早朝から降り続く雨によって、水を吸った神庭のグラウンドが湿り気を帯びる。
雨足は既に落ち着いたが、鉛色に覆われた空は未だ仄暗く、地上に向かって注がれるはずの光が稀薄であった。
そんな悪天の下、二台の車が敷地を隔てる校門をくぐり抜けて広々とした校庭を進む。公道よりも大分速度を落とし、前後できっちりとした縦列を保ちながら。
下の地面は確かに濡れてはいるものの、運動その他を考慮して砂等を混ぜられた土は無闇に泥を跳ね飛ばすこともなく、合計八つのタイヤに踏まれて薄らと轍を作り出していた。
二台の車は程なくして本校舎に辿り着く。校舎正面の車寄せの前に横腹を向けて停車する。
黒塗りの普通乗用車の内、先頭車両からドアを開けて出てきたのは、平均的な体躯をグレーのスーツに包んだ中年の男性。シワの入った服の肩に雨が降り掛かるのも厭わず、眼前にそびえるコンクリート造りを睨むように見上げている。
一方その後ろでは、二台目の車両の左右からそれぞれスーツ姿の青年が降りてくる。二人は小走りで先頭の男性のもとへ駆け寄っていった。
「行くぞ。聖域などと勘違いしている連中に、『手は届く』と思い知らせねば」
背後の部下たちを一瞥もせず呟くと、男性は正面玄関に向かって歩き出す。
ガーデンを前にして興奮気味にはしゃいでいた若者二人は興を削がれて口をへの字に曲げるが、すぐに上司の背中を追い掛けて校舎内に入っていった。
◇
この日、神庭ではヒュージ出現の警報が鳴らず、多くのリリィは学生らしく屋内での勉学に勤しんでいた。
ところが午後の講義が行われている中、中庭に張られた雨除けテントの下で何人かの生徒がテラステーブルを囲んで駄弁っている。
彼女らはいつでも出撃できるように備えている待機任務中のリリィであった。その証拠に、傍らには各々のチャームケースが置かれている。
ヒュージが出現した場合、まず最初に威力偵察も兼ねて待機組が出撃し、彼女らだけでは手に負えないケースでは後続が出るという寸法なのだ。
こういった待機任務は、希望も聞くが、基本的には交代制である。出られなかった講義に関しては別の機会にて融通するのがガーデンの常なのだとか。
「……フンっ」
ガーデン職員の女性に案内される最中、そんな中庭の光景を窓ガラスの内側から横目にした男性は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「どうしたんっスか、ボスぅ」
「いや、なに、アレだ」
「……リリィが何か飲んでますねえ」
後ろから付いてくる部下たちの疑問に、何てことない風を装って答える。
テーブルの前で椅子に腰掛けたリリィたちは皆、各々のカップを手にしていた。机上には陶製の白いティーポットも見える。
「大したことじゃない。ただ、戦費負担の重税に多くの国民が喘いでいるというのに、優雅に紅茶なんぞ飲んで、いい御身分だと思っただけだ。私のような下賤な生まれの庶民には理解しかねる」
「はぁ、そっスかぁー」
部下たちは興味無さそうに気の無い相槌を打つだけ。
しかしながら、わざと大きめの声で放たれた男性の言葉を耳にした者が他にも居た。リリィだ。
ちょうど講義が終わって講義室を移動する最中なのか、同じ廊下で男性たちを遠巻きにしてヒソヒソ話し合っている。
「紅茶は駄目なんだってー」
「明日からコーヒー飲もっか」
「コーヒーは熱帯地域の労働者をこき使って作るから貴族趣味! って言われそう」
「じゃあ日本茶」
「日本の名を冠してるのが気に入らない! って怒られそう」
「もう雨水飲むしかないじゃん」
リリィたちのヒソヒソ話も男性の耳に届いていた。
わざと聞こえる声を出していたに違いない。決して男性が耳をそばだてていたわけではない。
「……どうやら子供の躾も満足にできないようだな、ここは」
男性の嫌味に応える者は居なかった。
案内役の職員は最後まで案内だけに徹していた。
◇
特別監察本部の監察官が直接監察に来る。
抜き打ち気味に、前日の夕方になってそのような通告が神庭に対して為された。
彼の機関の狙いは、出撃選択制の廃止。その点はこれまでの経緯から予想はついたが、実際どのような手段を用いてくるかは検討がつかなかった。
「――――以上のように、先の埼玉県内での遭遇戦において本校の外征レギオンが戦闘に不参加の判断を下したのは、各人の消耗具合を考慮した結果であり、妥当なものだと考えています。また当該レギオン五名の不参加によって駅周辺での被害が拡大したという指摘は因果関係に乏しいと言わざるを得ません」
応接室のローテーブルを挟んで監察官たちに相対する校長は、用意していた資料に基づき淡々と説明しながらも、霞が関からやって来た三人の役人を見定めようとしていた。
まず正面でソファに座っている監察官。志賀と名乗ったこの四十代の男性は蛇のように細い目で詰まらなそうに校長の説明を聞いている。
その任務の性質ゆえか、特別監察本部は監察官以下の現業職員の素性を公開していない。
志賀という人物、この手の監察組織にありがちな法曹関係者とは思えないし、元軍人にも見えなかった。
もっとも、校長とて三十代に入って間もない若輩者。人を見る目に絶対の自信があるわけでもないのだが。
