アイちゃんよりやべーのいたらアイちゃん救われる説 作:グナードン
そうじゃないと嫌だ。
額から冷たい汗がスッと流れる。
自身の腹から突起物が出ており、そこから流れるように血が流れる。僕の視界には僕の現状が写っている。この光景は今現実か、それとも現実でないのか、それはいささか問題ではない。
僕がこれまで体験したことがない痛みを感じ、悶えている、それが問題なんだ。
眼前の男の目が、怯えているのがわかり、自分が今やったことの重大さに気づいたのか、僕の姿を見て動揺している。先ほどナイフを持っていた手は拳となり、力を入れているせいか、震えているように見えた。彼は酷く動揺している。
なるほど、彼は人間なんだ。人を刺す、人を殺すということが人の行為そのものが道徳の範疇から出ていることを彼は知っている。だからこそ、彼はここまで動揺しているんだ。僕は彼に少しだけ同情の念を抱いた。痛みが酷く支配している身体でここまで冷静な頭を働かせている僕が悪役かもしれない。
彼の後ろには若くて顔立ちの良い男性が一人立っている。僕はこの男性をこれでもかと思うほど知っている。
彼は決まって黒の革ジャンを羽織っていて、それに加えいつも綺麗に磨かれた革靴を履いていた。僕といる時はきまってその姿で現れる。夏でもその姿なのだから、彼の服装は個性というべきがお似合いだろう。悪役にはぴったりな服装だ。徹底して彼は悪役を演じている。
未だ薄れない意識の中で、僕は地面に滴り落ちる血を見つめる。僕の血はここまで赤く、人間らしい色をしていたことに驚く。この血がアルコールを含んでいるのだとしたら、僕は彼と地面を舐めていたかもしれない。
僕はその場で膝をつき腹を押さえていない左手で地面を触る。ほんのり温かい血が僕の手につく。綺麗な黒っぽい血。僕にはそれが鮮やかに見えて仕方がなかった。綺麗で、とても僕から流れたとは思えないものだ。
だからこそ、僕はこれが本物であるかを確かめずにはいられなかった。僕はゆっくり口にもっていき、丁寧に舐めてみる。よく人の血は鉄の味がすると言われているが、その通りだ。僕が何度も口にした鉄の味。殴られ、口の中が切れた時に自然と口に広がるあの味とまさに瓜二つだ。もし違う点を挙げるとすれば、地面の血のためか、口の中でじゃりじゃりと少しばかり音がするくらいだろうか。いずれにせよ、僕はこの味を久しぶりに味わった。この懐かしい味を何度も味わいたくて、二回、三回と手を地面にぴちゃぴちゃとつけて舐めていく。それがついおかしくなってしまい、僕は口角を上げてしまった。
僕の視界の端にナイフを持っていた彼の足が入っていたが、彼の足が視界からなくなっていた。僕は見上げるように彼を見ると、彼の表情が動揺から恐怖へと変化していたことに気づいた。お化けを見るようにこっちを見るんじゃない。別に変なことはしていない。ただ、僕はこの味を確かめたかっただけなんだ。不思議なことじゃない。醤油とかソースとかを舌で舐めるのと一緒だ。好きなものや懐かしいものには人は好き好んで下手な行為をしたくなるものなんだ。
しかし、僕の訴えは口からは出るわけではなかったので、つい彼を睨む形になってしまった。彼はまたその表情を更に険しくさせた。
しまった。僕の悪い癖だ。自分の中で完結させてしまった。
「……き、君が悪いわけじゃない」
「……へ?」
僕が最初に呟いた言葉は彼の耳にしっかり入ったのだろう。彼は一言動揺した返事をした。口を開けるたび、息をするたびに全身の痛みが増してくる。殴られた時の比じゃない。この痛みが好き好む奴が何人いるか知りたいところだ。奥にいる革ジャンの男は笑顔になっていた。君はこういうものが好きそうだな。
「ぼ、僕が悪いんだ。それは僕が一番知っている」
気がつけばナイフの持ち手の部分が赤に染まっていた。
「……き、君がやった行為は褒められたものじゃない。しかし、刺されたのは僕で、君は刺しただけだ」
野球をしていてガラスを割ってしまったということを例に出せばわかる。ボールを投げだ人は悪くない。ホームランを狙おうとして、バッドを振った人が悪いんだ。それと同じ原理だよ。
もっともこれが通用するのは僕だけだ。扉の向こうにいる彼女に刺していたら、それはもう間違いなくこの原理は使えない。
「だ、だから君は悪くない。こうなることは僕は少しだけわかっていた気がするんだ」
彼は何を言っているのかわからないのか、恐怖と動揺を行き来している。
