

 ――自分の頭の上で、ぴょこぴょこと動く狐耳。

 ――スカートの少し上あたりから生えている、ふわふわの尻尾。

 

「うーん……まあいっかっ。『誰にも視えてないだろうし』」

 

 この町では、もう知る者も少ない。

 天理が、人ではないことを。

 

 ◇

 

『あたし、半分妖怪なんだよね』――なんて言ったら、なにも知らない人はどんな反応をするのだろう。

 忍花天理(しのはてんり)。十二歳、小学六年生。血液型は、多分O。なぜ『多分』なのかと言えば、天理の血はヒトのソレとは半分違うからだ。

 母は人間。父は狐の妖。

 生まれた時から天理には狐の耳と尻尾があった。どちらも霊的なモノであるらしく、服などは貫通してしまうし、普通の人間には視ることも触ることもできない。

 感覚自体はきちんとあり、両親は直に触れることができた。他にも赤ん坊やそれに近い年齢の子、いわゆる『霊感』のある人間などは、はっきりとは視えずとも、違和感を抱くことがあるらしい。

 多分、そんな生まれの影響だとは思うのだが――

 

『もしもし!? あの、私今小学生の女の子を轢いてしまって! 真正面から、はい! 低学年くらいです! ああっ、私はなんてことを……!』

『あっ、だいじょうぶですよおねえさん! おきになさらず!』

『大丈夫なわけないでしょってうわホントだ無傷!? えっ思いっきりはね飛ばされて電信柱に頭からぶつかってなかった!?』

『えへへ。がんじょーなので!』

『頑丈なんて次元じゃなくない!?』

 

 やたらと体が丈夫だったり、

 

『残念だが……「へらへら」様を見ちまったんなら、この小僧は助からんかもしれん』

『そ、そんな! それじゃあ、息子はどうなるんですか!?』

『今助っ人を呼んだ。俺に「拝み屋」のいろはを教え込んでくれた方の娘さんなんだが……』

『――こんにちはーっ。なにかお困りごとですか?』

『し、小学生?』

『よく来てくれたな、天理ちゃん。悪いがこの子を視てやってほしい。タチの悪いもんに憑かれちまったらしい』

『わ、ほんとですねっ』

『なんとか祓ってやれねえか。無理を言ってるのは承知だ。天理ちゃんにこんな危険な仕事を振りたくはねえが、俺じゃ力が足りねえ。頼む、なんとか助けてやっ』

『え? あっ、ごめんなさいもう祓っちゃいました!』

『……え?』

『そういうのを惹き付けやすい体質なんですねー。憑いた子も困ってましたっ。「目が合っただけなのに磁石みたいに引っ付いちゃったんだけど!?」って言ってたから、そーっと引き剥がしておきましたよっ!』

『…………』

 

 人じゃないモノに対しても割といろいろできてしまったり。

 とにかく、おおよそ『普通』とは無縁の人生を送ってきたと思う。

 

「それは、天理ちゃんにしかできないことなんですよ」

 

 美しい黒髪と青い瞳をした、少女のような母は、いつしか天理にそう語った。

 

「この世界には、普通の人には視えないものがたくさんいます。でも、きちんとそこにいるんです。たとえば――」

 

 家族が集まる居間で、母は父をそっと指さした。

 とっておきの秘密を教えるように、いたずらっぽく囁く。

 

「お父さんの耳と尻尾みたいに、ね」

 

 白銀の髪をした男である。日本人離れした髪色と瞳だが、かといって外国人の顔つきでもない。不思議な雰囲気を纏う男だった。

 しかしそれ以上に目を惹くのは、頭の上に生えた狐の耳と、大きな尻尾であろう。

 

「ええっ? でも、お父さんの尻尾はもふもふしてるよ?」

「うんうん、そうですよねっ。お父さんの尻尾はとってももふもふですよねっ。でも普通の人には触れないし、見えないんですよー」

「まあ、こんなものぶら下げて町中を歩いてたら邪魔だしね」

 

 のんびり読書していた父は、苦笑いして本を閉じ、天理の下へ歩み寄った。

 

「天理。お前の周りには、お前と同じことができる人と、そうじゃない人がいる。そうじゃない人からすれば、お前が視ている世界は不思議で、怖くて、よくわからないものなんだ」

