うろこ雲がポツポツと空高くに浮かぶ中、花壇の並ぶ中庭を紅巴は歩く。
昼食後の運動にちょうど良い足取りでカラフルな花畑を横目に進んでいると、庭園樹の木陰に設置されたベンチに桃色のツインテールを見つけた。
彼女の両手の中にあるのは携帯端末だろうか。真剣な眼差しでじっと視線を下ろしている。
(はぁ~、流石姫歌ちゃん。これだけでも
そんなことを思いつつフラフラ歩き続ける紅巴。
周りは秋なのに、一人だけ春の陽気の如し。
ところが紅巴のお目出度い思考は唐突な咆哮によって強制中断させられる。
「ンあああああああああっ!!!」
「ひいぃっ!」
釣られて金切り声の悲鳴を上げてしまう。
妄想の世界に旅立ちかけていた紅巴を我に返らせたのは、今の今まで絵画のような佇まいを見せていた姫歌であった。
危うく引っくり返るところだった紅巴は咆哮を上げた張本人のもとに恐る恐る近付いていく。
眉を吊り上げスマホの画面を睨み付ける姫歌だが、紅巴の接近にはすぐに気付いた。
「ちょっと紅巴! これ見てよ!」
「えっと……SNSですか?」
姫歌が自身のアイドル活動に関してSNSにアップしていることは知っていた。それなりに閲覧数やコメントを得ていることも。
それについて何か物言いがついたのかと思いきや、どうやら少し違うらしい。
姫歌に見せてもらった画面には、とあるリリィ関連雑誌のアカウントが映っていた。雑誌の企画の一環なのか、台湾出身のリリィとアイスランド出身のリリィが夕日をバックに見晴らしの良い丘の上で仲睦まじく寄り添う写真が載せられている。この二人を、雑誌は将来を誓い合ったカップルと称しているようだ。
それに対する姫歌のコメントに紅巴は目を剥く。
『お二人ともおめでとうございます! 式はやっぱり台湾か欧州で挙げられるんでしょうか? 日本でも法律が変わってようやく結婚できるようになったので、どうせならこっちでも挙げちゃってください(笑)』
紅巴は息を荒げて姫歌に詰め寄った。
「姫歌ちゃん! どうして黙ってたんですか! 姫歌ちゃんも尊みを嗜む同志だったんですね! 語り合いましょう! 今すぐに! まずこのお二方ですが、共に海外からの留学組でありながらも性格はそれぞれ――――」
「いや、雑誌のノリに合わせただけだからね? SNSのお付き合いよ?」
「なん……ですと……」
鼻息だか蒸気だかジェット噴流だかを放出していた紅巴は見る見るうちに萎んでいく。
「それよりも! こっちよ、こっち!」
促されて再び画面に目をやると、雑誌の写真への姫歌のコメントに対して更に第三者からコメントが付けられていた。
「な、長い……っ」
紅巴はまたもや目を剥いた。
パッと見ただけで嫌な予感がプンプン漂ってくる長文。SNSに疎い身でも、これは絶対普通じゃないと察知できる。
しかしそうは言っても実際に読み進めねば姫歌が何に憤慨しているのか分からないため、紅巴は覚悟を決めてディスプレイの文字を追っていくのであった。
『突然横から失礼いたします。私は常日頃から法学を研究している者なのですが、今回どうしても看過できないことがあったので、こうしてコメントさせて頂いた次第です。さて、率直に結論から申し上げますが……貴方の書き込んだコメントは不適切だと断じざるを得ない。そもそも前提として、貴方は彼の悪法が諸外国からの圧力によって制定されたことをご存知ないのでしょうか? 知っていたなら、そのような能天気なコメントは決してできないはず。また「ようやく」という言葉には他意が感じられます。まるで昔ながらの日本の古き良き伝統的な制度や価値観を悪しように非難していると、そのように思えてしまう。……誤解しないで欲しいのですが、私は決して彼ら彼女らを排斥したいわけではありません。私にもゲイの友人は居ますので。ただ不思議なのです。日本は昔からゲイポルノビデオが好評を博するほど寛容な国。それ程までに寛容なこの日本で、人様に迷惑を掛けてまで結婚という形式に固執するのは何故なのか? 私の友人がそうしているように、社会の隅っこに隠れて大人しく暮らしていられないのか? その答えはズバリ、彼の悪法を推し進めた者たちの目的が、日本の戸籍制度の破壊にあるからです。