比呂美の駆るオフロード車の助手席で車上の人となった紅巴は、灯莉と灯莉を追う姫歌のあとを追い掛けた。
舗装の痛んだ道は悪路と化していたが、優れたサスペンションのお陰で体を揺する衝撃は最低限。
そうして程なくして灯莉を収容した護送車を発見した。
護送車としては小型のその車両へ接近するのは容易であった。周囲に護衛が全く居なかったからだ。
路肩で完全に停止した護送車のすぐ傍に、紅巴は二人の姿を見る。
「あんたは全く! 何てことしたのよ!」
「だって……」
常と異なりしおらしい灯莉と、彼女の両肩を掴む姫歌。
紅巴は今すぐにでも彼女らへ駆け寄りたいところだが、異様な現状への警戒を優先する。
「どういうことなんでしょう? 灯莉ちゃんを連行していたはずの警務隊は、一体どこへ?」
首を左右に動かし周辺を見渡していると、先程まで携帯端末でどこかと連絡を取っていた比呂美が答えてくれる。
「撤収済みよ。近くで正体不明のレギオンが戦闘を始めたものだから。あの護送部隊自体、特別監察本部の息が掛かった部隊だったようね」
「だからって、護送対象の灯莉ちゃんを置いていくなんて……」
「それは彼女たちが
比呂美が自身の端末を指差した。先程会話していた相手のことを言っているのだろう。
「彼女たち百合ヶ丘の特務レギオンが特別監察本部のリリィたちを撃退し、警務隊をも退かせた」
「えっ、それは、でも……。と言うか、そもそも比呂美様は何故そのようなことを……」
ますます困惑する紅巴の様子を見て、比呂美は姫歌たちの方へ向きを変える。
「貴方たちにはもう話しても良いことになっている。これから神庭に帰るから、車の中で聞いてちょうだい」
そう促されると、紅巴は比呂美に続いて護送車へと歩いていく。抱き合っている二人に水を差す行為に若干の抵抗を覚えながら。
◇
一行は四輪駆動の力強い走りに揺られて荻窪への帰路に就いた。
広い車内、後部座席には姫歌は勿論、灯莉の姿もある。仮にも護送対象のはずなのだが、比呂美によると、灯莉の送致も神庭の出撃停止措置もじきに撤回されるらしい。
走り出した当初は微妙な沈黙が流れていた中で、ハンドルを握る比呂美がおもむろに口を開く。
「事の発端は、鎌倉から神の使いを称する不審者についての情報が入ったこと。あの文化祭での一件以降ガーデン直属となった私は、校長先生の指令を受けて調査に向かった」
特務レギオンならぬ特務リリィと言ったところか。
神庭の規模で特務レギオンを編成するのは中々難しいだろう。
「本来ならリリィが関わるような案件ではないわ。でも、彼らは未知の力を使用してチャームも無しにヒュージを倒していた」
比呂美がガーデン直属となる前から彼らの存在は確認されていたらしい。
「これは百合ヶ丘のリリィからの話なのだけれど。彼らは百合ヶ丘に保護と雇用を求め、その要求が拒否されてからも彼女らへ付き纏い行為を働いていた」
「つ、付き纏いって?」
「レギオンの出撃先に現れて、ヒュージを撃破して回ったとか。実際に居合わせた子によると、まるで恩着せがましく力を誇示しているようだった、と」
「えぇ……」
「更に奇妙なのは、百合ヶ丘からの情報を得ていた防衛軍部隊が事情聴取を求めて接近すると、途端に逃げ出したという点。そういうこともあって、鎌倉と東京の幾つかのガーデンが調査に動いたの。勿論、彼らの危険性について確認するために」
ヒュージに対抗し得る力を持っているというのは、先程直接対峙した紅巴にもよく分かる。