そしてそんな監察官の左右後方に立っている青年二人は、監察官補佐という聞いたことのない肩書きを持ていた。
この二人については志賀監察官以上に分からない。どう贔屓目に見ても二十歳かそこらにしか見えないのだ。高校生といっても通用するかもしれない。
そこまで若い人間をガーデンへの直接監察という重大な職務に当てるだろうか。従来のようなパフォーマンス目的の監察ならまだともかく。今回は本気で圧力を掛けに来たと神庭は受け取っていた。
「そちらも薄々察しているとは思うが――――」
一通り校長側の説明が終わった後、監察官がおもむろに口を開いた。
「此度の監察は埼玉の案件だけを対象としているわけではない。たとえば、つい五日前に生起した荻窪南西部での戦闘。スモール級ヒュージとミドル級ヒュージから成る中規模集団の侵攻に対し、陸上防衛軍砲兵大隊が理想的な砲撃態勢を整えたにもかかわらず、現地に展開する神庭女子のリリィから砲撃中止が要請された。予定通りに準備砲撃が実施されていれば、その後のヒュージによる被害が抑えられていた可能性が高かっただろう」
「それは、監察官もご存知でしょうが、当該地域の避難が未完了だったためです。準備砲撃無しにリリィによる白兵戦へ移行したのは適切な判断だと思いますが」
「避難命令は事前に発令されていた。それでも作戦地域に留まっているような者たちのために、どこまでも配慮するというのは非現実的だ」
「その塩梅を決定するのは我々ガーデンではなく防衛軍、ひいてはその上に位置する政府のはず。砲撃中止要請の件で、少なくとも防衛軍からの抗議は受けていません」
当たり前だが、政府が「逃げ遅れた市民ごと撃て」などと大っぴらに命令できるはずもない。
また現地の防衛軍部隊にしても、砲撃中止要請についてはむしろ神庭側に感謝すらしていた。取り分け年配の将校たちは、自衛隊時代に自衛官としての教育を受けてきたので、市井の軍事戦略愛好家が好みそうな「合理的で現実的なプロの軍人」を気取ることに抵抗があるのだ。
もっともこの監察官にしてみれば、そういった自衛隊然とした気風がお気に召さないらしい。
「抗議……抗議とは。軍がガーデンに対して、抗議なんぞできるわけがない。この対ヒュージ戦争によって、それだけの力関係が生まれていると自覚が無いのか」
軍の通常兵器でも、ミドル級以下のヒュージを仕留めることは可能。
だがヒュージネストを統率しているのはアルトラ級か、最低でもギガント級。
また数の上での主力はミドル級とスモール級だが、一定以上大規模な群れにはラージ級以上が含まれているケースが多い。
つまり防衛軍単独では敵戦力の漸減が関の山であり、ヒュージネストの討滅など戦局の決め手を担うことは不可能という現実があった。
「あなた方はさも人道上の理由で軍の作戦に横槍を入れたように見せかけているが、その実、自分たちの戦果を奪われるのを嫌っただけではないのか?」
「……何を根拠にそう仰るのでしょうか」
「特権を持つ者は特権意識に陥りがちだ。ヒュージ討伐の主役は自分たちリリィであり、力を持たない普通の人間は出しゃばるな、という風潮が醸成されていても不思議ではない」
「それは根拠になっていません。憶測でしょう」
「普段からのガーデンの振る舞いを鑑みれば、自明の理だろう」
ここに来て、校長は特別監察本部の方針に確信を持った。彼らは手段を選ばずあらゆる角度から神庭へ干渉する口実を窺っているのだと。
ゲヘナと鈴夢の一件に便乗してきた時から勘付いてはいたが、こうして直接対峙したことで決定的となった。
「何にせよ、我々
「当方としては、監察されて不都合な事実はありません。ですが対ヒュージ戦闘に支障をきたしかねない行為や、我が校リリィを不当に貶めるような言動は控えて頂きたいのです」
「杞憂だな。『自分たちが居なければ東京の守りは覚束ない』と思っているのなら、それは自惚れである。また特監の判断は常に妥当なものであり、不当と感じるのは被害妄想に過ぎない」
予想以上に居丈高な監察官の態度に、校長は内心驚いていた。
特別監察本部。既存のお役所・お役人とはあらゆる意味で異質な存在らしい。
「今日のところはこれで失礼させてもらう」
そう言ってソファから立ち上がると、監察官は目の前の女性に対する興味を完全に失ったかのように部屋の出入り口の方へ向き直る。
左右に控えていた監察官補佐たちは「もう帰るの!?」と言わんばかりにギョッと目を丸くして上司を見た。が、本当に宣言通り監察官が退出し始めたので、唖然としながらも後に続いていく。
その場に立って三人を見送っていた校長だが、着席も離席もせずにそのまま思案に移る。
(出撃選択制の撤廃。彼らの目的は本当にそれだけ? あるいは、それもまた手段に過ぎず、先に見据えた
求められた資料は提出した。しかしそれで納得して引き下がるはずはなく、本人が言っていたようにまた別の口実を引っ提げて立ち塞がることだろう。
「…………」
けれども目を閉じて気を引き締め直すと、奥の机でタブレット端末を起動させ通信を入れる。
「――――私です。――――はい。――――ええ。また貴方にも――――」
◇
ガーデンの戦力を短期間で増強するにはどのような手段があるか?
