紅子が竜胆邸に居座るようになってから3日が経過した。
彼女が家政婦のように自宅で過ごしていることに信真は未だ慣れないが、気持ちはともかく生活は安定してきていた。料理が得意な紅子がいるおかげで信真は今までのような不摂生な食事をしなくても良くなったのだ。
その日の朝も紅子が作った朝食を頂く。
味噌汁と白米、鮭の塩焼き。
古典的な和食のメニューに囲まれ、一人暮らししていた時には絶対にあり得なかったであろう豪勢な食事に信真は感動しながら、紅子がいることへの順応を感じていた。
「いただきます……うん」
渋い顔をする信真に紅子は自慢の食事が口に合わなかったのかと動揺する。が、どうやら違うようだった。
「あ、食事は旨いです。ただ旨すぎるのが、なんか逆に怖くて……」
「好きな相手には美味しい物を食べて欲しい、それだけさ」
(絶対にそれだけじゃないだろ…)
”好きな相手の胃袋を掴め”、昔からそのように言われることが多いが、紅子の瞳の奥からそういった観念を信真はひしひしと感じていた。
が、良質な食事を摂れていることには本心から感謝しているのでこれ以上突っ込んで紅子の気を悪くしたくないと考え、信真は追及を控える。
「…ところでどこで覚えたんですか、この料理とかって?」
「それが覚えていないんだ」
信真が味噌汁をすする手を止める。
「覚えてないって…かなり昔の話ってことですか?」
「いや、私は記憶喪失なんだ。トワイライトに洗脳された影響で君のことを初めて見るまでの記憶が欠如している」
「僕と初めて出会ったのって…たしかこないだの雨の日、でしたよね」
「割と直近の出来事だね、そうだよ…私には名前とそれ以降の記憶が無い訳だ」
紅子が鮭を丁寧に切り分けながらそう話すと、信真は少しを目を泳がせながら問う。
「それって、怖くないんですか? 何も覚えてないって」
「過去の経験則にもとづいて行動が出来ないのは多少面倒だが、今の私には
そう言って笑う紅子に信真は少し寂しさを覚えた。
彼にとっては過去の積み重ねが今の自分を支える力となっている。もし記憶がなくなってしまったら、そう考えると身がすくむ。
それなのに紅子は笑っている。それが信真にとっては強がりに見えたのだ。
「悩みを聞くくらいなら僕にも出来ます。だから無茶はしないでくださいね」
「分かっているさ……あ、だったら少し記憶を取り戻す手伝いをしてほしいかな。私は君に一目惚れしてしまった訳だが、もしかしたら過去に恋愛関係にあったのかもしれない。そんなことは無いかい?」
そう言って自分の顔を見せつける紅子だったが、信真は見覚えが無く、眉をしかめて首を傾げつづけた。
「どうやら見覚えは無いようだね…だとすれば私が一方的に君を好きであったか、あるいは私の過去の感情に結びつくポイントがあったか、だね」
「そろそろ俺は学校すね。例の如く何かあれば連絡しますね」
「ああ、君からの連絡があれば音の速さで駆けつけよう」
紅子が約束すると、二人は朝食の残りを平らげて家を後にする。
――
(紅子さんは音の速さで駆けつける、と言っていたが…仮面ライダーともなると比喩表現に聞こえないのが何とも言えんな)
「ハイこの問題、竜胆くん分かるか?」
授業中ながら物思いにふけっていると、案の定教師が信真を指名し出題する。
生物教師が趣味で出した問題、写真に提示された動物の名前を当てるという趣旨のものであったが、そこに描かれたヤギとカモシカの中間といった動物について、他の生徒は中々検討がつかないようだった。
しかし、信真は以前テレビで特集されていたことを思い出して咄嗟に答える。
「レイヨウ、ですかね」
「正解、この動物は
(合ってて良かった…)
安堵しながら信真が席につこうとした時、窓際に黒い影が見えた。
それが一体何なのか、信真が気付いた瞬間、全身から汗が噴き出た。
「残念俺はオリックスだよ~~~~~俺俺オリオリオリックス!!」
教室の静けさを打ち破るように叫ばれたその一言が、学校という日常を粉砕する。
窓のふちに立つ黒い2本角の怪人が白い歯をむき出しにして叫んでいたのだ。
一瞬の静寂と、間も無く起きる無秩序な混乱。
不審者の出現に生徒らが逃げ出す。
一方の信真はカバンから携帯を取り出し、紅子に連絡をしようとしていた。
「竜胆くん、早く逃げなさい!」
そう言って教師が信真を怪人から遠ざけ、足を震わせながらもその怪人の前に立ちはだかる。
「ここは未来ある学生の場所だ! あなたのような不審者が立ち入る場所じゃない!」
「オリオリ…なんて勇気ある先生なんだ、そういう
信真は心臓が口から飛び出そうなほどの拍動をおさえながら紅子へと電話を繋げる。
「君が連絡するなら一大事だろすぐ行く!」
「話が早くて助かります……!」
信真が電話を切るとカバンを怪人へと投げつける。
「狙いは俺だろ! 先生は関係無い!!」
意表を突かれた怪人は驚きつつも信真へと拍手を送り、教師へと視線を向ける。
「そうそう…オリ、じゃないや俺の目的はこの少年をブッ殺すコトだよ~ん。先生は関係ないから死にたくなきゃ逃げるんだね」
「生徒を置いて逃げる教師になったつもりは無い!」
「うっせー折角見逃してやるっつってのに死にて~のかクソがよ!!」