では戸籍制度の破壊とはどういうことなのか? それは、戸籍制度を破壊するということです。……貴方のアカウントを拝見させて頂きました。普段から芸人を目指して熱心に活動されているようですね。老婆心ながら忠告しますが、芸人がエンタメに政治を持ち込むべきではありません。少数の可哀そうな人間たちの味方をして善人気取りなのかもしれませんが、その裏では他の大多数の普通の人間を不快にさせている、思想の押し付けになっています。それは他人を思いやるという日本の国是と国民性に著しく反する振る舞いでしょう。……念のため言っておきますが、無知は罪ではありません。しかし己の無知を知らないのは罪たり得ます。芸人なら芸人らしく芸事に専念し、よく分からない分野に首を突っ込むのは控えてはいかがでしょう? さて、長くなりましたが、貴方の芸人としての大成をお祈りしつつ締め括りたいと思います』
「誰が芸人よ!」
「『芸人』って五回は言ってますね」
「うがあああああっ!!! あたしはっ! 芸人じゃあない!」
この手の言説自体はSNSの中ではさほど珍しくはないそうだ。
それよりも紅巴が着目したのは、この法学を研究しているという人物が今まで全く絡みの無かった
姫歌は確かにアイドル活動をSNS上にアップしてはいるが、勿論プロの芸能人でもないし芸能事務所などを介しているわけでもない。言うなればスクールアイドルみたいなもの。
そんな彼女に対して過ちを諭し改心させようというその高尚な精神に、初めてマンモスと出くわしたネアンデルタール人の如く紅巴は震え上がる。
「全く! こんなの無視よ無視!」
そう言って姫歌は勢いよく人差指を走らせてスマホの画面をスライドさせた。
ここで何か言い返しても、雑誌の方に飛び火して迷惑を掛けかねないと危惧したからだろう。
それに件のコメントはあまりに長文だったため悪目立ちしただけで、短い罵倒の類なら他にも散見された。
(はぁ……SNSって怖い世界ですね。やっぱり私には無理そうです……)
黙々と画面をタップし続ける友人を横目に見ながらも、紅巴は改めて従来の考えを強くする。
◇
放課後の生徒会室にグラン・エプレ九人が集う。
荻窪付近でヒュージを発見したり、何処かへ外征を企図したり、そういった作戦案件ではない。
「先日、我が校のリリィ五人が即席のレギオンを組んで長野へ外征に出たわ」
部屋の上座に当たる会長用の机の前で、秋日が皆に事情を説明する。
本件は生徒会案件だった。
旧グラン・エプレのメンバーは生徒会の役員ではないが、両者が一体となってからは仕事を手伝う機会がままあった。
「そのメンバーの一人が長野出身で、里帰りを兼ねて地元のヒュージの掃討に参加したの。気心の知れた子たちに応援を募って」
神庭女子では東京を離れた遠隔地に大人数を外征させるのは難しい。
神庭で遠距離外征と言えば、ガーデンの命でグラン・エプレ+αが従事する小規模作戦か、本件のように個人的な事情で集まった少人数によるものかのどちらかである。
「長野での戦闘自体は大きな問題も発生せず終結したわ。重傷を負った子も居ない。往路と同じように電車に乗り込んで東京に帰って来たんだけど……」
秋日はそこで一旦流れを区切ってから、一呼吸置いて話を再開する。
そこから先が今回の本題だった。
「帰り道、途中の埼玉県内の駅周辺でヒュージが出現したの。その時、うちから外征していた五人はマギとチャームの消耗が大きく戦闘には参加しなかった。そういった事情は彼女たちのチャームのコアを解析して証明済みよ。だけど結果として、駅周辺での戦闘で一般施設への被害と負傷者が少なからず出てしまった」
実際問題、これは難しいところである。
外征中における予定外の戦闘行為にはどうしても慎重にならざるを得ない。行きは勿論、帰りもそうだ。ガーデンに到着するまでは安心できないものだろう。
「今回の、彼女たちの消極的な行動が問題視されたわ。内閣府の下部機関、特別監察本部に」
部屋の中が一瞬ざわついた。
それから真っ先に手を挙げて発言したのは悠夏だ。
