戴天 作:灰汁
力がみなぎる。
体が軽い。
昨日までの全身全霊の妖力を、今は一呼吸の度に放てる気がした。
五感は痛いほどに透き通り、何もかもが見え、何もかもが聞こえ、何もかもを感じられるようだった。
漠然と理解する。
これが、
「気分はどうだい?」
――忍者の、力。
龍頭は笑いながらゆっくりと天理に肩を向け、緩く斜め横方向へ歩き始めた。その右手は未だ刀の柄にかけている。
天理もまた、同じように歩く。半身を向け、刀に手をかけ、共に半円を描く。
「さっきまでのお前さんは忍者じゃなかった。その素質を眠らせたままだった。それでも並外れた強さはあったろうが」
破砕された石畳の上を歩く。からからと乾いた足音が響く。
「それがとうとう忍者に目覚めちまったってわけだ。だがよ、おれはそれでも構わねえと思ってたんだぜ。いや、なんならその方が都合が良かった。忍者になった奴は『妖魔じゃなくなる』からだ」
ゆっくりと歩き続ける。
「忍者として……心を持つ『ひと』として生きていくと決めりゃ、自然とその力は失われる。逆に心を持たない『妖魔』として在ると決めりゃ、忍びの技に目覚めることはない。どっちかひとつなんだ。普通はな」
天理の頬に、一筋の汗が伝った。
名無の前では、安心させる意図もあってああ言ってみたものの。
忍びとして目覚めたからこそ、今この瞬間に至ってようやく理解できたことがある。
すなわち目の前の男が、はたしてどれほどの怪物であるのかということである。
「だが、蓋を開けてみりゃこいつはどういうことだ?」
無論、侮っていたわけではない。
漠然とではあるが、彼の力は理解していたつもりだ。
月を眺め、『アレは自分よりずっと高い場所にあるのだ』と思う程度の理解でしかなかった。
手を伸ばせば届くなどと考えていたわけではない。
それでも、
「天理。お前さんがどう生きると決めたか、聞いても構わんかね」
ここまで違うものなのかと、そう思わずにはいられない。
天理は心の中でかぶりを振った。
――だから、なんだ。
こんな怪物たち相手に、名無は立派に戦い抜いた。
自分が怖気付いてどうする。
「……決めたわけじゃありません。でも」
立ち止まる。その途端に龍頭もまた足を止めた。
その金の瞳をまっすぐに射抜く。一歩も引くことなく、目を逸らすこともせず、天理は堂々と言った。
「あたしがやらなきゃいけないことは、わかってるつもりです」
「お前がその力を持つ限り、おれは忍務を果たさなきゃならん。後悔するぜ」
しばらく黙ってから、天理は少しだけ笑みを浮かべた。
「――ありがとうございます。お兄さんはやっぱり、優しいんですね」
龍頭の言葉は、裏を返せば『妖魔の力を捨てれば他のやり方がある』ことを天理に示唆している。
最大限の譲歩なのだ。龍頭なりの警告であり、誠意であり、優しさなのだろう。
遊園地で初めて出会った時も、あれは龍頭なりに天理を導こうとしてくれていたのだろう。
人として生かすことで、妖魔としての自分を殺そうとしていたのだろう。
天理を斬らなくても良いように。
その気持ちはなんの裏もなく純粋に嬉しい。
微笑むと、龍頭は困ったように人差し指で頬をかいた。
「あのな、天理。そこまでわかってくれてるんなら頼むよ。降りてくれよ。おれ、お前さんみたいな子を斬りたくないんだよ」
「ううん。それは、嫌です」
「なんでだ? おれに協力できそうなことなら、」
「名無ちゃんはどうなるんですか?」
龍頭が、黙った。
「名無ちゃんの忍務はあたしを殺すことだった。それを裏切ってまで、あたしを生かそうとしてくれた。もしお兄さんの言う通りに妖魔の力をあたしが捨てても、そのことが消えてなくなるわけじゃないんじゃないかなって」
「……それは」
「名無ちゃんは、殺されちゃうんですか?」
問いかけの形を取ってはいたが、むしろそれはほとんど確認に近い。
龍頭は答えなかった。――たぶん、いろいろ考えてはくれているのだろう。天理が死なないように。名無を殺さなくて済むように。
だけどその沈黙は、答え合わせみたいなものだった。
「名無ちゃんに手を出さないって約束してくれたとして。そしたらお兄さんだって、立場みたいなものが危なくなったりするんじゃないですか?」
