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―――2017年 12月25日
深夜未明―――
呪術高専東京校―― "????"
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部屋中に貼り付けられた札。
床には無数の蝋燭。
そして、ぼんやりとした灯りに照らされている"離反者"の姿。
中央に置かれた椅子に縛り付けられ、その人物は真っ直ぐとこちらを見据えていた。
久しぶりにこちらを見つめる赫い瞳はどこか疲れをも感じさせる色彩を放ち、妖艶ささえ感じてしまう。
「……"建人"」
「…………」
白銀の女性は目の前に現れた人物の名を読んだ。昔と何も変わらない声色。だが、女性を見下ろす男の瞳は眼鏡越しでも感じる程にどこか冷酷で哀しい気もした。
「呪術規定5条に基づいて、貴女を"秘匿死刑"にすると。」
「想定内だよ。そもそも私は"呪詛師認定"されてるんだから。夏油先輩も
「……………」
「心配しないで?…大丈夫だよ。建人。」
柔い声。静める穏やかな声。
ずっと探していた彼女の声。
「……納得…いかないんです。」
女性の言葉を聞く気なしに反発する七海。1歩、また1歩と近づくと床の蝋燭が煽られ揺れていた。
「建人」
「だって貴女は!……そもそもこちら――」
「落ち着いて。らしくないよ?」
「……ッ……」
七海に最後まで言葉を言わせなかった女性は真剣な顔をして彼を見上げた。その台詞に言葉をつまらせ、珍しく唇を噛み締めた。
「ふふっ……本当に変わらないね建人。昔から何も。」
縛られた体を伸ばし体を動かせる範囲で拗らせる。そして頭を垂らし俯くと女性はか細い声で呟いた。
「……"雄が待ってる"。逝けるなら本望。」
この世に居ない青年の名。
同時に七海の表情が一気に曇ると、咄嗟に女性の肩に手を伸ばした。
「……"洸"…」
「建人はまだ来ちゃダメだよ。……ね?」
ゆっくりと顔を持ち上げ優しく笑った。
"五条洸"も昔から何も変わっていなかった。
「私は向こうで……青春の続きを夢見てる。」
光る赫い瞳。
捉えるのは青春の続き。
脳内に永遠に残る青春物語。
洸は笑っていた。
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"準備はいい? 行きますか"
毎晩燃えている
世界まで炎上しているんでしょう
乾燥しちゃわないように
青々とした勇気と頓智を
声が届いて欲しいんです
そうたった一人
貴方へは聞こえているんでしょう
きっと思い出してしまう
喧騒を引き返してしまう
ねえ 外れ? 当てたいです
"今どこですか 無事でいますか
もう大丈夫ですか
愛を覚えましたか"
解きたい問題いつだって汪溢
なんだろうか?
大人ってまあ逞しくもなるだろう
しかし繊細さが
だんだん増して行ってしまう
しょっちゅう傷付いてしまう
ねえ幼い? 熟れたいです
"誰かいいひとが共にいますか
もう大丈夫ですか
愛は与えましたか"
"青春の続き"―――高畑充希
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2007年――
―――花火大会 翌日の夜
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『洸ー?そっちは大丈夫?』
携帯電話から漏れるのは灰原の声。相変わらず自分たちよりも私のことを気にかけてくれていた。全然大丈夫なのに。
「うん。さっき終わらせて補助監督と合流済み。で、高専に帰還!…と言いたいところなんだけど、またまた緊急案件が入って、今から長野にひとっ飛び。」
補助監督が運転する車内。
漸く任務が終わった、なんて思っていた時に緊急案件。全く、呪霊の数が減ってるなんて嘘だ、絶対。
『それは災難だね。ていうか洸は単独なんだし、本当に無理しないでね?』
「大丈夫大丈夫。―――」
