戴天   作:灰汁

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めちゃくちゃ間が空いてしまいました
申し訳ありません


五話

「すげえ町だな」

 

 二人の男が町の通りを歩いていた。

 ひとりは、陽射しを遮るためか、随分大きな唐傘を深く差しており、その顔はうかがえない。

 ひとりは、小柄だが眼光鋭い老爺である。

 低く、それでいてよく通る声で呟いたのは唐傘の方だった。隣の老爺が小兵なこともあってかその背は随分と高く見える。少なく見積もっても六尺(約180cm)ばかりはあろう。

 文明開化の波に乗り遅れたこの町では、未だ古き日本の姿が見え隠れする。観光客を意識しあえてそのままにしている側面もあるだろうが、特にこの温泉通りはそれが顕著だった。

 水縹色の着流しを慣れた様子で着こなし、唐傘片手にそこをゆく男の姿は、さながら時代劇の一幕めいている。

 

「見ろよ、爺さん。そこかしこに妖がいるぜ」

「観光に来たのではないぞ」

 

 しわがれた声が返ってきて、男は肩を竦めた。

 

「仕事はするさ。気は乗らんが」

「おい」

「お前さんよう――」

 

 唐傘の男が立ち止まった。遅れて、老爺も足を止める。自然とわずかに老爺が先へゆき、振り返り、向かい合う形となった。

 

「『この町には妖魔を寄せ付けぬための結界がある』と。おれに、そう言ったな」

「お主、儂に二度同じことを言わせる気か」

「ふむ。おれを騙すつもりではなかったらしい」

「どういうことだ?」

 

 眉を顰めた老爺の顔には疑問の色が浮かんでいる。

 刻まれた顔の皺は深く、いかにも気難しそうな印象を与える――事実、短い付き合いながらも男はそう思っている――が、存外感情を隠せない性質(たち)のようだった。

 男はひとまず結論だけを述べた。

 

「お前さんが思ってるようなものは、この町にはないってことさ」

「話が見えん」

「だろうな。おれじゃなきゃわからなかったろう」

 

 男はまた歩き出して、

 

「おい」

「腹減った。話は腹の虫を黙らせてからにしよう」

 

 すぐそばの甘味処を親指で指した。

 渋々といった様子の老爺を引き連れて男は団子を頼むと、「うひょー! 美味そうだ」と少年のように声をあげ、串を受け取った。器用に唐傘を動かして、店員には決して顔が見えないようにしている。

 

「お前さんは?」

「いらん。先の話、説明してもらおうか」

「つまらんなあ」

 

 男は歩き出しながら、不機嫌と呆れが三対七で混じったような声をこぼした。

 

「今の世に妖魔はごまんとおる。程度の差はあれど、あらゆる場所に潜んでおると言って良い。だがこの町は違う。魑魅魍魎、妖の類はおっても、心を持たぬ妖魔となればその気配さえない。何かしらの結界やそれに類するものがある、と考えるのが道理であろう」

「そうだな。だがそいつは、お前さんが考えてるように、この町に結界やらなんやらが張られてるからってわけじゃない。要因は別のところにある」

「それはなんだ」

「縄張りなんだよ。ここは」

 

 いまいちピンと来ない様子の老爺へ、男は続けた。

 

「『お前さんがおれをここへ呼んだ理由』だ。わかるだろ?」

 

 しばし表情の険しさが抜けぬ老爺だったが、やがて男の言わんとするところを理解したらしく、息を呑んだ。

 

「……その力を魔除けに利用しているというのか? 馬鹿な。そのようなやり方など、成り立つわけが」

「普通はな。毒を以て毒を制す邪法に近いやり方だ。狙ってできるもんじゃねえ、半分は偶然だろうさ」

「そんな町で、なぜ人や妖どもが暮らせている?」

「それこそがお前さんの言う結界とやらの効力だろう。その本質は多分『契約』だ。神域において一定の動作が作法とされ、あるいは禁忌とされるように、この町では人も妖も互いを殺せない」

「ならば儂らの計画はどうなる」

「この町にいる人間や妖は元々契約の勘定には入っちゃいなかったはずだ。結果的にそういう風になったっつーだけで、元は『たったひとりを封じるための結界』だった。おれたちは巻き添えを食らってる形になるんだろう。そこを突けば契約の破棄自体はできる」