「問題視って、どういうことなんですか?」
「我が身可愛さに戦闘を拒否し、防げた被害を引き起こした。……そう言って、外征したレギオンの指揮官と監督者としてのガーデンの責任を追及してきたのよ」
秋日が答えると、今度は姫歌が勢いよく挙手する。
「それはっ、でも、本当に消耗していたのなら仕方ないじゃないですか」
「そうね、本当にその通りよ。でも収まりがつかない特別監察本部は、神庭のガーデンに対して近々
聞き慣れぬ言葉なのか、灯莉が小首を傾げる。
「あけひ先輩、直接監察って何するのー?」
「神庭の校内までやって来て、私たちリリィやガーデンに落ち度が無いか調べに来るのよ」
直接監察という制度自体は特別監察本部の前身である安全保障審査委員会の時から存在した。
しかし神庭はこれまでこの制度の対象になったことはないし、日本全国を見ても実施された例は少ない。
実質的な監察は往々にしてガーデンの事務局から提出される書類やガーデンの理事会、あるいはガーデンの母体である企業に対して為されるものが殆どであり、直接監察という制度は半ばパフォーマンス的な代物と化していたのだ。
「……今回の直接監察は、今までとは違ったものになる可能性が高いわ。特別監察本部は本気で神庭の制度を変えるつもりだから。何かその切っ掛けになりそうな事があれば、嬉々として飛び付いてくるでしょう」
秋日の口調は確信めいたものだった。そこに至る経緯を、生徒会役員でない者にまで感じ取らせるほどに。
「それで秋日、私たちはどうすればいいのかしら?」
「一次的な対応は勿論、校長先生や職員の方々が当たられるわ。私たちグラン・エプレは他の子たちの様子を気に掛けて、落ち着かせましょう。監察が実際に始まれば、きっと皆不安になるはずよ」
タイミングを見計らったかのような叶星の問いに対し、秋日は力強く頷きつつ方針を示した。
やるべきことがはっきりしていれば、不安も幾らか紛れるというものだ。秋日は一般の生徒たちだけでなく、グラン・エプレの一年生たちのことも考慮しているのだろう。
「監察の具体的な日時は言ってこなかったけど、皆頭の中に入れておいてね」
本件に関する議論はそこで取りあえずはお開きとなった。
◇
「やっぱり納得いかないわ!」
レギオン控室のソファにどっかりと腰を下ろした姫歌が険しい顔をして言った。
ローテーブルを挟んだ対面に座る紅巴も姫歌の憤りはよく分かる。
「あたしたちだって無限に戦えるわけじゃないわよ!」
「そうですね。休息も必要だし、お腹だって空きます」
控えめな口調で同意する紅巴の出身校は御台場女学校だ。
スパルタで有名な御台場だが、スパルタとブラックは似て非なるもの。三徹して戦えだの、夏場の訓練で水を飲むなだの、そういった百害しか無い指導などは行われない。
「ていうか、これって神庭の出撃選択制を認めないってことよね?
姫歌の右隣に座った悠夏が指摘すると、紅巴の横で鈴夢が小さく頷く。
「外征先での不出撃の件は、多分、口実だと思います。監察で神庭に来るための」
「神庭に何しに来るのかな?」
「それは、分かりません……」
「僕たちの絵や歌や花を見て欲しいなー。そしたらイライラも吹っ飛んで、皆ハッピーになれるのにね☆」
姫歌へ飛び付くように左隣に座った灯莉がいつもみたいに朗らかに笑う。
しかし姫歌の顔は硬い渋面のまま。
「むしろ逆効果よ。いちゃもん付けられそうな気がする」
「そうかな?」
「絶対そうよ」
断言する。
紅巴もどちらかと言えば姫歌と同意見だった。悲観的、というより現実的な意見だろう。
芸術を鑑賞して心を豊かにする者が居れば、煩わしいノイズとしか思わない者も居る。
神庭に限らず、芸術や芸能はしばしば「無駄なお遊び」と批判される。
紅巴も以前に、どこかの美術館の展示品へ抗議と称して絵の具がぶちまけられたニュースを見たことがあった。
「なによ、姫歌らしくない。いつもなら『世界一のアイドルリリィの魅力で云々かんぬん』とか言ってるところなのに」
悠夏が右から姫歌にぐいぐいと寄り掛かる。
「定盛! 『ライブでのうさつっ!』するんじゃないの?」