「そうなの?」

「ああ。でもだからと言って、視えない人がお前より劣っているとか。逆に、視えているお前がおかしいとか。そういうわけではないんだよ」

「……うん。わかった」

「良い子だ」

 

 くしゃり、と強く撫でられた。

 

「お前はきっと、これからいろんな出来事を経験していくんだろう。悩む時も、辛い時もあるかもしれない」

「……お父さん?」

「本当は、わたしたちが支えてあげたいですけど……もしかしたらその時には、傍にいてあげられないかもしれない。でも、大丈夫。わたしたちはずっと、天理ちゃんのことを見守っていますから」

 

 二人とも笑っている。

 しかし――。

 そこに、どこか寂しげなものがあるような。そんな気がした。

 

「天理」

「天理ちゃん」

 

 二人が、口を揃える。「これから先、なにがあっても」と。

 

「お前は」

「あなたは」

「僕たちの――」

「わたしたちの――」

 

 宝物だ、と。

 

 その日から、天理は自分だけができること、自分だけが視えるモノに対して折り合いを付けるようになった。

『普通』の皆と仲良くなりたかったし、怖がらせたくもなかった。誰もいないところでだけ、そういったモノたちと接するようになった。

 そうやって、現世と幽世の狭間に立ってきた。

 だから、いつしか本当のことだけ言っているわけにもいかなくなった。

 ――妖なんて作り話で。

 ――神様なんてこの世界にはいなくて。

 ――幽霊なんて幻覚で。

 視えているモノを、視えていないと言う。

 できることを、できないと言う。

 信じていることを、信じていないと言う。

 

 天理と同じような世界が視えている人間が、皆無というわけではない。

 それでも、天理とはあまり会話が噛み合わない。

 両親曰く『解像度』が違うのだという。

 天理は現世のものを肉眼で見るのとまったく同じように、幽世のものを視ることができる。

 一方、彼らは偶然引っかかったわずかな情報のみで幽世を視ている。

 同じものを視てはいるが、その視え方がまるで異なるのだ。

 

 年月を経るごとに、本当のことを言えなくなっていく。

 胸に溜まった違和感は、日を追うごとに体積を増し続けている。

 漠然とした居心地の悪さを、しかし両親には隠して生きていた。

 もう一度生まれ直せるとしても、天理はきっと両親のもとに生まれることを願う。

 二人と暮らせるなら、それだけで良かった。

 この息苦しさも、二人の娘である証だと感じることができた。

 なのに――。

 

 両親は、天理を置いて逝ってしまった。

 

 事故死、なのだという。出かけた両親の帰りを待っていたその日、警察の人が来て、二人が亡くなったことを伝えられた。

 そんなわけがない。

 自分でさえ、車に轢かれたくらいではなんともないのだ。

 どこか体が悪かったなんてこともない。

 じゃあ。

 なんで。

 どうして――。

 

「愚かな。『鞍馬』と『隠忍』が、連れ合うなど」

 

 葬儀の最中、そう呟く声が聞こえた。

 それがかつて家にやってきた男たちの声だと気付くまで、さほど時間はかからなかった。

 

「裏切り者には、勿体ない死に方よ。お互い、せめて愛する者の手で死ねたのだからな……」

 

 反射的に声がした方を向いても、そこには誰もいなかった。

 しかし、言葉の内容はハッキリと覚えていた。

 男が何を知っているのか。両親が何者だったのか。それは、今もなおわからない。

 それでも、二人の死に、なにかもっと別の意味や思惑といったものが絡んでいることだけは、子供ながらに理解できた。

 

「――……」

 

 目を、覚ます。

 鳥の鳴き声がかすかに聞こえるだけの、静かな朝だった。

 時計を見ると朝七時を指している。いつもより、二時間ほど遅い目覚めだった。

 土曜日で良かったと胸をなで下ろしつつ、布団から出て顔を洗い、歯を磨き、着替える。

 時間が遅いことを除けば、いつも通りの朝だ。

 いつも通り、ひとりで朝食を作る。

 いつも通り、ひとりで片付ける。

 いつも通り。

 いつも通り――。

 ――ようやく慣れてきた、新しい『いつも』だった。

 仏間へと向かう。

 

「おはよっ。お父さん、お母さん」

 

 仏壇に置かれた二人の写真へ、にっこりと笑ってそう声をかける。

 

「今日も良い天気だねーっ。雪も溶けてきてるし、これからあったかくなるね!」

 