「……そうか。この二ヶ月で誰かが契約を破った形跡はあるか?」

「さすがにそこまではわからん。どうした?」

「いや」

 

 老爺は言葉を濁したが、男の記憶が閃いたのはその直後だった。

 

「そういえば、前に忍びを潜り込ませたとか言ってたな。その子のことか?」

「……奴との接触に成功したことまでは、こちらでも把握している。だが、そこからの動きがない」

「慎重なのは良いことだと思うがね」

「違和感がある。思えば、あ奴、はじめから妙だった。所詮『隠忍』の中でものらりくらりと生きている『漂泊者』だ。どこで誰と繋がっているかもわからぬし、信用ならん。どの道儂がこうして直々に出向いているのだ。遣わせたのは無駄だった」

「……。その娘も排除対象、ってことで良いんだな」

「余計なことをする前に殺す。万が一、あやつが目覚めなどすれば、この国が危うい」

「間違いなく(やっこ)さんとも事を構えることになるが」

「それこそが目的だ。そのために貴様を呼んだ。……しかし、異な結界よ。結界術の術理に反しておるな」

「そうか? 仕組み自体は別に珍しくない。ただ向きが逆――外から内に来るものを弾くわけじゃなく、『内にあるものを外に出さないためのもの』だってだけさ。俗世にもいくらだってある。ここのは物理的な制約はないに等しいが、霊的な強制力はかなりのもんだ。しかも定期的に契約を結び直させてるな。こんだけ何度も更新してれば、町の外でも目覚めちまう心配はないだろう」

 

 男はそこまで言って、ひとまず腹を満たそうと思い最後の団子を口元へやると、

 

「――どわっ!?」

 

 膝に小さな子供がぶつかり、その手から串が地面を転がって、そのまま側溝へ落ちた。

 

「お、おれの団子がーっ!?」

「うわあごめんなさい!? お、おじちゃんのお団子が!」

(どぅあれ)が『おじちゃん』だお兄さんと呼べガキンチョがァーッ」

「ひい!?」

 

 唐傘を差したまま怒鳴り立てていた男は、やがて小さくため息を吐いた。

 

「ったく……気ぃ付けて歩けよな、坊主。怪我はねえか?」

「う、うん。ありがとう……ごめんなさい」

「いんや、歩きながら食ってたおれも悪かった。すまん」

 

 軽く子供の頭を叩いてから、男は鼻歌と共に再び歩き出した。

 気付けば喉から笑みがこぼれている。いつの時代も、あのくらいの子供というのは可愛いものだなあ、など。それこそいささか年寄り臭いだろうか。

 鼻白んだ様子の老爺が肩を並べる。

 

「忍び――それも『上忍頭』ともあろうものが、あれくらい、避けられなかったのか」

「いや普通に観光しててぼーっと……」

「違うと言っておるだろうが!」

「人を殺すんだ。そのくらいの楽しみがねえと、気が重い」

「あれは、人では、ない」

「学校卒業したんだって? しっかり人間やってるんじゃないかね」

「『フリ』だろう。すべて偽り、化けの皮よ。化外の者は、斬らねばならぬ」

「……。そういう手合いを斬るのは後味が悪くて嫌だね」

「お主は儂と契約しただろう。いつまでも文句を垂れるな」

「やらねえとは言ってねえ」

 

 二人はやいのやいのと騒ぎながら歩くと、やがて示し合わせたように細い路地裏へと入った。

 地元の人間でさえ見落としてしまうような小さな空間だった。男の唐傘と壁との間はほんの数ミリしかなく、しかしぶつかることもなく、その足取りは広野を行くように澱みない。

 二人の足がやがて路地裏の真ん中ほどまで差し掛かる。複数の人影が、音もなくその背後に現れた。

 奇妙な出で立ちの者どもだった。流線型の体はすべてが機械で構成されており、肌と呼べるものはわずかにも存在していない。背負った刀には、鞘を薄らと走る赤い光のラインや点滅するランプなどの意匠があり、辛うじて日本刀としての雰囲気を残しているだけに過ぎない。水縹の着流しに唐傘を被った男を時代劇から飛び出てきたようと形容するならば、彼らの出身はSF映画であろう。