携帯電話を片手に窓の外を見据える洸。今朝は晴れていたのに、何だか怪しい雲行き……これから行くのはド田舎の山間部。できれば雨は避けたい。兄のように延々と無下限が使えれば雨なんて怖くないのに。
「……それより、そっちの状況は?」
『調査も終えたし、あとは明日の討伐がメインかな?』
「確か2級呪霊だよね?」
『うん、そうだよ。何らいつもと変わらない任務って感じかな?今回は遠方ってだけが珍しいだけ。』
「そっか。……あ!でも油断したらダメだよ?」
洸は思い出したように人差し指を立て声を上げる。補助監督の男性はビクッと肩を揺らすも相変わらずいつもの呑気な楽しそうな会話だ、なんて頬笑みを浮かべていた。
「1年の時、悟兄と任務だった時にね?2級案件だって言われて呑気に行ったら……呪霊の正体がまさかの"土地神"だったって話!」
『そんな事あったっけ?』
「あー……あんまり言ってなかったかも……。たまたま悟兄と一緒だったし。1級案件だったけど大丈夫だったんだよねー。」
『五条兄妹なら相手が土地神でも余裕でしょ?』
「でも手強かったよ?私なんて油断してお腹グッサリいっちゃって―――」
思い出すだけでもお腹がヒヤッとしてしまう。そういえばそんなこともあった。あの時、たまたま兄と任務が一緒だったからまだマシだったかもしれない。入学して2週間足らずで向かった任務がまさかの一級〜特級案件だったって話。あの時はまだビビりまくってたなあ……なんて。
「……本当に気をつけてね?」
『大丈夫大丈夫。だから前もって調査もしたんだし、その可能性はゼロだよ。』
「なら良かったよ。さすが慎重派の建人が居ると違うね〜。」
まあ、問題ないだろう。なんせあのふたりだ。前もって調査はしているだろうし、決して無茶はしないって分かってる。悟と傑の問題児最強コンビに比べたら間違いなく慎重なのだから。
車窓から見える景色が変わっていく。
そして予想通り雨が降ってきた。ポツポツと窓に水滴が落ちる度にため息が漏れそうな程に憂鬱になる。
そんなことを考えていた時、洸は昨日言いそびれたことを灰原に打ち明ける。
「あっ、……あのね雄。」
『何?どうしたの?』
擽ったくてたまらない、
というか補助監督もいる中で話しずらいのだが……今のうちに言っておこう。
「……帰ってきたら……話したいことがあるんだ。」
『僕に?』
「……うん。」
流れる沈黙。洸の真面目な声色から何かを悟ったのだろうか?珍しく灰原が黙り込む。……いや、多分彼は天然だから何も思ってないし、大した事ない内容だとは思っているだろうけど。
『ちょうど良かった!僕も洸に伝えたいことがあったんだ。』
「え?何?何系?」
『それは秘密だよ。電話で話せないこと。』
「…………絶交?…」
『ハハハッ!そんな訳ないよ?』
「良かったー……でも何だろ……」
『えー?何だろう。何だろね?』
「茶化さないでよ!もう……」
灰原の事だ。きっと恋愛系ではないだろう。……妹さんの事とか?これから先の事とか?
高専辞めるとかだったらどうしよう。
元々、非術師の家系だし有り得そう……でもそれでも彼と全く会えなくなるわけじゃないし―――
グルグルと様々な事を脳内で巡らせる洸。無意識に空いた右手でスカートの裾を強く握りしめていた。
『―――よーし!!その為にも明日頑張って早く帰らないとなー!』
「そっ……そうだよ!早く帰ってきてよね?それで皆で久しぶりに夜な夜なゲーム大会しよう!」
『それいいね?めちゃくちゃやる気が漲ってきたー!』
灰原の明るい声が鼓膜を叩く。無意識に頬が綻んで笑顔が漏れてしまうほどに。きっと私は今、めちゃくちゃ気持ち悪い顔をしているかもしれない。
まあいっか、補助監督しか見てないだろうし―――
『僕達の帰り、いつものように待っててね?』
「うん。三階から眺めとくね。」
『それは危ないって家入さんに散々言われてるでしょ?……全く、洸は―――』
刹那、電話口の音声から別の物音が飛び込む。微かに聞こえるのは七海の声。そして応えるように灰原が声を上げた。
『あ!七海がお風呂から出てきた!次は僕だから七海に携帯渡すね?』
「えっ、別に建人は―――」
このまま切ってくれて構わな……
