決して広くはないが、物もデスクも少なく窮屈感の無い小所帯のオフィス。
そこにはひりついた空気が漂っていた。実際の広さ以上に狭苦しく感じるほどに。
あるいはそう感じるのは、部屋の主と相対する少女の心境によるものか。
「……つまり、お前たちは百合ヶ丘の特務レギオンと思しき集団と接触したにもかかわらず、本来の目的も果たせないままむざむざ敗走したわけか。テロリスト相手に」
椅子へ猫背気味に腰掛けて机上で手を組む中年の男。
蛇のような細い目からデスクを挟んで注がれる
「対人戦用チャームを与えられておきながら、この体たらく……。お陰で作戦は台無しだ。どう落とし前をつける気だ」
「…………」
「ぬくぬく箱庭で育ったようなお嬢様なんぞに後れを取って、恥ずかしいと思わないのか?」
嘲り蔑む声色にチクチクと刺され続け、少女は堪らず口を開く。
「お言葉ですが監察官、小口径・高初速で取り回しの良い火器なら対人戦で有利というのは、机上の空論なのでは? 火力で押されたらどうしようも――――」
「成る程、つまりお前は『チャームの性能で劣っていたから負けた』と言いたいわけだ。そうかそうか成る程、そういうわけか」
少女は「やってしまった」と気が付いた。
短い付き合いだが、この中年の癇癪は嫌と言うほど思い知っていた。
「そんな言い訳考えてる暇があったらなあ、その
少女は右手で自身の左手をギュッと握る。
白手袋に包まれた彼女の左手は、義手だった。
◇
中央合同庁舎。その地下階に伸びる廊下を二つの影が並んで進む。
コンクリートジャングルに合わせたダークグレーを基調とするジャケットとパンツスタイル。それが彼女らの制服だった。
「そうは言われてもねえ。ビームやら何やらバリバリ撃たれまくっちゃ、手も足も出ないよ」
金髪サイドテールの少女、
「メーカー製じゃない、防衛技研がゲヘナから接収した技術で開発した対人戦用チャーム。そういう触れ込みだから、結果を出せないと困るんでしょ」
茶髪セミロングで義手の少女、詩穂はぶっきら棒な物言いで答えた。
彼女たちが臨んだ作戦とは、廃墟地区付近にあるゲヘナ過激派の研究施設を遠巻きに監視し、一定時間外部への出入りを阻止するというものだった。
詩穂らはあとで知ったのだが、厚木基地の空軍部隊がその施設を爆撃する予定だったらしい。テロリスト殲滅を御題目にして。
幾ら特別監察本部の監察官が防衛軍部隊の指揮を執れるとはいえ、そんなことが可能なのか? と疑問視する一方で、詩穂はあの上司なら本当に実現しかねないとも思っていた。
「あの研究所、強化リリィの実験施設だっららしいね」
「そうよ。私たちは、虐殺の片棒を担がされてた……っ!」
国内での違法人体実験の存在など、認めるわけにはいかない。それが特監のスタンスだった。
ゲヘナ過激派の実験やその産物は、不都合な物として纏めて処分される可能性が大である。
建前では、ゲヘナの主流派から外れた過激派が凶行に及んでいるということになっていたので、前者に政府が便宜を図る一方で、後者を特監が取り締まるという矛盾が発生していた。
そもそも特監の役目はガーデンやリリィの監察であって、強化リリィ絡みとは言え、ゲヘナ施設への攻撃は些か拡大解釈が過ぎるだろう。
彼女らは今までも後ろ暗い任務を担ってきたが、今回は一線を画していた。
「ほんと、あの時あのレギオンが襲ってこなかったら、どうなってたか」
ホッと胸を撫で下ろすような理恵の言葉を耳にし、詩穂も小さく頷く。
空爆が実行されなかったのは、前提である外部との隔離が果たされなかったため。
詩穂や理恵たちの監視網を複数名のリリィが突破してきたのだ。
黒衣の侵入者集団は所属を表す物を身につけていなかったが、特監はこれを百合ヶ丘所属のレギオンと認定した。
包囲側と侵入側で交戦が発生。一戦交えた結果は監察官のご立腹の通り、包囲側が火力で制圧されて逆に撃退される始末であった。
上司からは散々な言われ様だった。ただ詩穂は負けるべくして負けたものと受け止めている。
「こっちが退いたことで、被験者のリリィは救われた。でも仮に私たちが留まって作戦に拘泥したとしても、結果は変わらないと思う。チャームの火力差も問題だけど、それ以外の装備が期待外れ過ぎる」