「来たか」と笑みを浮かべて老爺が振り返り、男もそれに続いて人影を見やる。その口から驚きの混じった声が出た。

 

「爺さん。あんた、一応『鞍馬神流』の忍者じゃなかったか?」

「『元』な」

「どっちにせよ、こいつらと繋がる理由がないように見えるがね」

 

 男は鼻を鳴らした。

 

「手勢の用意があるっつーから部下でも引っ張ってくるのかと思っていたが。まさか、『斜歯忍軍(はすばにんぐん)』の絡繰忍者とはな。鞍馬と隠忍に加えて斜歯もとなりゃ、六大流派のうち半分が絡んでるわけだ。大掛かりなこって」

「儂は『元』だと言うておるだろう」

『我々は斜歯忍軍製"自律型機械忍者"です。絡繰忍者という呼称は誤りです。我々自律型機械忍者は適宜高度AIによるサポート及びアドバイスを行い、ユーザーの忍務を最大限アシストします。参考になりましたか?』

 

 奇妙な人影――自律型機械忍者から無機質な男性の合成音声が流れる。

「あー……」と、男はなんとも言えない声を漏らした。

 

「めんどくせえ。どっちでも良くないか?」

『不正確な呼称はコミュニケーションの齟齬を発生させ、ひいては忍務達成に深刻な影響を与える可能性があります。我々と致しましては』

「わかったわかった。おれが悪かった」

 

 唐傘を持たない方の手のひらを機械忍者へと向け、男は苦笑した。

 

「こいつら、巻き込む手間に見合うほど役立つかね? おれはちょっと不安なんだが」

「斜歯の連中は、忍法の収集と解析にしか興味がない。科学と数字に支配された者どもよ」

「ああうん、それは知ってる。おれも何回か戦ってるしな。だから余計にこういうのを巻き込むと後々面倒になるんじゃないかって話だよ」

「お主には関係なかろう?」

「人の善意は素直に受け取っとくもんだ」

 

 今度は老爺が鼻を鳴らす番だった。

 

「利益だけで動く分、奴らはかえって御しやすい。斜歯の連中は死体からでも忍法を解析できるそうだ。研究さえできるならいくらでも都合を付ける、と言うのでな。儂は、あれの死体に興味はない。殺せればそれで良い。利を食い合うことはない」

「なるほどな。何機くらい用意してあるんだ?」

「十と少し」

「性能は」

「下忍相応、と言ったところだな、少なくとも常人では、例え囲んで一機を襲ったとしても歯牙にさえかかるまい」

「悪くねえな」

「今は、あれの居場所を探らせておったところだ」

「居所もわかってねえのか?」

「自分で調べることは容易だが、故にこいつらでもできる。儂らはその間、町の地理把握に努めた。幾らか戦いやすくなる」

(やっこ)さんのこと、随分高く買ってるんだな」

「お主もであろう」

「まあな」

 

 男はゆっくりと唐傘を閉じた。その顔が顕になる。

 ――それは、人のものではなかった。

 傘と同じ色をした、唐紅の鱗が、男の顔をびっしりと覆っている。顎は突き出て牙を覗かせ、細く長い白髭が風に揺られてたなびいた。

 黄金の瞳は爬虫類のそれに似て、眼差しだけで相対した者を震え上がらせるだけの威圧感がある。

 数千、数万の歳を経た樹木を想起させる角は、ただそこに在るだけで畏怖の念を周囲に抱かせてならない。

 首から下に関しては、鋼のように無駄なく鍛え抜かれた筋肉に覆われていることを除けば至って普通の人間である。だが頭だけが、人のそれからかけ離れている。

 赤い異形の相貌。

 それに名を付けるならば、人はきっと『龍』と呼ぶのだろう。

 牙の隙間から息を吐くと、それだけで焔になって、煙がゆらりと路地裏に舞う。

 

「おれを俗世に引っ張り出したんだ。大物だぜ、こいつは」

 

 龍の頭を持つ男は、着流しから写真を取り出し、呟いた。ひとりの少女が写っている。黒い髪に赤い瞳。幼さゆえに目立たぬが、写真越しでも、人の範疇を外れた妖しい雰囲気が見え隠れする少女だ。さっきぶつかってきた子供と、男目線ではそう変わらぬ歳であろう。