ただ百合ヶ丘に執着し、軍から逃げ回るという行動には理解し難いものがある。本人たちと直に言葉を交わし、今こうして比呂美から説明された紅巴でにも分からなかった。
「ただ、彼らはある時期を境に百合ヶ丘周辺に姿を見せなくなった。各ガーデンによる調査も一時停滞したわ。二人が特別監察本部として動き出すまでは」
それまで軍との接触を拒んできた彼らが何故政府機関に加わったのか。この点については本人が紅巴へ語ったように、ガーデンに入れてもらえるという口車に乗ったからだろう。
もしかしたら百合ヶ丘へ報復しようという意図もあったかもしれない。逆恨みも甚だしいが、彼らの言動を思えばあり得ることだった。
「あの! それで結局、あの二人は何だったんですか? それだけの力の持ち主が、ポッと出てくるなんて」
「アイドルリリィ部のことも衣装のことも知ってたよ?」
会話の間が空いた際、今まで後部座席で大人しく話を聞いていた姫歌と灯莉が疑問を呈した。
神がどうのという自己申告を真に受ける者は流石に居なかった。
「残念だけど、素性も能力についても分からず終い。戸籍も恐らくは偽造されたもの。あるいはゲヘナの研究施設にでも入れたら何か分かるかもしれないわね」
比呂美のそんな仮定も詮無きこと。気絶した彼らの身柄は百合ヶ丘の特務レギオンによって確保されたからだ。
反ゲヘナの百合ヶ丘がゲヘナに引き渡すとは考え難い。少なくとも直接は。然るべき機関に送られるはずだった。
もっとも、ゲヘナの方もあの二人をまともに研究しようとするかは疑わしい。個人戦闘能力の点には目を見張るものがあるが、あくまで
「比呂美様は百合ヶ丘の人たちと協力して、特別監察本部も調査されていたんですね」
「ええ。相手が政府機関ともなると神庭だけでは荷が重過ぎるから、百合ヶ丘やメルクリウス等の特務と連携してね。調査の比重はあの二人から組織の方に移っていたのよ」
「それで、その、鷺ノ宮での戦いで、隠れていたヒュージから私を守ってくださったのも、比呂美様ですよね……?」
「特別監察本部が神庭に目を付けているという情報があったから。中でも紅巴さん、私が言うのも何だけど、貴方は特に……」
「あ、私って危なっかしいですからね」
フロントガラス越しに前を見ながら比呂美は少しだけ言い淀む。
「放っておけなかったから。だから、任務で近くに居るときは、ずっと見てたの」
「えっ? あっ……」
紅巴は自身の胸の中がキュッと締まるのを感じた。
比呂美にとっては他意は無いのだろうし、過去の贖罪からくるものなのだろう。
しかし自身にとって都合の良い言葉だけ強調されるのは仕方ないことである。
(そんなっ。ずっと、見てた? 土岐を!? はぁ~~~~~~っ!)
◇
後部座席の姫歌は前席のやり取りを聞いていたが、その内容に引っ掛かりを覚え、口には出さずとも頭を抱えていた。
(ずっと見てたって……。う~ん、事情があることだけど、何かちょっと、アレっぽいわね……)
はたから見ると、そう取られても仕方がない面がないでもない。
とは言え当の紅巴はというと、俯いて自身の身を両手で掻き抱きプルプルと微震を起こしている。
彼女のこの反応が負の感情から来るものではなく、むしろ正反対の状態であることは、姫歌の目からは明らかだった。
(ま、まあ本人は満更でもなさそうだし、良いのかしら……?)
自分にとって全く興味の無い相手から関心を向けられるのはちょっとした恐怖だが、逆に興味のある人間からならその限りではないのだろう。
(それにしても――――)
姫歌はそこで思考を切り替える。
(紅巴ったら、絶対面倒な女に惚れて苦労するタイプよね!)