『……"別に?"私は用無しですか?洸さん。』
「うっ……ソウイウワケジャナクテ……」
なんとなく気まずい。
昨日の花火大会で、彼はなにか言おうとしていたのにそれを遮った自分。
あの雰囲気は何となく……本当になんとなくなんだけど……なんとなく……
多分……そういう系……。
"建人にもちゃんと話さないと"なんて心の中で呟いた。
「け、建人!……明日、気をつけてね?」
『はい。』
「……えーっと……怪我してない?」
『してませんよ。』
「…………ご飯何食べたの?」
『はぁ……本当に私には用がないようですね?だったら切りま』
「ごめんごめん!違うの!待って!ストップ!」
しどろもどろになる洸にため息混じりの七海の呆れ声。先程の灰原の様子から考えてもよっぽど自分とは話すことがないらしい。と半ば残念な気持ちもあるが……彼女の様子がおかしいのは"私の昨日の言いかけた言葉のせいなのか"。
「その……ごめん。昨日遮っちゃって。」
『なんの事です?』
「なっ!なんの事って……なんだ、気にしてないならいいや、別に。」
『気にしていますが。』
「やっぱり……」
ガクッと肩をあからさまに落とす洸。
補助監督はクスクスと笑っていた。
……"やっぱり"。そんな気はしていたけど。
多分そうなんだ、多分。……あの建人が……多分私に
多分、……多分―――
『私は貴女が好きです。洸さん。』
「…………」
『五条洸さんの事が、好きな―――』
「〜〜〜〜〜ッ!!!!!!」
声にならない声を上げた洸は無意識にそのまま通話終了ボタンを押し込んだ。一方的に切電されたことに関して若干"ムカつく"なんて思った七海。
……本当に、勝手な
「………全く………」
ベッドに腰を下ろし、そのまま灰原の携帯電話を傍らのローテーブルにそっと戻す。
無意識に暗闇に染った外の景色に視線を向ける七海。真っ暗で街灯一つない田舎道が遠くに見える。高専からかなり遠く離れているせいか、なんとなく寂しい気さえも―――
「……灰原。」
「七海。"先に言っちゃった"?」
「盗み聞きですか?」
「狡いなー!僕は明日伝えようと思ってるのに。」
「こういう事は早めがいいんですよ。」
「まあ、……確かにそうだね。」
浴室に向かったはずの灰原がひょっこりと顔を覗かせていた。少し不機嫌そうに口を尖らせ"彼にしては珍しい表情"。そんな灰原は七海の隣に腰掛けると生真面目な顔をしたまま自身の手元を見つめていた。
「先手は打たせてもらいました。」
「意外と策士だよね。本当に敵わないよ。そーいうところ……」
2人の表情は徐々に綻んでいく。"好意を抱く異性への告白"、"2人で同じ人を好きになってしまった"―――だいたいこういう時は空気が悪くなるのが当然……のはずなのだが。2人は何故か笑っていた。
「七海って、こういう私情は持ち込まないタイプだと思ってたんだけど。……やっぱり洸に対しては我慢できなかった感じ?」
「相手が灰原だからですよ。勝ち目がありません。」
「それにしてはグイグイ行ってるけどね?」
「だからこそです。……洸さんなら少しは惑うはず。もしかしたら明日、灰原への告白が無くなるかもしれない。」
「え?何で?」
「3人の関係性を壊さない為。……ここで灰原と洸さんがくっついたら―――後は言わなくても分かるでしょう?」
きっと洸なら身を引く……かもしれない。
この3人の関係性を壊さないために、一旦様子を伺うかもしれない。
その可能性は洸の様子を見る限りゼロに近いが何も行動を起こさないよりはマシだ。
「……"策士"だ、本当に。……ちょっと七海の事怖いって思っちゃったかも。」
「貴方こそ、洸さん相手だと"そんな顔"もするんですね。」
互いの顔を見合う。挑戦的で意地悪な台詞、悪魔が宿ったような妖しい口元の微笑は彼等らしくない。だがこれが本能だろうか。好意を抱く相手への純粋な気持ち。まさかここまで腹黒くなるなんて、恋というものは、青春というものは恐ろしい。
「……ね、洸のどこが好き?」
「急に何ですか、その議題は。」
「いーでしょ?別に。こういう時じゃないと話せないしさ?」
「……秘密です。」