 続ける。

 

「聞いて聞いてっ。あたしも『お狐様』としての人助け、ちょっとずつできるようになってきたんだよっ。こないだなんて、助けたクラスメイトの子――あっ、さすがに記憶はないと思うんだけどね。とにかくその子にお参りまでしてもらっちゃって。えへへ。『結界』の管理も多分大丈夫だし、学校にも元気に通えてるし、最近楽しいことばっかりだよ! ……その分ちょっと、成績が……その。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ落ちてるから、これからがんばらないといけないけど」

 

 苦笑いする。

 

「そ、それよりね! 今日はなにしようかなっ。なにしたら良いと思う?」

 

 聞く。

 

「あたし、町の皆から『たまにはお手伝いなんてせず子どもらしく遊んでなさい!』って怒られちゃって。だから今日はお手伝い禁止なの。いつもは温泉通りのお店のお手伝い行ったりしてるでしょ? でも、今日はそういうのダメなんだって」

 

 唇を尖らせる。

 

「遊ぶって言っても、いきなり誘ったら迷惑だろうし。お掃除も、あたしが学校行ってる間にご近所さんがしてくれてるらしくて。んんーっ、何しようかなあ……」

 

 ころんと寝っ転がり、天井を見上げる。

 

「えへへ。でも、皆あたしのこと考えてくれてるんだよね。優しいなあ」

 

 笑う。

 

「あたしみたいなのと友だちでいてくれる人もたくさんいるし。町の皆も良くしてくれてるしっ。学校は楽しいしっ! だから、」

 

 言う。

 

「……だから……。心配しなくて、大丈夫だからね。あたし、元気でやってるから。二人がいなくなっちゃったのは寂しいけど、でも、」

 

 言い聞かせる。

 

「大丈夫だから」

 

 胸の奥から滲む弱音を、噛み殺す。

 

「……大丈夫、だから……」

 

 もう、半年も経つのだ。

 涙が枯れるほどに泣いた。

 嫌になるほど悲しんだ。

 これ以上、周りにも、両親にも、心配をかけるわけにはいかない。

 

「……」

 

 だから、笑っていないといけないのに。

 きっと今も見守ってくれているはずの両親にも、元気な姿を見せてあげないといけないのに。

 なのに――。

 ふとした拍子に、心がギリギリと締め付けられる。絞られた心の欠片が、瞳から溢れてくる。胸に空いた穴に、冷たい風が通り抜けて、ふっと気が遠くなる。

 じわり、と目から何かが滲んだ。

 それを認めたくなくて、強引に手で拭い、なかったことにする。

 

「……そうだ。お散歩でもしよう!」

 

 声が震えているのは、きっと気のせいだ。

 

「いっぱい、いーっぱい写真撮ってくるね。楽しみにしててっ」

 

 二人にそう言い残し、スマホと小さな肩掛け鞄を持って家を出る。

 忍花屋敷は山のすぐ近くに建てられており、庭からはこの町を一望できる。

 昇ったばかりの朝日と、それに抱かれる町の姿が、屋敷を飛び出た天理を出迎えた。

 眩い陽光を、そっと手で遮る。

 

「……眩しいなあ」

 

 瞳がこんなにも熱いのは。

 きっと、朝日のせいに違いなかった。

 

 ◇

 

 この町は、いろんな事情があって文明開化の波に上手く乗ることができなかったのだという。

 結果的に、今もなお古き良き日本の姿が濃く残っている。

 忍花屋敷をくだると、そこは観光名所でもある温泉通りだ。

 バス停から少し離れた場所にあるベンチに座る。指をスマホの上で滑らせ、天理は笑った。

 

「えへへーっ。皆といっぱい写真撮っちゃった!」

 

 アルバムには数枚の写真が追加されていた。温泉通りのお店の人たちや、偶然会ったクラスメイトと一緒に撮ったものだ。

 ぴこぴこっ、と通知音が鳴る。せっかくだしとクラスメイトのグループSNSに投稿しておいたのだが、それに皆が反応してくれているらしい。

『皆楽しそ〜!』『写真撮るのうま笑』『忍花とツーショットうらやましい(メッセージの送信が取り消されました)』『わかる(メッセージの送信が取り消されました)』『ありがとうございます、ファンクラブのメンバーにも共有しておきます』『その店俺もよくいく』

 