詩穂たち特別監察本部関東支部強襲班は対リリィを想定した部隊である。
運用するチャームは都市部で使い辛い大口径砲を廃した小型・軽量の機体。
そしてチャーム以外にも防衛技研が開発した様々な支援装備を持つのだが、詩穂が問題視するのはその点にあった。
「マギを減衰させる煙幕弾、対マギ結界貫徹弾、マギクリスタルコアジャミング波……。どれもこれも効果があるんだか無いんだか分からない物ばかり……」
「いやー、そりゃまあ、ちょっとは足しになってたんだろうけどさ。実際必死こいて戦ってるあたしらにしてみれば、誤差程度だよね」
マイナスイオン発生器程度には役に立っているかもしれない。
そもそも、そんな代物を本当に実用化できるのだとしたら、未成年者を怪物との戦いへ投入せずに済んでいるはずなのだ。
「監察官の言う『夜戦装備があるからこっちが有利』って理屈も意味が分からない。何で相手が夜戦できないと思うのか」
「何だろう? 夜だから皆寝てるって思ってるのかな?」
「願望と思い込みが強過ぎるのよね、全般的に」
対人戦を想定した特務レギオンならば、当然人間の装備や戦術を敵として想定しているだろう。
ところが彼女らの上司の言動はまるで、リリィやガーデンを古代・中世の蛮人と見做しているかのようだった。
監察官がそのような考えに至った理由は、詩穂にも大体察しが付く。理屈は分からなくとも、理由は分かる。強豪と呼ばれるガーデンの多くが武士道や騎士道、あるいはそれらに似た何かしらの理念を持っているからだろう。
「お気持ちや精神論なんぞでは合理的な現代軍隊には勝てない」
以前に部下たちの前でそのような有り難い訓示を述べていた。
しかし監察官は重要なことを失念している。理念はあくまで理念であり、実際の装備や戦術と合致しているとは限らないということを。
侍が集団戦や奇襲戦法を駆使するように、御台場は射撃兵装も使うし正面装備以外の後方装備の開発にも熱心だ。
精神論を掲げている奴らは物質的に劣っているに違いない、という監察官の思考は、物質的に豊かな国の兵隊は精神的に惰弱である、といういつか見た妄想と同種同根ではないだろうか。
「現にあのレギオン、彼我の火力差を察知したのか、距離を取っての射撃戦を仕掛けてきた」
火力を活かせない地形に誘い込んだり、多対一に持ち込んだり、そういった対策は相手が乗ってこないと成立しない。
戦術上の工夫で単純な戦力差を覆そうというのは聞こえが良いが、相手次第で左右されてしまう博打のようなものだった。
「そう言えばさ、詩穂っちは見た? あのレギオンのリリィ」
「何を?」
「めっちゃ美人な外国人のお姉さんが居たじゃーん」
ニヤニヤしながら言う理恵を横目に、詩穂は呆れて溜め息を吐く。
「貴方ねえ、『鷹の目』で何を見てるのよ……」
こんなでも隊長の詩穂を陰から支える副隊長だった。
いや、むしろ、こんな風に肩肘張らないで振舞えるからこそ、この部隊で他人を支えることができるのだろう。
◇
「お疲れ~」
「皆、お疲れ様」
庁舎の地下階。カードキーでロックを解除した一室で、七名の少女が隊長と副隊長を出迎える。
その部屋はロッカールームであったが、簡素な休憩室も兼ねていた。
部屋に居た者たちは大方更衣を終えていたようで、自身のロッカーの前でスマホを弄っていたり、壁際のソファで寝っ転がっていたり、パイプ椅子を横に並べて駄弁っていたり、思い思いに過ごしている。
その中で一人だけ、未だ更衣途中の少女が居た。
インナー姿の小柄な背中へ、悪戯っぽい笑みを浮かべた理恵が近寄っていく。
「なんだよー、まだ着替えに手こずってんの? あたしが手伝ってしんぜよう」
「ひぃぁっ!? いっ、いいですーっ!」
今ここに居る九名こそ、詩穂が隊長を務める特別監察本部関東支部強襲班のメンバーである。
リリィが九名。普通ならレギオンを名乗るところだが、そうはならなかった。何故ならば、ガーデン制度という歪んだ体制に基づく呼称だからだ。
部隊結成時に「敵性語排斥運動かな?」と軽口を叩いた理恵が監察官から睨まれた光景を今でも覚えている。