「えーー!」
「そんな貴方はどうなんです?洸さんの好きなところとは。」
灰原は再び自身の手元に視線を移した。昨日の洸と同じように手元をもどかしそうに動かし、長い男らしい指先を何度も動かす。
「そうだなあ……いっぱい食べるところ。いつもは大人しいのに案外豪快に笑うところ。可愛いところ、優しいところ。強いところ……でも実は弱いところ。」
「即ち全部という事ですね。」
「そうそう!七海だって同じだよね?」
「…………」
「はははっ!やっぱり!七海って黙り込む時、大体肯定してる時なんだよね。」
呑気な笑いを零したと思えば、今度は七海の肩を隣から強く突く。
そんな七海は"図星"だったのか眉を顰めると手のひらで目元を覆い隠した。
その姿をじっと見据える灰原。
少年らしい明るい笑顔が一転、真っ直ぐと目の前の壁を見つめると落ち着いた口調で呟く。
「僕。本当に2人のことが大好きなんだよ。」
「………………」
その言葉はまるでこだまのように、七海の心で暫くの間響いていた。まさか彼女のことでここまで会話が伸びるなんて、そもそも洸の事でこんなにも語り合ったことは無い。一年以上一緒に過ごして漸く全てを話しているような感覚だった。
自分が隠していた感情。本当の姿、洸に対して腹黒い自分。ずっと2人はそれぞれが胸の最奥に詰まらせていた。
その蓋が外れ、ダムが決壊したかのように感情が溢れ出す。だけどそれは決して醜いものでは無い。互いが認め合い、互いのいい所を知っているからこそ出てくる言葉達。
かけがえのない"親友"なのだから。
「明日頑張ろうね!七海!」
「はい。勿論。」
"洸が待ってる"
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―――翌日 午前11時頃
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薄暗い山奥で響き渡るのは木々の叫び。
雨音、破裂音。
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『オネエエエエチャアアアアアアンンンンン゛』
醜い呪霊が少女に襲いかかる。
少女は躊躇することなく呪霊の懐に飛び込み、見極めた急所を思いっきり潰すように突く。すると呪霊は嫌な音を立て呆気なく消滅した。
「はい終了。雑魚。」
既視感のある光景に台詞。
元々口は良い方では無い。しかし兄の影響なのか更に口調は似てきた。―――兄妹というものは嫌なものだ。血は争えない。
「((……最近ホットな自殺の名所…か…。))」
嫌な呪いだ。自殺の名所は何度か訪れたが、祓っても祓ってもまた湧いて出てくる。とくにこの夏休みの時期は圧倒的にこういった場所は直ぐに呪いが溜まりやすい。……本当、嫌なものだ。
ぼーっと森林の隙間から覗く曇り空を見上げていたその時、ポケットに入れていた携帯電話が音を鳴らし始め通話を知らせた。
「―――あっ、冥さん。お疲れ様です!こっちはもう片付けました。」
『ご苦労だったね。洸。』
相手は個人で活動する1級呪術師。"冥冥(偽名)"
今回の緊急案件に駆り出されたもう1人の術師だった。
「かなり巻いたので早めに高専に戻れそうです。」
『…………』
「……?冥さん?」
急に訪れる沈黙。
冥さんと会話する時、こういった無駄な沈黙はまず有り得ない。淡々と進む会話が日常なのだが。
……電波?……いや違う。
『洸。君に報告がひとつ―――』
冥冥の改まった真面目な口調。
その先の台詞を耳にした洸。
少女は取り返しのつかない、絶望に陥った蒼ざめた顔をすると弾かれるように脚を動かした。
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"待っててね、洸。"
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縺れる脚を必死に動かした。
全身が焼けるように熱い。
脳みそがズタズタにされているような感覚。