これ以上言葉にするのは億劫で、身体にも負担がかかっているため、口には出せない。しかし、どうにか彼を安心させたい。僕はそう考えていた。しかし、彼は僕の懸命に声を出したことにも気づかずにいるのか、依然として理解をしようとしていない。困った。もう僕には声出す体力がない。でも、僕には秘策がある。
僕は奥にいる男性を見る。君なら僕を理解してくれるだろう。僕が言いたいこと、僕が考えていること、君は知っているだろう。久しぶりの再会だが、君は変わらずにこうやって僕を見ているんだ。わかってくれるはずだ。
僕は彼に訴えるように見つめると、彼はゆっくりと歩き出した。
「その通りだ。お前は誇っていい」
それは言い過ぎだ。違うよ、これはそんな行為じゃない。
彼はナイフを持った男性の方に手を置きながら話す。
「こいつはな、とうにその願望があった」
それは昔の話しだ。今はとても幸せだからそんなこと思ってない。僕には究極のアイドルがそばにいるからね。もう僕はそんな事を望んでいないんだ。
「お前がこいつの運命に当たってしまったのは偶然だから、気にする必要はない」
何言ってるんだ。それだと彼は救えない。
彼がここに来たのは、殺意を持っていたのは、彼女なんだから。僕が刺されたのは偶然なんだ。僕の運命なんて、大それた事を言うんじゃない。
僕は肩で息をしながら彼を見つめた。
「災難だったなあとは俺に任せろ」
彼はそういうと僕の方に近づいてきた。僕を気味が悪い笑顔で見つめながら、立てるかと聞いてきた。それに対して少しだけ首を横に振ると、彼は僕を支えて立ち上がらせる。
「安心しろ、これでお前は救われる」
それはどっちに言ってるんだろうか、僕に対してか、それとも男性に対してか、はたまた彼自身か。いずれにせよ、君が何かをやることは決定事項か。
彼は赤く染まったナイフの持ち手を握る。僕はそれに対して顔を歪ませると、彼はナイフを引き抜いた。
痛みというものから熱いという感覚が全身を襲った。全身のやけどをおったらこんなふうになるものなのか。
「お前は早くこの場から立ち去り。そして永遠とこの事を思い出すんだ」
彼はナイフを僕の右腹に刺した。
全身の力が抜ける。熱い、痛いという感覚はどこにいったのか、痛みがどこにも湧き上がらなかった。僕の身体は麻痺を起こしてしまった。
「う、うわぁぁ!?な、なんだおまえぇぇ!?なんなんだよぉぉぉ!?」
彼の叫び声が聞こえる。ぼんやりとした視界で見るその表情はよくわからないが、きっと本物のホラーを見たのだろう。僕の友人はイカれているんだ。君が驚くのも不思議じゃない。
「お前は明日からこの光景が夢に出てくるだろう。この素晴らしい夢で目が覚め、とびきりうまい朝食を食べ、踊り出したいほどに身体を動かし、優雅な夕食を食べ、また眠る。明日からそれが毎晩のように続くんだ。よかったな、人生の転換期だ。お前の人生はここから変わる」
彼の言葉を聞いたのか、男性は逃げるようにこの場を離れていく。
君が僕を再度刺したのは彼を救うためか。なるほど、最終的には君が僕を刺したということになるからね。あの人が見つからない限り、君が僕を刺したことになる。なるほど、君は以前にもまして策略家になってしまったというわけだ。
僕のぼやけた視界に彼の顔がよく映る。これが君の答えか。君らしいと言えば君らしいな。捻くれ者にはピッタリだ。
「みたか、あいつのズボン。股間からアンモニアが漏れてたぞ。俺はあいつの性癖も歪ませられた」
じゃあ、彼に今必要なのはズボンとパンツだ。
「ティッシュだよ。あいつはそれだけしか必要じゃねぇのさ」
彼はそれだけいうと、僕を地面に捨てる。強い衝撃を受けたが、痛みが全くといっていいほどない。きっと感覚が鈍ってきているんだろう。
彼はただじっと僕を見つめている。
「お前はここで今死ぬとしたら、何を思う」
彼の質問は僕に依然した質問だ。あの時はどう答えたか、僕はそれを考える力を失っていた。彼はじっと僕を眺めながら、僕の返答を待っている。期待しているのか、それともしていないのか、彼の表情から笑顔が消えたその無の表情からはそれを読み取ることができない。
僕は今の率直の感想をいう。
幸せに暮らしたかった。
彼はため息をつき、あの時と同じだな。なんも変わってない。だからお前はダメなんだ。そんな言葉をぶつぶつと呟いた。
