レッツゴージャスティス! 作:ジャスティス仮面
地下モニタールームで尾白猿夫は息を飲んだ。
心根真純がポケットに手を入れた瞬間、その行動の意味を理解出来た訳ではない。
しかし、あの時、確かに真純は何かをしていた。
オールマイトの青褪めた顔が、猿夫の直感を確信させる。
オールマイトは百戦錬磨の経験を持っていたが為、
真純が今、何をしていたのか理解していた。
しかし、彼女の年齢で、それが出来る事実を彼は許容できずにいる。
簡単に云うと、
ポケットに手を入れた瞬間、命を捨てた。
正確には、相手を倒す一発分の命を残す事だけを考えて、
他の全てを捨てる覚悟を決めた。
「……個性、鋼
初めて話を聞いた時は、俄かに信じ難い個性であった。
精神強度は人一倍。精神に作用する個性に耐性があり、如何なる苦痛を受けても耐える事ができる。痛みがない訳ではない、苦しみを感じない訳でもない。ただ異常なまでの精神強度、それが彼女の個性とされている。
命を捨てる覚悟を決めた者であっても辿り着くのが難しい極意。
それを何の変哲もない訓練の場で事もなげに披露してのける彼女は明らかに異常だった。
「……これは、勝てないな」
彼女は戦っている場所は他とは違っている。
オールマイト自身、彼女と同じ覚悟を持てるのはオール・フォー・ワンと戦う時だけだ。
認めざる得ない。
彼女の精神性が普通からかけ離れている事を。
個性と呼ばれるに足る代物である事を。
暗黒街の英雄、その呼び名に偽りはなかった。
◆
訓練用ビル、床や壁の一面をコンクリートで補強しただけの殺風景な内装。
地面に転がっていた僕は、二本足で地面を踏み締める。
吐き気を催す恐怖を乗り越えて、両手の拳を握り締めた。
僕、緑谷出久はまだ何を出来ちゃいなかった。
今、心根真純は構えを取っている。
僕よりも30センチメートル以上も小さな少女。立って対峙すると、その身長差が露になる。しかし油断する事は出来ない。ステップは刻まない。何処か気怠そうに両手を上げて、ジッと僕の事を眺めている。細身で小柄な身体、とても武術を嗜んでいるとは思えない。
その立ち姿は不思議と様になっている。
息を飲んだ。僕は戦闘の素人だ、構えを見ただけで分かる事なんて高が知れている。それでも推し量れるものもある。脱力した状態で構える彼女に攻め込む事が出来なかった。殺意はない、害意もない。彼女の小柄な身体に秘められた脅威以外の何かに僕の本能が臆していた。その正体を掴む事は出来ない。得体の知れない何かに身が竦んでしまっている。
僕が勝てる姿が想像する事が出来なかった。
だけど迫力は、ポケットに手を入れていた時の程ではない。
大きく呼吸を整える。
このまま手を拱いていては何も始まらない。
僕達に課された条件には、制限時間が含まれている。
動くべきは僕達の方だ。
だから、と一歩、足を踏み出そうとした時、
「ァ……がっ……?」
心根の拳が鳩尾に突き刺さっていた。
不意を突かれた衝撃に、彼女が何をしたのか分からなかった。
呼吸もままならず、地面に崩れ落ちる。
お腹を抱えて蹲る僕を、心根の力のない目が見つめた。
「……添えただけのつもりだったんだけどね」
手加減って難しいね。と心根は僕から視線を切った。
彼女は、僕の相方である麗日に向けて、無言のまま構えを取る。
ひっ、と麗日の小さな悲鳴が上がった。
心根は一旦、構えを取る。小さく溜息を吐いて、軽く右足を持ち上げる。
そして僕の頭に振り落とされた。
「ぐうッ!?」
「緑谷君!?」
踏まれた後頭部、
額をコンクリートの地面に打ち付けた。
麗日が駆け寄る音、
来なよ、と幾分か低い声色。
それだけで麗日が足を止まった。
「力がなければ、大事な時に大切な人が守れない」
僕の後頭部から足がどかした。
心根が背を向けて、悠々と距離を取る。
振り返り、そしてまた構えた。
「そんな自分を許容出来ないから君達はヒーローを志したはずなんだ」
まだ鳩尾に衝撃が残っている。
だけど地面に片脚を立て、身を起こす。吐き気が残っていた。
そんな事は関係ない。
ヘドロ事件、無力な僕は何も出来なかった。
助けを求める顔をした友達を、いや知人を……同級生を助けたくて、
無謀に駆け出すだけだったあの時の事を、
何故か今、鮮明に思い出した。
「……僕は、何時までも雑魚で出来損ないのデクで居たくないんだ!」
目の前には、今の僕では敵わない相手が居る。
彼女の過去に何があったのか分からない。だけど僕が海浜公園のゴミを一掃した時よりも凄まじい努力を積み重ねてきたことだけは肌身に感じ取れた。彼女は僕なんかよりも遥か先を走っている。そりゃそうだ、僕はワン・フォー・オールの継承者となって、初めて皆と同じ舞台に立つ事が出来た。だけど彼女には直接、戦闘力を上げる個性を持っていなかった。にも関わらず、彼女は僕達と肩を並べていた。
僕は悔しくて仕方ない、オールマイトと出会う前から努力はするべきだった!