己を棚に上げてそんなことを考えていた。
◇
暫く車で走っている内に、鎌倉から東京へと戻ってきていた。
車窓に移る風景も、荒涼とした放棄地区から徐々にまともな人家が増えてきた。
下の道路の状態も今は良い。元から悪路に強い車両とはいえ、その程度の差異ぐらいは分かる。
そんな中で、乗っている車のスピードが落ちていることに紅巴は気付いた。辺りに一般車両の通行が増えたから、というわけではなさそうだ。
しかし紅巴よりも姫歌が口を開く方が早かった。
「比呂美様、これから私たちはどうすればいいんですか? 灯莉の送致も神庭の出撃停止措置も、解除されると仰ってましたが」
「措置の撤回については、実際にそうなってからガーデンで事情を聞くことになるでしょう。監察の人間を突き飛ばした灯莉さんは全くお咎めなしというわけにもいかないから、通常の規定通りガーデン内での処分が下されると思うわ」
ガーデンでの処分となると、独居房での謹慎が妥当だろう。
その性質上、どこのガーデンも内部のリリィを処罰するための収容設備を備えていた。
ちなみに、収容設備の詳細はガーデンによって差がある。神庭などは窓が無く殺風景ながらも普通の居室に近いのだが、鎌倉など激戦地のガーデンの場合は監獄と呼んで遜色無いものらしい。
「これからの指示もガーデンで受けてちょうだい。ただ、今はまだ敷地の周りを防衛軍に囲まれているはずだから、包囲が解かれるまで時間を潰していましょう」
比呂美が車の速度を落としたのはそういうわけだった。
「ふぅ……。ちょっとだけホッとできるわね」
「うん……」
「もう、灯莉! いい加減元気出しなさいよ! 調子狂うわねえ」
「うん……」
ガーデン存続の危機という事が事だっただけに、流石の灯莉もすぐに完全復活とはいかないようだ。無理もない。
護送車への襲撃を阻止し特別監察本部の人間を確保した今、これで片が付くと願うばかりである。
「……あの、今更なんですけど。比呂美様や他校の特務レギオンが追ってたんなら、私や姫歌ちゃんの鎌倉行きを認めて下さったのは、校長先生のご配慮だったのでしょうか?」
「それだけのために貴方たちを動かしはしない。実を言うと、護送車の方はともかく、あの監察官補佐の二人は動きを掴む目途すら立っていなかったの。そこで渡りに船と、紅巴さんと姫歌さんを堂々と神庭から出すことにした」
「はあ。その結果、見事に私たちに釣られたというわけですね」
「……囮にしたわ。ごめんなさい、痛かったでしょう」
「あ、いえ、それほどは。あの人たち、言葉遣いは剣呑としてましたけど。何と言うか、躊躇があると言うか、無意識に腰が引けてるような感じだったので」
人間が全く抵抗無く人間を殺めようとするのは難しいものらしい。
特に相手の顔が見えるような状況ならば、訓練を受けた兵士でも無意識的に的を外すことがあるとか。
この問題を解決するため昔から各国の軍隊は訓練法に工夫を凝らしてきたが、歩兵個々人の殺傷率を上手く上げられたとしても、それはそれでまた別の問題が表出する要因となっていた。
もっともリリィの場合、人型からかけ離れた異形を相手にしているので、普通なら関係の無い話のはずだった。普通なら。
「――――はい、安孫子です。――――はい、三人と合流の後、荻窪へ帰還しています」
時間潰しのドライブ中に、比呂美へ通信が入る。
紅巴はハンズフリーの通信機に答えている比呂美と反対方向に首を回し、助手席のサイドガラスから外を見やる。
ゆっくりと流れる東京の街並みは、繁栄と衰退と再生が混在しているようだった。
鉄杭にでも殴られたかのように大きくへこんだガードレールが放置されているかと思えば、美しく煌めくガラス張りの窓のビルがそびえ立ち、防音シートにすっぽりと包まれて改修中のマンションも見える。
一見すると
「皆」
不意に、通信を終えた比呂美が車内に向けて呼び掛けた。
アクセルを幾分か深く踏み、ハンドルを握る両手の力も心なしか強くなっているようだった。
「予定変更。今すぐ神庭に向かうわ」
走る速度が変われば映る景色の見え方も変わってるが、もはや気に留める者は誰も居ない。
「奥多摩方面にヒュージの大規模攻勢を確認。周辺ガーデンは全力出撃体制に移行中」
それは彼女らリリィの本来の役目の到来である。