「…………」
名無から聞く限り、忍びの掟は相当に厳しい。【使命】至上主義という言葉がしっくり来る。となればそれを裏切った名無の扱いは、天理が考えうる最悪の線を違わずなぞる可能性が高い。
それを見逃すようなことがあれば、龍頭もまた責を問われるかもしれない。それほどのリスクを負ってまで、名無を許してくれるものかどうか。
もちろんすべては推測だ。忍びの世界をまるで知らない天理が勝手にそう考えているだけで、実際のところどう事が転ぶのかはわからない。
ただひとつ、天理にわかるのは。
龍頭はきっと、こういう問いに半端な嘘やその場しのぎの誤魔化しを口にするような人物ではないだろう、ということだけだった。
彼はなおも押し黙っていたが、やがて困ったように頭をかいた。
「……あー。あーー。あーーーっ……ウワー、困った。マジで困ったことになったぞこれは」
「お兄さん……?」
「待て。今なんとかして言葉を探してる。探してる、んだが」
その言葉はなんだか、
「――クソッ言えねえッ……! おれの【秘密】に関わることだから……!! 言えねえッ……!!」
「ええっと、」
「何も言うな天理ッ! お前さんも忍者になったならいつかわかるッ! 『本当はその辺含めて一応考えてるけど忍者は自分の【秘密】を語っちゃならないから何にも言えなくて頭を抱えて黙るしかない』という瞬間が……!! 今のおれの苦悩がわかる瞬間が必ず……!!!」
「す、すごく具体的なシチュエーションですね……?」
血を吐くような叫びである。天理にはまるでわからないがそういうものなのだろうか。
とにかく、どうやら龍頭は天理の言葉を肯定も否定もしないらしかった。
「いや、だがお前さんの言いたいこともわかる! そうだよなあ、そっちから見たらたしかにそういう話になるんだよな」
「……戦わなくて済むなら、あたしもそれがいちばん嬉しいです」
「いやいや、そういうわけにもいかんだろ。お互い抱えるもんはあるだろうが、形としちゃ対立してる身だ。どっちも相手の口約束を信じるわけにはいくまいよ」
今度は天理が黙る番だった。
龍頭にも恐らく何らかの事情――忍びらしい言葉で言うなら【秘密】があるであろうことは、今のやり取りでわかった。
だがそれと彼への信頼はまったく異なる話だ。
実のところを言えば。
「第一、お前さんもおれのことを信用しちゃいまい」
天理は、どんな事情があろうとも名無を龍頭に引き渡すつもりはなかった。
身じろぐ。呻くような声をあげた天理へ、龍頭は言葉を重ねた。
「ああ、気にすんな。状況的に仕方がない。なにせ懸かってんのは
天理がしくじれば、その代償を支払わなければならないのは名無の方なのだ。
自分事のようにとは行くはずもなかった。
「ったく、お前さんも変わってるよな。自分の命で済むときは何を言っても信じてくれそうだが……他人の命が絡んだ今のお前さんを言いくるめるのは、よほど弁が立つ奴でも無理な気がするぜ」
「……ごめんなさい」
「謝るこたない。おれも謝らんぜ。どうやらお互い、腹を括るしかないらしいな」
龍頭はからからと笑った。
「な、名無ちゃんには言わないでくださいねっ。きっと気にしちゃうと思うし、」
「ん? ――あっ、そうか。お前さんはまだ
「しのび……がたり?」
なんですかそれ、と続けようとしたところで、いきなり脳内に声が響いた。
「――さっきからなに言ってるんですかねぇ天理さんっ……!」
「ひえっ!? な……名無ちゃんっ!?」
慌てて拝殿の屋根の方を見ると、なんかものすごい顔の名無がものすごい勢いで身を乗り出してものすごい眼差しでこっちを睨みつけていた。青筋の浮いた笑顔である。目は笑っていない。
「あれっもしかして聞こえてた!?」
「ばーっちり聞こえてますけど!! 忍者は忍語っていうテレパシーみたいなものが使えるんです!!」
「えっそうなの!? じ、じゃあ今聞こえてる名無ちゃんの声も……」
「そ! う! で! す!! ついでに天理さんのお話も忍語でばら撒かれてます!! ぜーんぶ聞こえてますからね!!」
「あれぇ!?!?!?」
「あー……うん。目覚めたばかりの忍者はたまにやるんだよな……」
涙目で龍頭へ視線を戻す。目を逸らされた。そういうことはもっと早く言ってほしかった。