怪人の怒号に教師は完全に怯んでしまった。が、今度は信真が教師をかばい、前に立つ。
「僕なら大丈夫なんで、先生は早く逃げて!!」
教師は幾秒かの葛藤の末、教室を後にした。
彼にとっては最悪の決断だったのかもしれないが、信真にとってはそれが最良の選択肢であった。
「良い選択をしたな、あの先生」
「どうして先生を逃がしてくれたんだ?」
「それは俺、いやオリが天下の平和主義者、ブラックオリックスゆえよ」
平和主義者? 教室を破壊し生徒に恐怖を植え付け自分の命を狙う怪人が平和主義者と語るにはあまりにも勝手だと信真は心の中で反論する。
「まぁ名乗りもそこそこ、早速死んでもらうよ~~~」
「そうはさせない、よ!」
紅子の声と共に黒い怪人、ブラックオリックスの背後からバイクが飛び出し、彼をはね飛ばす。
「オリ"ッ」
「紅子さん!」
「言っただろ、音の速さで駆けつけるって…少し遅れたけどね」
唐突にあらわれた紅子が駆るそのバイクは、ライドエージェントに支給される世界間移動用マシン、『マシンワールドシフター』である。
かつて店長が使用していたものを借りている代物だが、改造により自立操作が可能となっている。
これによりバイクに乗るための免許も技術も持っていない紅子が現場へ急行するための手段として扱えるようになっているのだ。
「さて、またまたと言った感じだがこのふざけた連中にお灸をすえる時間だね」
《ジェネレートドライバー》
「うぐぅ…よくもよってくれたね、レッドベスパ!」
「だーれがレッドベスパだよ、口を揃えてそう言うの、流行ってるのかい?」
「オリと、あっ違う…割と流行ってるよ~ん」
「悪趣味な連中め、ならば……変身」
《インジェクト・エージェント・ジェネレート―――フォーム・アット・”ホーネット”》
《激しく刺し
「君らが何も学ばずその名で呼ぶならば、何度も言わせてもらおう!」
怪人の前に姿を現した紅い戦士は見栄を切って新たなる自分の名を告げる。
「私の名は、仮面ライダーヴェスタ―――刺激的にいこうか」
静かな怒りと共にヴェスタがブラックオリックスのみぞおちへ拳をめり込ませる。
敵との距離が近しかったために放たれるハチらしい素早さは、ブラックオリックスに早速大きなダメージを与えた。
「グホォォオリ…なかなかやるなレッドベスパ! ならばこちらも!!」
そう叫ぶとブラックオリックスは頭に取り付けられていた2本角の仮面を外し、手の甲へ接続する。頭部の角は武器としても機能するのだ。
「しかもこの角回転するんだよ!」
ブラックオリックスが言う通り、角が高速回転をはじめ、さながらドリルのようになった武器はヴェスタの体を貫かんと突き放たれる。
「オラッ! オリッ! オラックス!!」
本気を出したブラックオリックスの攻撃は非常に俊敏で、ヴェスタも回避するのが精一杯であった。
「紅子さん!」
「ったく、素早い突きがお望みならこちらもッ!」
《インジェクト・エフェクト・ジェネレート―――イクイップメント・”スタブ”》
《刺し貫け!》
攻撃をよけながらベルトを操作し、強化装備であるスタブを呼び出す。
左腕の針を射出しブラックオリックスの武器を弾き飛ばすと、胴をがら空きにしてしまった彼へと蹴りを入れ、教室から強制的に追い出す。
《インジェクト・エージェント・ジェネレート―――フォーム・アット・”ホーネット”》
《激しく刺し
「このまま決めさせてもらうか…!」
《ホーネット! 最終激破!》
再びホーネットの力を使って落下する敵にとどめを刺す算段である。
足を突き立てブラックオリックスに向け、そのまま自らも落下しながら突き落とそうとする。
「これで終わりだ―――」
ブラックオリックスに近付いた瞬間、彼は隠し持っていた黄色い鎌を放り投げ、ヴェスタの右腕を”切断”したのだ。
「―――紅子さぁぁあぁぁあんッ!!」
「案ずるな少年! このまま貫くッ!」
最後の抵抗もむなしく、ヴェスタの勢いは止まらずそのままブラックオリックスを校庭に沈め、ブーメランの要領で戻って来た鎌を掴んで容赦なく突き刺し、爆散させる。
ブラックオリックスの爆発に巻き込まれ粉々になった自らの右腕をつまむとヴェスタは先ほどまで敵だった瓦礫へと無造作に投げる。
「やれやれ、利き手がおシャカだ」
「紅子さッ、紅子さん! 右手が!!」
息を切らして教室から降りて来た信真が泣き叫んでいると、ヴェスタは変身解除して笑う。
「ほら、見てくれ」
「え…って、この断面は……」
「私の体は機械なんだ」
少し切なく笑う紅子に、信真は絶句する。
トワイライトアバター、レッドベスパとなってから彼女の身体はずっと機械仕掛けのアバターなのだ。だから腕が欠損しても痛みは無く、また修復ができるのだ。
事態を収束させるためやって来たハルカにより周囲の人々の記憶と被害がリセットされていく中、破損が直らない紅子はやはり、と呟く。
「敵まで復活させる訳にはいかないから、トワイライトアバターは修復されない。だから私も直らない…あぁ、本当に面倒な体になってしまったものだよ。熱さやケガを気にせず料理が出来るのは便利だがね」
記憶喪失と機械の体。
悲惨すぎる運命を辿る紅子の真実に、信真は言葉が見つからなかった。