「これからは、頑張れって感じのデクだ!!」
心根は、目を見開いていた。
驚いているようだった。
くつくつと嬉しそうに肩を揺らした。
「……たぶん君は、赤黒が好きなタイプの子だね」
だけど、と彼女は構えを解いた。
「アレが好きなタイプは皆、決まって早死にするんだ」
瞬間、心根真純の雰囲気が変わった。
彼女は笑みを浮かべたまま、ハイライトを失った瞳で僕を捉える。
全身から殺意を滲ませる。
だけど、少し前に感じていた時よりも凶悪ではなかった。
「胸を貸す。ヒーローになるつもりなら何度でも立ち上がってみせるんだ」
僕はデコピンの要領で、人差し指を弾く動作を見せた。
自己犠牲は、自己満足。自分を犠牲にする事を覚悟と呼ぶのは止めたんだ。
覚悟は、苦難に挑み続ける意志。
どんな状況でも前に進み続けることを云うのであれば、玉砕は論外だ。
倒れてなんていられなかった。
「これが僕に出せる今の全力だッ!!」
弾いた指が衝撃波を生み出す。
棒立ちする心根を巻き込んで一階部分の半分以上が吹き飛ばされた。
砂煙、開けた空間。外の景色が見えた。
『緑谷少年ッ!!?』
通信機越しに聞こえるオールマイトの焦った声。
だけど、僕は前を見据え続けた。
確信があった。この程度で倒せるような相手ではない。
「……良い攻撃だね」
足音は、しなかった。
砂塵の中から姿を現す小柄な少女、
服の半分が消し飛んだ心根が見せた素肌は、
オールマイトの比ではなかった。
「私が来た」
脇腹に拳を叩き込まれた。
小学生程の体躯から想像も出来ない重量感のある拳は、
全ての覚悟を刈り取るのに十分な一撃だった。
「だから君は打ちのめされる」
開いた右手が僕の喉仏を握り、そのまま地面へと押し倒された。
両手で喉を抑えて、悶える僕のことを真純が見下ろす。追撃はしないようだ。右手の小指と薬指が粉々に砕けており、右腕は肘辺りまで肌が裂けて亀裂が走っている。真っ赤な血が地面に滴り落ちた。今しがた出来た新しい傷だけじゃない。服が破けた右半身、無数の古傷が所狭しと刻まれていた。銃創に切創、火傷の痕、中には肉を抉られた痕まである。
よく見ると肋骨のある場所が何ヶ所か陥没していた。
「……君は、一体?」
思わず口から疑問が零れる。
しかし彼女は首を横に振る。
「普通にやって敵わないのであれば、余計な事に思考を費やすな。今、考えるべきは私を如何に倒すことだけだ」
さあ、と彼女は構えを取る。
「もう一度」
ぶるり、と身体が震えた。
『訓練、しゅ~りょ~~っ!!』
オールマイトの試合中断の声が通信機越しに聞こえた。
心根が張り詰めていた気を緩める。不満げに眉間に皺を寄せている。
僕は、安心していた。
此処で訓練が終わってくれた事に心から安堵していた。
心根が垣間見せた狂気とも呼べる異常性。
誰が早死にするだ。
彼女の方が余程、ふとした瞬間に死んでいてもおかしくなかった。
「いや」
と首を横に振る。
彼女の全身に刻まれた古傷の数々、素人目から見ても致命傷だったものが幾つもあった。
きっと彼女は今、生きているのが奇跡なんだ。
「…………個性、鋼
同時に彼女を止められない事も察する。
どれだけの苦境を前にしても彼女は、足を止めずに進み続ける。
それが個性由来の性質なのか、
生まれ持った天性なのか、分からない。
分かるのは、彼女の精神性が善良である事と、
誰かの為に戦い続ける人間だという事だけだった。
◆
第一戦を終えた後、地下にあるモニタールームで講評が始まる。
戦闘開始直後、心根真純は2階にある窓から1階まで音もなく飛び降りた。そして窓から侵入しようとした麗日と緑谷の二人を発見。屋内戦闘訓練という事もあって戦闘は仕掛けず、無防備な二人がビルの屋内に入ったのを確認してから彼女も後に続いた。
その頃、八百万百は核兵器を設置した4階の最奥で小物を片付けていた。
これは麗日お茶子への個性対策だ。当初の予定では、相手を分断する予定になっていた。その為の道具を幾つか用意していた。しかし、それを使う機会はなかった。相手が想像した以上に戦場慣れしていなかった。奇襲を仕掛けるのは簡単だ、倒すも捕縛も自由。しかし戦闘訓練と銘打っている以上、戦闘をする必要はある。
とりあえず、同じ舞台に立つ為に声を掛けてみた。
そして戦闘が開始する。
オールマイトは、成績表を前に頭を悩ませている。
結果を語れば、心根真純の圧勝だ。
しかし彼女は他の生徒と実力が掛け離れていて、評価を付けるのが難しかった。
八百万百も、彼女が戦闘に加わる前に訓練を中断している。
これで評価を低くしては緑谷と麗日は勿論、八百万も可哀想だ。
「なあ、緑谷が衝撃波を撃った時ってどうやって切り抜けたんだ?」
黄色に近い茶髪の少年、上鳴電気が疑問を口にした。
「ああ、あれは、割ったんだよ」
心根真純が包帯を巻いた右手を頭上に掲げて、
ゆっくりと手刀を振り落とす。
そんな彼女の仕草に首を傾げる者が多い中、
数名が引き攣った笑みを浮かべた。
ちなみに彼女、地下モニタールームに戻るまでの間、
衝撃波で砕けた指の骨の位置を自分で直していたりする。