ここに居る九名は皆、何かしらの事情があって特監に流れ着いた者ばかり。
詩穂の事情はその左手にある。かつて所属していたガーデンでの任務中に失った左手。再生医療の発達した現代においても、義手にせざるを得なかった。
強豪ガーデンだったその場所で、ハンデを負った詩穂が第一線で戦い続けることは難しくなってしまった。
仲間たちやガーデンからはアーセナルへの転向を勧められたりしたものの、気遣いによって逆に居た堪れなくなり、結局詩穂は初等科から学んだ母校を逃げるようにして去ったのだ。
その後、特監にスカウトされて現在に至る。
国による試験運用的な部隊とは聞いていたが、入ったばかりの頃はまさかこのような後ろ暗い任務ばかりとは思いもしなかった。
それでも詩穂が逃げ出さないのは、ここでならリリィとして、それも隊長として戦えるから。そしてもう一点、この部隊で知り合った者たちを放り出してどこかには行けないから。
「ちょっと詩穂っち、さっきから何を難しい顔してるのさ」
「別に……。て言うか引っ付かないでよ。服が脱げない」
「よいではないか、よいではないか~」
制服のジャケットの上から二つの弾力を押し当ててくる理恵。
部隊の性質に似つかわしくなく陽気な彼女に、特監に来た経緯をそれとなく尋ねたことがある。
ここに来る前は寒い土地に居たらしい。詩穂が「北海道か」と聞いてみると、「もっと寒いかも」と返ってきた。
ガーデンを去った理由については「ガーデン内の女同士での
詩穂にとって、その事実はショックであった。
(見た目も中身も、ストライクなんだけどな……)
だがその割に、隊内でやたらとスキンシップを取りたがる。
今ここで行なわれている戯れもそうだし、オフの日に街中を歩いている時もやたら詩穂と腕を絡めてくる。
あくまで友達同士。陽キャ特有のアレというやつか。
「……人の気も知らないで」
「何が?」
「何でもない」
ともあれ、この九名で一部隊の体裁は一応整っている。
九名なので理論上はギガント級以上のヒュージにも対応可能だし、ノインヴェルト戦術に欠かせないレジスタのレアスキルも隊長が持っている。
だが特監の任務を鑑みた場合、何もかもが不足だという自覚が詩穂にはあった。
ガーデンの専横に対する政府機関の統制強化。そのために必要な実力組織。それが詩穂たち強襲班の位置付けだが、実際に強豪ガーデンの特務レギオンとぶつかった結果はご覧の通りである。
あの監察官だって現状を理解していないはずがない。はみ出し者の寄せ集め部隊では限界があることに。
強襲班は特監によるリリィ運用の実験的試みであり、戦力的には大して期待されてないのかもしれない。
(そう言えば、私がガーデンから逃げた理由って特監の資料だと、先生やクラスメイトから嫌がらせされて追い出されたことになってるのよね)
実態とは正反対だ。
詩穂は気付いた直後に当然ながら抗議したのだが、監察官から無視を決め込まれてしまった。
ガーデン体制の歪みを証明する存在に、詩穂たちを仕立て上げたいのだろう。
「お~い。お~~~い!」
「……何よ」
「もーっ、またボーっと黙りこくるんだもん。本当にどうしたの?」
目の前でひらひら揺れている理恵の手に気付き、思考を中断させる。
「別に。それより皆準備できたようだから、行くわよ」
暗灰色の野戦服めいた制服から、明るい色合いのパーカーとジーンズ姿へと変わった詩穂が答える。
思い耽っていても、衣服を着脱する手は動かし続けていた。
◇
リリィとは言え、年齢的には高校生。学ぶべきことはまだまだある。
ガーデンが学校として教育を施すのと同じように、特監も強襲班のリリィのために勉学の環境を整えていた。
庁舎の一室、本来は小会議室だった所に講師を呼んでの講義。訓練や任務などを挟むので、その時間割はまちまちだ。
特に規定は無いので詩穂らは大抵私服で出席しており、さながら通信制高校のような風景が見られた。
たった九名のために、破格の待遇。関東支部強襲班が試験運用部隊であるがゆえだろう。