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「……ッ!!!!」
勢いよく開かれる扉。
見たことの無い、取り乱した洸の姿。
夏油と七海は唖然とする。
「ぁ……あ……」
声が出ない――
「はぁ……はぁ……あ…」
胸が苦しい、
意識的に呼吸しないと、息ができないほどに――
「ゆ、…ぅ……う……ッ……!」
必死に"彼"の名前を呼んだ。
だが不思議な程に吃驚する程に声が出ないのだ。
喉に、胸に、肺に、何かが詰まっているような感覚。
ガクガクと手足が震え、まるで自分の体じゃないようだ。
"彼"の頬に手を伸ばすも異常な冷たさに思わず手を引っ込めてしまう。その瞬間、無意識に体から一気に力が抜ける。無機質で冷たい床が自分の脚に染み込むと改めて夢ではないという事実に気を失いそうになる――
「「………」」
そんな"異常で異様"に狂った彼女の様子を傍らに、二人の男は苦しそうに顔を歪めた。
「…洸」
「七海。」
"台"のすぐ側で腰を抜かし、口をパクパクと震わせながら床に力なく座り込む洸。七海はそんな彼女に手を伸ばそうとした瞬間、それを夏油が阻止した。
眉を引き寄せ、恐ろしく厳粛した顔の夏油。それを目の前に七海は手を引っ込め、再びパイプ椅子へと腰を下ろし頭を抱え込む。
「ゆう……ッ…ぅ……あぁッ……ああぁあっ……
――雄ぅぅぅうう!!!!!」
台の上に転がった"屍"
それは間違いなく"灰原雄"
受け入れられない現実を突きつけられた少女の顔は酷く青ざめ、発狂する。
「だいじょうぶ……私の……反転術式……」
ダメだ、手元が狂う。
安定しない呪力が無意味に発散する。
「……洸ちゃん。」
「夏油先輩!大丈夫です。雄は私が"治しますから!"」
「…………」
"治すなんて問題じゃない。……彼はもう―――"
「ぁ……あれ?おかしいな…………胴体が……」
布に隠された胴体。
しかし腹部あたりから下半身が見つからない。
「ねぇ?建人。……ねぇ?」
「…………っ……」
「はぁ……はぁッ……けん、と?」
「……洸さん……」
涙が滲み、落ち続ける。
赤い瞳が近づく七海の顔を見上げた。
「……ははっ、……もしかしてドッキリ?」
「……違います……」
「手の込んだドッキリだね。夏油先輩もグル?冥さんも凄い演技力だったなあ。……ねぇ、起きてよ"ゆ――」
洸の手が灰原の頬に再び伸ばされた瞬間。それを止めるように、七海は洸の両肩を掴んだ。そして彼らしくない怒号に近い声が部屋に轟く。
「違う!!!」
「…ッ!!…」
現実を受け入れ続けない洸に対し、遂に七海が声を上げたのだった。あまりにも驚いた洸は体全身を固まらせる。
「違う……違うんです!洸さん!」
「ぅ……うう……っ……」
「灰原は"死―――」
「違う!!"死んでなんかない!!!"」
今度は強く言い返す洸。
顔は涙と汗でグチャグチャだ。いつもの冷静で可憐な姿はどこにも無い。
「これは夢!夢よ………夢、夢夢夢夢夢夢!!!」
七海を容赦なく突き飛ばし頭を抱え込む洸。
錯乱する彼女を誰も止めることが出来ない。
「―――先生!硝子!」
刹那、夏油の声とバラバラとした忙しない足音が洸の鼓膜を叩く。
「洸!?しっかりして!」
「……ぁ…………あぁ…………」
膝から崩れ落ち、何処か遠くを見据え痙攣し始める洸の身体を家入が抱きとめる。
そしてギロリと赤い瞳が動くと、それは自分を見下ろす夜蛾を映した。
「せ、せんせ、……ッ……せ」
「洸。」
「うそ、ゆ、……っう……」
家入をも押し返そうとする洸の腕。すると誰よりも険しい表情を浮かべた家入が夜蛾を見上げた。
「先生!!洸を止めて!」
「……分かってる。」
夜蛾の大きな手のひらが洸の目元を覆うように包んだ。すると少しずつ洸の体から力が抜けていき、家入の胸の中でだらりと腕を落とす。
一瞬にして静まり返る室内。
それぞれの荒い息だけが響いていたのだった。
「……ッ……傑。洸を部屋に。」
「…はい。」
夏油は言われた通り。洸を抱き上げると部屋から姿を消す。久しぶりに抱き上げた彼女の体は、まるで抜け殻のように軽かった。
