少年は言った。
私はいずれ王になるのだ、と
青年は言った。
青い夢だ、と。
『オレの創る国では、誰もお前を馬鹿にはしない。誰もお前をホラ吹きだなんて言わせない』
少年は両手を大きく広げながら断言した。
まるで、それが当然だとでも言うように。
『お前は、オレ・・・私という偉大な王に仕えた一人の英雄になるのだから』
◇
「・・・ちくしょう」
おかしい。こんなはずではなかった。
男はそう呟いた。
頭をかきながら、ふらふらと路地を彷徨っている。
黄金のように輝く金髪、小綺麗な衣服、豪華な装飾がついた剣、一目見れば一瞬振り返るほどの整った顔、そしてそれらを台無しにする片足だけのサンダル。
金髪の男は歩き続ける。
『そうか。お前が神託の・・・まあ良い。アイソーンの子イアソンよ、お前は王位を返還しろと求めたな———愚か者め。ぬけぬけとこの場に顔を出して、その上に儂に玉座から降りろと? ふざけたことを抜かしおる』
この男、イアソンはケイローンの馬小屋を卒業し、意気揚々とペリオンの山を出た。
目指すは故郷イオルコス。彼はかつて、この国の王子だった。
だった、というのは彼の父、イオルコスの王であったアイソーンが王位を奪われてしまったことが理由である。それにより、彼はケイローンの元に預けられた。今のイオルコスを治めているのはイアソンの叔父にあたる———王位を奪った張本人———ペリアス王である。
故郷に帰ったイアソンは驚愕した。王国はひどい有様だった。
民は疲労し、痩せ細り虚な目をしている。ペリアス王は、己の私利私欲を満たすために重税を課し、その負担は下級の民に重くのしかかった。そこには記憶にあった、豊かな国の面影はなかった。
イアソンは益々滾った。いち早く、自分がこの国の王にならなければ、と。そう信じて疑わなかった。
どうにか王に面会はできた。そうして勢いのまま王権の返還を求めたが、そう上手くことが進むことはなく、愚か者、と告げられたのであった。
『即刻この国を去れ・・・と言いたいところではあるが、確かにお前にも王位を継ぐ権利はあるだろうなあ。そこでだ、お前に試練を課す』
このまま、何も為せぬまま国を去ることになると思いきや、突然と王の気分が変わった。
ペリアス王はある予言を授かっていた。“片足サンダルの男がお前を王座から引き摺り下ろすだろう”。その片足サンダルの男こそがイアソンだった。
ペリアス王は鼻からイアソンに王位を渡すつもりはない。
試練と称して、イアソンをこの国から遠ざけるのが半分。あわよくば、遠い異国で死んでくれればいいという思惑があった。
『金色の羊毛を持ってくるがいい・・・そうすれば、王位の返還を考えてやってもいい』
イアソンは遠い異国コルキスへと宝探しをする羽目になった。
「なんだってこんなことになるんだ! 糞、神々は私に恨みでもあるのか!
・・・まあいい。金の羊毛さえ手に入れれば、あの老害から王位を取り戻せるのだから」
やることは山積みだ。
目的の宝物、金色の羊毛は海を超えた先にある。ならば、造船、仲間、航海術が必要。どこから手をつける? 船だ、もちろん船を作らせなければ始まらない。腕のいい職人がいる。ケイローンにツテをあたってみるか。航海術もケイローンを頼ろう。仲間も、ケイローンの縁者をあたればいい。使える手はなんだって使ってやる。
———ヘラクレス
知らぬものはいない大英雄。噂では、海の魔獣から王女を救ったらしい。誰もが認める、ギリシャで最も偉大な男。まだ姿を目にしたことはないが、オレの誘いに応じるだろうか?
———アスクレピオス
小さい頃たまに山に来ていた医者だ。いつまでも老けない、医術に関わると悪ガキのように無茶苦茶しやがる半神の男。
———カストロ
一緒に学んだ弟弟子みたいなやつ。妹と暮らすとか言って早々に卒業していった。剣の腕に関しては頭一つ抜けている。
「ヘラクレスを仲間にできたら最高だな。だが、まだ足りない。なにが待ち受けているのかわからないんだ。もっと、もっと仲間がいる」
オレに、オレにツテがあるとしたら、
『———いいね、その青い夢。期待しているよ』
そうだ。一人いた。ヘラヘラと笑う軽薄な男。真っ赤な瞳に色味が抜けた白髪。
———メラニオン
いつの間にか馬小屋に顔を出さなくなり、行方は知らない。ホラ吹きと馬鹿にされても笑みを浮かべて誤魔化す軽薄な奴。あいつはこの重いだけの剣をオレに預けてそれっきり。どこでなにをしているのか分からない。でも、あいつならオレの夢物語に乗ってくれる。
オレが本当の英雄にしてやれるんだ。
何はともあれ、ともかく仲間を集めなければ。
一度山を降りた手前、馬小屋へ蜻蛉返りをするのは情けない話だが背に腹は変えられない。
そう決心し、イアソンは足を踏み出した。
その時、怒号が聞こえた。思わずその声の方へ目を向ける。
「———二度とくんな! このホラ吹きのドブネズミっ!!」
「・・・頼むよ、一杯でいい。一杯だけでいいんだ。金なら明日払いにくる。なあ、頼むよ」
「ふざけやがって、文無しにくれてやる酒はねえ! とっと失せろ!」
路地裏の酒場から、薄汚れた男がゴミのように投げ出された。
珍しい光景じゃない。
