レッツゴージャスティス! 作:ジャスティス仮面
「トイレに行きます」
女子更衣室で着替える時、そう言って心根真純は部屋を出た。
なかなかトイレから戻ってこない彼女を心配して、葉隠透と一緒に女子トイレに向かったのだけど彼女の姿はない。軽く周囲を探しても見つけられなかったので、仕方なしに運動場へ足を運んでみれば、長袖ジャージを着た真純の姿がある。
もう、と怒る透に、ごめん、と真純が空を見上げた。
「此処からは、あんまり悪意を感じないね」
不意に呟く真純に私は首を傾げた。
そんな事をしている間に担任の相澤消太が個性把握テストの実施を告げる。トータル成績で最下位の者は除籍処分という話になり、クラスメイトに動揺する中で真純はただ一人、空を見上げ続けていた。空には烏が飛んでいる。
視線を下に戻す、もう第一種目である50メートル走が開始していた。
先ずは腹からビームを出す個性を持った男性と桃色の肌をした女性が走っていた。次いで蛙の女の子と眼鏡くん、眼鏡くんは三秒を少し超えた好タイムを記録していた。
此処まで五十音順。なら遂に呼ばれるのは、
「麗日、大兎。来い」
相澤先生に呼ばれた私は、麗日という麗かな少女と共にスタートラインに立った。
スタート前に靴と服に手を触れる彼女を見て、それが個性発動の合図だと察する。
私も小石を二個、両手に握り込んでいた。
「スタート」
という掛け声と共に私は投擲の構えから一歩、前に踏み込んだ。
先ず、放り投げたのは利き腕の方だ。放物線を画く小石、丁度良い頃合いで個性を発動し、小石と自分の位置を入れ替える。そこから更に一歩だけステップを踏んで、左手の小石で残り20メートルの距離を稼いだ。ちゃんと計測できるようにゴールラインの上で位置の入れ替えだ。
この個性を有効活用する為に、私は左手でも物を投げられるように鍛えてあるのだ。
「3.62秒!」
小石を2個投げるだけの簡単な作業、個性を使うってこういう事だよね? と相澤先生を見た。
私の視線に気付いた彼は、あえて私の事を無視した。
くうっ、と悔しく思う。
暫く、平凡なタイムが続いた後、玉手川と常闇が呼び出される。
「ん~! 頑張るにゃあ!」
玉手川蹴子、男の子にしては小柄な常闇よりかは背が高い女の子。
少し寝癖の残る短髪。細身の上半身に対して、異常に発達した下半身が目を見張る。膝上まで捲り上げたズボンの裾、露出した脹脛は遠目から見ても筋肉でガッチガチだった。ジャージに隠れた太腿もパツンパツンである。その彼女が学校側で用意してくれたスターティング・ブロックのフットプレートに足を掛けた。
クラウチングスタートで必要以上にお尻を上げた構えを取る彼女は、まるで狩り気分の猫が獲物を見つけた時の姿勢によく似ていた。
「スタート」
という声と共に玉手川の足元が爆発する。
金属の弾ける音がした。砂煙の舞い上がる中から低空姿勢の短髪少女が飛び出す。
一歩、一歩のストロークが大きくて、
気付いた時にはもう、50メートルのゴールラインを駆け抜けていた。
記録は2秒98。眼鏡の飯田よりも早いタイムだ。
「短距離で、にゃあに勝てる奴はいないにゃ」
遅れてゴールラインを切った常闇を背に、彼女は飯田に向けて鼻で笑ってみせた。
「100メートル……いや、200メートル以上なら……!」
負け惜しみなのは分かっているのか、その呟きを相手に伝える事はしなかった。
壊れたスターティング・ブロックを新しいものと取り換えた後、轟と透が平均的なタイムを出す。
そして、爆発頭の爆豪と身長の高い為人が並んでスタートラインに立った。
艶のある黒い長髪、胸も八百万に負けず劣らず大きかった。
その為人が姿勢を低く取れば、頭からピョコンと獣耳を生やし、お尻から大きな尻尾を覗かせる。
「獣人……エロいな」
そんな葡萄頭の呟きは捨て置いて、
スタートの合図と共に爆豪が両手を爆発させる──よりも早く鋭利な爪を生やした為人が前に抜け出した。爆破をさせてから飛び出すタイムラグ分の遅れを取った爆豪は、連続的に両手を爆破させながら追い縋るも目の前で揺れる黒い尻尾を捉え切れない。
為人のタイムは4秒02。爆豪は4秒13で、あと一歩が届かなかった。
「走る事では負けられないよ」
為人の言葉に爆豪は舌打ちを零し、次の走者を見つめる。
真純と緑谷、七秒程度のタイムを出した緑谷に対し、真純は七秒半ばという平凡なタイムに終わった。
深刻な顔をする緑谷に対し、ふうっと息を零す真純。
その彼女の腕を、相澤先生が掴みとった。
「お前、怪我を隠しているな?」
言われて、真純はポカンと相澤先生を見返す。
そして、ああ、と思い出したかのように答えた。
「特別に、これといった怪我はしていませんよ」
睨む相澤先生を、真純は無表情で見つめ返す。
「記録に温情を挟んだりしない」
「最善を尽くします」
合理的に、と彼女は皆のいる場所に戻って来る。
心根真純、聞いた個性は鋼精神。
特別に身体能力に恵まれている訳でもない彼女は、その後も平凡な記録を出し続ける事になる。握力測定、立ち幅跳び、反復横跳び。中学生としては平均的な記録、しかし同じく個性を使っていない緑谷にも届かない記録ばかりだ。何かしらで大記録を出している他の新入生とは比べるまでもなく、最下位街道を突き進んでいる。
