旧神奈川県、現鎌倉府はあらゆる意味で幕府開設以来の要地となっていた。
軍事面で言えば陥落指定地域である静岡と甲州から東京へのヒュージ流入を食い止め、経済面で言えば横浜と横須賀という二大要港を抱えている。
そんな土地だから、配備された戦力もまた大きい。
特に鎌倉府五大ガーデンと呼ばれる五校は対大型ヒュージ戦に必須な連携必殺戦術において高い能力を誇っていた。
またリリィのみならず通常戦力たる防衛軍の存在もある。
空は、三浦半島にて東京湾と相模湾を睨む高射隊や、厚木基地の戦爆航空団。
海は、横浜の陸警隊や伝統ある横須賀基地駐留の護衛隊群。
そして陸は、鎌倉駐屯地に屯する混成戦闘団。
首都の西を守っているだけあり、いずれも粒揃いの陣容である。
◇
陸上防衛軍鎌倉駐屯地、駐屯地司令は退官を間近に控えた老将だ。昨今の情勢から、自衛隊時代に比べて将官の定年が引き上げられたので、名実ともに老将と呼ぶに相応しい風貌だった。
そんな彼には一つ、大きな
こんな時代なのだ、誰しも後悔など幾らでも抱えているものだが、彼にとっては他よりも抜きんでた
それは鎌倉府人造リリィ脱走事件と呼ばれた出来事。
防衛軍に「人の形を模したヒュージを捕獲ないし討伐せよ」という命が下り、近場であり戦力的にも最精鋭である彼の部隊へお鉢が回ってきた。
話を聞いた当初から司令は半信半疑であったし、実際に捕獲・討伐対象の詳細を知ると明確に異を唱えた。
ところが捕獲命令を出した政府……と言うよりも政府に提言した安全保障審査委員会は「アレはヒュージである」と頑なに主張してきた。
結果、捕獲部隊が対象と衝突する事態にまでは至らなかったが、土壇場のところで政府が彼女を人間認定したのだ。
「私の部下に、無実の市民を撃たせる気か……っ!」
現場指揮官がやれ「道路状態が悪い」だの「整備不良」だの理由をつけて進軍を遅らせていなければ、果たしてどうなっていただろうか。
それは若かりし日、まだ日本が再軍備を果たす前、自衛隊で自衛官としての教育を受けてきた司令にとっては耐え難いことだった。
そして今、駐屯地の司令室に訪ねてきた中年の男の口から、看過できない言葉が出てきた。
「この駐屯地の
執務机の椅子から飛び上がらんばかりの勢いで気色ばむ司令をよそに、政府の監察機関から来た男は涼しい顔をしている。
「ここの部隊は、鎌倉から東京方面へ進出するヒュージの監視と威力偵察の任を負っている! 重要な初動任務だ! その中核となる機動戦闘車を全て取り上げられたら、東京の西の守りはどうなる!?」
「それをどうにかするのが、あなた方の仕事でしょう」
彼ら特別監察本部の監察官は、非常時において防衛軍部隊に指示・命令を出せる。乱暴な話だが、こんなご時世なのでお上品なことばかり言ってはいられないと司令も理解はしていた。
だが、限度を超えている。本来の任務をおろそかにしては本末転倒だ。
その上、今回はあの時のような「標的はヒュージ」という建前さえかなぐり捨てている。
「鎌倉駐屯地を預かる者として、その命令は承服できない。私はヒュージから国民を守らなければならない」
「おや、奇遇ですね。私も今まさに、逆賊どもから日本を守るために戦っているのですよ」
監察官は鼻で笑って皮肉にもならない言葉を返す。
机上で理屈をこねくり回す人間ほど、いわゆるリリィ脅威論に傾倒しやすいと言われていた。
しかし今時、こうもあからさまなのは珍しい。
彼女らを持て囃すメディアや世論に流されないのは監察機関としてご立派な志だが、過ぎたるは及ばざるが如し。
「大体、貴官の話は事実なのか? 人間同士相打つのだから『やっぱり間違っていた』では済まないぞ。あの時のように」
「ご心配なく。神庭女子藝術高校が政府の監督を受け付けず、日本国に反旗を翻そうとしているのは紛れもない事実です。元より私立のガーデンなど全く信用できない存在。故に軍の力をお借りしたいのです。組織として真っ当で健全な防衛軍の力を」
調子の良い言葉を吐いて持ち上げようとしてくるが、司令の耳には空々しく聞こえるばかり。
自分たちのことは自分たちが一番よく理解しているのだ。
確かに、世の中には軍の――諸ガーデンに比べて――高い後方支援能力に着目して評価する声が一部に存在する。
戦争継続の真の主役は裏方で支える軍であり、最前線で実際にヒュージを相手取っているリリィの派手な活躍は大手メディアのプロパガンダである。……などという主張もある。
だがそもそも、ここまで国土を食い破られた現状では、正面戦力に比重を置かざるを得ない。兵站を守る力が無ければその兵站がまともに機能しないのだ。制海権のあやふやな海域で商船ばかりを動かすのは、鴨に葱を背負わせるのも同然の行為である。
