・G.E.H.E.N.A.フランストゥーロンラボ所属無人実験船『ブーゲンヴィル』日本国横浜港回航
・『ブーゲンヴィル』由比ヶ浜沖におけるマギ受容実験中に反応消失
・『ブーゲンヴィル』沈没を確認
実験体全消失により当計画の凍結を検討
・鎌倉府のガーデン百合ヶ丘女学院に実験体を奪取されたと判明
・日本国内閣府安全保障審査委員会へ実験体返還を要請
・G.E.H.E.N.A.並びにグランギニョル社、国連安全保障理事会に当計画資料を公表、実験体返還を要請
・国連安全保障理事会から日本国政府へ実験体返還を要請
・実験体、百合ヶ丘女学院所属リリィと学院より逃亡
日本国政府、実験体捕獲と逃亡リリィ逮捕のため東京・鎌倉各ガーデン及び陸上防衛軍鎌倉駐屯地に出撃を命令
・グランギニョル社、実験体の細胞データを公表
日本国政府、実験体捕獲命令並びに逃亡リリィ逮捕命令を撤回
・由比ヶ浜沖にギガント級ヒュージ襲来
実験体、ギガント級ヒュージとの戦闘により消息不明、後に戦死認定
・実験体全消失により当計画の凍結を決定
東京都心の一等地。池付きの中庭を備えた大きな大きな日本家屋。
中庭を臨む和室の客間にて、眉根を寄せた渋い顔の男性が畳の上に胡坐を掻いている。
白髪の交じる初老のこの男性、かつては内閣において国務大臣を務めると共に、安全保障審査委員会長官も兼任するほどの人物だった。もっとも、今では何の役職も持たない一議員に過ぎないが。
「君らには改めて説明など不要だと思うが。以上があの事件の顛末だ」
元長官がそう締め括ると、紙の資料と見比べながら話を聞いていた客人は資料へ落としていた視線を持ち上げた。
「いいえ、必要ですよ。書類上の文章と実際に関わった人間からの証言とでは、やはり勝手が違ってくる」
「そうか。だが私などと違って、君らは今忙しいと思っていたのだがね。
くたびれたグレーのスーツの客人――――特別監察本部関東支部監察官の志賀は元長官のちょっとした皮肉に反応せず、資料を仕舞ってから蛇のような細い目を改めて目の前の老人へと向けた。
ゆったりとした和装に身を包む元長官は腕組みする。和服の広い袖が彼自身の胡坐の上に垂れ下がる。
「件の人造リリィは由比ヶ浜沖の戦いで戦死したと報告を受けた。実際ゲヘナもこの件から手を引いたようだ。だが私は、百合ヶ丘が極秘に匿っているのではないかと睨んでいる。確たる証拠は無いが」
「同感ですね。もし本当にあれで死んだのだとしたら、犬死ににも程がある。何のために作り出されたのやら」
嘲笑で口元を吊り上げながら志賀が同意を示す。
ところがその物言いのせいか、元長官は視線を逸らした。自身のやってきたことに後ろめたさでも感じているのだろう。
そんな彼の態度を、志賀は内心で侮蔑する。
(今更良心の呵責か、馬鹿馬鹿しい。職務のため国家のために鬼にもなり切れない半端者。そんな調子だから、ガーデンごときに出し抜かれるんだ)
彼ら安保審査委にしろ日本政府にしろ、別にゲヘナのシンパというわけではない。個人レベルで繋がっている者は居るかもしれないが、少なくとも組織単位で首根っこを掴まれていたり牛耳られていることはない。
ただ、資金や技術を保有しているゲヘナに便宜を図っておいて損は無いし、人造リリィの件に関しては国連を通しての要請もあったので協力したに過ぎない。
安保審査委はあの時点で当たり障りの無い対応をとっただけで、ゲヘナに与する極悪組織などではない。
実際この元長官にしても、良くも悪くも
「そもそも、ただの審議会には荷が勝ち過ぎたのです。独自の情報収集手段に乏しく、戦力は政府の出撃命令頼み。それでは無法に振舞うガーデンどもを御し切れない」
「それはそうだが……。しかし、君らの場合は些か過剰なのではないか? 特別監察本部の中でも君の所属する関東支部にだけ、やたらと戦力が集められているようだが」
「試験運用ですから。我々は。それに鎌倉にしろ東京にしろ、この関東地方には厄介なガーデンが集中している。重視するのは当然でしょう」
事実、安保審査委の廃止とそれに代わるより強力な監察組織の設置は前々からの規定事項だった。
ところが鎌倉府で起きた人造リリィ脱走事件によってケチが付いた。安保審査委の提言で動いた政府は一度出した命令を撤回するハメに陥ったのだ。
後継組織である特別監察本部が不審の目で見られるのは避けられないだろう。規定通りに強大な権限を得られるものの、これからの結果次第ではどう転ぶか分からない。