「わたしのことなんか気にしなくて良いんですよこのおばか!! 逃げるだけならどれだけでもやり方はありますし!! 天理さんが死んじゃったらそれこそ意味ないんですよっ!?」
「あーっ今ばかって言った!? あ、あたしは名無ちゃんが心配で……!」
「心配もでももへちまもない!! さっさと助かれ!! わたしもなんとかして助かりますから!!」
「だってぇ! そしたら名無ちゃんとはまた会えなくなっちゃうでしょ!? それは寂しいからやだって言ってるのーっ!!」
「んぇ、」
名無が素っ頓狂な声をあげた。
「っていうか! そもそも名無ちゃんがそんな目に遭う必要なんてないよね!?」
「い、いや……流派を裏切ったのでそれくらいは覚悟してましたけど……」
「それはあたしを助けようとしてくれたからでしょっ。名無ちゃんばっかり悪者じゃん! 名無ちゃんばっかり傷付いてるじゃん!」
「……そ、そんなことは、」
「ぜーったいそんなことあるのーっ!!」
天理は頬を膨らませて、
「だから! もう名無ちゃんは自分を辛い目に遭わせるの禁止!」
「……。…………。それ、天理さんが言うんですか……?」
「あーあー聞こえなーい!」
ぷいっとそっぽを向いた。
「名無ちゃんはそうやって敵ばっかり作ろうとするんだもん。だからあたしは決めました!」
最初は天理にあえて嫌われようとしていた節があるし、かと思えば所属流派とやらを裏切ってまで助けようとして、命懸けで両親との縁を繋いでくれて挙句の果てには『こっちはなんとかするからさっさと助かれ』である。なんたる理不尽であろうか。そう思うとじわじわ反抗心というか、とにかくそういうのが芽生えてくる。
だから高らかに、天理は声をあげた。
「あたしはなにがあっても名無ちゃんの味方をします! これ以上、酷い目になんて絶対遭わせないからね!」
「――、」
目を丸くする名無をよそに、再び龍頭へ視線を戻す。
「というわけで、お兄さんっ。そういうことなので!」
龍頭が返事をする前に、
「……くだらぬ」
老爺が傷を押さえて立ち上がり、血走った瞳を天理に向けた。その傷口からは桜の花びらが未だ噴き出し続けている。
「貴様はここで死ぬ。名無も死ぬ。どちらも生かさぬ。黙って殺されろ。これ以上人を殺す前に」
明確な憎悪がその目にはあった。
誰かからこれほどまでに憎悪を向けられたことは、多分一度もない。もしかすれば天理の中の『魂』はあるのかもしれないが、とはいえソレは天理であって天理ではない別のモノである。
だが同時に、その憎しみに謂れがあることもまた理解できる。
自分の力は――。
自分の本質は、そういうものだから。
その上で決めたはずだ。
すべてを抱えて生きていくと。
「あたしは、誰も殺すつもりはありません」
「ふざけるなっ! その力を散々振り回してほざきおるわ!」
「だったらここで証明します!」
叫び返す。怒りでも憎しみでもなく、ただ自分の意志を証明するために。
「あたしはこの力で名無ちゃんを守る! お兄さんもあなたも殺さない! 誰も死なせない!!」
龍頭は、天理にその生き方を問うた。
それにはっきりとした答えを返せるほど、自分の道が見つかったわけではないけれど。
目指すべき場所は、わかっている。
「戯言を……!」
「――ならば、聞こうか。天理、如何にしてそれを成す?」
激する老爺に対して、龍頭のさらなる問いはむしろ水面のように静かだった。
天理は、恐れることなく言葉を叩きつけた。
「戦います」
真紅の瞳が、龍の眼を射抜く。
「戦って、あたしが、勝ちます!」
口にすれば、その言の葉が天理の体を覆って、四肢の隅々に至るまで力が満ちてくるようだった。
やるべきことはシンプルだ。龍頭を倒し、老爺を退け、名無を守る。
忍びのやり方や流儀など、なにひとつとしてわからない。
本当にこれが正しい手段なのか、そんなことを考える余裕すらない。
それでも、たったひとつだけ確かなことがある。
勝てば、この意志は成るということだ。
「……そうか」
龍頭はやがてぽつりと呟き、
――星が、堕ちてきた。
「ッ……!?」
突風。全身を攫うような。
地が揺れ、天が鳴く。腕で顔を庇いながら、そこでようやくその正体に気付いた。