後方支援能力の差にしても、威張れるような要素ではない。ヒュージに対して同じ火力を発揮する際、ガーデンと軍では必要とされるリソースが違い過ぎるのだ。軍はスモール級やミドル級の集団を殲滅するためにリリィたちでは及びもしない大量の銃砲弾を消費せざるを得ないし、ラージ級以上に至っては逆立ちしたって通用しない。
無論、勝てないからと言って全ての行為が無駄なわけでもない。住民の避難のための遅滞戦闘や陽動など、立派な作戦である。しかしそれを以って直接の戦果を上げている者たちを嫉むのは、軍人以前に人として恥の上塗りであろう。
何にせよ、兵站を語ってプロ気取りになっている
「もう一度言う。我々の存在は鎌倉・東京間での早期警戒のためにある。断じて、政治将校ごっこのためではない」
すると監察官はわざとらしく肩をすくめる。
「あなた方にとっても悪い話じゃないと思うんですがねえ。憤懣やるかたないガーデンに対して、溜飲を下げられるのだから」
「は……?」
「生まれの才能ごときで世の中にチヤホヤされ、大人の男へ本来払われるべき尊重の念を持ち得ない、そんなガキどもに分を弁えさせる好機でしょうに」
「何を言っているんだ!? 訳の分からん被害妄想に他人を巻き込むんじゃあないっ!」
想像以上の重症に、司令は戦慄する。
胡乱な週刊誌か便所の落書きにでも書かれていそうな論調を、仮にも国の機関を背負う者が口にしているのだ。大の大人でもたじろぐ恐怖である。
「この際だ。何の価値も無い体裁を取り繕うのは止めましょう、司令官閣下。対ヒュージ戦において足手纏いの役立たずだと、マギもチャームも使えない無能だと、見下されたことがあるはずです」
「妄想だ」
「そんな連中がガキの領分を越えて防衛政策に影響を及ぼしているのなら、大人として扱うべきだ。間違いを犯しているのだから、相応の報いを与えるべきだ。都合の良い時だけガキだからと甘い顔をしていれば、際限なく付け上がっていく」
彼の頭の中では精彩なストーリーが出来上がっているのだろうが、それをそっくりそのまま外に出力されても他人は困惑するしかない。
「貴官は、歪んでいる。自分では真理を理解し切った賢人か何かのつもりなのだろうが、その実、イデオロギーばかりが先行して現実の社会に生きる人間が見えていない! 一体、何を守っているんだ!」
思い込みの強い相手に、迂遠な物言いは無用。司令は直截的な言葉をぶつける。
それから暫し押し黙っていた監察官だが、やがて腹の底の空気を全て吐き出さんばかりの大きな溜息を吐いた。
「はぁ~~~っ。これだから自衛隊世代は困る。ガキを戦わせていることに負い目を感じているのか知らないが、もはや我が国に綺麗事を言っていられる余裕など無い。薄っぺらいヒューマニズムは、戦争に勝った後でやって頂こう」
監察官もまた、申し訳程度に纏っていた最後の薄皮を脱ぎ捨ててきた。
「それに、我々特別監察本部の言葉は日本国の言葉も同然。閣下も反逆者として晩節を汚したくはないでしょう?」
しかし司令はあの時と同じ過ちを繰り返す気はない。
「営倉入りでも軍法会議でも好きにしろ! 私はっ、国民を守る防衛軍の軍人だ!」
◇
欧州の一部には抗命権という規定がある。違法行為を引き起こし人間の尊厳を冒す命令には従わなくて良いという、軍人の服従義務を掣肘するものだ。
「フン、くだらんな」
志賀は心底冷え切った声でそう断ずる。
「木っ端軍人風情が。素直に言う通りにしていれば良いものを」
相手はそこいらの兵下士官ではなく高級将校。しかし彼にとってはどちらでも同じことである。
「文民統制も解せぬ愚か者め」
窓ガラスの外を睨み吐き捨てた。
鎌倉から東京へ帰還する途上、車中に志賀の呟きに答える者は居なかった。
あれから、志賀は駐屯地司令を士官室に軟禁させ――将校は営倉入りにできない――残りの幹部たちに命じて16式の部隊を出撃させていた。標的は、送致中の神庭のリリィとその仲間たち。
(あの阿呆二人はともかく、強襲班からも定時連絡が無い。これはいよいよ、百合ヶ丘の特務レギオンが動いたか)
国家に背き逃亡したリリィたちを討つ。そのために志賀は手勢のみならず、防衛軍の部隊まで動員したのだ。
けれども志賀は機動戦闘車とはいえ、実際にリリィのレギオンとぶつかって勝利できるとは思っていない。予備車両も掻き集めて三個中隊を送り出したが、それでも太刀打ちできないと見ていた。
彼が望んでいるのは、味方の血である。
(討伐にきた軍にまで抵抗すれば、奴らの叛意は決定的なものになる。その時こそ、我々国家が統制に乗り出すべき時。歪んだガーデン体制を打ち砕き、正常なる国防を作り上げる……!)