訓練場へと向かう道すがら、叶星からそんな問題が提起された。
短期間と条件が付いているということは、訓練の強化というのは求められている答えではないのだろう。それを踏まえた上で、紅巴はまず一つ思い付く。
「……神庭の場合、ガンシップを導入するのはどうでしょうか? 外征がやり易くなりますし、外征でなくても荻窪周辺での活動でも便利なのでは?」
「そうね。VTOL機だから小回りが利くし、物資を積んで輸送機としても使えるのも大きい。良い案だと思うわ。それじゃあガンシップを導入する場合の問題点は何かしら?」
叶星に続いて問われ、少し考えてから紅巴が答える。
「やっぱりコスト面が問題かと。実際、中小規模のガーデンの多くは中型のヘリか陸路を使ってますし」
「確かにお金の問題は無視できないわよね。特に機械は買って終わり、というわけではないもの。あとは、整備施設や中継基地の確保も必要かな」
ガンシップに限らず、大型の機材を運用する際に避けては通れない課題だ。
そういった点は他のガンシップ運用ガーデンの協力を得られれば幾らか軽くなる問題だが、それでも少なくない出費が嵩んでしまう。
「はいっ! はいっ!
手を挙げて元気よく意見したのは灯莉だった。
加えて悠夏もそれに乗っていく。
「いいわよねえ、LAC! 土木作業もできるし盾にもなるし。アメリカやドイツでは割とメジャーなの。確か日本でも主力として使ってるガーデンがあったはずよ」
「はるにゃんは操縦できるの?」
「ふふふ。実はボストンでちょっと訓練してたの。動かせるって程度だけど」
「いいなーっ。今度僕も乗せてよ~」
元々は道路インフラが機能していない山間部等で陣地構築に従事する建機として開発された。それに前線のアーセナルたちが武装を追加したことで戦闘用としても注目されるようになったのだ。
実際、ギガント級の攻撃をも正面から受け止められるLACは拠点防衛や撤退戦で戦果を上げていた。中にはLACに乗り込んだ状態でノインヴェルト戦術を実行するガーデンも存在した。
有力な兵器となり得るLACだが、勿論問題点もある。
「LACねえ……。あれ運用するのにガンシップ並にお金掛かるらしいのよね。だから土木作業や試験目的ならともかく、レギオン単位で導入できるのは百合ヶ丘とか相模女子とかアンブロシアとかの大きなガーデンばかりなのよ」
腕組みした姫歌が渋い顔してそう言った。
LACでノインヴェルト戦術を行なうガーデンは初めから主力に組み込んでいるので別として、そうでない場合は資金力のある強豪ガーデンに限られてしまう。
「着眼点は良いと思うわ。そもそも叶星の質問は、もしまた神庭にネスト攻略の必要が生じたら、と想定したものだから。ガンシップは勿論、リリィの生存性を引き上げるLACも有用ね」
叶星のすぐ隣を歩く高嶺が補足した。
先の地底湖ネストの件は極めて稀なケースとして、他のガーデンと協力関係を進めていくならヒュージネスト攻略に際して応援を出す機会も増えるはず。
ネスト攻略戦に限らず、ガンシップによる空挺作戦には降下中の危険を減らす措置が不可欠だ。
その答えとして聖メルクリウスインターナショナルスクールが出したのは、大型・重装甲のガンシップからの三レギオン同時降下という力技。
一方、神戸の強豪ガーデンであるアンブロシア女学苑高等學校は、水陸両用機として開発されたLACとそれらを運用する母艦から成る上陸戦部隊を投入して降下地点の安全を確保する作戦を採っている。淡路島を初めとした島嶼部での戦闘が多い彼のガーデンならではの戦法である。
ただどちらにしても、金満ガーデンにしか選べない選択肢と言えた。
「コスト面との兼ね合いを考えると、現実的なのは、バトルクロスでしょうか」
遠慮がちに意見したのは鈴夢だった。