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同日 深夜23時―――
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「…………」
目が覚めると見慣れた天井。
ほんのりと薄明かりだけが照らされる自室が視界に飛び込む。
そしてその体の上半身が無意識に飛び上がった。
「ッ……ぁはぁ!!」
「お早う。洸ちゃん。」
「―――っ!!雄は!?雄……」
傍らに夏油の姿。
普通そこで驚くのだが今の洸に彼は見えていないも同然だった。
まるで悪夢から覚めた時の感覚なのだが"やはり違うのか。"それは夏油の表情を見て一目瞭然だった。
「死んだんだ。……"灰原は死んだ"。」
「…………っ……ちが」
「違わない。」
「夢……これはきっと悪い夢……」
「夢じゃない。現実なんだ。」
落ち着いた夏油の声色と口調に現実味が更に増してくる。まるでなにかの短編小説を読んでいるかのように場面が目まぐるしく変わっていくと"やはり現実じゃない"なんて都合よく思う。しかし、……いいや、
……違う、絶対違う。認めない―――
「私の反転術式で絶対治す。……私がさっき上手く出来なかっただけ。」
「洸ちゃん。」
「夏油先輩、退いてください。」
「……洸ちゃ……ッ!?」
夏油は大きく目を見開いた。
「((――まさか、こんな時に無下限……ッ))」
ベッドから起き上がろうとする洸の体を半ば無理やり夏油が抑え込む。だが"触れられない"感覚は間違いなく無下限。しかし彼女はボロボロだ。この状態で無下限を使うなど―――
「んっ……ぐ……ッ!!」
「洸ちゃん!!!」
「…………なんで……これくらい………うっ……ううっ……」
脳に負担が掛かったのか頭を強く押さえ込み、苦しみ悶える洸。いつもならこれくらい余裕なのに、なのに、なのに……なのに―――
「今はしっかり休まないと。ここまで来るのに無茶したんだろう?ボロボロだ。」
「これくらいッ…………!」
「……ッ……」
夏油の大きな体が彼女を容易に包み込んだ。胸元で嗚咽しながら涙を流す洸。そんな彼女をあやす様に夏油は優しく抱きしめた。
「雄の方が……絶対辛くて痛かったのに……!」
"現実を認めざるおえない"
漸く、洸は現実を受け止めた。
「……洸ちゃん。」
「あ……ぁあっ……私が……2人と合流していればッ!!緊急案件なんて……私が行かなければ!」
「洸ちゃん。」
「私が2人を守れたのに!」
「………ッ…」
「私が代わりに―――」
―――"""死んでしまえばよかった"""
「洸。」
「っ…………」
残酷なその先の言葉を遮る夏油の声。疲労が溜まりきった洸は既に叫ぶ力も残されていなかった。
優しく包み込む夏油の腕が、薬のように安定させていく。
「今は眠るんだ。……いいね?」
「はぁ……はぁ………ッ…はぁ……」
「君は何も悪くない。何も。悪くないんだよ。」
「夏油……せん、ぱ……」
背中を叩く均等なリズム。
それはまるで規則性と突発性、予測性と逸脱性が適度に組み合わさった"1/fのゆらぎ"のようだった。
彼の手元から人の心を落ち着かせる妙なリズムが何度も加わる。赤い目からはポロポロと涙だけが滴り落ち、洸は意識を手放した。
「―――お休み。洸。」
くびれた彼女の胴は細すぎて折れてしまいそうだ。男は優しく更に彼女を引き寄せ、壊れないようにそっと抱きしめ続けた。
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――記録
2007年○月○日 ○○○山 麓にて。
産土神信仰の土地神 (尚、呪霊等級は一級から特級)を確認。
担当術師
東京都立呪術高専専門学校 二年(両名ともに二級術師)
"七海建人" "灰原雄"
前日調査において上記呪霊を確認できず。―――
―――"灰原雄" 殉職
尚、今回の案件の引き継ぎを同校三年
特級術師 "五条悟"へ引き継ぎ―――
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深夜 2時―――