「ふふっ。……あれ? 今なんかファンクラブがどうとか変なの混じってなかった??」

 

 休憩がてらクラスメイトとやり取りを楽しんだあと、再び温泉通りを歩き始める。

 そろそろ賑わってくる時間帯である。あまり話しかけにいっても迷惑だろうから、場所を変えようか。

 歩きながら考えていると、むぎゅ、となにか柔らかいものを踏んづけた。

 

「みぇ!?」

「……みぇ?」

 

 足下から声がした。

 反射的に視線を下ろす。

 人がうつ伏せに倒れて、

 

「――うわあ!? だっ、大丈夫!?」

 

 どうやら天理が踏んづけてしまったのは、その人のようだった。考え込むあまり、気付くことができなかったらしい。

 土曜日ということもあって、温泉通りにはそれなりに人がいる。なのになぜか、誰も反応することなく通り過ぎていく。

 倒れているのは女の子だった。

 純白の髪を青いリボンでポニーテールにまとめた、自分と同じくらいの歳頃に見える――うつ伏せに倒れているので、顔まではわからないが――少女。

 

「……うぅ……ました……」

「な、何? どうしたの!? どこか具合が悪いのっ!?」

 

 か細い声。かがみ込んでぴょこぴょこと狐耳を近付けると、『くう』と可愛らしい音が聞こえてきた。

 

「――おなか……した……」

「お腹!? わかった待ってて、今救急車を呼……え?」

 

 少女が顔を天理の方へ向ける。力の抜けた顔で、

 

「おなかが……すきましたあ……」

「……………………」

 

 どこかから、調子外れの間抜けな鳥の声がそれに続いた。

 

 

 

 

 

「――いやあっ、本当にありがとうございましたっ。おかげで命拾いしましたっ、美味しいご飯までいただいちゃって!」

 

 ほっぺたにご飯粒を付けながら、彼女は笑った。

 忍花屋敷の客間である。ありあわせの食材で作った簡素な料理を乗せた器は、綺麗さっぱり空になっている。

 

「ううん、気にしないで。そこまで美味しそうに食べてくれると、あたしも嬉しいし」

 

 天理は微笑みながら、その光景を見守っていた。

 彼女を背負って忍花屋敷まで運んだのがほんの数十分前。食事の支度を済ませて運ぶと、すぐに彼女は目覚めてくれた。

「大したものじゃないけど……食べる?」「……い、良いんですかっ!?」「味は期待しないでねっ。そんなに得意じゃないし」「ううっ、ありがとうございます! お言葉に甘えて、いただきますっ!!」――そんな会話をして、完食までが三分ほど。

 見ていて気持ちの良い食べっぷりで、こっちがお腹いっぱいになるようだった。

 

「むしろ謝らなきゃ。ごめんね、思いっきり踏んじゃって……ほ、本当に怪我とかしてない?」

「ああ、大丈夫です大丈夫です! お気になさらず、あんなところで倒れてたわたしが悪いので」

 

 少女はコバルトブルーの瞳を細めて笑った。

 

「そもそも、なんであんなところで倒れてたの?」

 

 少女はビクッと肩を跳ねさせて、

 

「……あー、そのう。ええと……わ、笑わないでくださいね?」

 

 両の人差し指をつんつんと突き合わせた。

 

「わたし、この町の外から来た人間なんですが。どこかでお財布を落としちゃったみたいで」

「ええっ!? だ、大丈夫なの!?」

「あっ、いえ、それは良いんです。260円くらいしか入ってなかったはずなので」

「にひゃくろくじゅうえん」

 

 天理でももうちょっと持っている。完全にすっからかんではない辺りが逆に哀愁を誘う金額だった。

 

「え、えっと……ひとりで来たって、もしかして歳上?」

「わたしは十二歳です! まだ小学生! あとちょっとで卒業ですけど!」

「あっ良かった同じ学年だ。そっか、すごいね」

 

 町の外に出たことは、天理にもない。

 理由がないというのが一番大きいが、一方で漠然とした憧れもある。

 