バトルクロス……リリィバトルクロスとはマギの力を用いた防具の総称。ヘッドギア、フェイスガード、手甲、胸当、腰当、脛当など各部パーツが存在するが、これらもマギを消費するので全身に纏うのは現実的ではなく、通常は取捨選択の上で運用される。
「……これもう工廠科作った方が早くない?」
悠夏の一言を受け、皆が無言で頷き同意を示す。
「結局、先立つ物が問題ってわけね……」
姫歌が真理を口にした。
やはり最後にはそこに帰結するのである。初めから分かっていたことではあるが。
「お金のこと考えなくちゃいけなくて大変だねえ、定盛お母さん」
「誰がお母さんよ!!! ていうか、考えるのはあたしじゃないわよ!」
灯莉と姫歌の漫才に紅巴が物言わずホクホクしている間に、一行は訓練場に到着した。
ガーデンの敷地内に設けられた屋外訓練場だ。グラウンドとしての機能は勿論、厚く背の高い防壁に囲まれ射撃訓練も可能となっている。流石にノインヴェルト戦術の実弾射撃はできないが。
「あたしたちに今からすぐできるのは、地道に訓練を積んで地力をつけることね」
姫歌はチャーム『デュランダル』をシューティングモードに展開し、皆より一歩先んじていつも以上にやる気を見せる。
「あら姫歌さん、それなら私の稽古に付き合ってくれるかしら?」
「高嶺様、お願いします!」
ここで言う稽古とはチャームによる打ち込み合い、いわゆるお手合わせというものだ。無論、
残るメンバー、秋日と藤乃が合流するまでは各々で自主訓練となっていたので、姫歌は高嶺の提案を快諾した。
その時だ。姫歌の背後に人影が立ったのは。
「あらあらあらあら、面白そうなお話してますね」
「うひゃあ!? 藤乃様!」
首筋にフーッと息を吹きかけられた姫歌は飛び上がった。
「あとでわたくしのお相手もしてくださいねー、姫歌ちゃ――――」
「いいわねえ、早速始めましょう」
「いえ、あの、わたくしは姫歌ちゃんと――――」
藤乃の言葉を遮り前に踏み出す高嶺。
かくして、二年生二人の稽古が開始する。
勢いを削がれる形となった姫歌は他の者と同様に先輩たちの剣戟を見学している。
「何だか高嶺様も妙に張り切ってるような……」
「ふふふふふ、それはですね」
「紅巴っ」
「土岐の見立てでは、本日、どこかで、藤乃様が何かの拍子に叶星様の手を握るか何かしたのではないでしょうか。そして高嶺様もその事実を把握している、と。であるならば、高嶺様のあのヤル気も説明がつくというものです」
「ふっ、ふーん。そう……」
耳打ちしてくる有識者の見解を、姫歌は否定も肯定もしなかった。判断のしようがないからだ。
その間にも、巨大な鉄の鈍器でガシガシ打ち込む高嶺と涙目になって受ける藤乃という構図が展開されていた。
流石の藤乃もヒュージ相手ならともかくリリィ相手にいつもの癖は出ないらしい。
「何やってるの、あの子たちは……」
そこへ最後のメンバー、生徒会長の秋日が遅れてやって来るのだった。
◇
「取りあえず今日の直接監察は何事もなく終了したわ」
訓練場に併設された休憩所で秋日が皆に成り行きを説明する。
実際に監察へ対応したのは校長を始めとした職員たちなので、秋日も又聞きという形になる。
「今日の、ということは今後も起こり得るのね」
「ええ。ガーデンとしてもそう考えてるし、先方がわざわざ宣言していったそうよ。今回の目的は宣戦布告だったのでしょう」
「本当に、
叶星の表情に陰りが差す。
人から疑われるということは、ある意味ヒュージとの戦いよりも辛いものがある。
「ガーデン内は今は皆冷静よ。何か実害があったわけでもないし」
「今後のひめかたちの振る舞い次第、ということですね」
姫歌の確認するような問いに対し、秋日は即答できずに視線を伏せた。
「幾ら気を付けていても、どうにもならないことはあるわ。あまり気負い過ぎないで」
その言葉の意味が、この時の紅巴にはよく理解できていなかった。
最近拉致されかけたばかりの彼女ではあるが、それとはまた別種の