┈┈┈┈┈
「悟。戻ったんだね。」
「……ああ。」
学生寮のエントランスにて悟と傑が姿を現す。
「……ボッコボコにしてやったよ。
「……うん。」
若干疲れの色を見せる悟。しかし纏う制服には塵一つ見当たらない。その姿がやけに夏油の目に"嫌"に映りこんだ。
「洸は?」
「酷く錯乱していたけど今は眠ってるよ。」
「…………」
「……あの子は自分は怪我をしたまま、治す間も無く傷だらけで帰ってきてね。硝子が治してくれて今は傷一つないけど。」
「―――そうか。」
青い瞳と視線は交わらなかった。
こういう時の悟は"なにか考え込んでいる"。
それはきっと洸の事だ。
彼にとって七海達を襲った呪霊や殉職した灰原は多少なりとも思うことはあるだろうがそれなりに線を引いているのは分かっていた。
「……自分を責めてたか?」
「ああ、とてもね。」
「馬鹿だな。アイツは何も悪くねぇのに。」
「仕方ない。相手は灰原だ。余計に自負するのは当たり前だろうね。」
洸にとって灰原は初めてできた友人―――親友。
そして想い人。
ただの学生の関係だ。しかし"洸にとって"は大きすぎる存在だった。
「傑。今夜は俺が洸の側に居る。」
「任務から戻ったばかりだろう。悟は休んだ方が…」
「いいや。俺が洸を診る。」
「…………」
そして漸く、青い瞳は夏油を捉えた。
「俺は"アイツの兄貴だからな"。」
その言葉と同時に。悟は夏油の肩を軽く叩く。
"―――狡い"
「……ん?傑?」
「ッ……あ……」
「なーにボーッとしてんだよ?お前こそボロボロじゃねぇか。いいから寝とけ。」
「………ああ…」
通り過ぎていく彼女の兄。
全てが余裕で、あっけらかんとした男の言動に何故か敏感に反応してしまう自分が恐ろしい。
「((こんな時に……私は……何を考えてるんだ。))」
最強の彼という存在が
……嫌になるほど妬ましく思ってしまった。
「あ!こんな時間まで洸を見てくれてありがとな、傑。」
「……別に、何も問題ない。」
夏油は振り向くことなくエントランスを抜け、行くあてを決めぬままただただ長い廊下を歩く。
「((……私は……おかしくなったのか?))」
ふと、洸の言葉が脳裏を掠めた。
"最近 変じゃないですか"……なんて言葉が―――
妙に刺さって離れなかった。
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┈┈┈┈┈┈┈
「……………入るぞー…」
妹の自室に入る兄。
久しぶりに見た妹の部屋は前より荒れているようにも見えた。
所狭しと積まれた本。
そして妹が好きで愛でている花―――
それは洸の心情を写しているかのように枯れ果てていた。
「……目、腫れてんじゃねぇかよ。ブッスー……」
ベッドで眠る洸の姿。
目は酷く晴れていたが気持ちよさそうに眠っていた。
童顔のせいか、実年齢よりも若く見える妹の寝顔は昔から変わらない。
愛おしい。
自分と血を分けた妹の存在は思っていた以上に大きい。
「―――ごめんな。洸。」
そっと陶器のような白い肌に触れる。
「……護れなかった。お前のことも。」
細い骨格の手指を優しく包み込む。
「兄ちゃんの傍に居れば何も辛い事は無いなんて……俺の傲慢だった。」
月明かりに光る青い瞳。
「結局、お前に重荷を背負わせてるのは俺だ。」
ベッドの傍らに座り込み、そっとシーツに顔を落とす。
「……どうすりゃいいんだろうな。どうしたらお前は人並みの幸せを……普通を得ることができるんだろうな。」
「………………」
洸の瞳は真っ直ぐと天井を捉えていた。
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"ねえ お願い 会いたいです"
"己自身のため生きるだけって
もうしんどいの
期待も落胆も知れている"
溜め込んだ愛は過飽和中
行き場のない危ういこの心身を
強く深く重く組み敷いて押さえて
陶酔させてほしい
嗚呼 貴方を掴んでいられたら
ずっと安心
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