だがそれでも、志賀のやるべきことは変わらなかった。
「我々
「むぅ……」
「安全保障は、国の専権事項でなければならない。……閣下は『境界報道』を覚えておられますか?」
「無論、覚えている。大湊の海軍部隊と北海道のガーデンがヒュージから北方四島を解放した後、先方との協議の末に択捉島の西半分以南を信託統治の形でそのまま我が国の施政権下に復活させたのだが……」
国家間の係争地における帰属問題は、今次ヒュージ戦争によって大きく揺れ動いていた。ヒュージから奪還した地域をどう扱うかという点で。
建前から言えば、国際社会は武力による一方的な現状変更を認めていないので陥落前に有していた国家へ返還されるべきだろう。
だがしかし、元の保有者がその地を自力でヒュージから守れる見込みが無い場合、手放しで返還されるべきか議論が生じていた。
欧州のように集団安全保障を結んでいる国同士ならまだともかく、そうでない場合は火種となりかねない。ヒュージという共通の敵が存在する今、どこの国も譲歩しているために最悪の事態は避けられているが。
極東艦隊が大打撃を被り再建の目途が立たないロシアに比べて、大湊と舞鶴の艦隊を温存できた日本の優位は明らかだった。
しかしそうは言っても国際社会の目を気にする以上、強引に押し切るのは憚られた。その結果、日本政府は名を捨て実を取る選択をする。実効支配の既成事実を作ってしまえば、後々のことはどうとでもなると判断したのだろう。
「信託統治と呼ぶこと自体ふざけた話ですが、今はそれはいいでしょう。問題は、あの択捉でのリリィに対する報道です」
協議によって日露の暫定的な国境となった択捉島中央部。両国はそこへ定期的に本土からリリィを派遣してパトロールさせていた。
そんな中、境界線のいよいよど真ん中で、日本側のリリィがテーブルと椅子を持ち込みロシア側のリリィを誘ってお茶会を実施したのだ。
「あの件に対して、北海道を始めとした日本中のメディアが『晴天下の雪解け』などと称し、さも美談の如く報道した。これは由々しき事態です。今後の我が国の外交安全保障政策に影響を与えかねない。勿論悪い意味で」
「それは、流石に考え過ぎではないか?」
「何を仰いますか。メディアや世論に持て囃されて増長するガーデンを掣肘する。それが私や閣下の使命でしょうに」
「その閣下というのは止めてくれ。今はただの平議員だ」
元長官は苦虫を噛み潰したような顔で話を切った。
「……何にせよ、我が国はずっと憂慮すべき状況に置かれてきました。国防を私立機関が担っているのも異常ですが、独自の理論で独自に動くことを許すなど言語道断。これは国家の主権に対する挑戦だ」
堂々たる弁舌を振るう志賀に比べて、自身を平議員と称した老人はどこか引き気味だ。何か強烈な理念を持つ者と持たない者の差と言うべきか。
「確かに君が言っているのは正論だ。あの時私が捕獲命令を出し軍を動かしたのは、国連からの正式な要請も理由だが、それ以上に百合ヶ丘の膨張を懸念してのこと。国家の把握していない戦力など、あってはならない存在だというのに……。しかしそれはそれとして、君たち特別監察本部のやり方は――――」
「その『あってはならない存在』にあなた方安保審査委は敗北したのですよ」
「…………」
「敗北して、組織はレームダックと化し、国家の権威を貶めた」
微塵も遠慮しない指摘に、元長官は弁解する余地も無く口を噤む。
「まあ心配せずとも、あなた方の尻拭いは私がして差し上げますよ」
志賀は嘲笑混じりにそう宣言すると、用件は済んだと言わんばかりに立ち上がった。形式だけの礼をして、くるりと踵を返したところで、もう一度声を掛けられる。
「敗北者の私が口を挟む筋合いなど無いかもしれんが、それでも敢えて問いたい。君ら特監は……いや、君はその過大な力を以って、何のために何を為そうというのだ?」
立ち止まった志賀は背を向けたまま答える。
「そんなもの、知れたことでしょう」
その時、中庭の池に添えられた鹿威しが甲高い竹の音を鳴らした。
「祖国のために、正義を為す」
尺の都合のせいか、アニメであまりに扱いが雑だった安全保障審査委員会をちょびっとだけフォローしてみました。
ただ雑とはいえ、(形式的)法治主義と法の支配の区別がついてなさそうなところとかは解像度が高いと思う。