彼は足を開きながらしゃがむと、呆れたように僕を見下ろした。彼の表情から理解できた。これはきっと諦めだ。彼と知り合ってから初めて見た表情だが、僕は一瞬で理解できた。
「俺はお前を救いたかった。けど、お前はそれを望んでいない」
そうだ。僕は君をもう望んでいない。だから君を遠ざけた。ふざけた足取りで僕と歩こうとしている君を見るのが嫌だったから。
「だが、俺は俺のために救いたい。自己改革なんて望んでいない。俺は自己破壊を望んでいる」
わかりきったように、妙に哲学めいたことを言うもんだ。君からは一番備わっていない分野だろう。
「忘れるなよ。彼女がお前を救うんじゃない。俺がお前を救うんだ」
最後の猶予だ、くれてやる。彼はそう呟くと軽い足取りで、この場を後にする。彼が最後に言った言葉はどんな意味があったのだろうか。もっとも、僕にそれを検証する余地は今のところない。
彼が離れた数分の間、僕は自分の液体で広がったプールの上で横たわっていた。もうこうする他にどうすることもできない。
死後の世界はどうなのだろうか。救急車が先に到着するのか、それとも警察か、この地面は誰が掃除するのか、僕の頭には言葉が浮かんで、頭を駆け巡り、そして消えていく。この繰り返しだ。
息が苦しくなくなる。きっと最期は静かになるのが人間なんだろう。死ぬ時は眠る時とよく似ていると言われていたか。なるほど、そうかもしれない。僕にはピッタリな死に方か……。
ーーーーかずき?
声がした。僕が一番聞きたかった声。今一番聴きたくない声だ。音楽のように心地のいい声だ。思わず眠たくなる。
「かずき!!」
彼女は僕を抱きしめながら、目の中の星から涙が溢れる。一等星のような輝きでも雨が降るのか、君はすごいな。天気が君の中にあるみたいだ。
彼女は僕の名前を叫びながら身体を揺らしながら傷口を抑える。必死さが伝わってくるが、僕にはどうすることもできないのが残念だ。
できれば、このまま眠りたいが君はそうさせてくれないだろう。優しい君のことだ。僕の真反対のことをそうやっていつもしてくるんだ。
「だめ……だめだよ……やっと……手に入れたのに……」
彼女の言葉が耳に入るにつれ、僕の意識は暗くなっていく。いいんだ、君が悪いとか、君のせいだとか思っていない。これは僕が悪いんだ。
力のこもらない口を必死に動かす。
「き、君が悪いんじゃない……僕がわ、悪いんだ……だ、だから彼のせいになんかしちゃいけない」
「かずき!!」
僕の言葉を聞いてくれ。僕は今必死に君に訴えているんだ。頼むから聞いてくれ。今度はもっと強く意志を持って……。
「ドームは成功、子どもは成長、君は大成し、これからどんな未来も愛せるようになる」
「そんなのわからないよ!!かずきがいないとダメだよ!!」
わからないことあるもんか。僕より賢い君のことだ。もう策はあるんだろう。
「苦難なんかなし、困難もない。だって君はーー」
星野アイだから。
その言葉は口から出ることはなかった。僕の口はもうどう転んでも息しかできないのだろう。アイがなんか言っている。僕の耳にはそれが聞き取れない。立つ力も、聞くことももうできない。そうなったらもうダメだ。一旦退散したほうがいい。
うっすらと薄れていく。彼の言葉が蘇る。
『彼女がお前を救うんじゃない。俺がお前を救うんだ』
やっと意味がわかったよ。君が言いたいことがわかったよ。僕を救ってくれ。
彼がこの場にいて、僕を見たらなんでいうのだろうか。死人に口無し、死人の口約束は通用しない、いやどの言葉も違うな。彼は負けなしだ。彼のいう言葉はーーー
『任せろ。いままでのように俺に任せろ』
これだ、この言葉だ。絶対そうに決まっている。自信家の言葉はいつもそうだ。だからこそ僕は今まで君に縋ったのさ、狂人な君にね。
ーーーー!?
ああ、この際どうでもいいさ。どうにでもなる。どうにでも……。
僕は力を振り絞って彼女の顔を触ってみる。髪、頬、唇……。どうでもよくなってくる。君が生きていればそれでどうにでもなる。
ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるのなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈るーーー
ーーー幸せになってくれ。
僕がここまで願ってるんだ。だから、だから、必ず幸せになってくれよ。頼むから、頼むから。
第二話、アイちゃんやべー奴のことどう思ってるか。