そんな彼女が異常性を発したのは、ソフトボール投げの競技。
「……心根真純。記録、38メートル」
ボールを投げ切った彼女の右腕は、ぶらんと垂れ下がっている。
外れた肩関節、意図的に外した訳ではない。思いっきり投げたら外れた、そんな感じだった。
次の投げ手である緑谷は、青褪めた顔で彼女の痛々しい姿を見つめていた。
「心根、お前……」
相澤先生が、何か口を開こうとした時、
真純は地面に右腕を突き立て、溜めもなしに外れた肩を入れ直した。
右肩を回して、具合を確認する真純の姿を見て、
まじかよ。と尻尾の男、尾尻が引いた顔で呟いた。
「心根、他の種目も続けられるのか?」
相澤の問い掛けに真純は首を傾げる。
「もう腕を使う必要があるものは、ありませんよね?」
その後、真純は持久走で3着になるも平凡なタイムを超える事は出来なかった。
最下位争いをしていた緑谷が700メートル超えの大記録を出した為、真純が最下位となる。
◆
他者が行う自傷行為を見たのは、初めてだった。
心根真純。小学生程の小柄な身体を持つ彼女は、その身体に似付かわしくないダイナミックなフォームでボールを投げ飛ばす。その時に間近で見ていた僕の耳にゴキッという関節の外れる音が聞こえた。ソフトボールは綺麗な放物線を画いて高々と飛んで、高校生でも達成の難しい記録を打ち出した。
しかし、その代償として、彼女の右腕がぶらんと垂れ下がっていた。
右肩が外れている。見て分かる痛々しさに目を背けそうになるも、心配から声を掛けようとした。しかし彼女は無表情のまま、地面に右腕を突き立て、ゴキリと外れた右肩を入れ直した。
その音もまた、痛々しかった。
ソフトボール投げ、次の投手は僕、緑谷出久。
心根の痛々しい姿を思い出し、ゾッと血の気の引く感覚を覚える。
動揺している。誰かの傷付く姿を見る事が、これ程まで悍ましいとは思わなかった。
実技試験、あの時の僕はどうだった。
超大型の仮想敵を倒した後、片腕と片脚を潰した僕の姿を見て、
どうして大丈夫だと言い切れるんだ。
思い返すのはオールマイトの姿、何時も笑顔の頼れる背中。
彼が笑顔を浮かべ続けるのは、皆を安心させる為だ。誰かを心から救いたいのであれば、僕自身が無事でないといけないんだ。振り被る、僕が為さなければならない事を整理する。実技試験の時のアレ、あの姿を晒すのは人を救うヒーローとしては最低だ。玉砕覚悟で行動不能になるのは絶対に駄目だ。かといって、僕は個性を制御出来ている訳ではない。このまま萎縮してしまって、何もできないじゃ木偶の坊のデクのままだ。左足を踏み込んだ、大記録は出さなきゃいけない。心根には、大記録を出せない理由がある。でも、僕には大記録を出せる理由があった。そこに温情の挟まる余地はないはずだ。
自傷があるのは仕方ない、それは僕の未熟だ。今すぐにどうにか出来る問題ではない。
「でも、最小限の被害で……最大限の効率で全力をッ!!」
ソフトボールに人差し指の先が掛かる瞬間、
今、指先に全ての力を込めて、
狙い通り、記録は常人のものを大きく超える。
相澤先生は、ポカンとした顔を浮かべて、僕を見ていた。
「2投目は……必要、ありません!!」
歯を食い縛って、無理にでも笑顔を浮かべる僕に────
「こいつ……!」
──と、相澤先生が初めて笑みを浮かべた。
◆
心根真純の行動が、緑谷出久を突き動かした。
それまで向こう見ずの無鉄砲な男だと思っていたが、心根の姿に己を省みた。
土壇場で下馬評を覆し、見込みなしに可能性の火が灯る。
その一部始終を間近に見て、
心が揺れない程、無感情であるつもりはなかった。
体力テスト前に伝えた除籍処分。
それは成績発表の時に撤回し、テストの結果を皆に伝えた。
心根真純に関しては、評価が難しい。
彼女には、人を動かす力がある。
不思議な魅力がある。彼女が努力する姿に皆が奮起し、負けてはいられない。と不得意な分野でも手を抜かず、皆が全力で体力テストに臨んでいた。
そして今、良くも悪くも一人の人間を良い方向に導いた。
体力テストのトータル成績は最下位だが、彼女の個性を考えれば、それも仕方ないと云える。
何故なら彼女の個性が、身体的に影響を与える事はほどんどない。
限界を超えたのも結局、ソフトボール投げの一回だけだった。
今、自分が取れる最大限の点数を、合理的に取り続けたのも事実だ。
少なくとも緑谷のような破れかぶれではなかった。
だが、
理性と本能は彼女を除籍しろと訴える、プロの勘のようなものが働いていた。
それが合理性に欠ける事は分かっている。
しかし、不穏に感じる根拠はある。
彼女は怪我を隠している。しかし質問をした時、彼女には怪我を隠している自覚がなかった。
何もない時は何処かを庇うような歩き方をする癖に、
実際に競技を始めると体幹は、真っすぐに芯を通していた。
なんというか歪だった。
「あいつにも
今日の朝、根津校長の話から心根に何か事情がある事は分かっている。
後で保健室に行く事をして、心根に関しては保留に決める。
判断を下すにはまだ、彼女に関する情報が足りていなかった。