 まったくもって、気が乗らない話だった。

 標的が、この少女などと。

 

「……忍びは、己の【使命】に殉ずるもんだ」

 

 言い訳のように龍頭(りゅうず)は呟いた。

 

「恨めよ。せめて、それくらいは――」

 

 その声を聞く者は、町の影に潜む、忍びどもだけだった。

 

 

 

「んで。標的はどこにいるんだい、機械忍者さん」

『""自律型機械忍者""です。我々の調査によりますと、ここから数駅離れた遊園地です』

「なるほど。やはり儂の見立て通りだったか。奴は未だこの町に――何?」

『遊園地です』

「……」

 

「え、なんでそんなとこいんの?」

「儂が聞きたいわ!! 斜歯の、どういうことだ!」

『"""自律型機械忍者"""です。ターゲットは卒業祝いのために遊園地へ向かいました』

「マジで? じゃあおれらもしかして無駄足踏んだだけなん?」

『その可能性は極めて高いと推測されます』

「……」

「……」

 

「――どうなってんだジジイ!! 話とちげえじゃねえか!! こんな人通りの多い町まで連れてきやがって!! 頭隠すの結構めんどくさいんだからな!?」

「うるさい貴様は遊んでおったろうが!! ええいいくぞ龍頭! 斜歯の!」

『""""自律型機械忍者""""でs』

「本当に大丈夫かこれ!? おれ嫌な予感しかしねえんだが!!」

「つべこべ言わず来い!!」

「ああもう、クソ――」

 

「出てくるんじゃなかったかなあ、ったく!!」

 

 

 

 週末いっぱいまでずらりと並ぶ雨マークの予報を見たときは、灰色の空に見守られての卒業式になるのだろうと思っていたが、その日だけはからりと晴れ上がった青が天を埋め尽くしていた。

 雨に置き去りにされた水溜まりが、校庭やグラウンドのそこかしこで羨ましそうに空を見上げている。『先日の雨が嘘のように晴れ上がり――』卒業式の挨拶が、天理の耳から耳を抜けていく。

 体育館で卒業証書を受け取り、自分の席に戻る。隣の生徒が目に涙を浮かべているのを見て、天理は少し、息をするのがしんどくなった。

 式が終わると、クラスメイトや先生と思い出話に花を咲かせた。

 それから、小さな打ち上げをした。

 そのあと、屋敷へ戻って、名無となんてことない話をした。

 夕食はほんのちょっぴりだけ豪勢にして、両親にも報告した。

 

 最期の春休みがやってくる。

 

 ――結局、名無ちゃんの気持ちにも、応えてあげられなかったな。

 

 最近になって、そんなことを考える。

 天理は、この世界に生きていないのだと。名無はそう言った。言われた時はピンと来なかったその言葉の意味が、今の天理には嫌というほど理解できつつあった。

 

 透明な膜に包まれている。

 膜の内側は真っ暗だ。そこで膝を抱えて在る。暗い世界の中、ただ流れる動画のように膜の向こうで生活が光っている。

 自分の周りに、壁のような――泥のような――布のような――『それ』が――ある。

 景色も――音も――味も――香りも――手触りも――すべて、その膜を通して伝わってくる。

 感覚は世界の輪郭をなぞるだけで、そのものには触れられない。

 

 両親がいなくなってから、ずっとなにかの中にいるようだった。

 磨硝子の向こうから景色を覗くように。水の中で音を聞くように。世界はどこまでもぼやけていて、幸せなことはすぐに泡みたいに消えていって、辛いこともいつの間にかどうでも良くなっている。

 両親がいない世界にも気付けば慣れていて、なのにぽっかり空いた穴だけが埋まらない。その穴から心の揺らめきが流れ出て、だからなにも残らない。

 空っぽだから心は打てばよく響いて、多分それが周りには『明るい性格』に見えているのだろう。

 全部が遠くにある。

 目を閉じ続けていれば、何かの拍子で何かが壊れて、目覚めずに済むのだろうかと思う日が増えた。

 

 どうして生きているんだろう。

 意味もないのに。

 ――天理は『あの日』、『死ななければならなかったはずなのに』。

 

 ――あの日とは、いつだっただろうか。

 

 どうして死ななければならないと、自分は思っているんだろうか。

 なにかを忘れているような気がする。

 死に場所はとっくに見つかっていたのではないか。そんな考えが頭にまとわりついて離れない。

 ひどく、気持ち悪い。

 

 ――死ななければならなかった。

 ――じゃあ、死ねば良かった。

 ――できなかった。

 ――どうして?