「で、どうするかなーっ最悪野宿かなーって思いつつ温泉通りをぶらぶらしてて」

「いや野宿はさすがにダメじゃない!? 危ないよ!?」

「ふふ、心配してくれてありがとうございます。でも、何度か経験あるので大丈夫ですよーっ」

「あるんだ!? ……ま、まあそれは一旦置いといて。いや良くないけど。とりあえず、温泉通りを歩いてたんだね?」

「はい。でもこの辺って美味しそうな食べ物屋さんがたくさんありますよね?」

「そうだね。温泉通りにはいろんなお店が集まってるから」

「あーっおいしそー! って思って、匂いに惹かれてあっちこっち歩いてたら……」

 

 少女は頬を赤く染めて目を逸らした。

 

「いつの間にかお腹が空きすぎて動けなくなってまして……」

「…………」

「そしたら、あなたが助けてくれたっていう流れですっ。感謝の言葉もありま――」

 

 体の底から何かが込み上げ、口をついて飛び出る。

 

「――ふ、ふふっ。あははっ! な、なにそれっ。そんなことある!?」

 

 お腹を抱えて天理は笑った。

 かああっ、と少女が顔の赤みを一層増す。

 

「わ、笑わないでくださいって言ったじゃないですかあっ!?」

「ふふっ……いや、たしかに言ったけど! でもまさか、本当にお腹空きすぎで倒れてたなんて思わなくてっ」

「しょうがないじゃないですかっ! 素敵なお店がたくさんあるこの温泉通りが悪いんですっわたしは悪くないですー!!」

「あなたくらいだよそんな倒れ方するのっ。あははっ、おっかしー!」

 

 笑ってはいけないと思ってはいるのだが、人体とはままならないもので、そう考えれば考えるほど笑いが止まらなくなってくる。

 むうう、と少女は頬を膨らませ、完全にいじけ体勢に入ってしまった。

 

「…………いじわる…………」

「ご、ごめんごめんっ。こんなに笑うつもりはなかったんだけど……つい。えへへ」

「良いですよー。どうせわたしは十二歳にもなって空腹で倒れるようなぽんこつですよー。ふーん」

「……お、怒ってる?」

「怒ってません」

「その返事が怒ってる人のそれだよ!? ご、ごめんなさいごめんなさいさすがに笑いすぎました!!」

「つーん」

「きっとそういうこともあるよね、うんっ。おかしくないおかしくないっ」

「へえー……じゃああなたも同じような経験したことあるんですか? 本当に?」

 

 じとーっと睨まれた。

 天理は目を逸らした。

 

「ふふふそうですよねわかってますよわたしくらいですよねこんなヘマやらかすの普通もう少し自制心ありますよねふふふ……」

「うわあ余計悪化しちゃった!? ええとええと……だ、大丈夫だよっ! あたしは熊さんみたいで可愛いなって思うし!」

「それフォローになってないしなんならトドメですよ!?!?」

「ひいっごめんなさい!?」

 

 涙目になる少女だったが、やがてゆっくりと微笑みを浮かべ直した。

 

「……いやあ、懐かしいですね」

「え?」

「ふふ。あなたのお父さまにも言われたものです。『子狐か子熊でも見てるみたいだ』って」

「――!」

 

 目を、見開く。

 少女は続けた。

 

「あなたのお母さまにもお世話になりました。お金に困ってたわたしに――いや、今も困ってるんですけど。とにかく、ほっとけないからってご飯を作ってくれたのが、つい昨日のことみたいに思い出せます」

 

 両親のことを、天理はなにも知らない。

 この町に来る前は、どこでなにをしていたのか。どんな家に生まれたのか。どうやって結ばれ、天理を授かったのか。

 

「お……お父さんとお母さんを、知ってるの!?」

「お父さんは白狐でしたけど、あなたは黒狐なんですね。そこはお母さんの血なのかな。二人の娘さんなだけあって、すごく綺麗です」

「っ!?」

 

 咄嗟に右手で頭上の耳を、左手でお尻の尻尾を触った。

 天理の姿に違和感を覚える人間は、今までにも見たことがある。

 しかし、狐耳や尻尾という具体的な形でその違和感の正体を視ることができた人間を、天理は両親を除き一人たりとも知らなかった。

 

「では、改めて」

 

 少女は居住まいを正し、天理をまっすぐに見る。

 

「わたしは名無。名無し、と書いてナナです。あなたに話があって、この町にやってきました」

 

 花が咲くような微笑みのまま、彼女は続けた。

 

「――お話しましょう。お父さんとお母さん。そして、あなた自身のこれからについて」

 

 ふわりと、香る。

 新しい日々の香りだった。

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