同時に灯莉が左からぐいぐいと寄り掛かる。
「挟むな! 潰れる潰れる!」
自分よりも体格の良い二人――と言うより姫歌より小柄な者は少ない――の間で悶えながらも、反論は忘れない。
「あんたたちねえ、無茶言うんじゃないわよ。ひめかのアイドルリリィとしての魅力は本物だけど、世の中はもっと難しいものなの。通用しないこともあるの」
憮然としながら言うあたり、やはり本人の言通り納得がいかないのだろう。現実を知っていることとそれに納得することは、また別の話なのだ。
それから更に灯莉と悠夏が声を上げていると、控室の出入り口の扉が開いた。
「皆、盛り上がってるみたいね」
「あっ、叶星様」
くるりと向きを変えた紅巴に対してニコリと微笑むと、叶星は控室の中をゆっくりと歩いていって一年生たちの前に立つ。
叶星としては、部屋の空気が沈んでいなくてひとまず安心といったところだろうか。トップレギオンが沈んでいたら、他のリリィを安心させるのも難しい。
「本当に、大変なことになったわね。突然あんなこと言われても、驚いちゃうよね」
グラン・エプレの隊長は本来の気性の通り穏やかに語り掛ける。
「気付いてる子も居ると思うけれど、直接監察の原因は恐らく、神庭の出撃選択制にあるわ。ガーデン設立時からあるこの制度、この校風、皆はどう思ってる?」
暫くの沈黙。
その後、最初に答えたのは姫歌である。
「正直、改めてどうかと聞かれると、よく分かりません。良い制度だと、漠然とは思うんですけど。だって、体調とか戦術的な要素は別にして、リリィがヒュージと戦うのは当たり前のことじゃないですか。だから選択と言っても、それは個々人の事情に関わるもので……。そんな事情を考慮しているのは他のガーデンだって大なり小なりやってるはずです」
実際、神庭は最低限の出撃義務しかないというだけで、全く戦わなくても良いというわけではない。
荻窪地底湖ネストからの侵攻に曝された時、一時は撤退の空気が大勢となったが、それは戦術的に不利な状況が勘案されたためであり、理由も無しに出撃回避の選択が許されていたのではない。
そういった点では、神庭と他のガーデンにそこまで大きな差異は無いと言えるだろう。
「前にも話したように、私と高嶺ちゃんは高嶺ちゃんの後遺症が原因で御台場からここに移って来たわ。リリィ一人ひとりが自分にできる形で戦う。多くのガーデンにあるその考え方を、一番体現しているのが神庭だと思ったから」
ガーデンとは、一般的な軍隊と役割こそ似ているが、本質的には違うものだ。未成年を矢面に立たせるにあたり、せめてもの免罪符とするがゆえの措置だった。
東京の中でも激戦区の御台場から比較的落ち着いた神庭に転校した叶星と高嶺――ついでに紅巴も――に対し、「負け犬」とか「死ぬまで戦え」といった罵声は上がらなかった。少なくともガーデンの中では。
そのような、戦傷で後送された兵士に非国民呼ばわりしながら石を投げるも同然の行為、できるのは余程の恥知らずぐらいだろう。ファンタジー世界の悪の帝国ではあるまいに。
「あの、叶星様」
「はい、悠夏ちゃん」
「つまり神庭の出撃選択制ってガーデンの自主性の象徴みたいなものってことですよね。だったら他の全てのガーデンにも関わる話じゃないですか」
「そうなるでしょうね」
「それなら尚更、退いちゃ駄目ですよ! あたしたちだけじゃなくて、リリィ皆のためにも!」
悠夏の意見には多くのリリィが賛意を示すはず。紅巴だってそうだ。
誰しも好き好んで自分の手足を縛ったまま戦いたくはないのだから。
「だけど、何ができるでしょうか?」
鈴夢が遠慮がちに疑問を呈する。
「以前に、神庭は出撃選択制の廃止要求を拒否しました。それに比べて今回の、正式な直接監察は拒否できなかった。そんな状況で、私たちに何ができるんでしょうか……」
「確かに、政府の人たち相手に
自由があっても、ただそこにあるだけでは意味を成さない。行使する意思を表し、その権利を守る意思も見せなければならない。
叶星が言いたいのはそういうことなのだろう。
それはガーデンのみならず、世の人々が常に通り続けている道だった。