 ――それは。

 ――ふたりが、そう、望んだからで、

 ――いつ。どこで。

 ――おもいだせない。

 

 たしか。

 よるだった。あめがふっていた。かみなりが、やみをてらして、

 

「前にもちょっと言ったと思うんですけど」

 

 名無の言葉で、天理はハッと我に返った。自分の顔がお味噌汁の表面に反射して、思わず彼女の方へと視線を上げる。

 春休みのさなか、夕食の席だった。

 

「天理さんのお誕生日についてなんですが」

 

 目を丸くしていた天理は、ああ、と茶碗の上にお箸を置いた。先程まで何を考えていたのか、自分でも思い出せない。多分、取り留めのないことを考えていたのだろう。

 

「えっと、その。ええっと……」

 

 言い淀む名無を前に、とうとうその日が来るのだと思った。

 名無と出会ってからの二ヶ月。長かったようでもあり、短かったようでもある。

 

「すみません。なんて切り出せば良いのか、わからなくて」

「大丈夫。ゆっくりで良いよ」

 

 微笑む。わかっていたことだ。今さら文句を言うつもりはないし、もちろん名無を恨むこともない。

 そうですか、と名無は少しだけ上擦った声で返事をして、ゆっくり息を吸った。

 

「天理さん。えっと、」

「うん」

 

 被告人席に立つ罪人のように、天理はその言葉を待って、

 

「――そ、その日っ。いっしょに遊園地行きませんかっ!?」

「……うん?」

 

 想像とぜんぜん違うことを言われた。

 

 

 ――そんな話を改めてしたのが先日のことだった。

 がたんごとんと線路の繋ぎ目に合わせて揺れる電車内で、名無は全身で『怒ってるんです!』と不機嫌をあらわにしていた。

 

「もう、もうっ。今日は天理さんのための日なのに! なんで天理さんの口から出てくるのが遊園地の約束じゃなくて『そっち』なんですかっ!」

「ううっ。ごめん……わ、忘れてたわけじゃないんだよ? でも、その。名無ちゃんにとってはそっちの方が大事かなーって」

「そんなのどうでも良いんですーっ!」

「いやどうでも良くはなくないかな!?」

 

 複数人がけの座席に向かい合って座っていることもあり、もーっ、と眉を吊り上げる名無の表情がはっきりとうかがえる。春休みの午前中とはいえ、この辺りの駅ではまだ電車内の人の数もまばらだった。

 

「わたしは指折り数えてこの日を待ってたのにっ。楽しみすぎて夜しか眠れなかったくらいなのにーっ!」

「ご、ごめんなさい。反省してます……」

 

 耳と尻尾を垂らす。夜しか眠れないどころかいつも夕方くらいまで寝ていた気がするが、ひとまずそれは黙っておくことにした。

 

「ごめんなさいって言うだけなら小学生でもできるんですよ。ちゃんと誠意を見せてもらわないと」

「誠意……えっと……あたしに渡せるもの……あっ、手作りのお守りとか?」

「いやそれはそれでちょっとほしいですが。普通に効果ありそうですし」

「えへへ、結構評判良いんだよーっ。せっかくだし、鞄の中にあるから一個どう?」

「わーい! じゃあひとつ――いやそうじゃなくてっ」

 

 目を輝かせてお守りを受け取った名無は、すぐにハッとしてまた眉を吊り上げる。

 そのあときょろきょろと周囲を見回して、とりあえず人がいないことを確認すると、わざとらしく笑い、手を変な感じにわきわきさせた。

 

「ぐへへ、ホントはわかってるんでしょうお嬢さん……このツケは体で払ってもらいますかねえ〜!!」

 

 五秒くらい沈黙が流れて、天理はきょとんと首を傾げた。

 

「えっと……よくわからないけど、あたしにできることなのかなっ。だったらなんでも手伝うよっ」

 

 またたっぷり無言の時間があって、がたんごとんという電車の音だけが響いて、みるみるうちに名無の顔が赤くなって、

 