身分や学がない人間はああやって落ちぶれていくしかない。今のイアソンには、そういった人間を救う余裕はない。見過ごすのは容易い。
だが、できなかった。
「おい、お前・・・」
見覚えがあった。
真っ赤な衣装に、色味が抜けた白髪、違うとすれば幽鬼のように青白い顔。路地裏に投げ出されたゴミは間違いなく
「お前、まさか・・・メラニオンか?」
イアソンに名を呼ばれ、濁った赤い瞳で視線を動かす。
目の前の人間がなぜ自分の名前を知っているのか不思議でしょうがないのか怪訝な視線を向ける。
イアソンを視界に入れると、どこかに面影を見たのか記憶を辿るようにたどたどしく口を開いた。
「あぁ?・・・あ・・・あ ああ! あー!」
やがて、記憶の中の少年と目の前のイアソンが一致したのか、メラニオンは懐かしい物を見るように言った。
「君、イアソンか! 馬小屋にいた! や、随分と変わったな!昔はもっと可愛げがあった気というか、悪ガキそのものだったが・・・だがどうした、こんなところで? 君もこの辺りで飲んでいたのかい?」
「・・・変わったって、こっちのセリフだ」
どう見ても普通じゃない。
服は血が染み、着ているだけのボロ布であり、その身体は何かに切り刻まれた後に接合したような傷跡が痛々しく見え隠れしている。
「なにがあった?」
「大きな仕事でヘマをしてしまってね。身体を切り刻まれ、海に捨てられてこのザマさ」
ヘラっとメラニオンは口にした。
冗談はよせ、いつものホラだろう、とは言えなかった。
「なんでだよ。どうしてそんなことになったんだよ」
そこには、軽口を叩きながら夢のような冒険を語った青年の姿はない。あるのは、ホラ吹きと蔑まれ見下される哀れな抜け殻だ。
「なあ、お前は冥界にも行ったんだろう? オレはあの話が気に入ってたんだ。いつか、そんな冒険がしたいってガキの頃は憧れたんだ」
「あー・・・そんな話、したかな。私のことだ、どうせホラ話だ」
記憶にないな、とメラニオンは笑った。
本当に抜け殻みたいだ、とイアソンは感じた。何か、この男にとって大切なものが抜けている。見た目通り、ツギハギだらけの存在だ。
「・・・その様子じゃ、この剣のことも忘れてんだろうな」
「・・・剣?」
イアソンは、腰に下げていた剣をメラニオンの前に差し出した。
「この剣はお前と最後に会った時に預けられたんだ『夢が叶う時までお前に預ける。もし、理想の国が造れたら返しに来てくれ』ってな」
「ははは! 随分と格好つけたな私は!」
「オレはまだ、王にもなれてない。いいのかよ、このまま借りパクしちまうぞ」
かつての青年なら“それは困るな”と立ち上がるはずだ。そうあって欲しかった。
「———ならさ、それ、返さなくていいから金で返してくれよ。酒代の足しにするから」
抜け殻は立ちあがろうとしない。
イアソンは拳を握りしめた。怒りだった、悲哀だった、許せなかった。
周りの奴は理解していない。みんなどうしようもない馬鹿なんだ。理解できないからメラニオンをホラ吹き呼ばわりする。
だから、オレが上手く使ってやらねばならない。
「メラニオン、お前に夢はあるか?」
「なんだい、急に。それより、くれるんだったら金を」
「いいから答えろ!!!夢はあるかと聞いてるんだっ!」
「・・・な、ないよ」
「いいや、あった! 昔にお前はオレに語っただろうが! なに?覚えてないのか、ならばオレが教えてやる。お前は確かに言ったとも“英雄になりたい“とな!」
「そんなこと言った覚えは・・・ない? なかったはずだ・・・ん?」
「言った! お前は言ったんだ!!! たとえ覚えが無かったとしても、言ったと思っておけ!!」
発破だった。
立ち上がらないのであれば、無理矢理にでも立ち上がらせる。
例え、目の前の男に夢がなかったとしても持たせてやる。
メラニオンはイアソンの勢いに押されていた。
「いいか、オレは今、偉大なる冒険に出るために船員を求めている!! 武勇に優れ、知略に優れ、技量に優れ、我こそはという強者達を!! そして、船を漕ぎ、異国コルキスへと旅立つ!! それをやり遂げれば、船に乗った船員は民衆にどう言われると思う? 簡単だ、奴らは称えるだろう。俺たちを、英雄だと!!!」
「だから、その青い夢に付き合えと?」
冷笑と共に、かつて少年に発した言葉を告げた。
抜け殻にとって、目の前のイアソンは眩しすぎる。羨ましいと思った。この男は少年の頃のまま、青い夢を抱き続けているのだ。
「ああ、付き合え!! オレがお前を誰よりも上手く使ってやる。オレなら———お前を英雄にしてやれる!」
手が差し出される。
傲慢な男だ。まるでモノ扱い。
・・・結末は誰もが予想できる。この男は救われない。最後まで、神々に踊らされ続けられるのだ。夢が叶うことはない。
けれど、
「———いいだろう船友。その泥船、乗らせてもらう」
“私”には、まだ為すべきことがある。
誰を犠牲にしようとも、ここで終わるわけにはいかない。
だからこの男の手を取る。
これはヘラの試練。所詮は神々の手のひら。
これが始まり。
まだ船もなく、船員も一人だけ。だが、紛れもない第一歩。
栄光あるアルゴー船に乗りし我らがアルゴノーツ、その始まりのお話。