軍の犠牲もまた、計画内の要素であった。
(そのために雑兵どもが多少くたばるだろうが、まあ、目的達成のための致し方ない犠牲というやつだ。国に殉じて逝けるのだから、軍人として本望だろう)
微塵も悪びれることなく、志賀はそう結論付けた。
半分ぐらいは当て擦りだが、もう半分は本心である。
「しかしあの老害め。要らん時間を取らせやがって」
忌々しげに顔を歪めて思い出すのは、結局最後まで命令を拒んだ駐屯地司令のこと。
あの年代の人間たちの厄介さは分かっていたつもりだが、あそこまで激しく抵抗されるとは思っていなかったのだ。
司令に対しても言及したように、志賀は防衛軍に対してはどちらかと言えば同情的な立場だった。あくまでガーデンに対する立場と比べれば、であったが。
大の大人の軍人が国土を侵略する敵に対して遅れを取り、代わりに、何だかよく分からない力を使う女のガキどもがその侵略者を打ち倒して世論から喝采を浴びる。そんな現状に鬱屈した感情を溜め込んでいるいるはずだし、隙あらば糾弾してやりたいと思っているに違いない、と志賀は考えていた。
ガキどもの方だってそうだ。力に溺れ、軍や一般人をただ守られるだけの存在と見做して見下しているに違いない。軍や政府の存在を税金の無駄と蔑んでいるに違いない。実際にそういった現場を見聞きしたことはただの一度も無いが、志賀はそうに違いないと信じて疑っていなかった。
にもかかわらず、あの老将は
「チッ……。どいつもこいつも、薄ら寒い綺麗事ばかりだ」
リリィ個人個人の尊重などと寝言をほざくガーデンは元より、彼女らを称え祭り上げる世論にも虫唾が走る。
あのような者たちの感情的で属人的な思考に国家戦略が左右されては、国が滅びてしまう。
「この御時世に人権だの個人がどうのだの、バカバカしい。それらを保障しているのは国家。国家なくして国民なし。であるが故に、何を最も優先すべきなのかは火を見るよりも明らかだ」
にもかかわらず、ガーデン内は聖域とされ好き勝手が許されている。神庭に至ってはリリィ個人の尊重が高じ、出撃選択制などという言語道断の制度が存在する。
そのようなリリィ特権が彼女らの貴族主義と選民思想を醸成したのだと、志賀は憤っていた。
そもそもちょっと戦う力があってそれを行使しているだけなのに、何がそんなに偉いのか。国を守るのは国民の当たり前の義務ではないかと、志賀は怒りに打ち震えていた。
「――――私だ」
端末に通信が入った志賀は思考を中断して応答する。
発信元は東京の監察本部。内容は、奥多摩方面から複数のギガント級を含む大規模ヒュージ群が東進中とのこと。
これは一大事だ。迎撃には最低でもギガント級と同数の九人制レギオンが必要だし、露払いも考えればその倍の戦力は欲しい。
「分かった。状況は随時報告しろ」
しかしそれだけ言って志賀は一旦通信を終えた。
非常時につき神庭の出撃を認める、とはならなかった。
彼にとって今重要なのは大手を振って神庭に制裁を加えることであり、非常時だからと言って例外を認める行為はガーデンの体質を容認するも同然である。
彼は「戦果さえ上げれば無法を見逃す」というガーデン体制の風潮を断固として粉砕するつもりであった。
そのために周辺住民へヒュージによる被害が出ようとも、彼にしてみれば目的達成に必要な許容し得る犠牲なのだ。
「国を治めるのは感情ではない、法と理性だ。冷静で合理的かつ論理的な我々軍事官僚こそ、それに相応しい」
東京に入り華やかになった車窓の光景を横目にしながら、志賀は今後の展望に思いを巡らす。
街の中には日々を生きる人間たちの姿があるが、彼の目に映っているのはもっと大きくて重いものだった。大き過ぎて、そこに内包される小さなものが霞んでしまうほどに。
「――――今度は何だ?」
再び入った通信に即座に応答する。
随時報告しろとは言ったが、流石に早過ぎる。
志賀はこの時点で朗報でないことを察した。
「鎌倉駐屯地から反逆者の討伐に出撃した防衛軍部隊が進軍を停止、撤収に移った模様です」
「……誰の命令だ」
嫌な予感は往々にして当たるもので。
その可能性を考慮していなかったわけではないが。
「日本政府です」
それでも志賀は返ってきた答えに頭をガツンと殴られる思いであった。