「……………………。すみません、あの、忘れてもらって良いですか?」

 

 名無は両手で顔を覆った。

 

「どうしたの? あれっもしかしてあたしまたひどいこと言っちゃった!?」

「違います違いますそういうわけじゃないんです!! あのその、なんというかわたしたち忍者はいろいろ見てるからなんとなく意味が伝わるというかそういうお約束というか『麝香会総合病院(じゃこうかいそうごうびょういん)』の連中に毒されてたというか」

「じゃこうかいそうごうびょういん……?」

「あーっ大丈夫です大丈夫ですスマホで調べようとしないでください!! いや検索しても表の情報しか出てこないと思いますけどっ。と、とにかく子どもは調べちゃダメ!!」

「同い歳だよね!?」

「天理さんはそのままでいてください!! 純粋無垢な天使として……!!」

「何回も言ってるけどあたし半分妖狐だからね!?」

 

 電車のアナウンスが次の駅の名を告げる。聞いたことはあるが、町からもう随分と離れた場所である。

 生まれ育った町から外へ出たことがない天理にとっては、こうして電車に揺られるのさえはじめての体験だった。窓の向こうを、見たことのない景色がゆっくりと流れていく。天理の全速力の三分の一くらいで電車は線路を進んでいて、ちょっとした駆け足程度。じれったいような、心地良いような。

 

「こ、こほん。冗談はさておき……次の駅で一回降りませんか?」

「あれ、降りる駅ってそこじゃなかったような」

「本当はもうちょっと先ですよ。でも、実は他にも行ってみたい場所があって。ダメですか?」

 

 天理は明るく笑った。

 

「ううん、もちろん大丈夫だよっ。名無ちゃんと一緒なら、きっとどこでも楽しいから」

「……。天理さんって息を吐くようにそういうこと言いますよね……」

「えっ。い、嫌だった?」

「嫌じゃないから余計にダメなんです。後々苦労しても知りませんよ。痴情のもつれとか」

「んんー……でも、あたしに『後』ってなさそうだし。だからその分、今日は名無ちゃんと一緒に楽しみたいなって。二人でいろいろできたら良いね、えへへ」

「ほんっとそういうとこもやぞ!! ちょっと慣れてる自分が怖い!! それ聞いてわたしはどういう反応すれば良いんですかっ!?」

 

 再び電車のアナウンスが鳴る。間もなくして電車の速度が落ちて、窓から見える景色が駅の構内に変わった。

 ぴょんと勢いをつけて名無が席から降り、天理の手を取る。

 

「もー……ほら行きますよ、早く早くっ」

 

 勢いにつられるようにして立ち上がった天理もまた、一瞬目を丸くしてから彼女のあとへ続いた。

 

「わわっ。そんなに引っ張らなくても大丈夫だよ」

 

 その顔に無意識の笑みが浮かんでいることに、天理自身さえ、気付いていない。

 

 

 思いつき、というわけではなかった。

 卒業祝いと誕生日祝いを兼ねて、天理に何かをしてあげたいとは以前から考えていたのだ。

 ただ、最終的に遊園地を選んだことに特別な決め手があったわけではない。強いて言うなら商店街の福引で招待券が当たったというだけだ。

 夕食の席で勇気を出して誘ってみれば、天理は「ち、ちょっと……ううん、だいぶ想像と違うお話でびっくりしちゃったけど。でも、良いね。あたしも名無ちゃんとどこか遊びに行ってみたいなって思ってたんだ。えへへ、嬉しいっ」なんて言いながら、にぱーっと擬音が付きそうなほど明るい笑みを浮かべてくれた。『さすがに知り合って二ヶ月の子と遊園地はちょっと困るかな……』とか言われていたらしばらくは立ち直れなかったと思うので、ひとまず致命傷を喰らわずに済んで胸を撫で下ろした。

 

 天理の中で、今日は自分が殺される日だという意識がないわけではないのだろう。

 あった上で、多分、気にしていない。

 この二ヶ月間、名無はなるべく天理の良き友人として振る舞ってきたはずだった。

 そういった関係を誰かと作ったことはないから、天理の学校生活をこっそり覗いてみたりもした。名無のスマホの検索履歴は『友達 どういう関係』『友達 何する』『遊び 何』とかなんとか、とにかくそういうワードでびっしり埋め尽くされている。いつぞや天理に「そういえば名無ちゃんってあたしよりずっと学校の行事とか詳しいよね」と言われた時は「ま、まあー? わたし、忍者ですしー?」などと、目を逸らしながら冷や汗混じりで答えた記憶がある。