詩穂としても、机を並べて勉強できるというのは有り難い。普通のガーデンのような学校生活とまではいかなくとも。高等学校卒業資格を得られるという実利も大きい。
不満点と言えば、時折、監察官自ら教鞭を執る時があることだ。
「――――我が国の国土復興事業は民生復興を目的にしているが、当然ながら軍事上の意図も包含されている。装輪車両の迅速展開のための道路網復旧はその最たる例だろう」
監察官の実施する講義は主に軍事分野や政経分野。
「現代軍隊というものは、それ自体で機能を完結できる点で、警察や消防組織と大きく異なっている。軍隊とは、インフラが機能不全に陥った地域でもまともに活動できる唯一の組織である。ただ全ての車両を装軌車両に移行できない限り、陸上交通の整備は欠かせない」
この監察官、元軍人とかではなさそうだ。
かと言って完全に市井の市民だったとも思えない。
元防衛官僚あたりだろうと、詩穂は予想していた。
「いずれにせよ、軍需物資の生産に民間の活動が関わってくる以上、戦闘正面だけでなく銃後にも同程度に注意を払わねばならない。だがそういった意識が稀薄なのが、現行制度下におけるガーデンだ。奴らはマギという自らの特殊性に驕り、一般の軍は勿論のこと、市民社会をも蔑ろにしている」
ひとたび彼が教鞭を執ると、必ずと言っていいほど最後にはご自慢の持論を展開してくる。
ホワイトボードをバックにして教壇の上に両手を突く監察官の顔は、一見すると沈着冷静に取り澄ましているようだ。
しかしその声色に含まれる熱量は隠し難かった。
「戦闘に供される武器弾薬、普段から着ている衣服、生活に必須な日用品。それらの原材料を調達し加工するのはどこの誰なのか? また軍事拠点であり学び舎でもあるガーデン施設を建設するのはどこの誰か? そしてあらゆる軍事・経済・民生活動を支えるインフラ設備を保守しているのは? そういった当たり前の観点がガーデン内では抜け落ちている。あたかも自分たちの力だけでヒュージから地域を守っているかの如く振舞う有様」
確信を持った口調で説く監察官だが、その
そもそも有名ガーデンほど地域住民との交流を企図してイベントを催している事実は最初から無かったものとしているようだ。
「戸建ての一軒も自力で建てられない性別の方が、自分たちだけで組織や共同体を運営できると勘違いしている姿は滑稽が過ぎる。かつて活動家どもに破壊された我が国伝統の家族・社会の様態には、そうするだけの合理的理由があったのだ」
もはやここまでくると、軍事や政経というよりも道徳の授業というべきだろう。講師本人は頑なに否定するだろうが。
「だが諸君らは運が良い。閉鎖された環境から抜け出せて、等身大の社会を知ることができたのだから。我々特別監察本部は私企業の私兵などとは違う。国家・国民のための崇高な職責を自覚し任に当たるように」
最後にそう締め括って講義を終える。
聴衆を前に正論を披露できたお陰か、心なしか満足そうな監察官。
一言でも異を唱えようものなら十倍の言葉が返ってくるので、講義中に発言する生徒はいなくなっていた。
「…………」
その場で唯一の大人である監察官が去った後、部屋の空気が緩んだ。
詩穂も「教師は生徒に舐められてはいけない」という考え方が分からないでもないので、気を引き締める効果があるのは良いのだが、彼の場合はまた別問題であった。
「あー、終わった終わった。吹き出すの我慢するのしんどいよぉ」
横の席で大きく伸びをした理恵が愚痴をこぼす。
理恵は決して座学の成績が悪いわけではない。むしろ良い方だ。
しかしどんなに学業が好きな人間であっても、息の詰まるような空間で椅子に座って延々と独演会を披露されては、音を上げたくもなるだろう。
「本当どこに向かってるのよ、
詩穂もまた席に着いたまま愚痴を漏らす。単なる監察機関を越えたこの組織に。
けれどもそんな彼女の独り言は、彼女たち自身にも当てはまる。先行きが見えないのは詩穂も同じこと。
監察官はガーデンを箱庭にたとえていたが、だとするなら詩穂の属する強襲班はさながら鳥籠みたいなものだろう。
籠の中からでも外は見える。だが金網に囲まれたその場所で、彼女らに一体どれだけの選択肢と決定権があるというのか。