星ではない。
龍頭だ。
力を解き放った彼の霊力が、星のごとき光となって辺りを駆け抜けたのだ。
あまりに巨大すぎるが故に、そう認識するまでに時間がかかってしまうほどの。
見果てぬ星のスケールを、にわかには受け入れ難いことにも似て。
龍頭から噴き出す霊力は、蒼光となってその全身を覆っていた。
「――良い啖呵だ。まったく最近の人の子ってのは侮れんな」
いや、覆うなどと生ぬるいものではない。
噴火だ。龍頭の足元から、夜空を蒼く染め直す勢いで霊力が湧き出ている。
唾を飲む。
次元が違う。
桁が外れている。
「なら、仕方あるまい」
「っ……天理さん!!」
名無から飛ぶ忍語は、ほとんど悲鳴に近かった。
「これは……この力はっ、」
名無と龍頭の会話は、【魔界転生】の中にいた天理にもある程度届いていた。
肌を撫でる妖気。
およそ世の理や理屈からかけ離れた、語るも難き怪力乱神。
天理が生まれながらにして身に宿した力と、同質の業。
「――
名無の言葉を継いで、呟いた。
「な……なんでですか!? 龍頭さん、さっき自分で『普通の忍者は妖魔の力を使えない』って言ってたじゃないですか! 天理さんだけの力のはずでは!?」
「おいおい、そいつはちょっと考えが甘すぎるだろうよ」
龍頭は覇気に反して穏やかですらある口調で苦笑いした。
「別に嘘はついてねえ。普通は妖魔忍法なんぞ使えない」
「なら……!」
「お前さんにとっちゃ、おれは長い付き合いだろ。だったらわかるはずだぜ、名無よう……」
くつくつと龍頭が笑うと、その金色の瞳は拝殿の名無を射抜いた。
「――おれが、普通の忍びに、見えるのかい?」
「……!」
なるほど道理だった。
その力を使えるという一点において、天理が普通ではないように。
龍頭も、並の忍者ではないのだ。
単純にして明快な理屈だが、これだけの神威を目の当たりにすれば、もはや疑う余地など一片もあるはずがない。
「天理、たしかにお前さんは特別だ。だが特別な奴ばかりいるのがおれたちの世界でな。同じことができるのはお前さんだけじゃない」
その覇気はもはや天を衝くという表現が相応しかった。【見越】すほどに昇る蒼炎。
ビリビリと叩きつけられる、『力』としか形容できないそれに気圧され、名無が呻くような声を漏らした。
「む、むり……無理、ですよ! こんなの、どうやったってわたしたちの手に負える相手じゃ、」
天理の常識をひと足もふた足も飛び越えた先に在る力。
きっと、天理は地獄を見ることになる。
文字通り死にも等しい苦痛を味わうことになる。
命を振り絞って、それでも届くかどうか。
「……そう、だね」
「い、インチキです! ぶっ飛んでます!! 殺されますよ!?」
「そうかもね」
「かもねって、天理さん――!」
「それでも」
余波で流れていく冷や汗の向こう。
天理は、
「あたしは、勝つって言った」
笑った。
「名無ちゃんは休んでて。……今までいっぱいがんばってくれてありがとう。さっきも言ったよね。今度は、あたしががんばる番だから」
「ジジイ。お前はここから離脱しろ。周囲に妖魔の気配が集まってきてる」
「……何!?」
「元々この町で天理が押しとどめていた妖魔たちだ。だがおれとの戦闘になりゃそこまで気を配る余裕なんざありはすまい。機忍を引き連れて先に全滅させといてくれ」
腰を低く落とす。片足を半歩下げ、刀の柄に手を添える。
「今のあいつ相手に足手まといを抱える余裕はまったくねぇ。ジジイ、お前も見ただろ。あの剣を」
「…………貴様と、どちらが上だ」
「
「勝てるか」
「さあな。少なくとも負けるつもりはねえから、安心して行ってこい」
龍頭が同じく構え、鯉口を切る。
「天理さん……!」
「龍頭……!」
踏み出す。
互いに。
抜き放つ。
「
月下、二つの刃が交差する。
「――――
〇【見越】
龍頭が使用した妖魔忍法。本文で【見越】すと書いてあるのはこの忍法名から来ている。攻撃力と攻撃範囲を強化するバフ。
自分のターンを消費して使用する忍法なのでその分ロスはあるものの、それを差し引いてもめちゃくちゃ強い。実は前話で龍頭が天理の攻撃に対して反撃しなかった(できなかった)のはこれを使用していたから、という小ネタがあったりなかったり。