 

 名無が彼女の友人を名乗る資格など元々ありはしない。

 だが偽物の関係でも、なにかのきっかけにはなれるはずだと思っていたのは事実だ。

 情か畏れか、どちらかにさえ彼女の天秤が傾いてさえくれれば、それは天理の生きる理由になるはずだった。

 

「ご、ごめんっ。忘れてたわけじゃないんだよ!? その、ええとっ、」

 

『その日』の朝、天理の部屋へ入るなり頬を膨らませた名無は、きっと『約束を蔑ろにされて怒っている』風に見えたのだろう。

 無言でその手首を掴んで部屋を出る。「あっちょっ、待っ……どこ行くの!?」「居間です。『お話』です」「いやあたしまだ着替えてる途中だから!? さすがにこの格好恥ずかしいから!? 聞いてる!? や、やめっ……ごめんってばーっ!?」天理の声はあえて無視した。

 

「(天理さんがそんな人じゃないくらい、言われなくたってわかってますよ)」

 

 ――だから、怒ってるんじゃないですか。

 ――なんで、わたしに殺されることを、笑顔で話せるんですか。

 

 わかっていたことだ。だけど、

 息をつく。

 どう転んでも、天理と過ごせるのはきっと今日が最後だ。

 

 ――なので町を出て、とりあえず。

 名無は目的の少し手前の駅で降りると、前々から気になっていた洋服屋へ立ち寄った。

 お店の看板を見るなり天理はぎょっとしていたが、なまじ『どこでも』と言ってしまった手前拒否することもできず、結局手を引かれるまま入店した。どうしても嫌そうなら待っていてもらおうかとも思ったが、そういう感じでもない。多分、あまり入ったことのない類のお店で落ち着かないのだろう。

 さておき店に入るなり、自動ドアにぼんやり反射していた自分と天理の姿を思い出す。ううん、と心の中で唸った。

 なんとも天理の装いが垢抜けない。ボーイッシュともまた違う意味で、いつも男の子みたいな格好ばかりしている。今日とてそんな感じであり、それはそれで悪くないのだが、もう一歩踏み込んでみても良さそうなものである。最初は適当な小物やアクセサリーでもプレゼントするつもりだったが、気が変わった。

 よしっ、と名無は腰に手を当てて、天理の方へ振り向いた。

 

「天理さん! 良い機会ですし、ちょっと気合い入れてお洒落とかしてみません?」

「え゛っ゛」

 

 ほわー、と辺りをきょろきょろしていた天理が、耳と尻尾の毛を逆立てた。

 固まる彼女をよそにお店の中へ繰り出して、目に留まったものを片っ端から籠へ突っ込んでいく。「そ、それあたしが着るの……?」「やだなあもー、逆に誰が着るんですか。あ、たしかサイズはこれで合ってましたよね?」「ん、大丈夫だけど――ちょっと待って。なんであたしの服のサイズ知ってるの?」「………………。えへへ、忍者ですので!」「忍者って言えばなんでも納得するわけじゃないよ!? 名無ちゃん!? 口笛吹いてもごまかされないからね!?」天理を笑顔と口笛でなだめつつ、手は一切止めない。

 やがて店員も名無たちのことが気になったのか声をかけてくれたので、遠慮なく天理を指さして「この子に合う服を探してるんです!」と伝えた。店員は、まあまあ、と目を輝かせた。二人がかりで服を選んではカゴへと突っ込み、天理だけが恐怖で頬を引き攣らせていた。

 三十分後。

 

「え、えっと……どうかな。変じゃない?」

 

 名無の目の前では、顔を赤くした天理が落ち着かなさげに指を組んで、そわそわと体と耳と尻尾を揺らしている。

 カーテンが開け放たれた試着室である。

 落ち着いたシンプルな装いの方が似合うだろう――ということで、名無が選んだのは至って変わったところのないワンピースとアウターである。

 名無の隣にいた店員が、笑顔で「わあ〜!」と声を上げた。「よくお似合いですよ、お客様!」

 

「そ、そうですか?」

「――びっくりしました!!」

 

 思わず天理の手を取り、目を輝かせてずいっと迫る。驚いた天理が、その分だけ仰け反った。

 

「すっっっごく可愛いです! わたしの目に狂いはなかった……!!」

「う、うう〜っ。ちょっと恥ずかしいけど……でも、そっか。ありがとう。名無ちゃんたちが選んでくれたおかげだよ」

 

 靴だけ脱いで名無も試着室へあがると、天理の肩に手を置き、鏡へ振り向かせる。

 

「いやあ、恥ずかしいなんてとんでもない。どこに出しても大丈夫ですよっ。いつもより輝いてます! ねっ!」

「そうかな……えへへ。大事にするね」

「ふっふっふ。気にしないでください。これで、朝のことは許してあげますっ」

「むしろ、あたしはしてもらった側だと思うんだけど」

「違いますっ。わたしがやりたかったことに、天理さんが付き合ってくれたんです!」

 

 にっこりと目を細めて、名無は笑った。

 

「これは朝の分です。今からも付き合ってもらいますからねっ」

「もちろん。約束だもんね」

 

 天理も同じように笑って、

 

「ふふっ、なんだろ。あたし、すっごく楽しみになってきちゃったなあ」

「えっ。じ、じゃあ、今までそんな乗り気じゃなかったんですか……?」

「そうじゃないよ!? ごめんね、言い方が良くなかった。もちろん、ずっと楽しみだったよ。でも、そうじゃなくて、……ええっと」

 

 天理はわたわたと手を振ってから、そこで言葉を区切ると、自分の胸に手を当てた。心の中で形を成そうとしている感情を、慎重に手繰り寄せるように、うんうんと唸っている。

 くすり、と名無は笑った。

 

「無理に言葉にしなくても大丈夫ですよ。天理さんがそういう風に笑ってくれるだけで、わたしは嬉しいです」

「ううっ、ごめん……ダメだなあ、あたし」

「ううん。むしろ、名前を付けたせいでわからなくなっちゃうこともきっとありますよ。ほら、天理さんのお父さまなんかはよく言ってたんじゃないですか? 『名前は――」

「呪い』?」

「ですです。なんでもかんでも名前を付けるのも良くないのです。気持ちなんて、同じようで人それぞれ違うものですからね」

 

 わたしも新しくなにか買おうかな、なんて頭の片隅で思いながら、試着室から降りる。

 小さな段差と簡素な扉で区切られた、なんてことのないこの部屋は、新しい自分と初めて出会うための舞台だ。名無はこの空間が好きだった。

 

「わたしも負けてられませんっ。ちょっといろいろ探してきますね!」

「あっ、待って。あたしもお手伝いする!」

「それはお礼ですか? なら受け取りませんよ」

 

 天理が目を丸くした。

 

「……なんでわかったの?」

「そりゃ、二ヶ月一緒にいましたから。天理さんが言いそうなことはだいたいわかります」

「むむむっ……」

 

 ふふんと笑むと、天理はやがてなにかを思いついたのか「じゃあ」と手を叩いた。

『じゃあ』の時点でなにかおかしい気もしたが、ひとまず黙って耳を傾ける。

 

「名無ちゃんは、あたしにお洒落をしてほしかったんだよね?」

「うん? まあ、そうですね」

「つまり、え、えっと。あたしに可愛くなってほしかったってことだよね?」

 

 顔を赤くするくらいなら言わなければ良いのにとも思ったものの、ひとまず合っているので頷いた。

 

「……。まあ、そうですね」

「えへへ。じゃああたしも、名無ちゃんが可愛くなるとこ見てみたいなっ」

 

 ぴょこぴょこと耳を揺らして、天理はお日様みたいな笑みを浮かべた。

 

「どう? これなら大丈夫でしょっ?」

「……、」

 

 目を丸くする。さっきの天理と名無と、それぞれ表情が逆になった。それから、まったくもう、とため息を吐く。

 

「ほんとそういうとこですからね、天理さん」

 

 天理が首を傾げる横で、店員は「あらまあ」と頬に手を当てた。

 




・8/4
龍頭の階級を上忍から上忍頭に修正
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